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NHK知るを楽しむ「人生の歩き方/井村雅代 私はあきらめへん」日本放送出版協会

 おかしな表題になっているのは、これがNHK教育テレビの番組テキストだからだ。

 「知るを楽しむ」は月〜木の22:25から25分間の番組で、曜日ごとにテーマがあり、それぞれ月替わりのシリーズを放映している。本書は毎週水曜日の人物モノ「人生の歩き方」の2月分として放映された番組のテキスト。これから放映する3月の辻村寿三郎と2人分で1冊になっている。
 井村の第1回分の放映を観たら面白かったので、そのまま4回全部見てテキストまで買ってしまった。

 番組は、井村へのインタビュー(聞き手は渡辺あゆみアナウンサー)をベースに、話題に合わせた写真や映像が挿入される。インタビュー番組のテキストって何が書いてあるんだろう、と書店で手に取ったら、放映されたインタビューを文章に起こしたものだった。
 内容はほぼ同一だが細部では微妙な違いがある。同一のマスターテープから、別個に編集したということなのだろう。各回の文末には「(文/松瀬学)」とあって驚いた。アマチュアスポーツ中心に活動し著書が何冊もあるスポーツライターだ。NHK、贅沢に作ってるなあ。
 
 
 井村雅代は、日本のシンクロナイズドスイミングのメダリストたちを育てたコーチで、昨年の北京五輪では中国のコーチに就任、チーム演技で史上初のメダル(銅)に導いた人物。ソフトボールの宇津木妙子元監督と並び、「日本3大怖い女コーチ」*の1人といってよい(Amazonで井村雅代を検索すると、なぜか宇津木の著書も一緒に表示される)。

 井村に関する私の知識はその程度のものだった。シンクロという競技自体にそれほど強い関心がないので、彼女の著書やインタビューを熱心に見たこともない。
 今回の番組に限って見る気になったのは、中国でのコーチ経験について興味があったからだ。
 日本のシンクロを背負ってきた彼女が中国代表のコーチに就任したことは、国内では衝撃をもって迎えられた。かなりの非難も受けたようだ(今もGoogleで「井村雅代」を検索すると、「他のキーワード」として「井村雅代 裏切り」「井村雅代 国賊」「井村雅代 売国奴」といった文字が表示される)。

 本書で、井村は次のように動機を説明する。

<ロシアのコーチやアメリカのコーチだって、いろんな国で教えているじゃないですか。シンクロはロシア流、アメリカ流、日本流とテイストが違うんです。だから、日本のコーチだっていっぱい世界に出ていったほうが、日本流がメジャーになっていくわけです。
 もしもわたしが中国からの要請を断ったならば、どうなるだろうと考えたんです。きっと、ロシアのコーチが中国に行くだろう。そうしたら、またロシア流シンクロが脚光を浴びて、日本流シンクロをアピールする場所がなくなるんです。同調性など、日本流シンクロのよさをアピールするためには、北京五輪は開催国だから絶好の場所だったんです。脚光を浴びるでしょうから。だから、わたしは断ることができなかった。これはいつか日本が世界一になるために大切なことなんだと思ったんです。>

 シンクロは採点競技だ。配点の基準はあるけれども、水泳連盟サイトの解説を見ても、例えばフィギュアスケートのように、どの技に成功すれば何点、などと具体化されているわけではなく、「大変よい」「よい」「充分」「普通」など、審査員の判断で点数は決まっていく。つまり、印象や主観に大きく左右されるということだ。

 以前、元選手でメダリストの小谷実可子がどこかに書いていた文章を読んで驚いたことがある。
 小谷によれば、シンクロの大きな大会では、そもそもやる前から順位は決まっている、という。別に不正があるとかいうことではなく、それまでの実績などから“普通にいけばこの順位”という相場のようなものを審査員も選手もコーチも共有しており、それをいかに覆していくかという勝負なのだ、という。そのためには、たとえば五輪で1回だけ素晴らしい演技をしてもダメで、小さな大会で実績や好印象を積み上げていくことが大事なのだ、と。
 
 だから、日本流のシンクロの勢力圏を拡げるために他国でコーチをする、という井村の意図には納得できる。当時、井村はすでに日本代表コーチから退いて1年以上経っていたから、筋から言えば問題はない。
 ただ、井村の指導を受けてきた日本の選手たちには動揺もあっただろうし、世の中の中国嫌いな人たちを刺激してしまったのは彼女にとっては予想外だったようだ。そして、結果的に北京五輪で中国が日本を上回ってしまったのも計算外だったろう。井村が考えたような効果に結びつくかどうかは、長い時間をかけなければわからないことだ。

 2回目以降は、井村の生い立ち、競技との関わりから時系列に沿って語られる。下手な選手だった現役時代。引退後に中学教師として生活指導に取り組んだ経験。コーチとして再びシンクロ界に戻り、二足のわらじで奮闘したこと。
 初めての五輪参加の後、浜寺水練学校から事実上解雇され、慕って付いてきた選手のためにクラブを立ち上げたものの、大阪ではプールを貸してもらえないという嫌がらせを受けたこともあったという。それでも優れた選手を育てて代表に送り込み、自身も代表スタッフに加わっていく。経歴のすべてから、強烈な意志とエネルギーがほとばしっている。
 
 
 さすが、と思う発言も端々にあった。一例を、第4回「ホンキだから叱る」から。

<あまり叱っている感覚がないんです。ほんとうのことを言っているだけです。><たとえば、「あなたの脚、短いね」「汚い脚」って言うじゃないですか。ほんとうだもの。でも、それで終わったらダメなんです。どうにもならないことなんて世の中にないんです。必ずどうにかなる。それを考えるのが人間、それを教えるのがコーチです。><脚が短いのは構わない。短く見えることがダメなんです。脚が短くても、筋をぎゅーっと伸ばして、人の目をぐーっと上にいくようなオーラを出したら、長く見えるじゃないですか。>
 
 単なる精神論、根性論だけではないことがよくわかる。根性とソリューションが必ずセットになっている。というより、根性でソリューションをひねりだす、ということか(根性だけで、あれほどの成績を続けて収められるはずがないのだから、当たり前ではあるが)。
 
 このように、ビジネス書やビジネス雑誌が特集を組んだり引用しまくりたくなるような名言が随所に出てくるのだが、しかし、この人のやり方は迂闊に真似をすると危険だ。
 ここで語られている指導法は、とことん正面から選手に向き合おうという井村の猛烈な意志、猛烈なエネルギーに裏打ちされることで初めて効果を発揮する方法なのであって、それがないまま口先だけ取り入れようとしても何の意味もないだろう。「生兵法は怪我のもと」という諺がそのまま当てはまりそうに思う。
 井村自身は、その部分についてはそれほど大したことだとは思っていない風情だが、この持続する意志と熱意があってこその成功なのだということを改めて感じる。
 
 番組テキストという形の出版物なので、書店のスポーツコーナーに置かれることもないと思うが、これは一級品のスポーツライティングだ。たぶん3月下旬には店頭から消えてしまうだろうから、興味のある方はお早めに手に取られることをお勧めする(番組は一週間後の早朝に再放送される。第4回は3/4の朝5時5分からなので、まだ見られます)。
  
 

*3人目は特に決めてません。まあ「日本3大○○」の3番目は、たいていそういうものだ。

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コメント

井村コーチのことは、あまりよく知らなかったのですが、やっぱり見た目通りの熱い方なんですね。

日本3大コーチの3人目ですが、日本国籍の人でなくてよければ、浅田真央のコーチのタチアナ・タラソワを推薦したいです(笑)

投稿: southk | 2009/02/27 12:19

 日本に金メダルを、と他の国のコーチ就任を断った宇津木さんとは、対照的な選択で興味深いと以前から思っていました。
 もし、ソフトボールの将来を考えるなら、宇津木さんは、他の国を強くして、ソフトボール全体の活性化をはかったほうがよかったのではないか、とは今でも考えます。
 結果、日本には金メダルが来ましたが、オリンピック競技からは消えた。
 

投稿: たにがわR | 2009/02/27 15:05

こんばんわ
この番組は残念ながら私は見られませんでした。
私は日本人指導者が海外で活躍するのは歓迎ですし、裏切り者扱いどころか伝道者のような存在だと思います。
言葉の問題もあるせいか海外で指導されている日本人は少ないと思いますし、むしろ隣の韓国の方があらゆる競技で指導者を海外に派遣してます。
日本人指導者で異国の地で最も成功したのは女子バレーでペルーを世界的な強豪に導いた加藤明さんぐらいでしょうか。
もちろん外国に技術を流出するので、将来的には日本のメダルが減る可能性が当然あります。
ただ武器輸出と同様に指導を受けた国はシニアからジュニアまで、体系的に教わった国の影響を強く受けるし恩義も感じます。
またその国の審判も影響を受けるので、採点競技だと審判員の人数構成が重要です。
ロシアのシンクロは恵まれた体躯や伝統のバレエが土台にあるので、彼女たちと同じことをやっても審判員からすれば所詮ロシアの二番煎じに写るので全く勝ち目はありません。
日本の伝統を活かして世界で勝負するのであれば、なおさら日本文化に理解がある国際審判員の存在は大きいです。
幸いな事にシンクロはロシアに次ぐ強豪のスペインの指導者も日本人の藤木麻由子さん(アトランタの銅メダリスト)なので、日本人の指導者は世界的に評価されてます。
また競技団体の役員も日本に理解があれば理不尽なルール改正を阻止できます。
”親日国”を作ることは最終的には回りに回って日本に利益をもたらすと思います。
ただ日本は島国のせいか政治同様にスポーツも外交が下手クソなのが悩みですが・・・
指導者の海外派遣を我が国に対する利敵行為と捉えるのであれば、それは短絡的な発想です。
彼らを国内に引き留められない貧しい環境(経済面や醜い派閥争い他)こそが本当の問題だと思うので、指導者個人を糾弾するのは本末転倒だと思います。

ちなみに私が考える3大コーチの3人目はフィギュアスケートで伊藤みどりや真央ちゃんのコーチだった山田満知子さんですね。

投稿: こたつミカン | 2009/02/27 21:11

>southkさん
>浅田真央のコーチのタチアナ・タラソワを推薦したいです(笑)

浅田はインタビューで「怖いですか」と聞かれて、「怖くないけど、顔は怖い」と答えたらしいです。
あと、googleで「タラソワ 怖い」で検索したら、彼女の夫がピアニストで、ピアノ指導者としてはとても怖い人だという情報を見つけました(笑)。


>たにがわRさん
>もし、ソフトボールの将来を考えるなら、宇津木さんは、他の国を強くして、ソフトボール全体の活性化をはかったほうがよかったのではないか、とは今でも考えます。

なるほど。確かに対照的ですね。もちろん、井村さんの行動には、採点競技特有の事情が大きく影響したのだとは思いますが。


>こたつミカンさん

北京五輪ではデュエット、チームともに日本はスペインを下回りましたね。日本人コーチが教えた2か国にメダルを阻まれたことになります。
そのくらいの目覚ましい成果を挙げなければ影響力の向上にはつながらないけれど、かといって本家がそのために成績を落としてしまったのでは本末転倒…難しいところですね。

>ちなみに私が考える3大コーチの3人目はフィギュアスケートで伊藤みどりや真央ちゃんのコーチだった山田満知子さんですね。

私が書いたのは「日本3大怖い女コーチ」というネタだったんですが(笑)。普通に「3大女性コーチ」なら、もちろん山田さんは有力ですね。怖さでは上の2人に及ばないかも。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/28 00:59

原著にあたっていないのでよく分からないのですが、井村コーチが日本と中国でその指導方法を変えたのかどうか、そして、変えたとしたらどこを変えたのか、あるいは、指導を受けた中国選手の反応はどうだったのかといったことについてとても興味が湧きました。
話は変わりますが、エントリを読んで私は柔道のことを思い浮かべました。
以前の鉄さんのエントリにも関連しますが、世界に広く普及しJUDOへと変貌を遂げた今、日本が有利になることが分かりきった柔道のきまりごとを、正規のルールとしていくら世界にアピールしたところで認められる可能性は低いと思います。それよりも、井村コーチにとっての日本流シンクロのように、指導者はどんどん海外へ出て柔道を普及させることが大切なのではないでしょうか。
競技スポーツとしてというか、格闘技としての面白さをJUDOが持ち続けているとしたら、それは日本や海外の柔道家たちが、勝負として不利になることを承知しつつも、一本を取る柔道に固執し続けてきたからだと思います。必ずや柔道の面白さは世界に通じるはずで、JUDOに迎合せず柔道のスタイルをできるだけ守り通すことが日本柔道の歩むべき方向だと思います。そして、その日本柔道のスタイルを世界に普及させることにこそ力を入れるべきではないかという思いを強くしました。
もし明日早く眼が覚めたなら、番組を視ようと思っています。早起きは得意なものですから(笑)。

投稿: 考える木 | 2009/03/03 21:27

>考える木さん
>井村コーチが日本と中国でその指導方法を変えたのかどうか、そして、変えたとしたらどこを変えたのか、あるいは、指導を受けた中国選手の反応はどうだったのかといったことについてとても興味が湧きました。

全4回のうち第1回は丸々その話でした。面白いですよ。テキストをぜひお読みになるといいです。

>それよりも、井村コーチにとっての日本流シンクロのように、指導者はどんどん海外へ出て柔道を普及させることが大切なのではないでしょうか。

欧米の柔道強豪国にはしばしば「柔道の父」とか「柔道の母」という高齢の日本人指導者がいますが、近年出て行った人というのがいるのかどうか。フランスなど日本以上に柔道が普及している国もあるので、日本人が行ったからといって指導を受け入れる相手がいるかどうかという気もします。


投稿: 念仏の鉄 | 2009/03/04 01:17

番組は見られなかったのですが、テキストを読んですごい、と思いました。
人と向き合うこと、人を教えること、についてとても参考になる所があるので、教員志望の妹に読ませてみようと思います。エントリー本文にもあるように下手に真似をしないように注意しますが(笑)まだ高校生ですが何か感じ取って欲しいです。
このエントリーが無かったら出会えなかったと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

投稿: ハーネス | 2009/03/05 13:22

>ハーネスさん

このエントリを書いた動機は「たいへん凄い本なのに、番組テキストという性格上、本来興味を持ちそうな人たちの目に触れないのであればもったいない」ということだったので、こういうストレートな感想をいただくと私も嬉しいです。妹さんにプラスになるといいですね。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/03/06 00:59

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