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昭和の野球を生き切った清原。

 雑誌「野球小僧」の連載をまとめた高橋安幸の『伝説のプロ野球選手に会いに行く』というインタビュー集の、杉下茂の項を読んでいたら、こんな談話が目に付いた。

<川上(哲治・引用者注)さんに対しても、ランナーいなかったら、そんなボールほうらないもんね。真っ向勝負でさ、『エイヤ!行きましょうや』ってど真ん中だもん。ど真ん中にストレートほうってってね、これで打ち取ったら初めて勝った!っていう気になるんだよ。フォークじゃならねぇんだよ。ごまかした!って感じなんだな>
 杉下が「そんなボール」と表現しているのはフォークボールのことだ。日本におけるフォークボールの元祖にして、「魔球」と恐れられた本人は、実はストレートにこそプライドを抱いている。

 このくだりを読んで、清原もこの時代に生まれれば幸せだっただろうに…と改めて感じた。
 確かジャイアンツでの最後のシーズンだったと思うが、2-3から変化球を投じて三振を奪った藤川球児に対して「チンポコついとんのか」(語句については異説もあるようだが)と憤ったエピソードは、メディアだけでなく野球ファンの間でも批判的なムードで語られることが多かったと記憶している。だが、50年から60年前、杉下や川上の時代なら、それはごく普通の常識として通ったことだろう*。

 彼のそんなキャラクターについて、4年前に<清原に見る「最後の昭和」。>という文章に記したことがあるが、その感は、より強くなった。
 昨夜の引退セレモニーでは、彼に縁のある人々が次々と登場して花束を贈り、長渕剛が登場して「とんぼ」を歌った。思い切りベタな演出なのだが、直立不動で顔を歪めたまま歌に聴き入る清原の姿は、実に絵になっていた。
 こんなベタな演出がこれほどよく似合う人物が、今の日本にいるだろうか。清原は、その身にまとっていた「昭和の世界」を最後の最後まで見事に生き切った。そしてそんな姿が、誰よりも観客に愛された。

 正直なところ、私はプロ野球選手としては、清原があまり好きではない。西武時代から一貫して過大評価を受けてきたと思っていたし、プロとして「それは違うだろう」と感じる言動が多かった。
 それでも、スタジアムにいて彼が打席に立てばつい拍手してしまうし、テレビ画面なら注目してしまう。スケールの大きなホームランには目を奪われる。右中間に伸びる打球の弧も魅力的だった。
 どんなに傲岸で、幾多の間違いを犯したとしても、結局は憎めない、存在感の大きな選手だった。野球界の顔役、とでもいう表現が似合う。彼が20代後半の頃、たとえば1996年のアトランタ五輪がプロ選手で結成されたとしたら、少々打率は低くとも、清原は四番に収まっただろうと思う。

 ただひとつ、いや、惜しまれることはいくつもあるけれど、それでもひとつだけ挙げるとしたら、すでにジャイアンツで居場所を失いつつあった2004年オフ、仰木監督が指揮をとることになった合併球団オリックス・バファローズに移籍していれば、という思いはある。仰木の下で、何物にも縛られることなく伸び伸びと野球に打ち込む清原の姿を見てみたかった。当時もここでそう書いたが、1年後、仰木亡き後に移籍が実現しただけに、余計にその思いは強い。


 オリックス・バファローズは、特設サイトを作ったり記念グッズを売り出したりと、清原の引退興行に熱心だ。
 夏に自ら引退を発表した時点から、球団にとっては、今年のペナントレースは清原の引退興行という位置づけだったのではないかと思う。というよりも、ほとんど戦力になる見込みがない選手に高額の報酬を払って現役を続けさせていたのも、花道を飾らせつつ一商売したい、という考えからだったのではないかと思うが、最終的には球団にも清原にも幸福な形で終わることができたのは結構なことだ。

 それにしても、低迷するチームを突然任せられ、戦力にはならないが存在感だけはやたらに大きい選手をベンチに置きながら、彼のチームを盛り上げ勢いをもたらす力をもうまく使い、チームを立て直して快進撃を続け、ホームでの最終戦を前にクライマックスシリーズ進出を確定して、最後に清原に四番DHでのフル出場という花道を作ることに成功した大石大二郎監督の手腕は、見事というほかはない。クライマックスシリーズや日本シリーズの行方がどうなろうと、今年の最優秀監督には大石がふさわしい。

 …と勢いよく書いてしまったが、松坂に続いてカブレラと和田を失ったチームで、打ち勝ってレギュラーシーズンを制した渡辺久信監督もご立派。若い指導者が結果を出しているのは嬉しい。


*
…と書いたが、コメント欄のnobioさんの再三の指摘を読むと、「ごく普通の常識」というわけでもなさそう。いずれにしても、清原はこの時代の方が住みやすかっただろうとは思うのだが。(2008.10.6)

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コメント

清原やイチローや中村紀洋はたびたび直球勝負の美学を語ってますし、藤川は「フォークで抑えても勝った気がしない」と、杉下氏と全く同じことをよく語ってますし、直球勝負について、プロ野球選手の感性が杉下現役時代と現在とで大きく違うかと言うと、ほとんど違わないんじゃないでしょうか。オールスター戦で投手があえて直球勝負を挑む例は、むしろ近年増えているような気がしてるのですが。

直球勝負について、じゃあファンの感性が杉下現役時代と現在とで大きく違うかと言うと、どうなんでしょうね。山場でピッチャーが真直ぐで抑えた場合、現在でもスポーツ新聞はたいてい美文で称えますし、ほとんど違わないような気がします。たぶん川上哲治が杉下茂のフォークに空振り三振して「10対2で、二死満塁で、カウント2−3でフォーク....。ちゃうやろ。ケツの穴、小さいわ。チンコついとんのか」と発言したら、ちょっとそれはどうなんだ、と感じるファンは、当時でも多かったんじゃないでしょうか(まあ川上哲治と清原では世間に浸透したキャラクターの像があまりにも違うので、この想定自体がナンセンスかも知れませんが)。

投稿: nobio | 2008/10/03 00:22

なるほど~「昭和の男・清原」ですか。
さすが、言い得て妙ですね(笑)。

私は実は清原という選手が好きではないのですが、昔は好きでした。何でだろう?とつらつら思い返してみましたら、「かわいい顔」をしていた頃の清原は好きだったんですね。巨人との日本シリーズ最終戦でほぼ勝利を手にして試合中なのに泣き出したあのシーンでは、素直に同情してましたもん。

でも佐々木の引退試合の打席で泣いていたのには「ドン引き」しました。だって清原、かわいくなかったですもん(笑)。てゆっか、顔コワかったし。ムキムキになってスキンヘッドになって、プレイ以外でもかなり損したんじゃないでしょうかねぇ。

以上、「ぬるーい」元清原ファンからの報告でした。

投稿: 馬場 | 2008/10/03 12:52

>nobioさん
>プロ野球選手の感性が杉下現役時代と現在とで大きく違うかと言うと、ほとんど違わないんじゃないでしょうか。

松井秀喜も若い頃は「変化球勝負なんて卑怯だ」みたいなことをとあるインタビューで話してましたし、選手やファンの感性としては、おっしゃるように今もさほど違わないかも知れません。

ただし、引用した本によると、杉下さんはジャイアンツ戦以外にはめったにフォークを投げなかったといいます。一方、ストレート勝負にこだわりを持つらしい藤川は、そうはいっても右打者に対して29%、左打者に対して40%は変化球を投げています(フォークは右23%、左29%)(いずれも週刊ベースボール2008.6.23号。今シーズン5月30日現在までの投球を分析したもの)。それでも彼はストレートの割合が多い方で、この特集の中ではストレートが50%を超える投手すら少数派に属します。

つまり、感性は同じでも実際のプレーには差があるのではないかと。ま、昭和20年代にデータスタジアムがあったわけではないので、同レベルのデータを比較することはできませんが。

オールスターで直球勝負が増えている(という印象を受ける)のも、公式戦でそれができないことの裏返しではないかとも思われます。


>馬場さん
今見るとFAでジャイアンツに移籍した頃の映像も可愛く見えますが、西武時代の後半にはすでにずいぶんと傲慢な振舞いをしていたようです。中身に外見が後から追いついたのではないでしょうか(笑)。

ただ、引退セレモニー後の記者会見では、最後に会場の報道陣に向かって、自分は気が小さく、自分を守るために不遜な態度をとってしまって申しわけなかった、と頭を下げたそうで(翌日のスポーツ報知の記事に記されていました)、そういうことを素直に口にできた彼には感銘を受けました。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/10/04 15:16

清原ほどヒーローとヒールをやり切った選手は他の競技も含めていないですね。
引退したいまになって、スケールの大きな選手だったとつくづく思います。

ところで
最近彼が打席に立った試合で決め球に変化球を持ってこられて、「いまの自分に変化球を投げるのは後ろから斬り付けるのと同じ」と怒っていたと聞きました。
一球のやり取りでメシを食ってるプロが言う台詞かと「そんなことを言わなきゃならないようなら後輩に打席を譲れ、プロの試合はお前の自己満足の場じゃない」とムッとしましたが、落ち着いてみると本来興行であるプロなら逆にアリな発言かとも思いました。
直球勝負=八百長ではないですし。

でも、野球に限らず、きっとあんなことを堂々と言う選手はもう出ないんだろうなぁ。
こうやって時代は変わっていくのかとしみじみ思いました。

投稿: タム | 2008/10/04 19:13

清原には独特の魅力がある、と私も思いますが、しかし清原発言は杉下時代だったらふつうの常識として通っただろう、とするには飛躍を感じます。藤川球児は去年も今年も杉下とほぼ同じことを何度か発言してますが、それで藤川が批判を浴びたというような話は聞きません。ということは、「杉下発言は受け入れられ、清原発言は笑われる、その違いはなにか」を、時代の変化で説明するのは無理があるということでしょう。

それはさておき、杉下がほとんどフォークを投げなかったとしたら、それでもじゅうぶん抑えらるほどのピッチャーだったんでしょうね。藤川だって真っすぐ一本で抑えられたらそうするでしょう。野球選手全体のプレーが向上したために、「ぜんぜん練習せずにホームランを量産した田淵」とか、「二日酔いであっさり抑える江夏」みたいな突出した選手が出にくくなった、ということなのでしょう。たしかに「昔は大らかでよかったなー」という気がしてきます。

投稿: nobio | 2008/10/04 23:29

nobioさん、前段の書き込みは私にたいしてでしょうか。

清原発言については単に直球勝負にこだわったという点ではなくて、膝を怪我した人間に変化球は卑怯だと言い放った点に私は注目していました。

なんというか、人間味溢れる発言というか。
ああいう発言を堂々とする選手が育つ環境は、球界に限らず日本社会全体から、どんどん失われていっているように思いました。

分かりにくくてすみません。

投稿: タム | 2008/10/05 12:54

清原を「昭和の匂いのする選手」と評する向きは多いですね。
しかし若い頃の彼は、同じ西武の工藤や渡辺等とともに新人類世代の旗手のように扱われていました。昭和の末期には未来から来た少年のように思われていた選手が、現在では古き良き昔を体現する選手のようになっているわけです。どこかで意識的にモデルチェンジをしたのか、それとも清原の中身はそのままで、周囲が変化したのか。

ルーキー時代の清原の打撃は「新人のくせに外角球を右へ持っていくのが上手い」「新人のくせに変化球にタイミングを合わすのが上手い」といった具合に、パワーよりもその老成した技術を評価されていました。でも今では23年間常にフルスイングを続けてきたような印象を周りに与えています。
また、この頃の清原は阪急の山田がシンカーで勝負してきたことについて「俺を一人前として認めてくれた」と感激するような選手でした。直球勝負こそが男の勝負なんて言わなかったはずです。
現役後半の彼は、プロ野球人気全盛の昭和の時代を懐かしむ声に合わせるように自己演出をしていたのかもしれないと思うことがあります。野球界全体の人気を気に掛けているような発言は、新人の頃から垣間見られましたから。

鉄さんの仰るように「伸び伸びと野球に打ち込む清原の姿を見てみたかった」とは私も思うのですが、伸び伸び野球であっても優勝争いに絡まないようなチームではモチベーションが上がらないと思います。やや傲慢な態度と裏腹に、チームの勝利こそを至上の喜びと感じるタイプのような気がするので。

森祇晶氏は横浜ベイスターズの監督時代にこんな事を言っていました。
「清原がいまだ無冠であることについてとやかく言う人がいるが、そういう人達は野球というものをまるでわかっていない。野球は試合に勝つことを唯一最大の目的としてプレーする競技であり、従って自軍の勝利にどれだけ貢献したかが選手の評価の全てなのである。彼はパ・リーグ時代、常勝チームの不動の4番だったのだ。これ以上の勲章があろうか」
清原自身もそういう考えであってほしいと願います。

投稿: えぞてん | 2008/10/05 12:55

ほぅ、森監督からの評価は高かったのですね。ただ、「常勝チームの不動の4番だったのだ。これ以上の勲章があろうか」には、若干違和感を感じます。

「見物人」としての立場からは、森さんの「野球は試合に勝つことを唯一最大の目的としてプレーする競技である」というテーゼに対して「はいそうですか」とは申し上げられません(笑)。監督としては、そうならざるを得ないことは理解しますが、毎度毎度西武が10対0で勝つような試合ばっかりだったらパリーグは破産してしまうわけで(笑)。試合は面白く無ければ「興業」としての野球というビジネスは成り立ちませんし、「見物人」たる私たちが求めるものもそれです。(ひいきチームの勝利も重要な喜びではありますが。)そのためには各チームの戦力が均衡していて試合が緊迫した競り合いになることが必要です。

そういうお考えの森さんから評価の高い4番であったということは、清原は非常に共感能力の高い性格なのでしょうね。ベンチ=監督が「やってほしいこと」を明示的に指示されなくても実行してくれたたんでしょう。これほどベンチにとってありがたい「4番」はありません。4番がそうであれば、他の打者はもっとそうせざるを得なくなるわけですから。

逆に言うと「野球職人」としての頑固な部分が少なかったのかもしれませんね。そのへんが、今ひとつ個人成績が冴えなかった理由なのかもしれません。イチローと極めて対照的です。

根底のところで小心だから、「上」の意向を察知して先回りして実現できる。実は弱気だから、表面的には強がって見せる。清原って、そういう性格の人であるように思えてきました。

投稿: 馬場 | 2008/10/05 17:56

>タムさん

>最近彼が打席に立った試合で決め球に変化球を持ってこられて、「いまの自分に変化球を投げるのは後ろから斬り付けるのと同じ」と怒っていたと聞きました。

MLBにはUnwritten ruleというものがあるそうで、例えば点差の離れた試合の終盤で、勝っている方が盗塁をすることは、このruleに反します(メッツ時代だったか、新庄が知らずにここに抵触してビーンボールを投げられた、というようなこともありました)。
要は「死者に鞭打つような真似はするな」ということなのでしょうが、清原発言が正当化されるとすれば、そういう意味においてでしょうね。自分で言うか、とは思いますが。

下のえぞてんさんのコメントにもあるように、清原が「直球で勝負しないのは卑怯だ」と公言するようになったのが彼の選手生活の晩年なのだとしたら、「(力が衰えた自分に対して変化球を使うのは)卑怯だ」という意味が強かったのかも知れません。


>nobioさん
エントリの冒頭で書いてることは、要するに「1950年代くらいの方が清原の好みにあった投手が多かったんだろうな」という想像です。「現代でも同じことを言う投手はいるのだから1例だけのサンプルでそんなことは言えない」と言われれば、そうですね、と言うほかはありませんし、「清原発言が批判的に受け止められたのはその下品さの故で、時代の変化とは関係ない」というのも、まあそうかもしれません。

>野球選手全体のプレーが向上したために、「ぜんぜん練習せずにホームランを量産した田淵」とか、「二日酔いであっさり抑える江夏」みたいな突出した選手が出にくくなった、ということなのでしょう。たしかに「昔は大らかでよかったなー」という気がしてきます。

そうかも知れません。以前紹介した生物学者グールドの本の主張がそんな感じでした。
しかし一方で、昨今の「中6日休んでも完投しなくて許される先発投手」や「空振りしただけで脇腹を痛めて何か月も休む打者」が、(飛行機も新幹線もないので)夜行列車で遠征し、冷暖房のない旅館に泊まっていた杉下さんの時代の野球に放り込まれた時、どれだけプロ選手として通用するだろうか、などと考えると、技術的な面で比較するのはあまり簡単ではないという気もします。


>えぞてんさん
>しかし若い頃の彼は、同じ西武の工藤や渡辺等とともに新人類世代の旗手のように扱われていました。

「新人類」というレッテルは、扱う側の認識です。私には当時、工藤や渡辺と同質の新しさを清原に感じたという記憶がありません(プロ野球でおそらくは初めて、胴上げ時に意識的に輪の外側を向いて万歳をした工藤は、確かに新しい感性の人でした)。

>でも今では23年間常にフルスイングを続けてきたような印象を周りに与えています。

新人時代の彼が高卒ルーキーとしては巧みな打撃技術を備えていたことに異論はありません。が、同時に三振も多く、新人の年に109でリーグ1、その後も一貫して三振の多い打者でした(通算三振数は歴代1位です)。これは「23年間常にフルスイングを続けてきた」ことの傍証となるかと思います。

>この頃の清原は阪急の山田がシンカーで勝負してきたことについて「俺を一人前として認めてくれた」と感激するような選手でした。

本文中に引用した杉下インタビューでは、彼はフォークをジャイアンツ戦、それも川上のような強打者以外にはめったになげなかった、という話が前段にあります。清原が山田にシンカーを投げられて喜んだという心性は、この杉下インタビューに共通するものがあるとも感じます。

>伸び伸び野球であっても優勝争いに絡まないようなチームではモチベーションが上がらないと思います。

当時、常に優勝争いに絡むはずのチームにいてもモチベーションが上がらなそうな彼の状態を見かねて、私は「仰木オリックスに行けばいいのに」と思いました。
なお、2005年のオリックスは62勝70敗で4位。シーズン終盤までプレーオフ進出を争っており、清原のモチベーションを阻害するようなチーム状態であったとは思えません。

>「清原がいまだ無冠であることについてとやかく言う人がいるが、そういう人達は野球というものをまるでわかっていない。野球は試合に勝つことを唯一最大の目的としてプレーする競技であり、従って自軍の勝利にどれだけ貢献したかが選手の評価の全てなのである。彼はパ・リーグ時代、常勝チームの不動の4番だったのだ。これ以上の勲章があろうか」

この話は清原の引退を報じる記事の中でもよく見られましたし、森元監督も改めてそのようなコメントを発表していました。
しかし、常勝チームの不動の4番打者にして、かつ打撃タイトルを何度も獲得した打者は過去に何人もいます(川上哲治、中西太、長嶋茂雄、王貞治、山本浩二)。西武時代に清原の前後を打った秋山幸二、オレステス・デストラーデもいくつもタイトルを取っています。勝利に貢献した上でタイトルを取れればそれにこしたことはないわけで、長嶋・王と同じチームで9連覇をした森氏が、彼らの名を出せばたやすく反証できるような発言をするのは奇妙なことです。

数字の上ではタイトルに匹敵する成績を残した年に限って、それを上回る選手が出てきてしまったり、タイトル争いのレベルが低かった年には彼自身も故障してしまったりと、巡り合わせが悪かった面も強いですし、清原が無冠であることに対して妙な意義づけをする必要はないと私は思っています。


>馬場さん

手厳しいですね(笑)。私は、森氏のこの種の発言は、単に彼の清原贔屓を正当化するためのものだと受け止めてきましたが。当時の西武球団(=オーナー)も監督も、守備でも走塁でもチームの勝利に多大な貢献をしていた秋山に比べて、打撃しかない清原への評価が高すぎるのではないかという印象を私はずっと持っていました。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/10/05 18:02

>nobioさん、前段の書き込みは私にたいしてでしょうか。

え、いえ、そういう意識はありませんでした。しかし言われてみれば私の書いたことは、「でも、野球に限らず、きっとあんなことを堂々と言う選手はもう出ないんだろうなぁ。こうやって時代は変わっていくのかとしみじみ思いました」というのとほぼ同じだと思いますので、そういう意味では「タムさんにたいして」なのかも知れません。

>鉄さん
「1950年代くらいの方が清原の好みにあった投手が多かったんだろうな」には同感です。「杉下や川上の時代なら、それはごく普通の常識として通ったことだろう」とすることには疑問ですが。

>「清原発言が批判的に受け止められたのはその下品さの故で、時代の変化とは関係ない」というのも、まあそうかもしれません。

私は清原発言が批判的に受け止められたのは時代の変化とはさほど関係ないと思ってますし、下品さというか、センセーショナルな勢いと押し付けがましさとニュース性と「笑いやすいキャラ」がその理由の一端だろうとも思っていますが、それがすべての理由だとは書いてませんし、思ってません。杉下発言と清原発言の違いは、下品さ以外にもいろいろあるのではないでしょうか。

例えば杉下は「走者なしだったら真直ぐ勝負だ」と言い、清原は「満塁だから真直ぐ勝負だ」と言ったわけで、その点に限れば両者は正反対のことを言っています。

それに、杉下はピッチャーで清原はバッターです。投手が真直ぐ勝負を選ぶのは自分の意志、自分の主義、自分の美学ですが、打者が言うのは相手への要求です。投球に制約を課すのは打者にとって都合のいいことですから、投手が真直ぐ勝負を選ぶのは「やせがまん」という面があり、打者が要求するのには「利益誘導」という面が生じます。デート代は男が持つのが当然、と、男が言うのと女が言うのではずいぶん違うわけですが、それと同じです。

投稿: nobio | 2008/10/06 03:01

>nobioさん
おっしゃる通りです。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/10/06 07:17

>nobioさん

なお、清原発言ですが、スポーツ紙3紙の当時の報道を確認したところ「チンポコついとんのか」が正しいようなので訂正しておきました。
「異説」と書いたのは、ネット上で検索すると「キンタマついとんのか」と誤解している言説が非常に多いことを指しています。男らしさの有無を問う慣用句としては「キンタマ」が普及していることから来る誤解だろうと思われます。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/10/07 15:15

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