« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

まだそんなこと言ってるんですか、中日の偉いさんたちは。

 下のエントリ<またですか。>の続き。
 本日発売の週刊文春、週刊新潮がそれぞれこの件を取り上げて、中日球団幹部の談話を載せている。

 週刊文春2008.12.4号は白井文吾オーナーに直撃取材して、見開き2ページのインタビュー記事。一部を紹介する。

<そもそもWBC(アジア予選)は読売がやってる。五輪やサッカーのW杯とは違う。アメリカの選手会が会社を作って、メジャーの野球機構も加わって、日本の読売新聞にも話が来て、『金儲けしよう』というのがWBCの発端。だから私は以前、お宅(小誌)に監督について聞かれたときも、主催者の読売グループの巨人から選べばいいって言ったんだ。
 それにみんな『出ると名誉』だと思ってる。そこが違う。名誉じゃない。よその国だって一流選手が出てくるとは限らないし、そんなのに勝ったってちっとも名誉じゃないよ。夢中なのは日本だけ。>(P.147)
 
 これに対する論評は前のエントリに書いているので割愛。ここまで注文通りの談話がオーナーの名の下に恥ずかしげもなく出てくるとは予想外だった。「匿名の声」とか書いてた私は甘かったと反省している。

 あと覚えている人も少ないと思うから念のため書いておくが(私も前のエントリ書いた時は忘れてました。すみません)、中日新聞社が主催して90年代に3回実施された日韓プロ野球スーパーゲームの日本選抜チームには、読売ジャイアンツの選手も参加していた。もし将来あれを再開するつもりがあるのなら(中日新聞の主催かどうかは知らないが2007年秋に日韓野球が行われる計画はあった)、白井オーナーは、他の11球団すべての幹部から「あれは中日さんの金儲けでしょ」と言われて選手の派遣を断られる覚悟をしておいた方がよいと思う。
 
 
 一方、週刊新潮2008.12.4号は、西川順之助球団社長のこんな談話を載せている。
 
<これからの時期、選手は来季に向けてのリハビリをしなければいけない。万が一、WBCで何かが起きても何も保証してもらえないし、球団としても、働いてもらわないと年俸も出せない事情もあるからね>(P.57)

 記事ではこの談話について<そうプレッシャーをかけられたら、選手は出場するとはいえないだろう。>と論評している。同感だ。オーナーも球団社長も監督もWBCに関してはやる気がないということはよくわかった。

 西川社長の考え方に対する批判は、前のエントリにもリンクした、3年前の第1回大会前のエントリ<王監督まで見殺しにするのか。>のコメント欄でさんざん書いたが、そこでは断片的な議論が長々と続くので、読んでくださいとも言いづらい。改めて私の考えを整理しておく。
 
 
 ……試合中のケガやシーズンへの悪影響が怖いからWBCを辞退する(あるいは球団が選手を出さない)というのは、リスク回避を最優先とした考え方だ。
 もしも日本のプロ野球が大繁栄していて、試合はいつも満員、テレビ視聴率は常に20%超え、選手にいくら年俸を払っても球団は儲かって仕方がない…という状況ならそれでいい。
 しかし現実は違う。経営に苦しむ球団が多く、球団数を削減しようかという暴挙が実行寸前までいくほどの危機的状況がほんの数年前にあり、今もV字回復を遂げたとは到底言えない。何かを変えることが必要だ。
 
 ほとんどのスポーツ競技において、日本で最も人気のある試合は国際大会である。その欠落は野球の弱みだった。とりわけサッカーが隆盛になってからは、その欠落感が観客に強く意識されるようになった)。
 WBCは、その欠落を補う絶好の機会である。変えるべき「何か」に相応しい。
 野球が五輪競技から失われた今、ファンの注目を集め“世界と戦う”というイメージを形成できる、ほぼ唯一の機会といえる。
 <よその国だって一流選手が出てくるとは限らない>などということは、現時点ではまったく問題ではない。この大会で勝ちさえすれば、日本は公然と「世界一」を名乗れる。そして大会がアメリカ本土で開催される以上、そこで負けることはMLBにとって大きなプレッシャーになるのだから、彼らもいずれは本気にならざるを得ない。白井オーナーがさかんに引き合いに出す(週刊新潮でも言っている)サッカーのワールドカップも、第1回大会の参加国はわずか13。権威などなかった。続けているうちに権威ある大会に育ったのだ。

 日本が本気で勝ちに行き、この大会を「本気で世界一を決める大会」に育てることは、日本国民の目を野球に向ける上で、大きな効果が期待できる。
 だからこそ、日本野球はWBCに全力を挙げて取り組むべきである。名誉がどうとかいう次元のことではない。国内リーグを盛り上げるためにこそ、WBCで名勝負をすることが必要なのだ。
 何もせず、今まで通り国内だけで勝った負けたとやっているだけでは、プロ野球そのものが衰退していくリスクを大きくしてしまう。リスク回避策のつもりでWBCに非協力的態度をとる球団は、中長期的にみれば、プロ野球全体のリスクを大きくする行動をとっているに等しい。……
 
 
 これを読んだ方の多くは「当たり前じゃん」と思うことだろう。
 3年前には、まだWBCという大会が行われておらず、海のものとも山のものともつかない状態だったから、このくらい言葉を尽くさなければ理解されなかった(いや、当時これが理解されたかどうかも判らないが)。
 だが、第1回大会を経験した今なら、こんなことは「当たり前」でしかない…と思っていたのだが、これも甘かったようだ。
 
 
 上の西川社長の談話で唯一意味を持つのは<WBCで何かが起きても何も保証してもらえない>というくだりだ。
 これは重要な問題だから、当事者の間で大いに議論されるべきだと思う。
 
 では、中日はこれまで、オーナー会議や実行委員会で、WBCで選手が故障した際の補償について問題提起し、納得がいくまで議論したのだろうか。前回大会が終わってからずいぶん時間はあったはずだが、報道からその形跡を見出すことはできない。
 まあ、西川社長が最近になって急にこのことに気付いて心配になったという可能性もなくはない。そんなにケガが心配なら、来年からはオールスターゲームにも選手を出すのをやめた方がいいんじゃないだろうか。

 同じことは選手会についても言える。
 第1回大会への参加を決める前には、開催時期と故障時の補償について不服を申し立て、日本の出場はなかなか確定しなかった。開催時期については選手会が譲った形になったが、補償問題がどう決着したのかは明確には伝えられていない。実際に大会中に故障した岩村や川崎にどういう補償がされたのか(あるいはされなかったのか)も気になる。

 だから、第2回大会についても、選手会はNPBに故障時の補償を要求すればよいと思うのだが、そういう交渉をしている形跡はない。選手会公式サイトのニュース欄を見ても、選手会が開催するイベントの告知ばかりが目立つ。ニュース欄で7/31に開催された臨時大会の様子が報告されているが、主な話題はいつもの通り、FAと保留期間の問題だったようだ。
 
 故障時の補償は、基本的には当事者間の問題だ。各球団や選手会が要求してNPBが拒絶したのなら問題視するけれど、当事者が要求している形跡がない段階で、見物人がどうこう言っても仕方ない。個人的には心配だし、NPBが保険をかけた方がいいと思うけれど(もしかけてるのなら結構なことだ)。

| | コメント (15) | トラックバック (0)

またですか。

WBC代表候補、中日勢4人全員が辞退(読売新聞)

<国内組では、中日から選ばれた4人全員が辞退。WBCには12球団が一致して協力することを確認しているだけに、原監督は「事情はあるでしょうが、一人も協力者がなかったことは寂しいものがある」と残念そうに話した。
 中日の白井文吾オーナーは「北京五輪に全面協力したが、選手が体調を崩し、後遺症が大きかった。WBCにも協力すべきと思うが、うちはけが人が多い」と説明した。>


WBC 主力級含めた辞退、「最強軍団」構想に暗雲(毎日新聞)

<しかし、理由を明示せず、ただ辞退というのはいかがなものか。原監督によると、ある球団は候補者全員が辞退し、その球団の別の選手に要請したところ、また断ってきた。そこまでくると、チームとして何らかの力が働いているとみられても仕方あるまい。>

 中日は、第1回WBCに際しても、選手の派遣に関して非常に消極的だった。中日スポーツの記事は、<断腸の思いで“名誉欲”を断ち切ろうとしている>と出場辞退を賛美するかのようなトーンで伝えていた。
 
 
 第1回大会の前後、雑誌の記事などでは、「読売の商売に付き合う必要はない」というような匿名の他球団関係者の声がしばしば報じられていた。WBCアジアラウンドで読売新聞が、大相撲でいう勧進元のような立場で事業を仕切っていることについての見解だ。

 NPB全体で取り組むべき事業を一球団の親会社が単独で開催するのはおかしい、という考えがあるのなら、それは正論だと思う。
 だから、もしそういう不満を抱いている球団があるのなら、NPBの実行委員会で声を上げ、希望球団が持ち回りで勧進元を務めるようにするとか、NPB自身が勧進元として興行が打てるようにコミッショナー事務局の機能強化をはかるとかを訴えて、行動計画を提言すればよい。
 主張が容れられなければメディアやファンに問うてみるのもよい。そんな球団が現れたら、私は支持する。

 「日本代表の試合を東京だけで開催するのはおかしい。名古屋で開催すべきだ」(大阪でも福岡でも仙台でもよいが。いや3月の仙台では寒すぎるか)と主張する球団があってもいいと思う。東京以外で開催されれば私個人にとっては不便になるが、そのことに反対しようとは思わない。

 だが、現実にはそんな球団は現れない。
 現れるのは、故障を理由とした出場辞退者であり、「どうせ読売さんの商売でしょ」というような匿名の声(を報じる新聞・雑誌)だけだ。

 「寂しいものがある」という原監督のコメントに同意。
 
 
 
関連エントリ <まだそんなこと言ってるんですか、中日の偉いさんたちは。

| | コメント (16) | トラックバック (1)

“ジャイアンツ愛”のバトンをつなぐ者。

 シーズン終了とともに、ジャイアンツの人事が活発に動いている。
 二岡智宏と林昌範が2対2(マイケル中村、工藤隆人)の交換トレードで北海道日本ハムへ*。
 清水隆行が金銭トレードで西武へ**。
 上原浩治はFA宣言してMLB行きを目指す。
 
 ひとつひとつの動きはある程度予想されたことなので驚きはない。だが、この顔触れが一斉にいなくなるとなれば、やはりひとつの時代の終焉という感慨を覚える。
 
 清水は1996年にドラフト3位で東洋大から入団。ルーキーイヤーのシーズン途中から左翼のレギュラーに定着し、同年に逆指名で巨人入りした仁志敏久と一、二番コンビを組んだ。仁志が出塁して清水が進塁打、三番の松井秀喜が返して手早く先制し逃げ切る、という勝ちパターンを後半戦に確立して、一時は11.5ゲーム差をつけられたペナントレースをひっくり返した。二番を打つことが多かったが、このシーズンの犠打は1だけだ。99年の小笠原(日本ハム)に先立つ、「バントしない二番打者」だった。
 その後、長嶋監督にはあまり重用されなかったものの、原辰徳監督が就任して一番打者に抜擢され、191安打を放つ活躍をした2002年と、この96年が特に印象に残っている。足は遅くないのに守備がいまひとつという、ある意味でバランスの悪い選手だったことが、打力のわりに出場機会が減りがちだった理由だろう。
 
 上原と二岡は同期入団だ。ともに逆指名で99年にジャイアンツに入った。上原は新人の年に先発投手のタイトルを総なめにする大活躍を見せ、以後もジャイアンツのエースとして活躍。二岡もレギュラーに定着し、毎年コンスタントに.290前後の打率を上げる強打の遊撃手となった。
 自球団の強い影響力のもとに制定されたにもかかわらず、逆指名制度が導入された1993年(会議年)のドラフト以後しばらく、はかばかしい成果を挙げることのできなかったジャイアンツにとって、98年の上原、二岡は、その前年の高橋由伸、翌年の高橋尚成、2年後の阿部慎之助らと並んで、もっとも成功した例といえる。
 
 その一方で皮肉に感じるのは、前述の仁志も含めた彼らが、自ら選んでジャイアンツに入ってきたにも関わらず、チームへの愛着、責任感といったものが、少なくとも外から見た限りでは希薄だったことだ。
 それは、例えば、特に本人が希望したわけではなく、くじ引きでジャイアンツに選ばれた松井秀喜が、FA宣言してアメリカ行きを発表した記者会見で見せた葛藤の深さとは対照的といってよい。
 
 もちろん、それぞれの選手に内に秘めたものはあっただろう。他のレギュラーが総崩れとなった2006年に孤軍奮闘した二岡、あるいは松井が去った翌年や、一番打者に起用された昨年の高橋由伸が見せた責任感の強さには(そういうタイプの選手だとは思っていなかっただけに)感銘を受けた。
 
 だが、たとえばかつてこのblogで批判した上原の逆指名制度に対する考え***には、しょせんその程度の気持ちなのかと冷や水を浴びせられた思いがした。仁志もテレビ出演して似たようなことを話していた。**** 
 この時期に逆指名してジャイアンツに入った選手たちは、報酬額の多さによって就職先を選んだと報じられることが多かったが、彼らのこのような言動に触れていると、やっぱりそういうことだったのだろうか、という思いが拭えなかった*****。
 2002年に原辰徳が最初にジャイアンツの監督に就任した時、まず語ったのは“ジャイアンツ愛”だった。裏を返せば、前年までヘッドコーチを務めていた原の目に、チーム内にそれが欠落しているように映ったということだ。
 
 そして今、グラウンド上でのプレーを見ていると、ジャイアンツの生え抜きであるはずの彼らよりも、小笠原、ラミレス、イ・スンヨプといった移籍選手の方が、チームへの忠誠心や勝利への執着心、ひとつひとつのプレーへの集中力、ファンへの感謝といった気持ちを、より強く表現している。以前なら「ジャイアンツらしい」と呼ばれたような選手の心性は、別にジャイアンツに特有のものではなく、強いチーム、一流の選手が共通して持ち合わせているものなのだということが、彼らを見ているとよくわかる。
 
 その意味では、この一連の“中抜き世代交代”は、今年抜擢されたような伸び盛りの若者たちが、誰の背中を見ながら進んでいけばよいのかを明確にする効果をもたらすのではないかと思う。
 原監督が今後も、他球団や海外から来た歴戦の勇者たちを掌握し、チームの勝利に向けて気持ちをひとつにまとめることができていれば、新しい世代の“ジャイアンツ愛”は、おのずと育まれることだろう。
 
 もはやジャイアンツは“常勝球団”と呼べるようなチームではなく、いくつかある強豪チームのひとつに過ぎない。だが、70年余にわたって積み上げてきた歴史を背負う矜持は、現在の選手たちにもあってよいはずだ。そして、その歴史の重みを理解しているのは、むしろ他球団からやってきた選手たちの方であるように見える。だとすれば、伝統というリレーのバトンを、一時期、その選手たちが担うというのも、さほど不自然なことではないのかも知れない。
 
 
 
 そして結局、ここまで書いてきたような事柄は、このチームが松井秀喜が抜けたダメージから今もって脱しきれていないことを意味してもいる。松井の大きな背中が今もそこにあれば、上原や仁志や二岡の言動もいくらか違ったものになっていたのだろうか。
 
 とはいえチームを去る選手たちは、一時期のジャイアンツを支えた功労者ばかりだ。清水はもとより、二岡も上原も(林も)、新天地で活躍して、もう一花咲かせられるよう祈っている。いずれも故障に悩まされてきた点が心配ではあるのだが。
 
 
 
*
今季成績を比べるとずいぶんと非対称な交換トレードだが、マイケル中村の高騰するであろう年俸を日本ハムがもはや支えきれないという背景が報じられていて、なるほどありそうな話のように思える。もっとも、二岡と林がともに体調十分で開幕を迎えて、それぞれの標準的な成績を残せば、日本ハムにとってはお買い得だった、ということになる。
 
**
この髪形を見ると、すでに心は西武の一員、という気もする。
 
***
<逆指名って制度があって「入団してください」って言ってくれた球団の中からジャイアンツを選んだだけ。日本のプロ野球で野球をするなら、一番、注目されて設備や環境の整ったジャイアンツがいいと思って選んだんだよ。乱暴な言い方になるけど「入れてください」ってお願いして入団したのなら「メジャーに行かせてください」って簡単には言えないけど、必ずしもそうじゃない。>上原浩治オフィシャルサイト +kouji19.net+より
 
****
2007年12月27日深夜にテレビ朝日が放映した「中居正広プロ野球革命 タブーに挑戦!」という討論番組で、ファン代表という立場で出演していた芸人・出川哲朗の「逆指名で入りたい球団に入った人たちは、FAの権利は与えなくてもいいと思うんです」という意見に対して、仁志はこう答えた。
「僕も逆指名なんですが、逆指名をした時はアマチュアの選手なんです。で、逆指名の制度を作ったのはプロ側なんです。逆指名をした選手には何の罪もないんです。だって、あるものを利用しただけですから。勝手につくったのはプロ野球ですから。しかも入る時に、これを利用したらFAは何年です、なんて説明はまったく受けていない。もしかしたら選手の中には、じゃあFAがそれだったら逆指名しない、という人もいたかも知れない。すべての説明がなされていて逆指名の権利を使うんだったら、僕はいいと思いますが」
新しい制度を遡及して適用すべきではない、という理屈は正しい(しかし、それならFA権獲得の期間短縮も、今年入団した選手から適用すべきだということになるはず。自分たちの利益になる時には反対しないのか)。だが、出川が代弁しているファン心理の割り切れなさに対しては、仁志はまったく答えていない。
ちなみに同席していた宮本選手会長は、「じゃ答えます。僕も逆指名なんで。その制度があったから使ったわけで、くじだったら僕らもくじで入ってたわけです。(中略)で、入ってみて違うことってたくさんあるじゃないですか。(中略)入ってみてから、というのはやっぱり違うんで」と、さらに身も蓋もない回答をしている。
   
****
言うまでもないことだが、この一連の感想は、ドラフト3位指名された清水には該当しない。清水も闘志が表に出るタイプではなかったが、私は彼のグラウンドでの態度や言動に失望したことはない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

『寛容力』/渡辺久信にみる野球指導者の育ち方。

 ジャイアンツが日本シリーズに敗れた瞬間から、野球について見たり聞いたり考えたりするのはしばらくごめんだ、という気分に支配されていたので、書店の店頭で、優勝監督が爽やかに(異論があるかも知れないが)微笑む表紙の本を見た時も、当然ながら反射的に目をそらして立ち去ろうとした。
 だが棚から3歩くらい離れたところで、渡辺の台湾時代のことが書いてあるなら読んでみたい、と思い直して手に取り、台湾時代と二軍監督時代のことが相応の割合を占めていると知って、1200円(税別)を支払って購入した。

 で、さっそく渡辺久信著『寛容力 〜怒らないから選手は伸びる〜』(講談社)を読了。面白い。拾い物といったら失礼だが、ライオンズのシーズン優勝決定後に実務がスタートしたのだとしたら、そんな短期間にここまで充実した内容に仕上げたのは見事だ。
 
 
 渡辺の経歴を簡単におさらいすると、群馬県の前橋工業高校を卒業後、ドラフト1位で1984年に西武ライオンズに入団。1年目から一軍で登板し、工藤、郭泰源らとともに西武黄金時代の主力投手として活躍する。98年にヤクルトに移籍し、その年限りで引退。
 翌99年からは台湾プロ野球「台湾大連盟」の「年代勇士LUKA」というチームの投手コーチとなる。コーチ兼業で投手としても初年度は18勝で最多勝。3年の台湾生活の後、帰国して解説者になる。2004年に西武ライオンズの二軍投手コーチに就任。翌年は二軍監督兼投手コーチ、3年目は二軍監督に専念し、復帰4年目の今年、一軍の監督に就任した。

 というわけで渡辺は、台湾プロ野球を経験した、日本プロ野球ではおそらく初めての監督である。若いころから球威で押しまくり、歳を取ってからは技巧派に転身できずに引退した投手だったから、現役時代の印象ではあまり指導者に向いているとは思えなかったが、台湾を経験したこと、二軍監督からの昇格であったことの2点は面白いと感じていた。

 渡辺が台湾に渡ったのは、台湾大連盟の最高顧問になっていた元同僚の郭泰源の誘いによるもので、直接的には東尾修の勧めがあったという。台湾大連盟は1989年に発足した中華職業棒球大連盟に続いて97年に生まれた後発リーグ(2003年には中華連盟と合併して1リーグになった)で、それだけに選手のレベルは低かったようだ。
 渡辺は、投手の育成から試合での起用、交代の指示まで、およそ投手に関するすべてを監督から一任されるが、選手たちは、技術レベルも低い上にプロとしての意識やモチベーションも低い。不慣れな生活で言葉も通じないという悪条件の中で、渡辺は苦労しながら選手たちとの対話を試みる。

<「何でわからないんだ」ではなく「どこがわからないのか」を考える。そうやって目線を落として、丁寧に教えることを学べたのが、台湾での大きな収穫です。
 自分の物差しで測った指導法はよくない。とにかくその相手のレベルまで、まず自分が降りてみることが大事だと気づいたわけです。>

 能力抜群だが練習にも出てこない傲慢な新人を叱り飛ばしたり、サイドスロー投手に内外角の揺さぶりの手本を示すために自身がサイドスローから試合で投げたり(それで完封したという)しながら、渡辺は選手たちの信頼を獲得していく。片言の中国語を操りながら、休日には台湾各地を旅行し、旅先で知りあった人たちと朝まで飲み明かすこともあったという。天性の資質もあったのだろうが、異国の人々の中へ自ら飛び込んでいくことで養ったコミュニケーション能力は、帰国後の指導に大いに役立ったことだろう。

 そんな経験を経て、さらに二軍のコーチ・監督を3年間務めた渡辺が、今シーズン、若い選手を育てて力を発揮させたのは偶然ではない。彼なりの方法論をもって臨んだシーズンだったことがよくわかる。
 と同時に、思い切った判断を下し、方針を決めた後は迷わないという腹の括り方は、現役時代に修羅場をくぐり抜けてきた経験の裏付けを思わせる。

 今シーズンは、渡辺の指導者としてのよい面がすべて出た。松坂、カブレラ、和田という、長年チームを支えてきた大物選手が相次いで抜け、若手を育てながら勝たなければならないというチームの状況が、渡辺久信という指導者の適性と合致していたのだろう。
 このまま順調にチームが伸びていき、今は一心に成長と勝利を目指している選手たちが、実績を積み、年俸も上がってベクトルにズレが生じ始めた時に、いかにチームをまとめるかというのは、渡辺監督にとっての新しい課題になるはずだ。

 本書には台湾時代のことだけでなく、二軍監督として学んだ現代の若者の扱い方なども詳しく書かれていて、若者を育てる立場の人には参考になりそうだ。デーブ大久保のコーチぶりについての記述も興味深い。
 
 
 日本のプロ野球界には、指導者を育成する方法論が存在しない、ということは、このblogでも何度か指摘してきた。今でもそういうものはない。
 だが、この渡辺久信の経歴は、ひとつのモデルケースを球界に提供している。ルーキーリーグから始めて、実績とともに上のレベルのリーグに引き上げられていく(と言われる)MLB指導者たちのキャリアデザインと、結果的によく似ている。
<「ナベがいずれ日本で指導者をやるというのなら、一度台湾で勉強してきたほうが、絶対にためになるぞ」>と強引に台湾行きを勧めたという東尾の炯眼も、評価されていい。

 今年のNPB12球団の監督13人のうち、二軍監督を経験したのは阪神・岡田彰布、ヤクルト・高田繁、日本ハム・梨田昌孝、オリックス・大石大二郎と、渡辺を含めて5人もいる(高田は日本ハム監督を退任後、ジャイアンツで。梨田は近鉄監督になる前)。そして、岡田、梨田、渡辺の3人が同一チームの二軍監督から昇格後に優勝を果たしている。大石も低迷していたチームをプレーオフ進出に引き上げている。
 これらの実績を見ると、二軍監督の経験は、一軍の監督を務める上で一定の効用が期待できそうだ。

 現在の二軍監督の顔触れを見ても、ジャイアンツ・吉村禎章、中日・辻発彦、阪神・平田勝男、日本ハム・水上善雄あたりは、将来の監督昇格も視野に入れての起用ではないかと思わせる。かつては一軍監督になる可能性などなさそうなベテラン指導者が務めることが多かったが(今でもそういうケースはあるし、それはそれで意味なしとはしないが)、現在の二軍監督は若手指導者も多い。ソフトバンクの秋山幸二新監督も二軍監督経験者だ。

 一方、指導者・渡辺を育てたもうひとつの土壌である台湾プロ野球となると、そう誰もが行けるわけでもないし、なかなか見習うのは難しいように思える。
 だが、技術レベルやプロとしての意識、練習や試合の会場、収入など、さまざまな面で厳しい環境は日本にも存在する。独立リーグだ。四国・九州アイランドリーグ、ベースボール・チャレンジ・リーグと、現在活動している2つのプロの独立リーグでは、指導者のほとんどがNPBの選手出身であり、NPBのコーチ経験者も多い(監督経験者=藤田平・福井ミラクルエレファンツ監督もいる)。

 今のところ、独立リーグでの指導経験を評価されてNPBのコーチや監督になったケースは少ないが(富山からソフトバンクのコーチ補佐になった宮地克彦くらいか)、選手ばかりでなく、指導者も独立リーグから育っていくケースが増えると面白い。
 というよりも、NPBが指導者研修のために、若いコーチを独立リーグに派遣するくらいのことがあってもよいのではないかと思う。渡辺久信の台湾での経験は、選手やリーグのレベルが低いからこそ意義があることを物語っている。
 
 
 
 ここまでの話題とはがらりと変わるが、冒頭に少し触れた、本書の作られ方について一言。

 冒頭でも書いた通り、短期間でこれだけ充実した内容の本をまとめた出版社側の仕事ぶりは見事だと思う。クライマックスシリーズや日本シリーズを準備する間に渡辺監督が自分で文章を書いたとも思えないから、聞き書きで作られた本だろう。実際にまとめたのは、おそらく、目次の後に「企画・構成」とクレジットされている関谷智紀という人物だと思われる。

 こういう本を作るには、漫然とインタビューをしてもダメで、聞き手の側が骨格となる構成を準備し、それに沿って質問していく必要がある。極端に言えば、インタビューしなくてもだいたい同じような本が書けるくらいに、渡辺監督のキャリアと、今季の西武の歩みを把握していなければ、ここまで緊密な内容に仕上げることは難しい。
 それほどよい仕事をしたにも関わらず、構成者の氏名は表に出ていない。私が構成者の存在を意識して探したからクレジットを見つけられたのであって、見過ごしてしまう読者の方が多いだろうし、見たとしても「企画・構成」が何を意味しているかもわからないだろう。

 アメリカでは、野球選手や監督が出した本は、しばしばライターとの共著という形をとる。コンテンツを提供した人物と、それを文章にまとめた人物、どちらが欠けてもその本は完成しないのだから、それが公正な扱いというものだ。
 だが、日本ではそういうケースは稀で、大抵は選手・監督の著書として扱われる。聞き手はゴーストライターと言われる通り、表面には出てこない。
 最近は目立たない形であってもクレジットされるようになったが、以前はそれすらなかった(1999年に講談社現代新書から刊行された川口和久『投球論』はいくつかの点で目を拓かれるユニークな名著で、ほぼ間違いなく聞き書きだと思われるが、構成者の名はどこにも記されていない)。新潮社が刊行している長谷川滋利の著書は生島淳が構成し、後書きも書いているが、著書が何冊もある生島でさえ、表紙には名前が記されていない。
 知名度のある選手や監督の名を著者として前面に出すのはよいとしても、ライターの名をなぜ隠すのか。今や養老孟司のような書き手でさえ聞き書きの本を出して、それがベストセラーになる時代なのだ。分業を憚る必要など何もない。

 講談社や新潮社は出版界をリードする大手企業だ。ライターは出版界を構成する重要かつ不可欠な要素なのだから、よい仕事をするライターを、もう少し尊重した方がよいのではないだろうか。「知名度がないから」と版元は言うかも知れないが、たとえば本書にとっては、知名度は渡辺久信のそれで十分だ。その脇に構成者の名があれば、本書によって彼の知名度が上がる。そうすれば、今度は彼の知名度を生かして次の仕事ができるかも知れない。
 そのようにして出版社がライターを育てなかったら、いったい誰が育ててくれるというのだろう。

 もしかすると本書における関谷氏の役割は私が推測したようなものではなく、氏名を表に出さないだけの合理的な理由があるのかも知れないが、この種の書籍一般について言えることなので、この機会に記しておく。もし本書に関して誤解があった場合には、関係者にはお許しいただきたい。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

対象となっている本を読まずとも意見を書く気を起こさせてしまうのがブログというものではないんでしょうか。

 私ははてな市民ではないが、はてなブックマークは時々見る。
 もともとは自分の書いたエントリがそこであれこれ言われていることをアクセス解析で発見したのが、はてなブックマークとの出会いだった。初めて見た時は、批判コメントも結構多いエントリだったので、よってたかって陰口を叩かれてるようなイヤな気分になったが、仕組みがわかってくれば慣れてくるし、それなりに動揺は収まる(ま、そもそも私の書くものにつくブックマークが2ケタになることは稀だし)。
 今は自分のブログへのブックマークよりも、折々に何が話題になっているかを知るために参照している。

 で、このところ、梅田“ウェブ進化論”望夫氏のブログとtwitterでの発言が注目を集めているのが目についた。

 ご存知でない方のためにかいつまんで経緯を説明すると、梅田氏が自身のblog「My Life Between Silicon Valley and Japan」で、水村美苗の著書「日本語が亡びるとき」を紹介したのが発端(エントリのタイトルは<水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。>)。

 梅田氏はとにかくこの本に感激したようで、このエントリで絶賛している。
<内容について書きだせば、それこそ、どれだけでも言葉が出てくるのだが、あえて今日はそれはぐっとこらえておくことにする。>と書いているけれど、そうはいいつつも内容にも触れており、その紹介の仕方に、梅田氏の本書に対する思い入れが色濃く反映している。こらえきれてないと思う(笑)。

 で、このエントリに対して、はてなブックマークでは数多くのコメントがついた。批判的なものもそれなりの割合で含まれている(が、そうでないものも結構ある)。

 これらのコメントが梅田氏にはお気に召さなかったらしく、twetterで以下のような文章を公表した
<はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。>

 で、こっちの方には再びはてなブックマークで、今度はかなりの批判や反発が集中している


 はてなブックマークのコメント内容の是非を論じようとは思わない。梅田氏に好意的なもの、中立的なもの、理性的な批判、単なる悪口に近いもの、いろいろ混ざっている。
 そこに<バカなもの>が<多すぎる>かどうかは、梅田氏の主観に基づく判断だから、妥当性を云々しても仕方がない。仮に500件のコメントの10%が、誰の目にも<バカなもの>だとしても、10%だから少数派と考えるか、50件もつくのは多すぎると考えるかは、考える人次第だ。


 私が気になったのは、梅田氏がtwitterに書いた文章の後半だ。

<本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。>

 梅田氏は元のブログのエントリにこう記している。
<多くの人がこの本を読み、ネット上に意見・感想があふれるようになったら、再び僕自身の考えを書いてみたいと思う。>

 しかし、現実には彼が望んだようには(まだ)ならず、ネット上に「日本語が亡びるとき」への意見や感想があふれる前に、彼のエントリに対する意見・感想があふれることになった。彼はそれがお気に召さないようだ。


 梅田氏はアルファブロガーにしてベストセラー作家であり、ネット世界でも現実世界でもかなりの影響力を持つ論客だから、こういう言動は彼にとって自然なものなのかも知れない。
 が、私はこういう物の考え方には違和感を覚える。理由は二つある。

 第一に、文章というものは、ひとたび公表してしまったら、読まれ方や反応を書き手が制御することはできない。
 梅田氏が「自分のエントリを読んだ人には『日本語が亡びるとき』を読んで感想をネットに発表してもらいたい」と望んだからといって、読み手がその通りの行動をとるとは限らない。梅田氏の希望に沿って動く人もいれば、そうでない人もいる。それを決めるのは読み手であって書き手ではない。
 読み手が意図したように動いてくれない時に書き手がすべきことは、己の文章の力不足を反省することであり*、あるいは別の表現で効果が出るまで働き掛けることであって、読み手を批判することではない、と私は思っている。


 第二に、ブログというメディアの形式そのものが、個別のエントリに書かれたことだけに対する反応を誘発するようにできている(こういうのをアフォーダンスというんでしょうか)。はてなブックマークも同様だ。

 ブログがそれ以前に存在したウェブサイトと異なっていたのは、個々のエントリごとにコメント欄があり、トラックバックが可能で、直リンクを貼ることができる、というような点にある。
 そのためブログにおいては、どのようなコンセプトで作られ、書き手が何者で、これまでどういう言説を積み上げてきたか、ということと無関係に、リンクをたどって、あるいは何らかの検索語を頼りに、そのエントリだけを訪れて、そのエントリだけを読み、そのエントリだけに反応する、という読み手が現れることになる。

 エントリそのものをろくに読まずに文句をつける人や、エントリ内に紹介されたリンク先にさえ目を通さずに批判的コメントを書く人は、この世界の中に大勢いる。そういう世界で、金を出して(借りてもいいけど)本を買って全部熟読してから物を言え、というのは非常に高いハードルだ。事の是非は措くとしても、望み通りの反応が多数派を占めるとは考えにくい。

 また、梅田氏の当該エントリは、ブログのエントリとして発表された時点で、そこで話題にしている本とは別に、それ自体が独立した作品となっている。従って、そのエントリ自体も論評の対象になることは避けられない。

 だから、<本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。>という疑問に対する回答は簡単だ。ブログというメディアがそういう気を起こさせるようにできているからだ。

 もちろん、ブログ主が、明白な誤読を含むようなコメントに対して「原著にはこう書いてあるのだから、あなたの意見は前提が間違っている。原著を確認されたし」というような反論を加えるのは正当なことだ。「元の本を読まずに間違った前提で批判すること」全体を批判するのもよしとしよう。それを<バカなもの>と呼びたいなら、それはそれで結構だ。

 だが、「本を読まずに意見すること」自体を批判するのは、少なくともブログの世界では通用しないように思う。
 実際、当該のエントリには、梅田氏自身の意見や紹介の仕方など、原著にはない要素が色濃く含まれており、善くも悪くも「梅田氏の文章作品」になってしまっている。決して<本を紹介しているだけのエントリー>ではないのだから、それに対して何らかの意見を抱く人が現れるのは自然な反応だ。


 はてなブックマークの仕組みにも同じことが言える。
 ブックマークしている側は、そもそも元のエントリの書き手に読ませるつもりでコメントを書いているわけではない(ことが多いらしい)。だが、ひとりひとりは私的なメモのつもりで書いたかもしれないコメントが、当該エントリについたブックマークのページとしてまとめられると、大勢でよってたかって噂や悪口を書いているように見えてしまう。はてなブックマークへの批判と、それに対するはてな市民からの再反論が噛み合わない原因のひとつはそこにある。** そもそも<バカなもの>が発生しやすい仕組みになっているのだ。

 梅田氏の反応には、そういう意味では「今さら何をおっしゃいますか」と思わないでもない。あなたが絶賛してやまなかった「はてな」というサービスは、ずっと前からそういうものだったじゃないですか、と。

 私のような、プログラムも書けず、仕組みも判らずに、ただ提供されたサービスの上で文章を書いているだけの無知な人間から見れば、インターネットの世界を知り尽くしているように見える梅田氏に、なぜその程度のことがわからないのか(あるいは、わかろうとしないのか)、とても不思議だ。


 ちなみに、問題の「日本語が亡びるとき」も駆け足で読んでみた。興味深い本だとは思うが、梅田氏がそこまで興奮するようなものなのかどうか、私にはあまりピンと来なかった。

 英語が普遍語としての存在感をどんどん増していくと、<放っておけば日本語は、「話し言葉」としては残っても、叡智を刻む「書き言葉」としてはその輝きを失っていくのではないか>(梅田ブログより)という問題意識は理解できる。

 だが、本書を読む限り、水村が日本語の「輝き」として至上の価値を置いているのは日本の近代文学のようだ。その価値は絶対的で検証不要なものらしく、本の中で論証されることもない(日本語の素晴らしさが語られている部分はあるが、今の小説がダメなことは自明とされており、近代文学と現代小説の違いは、口語体と文語体の違いくらいでしか説明されない。それが重要なのだと言われればそれまでだが)。近代文学は理屈抜きで偉く、現代文学は理屈抜きで無価値らしい。

 私が水村の危機感を共有できないのは、私が無学かつ不調法にも近代文学の値打ちがわかっていないからなのだろう(水村作品を読んだこともなかったし)。もともと、文学は特権的に偉いのだ、という態度を取る人を前にすると、とりあえず三歩くらい引いてしまう癖が私にはある(日本語を使う者として古典を尊重する気持ちはあるし、教養の足りない己を恥じる気持ちもあるが)。

 水村が本書の中で、日本語を救う方法として提唱している政策自体は肯定するが、それによって、本書が危惧するような日本語の危機を救えるのかどうか(つまり、対英語のうえで効果があるのか)は、これまたピンとこない。
 そもそも、古典や近代文学が読まれなくなったのは、英語が普遍語になってきたせいなのだろうか? 水村が尊重してやまない「文学」とは、もともと日本国民のうちでも少数の人々が愛好してきたものだったし、今でもそうだということなのではないだろうか(ここは検証の必要があるが)。それなら英語エリートよりも日本語エリートを養成することが先だ。裾野を拡げるという意味で多くの子供に古典や近代文学を叩き込むのも意味のあることだとは思うけれど。
(というように考えていくと、このブログでよく扱ってる野球やサッカーの若年層への普及の話題に似てくるのだが、文学がスポーツや音楽より貴い、とは私は必ずしも思っていない。スポーツや音楽が養ってくれる非言語コミュニケーションは、人が生きていく上で、言語コミュニケーションと同等かそれ以上に大切なものだと思う)

 私には、同じ本について書かれた小飼弾氏のエントリの方が納得しやすい。ちなみに弾氏は<文化的教養に欠ける私は、「文明的」にそれを主張することができるが、著者のようにそれを文化的に主張することが出来ない。>と書いている。私には「文明的」な説明の方がわかりやすいようだ。

 また、水村の本で言語学について言及した部分では、言語社会学の知見に対する敬意がいささか不足しているような印象も受ける(私もこの分野に詳しいわけではないので偉そうなことは言えないが。この点については少し勉強してみようと思う)。


 ちなみに、梅田氏のもとのエントリは、水村について次のように説明している。

<水村美苗という人は寡作の作家なので、僕のブログの読者では知らない人もいるかもしれないが、五、六年に一度、とんでもなく素晴らしい作品を書く人だ。本書は「本格小説」以来の、水村作品を愛好する者たちにとっては待望の書き下ろし作品であるが、その期待を遥かに大きく超えた達成となっている。>

 この文章からわかるのは、梅田氏が水村作品を愛好しているということだが、水村作品のどこがどのように素晴らしいのかはまったく判らない。梅田氏の価値判断を尊重する人なら「そうか、きっと素晴らしいんだな」と思うだろうし、そうでない人にとっては、何だかよく判らないままだ。ここまで書き手がファン意識を前面に出していると、水村作品に接したことのない読み手には、「すべての日本人がいま読むべき」という主張が素直に受け取りづらくなる。
 だから、<本を紹介しているだけのエントリー>としても、この文章はあまり成功していないように思う。

 結局、私もエントリーについて意見を書いてしまいましたが、本は一応読みましたのでご容赦を(笑)。


追記(2008.11.11)
 「日本語が亡びるとき」の書評もネット上にぼつぼつ見られるようになってきた。現時点で、私がもっとも傾聴すべきと感じたのは【海難記】というblogに書かれたこちら。私が上に書き散らした疑問点のいくつかも含めて明晰に論じられ、たいへん説得力がある。<なにより許せないのは、現在の日本で日本語で書いている作家たちに対する、彼女の徹底的な侮蔑であり、その侮蔑のベースにある無知である。>というくだりに、ほぼ同感。
梅田氏は、このような本格的な(水村本への)批判を踏まえた上で、これに対抗しうる<僕自身の考え>をご自分のblogに書くべきだろう。


*
このケースについていえば、たとえば「日本語が亡びる」という概念を取り違えた批判的コメントが結構あるけれど、梅田氏のエントリの中で、水村が考える「亡びる」の意味は、後ろの方にさらっと記されているだけで、明示的に説明されてはいないので、誤解する人、わからない人が多少いても仕方ないかな、という印象は受ける。

**
はてなブックマークに関しては、彼自身が取締役として、その仕組みを作る(変えうる)側にいるのだし、しかもかねてから批判の多い仕組みを改良する試みが行われている最中なのだから、<立場を離れて>利用者を批判するという振る舞いは感心しない。しかも、はてなじゃない別のところでの発言だし(「立場を離れて」というのはそういう意味なのか?)。
ま、「ウェブ進化論」などを読む限り、おめでたいくらいにネット性善説の立場をとり続けているように見える梅田氏(戦略的にそうしているのだろうとは思うが)にして、この程度のことでキレてしまうというのは、なかなか興味深い出来事ではある。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

重厚なコーチ陣への若干の懸念。

 第2回WBC日本代表のコーチ陣が決まったのだという。
 報道されるところによれば顔触れは以下の通り。

投手:山田久志、与田剛
バッテリー:伊東勤
打撃:篠塚和典
内野守備走塁:高代延博
外野守備走塁:緒方耕一

 まずは文句のつけようのない顔触れではある。
 山田は95,96年にオリックスが連覇した際の投手コーチで、仰木彬監督の細切れ投手起用をよく支えた。売り出した頃のイチローと親しかったようだから、その面の保険、という意味もあるのかも知れない。
 伊東は西武黄金期の名捕手であり、監督としてリーグ優勝を果たしている。
 高代は中日・落合監督の下で今季まで野手総合チーフコーチを務めた作戦・走塁のエキスパート。
 篠塚、緒方の2人は原の指名ということだろうが、今季のジャイアンツの打撃・走塁を見れば、一定の成果は挙がっていると考えてよいのでは(甘いか?)。
 コーチ経験のない与田は、お手並み拝見というところ。MLB解説を長くやっていてアメリカ野球に詳しいという点は、チーム全体にとってのプラスになるだろう。
 全体としては、それぞれの分野で実績のある指導者を配した重厚な布陣になったと思う。

(前回大会を投手コーチとして経験し、原監督の下でコーチを務めて日本一を経験し、アメリカのマイナーリーグでのコーチ経験もある鹿取義隆が起用されないのは少し意外だったが、だからといって山田・与田コンビに不満はない)

 ただ、顔触れが立派すぎて、まとまるのだろうかという点は少し気になる。

 山田と高代は原監督より年長。伊東は4歳下だが選手としてはほぼ同世代といってよい。山田と伊東は監督経験者だ。高代については多くを知らないが、現役時代も中日のコーチ時代も、かなり主張の強い人物だったという印象がある(中日では、ほかのコーチとの不和が伝えられたこともあった)。

 主張が強いことがいけないとは言わない。チームが順調にいっている時はそれでいい。
 だが、前回大会の二次予選や、北京五輪の予選リーグ終盤のように、チームが苦境に陥ることも想定しなければならない。そういう状況下で、監督とコーチの間で、あるいはコーチ陣の間で意見が割れた時に、原監督は彼らを掌握してチームをひとつにまとめることができるだろうか。そこがこの人事の最大のポイントであるように思う。

 そもそも、原監督への就任要請があったのは10/27で、まだ1週間しか経っていない。
 日本シリーズを戦っている原監督自身が、この短期間にコーチ陣を編成できるはずはない。NPB側で誰かが動いた結果と考えるのが自然だ(原監督の意向も容れてのことだと信じたいが)。順当に考えれば、王顧問の考えが反映されているのではないかと思われる。
 ある意味ではお仕着せの人事であり、原監督とコーチ陣の間に現時点で十分な信頼関係があるかどうかはわからない(もちろん、本番までに形成されればそれでよい)。 「仲良しトリオ」と酷評された北京五輪の指導陣に対する反省に基づいた人事ならよいが、反動ということだといささか困る。


 ちなみに2006年の第1回大会の顔触れはこうだった。

監督:王貞治
ヘッド:弘田澄男
打撃:大島康徳
投手:鹿取義隆、武田一浩
守備走塁:辻発彦

 どう見ても王監督が突出して偉い(笑)。
 年齢でも王監督が圧倒的に上だし、比較的年長の弘田、大島は穏やかな人物という印象がある。鹿取にとっては王監督は現役時代の大恩人だ。王監督の人間力も含めて、何がどう転んでも内紛など起きようのない組織だったという気はする(もちろん、結果に影響されての感想ではあるが、当時、敗色濃厚だった時点でも不協和音が報じられることはなかった)。

 原監督が、年長者を含めたコーチ陣をよく掌握し、それぞれの力量を十全に発揮させることができれば、よい人事、よい組織だった、ということになる。私が懸念するような面については、もしそんな芽があった場合にも、後見人としての王前監督が抑えになってくれることを期待する。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

プロ野球におけるOver35世代の変遷の一例。

 ひとつ前のエントリのコメント欄に

>ただ、昭和50年代ごろのベテラン選手たちのおっさんくささに比べると、
>今の30代、40代の選手は善くも悪くも若々しく見えるんじゃないでしょうか。

と書いたら、nobioさんからこういうコメントを貰った。

>そういう例も多いとは思いますが、そうではない例も多い、ような気もします。
>例えばアーチェリーで「中年の星」を自称する 山本博とか。
>和田一浩なんかも見るたびに、はあ? このおっさんがオレよりはるかに年下なのかよ、と舌打ちしたり、

>え、この方が私なんかよりはるかに若いんですか、と尊敬したりしてしまいます。

 山本博先生や和田一浩がおっさんくさいことに異論はない。
 だが、この話は世代傾向についての話題なので、2、3人のサンプルを取り上げて議論をしても仕方がない。あくまで集団として比較しなければ。

 そこで、試みに今年(2008年)と1981年について、35歳以上の現役選手を書き出して、顔触れを眺めてみることにした*。


【1981年(昭和56年)】46人

読売/吉田孝司35、松原誠37、柴田勲37、ホワイト38
広島東洋/安仁屋宗八37、高橋直樹36、渡辺秀武40、金田留広36、ライトル36、山本浩二35
阪神/竹之内雅史36
ヤクルト/神部年男38、大杉勝男36、マニエル37、山下慶徳36
中日/戸田善紀36、木俣達彦37、富田勝35
横浜大洋/野村収35、辻恭彦39、山本恒敬41、基満男35、中塚政幸36
日本ハム/成田文男35、高橋一三35、村上雅則37、井上弘昭37
阪急/白石静生37、中沢伸二35、大橋穣35、島谷金二36、高井保弘36、大熊忠義38
ロッテ/高橋博士35、榊親一36、有藤道世35、張本勲41
西武/山下律夫37、山崎裕之35、土井正博38、田淵幸一35、長谷川一夫36
南海/佐々木宏一郎38、伊藤勲39、藤原満35
近鉄/白仁天38


【2008年(平成20年)】80人

読売/豊田清37、門倉健35、藤田宗一36、クルーン35、小笠原道大35、木村拓也36、谷佳知35、清水隆行35、大道典嘉39
中日/山本昌43、谷繁元信38、立浪和義39、T・ウッズ39、中村紀洋35、和田一浩36、井上一樹37、上田佳範35
阪神/下柳剛40、ウィリアムス36、野口寿浩37、矢野輝弘40、金本知憲40、桧山進次郎39
横浜/川村丈夫36、三浦大輔35、入来祐作36、工藤公康45、石井琢朗38、仁志敏久37、佐伯貴弘38、鈴木尚36
広島/高橋建39、広池浩司35、前田智徳37、緒方孝市40、アレックス36
東京ヤクルト/リオス36、木田優夫40、遠藤政隆36、萩原淳35、リグス36、渡会博文36、宮本慎也38、城石憲之35、ガイエル36、真中満37
北海道日本ハム/稲葉篤紀36
千葉ロッテ/小宮山悟43、高木晃次40、堀幸一39、ベニー37
福岡ソフトバンク/二コースキー35、水田章雄35、的山哲也38、松中信彦35、小久保裕紀37、本間満36
東北楽天/小倉恒38、吉岡雄二37、山崎武司40、沖原佳典36、リック36、鷹野史寿35
埼玉西武/西口文也36、正津英志36、三井浩二35、石井一久35、谷中真二35、種田仁37、高木浩之36、江藤智38
オリックス/デイビー35、川越英隆35、清原和博41、北川博敏36、ラロッカ36、塩崎真35、カブレラ37、村松有人36、ローズ40

 

 ちなみにこの1981年がどんな年だったかというと、セはジャイアンツ、パは日本ハムが優勝、日本シリーズはすべて後楽園球場で行われ、ジャイアンツが勝った。MVPはセが江川卓、パが江夏豊、新人王はセが原辰徳、パが石毛宏典。山本浩二が本塁打と打点の二冠王、落合博満が初のタイトル(首位打者)を獲得した。野村克也と王貞治と高田繁が引退した翌年でもある。

 さて、皆さん、この顔触れを比べてどう思われるだろうか。もとより印象論なので正解はない。私自身は、冒頭に書いた印象に変化はない。自分自身のその時点の年齢によるバイアスは当然かかっていると思うが(1981年は17歳、2008年は44歳)。


 それ以外に、書き出してみて思ったことをいくつか。

・とにかく人数が全然違う。プロ野球の選手寿命はこんなに伸びているのかと思う。
 81年の人々はほとんどが引退間近という感じだが(全盛期といえるのは山本浩二くらいだろう)、今年のO-35たちは全盛期だったり発展途上だったりする選手が結構いる。
 プロ野球OBから、「昔の選手は体が強かった。今の選手はひ弱だ」という説をよく聞く。短期的にみればそうだったかも知れないが、長期的には正しくない。昔の選手の方が引退する年齢が若かった。
 選手寿命が伸びた理由としては、トレーニングおよび身体ケア技術の進歩、医療技術の進歩、酷使や故障をおしての出場が減ったこと、選手起用や雇用における偏見(30を過ぎたらもう引退だな、という周囲の視線)の希薄化、などが考えられる。

・2008年のリストで「おっさんくさいな」と感じる選手(下柳とか和田一浩とか清水隆行とか)は、思い起こせば若い頃からすでにおっさんくさかった。1981年のリストの選手たちが若い頃どうだったかは、私は見ていないのでわからない。ご記憶の方がいらしたら教えてください。

・81年リストにマッシー村上の名があるのを見つけて、彼がかなり長いこと現役だったのを思い出した。私が現役選手として知っているのは、この頃の彼だけだ。スリークォーターかサイド気味のフォームから緩い球を投げるベテランで、選手名鑑に「元大リーガー」などと書いてあるのを初めてみた時は、何のこっちゃ、と不思議だったのを覚えている。
 しかし、それは「若いころの珍しい経歴」くらいにしか見なされておらず、当時のマッシーがすごく尊敬されていたとか、しょっちゅう話題に上っていたという印象はない。たぶん、当時より今の方がずっと尊敬されている。マッシーは野茂の成功によって再発見され、値打ちが上がったといってよさそうだ。

・81年リストはほとんどの選手の名前と顔くらいは思い浮かぶのだが(今の方がよく知らない選手が多い(笑))、横浜大洋の山本恒敬という選手がまったく記憶にない。調べてみたら、選手登録してはいてもブルペン捕手専任に近かったようだ。

・ちなみに、81年の時点で現役で35歳に満たない選手には、衣笠祥雄34、水谷実男34、安田猛34、若松勉34、星野仙一34、谷沢健一34、平松政二34、福島久晃34、江夏豊33、加藤英司33、福本豊34、得津高宏34、東尾修31、大田卓司30、門田博光33、鈴木啓示34らがいる。強烈におっさんくさい(谷沢と平松は別だが)。
 しかし、当時34歳の世代(1947年、昭和22年生まれ)って、ものすごい当たり年だな。団塊の世代で人数も多かったのだろうけど。

・そういえば、団塊世代より前の10〜15年間くらいに生まれた日本人は、成長期を戦中戦後に過ごしたため、食糧難で栄養不足だった人が多い(地域によって例外はあるだろうが、全体的傾向としては)。
 そういう問題のなかった戦後生まれが、この1981年ごろから30代後半にさしかかっている(1981年に満35歳の人は1946年(昭和21年)、終戦直後に生まれている)。
 プロ野球において、このくらいの時期から選手寿命が伸び始めたのであれば、そんな社会的背景も影響しているのかも知れない。


*
ソースは2008年が週刊ベースボールのプロ野球全選手写真名鑑号(2/23号増刊)、1981年は同社刊行の「プロ野球70年史(記録編)」。いずれも、その年に達する満年齢が記されている。見落としや数え違いが多少あるかも知れないので、お気付きの方はご指摘ください。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »