夢枕獏「東天の獅子/天の巻・嘉納流柔術」(全4巻)双葉社
夢枕獏は「魔獣狩り」で売り出した頃に何冊か読んだが、熱心な読者ではない。格闘技については、経験もないし、熱心な見物人というわけでもない。格闘小説についても然り。
というわけで通常なら守備範囲外の本書だが、講道館柔道の始祖・嘉納治五郎について少し調べたことがあり、以来、関心が持続していた。講道館の草創期を描いた小説と知って手に取ってみた。
単行本4冊を、一週間もかからないうちに一気に読み切った。それほど面白い。
戦後、木村政彦がブラジルで前田光世の弟子と闘うプロローグに始まり、嘉納が講道館を創設した頃から、その名を天下に知らしめた警視庁武術大会での他流派との戦いあたりまでを描く。史実に基づいた小説、という形をとっているが、相当によく史料を調べていることを伺わせる。
いわゆる講道館四天王をはじめ、九州や千葉の古流柔術家たちのキャラクターの強烈さ、その魅力は、著者が後書きで書いている通り、<時代小説の剣豪もの>の趣がある。格闘場面の迫力には凄まじいものがあり、互いに人体を破壊していく描写には紙面から目を背けたくなるほどなまなましいけれど、同時に、彼らがその凄絶な戦いを通して自分を、互いを見出していく喜びが存分に描かれている。
嘉納治五郎が、彼のよき理解者であり後援者でもある勝海舟に<この時代遅れの柔術が、鉄砲より優れているものを持っているのです>と語る場面がある。
<敵である相手を敬い、相手のことを思いやる気持ちです>
<銃で、離れたところから相手を撃ち殺すのでは、絶対に伝わらぬものがあります。互いに、相手の身体に触れ、相手の力や技をその身に受けることで、相手がこの日のためにどれだけの研鑽を積み、どれだけの努力をしてきたのか、それがわかるのです。それは、自分がやってきたことだからです。自分と同じものに、相手も耐えて、そしてこの場に立ち今自分と向きあっているーーそれがわかれば、それは、自然と相手への尊敬の念にかわりますーー>
<今、西洋から、海を越えて新しいものや新しい考え方が、この国が消化できぬほどの速さで入ってきています。その時、わが日本国が忘れてならないのは、この日本人の精神です。そのためにも、今、柔術が必要なのですーー>
この精神が、夢枕が描く試合場面のすべてに通底しているのだろう。だから、どんなに凄惨な戦いにもカタルシスがある。
この対話の中で、嘉納は勝から<おまえさんが、新しいことをやろうってえ言うんなら、そいつを、新しい名前で呼ぶのがいいかもしれねえ>と、「柔道」の名を贈られる(もちろん、史実ではなく著者の創作だと思うが(笑))。
当blogの講道館柔道に対する関心事は、前述のエントリの経緯から、主に嘉納の政治力にあるのだが、もちろん著者の関心は格闘にあるので、政治力方面の記述はほとんどない(二度の警視庁武術大会をクライマックスとしているので、話がそこまで行っていないせいもある)。
ただ、講道館が初めて武術大会に参加するにあたって、投げ技での一本を認めさせる、といういきさつが描かれている。当時の柔術界では、投げ技は寝技や絞め技に持ち込むための過程と考えられ、投げだけで決着がつくことはなかった。しかし、講道館だけは、投げ技によって勝敗が決まるというルールをとっていた(野外で戦い、固い地面や岩に投げつけられれば、それで戦闘能力は失われる、という理由による)。
嘉納は大会の前に警視総監に談判し、野外であったら戦闘能力が失われるであろう投げられ方をした場合は一本と認める、という合意を得た。これもまた、畳の外での戦いであることは言うまでもない。
講道館以前の柔術は、流派の技は門外不出であり、相手の知らない技を持っていることが有利になる世界として描かれる。また、それまで本土ではほとんど知られていなかった琉球空手に接した時の柔術家たちの反応も興味深い。
つまり、この時期の柔術(柔道を含む)は、それ自体が総合格闘技であり、他流派との試合は異種格闘技戦と捉えることができる。
著者はあとがきでこう書いている。
<このところ柔道はJUDOとなって、嘉納治五郎が始めた頃、頭に思い描いたものとは大きくかけ離れたものになっている>
<柔道には、歴史の中に消えていった、あるいはゆこうとしている多くの古流柔術に対する責任があると思うのである。
柔道が、世界に広まるためにJUDOとなってゆくのはしかたがないとしても、それとは別に、一年に一度か、二年に一度くらい、当時の柔術に近い柔道のルールを作って、講道館で大会を開催していただきたいと思っているのである。誰でも、どの競技の人間でもこれに参加できるものになればいいと思っている。当然、ぼくにとっては、こちらの大会の方がオリンピックよりも上位概念となる。
そうでないと、日本柔術の多くの技や形、精神までが滅んでしまうのではないか。>
柔道とJUDOは違う、という表面的な言葉は多くの柔道家と似ているが、夢枕のベクトルはたぶん彼らとは逆方向を向いている。「柔道」という世界に引きこもるのではなく、JODOをも飲み込んだ大きな概念として柔道を捉えている。
それは魅力的な考え方だ(実際にやる人には大変だろうけれど)。そして、嘉納の歩んだ道は、夢枕の考えに近いのだろうと思う。
あとがきによると、本書は次の4つの小説の構想をのみこんだものになるらしい。
1)講道館創成期の物語
2)明治大正における、日本にやってきた外国人格闘家との異種格闘技戦の物語。
3)コンデ・コマこと、前田光世の物語(『東天の獅子』)。
4)コンデ・コマ以外の、海外へ渡った日本人格闘家の物語。
3)を書くつもりで始めたら、1)の部分が膨らみすぎて、とりあえずそこまでで区切りをつけたのが、この「天の巻」4冊。2)3)4)は、いずれ「東天の獅子/地の巻」として書かれるという。私は特に4)に関心がある。
数多くの連載を同時進行させ多忙を極めているであろう作家のことだから、いつになるのかわからないが、「地の巻」を楽しみに待つことにする。
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コメント
柔術が「投げだけで決着がつくことはない」というルールのままで発展してたらどうなってたんでしょうね。ブラジリアン柔術みたいになったのでしょうか。『餓狼伝』(は『東天の獅子』と交互に隔月で連載中らしいのですが)に隅田元丸という(架空の)柔道家が出て来て、これがカッコイイんですよ。神懸かり的(というか職人的というべきか)な関節技の名手で、「だいたい投げて一本、てえのがおかしいんだよ。投げたってまだぴんぴんしてるじゃないか。投げたら極めて、折るか、落とすか、参ったを言わせるか、でないと決着とは言えねえだろう」みたいな台詞があります。夢枕獏がアレとコレを同じ月刊誌に交互に書いてたというのはおもしろいです。
投稿: nobio | 2009/04/24 18:23
射撃の経験がある程度あれば、
「相手がこの日のためにどれだけの研鑽を積み、どれだけの努力をしてきたのか」
はわかるものですが…
一般的な武道系のスポーツがスポーツとしての射撃と違うのは、相手に肉迫した状態での一対一による感覚的部分でしょうが、
となると、レスリング、フェンシングと日本の武道との違いはどこにあるのでしょうか…
投稿: MUTI | 2009/04/24 20:56
>nobioさん
>柔術が「投げだけで決着がつくことはない」というルールのままで発展してたらどうなってたんでしょうね。
今のブラジリアン柔術か、総合格闘技に近いものになってたんでしょうかね(当時の柔術には打撃系の技も含まれていたようですし)。
>夢枕獏がアレとコレを同じ月刊誌に交互に書いてたというのはおもしろいです。
きっと彼の中では相互に影響があるんでしょうね。
「餓狼伝」はずいぶん前に谷口ジローが漫画化した作品しか読んだことがありません。「東天の獅子」も、明治で格闘技と揃えば、ぜひ谷口ジローの絵でも読んでみたいものです。
>MUTIさん
引用部分の会話は、柔術は戦場の術としては刀や槍や銃に比べると時代遅れだが、しかし…という文脈の中で語られています。
ですから、ここでいう<鉄砲>は戦場での銃撃を指しており、スポーツとしての射撃とはいささか事情が異なるのではないかと思います。
なお、この小説で描かれる柔術も、我々が知っているスポーツの概念とは、かなり距離があるように思います。
>となると、レスリング、フェンシングと日本の武道との違いはどこにあるのでしょうか…
この時点での嘉納がレスリングやフェンシングの存在を知っていたか、意識にあったかどうかはわかりません。続編では外国人格闘家との戦いも描かれるようですから、その時には、嘉納が西洋の格闘技をどう見るかも、描写されるんじゃないかと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/04/25 15:13
戦記関連を見ますと、20世紀以降の実戦でも、敵の技術や努力・工夫を評価する局面はよく見られるようにおもいます。
そして、白兵戦のように、身体的に近迫した状態での戦闘の方が、そうでない状態よりも心理的衝撃(嫌悪感、不快感、罪悪感)が大きいようです。
> なお、この小説で描かれる柔術も、我々が知っているスポーツの概念とは、かなり距離があるように思います。
もともとの「戦場の術」としての柔術は、急所攻撃ありまくりの人体破壊術だったのだろうと思います。また、刀槍の術や短刀術とも一体化していて、敵との距離や双方の態勢により使い分けるような物だったのではないでしょうか。
それが、おそらく江戸期に、使用する・しない武器による分化が明確化し、また今で言う逮捕術的なものへの派生があり、明治にスポーツ化(?)したのでしょうか?
「術」「道」とスポーツとの違いがテーマとして描かれていくとしたら、興味深いと思われる次第です。
(「道」は、下手をすると「甲子園連投賞賛」になってしまう面がありますが… )
投稿: MUTI | 2009/04/29 22:29
柔術の源流はやはり戦国時代の戦闘術であったようですね。
Wiki「剣術」より。
「甲冑を装着した武者同士の太刀による戦闘方法は、当然、巨人がただ刀を振り回せばよいものとは異なり、介者剣術と呼ばれ、深く腰を落とした姿勢から目・首・脇の下・金的・内腿・手首といった、装甲の隙間となっている部位を突斬りで狙うようなスタイルであった。甲冑武者同士の戦闘は最終的には組討による決着に至ることが多く、ここにおける技法が組討術であり後の柔術の源流の一つとなった。今日の柔道も、その柔術より派生したものである。」
「武術」と「スポーツ」の間には截然と大きな違いがあるわけですが、しかし「武術」の遺伝子から来る「凄み」が格闘系スポーツの魅力でもあります。面白いところです。
投稿: 馬場 | 2009/04/30 11:48
>MUTIさん
>戦記関連を見ますと、20世紀以降の実戦でも、敵の技術や努力・工夫を評価する局面はよく見られるようにおもいます。
>そして、白兵戦のように、身体的に近迫した状態での戦闘の方が、そうでない状態よりも心理的衝撃(嫌悪感、不快感、罪悪感)が大きいようです。
なるほど、そういうものですか。ギャビン・ライアルの「もっとも危険なゲーム」などを読んでも、銃の名手どうしが、戦いながら相手を理解し敬意を抱く、ということはあるのかなとは思います。
ただ、引用箇所の会話は明治20年ごろの設定ですから19世紀の話ですが。
>それが、おそらく江戸期に、使用する・しない武器による分化が明確化し、また今で言う逮捕術的なものへの派生があり、明治にスポーツ化(?)したのでしょうか?
柔術のルーツについては、よく知らないので何とも言えません。恐縮です。
明治以降については、本書での描写では、銃や大砲で戦争をする時代になって、柔術を学ぼうという門人は激減したようです(著名な使い手の中にも、見世物小屋で術を見せて生計を立てる羽目になる人が出てきた、とも)。
柔術は、講道館によって(柔道として)スポーツ化されることで広く支持者を得たが、その代わりに武術からは距離が開いた、ということなのでしょう。
ただ、この小説の構想は、時代が下っても講道館ではなく前田光世の方に話が進むようですから、スポーツとしての柔道よりは、柔術的なものを残した人々が中心に描かれるのだと思います。
>馬場さん
フォローありがとうございます。武器と防具がそれぞれ発達した結果、決着がつかなくなって取っ組み合いになった…ということですか。皮肉というか何というか…。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/04/30 14:28
私も一気に読了しました。
すべてを放り投げてでも己の技や力を磨き続け、闘いの中ではじめて相手とコミュニケートできるような、不器用で熱い男たちの生き様にはエキサイトしました。
いつになるか分かりませんが、続編が楽しみです。
日本において甲冑武者同士の組討が多発したのは、敵の首を取るのが手柄になるという事情もあったと思います。
柔道の押さえ込みも元々は「一定時間相手を身動きできないようにした=首を取った」のが一本の理由ですし。
まったくの私見ながら、日本の武道の特徴のひとつは相手を完全に仕留めたかどうかが勝敗の基準になることではないかと考えています。
剣道の残心も倒した相手が再び立ち上がってこないかを測るための動作ですし、現代に生きる私たちが常に意識しているわけではないにせよ、武道の根本には未だに色濃く残っている概念のような気がします。
投稿: オクロック | 2009/05/05 11:24
>オクロックさん
遅くなってすみません。
戦争で首級を取るのが日本独特の習慣なのかどうか、私はよく知らないのですが、やっぱり珍しいのでしょうか。戦争や革命の際に、敵の王や指導者の首を掲げることは西欧でもあったようですが、これは勝利を広く知らせるという意味合いが強く、戦場での兵隊どうしの戦いとなるとまた違うのでしょうね。
また、西欧中世の鎧は、人間を収める容器という感じで可動域が狭そうなので、剣での戦いから組み打ちになったとしても、あまり精緻な技が発達しそうには見えません。日本の甲冑の方が動きの自由度は高そうですね。
「残心」というのは印象的な概念ですね。柔道の世界選手権で日本の有力選手が敗れ、判定について「先に相手の背中がついたのにおかしい」というような議論が起こった時に、この言葉を思い出しました。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/05/07 22:26