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野球か。何もかも、みな懐かしい。

 先日、テレビ朝日の開局50周年企画で、1988年10月19日のロッテー近鉄戦を振り返るドキュメントが放映された。出張と重なったので、録画しておいて昨夜見た。
 
 当時、私は仕事の都合で、ある地方都市に住んでいた。久米宏の「ニュースステーション」の枠内で放映された試合を、職場のテレビで見ていた。終わった時には、言葉もなかった、という記憶がある(あと、あの試合を見た大抵の人がそうだろうが、有藤が大嫌いになった(笑))。
 
 20年を経た今、当時の映像を見ていてもっとも感慨深いのは、平日の昼間から川崎球場に並ぶ長蛇の列だった。グラウンドが見える近隣のマンションには、非常階段から屋上までびっしりと人が立って見ている。テレビ朝日は、もともと予定していなかった編成を変え、人気ドラマを休止してCMを飛ばし、「ニュースステーション」の時間帯にはニュースを全部後回しにして野球中継を続けた。
 冷静に考えれば、たかだかリーグ優勝決定戦である。毎年必ず生まれるリーグ1位が決まるに過ぎない試合に、そこまで人々が入れ込み、視聴者も支持した(ドラマが見たかった、という人もいただろうけれど、その声はさほど世の中に聞こえてはこなかった。インターネットもないご時世だから、単にメディアに無視されたのかも知れないが)。
 
 昭和の昔には、世の中がこれほど野球を大事にしていたんだな、としみじみと感じる。戦争が終わった直後の日本では、野球は娯楽の王だった。それから43年目あたりまでは、まだその熾火が、人々の中に残っていた。
 
 
 もっとも、近鉄の応援団長だった佐野正幸氏の「川崎球場じゃなかった」という言葉とともに映し出された「普段の川崎球場」の映像も衝撃的だった。がらがらのスタンド、ねそべる観客、外野でマージャンに興じる客さえいる。ネット裏も含めても1000人くらいしかいないんじゃないか、というくらいスカスカのスタンドも、また昭和の現実だった(この日、「ニュースステーション」が後回しにしたニュースのひとつに、阪急ブレーブスの身売りがあった。よりによってこんな日に球団の譲渡を発表するところに、阪急とオリエント・リース、現オリックスの両社が、野球にどの程度の敬意を抱いていたかが如実に現れている)。
 私も80年代、後楽園球場で行われた日本ハムの主催試合には時々足を運んだが、映像の中の川崎球場と大差なかった。

 平成20年のプロ野球では、パ・リーグといえどもあんな光景はない。
 という言い方は失礼で、今やパの観客動員は1試合平均22,118人もいる(セは27,970人)。阪神、巨人は突出しているが、下位3球団はセパともほぼ変わらない。数字に表れない部分では、むしろパの球場の方が熱い。
 
 普段から野球場に行く人の数は増えている。だが、行かない人たちの野球への関心は減っている。それが、この20年間の変化なのだろう。
 
 
 試合そのものについては、あまり言うことはない。リアルタイムで見ていた人も、この番組で初めて見た人も、それぞれに胸を熱くしたことだろう。
 ただ、熱戦を貶めるつもりはないけれど、吹石とか真貴志とか高沢とか、年に何本もホームランを打たない選手の打球が次々と外野フェンスを越えていく、という展開は、劇的であると同時に、やっぱり川崎球場は狭かったな、と思わざるを得ない(笑)。これもまた、この20年の変化ではある(この88年は東京ドームがオープンした年でもあった。以後、福岡、名古屋、大阪、札幌にドーム球場が造られ、それぞれ以前のフランチャイズ球場よりも外野が広くなった)。
 
 ま、こんな理屈は後から浮かんできたもので、番組を見ている間は、とりたてて大扱いされることもなく登場してくる選手たちを見ているだけでも感慨深かった。
 現在、日本ハムの監督を務める梨田昌孝はダブルヘッダー第1試合で勝ち越しタイムリーを打った殊勲者だ。オリックスの監督である大石大二郎も大事なところでよく打っている。第2試合の終盤、ロッテの有藤監督の猛抗議を招いた牽制刺殺の当事者でもある(現在の有藤が「あれはアウトですよ」とあっさり認めていたのには驚いた。以前はそう簡単には認めていなかったような気がする)。
 ジャイアンツにいた淡口、後にイチローの打撃コーチとしても知られるようになった新井、ミルウォーキー・ブルワーズが球団史上ただ1度だけリーグ優勝した時の主砲で、日本でも真摯にプレーしたベン・オグリビー。今は亡き鈴木貴久。
 ロッテではMLBで首位打者をとったが日本ではさほど活躍できなかったマドロック。第一試合の終盤では牛島が投げていたし、仁科も美しいアンダースローを披露している。近鉄のクローザー、後にメジャーリーガーになった吉井が2試合とも機能しなかったことが試合をもつれさせた大きな原因のひとつでもあった。

 そして、この試合のコーナーが始まって早々に映し出されたロッテのベンチ前には、高畠康真(後に導宏)コーチが厳しい表情で立っていた。昨年の今ごろ、NHKで放映されていたドラマ「フルスイング」の主人公のモデルとなった人物だ。試合で貴重な本塁打を放ったベテラン内野手、吹石徳三は、ドラマで高畠(ドラマでは「高林」)の同僚を演じた吹石一恵の父でもある。「先輩、こんなガッツポーズなんかするような人じゃないんですよ」と金本がしみじみと語った吹石の満面の笑顔。一恵嬢はこの番組を見ただろうか。見ていれば、さぞ感慨深かったに違いない。


 あの試合から約1年後。私は別の土地に転勤して、やはり昼間から野球中継を見ていた(まったくろくな職業人ではない)。1年前と同じように西武と近鉄がパ・リーグの優勝を争い、その行方を決める直接対決のダブルヘッダーが行われていた。
 西武が積み上げた5点のリードを、ラルフ・ブライアントがたった1人で粉砕していった。
 最終的にリーグ優勝を決めたのはもう少し後のことだが、実質的には、この日の2試合でブライアントが放った4本の本塁打が近鉄の優勝を決定づけた。山田太郎でもめったに打たないような劇的な本塁打をスタンドに放り込んでいくブライアントを見ながら、野球ってのは恐ろしいもんだ、と私は思った。
 
 あの頃、野球は熱かった、などと言う気はない。今だって熱いし、昭和21年ごろは当時より熱かったに違いない。それぞれの時代に、それぞれの野球がある。ずっと付き合ってきた者にとっては、それで十分だ。そしてこれからも、そうあってほしい。

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コメント

はじめまして
私も先週この番組を見ました。
「10・19」は当時、中3だったのでテレビを食い入るように見てたし、まだ最近に感じます。
ただ私は格闘技が好きなのでこの番組では「猪木vsアリ戦」の方を注目してましたけど(笑)
ちなみに第1戦のロッテの先発投手はこの年に奪三振王を獲得した小川博です。
この年はたしか近鉄に相性がよかったと思います。
5回に鈴木貴久にホームランを打たれるまでパーフェクトピッチングだったんですが、好投が報われず牛島にマウンドを譲りました。
まさか引退後に事件を起こして塀の中の人になるとは思いませんでしたが・・・

それと高沢は阪急の松永と首位打者を激しく争いをしてたので、この試合は打率の関係で試合に出場しないことが予想されましたが
「プロなら自力でタイトルを獲れ。近鉄は必死だ。お前を外したら失礼になる」
と試合前に有藤監督に言われて出場しそうです。
(1999年に発売された「Number PLUS・20世紀スポーツ最強伝説③」にて高沢談)
リスク覚悟の高沢の起用に関しては有藤は評価できます。
ただ高沢本人にとっては本塁打も安打も一緒ですが、近鉄にとってはあまりにも痛恨の一撃でしたので今風に言えば”KY”でしょうね(笑)
”国民を敵に回した”と形容された有藤の抗議は
「あの抗議は当然でしょう。走塁妨害だ、と僕も思った。でも、観客もいない、ただの消化試合なら『まあ、いいか』で、あそこまで激しくはならなかったでしょうね」
と同誌にて本人が語ってたのであの番組のインタビューで、今頃になってあっさり認めたのは少し拍子抜けしました。

投稿: こたつミカン | 2009/02/14 15:45

 録画しておいたこの番組、遅ればせながら観ました。
 当時はテレビ朝日のネットされていない地域に住んでいたためにラジオで聴くしかなかった10.19。確か第一試合と第二試合の合間に阪急身売りのニュースが入ってきたような記憶が…。二十年前の映像を詳しく観ることが出来て、かなり有り難い番組でした。
 鉄さんは有藤が大嫌いになったとのことですが、当時のメディアでも有藤を批判していた人がたくさんいましたね。私はあの抗議を「消化試合でも勝負への執着は捨てない」という真摯な姿勢のあらわれと好意的に解釈していましたので、こんなに批判されて可哀想と思っていました。でも実際の抗議のシーンを見て、これを9分間生中継で観ていたとしたら有藤馬鹿野郎という気持ちになったかもなと思いました。
 驚いたのは現在の有藤の談話。

 これアウトなのよ。だけど選手が助けを求めてるから行かざるを得ないのよ。それで帰ろうと思ったわけよすぐ。アウトはアウトやから。ひっくり返りっこないんだから。
 で、仰木さんが来られて「お前らもういいだろ」的なことを…。
「あんたらだけで野球やってんのか」と思ってこの野郎って。カチンときたのよ、何言ってんだと。

 監督としての立場は対等の筈なのに、十歳年長の仰木監督に小僧扱いされてムッとしたのかもしれません(当時の有藤は41歳の青年監督)
「お前らもういいだろ」って本当にそんなことを言ったのなら、仰木さん余計なことを言っちゃったかなと思います。

投稿: えぞてん | 2009/02/14 18:39

>こたつミカンさん

こんにちは。

>ただ私は格闘技が好きなのでこの番組では「猪木vsアリ戦」の方を注目してましたけど(笑)

そっちもリアルタイムでも見た記憶があります。猪木がずっと寝たままでつまらなかった、というのが当時の印象でしたが(もちろん猪木を縛っていたルールのことなど視聴者は知りません)、寝技のある総合格闘技が隆盛になるにつれて、あれはあれで合理的だったのだなあ、と思うようになりました。現在の猪木のコメントや表情も味わい深いものがありましたね。再評価するコメントが、猪木の身内以外の人からもあれば、なおよかったと思います。

>ただ高沢本人にとっては本塁打も安打も一緒ですが、近鉄にとってはあまりにも痛恨の一撃でしたので今風に言えば”KY”でしょうね(笑)

ま、ロッテが闘って勝つのはいいんですよ。将棋連盟の会長をやっている米長邦男さんが、「相手にタイトルが懸かり、自分にはどうでもいいという対局こそ、真剣に勝ちに行かなければ、勝利の女神が離れていってしまう」という意味のことを著書によく書いています。ロッテにとっては、まさにそういうケースでした。

>今頃になってあっさり認めたのは少し拍子抜けしました。

まったくです。「あれはアウトだった」と一生言い続けるのが、歴史的抗議をした人の義務ではないかと、なかば本気で思います(天覧試合の長嶋茂雄のサヨナラ本塁打はファウルだった、と村山実さんが死ぬまで言い続けていたように)。


>えぞてんさん
>でも実際の抗議のシーンを見て、これを9分間生中継で観ていたとしたら有藤馬鹿野郎という気持ちになったかもなと思いました。

そういうことです。あれで判定が覆ることはまずありえないですからね。あの抗議から、近鉄の敵は、ロッテから「4時間の壁」に移行したのだと思います。

>「あんたらだけで野球やってんのか」と思ってこの野郎って。カチンときたのよ、何言ってんだと。

ここだけは聞いていて、気持ちはわからないでもない、と思いました(笑)。ただ、そもそも抗議してる時点で野球やってないじゃない、という気もしますが(笑)。

>監督としての立場は対等の筈なのに、十歳年長の仰木監督に小僧扱いされてムッとしたのかもしれません(当時の有藤は41歳の青年監督)

当時の私の印象では、彼は「ロッテをダメにした無能な監督」でしたし(70年代から前任の稲尾時代までのロッテは、パの優勝争いによく顔を出す強豪チームでしたが、有藤が就任した86年からは5位、6位、6位)、現役時代にも選手として魅力を感じたことがないので、そもそもの初期条件がかなり低いところにありました。あくまで私個人にとって、ですが。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/14 22:13

>がらがらのスタンド、ねそべる観客、外野でマージャンに興じる客さえいる。ネット裏も含めても1000人くらいしかいないんじゃないか、というくらいスカスカのスタンドも、また昭和の現実だった

ライオンズが所沢に「強奪」される前の平和台球場の光景もまさにそうでした。いや、末期の平和台の外野席は、麻雀のメンツも揃わないくらい閑散としていました(笑)。外野でお客さんがマージャンしてくれる風景は、まだしも牧歌的だったのかもしれません。

そして今は毎試合3万人は必ず入っているヤフードーム。
隔世の感があります。
福岡は、複数のプロ球団のホームとなったことのある日本で唯一の都市ですが、プロ野球に関する「喪失と再生の物語」がホークスに対する熱い支持の基盤となっています。

投稿: 馬場 | 2009/02/19 09:23

この頃は、まだ野球をちゃんと見ていなかったので、あの興奮をリアルタイムで体験できなかったのが残念です。
当時長崎では民放がふたつしかなくて、「ニュースステーション」は放送されていませんでした。どんな形で中継していたのか、そんな意味でも気になります。

吹石一恵さんは、「ROOKIES」にも出演してたり、意外と野球のからむ仕事も多いので、そのたびに、徳一父さんの事を思い出してにやにやしてます。
徳一さんが渋めな選手なせいか、彼女が野球選手の娘さんだってこと、あんまり有名じゃないんですよね。

投稿: southk | 2009/02/19 13:50

>馬場さん
>ライオンズが所沢に「強奪」される前の平和台球場の光景もまさにそうでした。

だとすれば「強奪」という表現はそぐわないように思います。福岡がライオンズを支えきれなかったから、ああいうことになったわけですし、その後「南海ホークス」を強奪してきたこともお忘れなく。
しかし、その痛みが現在のホークス人気の背景にあることもまた確かなのでしょうね。

そして、その南海と近鉄の2球団を失いながら(近鉄は微妙ですが)、大阪が全体としてはあまり痛そうに見えないのは、やはりタイガースがあるからでしょうか(甲子園は兵庫県なのに)。
日本ハムの北海道移転も、えのきどいちろう氏のような人々が書き残さなければ、その痛みはほとんど知られることなく終わったことでしょう。大都市の難しいところです。


>southkさん
>この頃は、まだ野球をちゃんと見ていなかったので、あの興奮をリアルタイムで体験できなかったのが残念です。

これはスポーツ観戦者の宿命ですね。生まれる前の出来事なら諦めもつきますが、自分が存在していたのに当時は見過ごしていた出来事を後から知った時の悔しさときたら。

>徳一さんが渋めな選手なせいか、彼女が野球選手の娘さんだってこと、あんまり有名じゃないんですよね。

野球選手の家から出た芸能人としては、彼女は出世頭かも知れませんね。大沢あかねが凌駕するとも思えないし。私が覚えている範囲では、青田昇氏の娘さんもデビューしたけれどさほど成功しませんでした。あと、広岡達朗氏の長女が、フジテレビが結成した女子野球チーム「ニューヤンキース」のメンバーだったことを今思い出しました。

…で、念のため確認しようと検索したら、広岡さんの孫娘が宝塚にいるそうです。芸能一族じゃないか(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/19 19:32

>その後「南海ホークス」を強奪してきたこともお忘れなく。

あっ、なるほど。おっしゃるとおりで(笑)。

ただ、人間心理というものは勝手なもので、「貧乏と虐待に耐えかねて駆け落ちした娘(ライオンズ)」については、「堤義明から盗られた」といつまでたっても恨んでますし、「羽振りが良くなってきてからもらった嫁(ホークス)」については、「オレに惚れて向こうから来た」と思ってますから「嫁を出した実家の嘆き」にまでは思いが及びません。(正確には「中内功が連れてきた」かもしれません。)

我ながら勝手なものであります。特に福岡人は自惚れが強い傾向がありますし(笑)。「かえせライオンズ」というローカル・ヒット曲を聴いた若き日、あまりの福岡人の情けなさに涙したのは、ずいぶん昔のこととなりました。

投稿: 馬場 | 2009/02/20 13:11

>馬場さん

FA選手に対する各球団ファンの心境にも、似たようなところがあるかも知れませんね。出て行った選手は「金ずくで奪われた」か「裏切り者」で、入ってきた選手は「相思相愛」と気持ちを強調して納得する傾向があるように思います(笑)。

>「羽振りが良くなってきてからもらった嫁(ホークス)」

その大事な嫁にも、一時期は卵ぶつけて「虐待」したりしてましたねえ(笑)。ま、いろいろ乗り越えて今は幸せ、という現状はわかってますので反論は無用です(笑)。福岡人ならぬ身の私も、その幸福が長く続くといいなと思っています。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/20 15:41

お久しぶりです。
最終戦にリーグ優勝がもつれ込んだということが、閑古鳥の鳴く川崎球場に人を溢れかえらせ、多くの人たちをTVの前にひきつけた……、野球の試合を見るというよりは事件を目撃するという感覚に近かったのだろうと思います。
今、プロ野球が事件になるのは、さしずめWBCやオリンピックといった国際試合だけでしょうか。ライブとしての球場観戦が当時より認知されて来ているのは健全な方向と思いますが、ペナントシリーズへの社会的な注目度が下がってきていることは(これも健全な傾向かもしれませんが)少し残念です。
当時、公式戦といえば、セの試合が1年に1回くらい行われるかどうかの地方に住んでいた私の周りには、パの選手について妙に詳しく、日本シリーズが始まるとひたすらパのチームを応援する、そんなチームの枠を超えたパリーグファンが大勢いました。今も変わらず私もそんなパリーグファンの1人です。
最近になってこそパの認知度も高まりましたが、当時、セのスマートさに背を向けたようなパのアウトロー的雰囲気(人気がないことへの劣等感の裏返しもあったと思います)が格好よく感じられ、私はパを応援していました。普通の生活を送りながら、そんなちょっとしたはぐれた気持ちに憧れるパリーグファンの熱気が集結した試合だったように思います。

投稿: 考える木 | 2009/02/26 09:09

>考える木さん

>野球の試合を見るというよりは事件を目撃するという感覚に近かったのだろうと思います。

川崎球場から観客が溢れる、ということ自体が事件でした。そういう意味では、ある種、自己言及的な盛り上がりだったかも知れません。
いずれにしても、やはりスポーツでは、まず現場に人を集めることから、いろんなものが派生するのだと思います。

>セのスマートさに背を向けたようなパのアウトロー的雰囲気

近鉄はとりわけそういう雰囲気の強いチームでしたね。新井宏昌のような優男でさえ、先日の映像では色悪的なムードを漂わせていました。ジャイアンツ的ひ弱さの典型のように見えた淡口憲治まで、近鉄のユニホームを着ると荒くれ男のように見えたから不思議です(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/26 15:00

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受信: 2009/02/10 22:16

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