映画『ザ・ムーン』 デイヴィッド・シントン監督
アポロ11号が人類最初の月への着陸に成功した1969年7月21日。私は5歳の幼稚園児だったが、まったく記憶がない。すでに拙い日本語を喋っていたはずだし、絵本を読んだりテレビを見たりする能力はあったから、少しくらい覚えていてもよさそうなものなのに。
それでも、当時の子供の常識として、アポロ宇宙船や月面の様子は知っていたし、月着陸船や司令船の形もよく覚えている(明治製菓のアポロチョコレートの円錐形が、もともとはこの司令船を模したものだったと今の若い人は知っているだろうか)。きっと情報源は少年マガジンのグラビアか何かだったのだろうと思う。
だから、アポロ計画の名を聞けば、今でもちょっと心弾むような気分になるし、関連図書は何冊か読んでいる。海洋堂が作った「王立科学博物館」の第一期シリーズはほとんど揃えた(確かひとつだけ手に入らないものがあった)。
そんな44歳が、アポロ計画のドキュメンタリー映画を素通りできるはずもない。週末にできた数時間の余裕に、007は後で見ればいい、と決めて池袋のシネマサンシャインに向かった。
アポロ計画では1967年から1972年までの間に15の打ち上げが実施され、1969年から72年までの4年間に6度の月面着陸を成功させた。月に立った宇宙飛行士は計12人を数える。
この映画は、NASAが保管していた膨大な記録フィルムと、アポロ計画に参加した10人の宇宙飛行士のインタビューによって、月世界飛行の再現を試みている。
記録映画ではあるが、アポロ計画の歩みを時系列に紹介しているわけではない。
映画の核となっているのは当然ながら、初めて月面着陸を試み、成功したアポロ11号。その訓練から発射、月への飛行、着陸、月面での体験、そして帰還と丹念に描きつつ、それぞれの局面ごとに、他の号の飛行士たちの証言と映像を交えていく。
つまり、監督の主眼はアポロ計画の歴史を説明することではない。月に行って帰ってくるというのはどういうことなのか、それぞれの局面で何が起こり、飛行士たちはそれをどう感じていたのか。それらを観客に追体験させることにあり、それはかなり成功している*。
とりわけ11号が月に着陸する場面は、ちょっとした不具合の発生も重なり、緊迫する。彼らが無事に着陸して星条旗を立てて地球に帰ってくる、という結末を知っていながら、それでも見ているだけで緊張してしまうのが、本物の迫力というものなのだろう。無事に着陸に成功した瞬間は、思わず拍手しそうになった(アメリカの映画館なら、たぶん拍手や歓声がわくのでは)。
映画の中でふんだんに用いられている映像の多くは、実はこれが初公開なのだという。
各回の飛行で大量に撮影したフィルムを、NASAは液体窒素の中で冷却保存していた。まったく人目に触れたことのないものも多かった。長い間、門外不出だったこれらのフィルムをデジタル映像に映す作業が始まったことで、NASAから公開の許可が下りた。その意味では、この作品は、今だからこそ作りえた新しい映画ということになる。
実際、切り離されるロケットから見たアポロや、月世界を走るローバーなど、目を見張るような映像が次々と登場する。これらはすべて特撮でもCGではなく実写なのだ。ロングショットでの月世界は、空気も生物もなく、岩と砂と漆黒の闇が圧倒的な存在感をもって迫ってくる。
そして、宇宙や月の映像と同じくらい魅力的なのが、登場する宇宙飛行士たちだ。1928年から35年生まれ、ほとんどが後期高齢者だが、なにしろ皆、顔がいい。表情もいい。いい仕事をして、いい歳をとった立派な人たちだということを、彼らの顔と語り口が雄弁に物語る。
元宇宙飛行士だった爺さんたちが活躍するクリント・イーストウッド監督・主演の『スペース・カウボーイ』はとても好きな映画だが、宇宙飛行士を演じたイーストウッドやトミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーといった名優を凌ぐような存在感が、この本物の爺さんたちにはある。
月飛行時の彼らは30代後半から40代初め。男盛りの時期に訪れた、一世一代の大仕事だった。
ただし、10人もの飛行士(全員が月に行ったわけではなく、軌道上で待っていた飛行士も含む)を集めたけれども、最も有名な人物は出演していない。最初に月面に降りたったニール・アームストロングだ。
映画を見ている間は、もう亡くなったんだっけか、と思っていたが、後でプログラムを読むと、彼は隠遁生活を送っており、公的な場に出てくることがないのだという。シントン監督は当然ながら出演を依頼し、メールで連絡を取ることはできたが、結局、出演には至らなかった。
だが、彼の不在は、必ずしも映画にとって瑕にはなっていない。当時の映像と、同僚の宇宙飛行士たちが畏敬をもって語る証言によって、印象的にアームストロングの人物像を描くことができている(もしかすると本人が出演した場合よりも、くっきりと)。
2007年に作られたこの映画、実は英国製だ。プロデューサーも監督も主要スタッフも英国人で、「提供」とクレジットされているロン・ハワード(『アポロ13』の監督でもある)だけがアメリカ人だ。アメリカ合衆国の威信をかけた大事業を他国人が映画化したことで、“愛国フィルター”を免れ、「人類にとっての月面着陸」という観点が浮かび上がってくる。シントン監督はドキュメンタリー畑の人で、これが初の長編映画だそうだが、有名であるだけに難しいと思われる素材を、見事にまとめ上げている。
アポロ計画は40年も前の事業だが、その後、人類は地球外に降り立ったことがない。
彼らの経験は、我々の宇宙への意識、地球に対する意識を大きく変え、今も強く影響している。この映画を見ると、改めてそんなことを感じる。月への体験を総括する彼らの言葉は、(中には宗教に傾倒して、ついていけない人もいるけれど、そういう言葉も含めて)ずっしりと重い。
*
ただし、その結果、扱いが難しくなったのがアポロ13号だ。飛行中に機体の故障が発生して月着陸を断念、絶望的な状況から奇跡の生還を果たしたミッションは、このような構成の中では浮いてしまう。監督も扱いに困ったのだろう、番外編のような形で駆け足で済ませている。機長だったジム・ラヴェル本人も出演しているのに、もったいないといえばもったいない話だが、しかし、13号の物語をこってり紹介したら、この映画の構成が崩れてしまうから、これはこれでよいのだろう。物足りない人は映画『アポロ13』を見ればよい。
そういえば、映画『アポロ13』もよかったが、あれが封切られた前年あたりにテレビ朝日が立花隆をキャスターに作った「危機 クライシス」というシリーズの特番が、大変な傑作だった。NASAの実写映像をふんだんに使い、管制官ジーン・クランツ(映画ではエド・ハリスが演じた)のインタビューを交えて、実に生々しく状況を再現していた。
打ち上げ当時はエド・ハリスに負けない男前だったクランツは、番組の独自インタビューではずいぶん太ったおっさんになっていたが、冷静に淡々と振り返っていた彼が、最後に「みな、よくやった…」と絶句して目頭を押さえた場面が印象に残る。テレ朝も50周年特番とかいってバラエティを引き伸ばすばかりじゃなく、こういう名作を再放送してくれないかな。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
お久しぶりです。
「ザ・ムーン」面白そうな映画ですね。
アームストロング以外は登場していると言うことは、バズ・オルドリンも出てらっしゃるのでしょうか?
立花隆さんの本(「宇宙からの帰還」だいぶ前の本ですが)では、病気にかかってしまったと書いてあったのだけど、いまは元気になったのだろうか…
エド・ハリスは、『ライトスタッフ』にも、ジョン・グレン役で出てましたね。
初期の宇宙飛行士は、「いかにもアメリカ人というか、WASPらしい」容姿と雰囲気の人を選んだと何かで読んだ記憶がありますが、エド・ハリスがそういうイメージなのかな?
投稿: southk | 2009/01/26 23:03
>southkさん
しばらくです。
アポロ11号の搭乗員は、オルドリンも、月に降りなかったマイク・コリンズも出てますよ。この2人が事実上の主役といってもいいくらい。とても元気そうでした。
オルドリンはこの映画のプロモーションのために昨秋来日したようで、いろんな媒体に登場してます(ネットでもインタビューがたくさん読めます)。
エド・ハリスは、私が見た映画では軍人が多かったなあ。
経歴を調べたら、ニュージャージー州出身で長老派教会会員の家に生まれ、高校時代はアメリカンフットボール部の主将。絵に描いたようなWASPですな(笑)。大学でフットボールに挫折し、演劇やアートに転じてから人生が変わったようですが。
『アポロ13』のエド・ハリスは、記録フィルムのクランツに、ちょっとびっくりするくらいそっくりでした。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/01/26 23:48
はじめまして。
昨年、Discovery Channel が NASA 創立50周年ということで特番シリーズを組んでいて、なかなかよかったです。
今後の再放送もある模様。
http://japan.discovery.com/nasa50/
エド・ハリスは好きな役者さんなんですが、アポロ13のジーン・クランツ役としてはほんとにベストの配役でしたね。
↑の Discovery Channel の映像で当時のジーン・クランツを見てびっくりしました。どっちもカッコエェ。
投稿: わ。 | 2009/01/28 14:22
>わ。さん
こんにちは。
そっちも面白そうですね。Discovery Channel 、見られないんだよな。残念。そのうちDVDになりそうですね(宇宙モノは結構DVDになってますね)。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/01/29 18:26
アポロ13立花隆版の再放映、私も同感です。
DVDでも出れば大喜びで買うのですが。
投稿: ひじてつよしま | 2009/02/21 15:04
>ひじてつよしまさん
いい番組でしたよね。ただ、本当にパッケージ化するとなると、NASAの権利の処理とか、いろいろ面倒なんでしょうけど。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/22 23:45