楽天はどこへ行こうとしているのか。
本当にユニホームを脱いで監督業を終わりにするのかどうか、いまだに半信半疑なのだが、クライマックス・シリーズに敗れ、胴上げされた後の囲み取材における脂っ気の抜けた語り口を聞いていると、野村克也監督自身は、少なくとも現時点では、これで監督業も終わり、と思っているようだ。もう次のオファーはないだろうと思っているからこそ、楽天での「もう1年」にあれほど固執したのかもしれない。
長くお読みいただいている方はご存知の通り、このblogでは、野村克也という人物の言動、とりわけWBC代表監督をめぐる言動について、何度となく批判してきた。
しかし、それはあくまで現場を離れた彼の言動に対するものであり、彼の指導者としての能力を否定するものではない。
私はかつて、楽天初代監督の田尾が解任され、次期監督に野村の名が浮かんできた頃に、彼はこのチームの監督には適していない、とこのblogに書いたことがある。
だが、その後、さしたる補強もないままに、チームをリーグ2位にまで浮上させた結果からいえば、間違っていたのは私だ。
野村はかつて、戦力が充実しつつあったヤクルトでは黄金時代を築き、戦力が乏しかった阪神では最下位から浮上できなかった。楽天の状況では阪神の二の舞いだと予想していたが、今度は乏しい戦力でチームを2位にまで引き上げた。野村は齢70を過ぎて新境地を示した。
彼が楽天で具体的に何をしてきたのかは知らないし、若手を育てたとか山崎武司を再生したとかいうのは、これまでもやってきたことだから驚きはしない。
が、岩隈が復活を通り越して大きく成長したのには感嘆した。野村就任以後も2年間は故障を繰り返していた岩隈が、3年目には投手のタイトルを総なめにし、4年目の今年はWBCで活躍、その後のペナントレースでも昨年には及ばないにせよ、活躍と呼べる成績を残した。
過去の故障の影響やWBCの疲れもあり、試合途中でマウンドを降りることの多かった岩隈に対し、野村監督は、メディアを通じてさんざん嫌味を言い続けていたけれど、逆に言えばそれは、岩隈(またはトレーナー)の希望した通りの投球数や登板間隔を守っていたことの現れでもある。たった2人しか信頼できる投手がいない中で、その2人を酷使して潰すことなく活かし切った。好投手を何人も解体したヤクルト時代の轍を踏まずに済んだのは、誰にとっても幸福な結果だった。
(なお、中村紀洋を褒めちぎって獲得したけれど再生しそこねた件については、世間のほとんどの人が忘れているようなので、深くは突っ込まないことにする)
シーズン終盤からCSにかけての、自らの去就をめぐる言動は、これはもうこの人の仕様なのだ。球団フロントと駆け引きせずにはいられない性格なのだから仕方がない。
ただし、ヤクルトや阪神と異なるのは、これが、野球界の中だけで生きてきた老将と、自分たちのビジネスの流儀を野球界でも押し通そうとする楽天の若い経営陣との異文化衝突でもある、ということだ。
勝てば生き残り、負ければ追われる。勝負がすべての世界に生きてきた野村にとって、与えられた戦力から期待しうる成績を大きく上回る結果を残したにもかかわらず、任期満了の壁が越えられないという事態が、理解不能であっても不思議はない。
プロスポーツのクラブにおいて、優秀な成績を残した指導者を解雇するという行為が正当化されるのは、経営陣が、現体制を維持する以上にチームを良くするためのビジョンを持っている場合に、ほぼ限られる。
私の記憶の中から似たような事例をピックアップしてみよう。
横浜ベイスターズは、97年にチームを2位に躍進させた大矢明彦監督を解雇し、投手コーチだった権藤博を後任に据えた。結果は1960年以来のリーグ優勝と日本一。以後も3年続けて3位とAクラスを維持した。
当時は大堀隆という球団社長が、親会社からの出向にもかかわらず、優れた手腕を発揮して経営とチームを改革していた(本人が熱烈な野球好きで、自ら志願しての出向だったと記憶している)。
千葉ロッテマリーンズは、95年にチームを2位に躍進させたボビー・バレンタイン監督を1年で解雇し、シーズン途中からヘッドコーチになっていた江尻亮を後任に据えた。翌年、江尻はチームを5位に落とし、1シーズンで退任した。
当時のロッテは95年に広岡達朗がGMに就任。自ら招いたバレンタインとの間で指導法をめぐって対立し、好成績にもかかわらず1年で切った。江尻が千葉ロッテ入りしたのは、早大の先輩である広岡の誘いによるものと伝えられたから、広岡は、バレンタインと違って自分の言うことを聞く後輩を監督に据えたのではないかという憶測が成り立つ。結局、広岡もこの年を最後にGM職を退いた。
さて、現在進行中の楽天のケースは、どちらに近いのだろうか。
楽天の編成部長は2007年暮れから三村敏之が務めている。今年5月に、病気のため休養し楠城徹編成部長補佐が代行する、と報じられ、その後復帰したという話は聞かないが、ドラフト会議に顔を出すかどうかで明らかになるだろう。*
後任監督は、今季まで広島カープを率いていたマーティ・ブラウンが有力らしい。野村監督が楽天の三木谷オーナーから聞いたと報じられている。ブラウンは三村が広島の監督に就任した時、現役選手として在籍していたから、この人事には三村も介在しているのかも知れない。
楽天はコーチ8人の解雇も決めた。一軍スタッフ9人のうち6人が退くことになる。ヘッドコーチはもとより、打撃担当は2人ともいなくなる。野村監督の就任以来、二軍を任されてきた松井優典二軍監督も今季限りだ。野村が連れてきたヤクルト時代の人脈が一掃された、という印象は否めない(それなのに野村克則バッテリーコーチだけが残る**、というのも、何とも曰く言い難い印象を残す)。
CS進出を逃した球団のいくつかは、すでに監督やコーチ陣の人事を発表している。だから、楽天を解雇されたコーチたちが「今の時期に言われても就職口が探せない」と嘆いている、とも報じられている。
この球団は、創設初年度に、開幕から一か月でヘッドコーチと二軍監督を入れ替えるという人事を行ったことがある。当時、私はこのblogに<こんなことをやっていたら、この球団は今後、優秀な人材を集めることがどんどん難しくなっていくだろう>と書いたが、今回も感想は同じだ。
直近の4年間は、野村監督の下で野球を勉強したいというモチベーションの人材がいたのだろうが、そのインセンティブは失われた。楽天コーチ陣の報酬額は知らないが、選手への金の使い方を見る限り、他球団に優るとは考えにくい。とすれば、指導者にとって、この球団で働くことにどんな魅力があるだろうか(東北出身者は別だろうが)。
投手陣に関しては佐藤義則コーチが残るのだからさほどの問題はないかも知れないが、このチームの野手のほとんどは発展途上にある(大ベテランの山崎武司にだって、この形容はあてはまりそうな気がする)。本人に任せておけば大丈夫、と言えそうな選手はほとんど見当たらない。
96年の千葉ロッテ、98年の横浜、いずれも後任監督は内部昇格だった。急成長したチームをさらに伸ばそうという目的があるのなら、急成長の過程に関与してきた指導者が継続性をもって指導するのが適切だろうという想像はつく。
だが、楽天は監督もコーチも大半を外部から連れて来て、いままで接点のなかった選手たちを指導させようとしている。冒険的な人事、といって差し支えないと思う。
ネットを眺めているうちに、楽天が田尾を解雇し野村克也を後任に据えた2005年オフに、三木谷浩史オーナーと島田亨球団社長がこの件について語っているインタビュー記事を見つけた。
三木谷はこう語っている。
<今年1年を経験し、『強くならなければいけない』と思い知ったのも事実。マスコミは『あんなに弱かったけれど人気はあった』というとらえ方をしています。でも、年間を通じたデータを厳密に見ていくと、『そうでもない』ことが分かってきたんです。>
<応援してくださった皆さんの気持ちは大変よく分かりますし、心から感謝しています。強い愛着を持ってくれるコアなファンはとても大事だと思っています。けれども、事業として進める以上は『ファンを増やす』ことがどうしても必要になる。その場合、やはりチームは強くなければいけない。>
それを受けた島田社長の談話。
<このチームは大急ぎで強くならなければいけない。今年1年を経験して、それを痛感したんです。そのためには豊富な経験や知識が必要だと、考えたんです>
このような判断と構想によって田尾から野村へという交替を行った、という話は理解しやすい。事実、彼らはそのビジョンを実現した。前回の監督交替は成功だったと言える。野村の「任期満了」について、彼らがどんなビジョンを抱いているのかは、まだ明らかにされていない。
一連のインタビューの中で、島田社長はこうも語っている。
<1年を経験して分かったことがもう一つあります。それは、単純なお金の論理だけで、野球チームを強くすることはできない、ということです。ドラフトを通じて獲得できる選手には限りがあります。外国人選手にどれだけお金をかけても、その選手が金額通りに活躍するとは限りません。これは、これまでの歴史が証明しています。そもそも、選手獲得以前の問題として、このチームはどんな野球を目指すのかがはっきりしなければいけない。それをはっきりさせて、初めて、どんな選手がどれだけ必要なのかが分かるわけです。どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは監督の仕事だと思います。ですから今回、その仕事を即座にしていただける方に監督を引き受けていただきました。ここから、改めてチームづくりをスタートさせようと思ったわけです>
もっともらしいけれども、ここには重大な誤解がある。
<このチームはどんな野球を目指すのかがはっきりしなければいけない>のはその通り。だが、<どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは監督の仕事>というのは間違っている。
理由は単純。監督はいずれいなくなるからだ。野村克也が打ち出した野球は、別の指導者には実現できない。監督が替われば白紙に戻ってしまう。
だから、どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは、監督ではなく球団の仕事。こう話している島田自身の責務なのだ。島田にそれができないのであれば、それを託せる人物を経営陣に用意しなければならない(肩書きから見れば、それが三村編成部長ということになる)。
かつて日本のプロ野球には、残り2試合で1勝すれば優勝できるという局面で、自軍のエースを呼び出して「勝ってくれるな」と話すような経営陣がいた(江夏豊が、岡田彰布との対談本「阪神はなぜ勝てないのか?」(角川oneテーマ21)の中で詳述している)。
100敗寸前だったチームを4年で優勝争いするまでに育て上げた優れた指導者と契約を更新しないという楽天の選択からは、邪推すれば、当時の阪神と似た匂いが漂っているようにも感じられる。
近く発表されるであろう新監督とコーチ陣の編成、そして来季に向けたドラフト・外国人・FA・トレード等の補強を通じて、楽天は<どんな野球を目指すのか>を示し、当時の阪神とは違うのだということを表現する必要がある。それが野村監督を惜しむファンへの責務というものだろう。
そして、できれば経営陣には、楽天イーグルスがこの人事によってどんな球団、どんな野球を目指すのかについて、自分たちの言葉で明確にビジョンを語ってもらいたい。
野球界の経営陣には、そんなことをする伝統はないが、ここは、彼らが育ってきたベンチャーの世界のやり方を、大いに持ち込んでもらうことを期待している。
追記)
雑誌フラッシュ10/20号に、初代監督を務めた田尾安志の手記が掲載されていて、ここでの楽天経営陣への批判が興味深い。
<コーチ陣も10日で決めないといけなくて、予算も「これだけでやってください」と。他球団と比較したらかなり安かったです。僕が中心に人選して、給料も誰がいくらでと1人づつ報告しました>
<補強は最初に外国人をお願いしました。「日本人選手は絶対に劣りますので外国人の4つの枠をなんとか成功させたい」と頼みましたが、あまり出してもらえず、獲得したのは2千万〜5千万円クラス。平均以下で助っ人になるのはいなかった>
上述したコーチの降格人事についても触れている。
<11連敗で僕が連れてきた2人のコーチを二軍に降格するというので、「負けは彼らのせいでもないし、そんなことをしても意味ない」と反対しましたが、世間に動いている姿を見せたいからと言われ、「わかった。しかし1人でもユニホームを脱ぐと位ったら、俺も辞めさせてください」と。>
実際に1人が辞めると言い出して、田尾も辞表を出したが、そのコーチが結局は残ることになり、田尾も辞意を撤回したという。
<とにかくチームを作るにあたって毎日フロントとのやりとりがあって、グラウンドに立つまでが大変でした。結局は信頼関係だと思いますが、そのへんが難しかった。チームをなんとかよくしたいだけで、無茶なことは言ってないはずですが、三木谷さんの周りには僕みたいにはっきり言う人はいなかっただろうし、ここまで煩わしい人間とも思ってなかったでしょう>
最後のくだりはちょっと可笑しい。田尾は現役時代から、指導陣やフロントに直言することが多い人物だという評判があり、それが実力も人気もあったわりにチームを転々とした理由だと言われていた(この手記を読めば、実際そうなのだろうと納得する)。楽天が、田尾を<ここまで煩わしい人物>と知らずに監督に選んだのであれば、それは単なるリサーチ不足だろう。
<退団時に功労金を出すかわりに「球団批判をしない」という覚書も用意されて。それならいらないと断りました>というくだりも笑える。
野村も「あぁ楽天イーグルス」と題した書籍の出版を計画中と報じられた。名誉監督の肩書きと報酬を与え、息子を解雇しないという程度のことで、彼の口を塞げると楽天経営陣が思っているのなら、それもいささか甘いかも知れない。
*
三村編成部長はドラフト会議に出席したが、それから一週間も経たない11/3に急逝。驚いた。まだ61歳、若すぎる。ご冥福をお祈りする。
**
野村克則は、球団からは来年の契約を求められたが、かつて在籍したことのあるジャイアンツの二軍バッテリーコーチへの就任が内定した。
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