『昭和の魔術師』 ベースボール・マガジン社 ~田村大五さんの逝去を悼む~
今朝の新聞の片隅に、田村大五さんの訃報を見つけた時には、本当に驚いた。
つい最近刊行された著書『昭和の魔術師』を読んだばかりだったからだ。訃報によると亡くなられたのは13日で、ちょうど私がその本を読み終えた日だった。週刊ベースボール今週号の編集後記では、編集長を含む3人の部員が全員田村さんを追悼する文章を書いているが、本当に突然のことで、つい数日前まで普通に編集部に出入りしていたようだ。
田村さん、と知り合いのように書いているが面識はない。私は一読者に過ぎない。
たぶん週刊ベースボールを読まない人には、田村さんの名はまったく馴染みがないだろうと思うが、ここ30年くらい、ほぼ毎週読み続けている者にとっては、田村さんは週刊ベースボールの魂と言っても過言ではない人物だった。
同社サイトの年表には書かれていないが、戦後まもなく月刊誌として始まったベースボール・マガジンは、一度なくなった後(週刊ベースボールとは別。週刊誌は昭和33年に刊行されてずっと続いている)、昭和53年ごろに復刊された(4,5年続いた後で季刊誌になり現在に至る、と記憶している。違ったらすみません)。
その復刊当時に「プロ野球・謎とロマン」と題して、昭和初期の名選手たちの評伝が連載されていた。宮武三郎、景浦将といった歴史上の人物たちを生き生きと描いて、毎号楽しみに読んでいた。
筆者は大道文という名だったが、後に週刊ベースボール誌上で「白球の視点」というコラムの連載が始まった時、あ、あれはこの人が書いていたのだな、と気がついた。文体がそっくりだったからだ。それが田村さんだった。
「白球の視点」がいつからいつまで続いていたのか、はっきりと覚えてはいないのだが、今も続く豊田泰光さんの「オレが許さん!」と並ぶ名物連載だった。豊田さんが同世代の指導者や後輩たちをズバズバと斬っていくのと比べると、田村さんの文章はいつも暖かく、選手への思いやりに満ちていた。
(雑誌掲載が終了した後、「白球の視点」はネット上に場を移して継続され、昨年春まで続いていた。バックナンバーを今も読むことができるので、彼の文章に触れていただきたい)
今年1月に刊行されたばかりの『昭和の勝負師』は、三原脩と水原茂、高松から始まり、東京六大学を経て、プロ野球界でも所属を変えながら続いた2人の勝負師のライバル物語を描いたものだ。2人の野球人生は巨人軍での同僚として微妙に交錯した後、九州に下った(と敢えて書く。当時はそういう感覚だったらしい)三原が西鉄ライオンズを最強チームに育て上げ、水原率いる巨人を3年続けて日本シリーズで倒した昭和30年代初頭がクライマックスだ。
若き日に西鉄ライオンズの担当記者として過ごした田村さんにとっては、このチームこそが野球記者生活の原点だったのだろう。3度の対決が終わった6年後に生まれた私でさえ細部にわたってエピソードを知っているほど語り尽くされ、書き尽くされたテーマであるにも関わらず、のめり込むようにして一気に読めたのは、田村さん自身が見聞きし、あるいは当事者から聞いたエピソードの活きの良さと、書き手の気迫によるものだと思う。
本筋のほかに印象に残るのは、「この話題についても書きたいのだが編集部から与えられた紙幅では書き尽くせないので先を急ぐ」という類の記述が繰り返し出てくることだ。
一般論としては、私は書き手がこういうことを書くのは、好きではない。限られた紙幅の中に収めるのも芸のうちであり、言い訳じみたことにその貴重な数行を費やすのは潔くないと感じる。
だが、本書に限って言えば、そういうネガティブな印象をまったく受けなかった。それをどうしても書いておきたい、ここで書けないのが残念だ、別の機会にぜひ書きたいんだ、という田村さんのあふれんばかりの熱意が伝わってくるからだ。三原水原の時代の熱気を今に伝えるのが執筆の動機、というようなことが前書きに書かれていたが(手元に本がないので後で確認しますが)、同時に、もしかするとそれ以上に、田村さん自身の熱さがよく伝わってくる。
「あの頃はよかった」「俺たちの時代はなあ…」と語る年配者は世の中にいくらでもいる。そして残念なことに、ほとんどの場合、彼らの言葉は、現代を生きる者にとって価値を持たない。語る側の人々が、今の時代への理解と若者たちへの愛情のいずれか、もしくは双方を欠いているからだ。
田村さんがそういう人たちと異なることは、例えば「新・白球の視点」を読めばすぐに判る。
現役の野球選手たちに深い愛情を注ぎ敬意を払うことと、若き日に自分が仰ぎ見ていた偉大な人々の物語を語ることの双方が、彼の中では高いレベルで両立していた。だから、昔話を書いていても、どこかで必ず今とつながっている。
そんな人はめったにいない。日本の野球界は、希有な語り部を失った。
彼にとって特別に大切だったであろう三原・水原を主人公に据えた著書を、最後に残してくれたことは嬉しい。
だが、その本の中で、あれも書きたい、これも書きたいと意欲を語っていた物事が、ついに語られなかったことが残念でならない。もっといろんなことを教えていただきたかった。
一読者として、田村さんのご冥福をお祈りします。
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コメント
最近野球の記事ばかりですね
投稿: takahiro | 2009/02/18 21:21
>takahiroさん
そうですね。で、何か?
投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/19 19:10
正直言って、田村氏の存在、文章を知ったのは、この鉄さんのエントリが初めてでした。リンクから、いくつかのコラムを読ませていただいて感心しました。
面白い、そして野球の愉しさが聞こえてきました。
大変不遜ですが、こういう文章をいつか書けるようになりたいものだと。
このようなライタがいる事そのものが、日本野球の分厚さなのだと思いました。我々には賀川さんと牛木さんがいますが、お2人とも「日本サッカーをどう上げていくか」と言う命題がどうしてもあるせいか、田村氏ほど「愉しめてない」ように思えました(なんて事を書くのはお二人に失礼なのはわかっているのですが)。
ご冥福をお祈りします。
投稿: 武藤 | 2009/02/21 21:51
>武藤さん
田村さんは、著書は結構あるのですが、一般的な知名度となるとあまり高くはないのだろうと思います。お気に召したようで、自分のことのように嬉しいです。
日本の新聞が4ページくらいしかなかった明治時代にも、早慶戦の観戦記が詳しく載っていたりしますから、野球について書く伝統の分厚さというのは確かに相当なものだと思います。
職業野球は別として、大学野球や中学野球(現在の高校野球)は、報道が介在するまでもなく人気があったので、「野球をいかに盛り上げるか」なんてことはあまり考えなくてよかったのでしょう。また、トップレベルの国際試合がなかったから、「日本野球いかにして勝つべきか」なんてこともあまり考えなくてよかった。
つまり、日本のサッカージャーナリズムが草創期から背負ってきた2つの課題に、野球ジャーナリズムは21世紀になって初めて直面した、ということですね。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/22 23:56
これを読むまで「ベースボール・マガジン」と「週刊ベースボール」というふたつの雑誌があるという基礎知識すら認識できていませんでした。仮に前者を「ベーマガ」、後者を「週ベ」と略します(下品な略し方ですが、ここでは混同しにくくするため)。
・ベーマガは戦後まもなく刊行され、一度消えたが1978年ごろ復刊。
・週ベは1958年刊行。
・田村大五はベーマガ復刊当時、ベーマガに「プロ野球・謎とロマン」を連載した。
・その後、週ベで「白球の視点」を連載した。
・田村は(豊田と並んで)週ベの魂とすら言える存在だった。
・・・という理解で正しいでしょうか。「同社サイトの年表には書かれていない」とある「同社」が、週ベを指すようにもベーマガを指すようにも思えるのですがどっちでしょうか。低レベルの疑問で申し訳ないのですが。
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じつは私、この記事をタイトルのみでスルーしていたのですが、今日(2/25)のトーチュウでたまたま読んだ高田実彦という人の連載コラムが田村大五という人のことを扱っていて、それを読んで初めて「あ、鉄さんのとこで見かけた追悼記事(のタイトル)ってこの人のことじゃないか?」と思った次第です。読んでよかったです。
ちなみに高田氏のコラムは冒頭、じぶんは田村さんと親しくさせてもらっていたけれども、それでも「さん」付けで呼ぶのがはばかられる畏敬な作家だった、と書いてあり、なんか「畏敬」という言葉の使い方が微妙におかしいんじゃないかと思ったのですがそれよりも、さん付けがはばかられるってのは何付けならいいってことだ?、と、しばらく考え込んでしまいました。思わず「先生」と呼びたくなる貫禄だった、というようなことなのでしょうか。
高田氏によると大和球士(安藤教雄)の『プロ野球三国志(全12巻)』と大道文(田村大五)の『新プロ野球人国記(全7巻)』というのが日本プロ野球史の古典的二大文献なんだそうで、どちらも存在すら初耳だった私は、どちらもひじょーに読んでみたくなりました。が、うーん、両方で19巻か・・・
投稿: nobio | 2009/02/25 22:20
>nobioさん
>・・・という理解で正しいでしょうか。
結構です。ただ、あくまで私がそう思っている、ということであって、本当に事実かどうかは保証の限りではない部分もあります。
また、2つの雑誌は同じ版元から出ている姉妹誌ですから、「週刊ベースボールの魂」という表現は、双方ひっくるめた話だとご理解ください。
>高田氏によると大和球士(安藤教雄)の『プロ野球三国志(全12巻)』と大道文(田村大五)の『新プロ野球人国記(全7巻)』というのが日本プロ野球史の古典的二大文献なんだそうで、
どちらも断片的には読んでます。大和さんにはもっと後に「真説日本野球史」という著書がありました。そちらも7,8冊になると思いますが(笑)。「人国記」は87年刊行なので、「古典的」というにはやや新しいかも。
これ以外の古典的文献としては、私が読んだものでは竹中半平「背番号への愛着」、関三穂「プロ野球史再発掘」などがよい本だと思います。
後者はプロ野球史上の事件の当事者に時間がたってから当時のことを聞く、というもので、今やっても面白いですよね。江川事件とか、根本マジックとか(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/26 00:35