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2009年9月

横尾弘一『都市対抗野球に明日はあるか』ダイヤモンド社

 ややセンセーショナルなタイトルだが、内容との齟齬はない。
 雑誌「グランドスラム」などで社会人野球を取材してきたスポーツライターの著者が、社会人野球の歴史と現状、問題点などを手際よくまとめている。都市対抗や社会人野球の将来について考えようと思う人には必読書だと思う。

 私自身は数年に一度、東京ドームに都市対抗を見物に行く程度の半可通なので、本書で初めて知った内情も多く、いくつか驚かされたことがある。

 たとえば…

・都市対抗に出場するチームは1枚700円の「チーム券」という入場券を購入することで運営費を負担している。その額は1チームにつき1試合あたり4000枚、280万円分。
・週末に大勢の観客動員が期待できるチームは、一回戦に限り、自チームの試合を開催する日付を指定することができる「特定シード」という制度がある。特定シードを申請するためには15000枚=1050万円のチーム券の購入が必要(今年は12000枚=840万円)。
・都市対抗のスタンドの特徴をなす応援団やチアリーダーが、実は自前で用意できずに大学の応援部やチアリーダー部の“応援”を仰ぐケースが少なくない。

 チーム券の金額にも驚いたが、応援団が借り物だというのも驚きだ。
 都市対抗を見に行くたびに、どこかの企業の社内運動会の会場に紛れ込んでしまったような気恥ずかしさを感じる反面、あれはあれでひとつの文化なのだろうし、徹底的に内向きの盛り上がりというのも独特で面白いと思っていたのだが、その「盛り上がり」を作っているのが「身内」でないのだとしたら、あのスタンドで彼らが何のために何をやっているのか、よくわらかなくなってくる。形骸化というほかはない。
(もちろん、すべてのチームが形骸化しているとは思わない。優勝したHondaの応援席の人々の入れ込みぶりは、会社に動員されたお義理のものとは到底思えない、熱気のこもったものだった)
 
 
 近年増えてきたクラブチーム(野球連盟のチーム登録は「会社」と「クラブ」の2種類がある)や独立リーグとの摩擦についての記述も興味深い。
 
 千葉県でクラブチームを主宰している谷沢健一のblogを読むと、しばしば、県連盟が会社チームの都合を優先してクラブを迫害している(例えば、公式戦が平日の連戦になると、クラブチームには勤務の都合で出場できない選手が続出する)との不満が記されている。なるほど、と思っていたが、本書を読むと、連盟や企業の側にも言い分はあることがわかる(以下の記述はあくまで一般論で、千葉県や谷沢のクラブがあてはまるかどうかはわからない)。

 都市対抗における「チーム券」の存在からもわかるように、社会人野球の大会の運営は、金銭的にも人的にも加盟チームに負うところが大きい。しかし、クラブチームは金もなく人的資源も少ないため、同等の負担ができないことがある。にもかかわらず「日程をクラブの都合に合わせてほしい」と主張することに対して、著者は批判的だ。

<大会運営などに協力しなければならない時には「うちはクラブチームなので」という理由で企業チームに依存し、試合をやろうとすれば「クラブチームにも公平にしてほしい」と主張する。そうした社会人野球の意義を理解していないクラブチームが増えると、それは社会人野球の土台を揺るがしかねない>
<実際、企業チーム関係者にも、近年のクラブチーム増加を歓迎していない人は少なくない。それは、自分たちの経済的、また精神的な負担が増えてしまうという体験をしているからでもあるのだ>

 クラブチームや独立リーグという選択肢が増えたために、会社の同意なく移籍をする選手も増えたという。企業チームの新人採用は、会社に頼んで選手を社員として採用してもらっているという弱い立場にある。せっかく採用した選手に簡単に出ていかれては、企業内での野球部の立場がない。選手を送り出す学校にとっても、企業との関係を損ねる行為であり、歓迎されない。
 とはいうものの、それはあくまで企業や学校という組織の論理であり都合であって、それを理由に選手を縛ることは、現代の一般社会にはなかなか受け入れられないだろう(内定を受けた就職予定者にも履行する義務がある、という考え方はありうるかも知れないが)。
 クラブチームには選手を拘束する力はないし、独立リーグも選手の流動性は高い。野球とは無関係の「社員」という立場によって選手を拘束する企業内野球部の仕組みとは、根本的に相容れないといってよい。

 社会人野球の会社チーム(日本野球連盟の登録区分は「会社」と「クラブ」という名称だ)は、その経済的基盤のすべてを会社に負っている。
 もちろん、それで問題なく運営されているチームも、まだまだ健在ではある。
 都市対抗に出場している企業は、日本を代表する大企業ばかりだ。JR、NTT、自動車、電機、重工業。素晴らしい練習施設を持ち、プロ入りしてもおかしくないレベルの高校生や大学生を採用して、優秀な指導者のもと、選手たちを野球に専念させている。引退後には大企業の社員としての人生も保証されている(今のところは。経済情勢次第でどうなるかはわからない)。
 そんな素晴らしい環境を選手に与え、なおかつ都市対抗では試合のたびにチケットを大量に購入し(それを応援する観客に無償配布しているのか有料なのかは知らないが)、応援の観客には特製のウチワやタオルを配布し……いったいどれだけの費用がかかるのだろう。独立リーグやJ2のほとんどのクラブよりも、予算規模は大きいんじゃないだろうか。

 そう考えると、現在の社会人の強豪に匹敵するチーム運営のできる企業が、今後新たに現れるとは考えにくい。過去30年ほどの間に社会人野球に参入して注目を集めた企業にも、結局は撤退していったところが少なくない(プリンスホテル野球部も、野村克也が監督を務めたシダックス野球部も、もう存在していない)。

 そもそも、厳しい見方をすれば、経営状態の悪化を理由に、工場で働く派遣労働者や契約社員との契約を容赦なく打ち切る企業が、一方では上述のようにふんだんな資金を野球部に投入し、野球をするだけで生産活動に寄与しない人々を正社員として雇用している、という状況にも釈然としないものはある。
 かつて、社会人野球が隆盛をきわめた時代には、企業が野球チームを持ち、そのチームが活躍することが、企業にとっても、従業員にとっても、地域社会にとっても、大きな意義を持っていたのだろう。だが、企業経営をめぐる環境も、従業員と企業の関係性も、地域社会のありようも、それから大きく変わってしまった。
 現在、企業がスポーツに関わり、支援する場合は、プロのクラブをスポンサードするか、個人競技の選手と契約するか、大会や競技団体をスポンサードするか…というようなやり方が増えてきているように思う。団体競技は、野球に限らず、バレーボールでもラグビーでも、いくつもの伝統あるチームが廃部やクラブ化の道をたどっている。

 そういう時代の中で、社会人野球がどう存在価値を示していくか、というのも本書の大きなテーマで、著者は実例として、さまざまな「社会人野球人」を紹介する。それぞれ魅力も能力もある人物だとは思う。
 だが、私自身は正直なところ、登場人物たちや著者の熱意に、感心はしても、共感するものがない。結局は彼らが向いているのは会社の方であり、会社に野球部の存在価値をいかにして認めてもらうか、というのが最大のテーマだ。それは別に非難されることではなく、企業チームという枠組みの中では当然だが、そこに見物人の居場所はない。端的に言えば、見物人たる私は、社会人野球界にとってステークホルダーではない。

(一般的にいっても、アマチュアスポーツにとって見物人はステークホルダーではない。五輪代表クラスの選手なら公的資金の支援も受けるから無縁ではないし、逆に遠征費にも窮するようなマイナー競技であればファンが有形無形の支援という形で参加することも可能だろう。しかし、巨大企業が億単位の予算で運営している「アマチュアスポーツ」にとってのファンの存在とは何なのかは、突き詰めていくと、掴みづらいものがある)
 
 
 本書の中で数少ない「明日」を感じさせる事例は、熊本ゴールデンラークスというチームだった。
 ゴールデンラークスは熊本の「鮮ど市場」というスーパーの社員チームだが、チーム名には企業名が入っていないのは、県民球団という位置づけがあるからだ。
 2006年、会社の創立30周年を機にチームを立ち上げたのは、経営者の息子で専務の田中俊弘(GM兼監督)。日本通運で活躍した社会人の名選手だった田中は、引退後の2000年に、父が経営する「鮮ど市場」の経営に加わってから、こんなふうに考えるようになったという。

<将来、父から会社を引き継いだ時に、私の力になってくれる人材の必要性を感じました。色々と考えた結果、私が長くお世話になった野球を通して若い力を集め、自分の手で育てていくのがいいのではないかと思えたんです>

 だから、集めた選手はあくまで「鮮ど市場」で働く社員であることが前提。必然的に九州出身者が増えた。選手たちは午前中は一般の社員と同様にスーパーの店頭に立ち、午後は野球の練習に励む。そんなやり方で、ゴールデンラークスは創部2年目にして都市対抗に出場する。主将の谷本尚也は次のように話す。

<この生活が四年目になって感じるのは、僕たちが一番恵まれているということです。不況で仕事のできない人もいる時代に、僕たちには毎日仕事があり、しかも大好きな野球までできる。(中略)野球を終えて仕事に専念する将来のことも考える。でも、不安がないんですよ。鮮ど市場で仕事をするにしろ、転職するにしろ、仕事の厳しさや社会の仕組みはある程度わかっていますから>

 著者はこの項を、田中の次の言葉で締めくくっている。

<選手を集めて言いました。『うちには休部も解散もないぞ』と。なぜなら、野球部を作ってから会社が明るくなりましたし、選手たちの職場での評判もすこぶるいい。彼らは、社会人野球界に旋風を起こす以前に、鮮ど市場の社員として大きな存在価値を示しているんです。おかげ様で、我が社の業績も右肩上がりを続けている。監督で都市対抗に勝った時より、鮮ど市場の経営陣として選手たちに感謝しています>

 企業が野球チームを持つことにメリットがあるとすれば(宣伝効果が期待できる場合を別にすれば)、こういう形が本来の姿ではないだろうか。企業にとっては持続可能性が高いし、企業内の人々にとっては「一緒に働く仲間のチーム」という意識が持てる。行きつけのスーパーの店員が野球の全国大会で活躍すれば、地域社会に喜びをもたらすこともできるだろう。小売業という客と従業員の互いの顔が見える業種だからこそ、このチームには「見物人」の居場所もある。

 社会人野球に明日があるのだとすれば、その曙光は熊本から射しているのではないか、というのが本書を読んでの感想だ。

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明日も太陽が昇るが如く。

 物心ついた頃は、読売ジャイアンツの全盛期だった。
 昭和39年に生まれた私が、野球というものを知ってから小学4年生になるまでの間、セントラル・リーグの本塁打王は王貞治のものだった。正確には私が生まれる前の昭和37年から13年間、王選手は本塁打王を独占し続けた(その後も1年の中断を挟んで、私が中学1年の年まで続いた)。

 王さんが3割40本を打ってホームラン王になるのは、明日の朝に太陽が東から昇るのと同じくらい自然なことだった。
 王さんの引退後、3割40本を打つ選手など年に1人現れるかどうか、という普通のペナントレースを何度か経験するまでは、それがどれほど特別で並外れたことなのか、理解していなかった。
 そして、その事実に気付いた時、「王さんを見られてよかった」「もっとよく見ておけばよかった」という相反する二つの思いが胸の奥から湧き上がってきた。もう、これほど並外れた選手を見ることはできないのだろうな、という寂しさが、そこにはあったように思う。
 
 
 王さんが引退してから29年。
 我々は今、王貞治に匹敵する、とてつもない選手と同じ時代に生きている。
 MLBで誰も達成したことのない、9年連続200安打。
 それだけでも凄いけれど、彼はそのスタートを切る前に、日本で7年続けて首位打者を獲っている。都合16年、彼は1年も欠かすことなく規定打席に到達し、たくさんの安打を打ち続けている。

 試合を多少休んでも首位打者は獲れる(実際、日本での最後の2年間は死球と故障でそれぞれ約30試合を欠場している)。だが、試合数の多いMLBにあっても、ほとんどの試合に出場しなければ200本は打てない。
 イチローが昨年までの8シーズンで休んだ試合は合計16だという(今年はすでに16試合に欠場している)。筋肉の塊のような大男たちの中でプレーしながら、打球を追ってフェンスに激突しても、三塁や本塁でクロスプレーを演じても、死球をぶつけられても、彼は大きなケガをすることなく、高い水準の打撃コンディションを保って、グラウンドに立ち続ける。何よりもその事実に圧倒される。

 いつかは彼にもバットを置く日が来る。
 その時はじめて見物人は、イチローという太陽が自然の力で天に昇っていたのでなく、創意工夫と弛まぬ努力と強い意志によって毎朝毎朝そこまで這い上がっていたのだと実感し、彼と同じ時代に生き、彼を見ることのできた幸運を知るのだろう。

 だが、今はまだ、太陽が明日も東から昇ることを、物心ついたばかりの子供のように信じることができる。そんな歓びをもってイチローを見ていられるのも、見物人にとっての幸福に違いない。

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