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“ジャイアンツ愛”のバトンをつなぐ者。

 シーズン終了とともに、ジャイアンツの人事が活発に動いている。
 二岡智宏と林昌範が2対2(マイケル中村、工藤隆人)の交換トレードで北海道日本ハムへ*。
 清水隆行が金銭トレードで西武へ**。
 上原浩治はFA宣言してMLB行きを目指す。
 
 ひとつひとつの動きはある程度予想されたことなので驚きはない。だが、この顔触れが一斉にいなくなるとなれば、やはりひとつの時代の終焉という感慨を覚える。
 
 清水は1996年にドラフト3位で東洋大から入団。ルーキーイヤーのシーズン途中から左翼のレギュラーに定着し、同年に逆指名で巨人入りした仁志敏久と一、二番コンビを組んだ。仁志が出塁して清水が進塁打、三番の松井秀喜が返して手早く先制し逃げ切る、という勝ちパターンを後半戦に確立して、一時は11.5ゲーム差をつけられたペナントレースをひっくり返した。二番を打つことが多かったが、このシーズンの犠打は1だけだ。99年の小笠原(日本ハム)に先立つ、「バントしない二番打者」だった。
 その後、長嶋監督にはあまり重用されなかったものの、原辰徳監督が就任して一番打者に抜擢され、191安打を放つ活躍をした2002年と、この96年が特に印象に残っている。足は遅くないのに守備がいまひとつという、ある意味でバランスの悪い選手だったことが、打力のわりに出場機会が減りがちだった理由だろう。
 
 上原と二岡は同期入団だ。ともに逆指名で99年にジャイアンツに入った。上原は新人の年に先発投手のタイトルを総なめにする大活躍を見せ、以後もジャイアンツのエースとして活躍。二岡もレギュラーに定着し、毎年コンスタントに.290前後の打率を上げる強打の遊撃手となった。
 自球団の強い影響力のもとに制定されたにもかかわらず、逆指名制度が導入された1993年(会議年)のドラフト以後しばらく、はかばかしい成果を挙げることのできなかったジャイアンツにとって、98年の上原、二岡は、その前年の高橋由伸、翌年の高橋尚成、2年後の阿部慎之助らと並んで、もっとも成功した例といえる。
 
 その一方で皮肉に感じるのは、前述の仁志も含めた彼らが、自ら選んでジャイアンツに入ってきたにも関わらず、チームへの愛着、責任感といったものが、少なくとも外から見た限りでは希薄だったことだ。
 それは、例えば、特に本人が希望したわけではなく、くじ引きでジャイアンツに選ばれた松井秀喜が、FA宣言してアメリカ行きを発表した記者会見で見せた葛藤の深さとは対照的といってよい。
 
 もちろん、それぞれの選手に内に秘めたものはあっただろう。他のレギュラーが総崩れとなった2006年に孤軍奮闘した二岡、あるいは松井が去った翌年や、一番打者に起用された昨年の高橋由伸が見せた責任感の強さには(そういうタイプの選手だとは思っていなかっただけに)感銘を受けた。
 
 だが、たとえばかつてこのblogで批判した上原の逆指名制度に対する考え***には、しょせんその程度の気持ちなのかと冷や水を浴びせられた思いがした。仁志もテレビ出演して似たようなことを話していた。**** 
 この時期に逆指名してジャイアンツに入った選手たちは、報酬額の多さによって就職先を選んだと報じられることが多かったが、彼らのこのような言動に触れていると、やっぱりそういうことだったのだろうか、という思いが拭えなかった*****。
 2002年に原辰徳が最初にジャイアンツの監督に就任した時、まず語ったのは“ジャイアンツ愛”だった。裏を返せば、前年までヘッドコーチを務めていた原の目に、チーム内にそれが欠落しているように映ったということだ。
 
 そして今、グラウンド上でのプレーを見ていると、ジャイアンツの生え抜きであるはずの彼らよりも、小笠原、ラミレス、イ・スンヨプといった移籍選手の方が、チームへの忠誠心や勝利への執着心、ひとつひとつのプレーへの集中力、ファンへの感謝といった気持ちを、より強く表現している。以前なら「ジャイアンツらしい」と呼ばれたような選手の心性は、別にジャイアンツに特有のものではなく、強いチーム、一流の選手が共通して持ち合わせているものなのだということが、彼らを見ているとよくわかる。
 
 その意味では、この一連の“中抜き世代交代”は、今年抜擢されたような伸び盛りの若者たちが、誰の背中を見ながら進んでいけばよいのかを明確にする効果をもたらすのではないかと思う。
 原監督が今後も、他球団や海外から来た歴戦の勇者たちを掌握し、チームの勝利に向けて気持ちをひとつにまとめることができていれば、新しい世代の“ジャイアンツ愛”は、おのずと育まれることだろう。
 
 もはやジャイアンツは“常勝球団”と呼べるようなチームではなく、いくつかある強豪チームのひとつに過ぎない。だが、70年余にわたって積み上げてきた歴史を背負う矜持は、現在の選手たちにもあってよいはずだ。そして、その歴史の重みを理解しているのは、むしろ他球団からやってきた選手たちの方であるように見える。だとすれば、伝統というリレーのバトンを、一時期、その選手たちが担うというのも、さほど不自然なことではないのかも知れない。
 
 
 
 そして結局、ここまで書いてきたような事柄は、このチームが松井秀喜が抜けたダメージから今もって脱しきれていないことを意味してもいる。松井の大きな背中が今もそこにあれば、上原や仁志や二岡の言動もいくらか違ったものになっていたのだろうか。
 
 とはいえチームを去る選手たちは、一時期のジャイアンツを支えた功労者ばかりだ。清水はもとより、二岡も上原も(林も)、新天地で活躍して、もう一花咲かせられるよう祈っている。いずれも故障に悩まされてきた点が心配ではあるのだが。
 
 
 
*
今季成績を比べるとずいぶんと非対称な交換トレードだが、マイケル中村の高騰するであろう年俸を日本ハムがもはや支えきれないという背景が報じられていて、なるほどありそうな話のように思える。もっとも、二岡と林がともに体調十分で開幕を迎えて、それぞれの標準的な成績を残せば、日本ハムにとってはお買い得だった、ということになる。
 
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この髪形を見ると、すでに心は西武の一員、という気もする。
 
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<逆指名って制度があって「入団してください」って言ってくれた球団の中からジャイアンツを選んだだけ。日本のプロ野球で野球をするなら、一番、注目されて設備や環境の整ったジャイアンツがいいと思って選んだんだよ。乱暴な言い方になるけど「入れてください」ってお願いして入団したのなら「メジャーに行かせてください」って簡単には言えないけど、必ずしもそうじゃない。>上原浩治オフィシャルサイト +kouji19.net+より
 
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2007年12月27日深夜にテレビ朝日が放映した「中居正広プロ野球革命 タブーに挑戦!」という討論番組で、ファン代表という立場で出演していた芸人・出川哲朗の「逆指名で入りたい球団に入った人たちは、FAの権利は与えなくてもいいと思うんです」という意見に対して、仁志はこう答えた。
「僕も逆指名なんですが、逆指名をした時はアマチュアの選手なんです。で、逆指名の制度を作ったのはプロ側なんです。逆指名をした選手には何の罪もないんです。だって、あるものを利用しただけですから。勝手につくったのはプロ野球ですから。しかも入る時に、これを利用したらFAは何年です、なんて説明はまったく受けていない。もしかしたら選手の中には、じゃあFAがそれだったら逆指名しない、という人もいたかも知れない。すべての説明がなされていて逆指名の権利を使うんだったら、僕はいいと思いますが」
新しい制度を遡及して適用すべきではない、という理屈は正しい(しかし、それならFA権獲得の期間短縮も、今年入団した選手から適用すべきだということになるはず。自分たちの利益になる時には反対しないのか)。だが、出川が代弁しているファン心理の割り切れなさに対しては、仁志はまったく答えていない。
ちなみに同席していた宮本選手会長は、「じゃ答えます。僕も逆指名なんで。その制度があったから使ったわけで、くじだったら僕らもくじで入ってたわけです。(中略)で、入ってみて違うことってたくさんあるじゃないですか。(中略)入ってみてから、というのはやっぱり違うんで」と、さらに身も蓋もない回答をしている。
   
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言うまでもないことだが、この一連の感想は、ドラフト3位指名された清水には該当しない。清水も闘志が表に出るタイプではなかったが、私は彼のグラウンドでの態度や言動に失望したことはない。

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コメント

ギラギラした立身出世主義(アガリはMLB?)も若者らしくて良いのかもしれませんが、所属球団を踏み台にしていることを明言するのはファンにとって失礼だと思わざるをえません(心で思っていても態度には出すなよ、といいたい)。
そんな中「球界再編の時、(新球団が)仙台と聞いた時には驚きもありましたが、近い将来、仙台の方でお世話になりたいとは思っていました。」(イーグルス公式サイト)という小坂選手が楽天に加入したのは私にとって嬉しいニュースでした。金や名誉ではなく、地元でプレーしたいという気持ちが伝わってきたからです。
何でもヨーロッパが進んでいると言うつもりはないのですが、例えばイタリアの貧乏プロビンチャでもクラブ消滅のような悲劇に陥らないのは、「強いか弱いか、好みのサッカーをするかどうかはともかく、子供のころから見ている地元の球団が好きなんや(なぜ関西弁?)」という文化が根付いているからだと思うのです。
この頃はJリーグもさることながら、NPBにもそういう雰囲気が出てきたような気もするので、もっともっと「ホームタウン愛」のある選手が増えると良いなあと思いました。

投稿: かわうそさん | 2008/11/17 12:15

一時期、ジャイアンツがジャイアンツでなくなった程現場以外のところで物事が動きすぎて、ジャイアンツらしさを持ったコーチングスタッフ達は皆辞めていきましたが、選手はそうはいきませんでした。実際には、失望したまま、それでも辞められなかった選手達も多かったのだろうと思います。

それでも、残った選手達には今こそというジャイアンツ愛を持って、ファンやチームに接して欲しかったです。それだけの力を皆持っていたはずです。でも、少なくとも自分には多くの選手には感じられなかった。今思い出しても、当時が最も「生涯ファンを誓っていた」あるはずの自分の心が離れかけていた時期でした。

よく、「生え抜きの選手」の数についての議論を目にします。でも、入団時に即戦力であった選手達も含めて最初に自分のチームに入った選手全てを「生え抜き」と表現することにも違和感を覚えることがあります。

入団の経緯はいろいろあるにせよ、今中心にいる小笠原やラミレス、イ・スンヨプ、若手のけん引役となっている木村拓や大道を見ていると、本当に大事なことは「その選手がどれだけチームに愛情を持っているか」なのだろうとひしひしと感じます。「KING OF TOKYO」だって、ブラジル人なんですからね。

投稿: アルヴァロ | 2008/11/17 23:54

>かわうそさん
MLBでも欧州のサッカーでも、最後は故郷のクラブでプレーしたい、という選手は結構見ますね。フランチャイズが分散したことで、今後は日本野球でもそういう選手が増えるのではないかと思います。そういう意味でも四国や北陸にチームがあるといいんですけどね。


>アルヴァロさん
アルヴァロさんはおそらく2004年ごろのことをおっしゃっているのだと思いますが、私がこのチームに違和感を抱き始めたのは、落合に加えて、広沢とハウエルがヤクルトから移ってきた1995年でした。シェーン・マックも含めると4人の“助っ人”がラインナップに並び、原や岡崎が脇に押しやられている感じで、これはいったいどこのチームだ、と感じました。
その後、逆指名で入ってきた選手たちがチームの中心となりましたが、彼らが今また揃ってチームを去る。そういう意味でも“ひとつの時代”だったのだと感じます。

>入団の経緯はいろいろあるにせよ、今中心にいる小笠原やラミレス、イ・スンヨプ、若手のけん引役となっている木村拓や大道を見ていると、本当に大事なことは「その選手がどれだけチームに愛情を持っているか」なのだろうとひしひしと感じます。「KING OF TOKYO」だって、ブラジル人なんですからね。

今季のラインナップは95年よりも他球団出身者が多かったわけですが、それでも違和感を覚えないのは、見慣れてきた、ということだけでなく、おっしゃるようなベクトルの揃い方があるからだと思います。95年の4人は、「チームのために」という気持ちを感じさせるタイプではありませんでしたし。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/11/18 09:10

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