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2009年10月

楽天はどこへ行こうとしているのか。

 本当にユニホームを脱いで監督業を終わりにするのかどうか、いまだに半信半疑なのだが、クライマックス・シリーズに敗れ、胴上げされた後の囲み取材における脂っ気の抜けた語り口を聞いていると、野村克也監督自身は、少なくとも現時点では、これで監督業も終わり、と思っているようだ。もう次のオファーはないだろうと思っているからこそ、楽天での「もう1年」にあれほど固執したのかもしれない。

 長くお読みいただいている方はご存知の通り、このblogでは、野村克也という人物の言動、とりわけWBC代表監督をめぐる言動について、何度となく批判してきた。
 しかし、それはあくまで現場を離れた彼の言動に対するものであり、彼の指導者としての能力を否定するものではない。
 私はかつて、楽天初代監督の田尾が解任され、次期監督に野村の名が浮かんできた頃に、彼はこのチームの監督には適していない、とこのblogに書いたことがある。
 だが、その後、さしたる補強もないままに、チームをリーグ2位にまで浮上させた結果からいえば、間違っていたのは私だ。
 野村はかつて、戦力が充実しつつあったヤクルトでは黄金時代を築き、戦力が乏しかった阪神では最下位から浮上できなかった。楽天の状況では阪神の二の舞いだと予想していたが、今度は乏しい戦力でチームを2位にまで引き上げた。野村は齢70を過ぎて新境地を示した。

 彼が楽天で具体的に何をしてきたのかは知らないし、若手を育てたとか山崎武司を再生したとかいうのは、これまでもやってきたことだから驚きはしない。
 が、岩隈が復活を通り越して大きく成長したのには感嘆した。野村就任以後も2年間は故障を繰り返していた岩隈が、3年目には投手のタイトルを総なめにし、4年目の今年はWBCで活躍、その後のペナントレースでも昨年には及ばないにせよ、活躍と呼べる成績を残した。
 過去の故障の影響やWBCの疲れもあり、試合途中でマウンドを降りることの多かった岩隈に対し、野村監督は、メディアを通じてさんざん嫌味を言い続けていたけれど、逆に言えばそれは、岩隈(またはトレーナー)の希望した通りの投球数や登板間隔を守っていたことの現れでもある。たった2人しか信頼できる投手がいない中で、その2人を酷使して潰すことなく活かし切った。好投手を何人も解体したヤクルト時代の轍を踏まずに済んだのは、誰にとっても幸福な結果だった。

(なお、中村紀洋を褒めちぎって獲得したけれど再生しそこねた件については、世間のほとんどの人が忘れているようなので、深くは突っ込まないことにする)
 
 
 シーズン終盤からCSにかけての、自らの去就をめぐる言動は、これはもうこの人の仕様なのだ。球団フロントと駆け引きせずにはいられない性格なのだから仕方がない。
 ただし、ヤクルトや阪神と異なるのは、これが、野球界の中だけで生きてきた老将と、自分たちのビジネスの流儀を野球界でも押し通そうとする楽天の若い経営陣との異文化衝突でもある、ということだ。
 勝てば生き残り、負ければ追われる。勝負がすべての世界に生きてきた野村にとって、与えられた戦力から期待しうる成績を大きく上回る結果を残したにもかかわらず、任期満了の壁が越えられないという事態が、理解不能であっても不思議はない。
 
 
 プロスポーツのクラブにおいて、優秀な成績を残した指導者を解雇するという行為が正当化されるのは、経営陣が、現体制を維持する以上にチームを良くするためのビジョンを持っている場合に、ほぼ限られる。

 私の記憶の中から似たような事例をピックアップしてみよう。

 横浜ベイスターズは、97年にチームを2位に躍進させた大矢明彦監督を解雇し、投手コーチだった権藤博を後任に据えた。結果は1960年以来のリーグ優勝と日本一。以後も3年続けて3位とAクラスを維持した。
 当時は大堀隆という球団社長が、親会社からの出向にもかかわらず、優れた手腕を発揮して経営とチームを改革していた(本人が熱烈な野球好きで、自ら志願しての出向だったと記憶している)。

 千葉ロッテマリーンズは、95年にチームを2位に躍進させたボビー・バレンタイン監督を1年で解雇し、シーズン途中からヘッドコーチになっていた江尻亮を後任に据えた。翌年、江尻はチームを5位に落とし、1シーズンで退任した。
 当時のロッテは95年に広岡達朗がGMに就任。自ら招いたバレンタインとの間で指導法をめぐって対立し、好成績にもかかわらず1年で切った。江尻が千葉ロッテ入りしたのは、早大の先輩である広岡の誘いによるものと伝えられたから、広岡は、バレンタインと違って自分の言うことを聞く後輩を監督に据えたのではないかという憶測が成り立つ。結局、広岡もこの年を最後にGM職を退いた。

 さて、現在進行中の楽天のケースは、どちらに近いのだろうか。

 楽天の編成部長は2007年暮れから三村敏之が務めている。今年5月に、病気のため休養し楠城徹編成部長補佐が代行する、と報じられ、その後復帰したという話は聞かないが、ドラフト会議に顔を出すかどうかで明らかになるだろう。*

 後任監督は、今季まで広島カープを率いていたマーティ・ブラウンが有力らしい。野村監督が楽天の三木谷オーナーから聞いたと報じられている。ブラウンは三村が広島の監督に就任した時、現役選手として在籍していたから、この人事には三村も介在しているのかも知れない。

 楽天はコーチ8人の解雇も決めた。一軍スタッフ9人のうち6人が退くことになる。ヘッドコーチはもとより、打撃担当は2人ともいなくなる。野村監督の就任以来、二軍を任されてきた松井優典二軍監督も今季限りだ。野村が連れてきたヤクルト時代の人脈が一掃された、という印象は否めない(それなのに野村克則バッテリーコーチだけが残る**、というのも、何とも曰く言い難い印象を残す)。
 CS進出を逃した球団のいくつかは、すでに監督やコーチ陣の人事を発表している。だから、楽天を解雇されたコーチたちが「今の時期に言われても就職口が探せない」と嘆いている、とも報じられている。

 この球団は、創設初年度に、開幕から一か月でヘッドコーチと二軍監督を入れ替えるという人事を行ったことがある。当時、私はこのblogに<こんなことをやっていたら、この球団は今後、優秀な人材を集めることがどんどん難しくなっていくだろう>と書いたが、今回も感想は同じだ。
 直近の4年間は、野村監督の下で野球を勉強したいというモチベーションの人材がいたのだろうが、そのインセンティブは失われた。楽天コーチ陣の報酬額は知らないが、選手への金の使い方を見る限り、他球団に優るとは考えにくい。とすれば、指導者にとって、この球団で働くことにどんな魅力があるだろうか(東北出身者は別だろうが)。

 投手陣に関しては佐藤義則コーチが残るのだからさほどの問題はないかも知れないが、このチームの野手のほとんどは発展途上にある(大ベテランの山崎武司にだって、この形容はあてはまりそうな気がする)。本人に任せておけば大丈夫、と言えそうな選手はほとんど見当たらない。
 96年の千葉ロッテ、98年の横浜、いずれも後任監督は内部昇格だった。急成長したチームをさらに伸ばそうという目的があるのなら、急成長の過程に関与してきた指導者が継続性をもって指導するのが適切だろうという想像はつく。
 だが、楽天は監督もコーチも大半を外部から連れて来て、いままで接点のなかった選手たちを指導させようとしている。冒険的な人事、といって差し支えないと思う。
 
 
 ネットを眺めているうちに、楽天が田尾を解雇し野村克也を後任に据えた2005年オフに、三木谷浩史オーナーと島田亨球団社長がこの件について語っているインタビュー記事を見つけた。
 三木谷はこう語っている
<今年1年を経験し、『強くならなければいけない』と思い知ったのも事実。マスコミは『あんなに弱かったけれど人気はあった』というとらえ方をしています。でも、年間を通じたデータを厳密に見ていくと、『そうでもない』ことが分かってきたんです。>
<応援してくださった皆さんの気持ちは大変よく分かりますし、心から感謝しています。強い愛着を持ってくれるコアなファンはとても大事だと思っています。けれども、事業として進める以上は『ファンを増やす』ことがどうしても必要になる。その場合、やはりチームは強くなければいけない。>

 それを受けた島田社長の談話
<このチームは大急ぎで強くならなければいけない。今年1年を経験して、それを痛感したんです。そのためには豊富な経験や知識が必要だと、考えたんです>

 このような判断と構想によって田尾から野村へという交替を行った、という話は理解しやすい。事実、彼らはそのビジョンを実現した。前回の監督交替は成功だったと言える。野村の「任期満了」について、彼らがどんなビジョンを抱いているのかは、まだ明らかにされていない。

 一連のインタビューの中で、島田社長はこうも語っている

<1年を経験して分かったことがもう一つあります。それは、単純なお金の論理だけで、野球チームを強くすることはできない、ということです。ドラフトを通じて獲得できる選手には限りがあります。外国人選手にどれだけお金をかけても、その選手が金額通りに活躍するとは限りません。これは、これまでの歴史が証明しています。そもそも、選手獲得以前の問題として、このチームはどんな野球を目指すのかがはっきりしなければいけない。それをはっきりさせて、初めて、どんな選手がどれだけ必要なのかが分かるわけです。どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは監督の仕事だと思います。ですから今回、その仕事を即座にしていただける方に監督を引き受けていただきました。ここから、改めてチームづくりをスタートさせようと思ったわけです>

 もっともらしいけれども、ここには重大な誤解がある。
 <このチームはどんな野球を目指すのかがはっきりしなければいけない>のはその通り。だが、<どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは監督の仕事>というのは間違っている。
 理由は単純。監督はいずれいなくなるからだ。野村克也が打ち出した野球は、別の指導者には実現できない。監督が替われば白紙に戻ってしまう。

 だから、どんな野球を目指すのか、を打ち出すのは、監督ではなく球団の仕事。こう話している島田自身の責務なのだ。島田にそれができないのであれば、それを託せる人物を経営陣に用意しなければならない(肩書きから見れば、それが三村編成部長ということになる)。
 
 
 かつて日本のプロ野球には、残り2試合で1勝すれば優勝できるという局面で、自軍のエースを呼び出して「勝ってくれるな」と話すような経営陣がいた(江夏豊が、岡田彰布との対談本「阪神はなぜ勝てないのか?」(角川oneテーマ21)の中で詳述している)。
 100敗寸前だったチームを4年で優勝争いするまでに育て上げた優れた指導者と契約を更新しないという楽天の選択からは、邪推すれば、当時の阪神と似た匂いが漂っているようにも感じられる。

 近く発表されるであろう新監督とコーチ陣の編成、そして来季に向けたドラフト・外国人・FA・トレード等の補強を通じて、楽天は<どんな野球を目指すのか>を示し、当時の阪神とは違うのだということを表現する必要がある。それが野村監督を惜しむファンへの責務というものだろう。
 そして、できれば経営陣には、楽天イーグルスがこの人事によってどんな球団、どんな野球を目指すのかについて、自分たちの言葉で明確にビジョンを語ってもらいたい。
 野球界の経営陣には、そんなことをする伝統はないが、ここは、彼らが育ってきたベンチャーの世界のやり方を、大いに持ち込んでもらうことを期待している。


追記)

 雑誌フラッシュ10/20号に、初代監督を務めた田尾安志の手記が掲載されていて、ここでの楽天経営陣への批判が興味深い。

<コーチ陣も10日で決めないといけなくて、予算も「これだけでやってください」と。他球団と比較したらかなり安かったです。僕が中心に人選して、給料も誰がいくらでと1人づつ報告しました>

<補強は最初に外国人をお願いしました。「日本人選手は絶対に劣りますので外国人の4つの枠をなんとか成功させたい」と頼みましたが、あまり出してもらえず、獲得したのは2千万〜5千万円クラス。平均以下で助っ人になるのはいなかった>

 上述したコーチの降格人事についても触れている。
<11連敗で僕が連れてきた2人のコーチを二軍に降格するというので、「負けは彼らのせいでもないし、そんなことをしても意味ない」と反対しましたが、世間に動いている姿を見せたいからと言われ、「わかった。しかし1人でもユニホームを脱ぐと位ったら、俺も辞めさせてください」と。>
 実際に1人が辞めると言い出して、田尾も辞表を出したが、そのコーチが結局は残ることになり、田尾も辞意を撤回したという。

<とにかくチームを作るにあたって毎日フロントとのやりとりがあって、グラウンドに立つまでが大変でした。結局は信頼関係だと思いますが、そのへんが難しかった。チームをなんとかよくしたいだけで、無茶なことは言ってないはずですが、三木谷さんの周りには僕みたいにはっきり言う人はいなかっただろうし、ここまで煩わしい人間とも思ってなかったでしょう>

 最後のくだりはちょっと可笑しい。田尾は現役時代から、指導陣やフロントに直言することが多い人物だという評判があり、それが実力も人気もあったわりにチームを転々とした理由だと言われていた(この手記を読めば、実際そうなのだろうと納得する)。楽天が、田尾を<ここまで煩わしい人物>と知らずに監督に選んだのであれば、それは単なるリサーチ不足だろう。
 <退団時に功労金を出すかわりに「球団批判をしない」という覚書も用意されて。それならいらないと断りました>というくだりも笑える。

野村も「あぁ楽天イーグルス」と題した書籍の出版を計画中と報じられた。名誉監督の肩書きと報酬を与え、息子を解雇しないという程度のことで、彼の口を塞げると楽天経営陣が思っているのなら、それもいささか甘いかも知れない。

*
三村編成部長はドラフト会議に出席したが、それから一週間も経たない11/3に急逝。驚いた。まだ61歳、若すぎる。ご冥福をお祈りする。

**
野村克則は、球団からは来年の契約を求められたが、かつて在籍したことのあるジャイアンツの二軍バッテリーコーチへの就任が内定した。

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吉見ニンニク注射問題についての個人的なメモ。

 中日の吉見投手がドーピング規定違反の疑いでNPBの調査を受けていると知ったのは、23日の新聞記事でだった。 「一部スポーツ紙」の報道が契機でNPB医事委員会が調査に乗り出したというので、報知か?と思ったら、報知にも「一部スポーツ紙」と書いてある。結局、中日スポーツだというので、何だかなあ、という気分。

 元の記事の実物は読めていないので報知からの孫引きになるが、最初に報じられた内容はこういうことらしい。

<一部スポーツ紙が、公式戦中の登板前後に通称「ニンニク注射」と呼ばれる疲労回復の点滴を受けていたと報道。>
<報道によると、吉見は今年7月途中から、登板前後にナゴヤドーム内の医務室で30分程度の時間をかけ、点滴を受けていたという。>
 
 
 これのどこがドーピング違反になるのかというと、注入した薬物ではなくて、点滴そのものが問題。

 NPB公式サイトにはアンチ・ドーピング・ガイドのページがある。
 主に選手向けのテキストを転載したものと思われ、平易な表現で書かれているが、何が禁止事項なのかは、これを読んだだけでは結局よくわからない。
 ただ、コラム欄の中に< 「元気が出る」注射や点滴は認められるか?>というのがあり、そこにはWADA(世界アンチ・ドーピング機構)の禁止表から、

<「いかなる薬物も、医学的に正当な適応に限って使用されなければならない (The use of any drug should be limited to medically justified indications.) 」>

という文言が引用された後、「正当な適応の医事行為」についてのNPBの見解が記されている。

< 1) 医師による診療記録があり、診断名、診断根拠、医薬品名及び使用量・使用方法などが明確に記載されている。
   2) 薬事法にもとづいて認可された医薬品を用いた治療であり、且つ適応内使用である。  >

 この2点を満たせばOK、というのがNPBの見解。それなら、中日のチームドクターがそれなりのカルテを用意すれば問題なさそうに思える。
 
 
 ただし、NPBのドーピングコントロール規則がWADAの規定に準拠するのだということであれば(報道によればそうらしい)、話はやや違ってくる。

 WADAの禁止リストは、JADA(日本アンチ・ドーピング機構)のサイトで読むことができる(最新版は英文のみ。日本語版は2009年まで)。
 ここで禁止リストを開くと、<Ⅰ 常に禁止される物質と方法>の中に、次の項目がある。<M2 化学的・物理的操作>の第2項だ。

<静脈内注入は禁止される。但し、外科的処置の管理、救急医療または臨床的検査における使用は除く。>

 つまり、原則として点滴はNGなのだ。
 吉見の場合、登板前後に定期的に注入していた、という報道が正しいのであれば、素人目には、ここに示された除外事項に該当するとは考えにくい。
(このあたり、WADAの最新の禁止リストと、NPBアンチ・ドーピング・ガイドの表現との間に、いささかの齟齬を感じる。今後の処分の是非を巡って、問題になってくるかもしれない)


 静脈内注入が問題になったケースとしては、Jリーグで2007年に川崎フロンターレの我那覇選手が処分を受けた事例がある。我那覇は処分を不服として、スポーツ仲裁裁判所に裁定を持ち込んだ。翌2008年に下った裁定は、Jリーグに処分取り消しを求めた。つまり、結論はシロ。
(その後のJリーグの対応には大いに疑問が残るのだが、ここでは触れない)

 このケースでは、吉見のように点滴を定期的に行っていたということではなく、発熱や下痢の症状に対する治療として行われた。そのため各クラブのチームドクターたちはJリーグの処分を不服とし、我那覇の支援活動を行っている。

 「川崎フロンターレ・ドーピング事件を検証して、日本に正しいアンチドーピングが実現することを願う会」のサイトに、JADAへの質問状とその回答がアップされている。
 ここで注目したいのは、<上記M2.2の事項における「正当な医療行為」とは、現場で担当の医師の判断にゆだねられるか否か>(註1)という質問だ。JADA側の回答は「現場の医師にゆだねられる」である。

 「現場の医師にゆだねられる」のがWADAおよびJADAの見解なら、吉見のケースは中日のチームドクターの判断によりOKということか?
 しかし、禁止リストの該当箇所の文言は、2007年と現在とでは異なる。上記の通り、2009年版では、除外されるケースを、より具体的に示している。現場の医師の判断の恣意性を制限している、とも言える。医師が、選手やチームの意を汲んだカルテを書くことを制限している、とも考えられる。
 従って、「我那覇がOKだったから、吉見もOK」とは言い切れない。

 
 NPBがこれまでにドーピング違反として処分を下したケースは3件ある。ガトームソン(ソフトバンク)、ゴンザレス(読売)、リオス(ヤクルト)。いずれも禁止物質が尿から検出されたケース。禁止方法の違反は、吉見が処分を受ければ今回が初めてとなる。
 化学的な検査が焦点となったこれまでとは異なり、点滴をしていた事実については、中日球団と吉見に争う姿勢はない。となれば、NPB医事委員会が結論を出すまでに、さほどの時間はかからないだろう。中日が日本シリーズに進出するようだと、処分の時期はデリケートな問題となる。
 
 
 気になるのは、元の記事(某所でコピペで目を通した)では、“ニンニク注射”が、プロ野球界でごく普通にそこら中で行われているかのように記されていたらしいことだ。本当にそうなのであれば、球界は違反者だらけ、ということになる。
 実際、ネット上では「清原はニンニク注射を打ってると公言してたのに、なぜ吉見だけ違反扱いされるのか」という疑義を数多く目にする。

 この件だけについていえば回答は容易だ。「昔は禁止されてなかった」のである。
 昔といってもそれほど古いことではない。NPBがドーピング検査を本格的に始めたのは2007年だ。清原がジャイアンツに在籍していた頃には、禁止事項ではなかった。

 中日球団の対応を見ていると、点滴が問題のある行為だとは認識していないようだ。一方、この件に対してジャイアンツの伊原ヘッドコーチは「誰だって(ダメだと)知っている」と批判している。

 どちらが正しいかは別として、球団によってこれほど認識に差があるということ自体、NPBのアンチ・ドーピング活動自体が、まだまだ行き届いていないことを示している。
 実際、中学生でもわかるような平易な文章で書かれているNPBアンチ・ドーピング・ガイドには、ニンニク注射の是非については明記されていない(コーヒーやアルコール、サプリメントについては記載があるのだが)。「ニンニク注射は、禁止って書いてないんだからいいんだろ」と解釈される余地がないとは言えない。

 これを機に、NPB医事委員会は、この種の医療行為に関する見解をはっきりと打ち出すべきだろう。アンチ・ドーピングに関心のない選手や、「明記されてなきゃいいんだろ」と判断したがる球団役員にも理解できるように、明確に。


 で、この件が報じられたその日の夜に、吉見はジャイアンツとのクライマックス・シリーズに先発した。
 もちろん、まだ処分が下されたわけではないから、登板を批判することはできない。
 落合監督はこういう状況を利用して、「俺たちは何も悪いことはしていない。(ジャイアンツに味方して)俺たちを非難する世の中を見返してやろう」みたいな空気をチーム内に醸成するのが得意そうに見える。
 だが、そうやって臨んだ試合に負けてしまった場合には、チームの空気は、より一層どんよりするだろうな、とも思われる。

 また、この件に関して落合監督は「俺は医者じゃない。診断もしてない」とコメントしたと伝えられる(確実なソースは未確認)。
 しかし、摂取する薬物の管理を医者任せにせず、選手自身やユニホーム組がアンチ・ドーピングに関してきちんとした意識を持つことが、現代のスポーツ界に求められているのだということは、少なくとも選手たちには自覚させた方がよい。毛生え薬によって選手生命を失う可能性だってあるのだ、という実例を、日本のプロ野球界は経験している。伊原の「普通の球団なら投げさせないよ」という嫌みは聞き流すとしても、「中日は認識が甘い」という批判には同感。

 なお、「ニンニク注射 清原」で検索していたら、ニンニク注射を実施している医療機関のサイトに、<ニンニク注射は、オリンピック金メダリストならびにオリンピック強化選手といった多くのトップアスリートにご愛用いただいております。>と記されていた。JOCは、強化指定選手たちが何をやってるのか、ちょっと心配した方がいいかも知れない。
  
 
註1)
WADAの禁止リストの文言はしばしば変更される。2007年版の該当部分は<正当な医療行為を除き、静脈内注入は禁止される。>とだった。


追記)2009.10.24

エントリ本文を書いていた頃には結論が出ていたらしい。
朝日新聞の記事を引用する。

中日・吉見投手、ドーピングに抵触せず 治療行為と結論
2009年10月24日16時21分

 日本プロ野球組織(NPB)の医事委員会(増島篤委員長)は24日、中日の吉見一起投手について、反ドーピング規定に抵触した事実は確認できなかったとの調査結果を発表した。

 吉見投手は22日の一部報道で、登板直前と翌日に疲労回復に効果があるとされるビタミン剤の点滴を受けていると伝えられた。そのため同委員会が本人と球団代表者に事情聴取した上で、カルテのコピーも取り寄せて検討したところ、「医学的な正当な適用による治療行為の範囲と判断した」(増島委員長)という。

 問題となった点滴は、いわゆる「ニンニク注射」と呼ばれるもの。点滴などの静脈注射はドーピングの痕跡を隠すために使われる可能性があり、世界反ドーピング機関(WADA)が正当な医療行為の場合を除いて禁止している。

(引用終わり)

本文にも記したが、静脈内注入に関するWADAの現在の規定は、「医学的な正当な適用」であるかどうかを問題にしてはいない。<外科的処置の管理、救急医療または臨床的検査>の3項目以外は禁止なのだ。そして、吉見のケースがこの3項目に該当するとは考えにくいのだが、NPBの説明は、この3項目には触れていないようだ。
まさにこの齟齬の隙間にはまりこむような結論となってしまった。

禁止リストの条文を素直に読めば、NPBの裁定はWADAの規定に反している。NPBのアンチ・ドーピング活動はWADAの規定には拘らず独自の判断によって行う、と表明したようなことになりかねない。

ちなみに、NPBはJADAの加盟団体ではない。野球の競技団体はアマチュアも含めてJADAにはひとつも加盟していない。だから、NPBがWADAの規定に準拠するというのは、自主的な判断であり、強制力はない。

とはいうものの、スポーツ界のアンチ・ドーピング活動において、WADAの規定は絶対的な基準といってよい。WADAの規定を離れて独自の判断を下すという行為は、競技そのものの信用に関わってくる。五輪競技への復帰を目指す競技団体のやることとは思えない。

もっとも、他の競技において、疲労回復を目的とした静脈内注入をWADAもしくはJADAが是認した、という事例が存在するのなら、吉見のケースも何ら問題はないということになる。私は寡聞にしてそういう事例を知らないが、心当たりのある方はぜひご教示いただきたい。
 
 
追記2)2009.11.11
11/10付読売新聞のスポーツ面に以下の記事が掲載されていた。ネットでは見あたらないので全文を引用しておく。

<吉見の点滴「規定に抵触」 WADA副会長が緊急性なしと指摘/プロ野球

 世界反ドーピング機関(WADA)のアルン・ルンクビスト副会長(国際オリンピック委員会医事委員長)は8日、読売新聞の取材に応じ、プロ野球・中日の吉見一起投手が受けた静脈内注入(点滴)について、「治療行為であっても、緊急性がない場合は認められない」として、WADA規定に抵触するとの見解を示した。
 ルンクビスト副会長は、「治療だというなら、事前にTUE(治療用除外)申請を提出し、点滴が不可欠で、それ以外の手法が採れないことを示せば、承認を受けることができる。事前のTUEなしに点滴が認められるのは、緊急治療時のみだ」と語った。
 日本プロ野球組織(NPB)は10月、「医学的に正当な治療行為」との理由で、ドーピング禁止規定違反に当たらないと発表していた。 >

 本文に論じてきた通り、WADAの規定を文字通りに読めば、これ以外の結論は考えられない。
 JADAやJOCの活動に関わってきた専門家であるNPB医事委員長が、なぜそこから逸脱した結論を出したのか、奇妙というほかはない。

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で、東京は五輪招致活動を続けるのだろうか。

 2016年の五輪開催地に東京が選ばれなかったこと自体は、招致活動が始まったころから予想していたので驚きはない。落選を伝えるニュースの中では「北京の翌年では早すぎた」とか「『なぜ東京か』が見えなかった」などと敗因が語られているが、それらは立候補して計画書が発表された時点からわかっていたことだ。

 結局のところ、リオデジャネイロにおける「南米初の五輪」という単純明快なアピールポイントに勝る何かを、東京の招致活動に当たった人々は、提示することができなかった。
 最後は「環境」にポイントを絞ったようだが、すでに94年の冬季五輪で「環境に配慮したオリンピック」を掲げたリレハンメルが選ばれており、夏季大会はシドニーでも北京でも「環境五輪」をアピールしている。もはや環境に配慮するのは当然のことで、スローガンとしてのインパクトはない(だいたい、調査団にお台場の予定地を見せておいて「環境に優しい大会にします」と言っても説得力はなさそうだ。ま、お台場における環境改変はすでに終わっているので、そういう意味ではあの上に何を作っても「自然破壊」ではないだろうけど)。

 石原慎太郎都知事は、都庁サイト「知事の部屋」内の「都民のみなさんへ」というページで、先月初め、次のように語っている。

<誰が何を考えているか、本当にわからない。そういう点でね、まあやっぱり、どういうんでしょうかね、できるだけ冷静に、選手のためを思ってね、競技の進行がスムースに行って、安全に行われて、しかもそのための環境が整備されたりしないかってことは、あちこちのオリンピックを主催してきたIOC(国際オリンピック委員会)の連中ですから、そういう経験踏まえてね、冷静に正確に判断してもらいたい。それならば私は東京は自信を持っていいと思うんだけど、なかなかそうも言い切れない戦いだけに、非常に先が読めなくて、最後の努力をすべくコペンハーゲンに参りますが、これは、まあ、みなさんもひとつ応援に来てくださいと済むところじゃありませんから、日本で祈っててください。>(9/11更新分)

 財政、設備、運営技術、安全性といった面で、東京(あるいは日本の主要都市)に充分な開催能力があることは、おそらくIOC評議員の多くが理解していることだろう。だが、五輪開催地はそれだけで決まるものではない。北京で五輪が開催されたことも、単一競技の大会ではあるがサッカーのワールドカップが南アフリカ共和国で開催されることも、石原都知事が言うような面だけではない別の理由によって決まっているはずだ。
 それを広い意味でいえば「政治」である。長年政治家として生きてきた石原都知事がそれを理解していないというのは解せない。ついでに言うと、「南米で初の五輪を!」という単純で骨太の呼びかけが、どれほど理屈抜きで人の心を動かす力を持っているかについて、政治家より長く文学者として生きてきた石原慎太郎が理解していないらしいことも解せない。文学者というのは人の心を動かす専門家ではないのだろうか。

 と、都知事に対する嫌味はこのくらいにして、少しこの先のことを考えてみたい。

 終わった途端に2020年五輪の招致を話題にする向きもある。引き続き2020年の立候補を目指すかどうか、JOCはまだ態度を明らかにしてはいない。
 今回の尽力を無駄にしないためにも続けて立候補することが大事だ、という考え方はあるだろうし、実際、続けて立つことで開催を勝ち取った例もある。「北京が終わったばかりなのに」という印象も、次回にはいくらか薄れるだろう(それでも、アジアでは1964東京、1988ソウル、2008北京で20-24年周期という過去の実績に比べると、まだ早いのだが)。

 ただし、立候補するのはJOCではない。招致活動の主体はあくまで都市にある。
 だから、まず問題になるのは、東京都が引き続き次回を目指すのか、ということになる。

 都知事にとって、この落選の最大の問題は、150億円と言われる招致費用が無駄に終わった事実だ(150億全部が都の出費かどうかは知らないが)。
 現地での記者会見では、さっそく責任問題や辞意の有無を問う質問もあったと伝えられた。
 辞職については本人が即座に否定したようだが、私も辞職を求めようとは思わない。東京が国内候補地に決定した後に都知事選挙が行われて再選(三選)されたのだから、彼は「都民の信任を得た」と主張することができる。

 しかし、それでもこの落選が大きな失敗であることに変わりはない。7月の都議選で与党が過半数を割ったこともあり、今後の議会運営は非常に厳しいものになるだろう。
 石原は前回の当選時に4選への不出馬を表明しているが、任期は2011年4月まで続く。
 2020年五輪の国内候補地選考が前回の4年後だとすると2010年。来年だ。都はすぐにでも方針を固めなければなるまい。だが、議会はそれをすんなり認めるだろうか(そもそも都は他にも難題をいくつも抱えている。都民にアピールできそうな唯一のテーマが五輪誘致だったのだが、それもこの落選で難題に転じた)。

 この落選を経験した都民が、次の機会にどのような態度を示すかも、まだ予測がつかない。関心の薄かった都民にとって、この落選によって五輪招致が「悲願」に転じるのか(サッカーのワールドカップ出場が93年のいわゆる「ドーハの悲劇」によって国民の悲願に変わったように)。あるいは、そんなものに金をつぎ込むよりも今の生活を何とかしろ、と反発を抱くのか。
 
 そして、東京以外の都市の立候補となると、さらに事態は難しいように思える。
 第二の都市である大阪も財政状況は厳しいし、他の都市となればなおさらだ。オリンピックのような巨大プロジェクトを立ち上げる余力がそもそもない。
 そして、2016年の国内候補地選定において、JOCが福岡に対してどのような態度をとったか、そして破れた福岡の首長が市民にどう遇されたかを、各自治体の長たちは見ていたはずだ。それでも立候補しようという都市が現れるのかどうか。
 ま、現名古屋市長あたりなら、言い出しかねない気もするのだが。
 
 落選決定の翌日の報道を見ると、石原都知事の責任を論じる記事は散見するが、JOCに対する批判はほとんど見当たらない(石原都知事と竹田会長ではニュースバリューというか、ありていに言えばスター性にかなりの差があるという事情もあるのだろう)。
 だが、日本の落選の原因に、報道されているような「顔が見えなかった」「世界的スターの不在」があるのだとしたら、JOCの責任は大きい。プレゼンテーションで登壇した室伏広治や小谷実可子には失礼な言い方になるかも知れないが、あそこに北島康介や浅田真央が立っていたら、そんな問題はなかったはずだ(あるいは、村上春樹が登壇すれば相当なインパクトだったかも知れない。JOCにそんなことが可能かどうかは知らないが)。

 そもそも「去年、北京でやったばかり」の2009年に選考が行われるとわかっていながら国内で立候補を呼びかけたのもJOCだ。JOCがなぜ2016年の五輪招致活動を始めようと思ったのか、私にはいまだに合理的な理由がみつからない。

 私は東京五輪の計画に関して<東京のために五輪を利用しようという意図が目立ち、五輪のために何ができるのかという感覚が希薄>と批判したことがあるが、都市側がスポーツ界の事情や感覚からズレているのは、ある程度は仕方ない(コミュニケーションの達人であるオバマ大統領でさえ、「近所で五輪が開かれれば嬉しい」みたいな演説をしているのだし。もっとも、滞在時間などを見ても、彼にとって今回の招致活動の優先順位はさほど高くなかったようだが)。
 だからこそ、スポーツ界の住人であり、IOCの一員であるJOCが、その不備を補うことが必要だったはずだが、それは充分に果たされなかった。

 東京都知事には議会での質問が待っている(五輪招致に不満だとか、2020年招致に反対だという都民の皆さんは、地元の都議に陳情してネジを巻きましょう)。
 だが、JOCにはそのように、外部の第三者の目で検証される場がないし、そもそも内情もよく見えない。報道機関各位には、都知事に責任を問うのはひとまず都議会に任せて、JOCにこそ、じっくり総括を迫ってもらいたい。

追記)2009.10.4
石原都知事は帰国後の会見で敗因について語り、「政治的なもの」について言及したらしい。

<同知事は「目に見えない歴然とした政治的なものが絶対にある。昔の自民党の総裁選みたいなもの」とし、IOC内の力学で落選したとの認識を示した。>時事通信10月4日15時12分配信

 ここで都知事が言っている「政治」とはおそらくIOCの幹部や評議員の間の力関係ということだろう。「政治」というよりは「政局」に近い。私がエントリ本文中で「政治」と書いた時に想定していた概念はもっと広いものだが、ま、別に一致しなくてもよい。
 それにしても、政治を職業とする人物が、「政治的なもの」における争いに敗れた、と公言して恥じる様子もない、というのは奇妙な光景である。「政治的なものが絶対にある」って、そんなことも知らずに立候補して150億円も使ったのかこの人は。

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