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2009年11月

スポーツに国費が投じられることの意味。

 行政刷新会議の事業仕分けで、スポーツへの補助金が俎上に上った。11月25日に行われた仕分けで、「民間スポーツ振興費等補助金」に対し、「予算要求の縮減」という評価が下されている。
 もちろん、この国家財政窮乏の折に、スポーツ政策だけが聖域であるはずもないので、検討の対象となることに疑問はない。

 事業仕分けに対しては、主として科学技術分野での反発の声が目立っている。

 ときどき拝見している、理科系の研究者で大学教員らしい方の<発声練習>というblogでは、スポーツ補助金への仕分けについて、こんなふうに紹介されていた。

<たとえば、以下の記事をあなたはどう感じるだろうか?

 日刊スポーツ:仕分け人に斬られた JOC補助金縮減
 産経新聞:【事業仕分け】JOC、強化費削減に反対

スポーツが好きな方はこちらの意見にも賛成するかもしれないけれども、それほどスポーツに興味ない方は「不景気なんだし削減されてもしょうがないのでは?」「確かにマイナースポーツをそんなに支援しなくても良いよね」「オリンピック強化選手を支援するのは良いけど、そのやり方は非効率なんじゃない?」という感想を持つかもしれない。>

 科学技術分野も部外者からはそんな目で見られているんですよ、という例として引き合いに出されているわけだ。もっともな見解だと思う。

 ただ、引用した文章については、必ずしも同意しない。
 私はたぶん<スポーツが好きな方>に属すると思うけれど、<「不景気なんだし削減されてもしょうがないのでは?」「確かにマイナースポーツをそんなに支援しなくても良いよね」「オリンピック強化選手を支援するのは良いけど、そのやり方は非効率なんじゃない?」>という意見にはあまり異論がない。

 スポーツが好きだからといって、税金を湯水のごとくつぎ込んで、あらゆる競技で金メダルを目指すのが妥当だとは、私は思わない*。

 JOCの幹部は、日本ではスポーツに対する国の助成が少ない、もっと金を出せ、ということを機会があるたびに口にする。例えば、北京五輪の総括記者会見で、選手団団長を務めた福田富昭は、こう話している


<五輪は国と国との戦いに匹敵する。国策として強化しなければ難しい。(他国が)国のレベルで取り組んでいるのが分かった。中国は大変な支援を受け、韓国もナショナルトレーニングセンターの施設を毎年、充実している>
<(次回ロンドン五輪開催国の)英国はこの4年間で、競技団体に470億円が使われた。日本オリンピック委員会がもらっている強化費は27億円。比べものにならない。もし2016年を東京でやることになれば、ロンドンで(金メダル数で)4、5位につけないと、3位に食い込めない。思い切った策を政府がとらない限り、だめだ>

 福田団長が口にした<27億円>という数字は1年分の金額だから、英国の4年分の金額と並べること自体が詭弁の第一歩なのだが、それは措くとしても、「なぜ日本がメダルをたくさん獲得しなければならないのか」「なぜそのために国費を投じなければならないのか」という疑問に対する答えを、この会見から見出すことはできない。

 もちろん、終わったばかりの(そして彼らが予定していたほどにはメダルを取れなかった)大会の総括をする場で、そんな話をする必要はないのかも知れない。
 だが、国費獲得のための議論の場であれば、仕分け人の1人が口にしたという<「『五輪は参加することに意義がある』はずだったが、今はメダルに意義があるのか」>という質問にも答えるのが、予算を請求する側の責務だろう(文科省側は<「人間の限界に挑戦することも子供たちに夢を与える」と理解を求めた>という)。

 実際には、交付される側はどう反応したか。毎日新聞の記事から、事業仕分け結果に対するJOCと日体協幹部のコメントを引く。

<▼竹田恒和・日本オリンピック委員会会長の話 全体の仕分けで(JOC予算も)横並びにされた感じがある。簡単な議論で判定されている。内容をよく調べた上で声を大にして訴えていきたい。>

<▼市原則之・日本オリンピック委員会専務理事の話 縮減の中身が分からない。スポーツ予算も聖域でなく無駄な部分はあると思うけど、選手強化費は聖域だと思う。今後は民主党ともパイプづくりを考えていかないといけない。>

<▼岡崎助一・日本体育協会専務理事の話 スポーツは国民の活力に必要不可欠。無駄遣いではない。サッカーくじ助成事業は今は(売り上げが)いいからという限定で話している。悪くなったときはどうするのか。>

 記事の中では、以下のような市原専務理事の談話も紹介されている。
<「強化予算100億円を超える諸外国の流れに逆行している。これでは太刀打ちできない」>
<「国費だけでは足りないからやりくりしてる現状が理解されていない。不勉強だし無責任だ」>

 ずいぶんと高圧的なトーンの談話が並ぶ。

 事業仕分けの場での議論は、記録された評価コメントを見る限り、彼らが思っているほど不見識なものではない。
<スポーツ振興基金助成事業やtoto事業との関係を見直した上で効率的な支出を行うべきと考える>
<今日、体育協会の有り様は要検討、組織の陳腐化>
<天下りをなくす>
 それぞれ検討に値する意見だと思う。だが、上のコメントを見る限り、当事者たちはこれらの問いかけに真摯に答えようとしてはいない(あるいは、そもそも問いかけ自体を把握していないままにコメントしている)。
 
 
 事業仕分けの議論内容と、該当分野の人々の言い分を見比べると、スポーツ団体の幹部たちと、科学技術分野の専門家たちの反応は、よく似ている。
 彼らの発言の多くは、「この事業の目的は国家のために重要であり、事業が停滞することは国家にとって大きな損失となる」という論法をとる。

 だが、事業仕分けが問題としているのは、その事業の意義そのものではない。
 多くの場合は、意義を認めた上で「その目的を達成するために、この予算の使い方が最良なのですか? 無駄や無理があるのではないですか?」という問いがなされている。
 そして専門家たちは、その個別の質問には答えようとせず、反論は「この崇高な目的を理解すべきだ」という範囲にとどまっている。
 一言でいえば、噛み合っていない。

 科学技術分野での事業仕分けで象徴的な存在になっている次世代スーパーコンピューター開発については**、事業仕分けの論点として、たとえば以下の問題が指摘されている

<・特に本件は、共同開発民間3社のうち2社が本年5月に撤退を表明し、当初計画から大幅なシステム構成の変更を強いられており、見通しが不透明ではないか。
こうした状況の下、プロジェクトを強行しても、当初の目標を達成することは困難ではないか。
 ・重大な事情変更があったにもかかわらず、引き続きプロジェクトを継続し、本格的着手を行うことが妥当と判断したことについて、説得的な説明が必要ではないか。>

 事業仕分け以前に、そもそもうまくいっていないんじゃないか。そのまま大金を注ぎ込み続けることに不安を感じない方がどうかしている。
 だが、ノーベル賞・フィールズ賞の先生方の声明文討論会では、(当事者組織の長である野依氏も含めて)誰一人この点に答える人はいなかったようだし、それ以外の専門家直接の当事者からの説得的な説明も、私はまだ見つけられずにいる(たとえば情報処理学会の声明の中にも見つけられない)。

 どちらの分野でも、反論や声明がこの範囲にとどまっている限り、部外者からの共感や賛同や支援を得ることは、難しいのではないだろうか。
 
 
 スポーツの強化や普及が不要だとは、たぶん誰も言わないだろう。
 だが、今の日本において、どのくらいの国費を投じて、どのくらいの成績や普及を目指すのが妥当なのだろうか。
 そもそも国費を投じることが妥当なのか。

 JOCには、アマチュアリズムに固執して選手からビジネスチャンスを奪ってきた歴史がある。選手が自力で強化費用を調達することを制限しながら、選手強化のために国費を出せというのは、筋が違うのではないか。

 競技によっては、海外大会への遠征に、特に必要とも思えない競技団体役員がぞろぞろついてくるケースもあると聞く。自治体単位の体協から競技団体への不正受給もしばしば明らかになっている。各競技団体に交付した補助金の使われ方を、JOCや体協はきちんと把握しているのだろうか。

 日本の納税者の中には、オリンピックのメダルなんか要らない、という人もいるだろう。ならば、メダルをとってほしい国民からJOCなり日本スポーツ振興センターなりが直接お金を集める割合を増やしてもいいんじゃないか(スポーツ振興センターには募金制度があるようだが、たぶん、あまり知られてはいない)。

 生涯スポーツの重要性が語られる際には、多くの場合、総合スポーツクラブの普及によって医療費を減らしたドイツの事例が引き合いに出される。だが、医療費とのバーターを目指すのなら、文部科学省だけでなく厚生労働省の領域でもある。文部科学省がスポーツ行政を担当していること自体に無理があるのであって(この省がtotoの胴元を仕切っていることにも無理がある)、スポーツ省が必要なのではないか。

 ちょっと考えただけでも、いろいろ論点は出てくる。このように議論を具体的な領域に落とせば、国民の意見は分かれるはずだ。
 五輪に参加することの意義、スポーツの存在価値を人々に知らしめ、国費を投じることに理解を得るためには、この種の議論を避けて通ることはできないはずだ。JOC幹部のような立場の人たちにとっては、積極的に議論を喚起し、スポーツの意義を世の中にアピールし続けるのも、重要な責務だと思う。

 それをしないまま、ただメダルの枚数を目標に掲げて国費を要求しているだけでは、JOCは単なる補助金配分機関に過ぎない。
 今回の事業仕分けについては、スポーツに国費が投じられることの意味を考え直す機会を与えられた、というくらいの受け止め方を、JOCの偉い方たちにはしてもらいたい。

 自分が望んだわけではない五輪招致活動のために150億円を消費された東京都民としては、特にそう思う。

*
仕分け人の1人から<「ボブスレーやリュージュ」など具体的な競技名も挙げ、「マイナースポーツに補助金をつぎ込んでもメダルに届かないのでは」と質問>が挙がったことに反発する声もあるようだ。だが、JOCが競技団体に交付する強化費用は、メダルの取れそうな競技とそうでない競技にかなりの格差をつけているのだから、この質問にスポーツ界が反発する筋合はない(逆に、その点を批判される筋合もないわけだが)。

**
もちろん、本当に科学の発展を阻害しそうな仕分け評価もあるだろうから、そういう部分では大いに、そして個別具体的に反論していただきたい。


追記(2009.11.30)
為末大の公式サイトに「スポーツの仕分け」と題したエントリが記されている。ここでの議論とは違った角度だが、当事者ならではの貴重な意見。事業仕分けに対して、スポーツの現場からこのようにさまざまな議論が起こるとよいのだが。

追記2(2009.12.3)
体協やIOCと、自民党、文部科学省との関係性については、<永田町異聞>のエントリ<スポーツ助成を一本化し「toto」収益を選手強化に>に詳しい。なるほど、これまでは自民党べったりだったから<今後は民主党ともパイプづくりを考えていかないといけない。>なんて発言がJOCの市原専務理事から出てくるわけですな。
コメント欄にも書いたが、アマチュア選手たちの記者会見については同感。

<永田町異聞>は元社会部の新聞記者の方が書いているらしい。本来ならこういう言説がスポーツジャーナリズムから出てきてほしいのだが、本文中にリンクした2つの記事をはじめ、記者自身が選手やスポーツ団体幹部の目線と同化してしまった記事が目立つ。12/3付の報知新聞に掲載された石井睦記者のコラムも同じで、マイナー競技の選手は自腹切って頑張ってるんだから縮減とはけしからん、というばかり。スポーツに限らず、自腹切って頑張って文化活動をしている人は世の中に数え切れないくらいいる。五輪種目だというだけで国庫から金が出ることに、どういう合理性があるのか、という視点は皆無だ。当事者はともかく、記者がそれじゃまずいでしょ。

結局のところ、事業仕分けで指摘されたのは、スポーツジャーナリストたちが看過していた問題なのだ。その問いかけに対する見解も見せずに文句ばかり言っててどうする。そんな人たちが「スポーツは文化だ」「政治や経済より軽視されているのはおかしい」なんて口走ったところで説得力はない。
(とはいえ、玉木正之の日記を読むと、さすがにまともなことを書いていた)

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正力賞はもっと選手にあげてもいいんじゃないだろうか。今年は別ですが。

 2009年の正力賞受賞者が原辰徳に決まった。
 WBCの優勝監督であり、セントラル・リーグのシーズン優勝、CS優勝、そして日本シリーズの勝者。王貞治座長がいうとおり、「国民投票をしても1位になる」に違いない。原の受賞には何の異論もなく、祝福したい。

 ただ、記事に添えられた歴代受賞者リストを眺めると、いささか複雑な気分になる。2000年の松井秀喜を最後に、選手がいない。今世紀に入ってからは監督しか受賞していないのだ。今のプロ野球には「プロ野球界最高の賞」に値する選手がいないのだろうか。

 全体に監督が受賞する年が多いけれど、過去には選手の受賞も結構ある。
 近年の受賞選手は94、95年のイチロー、97年の古田敦也、98年に佐々木主浩、そして2000年の松井と続く。野球界の顔役とも言うべき重量級の選手が並ぶ。現在のNPBに、彼らに匹敵する重量感のある選手は、確かにいないかもしれない(もっとも、現時点で感じる「重量感」には、その後の彼らのMLBや選手会での足跡も加味されているので、当時の重さを思い出すのは難しいのだが)。

 だが、さらにさかのぼると、それほど重量感のある受賞ばかりでもなかった。
 83年の田淵幸一の成績は、規定打席にも満たない凡庸なものだ。西武ライオンズがジャイアンツを破って2年連続日本一になったことと、彼のそれまでの実績に対する功労賞という意味合いが感じられる。87年の工藤公康は、防御率1位とはいえ15勝4敗、それほど突出した数字ではないし、彼はまだ24歳だったから功労賞ということもない。92年の石井丈裕も工藤の例と似たようなものだ。

 反面、例えば90年代最高級の投手である野茂英雄、00年代最高級の投手である松坂大輔は1度も受賞していない。外国人選手の受賞もない(外国人監督では2005年にバレンタインが受賞している)。

 こうやって眺めてみると、もう少し賞を出す側がアグレッシブになっていいんじゃないか、という印象を受ける。
 賞が創設されて30年を超えたが、選考委員会は5人程度のプロ野球OB(とジャーナリスト1人)で、こぢんまりとしている上に、入れ替わりつつも高齢化が進んでいることも、影響しているのかも知れない(若返った沢村賞選考委員会とは対照的。若くても保守的な人もいるが)。

 高齢化そのものや、保守的であること自体を、非難するつもりはない。ただ、「これがなくても野球は成り立つ」という要素をひとつづつ除いていった時、最後に「監督」と「選手」が残ったとしたら、除くべきがどちらであるかは明白だろう。
 軽々しく与えては賞の権威を損なう、という考え方もあるかもしれない。だが、結果として野茂、松坂、金本知憲、さかのぼればランディ・バース、落合博満(07年に監督で受賞)といった一時代を作った選手たちの名が受賞者リストに並んでいないことは、この賞の権威をいささか損なっている(たとえば、筒井康隆に授与しなかったことが直木賞の、村上春樹に授与しなかったことが芥川賞の権威を、いささか損なっているように)。選考する人たちは、そういうことも少し怖れた方がよいのではないかと思う。

 正力賞が、その年のプロ野球に最も貢献した人物、という趣旨の賞であれば、まず選手の中から対象者を探し、適切な候補がいなければ監督を検討する、というくらいの段取りでもいいんじゃないだろうか。王さんが座長になったことで、次回からいくらか変化が現れることを期待する。

 しかし、この賞の第1回受賞者も王貞治なのだな。国民栄誉賞と正力賞という2つの(権威があるらしいけれど選考基準がはっきりしていないという共通点を持つ)賞は、どちらも1977年に王貞治に与えるために創設された、といってもよさそうだ。当時の王貞治が日本にとってどういう存在だったかを、改めて痛感する。

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「ジャイアンツファンのみなさま、ニッポンイチになりました!」

 ホントに勝ったの? これで日本シリーズ終わったの? もう闘わなくていいの?

 試合が終わっても、そんな気分がなかなか抜けない。
 勝利監督インタビューで、原監督が「ジャイアンツファンのみなさま、日本一になりました!」と高らかに叫んだところで、ようやく実感がわいてきた。
 ジャイアンツ、日本一。7年ぶりの日本シリーズ優勝。

 シーズン中も試合を見たことがなかったわけではないが(JSPORTSでは、よく朝から前夜のパ・リーグの試合の再放送をしていたりする)、こうやって毎日戦いながら、じっくりと見ていると、日本ハムは実によいチームだと改めて痛感する。
 どの打順からも打つ、二死からも打つ。小技も利くし、ミスが少ない。反対方向に打ちながら次打者へ次打者へと繋いでいく打線からは、じわじわと追い詰められる恐怖感を覚えた。
 そして守備が素晴らしい。スタジアムで見ていても、右中間、左中間に飛んだ打球は、どれほどよい当たりでも、グラウンドかフェンスに当たるまでは、誰かに取られそうで安心できない。田中―金子の二遊間はもともと定評があるが、三塁の小谷野は体型に似合わぬ機敏で柔らかい動きだし、一塁の高橋は捕手出身だけあって、こまめに投手に声をかける。
 野手陣には、どの選手も喧嘩が強そうな風貌と雰囲気があるし(鶴岡を除く)、ブルペンは若くて勢いがある。
 
 
 振り返ってみれば、1勝目はかろうじて逃げ切ったという記憶しかないし、2勝目も結果的には3点差がついたが8回表に山口が乱れた時は相当危なかった。3勝目は試合時間の大半を劣勢のまま過ごし、最後の数分間でうっちゃる展開だったし、4勝目の今日も、9回2死でなお一打同点、本塁打で逆転サヨナラ、打席にはシリーズでもっとも怖い四番・高橋、という局面だった。
 要するに、安心して見ていられた勝利などひとつもない。なかなか優勝の実感が湧かなかったのも当然だ。
 シリーズMVPに選ばれた阿倍の第一声は、お約束の「最高です!」だったが、まるで勢いがない(第5戦のサヨナラ本塁打の後とは大違いだ)。シリーズの感想を問われて、「苦しかったです」と言ったのは、掛け値なしの実感だろう。シリーズを通じて好調だった投手など思い出せない。
 いちばん良かったのは第2戦で内海の後を継いだ東野だが、その東野が先発した今日は、初回に高橋の打球を手に受けて降板。緊急登板の内海以下の5投手は、それぞれコントロールが定まらない。捕手としては精魂尽き果てたことだろう。

 
 両エースがどちらも故障で登板不能の見込みと伝えられていたシリーズ前には、それならジャイアンツの方が有利だと思っていた。ダルビッシュは日本ハムにとって絶対的なエースだが、グライシンガーはジャイアンツにとって有力なローテーション投手の1人に過ぎない。
 それだけに、第2戦でダルビッシュが登場した時には、情勢は逆転したように感じた。しかも始球式には新庄だ。札幌ドームが異様に盛り上がったのがテレビ画面からもありありとわかった。あそこで新庄を連れてくるとは、反則としか言いようがない(笑)。

 
 上述のように投手陣は安定感を欠き、打線は3・4・5番がもうひとつ、とりわけ四番のラミレスが冴えない。コンスタントに良かったのは二番の松本くらいで、シリーズ男と呼べるような存在は現れなかった。
 調子の良い選手が多かったわけでもないし、第4戦はシーズン中でもあまり見られない、集中を欠いたひどい試合だった。チームとしての完成度はまだまだだ。
 それでも、ジャイアンツは勝った。野村克也が昔から「勝ちに不思議の勝ちあり」と言うけれど、まさにそんな感じのシリーズだった。

 
 得点した場面を思い起こすと、効果的な本塁打もあったものの、集中打で走者を還した場面が目に浮かぶ。
 第1戦の決着をつけたのは代打・李のタイムリーだったし、第3戦、空中戦での均衡から抜け出したのは、二死からの坂本が選んだ四球がきっかけとなった。
 9回裏の本塁打2本でひっくり返した第5戦も、届かなかった1点差にようやく追い付いたのは、代打・李の韓国式避けない死球と、代走・鈴木の初球から当り前のように走った盗塁、そして代打・大道がしぶとく食らいついて二塁手・田中の頭を越えたタイムリー。今日も6本しか打てなかった安打のうち4本が得点に結びついている。
 シーズン中は3割近い猛威をふるった日本ハムの代打陣は結果が出ず、シーズン中はさほどの打率ではないジャイアンツの代打陣は、しばしば試合を決める働きをした(それはクライマックス・シリーズからの流れでもある)。
 ばたばたした局面もあったけれど、チームはここぞという場面で高い集中力を発揮した。

 
 原監督の胴上げは、いつまで続くんだろうと思うほど回数を重ねた(全部で10回だったらしい)。
 テレビ画面に映った胴上げの輪では、誰ひとり、外側を向いている者はいなかった。
 チームの誰もが同じ方向を見ていた。
 この苦しい競り合いの連続を抜け出す、最後のひと押しとなった何かが、胴上げの光景に現れていたような気がした。

 そして、その何かを築き上げたものは、きっと原辰徳の、どこまでも空高く抜けていくような明るい声と、あの笑顔だったに違いない。
 
 
 それにしても今週は贔屓チームが次から次へと優勝する。こんなことがあっていいんだろうか。
 
 
 あと、日本シリーズのラジオ中継で井端、テレビ中継で立浪の解説を聞いたが、2人とも実に説得力があり、他球団の選手のことをよく見ており、話も面白い。解説でもコーチでも今すぐ一流になれそうな選手が、2人も試合中のグラウンドにいたのだから、なるほど中日は強いわけだ。

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松井秀喜の戴冠。

 今年のワールドシリーズは6試合目で決着がつき、ヤンキースがフィリーズを下した。新装ヤンキースタジアムで最初の、そしてチームとしては9年ぶりのワールドチャンピオン。
 第2戦に続いて、この試合でも決勝ホームランを放った松井は3安打6打点の大爆発で、シリーズMVPにも選ばれた。日本人として初めて、そして、DH専門の打者としても初めてのワールドシリーズMVPだ、とMLB.comの記事は伝えている。
 松井はアメリカで、ようやく彼にふさわしい称号をひとつ手にした。

 優勝が決まった直後のNHKのインタビューで、松井は「長かったですね」としんみりと語った。
 彼のことはプロ入り前から見ている。いつも取材には誠実に応対する選手だが、同時にいつも、どこか鎧を着たような喋り方をする。こんなに無防備で素直な口調で話す声を聞くのは初めてで、それ自体がこの優勝の実感を、何よりも明瞭に伝えていた。

 インタビューを終えた松井が、スタンドに沿って場内を一周する選手たちの列に加わると、勝利直後にマウンドのあたりでがっちりと抱き合っていたデレク・ジーターが、また松井に抱きつき、嬉しそうに隣を歩きながら、離れようとしない。この主将が、日本から来た僚友を、どれほど大切に思っているかが伝わってくるような姿だった。
 以前も書いたことがあるが、この2人の、試合に取り組む姿勢はよく似ている。彼らを大切にしていたジョー・トーリ前監督が去った今、2人にとっては互いこそが、チーム内での最大の理解者なのかも知れない。


 グラウンドのお立ち台で行われたMVP表彰でのインタビューは現地の映像と音声のままだったが、通訳を通していたので、日本語での質問と回答もそのまま伝えられた。

ーー受賞の気持ちは
 最高です。自分でも信じられません。
ーー日本でも優勝した経験があるが、違いますか
 また違った喜びがある。とにかく今は最高です。
ーー契約の満了年だが、ここでまたチャンピオンを目指すつもりは?
 そうなればいいと思っています。僕はニューヨークが好きだし、ヤンキースが好きだし、チームメイトが好きだし、ヤンキースのファンが大好きですから。

 最後の言葉が訳された時、スタンドは大いに沸いた。ニューヨークのファンもまた、彼を愛している。スーパースターなら飽きるほど見てきた彼らは、グラウンドで利己的に振る舞う選手と、チームの勝利のために尽す選手との違いを、よくわかっているのだろうと思う。


 渡米して7シーズン。20代の若者だった松井は35になった。
 渡米した2003年のシーズンに、彼の活躍もあってリーグ優勝決定戦を勝ち抜き、ワールドシリーズに進出して敗れた。98年からワールドシリーズに3連覇、2001年まで4年連続でシリーズに進出していたヤンキースのことだから、チャンスはすぐまた来るだろうと私は思っていたし、松井もたぶんそう思っていたことだろう。「長かった」という彼の言葉は、私のものでもあり、日米の数多くのファンのものでもある。

 ワールドシリーズで打った3本目の本塁打はリアルタイムで見ることができなかったが、後で見た映像で、2000年の日本シリーズで彼が打った本塁打を思い出した。
 ダイエーホークスと対戦し、「ON対決」と騒がれた日本シリーズの、初戦の1回裏の最初の打席に入った松井は、そこに立った時から特別な空気をまとっているように見えた。とんでもない速さでバットが一閃し、それからおもむろに打球が舞い上がって、ゆっくりとバックスクリーンの右に落ちていった。何か、人智を越えた予定調和を見たような気がした。
 「ON対決」などというのは中継のテレビ画面の中の概念であり、実際に東京ドームのグラウンドに君臨していたのは松井秀喜だった。
(次の打席からは、その空気は消えて、松井は一野球選手に戻っていたのだが)
 松井はこのシリーズで3本の本塁打を放ち、ジャイアンツを4勝2敗の優勝に導いて、日本シリーズMVPを獲得した。

 ヤンキースタジアムの2階席に舞い降りた本塁打も、あの日のそれによく似た軌道を描いていた。
 いろんなものを犠牲にして、願い続け、待ち続けた舞台に、満身創痍になってようやくたどりついた時、最高の状態が、彼に降りた。そんなふうに見えた。


 今季で松井とヤンキースとの契約は満了する。彼が来年どうなるかは、まだわからない。年俸を大幅に下げた1年契約が提示される可能性があると思うが、それを松井サイドが受け入れるかどうかもわからない。
 わからないことばかりの来シーズンだが、ひとつだけ、私が確信していることがある。
 松井が次にヤンキースタジアムの左打席に立つ時、スタンドは大きな拍手と、おそらくはスタンディングオベーションをもって彼を迎えることだろう。
 その時に彼が着ているユニホームが何色であろうとも。

 ヤンキースでの松井は、ディマジオやマントルにはなれなかった。
 だが、チームを去った後も、いつまでもファンから愛され、尊敬され続けたポール・オニールやティノ・マルティネスのような存在になった、とは言えるのではないかと思う。
 数多くのスター選手がやってきては、その多くが傷つき、惜しまれもせずに去っていくこのチームにおいて、それはきわめて希有なことだ。

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東京の魂。

 FC東京、ナビスコ杯2度目の優勝。感無量。

 相手は現在リーグ首位、今季2戦して2敗のフロンターレ。こちらはカボレをオイルマネーに奪われ、石川をケガで失い、長友もベンチスタート。今シーズンのベスト布陣から3人を欠くという圧倒的に不利な状況が、かえってチームのやるべきことを明確にしたのだろう。先制し、相手のストロングポイントを潰し、前がかりになった相手からカウンターで追加点を奪い、最後はハーフコートゲームになっても構わずにディフェンダーをどかどかと投入し試合を壊して逃げ切る。戦力に不備のあるチームが勝つためのお手本のような試合展開だった。

 ゴール前へのハイボールに迷わず飛び出し、ことごとく跳ね返した権田、若い椋原、誰もが一瞬たりとも集中を切らすことがなかった。フロンターレの選手にとっては、かわしてもかわしてもディフェンスが湧いてくる、悪夢のような試合だったことだろう。そのピッチの中心部には、1人にかわされてもパスが出た先まで追っていく、ゾンビのような米本がいる。先制ゴールだけがMVPの理由ではないはずだ。

 表彰式でトロフィーを掲げる羽生がカボレ9のユニホームを着ているのに気付いて涙し、羽生に続いてチェアマン杯を受け取った藤山がキャプテンマークを巻いているのに涙し、またしてもベンチで優勝を見守る羽目になった塩田のはしゃぎぶりに、また涙。
 グラウンドに降りた塩田が満面の笑みで抱きついた相手は、たぶん引退を決めた浅利だったと思う。藤山も今季限りで東京を去る。
 でも、彼らが培ってきたものは、しっかりと若い衆が受け継いでいる。
 初めてFC東京の試合を見て、一生このクラブについていく、と決めてから10年が過ぎた。当時とは顔触れも戦術も変わったが、試合から受ける印象は少しも変わらない。それがたぶん、クラブの伝統とか魂とかいうものなのだろう。
 
 
…と、ここまで書いたところで、味スタで優勝報告会が開かれることに気付いて、飛田給に向かった。 決勝のチケット争奪戦には敗れたが、せめてチャンピオンたちに祝福を贈りたかった。京王線の車内は、国立から移動してきたと思われるサポーターたちで一杯だった。
 ぎっしり埋まったホーム側のゴール裏スタンドに挨拶に立った城福監督は、浅利について言及したところで、絶句した。感極まった、という形容がよく似合う表情だった。メモをとったわけではないのでうろ覚えだが、城福監督は、こんな話をした。

…僕は、サリをベンチ入りの18人に選ぶことができなかった。
 小平での練習で、いちばん良い準備をしていたのはサリでした。彼はその日、小平のロッカーで号泣したと聞きました。
 ウチのスタメン11人は、Jリーグでいちばん若いチームです。決勝の国立のピッチで、5万人の観衆を前にしたら、雰囲気に呑まれ、足がすくみ、普通のプレーなどできるはずがないと思っていました。
 僕は、サリに許可を貰わずに、試合前のロッカールームで彼のことを話しました。
 決勝のプレッシャーに勝るものは、サリの涙しかなかった。
 「『いい経験をしました』『頑張ったけど負けました』などという試合をして、サリに顔向けができるのか」、そう話しました。
 だから、試合が始まっても、スタンドの皆さんの姿は、彼らの目には入っていなかったはずです。見ているサリに恥ずかしくない試合をすることで、彼らの頭は一杯だったはず。
 2004年は、ジャーンの涙が勝たせてくれた。
 今日は、サリの涙が勝たせてくれました。  …

 今季限りでの退団が決まった藤山は「代表に呼ばれたこともない僕が18年もやれてよかった」というような話をしたと聞く。藤山も浅利もそんな選手だったが、しかし、彼らが紛れもなくチームの背骨だった。
 そんな選手がいるクラブ、そんな選手をおろそかにしない監督、そんな選手の背中を慕う若い選手たちを、嬉しく思う。


追記(2009.11.5)
優勝報告会における城福監督の挨拶は、サポティスタにYOUTUBE映像と、起こした文章(映像の3分18秒あたりから)がアップされている。
http://supportista.jp/2009/11/news04124102.html
私のうろ覚え記事は、大筋はともかく細部はかなり違うので、あとで修正しようと思います。

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