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外国映画としての「おくりびと」。

 「おくりびと」を見たのは比較的最近のことで、昨年の暮れに海外に出かける飛行機の中だった。ノドを痛めやすいので機内ではマスクをしているのだが、その状態でぼろぼろと泣いていた。機内スタッフの目にはさぞ異様に映ったことだろうが、あの映画を上映している間は、そういう客も結構多かったかも知れない。

 今これを書くのは後出しじゃんけんのようなものだが、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたと聞いた時は、外国人ウケの良さそうな映画だからな、と納得した。
 死の儀式という普遍性。日本家屋の畳の上で死者に着物を着せるというエキゾチズム。山形の美しい四季。オーソドックスな展開と丁寧な語り口。独特の軽みと優しさ。チェロ奏者という主人公の前歴も、観客を納棺師という道の世界に連れて行く先導役にふさわしい。
 そして、なんといっても本木雅弘と山崎努が演じる納棺の美しさ。その所作はまるで舞踊のようで、ただ座っているだけで美しい本木が、丹念に手順に沿って死者を送り出していく姿は、それ自体がこの世のものとは思えない雰囲気を醸し出している。
 日本から海外に送り出す文化的パッケージとしては理想的といってよい。

 だが、たぶん監督も制作陣も脚本家も、この映画を作る時には「世界市場に出すために」などということは、ほとんど考えていなかったと思う(もし意識していたのなら敬服する)。このジャポネスクなパッケージは、あくまで現代の日本の観客のためのものだったはずだ。

 私は自分の家から葬式を出したことが二度ある(一度は昭和の昔、二度目は21世紀になってからだ)。が、この映画のような形で納棺に立ち会ったことはないし、納棺師という職業も知らなかった。
 少なくとも首都圏ではみな同じだと思う。都会では、多くの場合、人は自宅では死なない。病院から自宅に戻る時には、すでに棺の中にいることもある。滝田洋二郎監督の出身地、富山県高岡市は、どの家のふすまの奥にも、とてつもなく豪華な金箔の仏壇があるような土地柄らしいが、そこで育った監督も納棺師を知らなかったようだ。

 従って、映画は納棺師を知らない観客のために作られている。映画の主要な主題は本木(とその妻)が「納棺師」という職業から受けるカルチャーショックであり、本木や山崎の所作を丹念に追う映像はそれを初めて見る観客のためのものだ。

 だからこそ、観客はみな素直に感心し、感動できる。
 もし、納棺師がもっと身近な存在だったら、逆に我々は(主人公の妻や郷里の旧友のように)この映画を忌避する気持ちから脱しきれなかったのではないだろうか。映画のタイトルが「おくりびと」でなく「葬儀屋」であったら、こんなふうに受け入れられたかどうか。
 死体の臭いや手触りは、映画で描写されてはいるが、どこかコミカルで、画面からそれが漂ってくるようなものではない。それは、人が自宅で死ななくなった世の中の変化とも通底しているように思う。本木が原案となる書籍と出合ったのは15年くらい前らしいが、その時期に同じ映画が作られたとしたら、なまぐさくて見ていられなかったかも知れない(それはあくまで見る側の感覚ということだが)。

 だからといって、この映画が虚構だと言うつもりはない。
 一族が並んだ前でパフォーマンスのように行われることはなくても、我々は納棺が厳かなものであることを知っている。映画のように実行されることは希であっても、潜在的には誰もがあのような気持ちを共有しているから、(そこに多少の美化がおこっていたとしても)本木が執り行う納棺の儀が、象徴的なものとして、すっと心の奥まで届いてくる。

 というわけで、この映画のアカデミー賞受賞を報じるメディアの多くは「日本の心が海外に理解された」という文脈で伝えているが、それはいささかニュアンスが違うように感じる。
 「おくりびと」は、我々日本人の観客にとっても、異国の珍しい習俗を描くようにして作られている。だからこそ、どの国の人々にも届くのではないだろうか。そして、山形の言葉が持つやわらかさ、あたたかさもまた、そこに一役買っている。まさに「外国語映画賞」にふさわしい(山形の人には母語映画だけれども)。


 しかし、滝田監督の年齢が53歳と若いのには驚いた。ずいぶん昔から撮っているのに、とフィルモグラフィーを確かめると、一般映画のデビュー作である「コミック雑誌なんかいらない」(本木の義父である内田裕也が主演している)は1986年の作品、彼が31歳の年にあたる。
 それまでは独立系のプロダクションでピンク映画を撮っていた。残念ながら見たことはない(と思う。ピンク映画は昔何本か見たが、タイトルまで覚えていない)。
 オスカー受賞を祝福する高岡のご両親の姿もずいぶんと報じられていたが、東京に出て行ってエロ映画ばかり撮っていた20代のころには、家族や親族、故郷の目は厳しいものだったのではないだろうか。故郷の友人や妻に忌避されながらも、仕事に打ち込むことで認められていく主人公の姿は、監督自身の半生にも重なるものだったのではないかと想像する。考えすぎかも知れないが。

 海外で評価される日本映画はアート系・単館系と言われるものが多かったが、オスカーを手にしたのが彼のように原作モノや企画モノをきちんと撮ってきた職人的監督だったというのは(ハリウッドビジネスのお祭りなのだから当然といわれればそれまでではあるが)、私のような、よくできた分かりやすい映画を好む凡庸な観客にとっては、どこか嬉しい出来事でもある。


追記:
上の文章をアップした後で滝田監督について検索しているうちに、朝日新聞の富山版で今年元日に掲載されたらしい記事を見つけた。「おくりびと」にも出演している俳優・山田辰夫(高校の同級生だったらしい。「おくりびと」での演技も印象に残る)との対談。たいへん素晴らしいのでぜひご参照を。ああ、日本映画がオスカーを取ったんだな、と実感した。
http://mytown.asahi.com/toyama/newslist.php?d_id=1700031

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コメント

今日は休みなので、もう一つコメントさせていただきます。

>なんといっても本木雅弘と山崎努が演じる納棺の美しさ。
同感です。本木の所作に漂う美しい気品とチェロの調べがこの映画の大きな魅力になっていましたね。彼のような納棺師に送られたいと思った観客は少なくなかったと思います。
容姿だけでなく、「ホントに疑り深いんだから……」と半ば呆れるように樹木希林にもコメントされていた本木の謙虚さが、あの気品の源なのかもしれません。本木の高い理想を追い求める演技とあくまでも自然さを重んじた山崎の超然とした演技がいい塩梅で相乗効果を出していたと思います。

>「おくりびと」は、我々日本人の観客にとっても、異国の珍しい習俗を描くようにして作られている。だからこそ、どの国の人々にも届くのではないだろうか。
慧眼です。目から鱗が落ちる思いです。
私には、納棺師によって執り行われる、残されたものの想いを汲むだけにとどまらない、「旅のお手伝い」という哲学に支えられた死者へのはなむけとしての儀式が示した死生観が心に残りました。
死の向こう側にあるものへの漠然とした不安に対するひとつの回答をこの映画は示したと思います。映画を観終わったとき、なんとも穏やかな気持ちになれたのもそのせいだと思います。

最近、映画をよく観るようになりました。ハリウッドは「ダークナイト」のようなとてつもない映画を作るパワーをまだ持っているとはいえ、日本映画の内容、商業的な成功を生む可能性についての平均的な水準は、既に世界でも最高レベルにあると感じています。世界に通じるテーマさえ扱うならば、いつアカデミー賞を獲ってもおかしくはないと思っています。

投稿: 考える木 | 2009/02/26 11:54

>考える木さん

>、「ホントに疑り深いんだから……」と半ば呆れるように樹木希林にもコメントされていた本木の謙虚さ

以前、フジテレビの「ボクらの時代」で香川照之に暴露されていましたが、本木という人はドラマの収録中、カットがかかるたびに、「ああ、ダメだダメだ…」と自分の演技を呪ってばかりいるのだそうです。

天才というのは自分の心の中に仕事の形をした穴を持ち、それを埋めようとし続ける人のことだそうですが(誰の言葉だかは忘れました)、本木氏の中にはきっと“演技”という穴があるのでしょう。

>死の向こう側にあるものへの漠然とした不安に対するひとつの回答をこの映画は示したと思います。

死出の旅であるからこその「おくりびと」なのですが、私はむしろ、いくつもの納棺の場面を見ているうちに、死者もまた家族の一員なのだ、という思いを強くしました。“ああして貰えるから安心して死ねる”ということでもあるのでしょう。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/26 15:38

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