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2009年4月

プロ野球監督と学歴。

 このところ、古いエントリにコメントがついて、プロ野球の育成力について延々と議論をしているのだが、その過程で思い出したテーマがいくつかある。

 以前、別のエントリで「高卒と大卒、どちらが有利か」「高卒かつドラフト下位でプロに入ることにはリスクが大きいのではないか」というような議論をしたことがあった。この件については、少し前に読んだ泉直樹『ドラフト下位指名ならプロへ行くな!』(実業之日本社)という本がさまざまな材料を提供してくれている。本自体の結論としてはタイトルの通りで、とりわけ高卒選手においてのリスクは大きくなっている、というのが著者の考えのようだ。

 では現役を退いた時にはどうなのか、という疑問もある。他の世界に転じる場合はともかく、プロ野球界の中で、いわゆる背広組の仕事に就く上で、学歴が関係する局面があるのだろうか。
 豊田泰光氏が「球団フロントに残るには大卒が有利」とか「仰木がなかなかGMになれなかったのは高卒だから」というようなことを書いているのを読むと、実際にそうなのか、といささか気になってくる。
とはいえ、球団職員としてどんな選手OBが球団に残っているのかは、部外者にはなかなか把握しづらく、調べるのは難しい。

 では、公になっているところで、監督の学歴はどうなんだろう。
 選手が引退後に球団内でする仕事の最高位といえば、ユニホーム組では監督だ。もし各球団に学歴重視という傾向があるのなら、そこにも反映されているんじゃないだろうか。

 今年の12球団の監督のうち、アメリカ人2人を除く10人を高卒組と大学・社会人出身組に分けると、次のようになる。

●2009年 4:6
<高校>渡辺久信、梨田昌孝、野村克也、秋山幸二
<大学・社会人>大石大二郎、原辰徳、真弓明信、落合博満、高田繁、大矢明彦

上述の『ドラフト下位指名なら…』によると、1980年から2007年までの間にプロ入りした選手の出身カテゴリーは高卒949人、大卒449人、社会人585人だそうだから、高卒:大学・社会人出身の比率はおよそ48:52になる。現在の監督の構成比は、そこから大きく外れてはいない(実際には80年より前にプロ入りした監督が半数を占めるが)。

では、遡ってみるとどうだろう。5年刻みに調べてみた。

●2004年 4:6(アメリカ人2名を除く)
<高校>堀内恒夫、伊東勤、王貞治、梨田昌孝
<大学・社会人>落合博満、若松勉、岡田彰布、山本浩二、山下大輔、伊原春樹

●1999年 4:8
<高校>野村克也、王貞治、東尾修、仰木彬
<大学・社会人>星野仙一、長嶋茂雄、権藤博、若松勉、達川晃豊、上田利治、佐々木恭介、山本功児

●1994年 6:6
<高校>高木守道、三村敏之、野村克也、森祇晶、仰木彬、鈴木啓示
<大学・社会人>長嶋茂雄、中村勝広、近藤昭仁、根本陸夫、八木沢荘六、大沢啓二

●1989年 2:10
<高校>森祇晶、仰木彬
<大学・社会人>藤田元司、山本浩二、星野仙一、関根潤三、村山実、古葉竹識、上田利治、杉浦忠、近藤貞雄、有藤道世

●1984年 4:8
<高校>王貞治、稲尾和久、岡本伊三美、植村義信
<大学・社会人>古葉竹識、山内一弘、安藤統男、武上四郎、関根潤三、上田利治、広岡達朗、穴吹義雄

●1979年 3:8(アメリカ人1名を除く)
<高校>中利夫、梶本隆夫、広瀬叔功
<大学・社会人>古葉竹識、別当薫、長嶋茂雄、広岡達朗、西本幸雄、大沢啓二、山内一弘、根本陸夫

疲れてきたのでこのへんでいったんやめるが、どうやら傾向ははっきりしている。

<大学・社会人>のカテゴリーには高校から社会人を経てプロ入りした人もいるから、必ずしも「大卒優先である」とは言いきれない(実際には大学を卒業していない人が結構いるという話もあるし)。
だが、「高校から直接プロ入りした監督」が少数派である年が多いことは明らかだ。しかも、調べた範囲では、古い方がその傾向が強く、今はそれほどでもない。
実力の世界と言われるプロ野球でも、実力が計りづらい分野では学歴が影響する余地がある、ということだろうか。正直なところ、ここまで差があるとは、調べてみるまで気付いていなかった。

この件、もう少し調べてみようかと思っている。

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夢枕獏「東天の獅子/天の巻・嘉納流柔術」(全4巻)双葉社

 夢枕獏は「魔獣狩り」で売り出した頃に何冊か読んだが、熱心な読者ではない。格闘技については、経験もないし、熱心な見物人というわけでもない。格闘小説についても然り。

 というわけで通常なら守備範囲外の本書だが、講道館柔道の始祖・嘉納治五郎について少し調べたことがあり、以来、関心が持続していた。講道館の草創期を描いた小説と知って手に取ってみた。

 単行本4冊を、一週間もかからないうちに一気に読み切った。それほど面白い。
 戦後、木村政彦がブラジルで前田光世の弟子と闘うプロローグに始まり、嘉納が講道館を創設した頃から、その名を天下に知らしめた警視庁武術大会での他流派との戦いあたりまでを描く。史実に基づいた小説、という形をとっているが、相当によく史料を調べていることを伺わせる。

 いわゆる講道館四天王をはじめ、九州や千葉の古流柔術家たちのキャラクターの強烈さ、その魅力は、著者が後書きで書いている通り、<時代小説の剣豪もの>の趣がある。格闘場面の迫力には凄まじいものがあり、互いに人体を破壊していく描写には紙面から目を背けたくなるほどなまなましいけれど、同時に、彼らがその凄絶な戦いを通して自分を、互いを見出していく喜びが存分に描かれている。

 嘉納治五郎が、彼のよき理解者であり後援者でもある勝海舟に<この時代遅れの柔術が、鉄砲より優れているものを持っているのです>と語る場面がある。

<敵である相手を敬い、相手のことを思いやる気持ちです>

<銃で、離れたところから相手を撃ち殺すのでは、絶対に伝わらぬものがあります。互いに、相手の身体に触れ、相手の力や技をその身に受けることで、相手がこの日のためにどれだけの研鑽を積み、どれだけの努力をしてきたのか、それがわかるのです。それは、自分がやってきたことだからです。自分と同じものに、相手も耐えて、そしてこの場に立ち今自分と向きあっているーーそれがわかれば、それは、自然と相手への尊敬の念にかわりますーー>

<今、西洋から、海を越えて新しいものや新しい考え方が、この国が消化できぬほどの速さで入ってきています。その時、わが日本国が忘れてならないのは、この日本人の精神です。そのためにも、今、柔術が必要なのですーー>

 この精神が、夢枕が描く試合場面のすべてに通底しているのだろう。だから、どんなに凄惨な戦いにもカタルシスがある。

 この対話の中で、嘉納は勝から<おまえさんが、新しいことをやろうってえ言うんなら、そいつを、新しい名前で呼ぶのがいいかもしれねえ>と、「柔道」の名を贈られる(もちろん、史実ではなく著者の創作だと思うが(笑))。
 
 
 当blogの講道館柔道に対する関心事は、前述のエントリの経緯から、主に嘉納の政治力にあるのだが、もちろん著者の関心は格闘にあるので、政治力方面の記述はほとんどない(二度の警視庁武術大会をクライマックスとしているので、話がそこまで行っていないせいもある)。
 ただ、講道館が初めて武術大会に参加するにあたって、投げ技での一本を認めさせる、といういきさつが描かれている。当時の柔術界では、投げ技は寝技や絞め技に持ち込むための過程と考えられ、投げだけで決着がつくことはなかった。しかし、講道館だけは、投げ技によって勝敗が決まるというルールをとっていた(野外で戦い、固い地面や岩に投げつけられれば、それで戦闘能力は失われる、という理由による)。
 嘉納は大会の前に警視総監に談判し、野外であったら戦闘能力が失われるであろう投げられ方をした場合は一本と認める、という合意を得た。これもまた、畳の外での戦いであることは言うまでもない。
 
 
 講道館以前の柔術は、流派の技は門外不出であり、相手の知らない技を持っていることが有利になる世界として描かれる。また、それまで本土ではほとんど知られていなかった琉球空手に接した時の柔術家たちの反応も興味深い。
 
 つまり、この時期の柔術(柔道を含む)は、それ自体が総合格闘技であり、他流派との試合は異種格闘技戦と捉えることができる。
 著者はあとがきでこう書いている。

<このところ柔道はJUDOとなって、嘉納治五郎が始めた頃、頭に思い描いたものとは大きくかけ離れたものになっている>
<柔道には、歴史の中に消えていった、あるいはゆこうとしている多くの古流柔術に対する責任があると思うのである。
 柔道が、世界に広まるためにJUDOとなってゆくのはしかたがないとしても、それとは別に、一年に一度か、二年に一度くらい、当時の柔術に近い柔道のルールを作って、講道館で大会を開催していただきたいと思っているのである。誰でも、どの競技の人間でもこれに参加できるものになればいいと思っている。当然、ぼくにとっては、こちらの大会の方がオリンピックよりも上位概念となる。
 そうでないと、日本柔術の多くの技や形、精神までが滅んでしまうのではないか。>

 柔道とJUDOは違う、という表面的な言葉は多くの柔道家と似ているが、夢枕のベクトルはたぶん彼らとは逆方向を向いている。「柔道」という世界に引きこもるのではなく、JODOをも飲み込んだ大きな概念として柔道を捉えている。
 それは魅力的な考え方だ(実際にやる人には大変だろうけれど)。そして、嘉納の歩んだ道は、夢枕の考えに近いのだろうと思う。

 あとがきによると、本書は次の4つの小説の構想をのみこんだものになるらしい。

1)講道館創成期の物語
2)明治大正における、日本にやってきた外国人格闘家との異種格闘技戦の物語。
3)コンデ・コマこと、前田光世の物語(『東天の獅子』)。
4)コンデ・コマ以外の、海外へ渡った日本人格闘家の物語。

 3)を書くつもりで始めたら、1)の部分が膨らみすぎて、とりあえずそこまでで区切りをつけたのが、この「天の巻」4冊。2)3)4)は、いずれ「東天の獅子/地の巻」として書かれるという。私は特に4)に関心がある。
 数多くの連載を同時進行させ多忙を極めているであろう作家のことだから、いつになるのかわからないが、「地の巻」を楽しみに待つことにする。

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見物人の節度。(再録)

 いずれはこういうことも起こるのではないかと懸念してはいた。

プロ野球観戦中にファウル直撃 男性が楽天など提訴

仙台市宮城野区のクリネックススタジアム宮城で昨年5月、プロ野球の試合を観戦中にファウルボールが右目に当たり、失明寸前の大けがを負ったとして、宮城県大崎市の税理士の男性(47)が7日、球場を所有する県と球団を運営する株式会社楽天野球団に対し、約4400万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。

 訴状によると、男性は昨年5月18日、同球場の3塁側内野席で家族と試合を観戦中、楽天の打者が打ったファウルボールが右目を直撃。右目眼球破裂とまぶたを切る重傷を負い、今年3月23日まで通院治療を行ったが、以前は裸眼で0・3だった視力が0・03まで低下するなど回復しなかったという。男性が座っていた席には防護ネットなどは張られておらず、ライナー性の打球がそのまま男性の目に当たる形になった。

 担当の弁護士によると、男性は「ビールを席の下に置いて顔を上げたら、目の前にボールがあった」と話しているという。>(産経新聞より)
 
 
 ケガをした男性には、気の毒なことだったとは思う。不幸な事件だ。
 具体的に彼がどのような席に座っていたのかはわからないし、クリネックススタジアム宮城のフェンスが今どうなっているのかも直接は知らない(私があそこを訪れたのは、まだフルキャストと呼ばれていた2005年が今のところ最初で最後だ)。

 ただ、一般論として言えば、防護ネットのない席に座るのがどれほど危険なことなのか。強い打球が直接飛び込んでくる危険がゼロに近い席がほかにたくさんあるはずなのに、あえて防護ネットがない席に座ることがどんな意味を持つのか。そこに座る観客には自覚してもらいたいという思いはある。

 東京ドームの内野ネットの内側に設けられたエキサイトシートはとても人気のある席だが、当然ながら強いファウルボールが直撃する可能性がある。そこではすべての座席にヘルメットとグローブが用意されているのだが、先般のWBCで3試合続けてすぐ後ろから見た時には、ヘルメットを着用しない観客がかなりの割合に及んでいた。ヘルメットをつけないまま、インプレー中に後ろ向きで子供の世話をしている若い母親もいて、見ている方が冷や冷やした。
 
 
 プロ野球のフランチャイズ球場が、グラウンドと客席を隔てるネットを外したり、下げたり、ネットの内側に客席を設けたり、フェンスを低くしたりということを一斉に始めたのは、近鉄が消滅し、楽天が誕生し、球団も選手会も声を大にしてファンサービスを唱えた2005年シーズンのことだった。

 その頃にこのblogに書いた<見物人の節度。>というエントリがある。後半でこの話題を扱っている。
 今読み返しても、私の言いたいことはほぼ書き尽くされているので、後半部分を再録する。

 今回の事件で野球界の側に足りなかった点があるとすれば、ここでいう「社会的合意」を形成するための努力だったのだろうし、今後取り組むべき方向もそこにあると思う。

********************************

(前略/冒頭はMLBについての話です)

 ネットがなければ、観客自身にも危険がある。一、三塁ベースの斜め後方あたりの客席には、痛烈なライナーのファウルボールが飛び込む。それもジアンビーやプホルスの打球である。並みの速さではない。ボールに当たってケガをする人がいないはずはないと思うが、それが大問題になったという記憶もない。「熱いコーヒーをこぼして火傷したのは店の責任」などという理不尽な訴訟がまかり通る国なのに、野球場でのケガに関する訴訟が大きな話題になったという記憶もない。

 たぶん、アメリカ人にとっては、「野球というのは、そういうもの」なのだろう。理屈ではなく、昔からそういうものだと決まっているのだ。時にはプレーの邪魔をする不届き者がいたり、打球に当たってケガをする不運な人がいたりもするけれど、だからといって野球を「そういうもの」でなくしてしまうことはできない。それが関係者にとっての、あるいは国民にとっての合意なのだろう。

 日本でも今シーズンから、ネットのない観客席を設ける球場が増えてきた。
 従来のスタンドの内側に、防護ネットのない内野席エキサイトシートを設けた東京ドーム。内野席のネットをなくした横浜スタジアム。フルキャスト宮城でも、外野のファウルグラウンドを極端に狭くし、フェンスを低くしている。
 メディアはこれらの試みを「グラウンドと観客を一体化する」と好意的に伝えている。私もいずれ座ってみたいものだと思っている。
 だが、これらの席には、いつか必ず痛烈なライナーが飛び込む。一定の確率でケガ人が出ることは避けられない。清原やローズがフルスイングした打球を、誰がよけられようか。また、選手が捕るべきボールを先につかんでしまう不心得者も、いずれ現れることだろう。

 そんな事件が発生した時が正念場だ。球団や球場は、自分たちの決断を疑わずにいられるだろうか。メディアは、掌を返して「主催者の管理責任」を追及するいつもの習慣を、我慢できるだろうか。
 それはつまり、我々は「野球というのは、そういうものだ」という合意を形成できるだろうか、ということでもある。

 観客はボールの行方から一瞬たりとも目を離さず集中すべきだ、選手と一緒に戦え、ビールなど飲んでいる場合ではない等々と主張する「ネット不要論者」も世の中にはいるようだが、すべての観客がそうあるべきだとは、私は思わない。野球はそもそも退屈な時間の多い見世物であって、ビール飲んで弁当食って友人たちとお喋りしながら見物するにも適している。そういう楽しみを否定してしまうのは惜しい。
 それに、実際にスタンドに座って見ていると、ファウルボールが近くに飛んできた時、アメリカの観客はほぼ例外なくボールをつかもうと争うけれど、日本の観客は必ずしも全員がそうではなく、ボールから逃れようとする人も結構いる。別に、どちらが正しいというわけでもない。ただ、そこで逃げてしまうような人が、うっかりネットに守られていない席に座ってしまうような宣伝や売り方は、しない方がいい。
(その意味で、エキサイトシートに萩本欽一という老人を座らせた日本テレビは、間違ったメッセージを視聴者に伝えており、感心できない)

 要は、それぞれが求める楽しみにふさわしい席を得られれば、それでいい。
 歌と鳴り物で応援したい人は外野席へ。弁当とビールと談笑を楽しみたい人はネット裏へ。一投一打に集中して観戦したい人だけが、ネットのない内野席へ。そんな社会的合意ができていれば、ネットのない席でファウルボールに当たってケガをする人が出たとしても、それが「防護ネット復活キャンペーン」につながる可能性は下がる。

 ネットを外すという試みは、責任回避を重視する日本の組織にとっては、簡単にできることではないと思う。フルキャスト宮城は県営球場、横浜スタジアムは第三セクター、どちらも自治体がかかわっているだけに、なおさらだ。
 おそらく打球の危険性については、それぞれの組織内部で相当厳しく指摘され、それでも実現するという決断を誰かが下しているに違いない。
 だとすれば、その勇気に敬意を表し、支持をする覚悟を、メディアも観客も持つべきだろう。我々は、MLB100年の伝統に匹敵する合意を、これから形成していこうという立場なのだから。


追記(2009.4.10)
コメント欄でご指摘いただいたが、MLBでも類似の訴訟はある。一般的には球団側が勝つか棄却されることが多いようだが、状況によっては原告の主張が認められる場合もあるようだ。

http://www.boston.com/news/local/massachusetts/articles/2004/06/10/
court_sides_with_red_sox_in_foul_ball_injury_lawsuit/
(うまく表示されないので途中で改行しています)

http://www.desmoinesregister.com/article/20090314/NEWS/903140337

また、NPBの「試合観戦契約約款」には、主催者の免責事項として以下の事柄が挙げられている。ただしこれが観戦者全員に充分に周知徹底されているかといえば疑問ではあるが。

第13条 (責任の不存在)

 主催者は、観客が被った以下の損害についての責任は負わないものとする。

(1) ホームラン・ボール、ファール・ボール、その他試合又は練習行為に起因する損害
(2) 暴動、騒乱等の他の観客の行為に起因する損害
(3) 球場施設に起因する損害
(4) 本約款その他主催者の定める規則又は主催者の職員等の指示に反した観客の行為に起因する損害
(5) 第6条の入場拒否又は第10条の退場措置に起因する損害
(6) 前各号に定めるほか、主催者又は主催者の職員等の故意行為又は重過失行為に起因することなく発生した損害
2  主催者が負担する損害賠償の範囲は、治療費等の直接損害に限定されるものとし、逸失利益その他の間接損害及び特別損害は含まれないものとする。
 
 
追記(2011.2.25)

冒頭に紹介した提訴を、仙台地裁は棄却した。河北新報の記事によると、プロ野球観戦のありかたについて、ずいぶんと踏み込んだ判決内容となっているようだ。プロ野球関係者は、この判決に「やっぱり野球は国民に支持されている」などと安住することなく、裁判長の判断に恥じない娯楽でいられるよう努力を惜しまないでいただきたい。「国技」などと名乗ったために堕落した団体が、よい反面教師である。

楽天ファウルボール訴訟 負傷男性の請求棄却 仙台地裁判決
河北新報 2月25日(金)6時12分配信

 仙台市宮城野区の日本製紙クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)の内野席でプロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスの試合を観戦中、ファウルボールでけがをしたのは球場の安全対策に不備があったためだとして、大崎市の税理士男性(48)が楽天野球団と球場を所有する宮城県に約4400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は24日、男性の請求を棄却した。
 関口剛弘裁判長は「球場の安全対策は当然だが、観客にも注意が求められる。近年は内野席をせり出させた球場が好評で、臨場感はプロ野球観戦に欠かせない要素。過剰な安全施設はプロ野球の魅力を減らす」と判断の前提を示した。
 その上で「(Kスタ宮城の)内野フェンスはプロ野球開催球場の平均的な高さで、ファウルボールへの注意喚起も行われている。安全対策は十分だった」と判断。「プロ野球観戦では臨場感を確保する必要がある。フェンスを高くするなどの措置は、臨場感を損なうことになりかねない」と述べた。
 判決によると、男性は家族3人と2008年5月18日、Kスタ宮城の三塁側内野席で試合を観戦。2回裏の東北楽天の攻撃中にファウルボールが右目を直撃し、搬送先の病院で眼球破裂と診断された。 .


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