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2009年3月

100万ヒット記念・自選エントリ集(本と映画とその他篇)

 あんまりいつまでも記念興行をやってるのもナンなので、駆け足でいきます。本と映画とその他の話題に関する雑文を集めました。これで自選エントリ集はひとまず打ち止めです。


ベッカムに恋して、ミア・ハムに憧れて。
映画「ベッカムに恋して」を素材にした雑文。ベッカム本人がアメリカに行くなんてこと、当時はまったく想像つきませんでした。

国を持たない人々の「ナショナル・チーム」。
サッカーのチベット代表チームの海外遠征を描いたドキュメンタリー番組の紹介。実質的にはサッカーを通してチベット問題を扱った番組でした。

誤読される流行語。 〜「負け犬」をめぐって〜
「負け犬」ブームの頃の、ある新聞コラムについてのコラム。ディスコミュニケーションもコミュニケーションのうち、という気がします。

マックイーンは何と答えたか。
リバイバルで見た「荒野の7人」の感想です。

佐藤優『国家の罠』新潮社
ストレートな感想文ですが、Googleで「佐藤優」を検索すると上位に来るせいか、4年近く経っても検索して訪れる人の多いエントリです。こんなに引っ張りだこの書き手になるとは想像外でした。

森達也を読みながら。
ときどき読み返して自戒したい文章です。

星新一のメディア・リテラシー論。
この後、古書店でエッセイ集を何冊か入手して読んだのですが、まだ出典が見つかりません。ホントに星新一だったんだろうか…? 自信がなくなってきました。

『必殺仕置人』とその時代。
タイトル通りの番組紹介。「念仏の鉄」の名を借りるからには一度は書いておかないと。「必殺仕事人2009」、最初はつまらないと思ったんですが、だんだん調子が出てきた気がします。

勝利か、教育か。 〜『コーチ・カーター』の指導論〜
西武の裏金騒動の頃に思い出しました。

神話に著作権者はいない。 〜「バットマン」と「スターウォーズ」〜
SW3を褒めていた人たちは、今はどう思っているのでしょう。

ピーター・ジェニングスの死。
偉大なニュースキャスターの追悼文。後にNHKのスタッフが書いた評伝「ザ・アンカー ピーター・ジェニングス」(平凡社)が刊行されました。

戦争を知らない世代が語る戦争のリアリティ。
漫画「夕凪の街 桜の国」などについて。紹介しそびれましたが、映画化作品も素晴らしい佳作でした。

今日が日本の敗戦記念日。
9月2日をほとんど誰も気にしていないという状況はその後も変わらないようです。

『ホテル・ルワンダ』を観て、勝海舟を思う。
アフリカ現代史を理解するために、明治維新という補助線を引いてみた、という文章。シンポジウムに出てくる松本仁一氏の近著「アフリカ・レポート」(岩波新書)もお勧めします。

『単騎、千里を走る』、無力な高倉健という試み。
現時点でもこれが健さんの最新作。そろそろ新作を…。

ジョン・ル・カレ『ナイロビの蜂』(上・下)集英社文庫
小説の感想文からも1冊くらいは。ル・カレは若い頃から好きな作家の1人です。

本宮ひろ志というマンネリズム。
サラリーマン金太郎、また帰ってきましたね(笑)。

えのきどいちろう『サッカー茶柱観測所』駒草出版
2月に東伏見で行われた日本選手権の日光アイスバックスの試合を見に行きました。そこで買った10周年記念誌がまた力作でした。

対象となっている本を読まずとも意見を書く気を起こさせてしまうのがブログというものではないんでしょうか。
梅田さん、結局スルーしっぱなしですね。blogで紹介されていた水村さんとの対談は読んでいません。blogで始めた問題提起なのですから、blogの上でも何らかの落とし前をつけていただきたかったのですが…。

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100万ヒット記念・自選エントリ集(スポーツ一般/スポーツライティング篇)

 第3弾は野球とサッカー以外のスポーツを扱ったエントリと、スポーツライティングの書評のようなものです。

<その他のスポーツについて>

美を採点するという困難
野球とサッカーの次に多く取り上げているスポーツは、フィギュアスケートかも知れません。そんなに熱心なファンというわけでもないんですが。

氷上に咲く「時分の花」。
「浅田真央をトリノ五輪に出すべし」という騒ぎを真っ向から否定したので、荒らしさんも来ましたが、貴重なコメントもいくつかいただきました。
コメント欄の最後に書いた「幸福なシナリオ」、今のところは十分に可能性があることを嬉しく思いつつ、実現を祈っています。

ワタシをスキーに連れてってくれないのなら。
ウィンタースポーツが低迷する構造について。アイスホッケーのSEIBU廃部もショッキングな出来事です。これもいろいろ教えてくれる方がいて勉強になりました。

普通の人の、普通の人による、普通の人のための競技。
カーリング礼賛。後で出た小野寺さんの本を読むと、競技の背景に関する推測はだいたい当たっていたようです。チーム青森は世代交代に成功しているようで幸甚。

クール・ビューティーの威厳。
荒川静香の金メダルの滑りについて。その後、リンクで見たことはありませんが、時折テレビで見る彼女のスケートは、やはり味わい深くなったように感じます。

国立競技場をとりまくイヤな空気について。
サッカー専用に改修しようという動きも出てきましたが、2016年五輪が実現するか否かにもかなり影響されそうな雲行き。

歌っていた女王。
安藤美姫の世界選手権制覇に寄せて。浅田、荒川、安藤とエントリを立ててきましたが、いちばん好きなスケーターは武田奈也だったりします。

柔道の国際的地位は嘉納治五郎の政治力によって築かれたのではなかったか。
その後、嘉納家が全柔連と講道館のトップを退くことが決まったようです。嘉納家を悪役にするつもりはありませんが、全柔連や講道館が普通の組織になって国際戦略を練っていく上では、たぶんよいことではないかと思います。

伴走者が脱落する時。
競泳のレーザーレーサー問題について。日本のメーカーが悪いとか水連が悪いとか選手がかわいそうとかいう皮相的な論調には違和感がありました。日本メーカーも新作を投入して巻き返しを図っているようです。


<スポーツライティングについて>

井戸を掘った男たち<旧刊再訪>
blog開設初期には、古い本を2冊セットで語る、という趣向の<旧刊再訪>シリーズというのを時々やってました。これはJリーグ草創期を書いた本2冊。
手間がかかるのでシリーズは消滅しましたが(笑)、2冊組にするかどうかは別として、古い本を掘り起こして紹介する作業はしていきたいと思っています。

あるアメリカ人の詭弁術−−三木谷浩史社長に捧ぐ。
マーティー・キーナートの楽天GM就任を機に、彼が昔ネットに書いたコラムを批判した文章。元のサイトがなくなってしまったので微妙ですが。

『星屑たち』と、もうひとりの「アトランタ組」。
10年後くらいにさらに続編を読んでみたい本です。金子氏は今も落とし前をつけてはいません。

木村元彦『オシムの言葉』(集英社インターナショナル)
不朽の名著。加筆した文庫版も出ました。

名もない野球人へのまなざし<旧刊再訪>
これはもう、ぜひ原著を読んでいただきたい。木庭さんは野球殿堂入りすべき人物だと思います。

田口壮『何苦楚日記』主婦と生活社<旧刊再訪>
ワールドチャンピオン記念、という感じです。最近の田口サイトを見ると、寛くんはもう幼稚園児。他人の子供は早く育つものです(笑)。

真冬にビキニはたいへん結構だったのだが。
SPORTS Yeah!の休刊について。その後、老舗雑誌がばんばん潰れており、もはやスポーツ雑誌だから云々という次元ではなくなってきました。Yeah!は買い手を見つけたらしく、同じ編集長や執筆陣によるムックが出ています。WBC前に出たものは読みごたえがありました。

ベッテ/シマンク『ドーピングの社会学』不昧堂出版
ドーピングに関しては何度か書いてますが、いちばん読んで欲しいのはこのエントリ。というか、原著を読んでもらいたいわけですが。

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100万ヒット記念・自選エントリ集(サッカー篇)

 第2弾はサッカー関連エントリです。サッカーと野球にまたがるような話も収めました。

シュンスケ・コールが響く前に。
中村俊輔の変遷について。その後もよい方向に進み続けているのが嬉しいことです。

今の小倉隆史が好きだった。
今でも「ケガさえなければ」と言う人が多いですね。2009年現在の「今の小倉隆史」については何とも言いかねますが…。

キング・カズが横浜に降臨した夜に。
このblogでは珍しい観戦記。山口の挨拶に注目された方も多かったようです。そういえば彼は引退試合の開催を断念したそうで、理由は「フリューゲルスの名を使えない」からだと…。

その日の老将。
ナビスコカップで優勝した時のオシムについて。彼の戦術そのものを論じる力はないのですが、オシムについては結構よく取り上げていました。たぶん、食えない年寄りが好きなのでしょう(笑)。

ナイジェリアに見た黄金世代の夢、ポルトガルに見た現実。
今のところは黄金世代というより遠藤ひとりの物語になりつつありますが、さて、来年6月までに戻ってくる選手がいるかどうか。可能性のある選手はまだいると思っています。

スポーツのことはスポーツに還せ。
ワールドカップドイツ大会で出てきた「電通悪玉論」への批判。北京五輪では北島康介が「世界記録が出なかったのは決勝の時刻が早過ぎたから」という意味のことを言ってましたが、気に留めた人はあまりいなかったようです。アメリカのテレビ中継の都合でそうなったのですが。

『ペレを買った男』
面白い映画でした。もうDVDになっています。

彼我の差を埋めるもの。
贔屓クラブと言ってるわりにFC東京について書いたものが少ないので、ひとつくらいは入れておきます。

サッカー界はなぜ鈴木桂治を見逃したのか。
サッカー界はフィジカルに強い人材を獲得しそこねているのではないか、という暴論シリーズのひとつ。脇の甘い文章で、突っ込まれることも多かったのですが、いろいろ知らないことを教えてくれる人がいて勉強になりました。問題提起としては面白かったかな、と。


<野球とサッカーにまたがる話>

アンバランス・ゾーンに惹かれる。
その後ぱっとしなかったおかわり君、昨年は大ブレイクを果たしました。しかもデーブ大久保コーチの下で。

『ようこそ先輩』に見る野球とサッカーの差。
はてなで妙にたくさんブックマークされたエントリ。そろそろ北沢を起用するクラブがあってよさそうに思います。

Jリーグが「戦力均衡化」を唱えない理由。
野球とサッカーの育成と補強の構造の違いについて。比較対照する存在が生まれ、自らを相対化できるようになったことで、野球界はずいぶんと救われたように思います。

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100万ヒット記念・自選エントリ集(野球篇)

 当blogは3/24の未明に累計100万ヒットを記録しました。blogを開設したのは2004年8月ですが、アクセス解析を始めたのは2005年3月なので、ほぼ丸4年。ずっと熱心に見物してきた野球日本代表が2度目のWBC決勝を戦った日に到達したというのも、ささやかに心温まる暗合となりました。

 バックナンバーの参照にあまり親切でない造りの当blogですが、この機会に何度かにわけて、自分で気に入っていたり、節目となったエントリをご紹介します。昔話に興味のある方はどうぞ。まず野球関連から。

で、誰か大阪ドームに行ったのか?
球団合併問題が紛糾していた時期のエントリ。当時の世論に真っ向から反するアマノジャクな感じが、その後の芸風を規定している気が。blogを開設した途端に前代未聞の選手会ストライキが起こったことで、方向性が決まってしまった気もします。

英智はいつも途方に暮れている。
その後の英智は、ヒーローインタビューで微妙にブレイクしたものの、全体的にはあまり変わらない位置にいるあたりが好ましく思えます。守備のうまい若手が続々加入しているので踏ん張ってほしいところ。

落合博満『プロフェッショナル』ベースボール・マガジン社
書評の体裁をとった落合監督論、という感じです。

滑り込んだ松井。
松井のMLB一年目、レッドソックスとのリーグ優勝決定戦について。結局はあれがメジャーでのピークだった、なんてことにはなってほしくないのですが。

それでもまだ沈黙している人々。
選手会に批判的なエントリが多い当blogの中でも、特に嫌味な文章でした(笑)。裏金騒動における選手会の無力は、この延長上にあるのだと思います。

清原に見る「最後の昭和」。
ジャイアンツ末期の清原について。今読むと、何とも言えない結語ですが。

グールド進化理論が示すイチローの価値。
イチローのシーズン安打記録とグールドの進化論について。書評だか時評だかよくわからなくなってますが、そういうどっちつかずな文章を書くのが好きなようです。

ティノがブロンクスに帰ってくる。
ヤンキースの一塁手、ティノ・マルティネスについての感傷的な文章。彼が好きな方はどうぞ。続きもあります。

「中の人」の値打ち
楽天が、横浜のマスコットの中の人をスカウトした件について。この後、彼の力によって希代の名悪役Mr.カラスコが生まれたわけですから、楽天にとっては大ヒット人事でした。

上原君、頼むからカート・フラッドの名前くらい覚えてくれ。
上原君、果たして覚えてくれたでしょうか(笑)。

イチローは視線に脅えている。
イチローがシーズン安打記録を樹立したオフに文芸春秋に掲載されたインタビューについて。ここ1、2年でずいぶん彼は変わりましたね。第1回WBCでの経験が影響しているのかも知れません。第2回大会はどういう影響を彼に及ぼすか、楽しみです。

長嶋のいない4月、または「昭和33年体制」の終焉。
長嶋茂雄氏が病に倒れた翌年のシーズン開幕に寄せて。今季、日本テレビがジャイアンツ戦をほとんど中継しない、という現状は、まさに「ポスト長嶋期」なのだなと実感します。

ジーターを見ていればわかること。
タイトル通りのジーター評。熱心にヤンキース戦を見ていた頃でした(最近あまり見ていないのは、別に嫌いになったからではなく、地上波しか見られないマンションに引っ越したからですが)。先日のWBC対日本戦での悪送球には驚きました。

日本人がMLBの監督になる日。
今年、「ほぼ日」に掲載されたインタビューを読むと、ご本人、意欲が芽生えてきているようです。

「投げる文化遺産」の彼我。
遂に日本にもナックルボーラーが出現しましたね。舞台は関西独立リーグ、しかも女子。見てみたいものです。

斎藤雅樹が見せたエースの真価。
苦しかった試合を通しての斎藤論。「5点失っても6点目はやらない」というのは私の座右の銘のひとつです。

三角ベースの復権。
アフリカ野球友の会の活動は活発に発展しているようですが、国内小学生の草野球離れは…。

プロ野球に二軍は必要か。
暴論シリーズの代表作(笑)。江本孟紀氏とか豊田泰光氏とか、近いことを言う人も増えてきたようです(どっちが先だかよくわかりませんが)。

早熟の選手・遅咲きの指導者〜仰木彬氏を悼む。
この人こそ、代表チームを率いて世界で戦う姿を見たかった。忘れられない、忘れたくない方です。「35歳から53歳」の間にいる自分を叱咤激励するためにも。(この項、3/28に追加しました)

根本陸夫、最後の傑作。
根本氏については一度書いておきたかったので。存命なら城島の世界一を喜ばれたことでしょう。

「頑固な人」への信頼と懸念。
WBCアジアラウンド終了直後に書いた王監督論。その後発生した誤審への態度が、まさに「頑固な人」の真骨頂でした。

This is the YAKYUU.
第1回WBCの総括。いろいろありましたが面白く意義のある大会でした。

コミッショナーからのエアメール。
ある種の家宝になってます。その後転居したので、案内が送られてきたかどうかはわかりませんが。

「オレの魔球」を、もう一球。
朝日新聞の高校野球県大会の企画記事について。甲子園でもこの調子で報道したら、かなり好感が持てるのですが。

早実の斎藤はなぜ4連投しなければならないのか。
このblogでもっとも多くの人に読まれたエントリでした。今のところ斎藤も田中も大きな故障はないようで同慶の至り。

裏金を受け取るアマチュア野球側には、構造改革は必要ないのだろうか。
高校野球側にもいろんな改革の動きは出てきたようですが、「表に出して制度化」はまだ当分なさそうな感じです。

「756*」。
バリー・ボンズの通算本塁打記録達成に寄せて。結語を書いた時には、まさか彼もお仲間になっていたとは露知らず。ドーピング問題の陰からMLBはなかなか逃れられません。失われたのは10年どころではなさそうです。

禁句。
あまり結果で批判するのは好きじゃないんですが、北京五輪については、この点だけは許し難い思いでした。

代表監督は罰ゲームじゃないんですから。
最終的なセレクトについての感想は、最後の方に書いた通りです。

原辰徳ほどジャイアンツの監督にふさわしい人物などいるはずがない。
最後から2つめの文章は間違っていました。喜ばしいことに。

プロ野球におけるOver35世代の変遷の一例。
ちょっとした発見でした。こういう調査もの、やってみたいことはいろいろあるんですが手間がかかりすぎるのが難。

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ひょっとしてUSAにこそ野球を普及しなければいけないんじゃないか。

 最初に断っておきますが、「baseball」は「野球」に学べ、という話ではありません。念のため。

 WBCが始まる前には、前回と同様、「こんな大会に価値はない」「熱くなってるのは日本だけ」というような声がいろんなところから聞こえてきた。価値にはいろんな捉え方があるだろうから措くとして、蓋を開けてみて思ったのは、たぶん「熱くなってないのはUSAだけ」というのが正しいんじゃないだろうか(ま、南アフリカあたりも国を挙げて熱くなってるなんてことはないだろうけど)。

 ベスト4に残った日、韓、キューバはもとより、プエルトリコやベネズエラといった国々では、相応に高いモチベーションをもって大会に臨んでいたように思う。イタリアやオランダは、MLBおよび傘下チームの選手だけではなく、自国の国内リーグの選手も結構いたけれど、メジャーリーガーで固めた国と渡り合っていたのは驚きだった。欧州で開かれる次の五輪で野球が行われないのは残念だ。

 チームUSAにも、有力選手が参加してないとか、準備期間が全然なかったらしいとか、チームとしてのまとまりがないとか、いろんな問題はあるけれど、日本との試合を見ていていちばん印象的だったのは、ほとんど白人ばかりだったことだ。ジーターのほかにはロリンズとグランダーソンくらいか。ま、ハワードやデレク・リーが辞退したせいでもあるが、そのリーやケン・グリフィ、ランディ・ウィン、バーノン・ウェルズらが主軸に並んでいた前回とはだいぶ印象が違う(A-RODもいたからか)。
 「アメリカでは黒人の野球離れが進んでいる」という報道をここ数年、目にするようになったが、どうもそれは深刻なのではないか、という気がしてきた。

 「野球離れ」の理由として挙げられるのは、主として経済的な理由だ。都市部の貧困層にとって、野球は道具に金がかかるし、そもそもグラウンドがない。ボールひとつあれば路地裏でできるバスケットに人気が集まるのは当然でもある。
 また、プロ入りしてすぐに大金を稼ぐ、という点ではアメリカンフットボールやバスケットの方が有利らしい。NFLやNBAの事情はあまりよく知らないのだが、野球では大学卒のルーキーがいきなり活躍することは少ないし、最初のうちは報酬額も抑えられてしまうから、人生設計としてリスクが大きいのは確かだろう。

 USAの国内リーグは、ありとあらゆる人種が参加して、世界最高レベルでの野球が繰り広げられている。だが、そのプレーを担う選手のかなりの部分は、世界各国から集まっている。
 日本から見ていると<MLB=アメリカ>だけれども、<アメリカ>だと思っていたものから各国の選手を取り除いて残ったのが、あの<USA代表>だ。有力選手が大量に辞退したのは確かだが、それはドミニカやベネズエラも同じこと。

 世界中からかきあつめた選手たちのおかげで普段は見えにくいけれど、USAの実態は各国に比べてそれほど突出したものではない、というのが、今大会で明らかになったことのひとつのように思う。
 日本でも子供の野球離れが懸念されているが、USAの青少年の野球人口はどう推移しているのだろうか。子供たちは今も父親とキャッチボールをしているのだろうか。そういう風景自体がすでに神話なのだろうか。ご存知の方がいらしたらご教示ください。

 懸念されるのは普及の面だけではない。
 無限に上昇するかと思えたMLB選手たちの報酬も、さすがにこの不況で頭打ちになりつつはあるようだ。もともと一部の球団を除けば決して儲かってはいないとされる(そんなはずはない、会計上のカラクリだ、という見方もあるようだが)だけに、経営が厳しくなる球団も出てくるかも知れない。
 MLBの収益構造を支える柱のひとつは地元自治体だ。豪華な球場を自治体に(造ってくれなきゃ出て行くぞ、と脅して)造らせ、それを独占的に使用して、なおかつ球場を用いた商売(売店その他)の収益は球団が手にする、という、日本のプロ野球経営者から見れば信じられないほどおいしいビジネスモデルがあるわけだが、これだけ税収が落ち込むご時世に、自治体がこれまでのような負担をしつづけてくれるのかどうか。
 MLB機構の幹部たちからは、WBCのビジネス的成功を寿ぐ談話ばかりが聞こえてくるが、普及の面でもビジネスの面でも、少し足許を見直した方がよいのではないかと他人事ながら心配になる。

 MLBが揺らげば世界中が揺らぐのが、残念ながら今の野球界の実状だ。しっかりしていてもらわなければ困る。
 いや、ホントは、MLBに隙があるなら世界の有力選手をさらってきて主導権を奪おう、というくらいの元気がNPBにあってくれると嬉しいのだが。
 日本代表チームは、寄せ集めたコーチ陣と選手たちがひとつになってチームとして有機的に機能し、世界一を勝ち取った。
 NPBの偉いさんたち、いや、アマチュアも含めた野球界の競技団体幹部たちは、今こそ彼らに見習って「チーム」を目指してほしい。まずは監督人事に習って、若返りから始めてみたらどうか。アメリカ野球は日韓に学べ、と書いたアメリカの報道を見て満悦している場合ではない。って、最後は日本の話になってしまいましたが。

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終わりよければすべてよし(増補版)。

 昨日は中身のないエントリを大勢ご覧いただいたようで失礼しました。

 普段の私なら、試合が終わったところで、何か落ち着き払って恰好つけた文章を書こうとするのだろうが、昨日ばかりは何も湧いてこなかった。ただただへたりこんで言葉がない、そんな心境だった。
 試合前は、また韓国とかよ、もう見飽きたよ、という気持ちもあったはずだが、試合が進むにつれてどんどん前のめりになっていった。そんな人はたぶん日本中に大勢いたのではないかと思う。いいことも悪いこともあったが、決勝戦にふさわしい立派な試合だった。

 ともあれ日本は再びワールドベースボールクラシックの頂点に立った。
 アメリカに敗れ、韓国に1勝2敗と負け越した前回は、レギュレーションに救われた面があったことは否めない。
 だが、今回は違う。韓国には3勝2敗、キューバに2勝無敗、USAに1勝無敗。五輪で優勝経験があり、昨年の北京五輪で日本を上回る成績を残した3か国にすべて勝ち越している。何の瑕疵もない、堂々たる優勝だ。それが嬉しい。

(またしてもドミニカとやれなかったのは残念だが、一次ラウンドであっちが消えてしまったのだからどうしようもない。ちなみに韓国は今回、キューバともUSAともやらずに決勝に進んだ。別に彼らのせいではないが、幸運だったとは言えそうだ)


 試合が終わった後は、そのまま夜中まで仕事をしていて、帰宅が夜のスポーツニュースにも間に合わなかったので、試合後のインタビューで監督や選手たちが何を喋っていたのかはよく知らない(あの雰囲気は好きなので残念だ)。
 ただ、グラウンドでイチローが受けていたインタビューだけはテレビの前で聞いていた。同点の延長10回、二死一、三塁で打席に入った時の心境を聞かれて、彼はこんなことを話していた。

<日本からの視線が凄いことになってるだろうなと、自分の中で実況しながら打席に入って、そういう時は結果が出ないものなんですが、ひとつ壁を越えたな、と>
<球場に来てくれた皆さん、日本で見ていてくれた皆さん、すべての人に、ありがとうと言いたい>

 このblogに長く付き合ってくださっている方は、4年前の3月に書いた<イチローは視線に脅えている。>というエントリをご記憶かと思う。当時、文芸春秋に掲載されたインタビューの中で、彼は<日本からの目というのは脅威ですよ>と繰り返し語っていた。その後、第1回WBCの経験なども加わってか、だいぶディフェンスの鎧を緩めた印象はあるものの、基本姿勢は大きくは変わっていない。

 そんな面からイチローを見続けてきた者にとって、この談話には感慨深いものがあった。大袈裟に言えば、あの打席こそ、彼が視線恐怖症を克服した瞬間だったのかも知れない。

 レギュラーシーズンが始まれば、彼は再び日本のメディアに追い回されることになる。昨シーズンにやり残した「張本勲の通算安打数3085本を抜く」という局面がすぐに訪れるからだ。差は2本だから、開幕戦から期待が集まるだろう。
 彼がそこをすんなりと乗り越えられるようであれば、今シーズンの彼のプレーは、かなり楽しみなものになる。

 そして、就任前から大会中までとやかく言われ続けた原監督。
 試合中の采配は、必ずしも最良の選択ばかりをしてきたとは言えない。決勝戦でも残塁の山を築き、原自身が<うまい監督さんならもう少したくさん点を取れたでしょう>と認めている。

 試合中の作戦はもちろん大事だ。だが、監督の仕事はそれだけではない。
 大会中、前の試合から先発メンバーを入れ替えたケースで活躍した選手は多かった。野手では、スタートは悪くとも大会中に調子を上げていった選手は何人もいたし、途中で著しく調子を崩した選手はいなかった。
 13人連れていった投手のうち、まったく使えなかった投手は1人もいなかったし、<本来は僕がいる場所じゃないが、球児さんが心の持ち方をアドバイスしてくれた>という決勝戦後のダルビッシュの言葉に見るように、選手同士が助け合うチームになっていた。

 原が具体的に何をしたのかは知らない。投手陣については山田・与田両コーチに負うところも大きかったに違いない。
 だが、監督は結果のすべてに責任を負う立場である以上、評価もまた結果によって下されるべきだ。

 原監督は素晴らしいチームをまとめて世界一に導いた。
 それがただひとつの結果だ。誰にも覆せない。

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終わりよければすべてよし。

 原監督、スタッフ、選手たち。結果の出せなかった選手も含めて、みんなよく戦った。
 今度こそ瑕疵のない世界一だ。おめでとう!

 今はそれ以上言うことがありません。続きは後ほど。さ、仕事しなきゃ(笑)。

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チルドレンが巣立つとき。

 イチローチルドレンという言葉があった。
 2006年に開かれた第1回WBCでのことだ。川崎、西岡、青木。今江も入っていたかどうか。彼らが野球少年だった頃、すでにイチローは史上初のシーズン200安打を達成したスーパースターだった。イチローに憧れて育った彼らがプロ入りし、一軍の試合に出るようになった時には、すでにイチローは海の向こうの人だった。
 その憧れのヒーローと同じチームで野球ができる喜びに溢れた彼らは、生まれたてのアヒルが母の背中にくっついて歩くがごとく、いつもイチローにくっついて歩いていた(らしい)。そんな彼らをメディアがイチローチルドレンと名付けた。

 年齢差は10歳もないのになぜチルドレンか、と今になれば違和感を抱くが、当時は、その半年前の“郵政民営化選挙”で衆議院に大量当選した新人議員たちが「小泉チルドレン」と呼ばれて政界の一大勢力をなしていた頃だったから、そこから命名されたのだろうと容易に想像はつく。
 政界のチルドレンの多くはその後、庇護者を失って迷走を続けているが、野球界のチルドレンは、憧れのイチローと成し遂げた世界一の勲章もきっかけと励みになったのだろう、以後もそれぞれに成長し続けている。
 
 
 
 世界大会なのにどうして同じ相手とばかり何度も試合をしなければならないのかとか、ラウンドの初戦を勝ってもあんまり有利にならないのが釈然としないとか、ラウンドの最終戦は常に順位決定のためだけに行われるので気合の持っていきどころに困るとか、試合をするたびにダブルエリミネーション方式に翻弄されながらも(といってもこれは全部見てる側の感想で、やってる選手はまた違うのかも知れないが)、日本代表は第2ラウンドでキューバを再び倒し、どうにかベスト4の一角にまでたどり着いた。

 6試合で4勝2敗。日本をここまで導いた最大の要因は間違いなく安定した投手力だ。
 一方で、事前報道では絶対的なリーダーであるかのように扱われていた(そして彼自身もそのように振る舞っていた)イチローが極端な不振に陥っている。韓国との2試合はいずれもそこそこ走者は出るものの、進められず還せず、ひとたび先制を許すと、その重苦しい雰囲気のまま、ずるずると押し切られてしまう。そんな負け方だった。圧倒されたというわけではないだけに、一番打者の不振の影響は大きいように思える。このまま日本が大会から消えれば、戦犯扱いされることは避けられなかっただろうし、彼自身も大会前から、勝ち負けに責任を持つべき立場の人物がするように振る舞っていたのだから、そういう思いはあっただろう。
 春先はさほど打率が上がらないのが常とはいえ、イチローがここまで打てない姿は見た記憶がない。日本ラウンドでは不振だったものの、アメリカに渡って初戦のアメリカ戦の第一打席でいきなりホームランを放ち、以後はチームを牽引した前回大会とはかなり様相が異なっている。

 そして、チルドレンの3人もまた、3年前とは違う春を過ごしつつある。
 二塁手のレギュラーとして活躍した西岡は、そもそもこのチームに選ばれず、千葉ロッテの一員としてシーズンに備えている。二塁の岩村、遊撃の中島がそれぞれ相応の結果を出しており、今のところ西岡不在を穴とは感じさせない。ただ、手足が縮こまったような野球をしてしまった韓国との2試合では、よい意味で空気を読まない西岡の存在が突破口になったかも、と感じさせなくもない。

 西岡と二遊間コンビを組んで、やはりレギュラーだった川崎は、今大会では主にベンチに座っている。彼が守れる遊撃と三塁では、中島と村田がそれぞれにいい仕事をしているから、控えに回るのもやむなしとはいえる。ただ、渡米後の発熱で中島が欠場した時、代わってスタメン起用されたのは、西武では二塁を守る片岡だった。いかに足が速いとはいえ、川崎だって盗塁王経験者だ。屈辱的ともいうべき起用(正確には不起用)にもかかわらず、川崎はベンチの中できわめて高いテンションを保ち、守備から帰ってくる選手たちを迎えたり、イチローのキャッチボール相手を務めている。持ち味は違うけれど、彼なりに、前回大会で宮本慎也が果たしていたような役割をしようとしている。

 そして、まぎれもなく今大会の日本打線の中心にいるのが青木だ。ほかの打者が打ちあぐむ投手を攻略し、安打を重ね、好機ではランナーを還している。
 前回大会の彼は、前年にイチロー以来の200安打を記録したとはいえ、まだ売り出し中の若手だった。控えとしてベンチに座ることが多く、先発に起用された試合でもよい結果を出せなかった。優勝はしたけれど、充実感は物足りなかったのではないかと思う。その後の3年間、彼はレギュラーシーズンで好成績を続けた。北京五輪の予選と本大会にも出場し、今度は活躍した。そして今、少なくとも最初の6試合で、青木は誰よりも見事な打棒を見せている。
 
 
 3年前は、イチローに憧れ、仰ぎ見て、背中からついていくばかりだった若者たちが、今はその“父”の不振を補っている。イチローが打てなくても、青木が打つ。イチローは黙っていても、川崎がチームを鼓舞する。
 そして、彼らの少し上の世代である村田は、試合に出ているうちにだんだんと4番打者らしくなっていき、少し下である中島は、北京五輪に続き、緊張を感じさせないプレーを見せている。そんな彼らを見ながら、片岡や内川が緊張しつつも相応の結果を出している。
 下位をがっちりと固めている城島や岩村に支えられ(福留はもう少し打ってもいいと思うが)、20代半ばの中堅選手たちが苦しみながら戦って、日本は勝ち上がってきた。
 イチローがダメでも周囲がカバーして得点を挙げ、準決勝まで勝ち上がったということ自体が、この大会の最大の成果であるように私には感じられる。
(投手陣も見事だが、こちらはもともと評価が高いので)

 第1回大会で打線を牽引したイチローにしても松中にしても、今から見ればキャリアのピークにあった時期だ(これからまた上昇する可能性は否定しないけれども)。
 一方、今大会で上位打線を打つ彼らは、まだまだ成長途上にある。年齢的にはベテランに近づきつつある村田にしても、伸びしろはありそうだ。
 そういう選手たちが、この大会を足がかりに、さらに飛躍してくれるのなら、日本野球にとってこれほど嬉しいことはない(西岡や今江においては、出られなかったことを足がかりに。サッカーの世界では、あるワールドカップに選ばれそうで選ばれなかった選手が、次のワールドカップでチームの中心にいる、という事態はしばしば起こる)。

 と同時に、次の五輪で野球が採用されず、日本代表が真剣にタイトルを争う大会が4年後までこないことを考えれば、そこで主力となるであろう世代の選手たちが中心となって勝ち上がってきたことの意味はとても大きいと思う。
(今大会で活躍している20代の選手のほぼ全員が北京五輪経験者だというのは偶然ではないのではないか)
 イチローが額面通りに打ちまくって勝ち進むことよりも、ここまでの現実の方が、はるかに価値が高いと私は思っている。


 仰ぎ見ていたイチローの背中に、チルドレンと呼ばれた選手たちは、着実に近づいている。いつかは父を乗り越えなければならないのが子供の宿命だ。彼らの目に、イチローの背中は、間違いなく3年前とは違った見え方をしているに違いない。

 そして、あとは「父」が意地を見せてくれれば、もう何も言うことはない。
 イチローは、プロ入りして一軍で試合に出るようになってこのかた、「自分が打ってチームが勝つ」「自分は打つけどチームが勝てない」という状況は何度も経験してきたはずだが、「自分は打てないけど周囲が頑張ってチームが勝つ」というのは35歳にして初めての体験ではなかろうか。
 この事態を彼がどのように消化していくかは興味深い。過剰な自意識から解放され、「みんなのおかげでここまで来られた」というような言葉を口にすることができるようになった時、彼はまたひとつ違うステージに立てるのではないかという気もしている。もっとも、そんな期待をすることは、天才を凡人のステージに引きずり下ろすような類いの過ちなのかも知れないが。
 

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完全なるホーム。

 イチローがライト前に彼自身の大会初安打を放つと、スタンドの観客の半分くらいが立ち上がった。
 というのはたぶん私の錯覚で、実際には2割か3割くらいだったかもしれない。だが、そもそもイチローが登場してきた時点から、場内の空気は異様なほど高揚していた。

 試合開始直後の一回表。冷静に考えれば、単なる無死一塁だ。試合の先頭打者を出塁させてしまうことは、先発投手にとって、よい状況ではないけれど、とりたてて珍しい状況でもない。韓国の先発投手、キム・グァンヒョンだって経験はあるはずだ。
 だが、今夜のそれは、キムにとって絶対絶命のピンチのように感じられたのではないだろうか。今夜の東京ドームは、それほどの雰囲気、それほどの圧力だった。
 だから、続く中島の安打、青木の先制打、そして大会初登場の内川が三塁線を抜いたタイムリー二塁打は、観客の後押しによって生まれたといっても過言ではないと私は思っている。その後も積み重ねた計14本の安打と14の得点のすべても。

 村田は試合後のお立ち台で「野球選手として幸せです」と話していたが、それはそうだろう。本塁打を打った次の打席からの村田への声援はイチローに次ぐものだった。彼のプロ野球人生で、スタンドのほぼ全方位が自分を応援しているという体験は、空前のものだったに違いない。

 3年前の第1回大会の時にこのブログを訪れていた方は、東京ラウンドの終了時に、私が観客席のヌルさ加減を批判するような文章を書いたことをご記憶かも知れない。スタンドが埋まったのは韓国との試合だけだったし、その韓国戦では、日本での試合にもかかわらず、韓国側の応援に圧されていた。

 だから今夜、東京ドームで自分の席について満員のスタンドを眺めた時には驚いた(中国戦がほぼ満席だったことにも驚いたが)。韓国の応援団は左中間にこぢんまりと集まり、あとは三塁側に数カ所の島があるだけ。あのカンカンと甲高い音を立てる棒状の風船を両手に持った韓国サポーターは、全部で1000人もいなかったのではないかと思う。

 東京ドームのスタンドは、一周360度のうち350度くらいまでが日本を後押ししていた。集まった人たちは、見物ではなく応援に来ていた。ライトスタンドの応援団のリードに応じて、多くの観客が声を挙げ、手を叩いた。これほどの大差にもかかわらず、試合終了まで席を立つ人はごく少数だった。それどころか、ほとんどの観客が、試合後のヒーローインタビューまで残っていた。
 今夜の東京ドームは、これ以上ない、完全な日本のホームだった。3年前とはまったく違う。第1回大会に優勝したことの意義を、改めて実感した(もちろん北京五輪での経験も影響しているのだろうけれど)。

 2003年に行われたアテネ五輪予選以来、日本が国際大会のアジアラウンド(または予選)を戦うシリーズを現地で観戦し続けて4大会目になるが、これほどひとつになったスタンドを初めて経験した。それが嬉しい。
 
 原監督にはイチローを三番に置く構想もあったようだが、日本での試合では一番に置いて正解だったと思う。イチローが出てきた時の盛り上がりには異様なものがある。相手チームの先発投手は、最も神経をつかうであろう初回の第一球から、いきなり大ピンチのような気分に追い込まれるのだ。これほどやりづらい状況はない。
 イチローが打席に立つ時、観客がシャッターを押すカメラのストロボが、スタンドをまるでスパンコールのような状態にする。私はできるだけ発光を控えてほしいという立場をとっているけれど(写真撮ってもいいけど発光しない設定にはできるはずだ)、現実にはイチローの打ちづらさ以上に、相手投手が投げづらいんじゃないかとは思う。


 このような状況を韓国サイドから見れば、2大会続けてアジアラウンドを日本でやることは、理不尽に思えるかも知れない。前回大会では日本に2勝1敗だったし、別の大会とはいえ北京五輪では優勝しているのだから、もっと尊重されるべきだ、と彼らが考えたとしてもおかしくはない。
 WBCは、わけのわからないうちにレギュレーションが決まっていることが多く、日本ではMLBを批判する声が強い大会だが(もちろん正当な批判だけれども)、この点においては、日本代表は「わけのわからないうちに決まるレギュレーション」のメリットを大いに享受している、ともいえる。


 この勝利で日本は2次ラウンドへの進出を決めた。
 アジアラウンドはまだ1試合残っているから、チーム状態について軽々しいことは言えないが、よほどのことがない限り、アメリカでの2次ラウンドに落ち着いて入ることができるだろう。
 この2試合で石原捕手を除く野手全員が何らかの形で出場し、投手も岩隈、内海、小松を除いた10人が登板して、まずまずの内容の投球をした。当たりの出ていない打者が何人かいるものの、打線につながりが生まれ、ほぼ全員がゲームに入った状態で次に進めるのは、よい傾向だ。第1回大会のレギュラーだった川崎が、ベンチにいながらも懸命に盛り上げているのがよくわかる。

 スタンドはひとつになった。チームもおそらく、その方向に進んでいる。

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