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2010年6月

幻想の終わり、夢の続き。

 残念。

 ほかに言葉がない。日本代表の冒険は、ここで終わってしまうのか。

 負けたことよりも、ベスト16止まりという結果よりも、このチームをもっと見続けていたかった。
 大会が始まってから1試合ごとに目覚ましい成長を見せたこのチームが、どこまで行けるのかを。
 それが断ち切られてしまったことが、何よりも悔しい。
 
 
 南アフリカ大会は、ある意味で、日本のサッカー界が囚われてきた幻想に終止符を打った、という意味を持つことになるんじゃないだろうか。
 「日本選手は技術が高い」とか、「中盤のパス回しなら一流」とか、そういうところをストロングポイントと考えて岡田監督はチームを作ろうとしてきた。前任者の「日本代表の日本化」という宣言が鮮烈に印象に残っていたこともあり、そういう基本姿勢を疑う人、否定する人は、ほとんどいなかった(岡田監督の技量でそれが実現できるのか、という懸念や批判はあったにしても)。

 しかし、岡田監督は、23人のメンバーを決定し、日本を出発した後で、それまでのやり方に見切りをつけた。イングランドやコートジボワールなど強豪国との戦いで通用しないことを悟ったのだろう(岡田監督は、主力選手の数名がコンディションを崩していたことも理由に挙げていた)。
 まず守備を固め、相手に囲まれても勝負できる能力の持ち主を前線に配した。日本選手の組織力や連携、タスクに忠実な精神力といった特徴は、主として守備において発揮された。

 つまりは弱者の戦法を取ったのだ。そのやり方でカメルーンを倒し、オランダには屈したが、フリーキックという従来からの武器によってデンマークをも倒してベスト16に進出した(もっとも、その時、従来からの一番手キッカーはベンチに座っていたわけだが)。

 ただし、弱者の戦法ではあっても、2試合目、3試合目と大会が進むにつれて、チームは、攻撃的な闘い方を少しづつ模索しはじめた。本田だけでなく、松井や大久保、遠藤、長谷部、岡崎らがコンビネーションの片鱗を見せはじめた。3試合目が終わった後に岡田監督が会見で話していた通り、自分たちのどこまでが通用し、どれが通用しないのかという見極めを、選手たちが肌で理解しはじめた、ということなのだろう。

 ベスト8を争うパラグアイとの試合も、入り方はこれまでと大差なかった。
 パラグアイといえば思い出すのは1998年フランス大会。GKチラベルトを中心とした、しぶとく守り抜くチームで、延長の末、ブランのゴールデンゴールに散ったフランス戦は、あの大会の白眉のひとつだった。
 だが、そんな私のイメージよりもパラグアイは攻撃的だったし、選手たちは日本よりも早く疲れ始めていた。パラグアイは幾多のチャンスを作ったがミスも多かったし、試合が進むにつれて守備にも隙を見せ始めていた(とはいえゴール前の堅さは最後まで変わらなかったが)。

 岡田監督の用兵は、延長突入を意識していたのか、仕掛けが遅かった。
 松井や大久保を下げるのはそれまでと同じ。だが、阿部を下げて中村憲剛を入れた起用は、大会で初めて見せたものだ。阿部がピッチからいなくなるのも、中村憲剛が入るのも、初めてだった。
 中村はトップ下に入り、遠藤と長谷部が中盤の下がり目にポジションをとった。両翼には岡崎と玉田。トップには依然として本田が張っていたが、それ以外は従来の岡田監督による日本代表の形のひとつだ。長短のラストパスを出せて、かつ自身も前線に飛び込んでいける中村憲剛は、疲れの見え始めたパラグアイに対して効いていたと思う。
 つまり、このチームは、遠藤ー長谷部というラインの後ろに阿部を置く形と、前に中村憲剛を置く形、2つのオプションを手に入れた。相手との力関係や状況に応じて、この2つを使い分けながら戦うというやり方が見えてきた。

 だから、中村投入後に1点を取って勝ち上がることができたなら、日本代表はさらにバージョンアップを重ねることができただろう。一度は見切りをつけた戦い方を再構築して、このレベルの相手にも通用するところまで磨き上げることができたかも知れない。
 そのチャンスを失ったことが、何よりも残念だ。

 岡田監督は、たぶんこの試合を最後に代表監督を退任するのだろう。
 次が誰になるのかは知らないし、今はそこまで頭が回らない。
 ただ、誰が次期監督になるにせよ、岡田監督が見せた弱者のリアリズムと攻撃の可能性、双方を踏まえて前に進むようなチームを作って欲しい。
 そうなった時に、南アフリカでの彼らの闘いは、さらに輝かしいものになるはずなのだから。

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古い井戸から水が湧いた。

 本田のフリーキックが決まった時はただ嬉しいだけだったのに、遠藤のそれがゴールマウスに収まり、目尻の下がった笑顔を見たら、ぶわっと熱いものがこみあげてきた。
 各国の名手たちが扱いかねている厄介な公式球に、高地のスタジアムで、きちんと回転をかけてゴール隅に落としたテクニック。これから24時間くらいの間、世界中のテレビで、この美しい軌跡がリプレイされ続けるに違いない。遠藤は本田と2人で世界を驚かせたといっても差し支えないだろう。
 古い井戸から水が湧いた。

 3-1でデンマーク戦を終え、グループリーグ突破を決めた瞬間に、さあ次の相手はどこだ!と昂ぶった気分が湧き上がってきた。この感覚は、同じアフリカ大陸で日本代表が戦った1999年のワールドユース以来だ(2002年にはそうでもなかった。不思議)。
 ナイジェリアでのワールドユースは、これまで、遠藤が日本代表で活躍した唯一の国際大会だった。レギュラーだった稲本が大会直前にコンディションを崩し、代わりにボランチとして起用された。チームの王様だった小野、左サイドを切り裂いてナイジェリア国民から圧倒的な人気を得た本山、卓越した運動量で周囲をサポートした小笠原。私が見た各年代(A代表を含めて)の日本代表の中では、最も「黄金の中盤」と呼ぶに相応しい4人だったと思っている。

 以後の遠藤は、こと代表においては不遇だった。シドニー五輪ではサポートメンバーとしてスタンドから観戦、2002年には代表に選ばれず、アテネ五輪はオーバーエイジに名前が上がりながら肝炎に倒れる。2006年のドイツ大会でようやくワールドカップのメンバーに入るも、出場機会のないまま大会を終えた。
 その遠藤が南アフリカで、グループリーグ3試合を通じて中盤を支えている。
 個人技重視のジーコから、オシムに監督が交替し、戦術も代表の顔ぶれもがらりと変わった中、遠藤は重用され続けた。オシムが病に倒れて岡田に変わった後も。そして、岡田監督がワールドカップ本番で、それまでとは大きく闘い方を変え、盟友というべき中村俊輔が外された今も、遠藤はピッチの中央にいる。君臨、というたたずまいではないが、必要な時に必要なところにいて、必要なことをしている。
 日本サッカーのいわゆる黄金世代(もはや死語になってしまったが)について、ドイツ大会の直前にこんな文章を書いたことがある。
 物語はどうやら遠藤ひとりの肩に担われたようだ(稲本もいるけれど、阿部が活躍し、今野も控えている状況で、稲本が主役に躍り出るという場面は考えにくい)。

 世代論的な話をするならば、今大会は遠藤が出損なったアテネ五輪メンバーのリベンジ戦でもある。メンバーの中にアテネ組が6人、うち5人がデンマーク戦に先発し、残る今野も初出場を果たした。全員が対人プレーの強さで貢献している。山本昌邦監督は再評価されていいかも知れない。
(ちなみに北京五輪代表からは5人。うち長友、本田、岡崎の3人が出場)

 試合そのものは見事な内容だった。過去2試合と同様に守備から入って試合を落ち着かせ、松井の飛び出しから徐々にペースを掴んでいった。本田、遠藤という2枚の飛び道具が威力を発揮したことで主導権を握り、前半の終わり頃には相手陣内に数多くの選手が侵入した。デンマーク守備陣の足が止まっていたのは、心理的に劣勢に立っていたこともあるのだろうが、ファウルを犯したら、またあのFKが炸裂する、という怖れもあったかもしれない。
 後半のデンマークは長身FWを投入し、4枚が前線に並んだが、中沢とトゥーリオが読みのいいヘディングで対抗し、2列目から飛び出してくるトマソンは阿部がケアして、1失点にとどめた。
 ダイレクトでパスを回しながら選手たちが次々と相手陣内に押し入り、多くの選手がシュートを放った後半の攻撃も含め、日本サッカーの成功体験として記憶されるに相応しい内容だったように思う。

 試合後のインタビュー映像を見ると、遠藤は相変わらず淡々としているし、長谷部や松井、本田はすでに次の試合への意欲を見せている。岡田監督はやや目が赤く見えたし、中澤はほとんど感極まった表情だったが(4年前のことを聞かれて言葉に詰まっていた)、達成感によってチームの状態が変わってしまう、という懸念を持つ必要は、さほどなさそうに見えた。
 たぶん次の試合での闘いぶりによって、岡田監督が「ベスト4」という目標を掲げたことの意味が見えてくるのだろう。

 次の相手はパラグアイ。今大会での試合はあまり見ていないが、伝統的に強固な守備としぶとい精神力を誇るチームだ。これまで以上に神経をすり減らすような試合になると思う。延長からPK戦にもつれこむ可能性もある。

 もっとも、そうなれば遠藤のコロコロPKが世界を驚かすチャンスでもあるのだが。

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悔しくもあり、誇らしくもあり。

 オランダ戦の前半は、カメルーン戦と同じだった。日本は自陣に引きこもり、侵入してきた相手を撃退することに労力の大半を費やした。時折、松井や大久保が独力でアクセントをつけてはいたものの、大勢としては、何事も起こらないまま時間が経過すればするほど自分たちに有利になる、という態度で、試合を潰しにかかっていた。実際、前半が終わろうとする頃には、オランダの選手たちが苛立っているのが感じ取れた。

 だから、力量差の明白なチームどうしが対戦する時、格上の側がよくするように、後半の開始とともにオランダは猛然と日本のゴールに迫った。ぎりぎりで防ぎながら数分が経ち、この時間帯をしのぎきったら、新しい展望が開けてくるのでは…と私が期待を抱き始めた時に、スナイデルが強烈なシュートを放った。GK川島の反応は申し分ないものだった。パンチングに逃れる寸前に、ボールが彼の進行方向とは逆に曲がるまでは。そうそう都合よく物事は進まない。

 後半8分での失点。
 日本が別の顔を見せたのは、それからだった。
 
 
 たまたまこの日の朝、私は録画してあったNHKの「スポーツ大陸」を見た。「大逆転スペシャル」と題したシリーズのひとつで、1997年、フランス大会予選のプレーオフで岡野雅行が決めたゴールデンゴールを扱った番組だった。
 ジョホールバルでのイランとの3位決定戦。中山のゴールで先制した日本は、しかし後半に入ってイランの2ゴールで逆転を許す。今見ると、選手とさして年齢が変わらないような岡田監督は、FW2枚を同時に交替した。カズと中山に替えて、城と呂比須を投入。その城が同点ゴールを決め、延長に入ると最後の交替枠に岡野を選んだ。
 同点に追いつかれても、リードを許しても、監督も選手も、そしておそらくはスタンドやテレビの前のサポーターも、誰も一歩も退かずに勝つことだけに集中していた。

 オランダ戦で1点を失ってからの日本代表には、あの夜のチームを思い出させるものがあった。
 攻撃にかかればリスクも増える。カウンターで2点目3点目を失う可能性は大きくなる。グループリーグ3試合での星勘定を優先するならば、このまま自陣に引きこもって最少失点差で試合を終え、デンマーク戦に賭ける、というやり方もあるのだろう(カメルーンに勝った後、「オランダ戦は捨てて、控え選手で戦え」と主張するライターや評論家もいた)。

 だが、日本は攻めにかかった。誰かから合図があったとも思えないほど自然に、まるで失点によってスイッチが入ったかのように。大久保は相手に囲まれながらシュートを放ち、遠藤や長谷部が相手陣内に駆け上がる。長友は右サイドに転じて、途中から入ってきたエリアを封じながら、いつものように激しい上下動を繰り返す。岡田監督は中村俊輔、岡崎、玉田と3枚の交替枠すべてを攻撃に費やした。終盤にはトゥーリオが相手ゴール前に上がる。
 南アフリカに入ってから、初めて見る日本代表の姿だった。
 上がった最終ラインの裏をつかれて2度の致命的な危機が生じたが、いずれも川島が果敢に飛び出して防ぎ切った。

 大久保や岡崎のシュートは、相手ゴールに届くことがなかった。
 シュートを多く打ったのは良かったが、それが入らなかったのは、不運というよりは、そこまでの力なのだろう。大久保のキックには、スナイデルのそれのように相手GKを弾き飛ばすだけの速度も勢いもなかった。体勢が崩れても瞬時のチャンスをモノにするのが岡崎の持ち味のはずだったが、大舞台での交替出場に力が入ったのだろうか。こういう試合でこそ森本を試して欲しかった、という思いは残る。
 
 もちろん敗戦は悔しい。
 だが同時に、納得のいく試合でもあった。これが今の日本の力だ、と。
 試合の終盤は日本がオランダを攻め抜いた。相手が1点を守って逃げ切ろうという態度に入っていたことも影響していたのだろう。だが、オランダのような、攻撃力に特長があり、試合の美しさを重視することにかけては世界有数の国を、そんな状況にまで追い込んだこと自体に、相応の価値がある。そして、にもかかわらず攻め切れなかった、という結果が残す教訓も大きい。

 日本がワールドカップで、優勝候補に挙げられるような強豪国と戦ったのは、これが3度目になる。
 フランス大会でのアルゼンチン戦は、2,3のチャンスはあったものの、ほぼ防戦一方に追いまくられ、守りに守ったが守り切れずに0-1で屈した。
 ドイツ大会でのブラジル戦では、なすすべもなく1-4と粉砕された。
 そして今回。同じ0-1でも、中身は98年のそれと同じではない。あの時は抵抗するのが精一杯だった。今度は相手を脅かした。
 攻勢に出たことで、初めて見えてくるものもある。この試合を見たサッカー少年たちは、なぜ日本のシュートはゴールにならなかったのか、と考えずにはいられないだろう。そして、自分なりの対策を始める選手も、きっといるはずだ。大きな舞台での挑戦には、そういう意味があるはずだ。

 12年前、トゥールーズでアルゼンチンに敗れた日本代表を見届けてスタジアムを後にした時は、ワールドカップへのデビュー戦だったこともあり、敗戦という結果よりも、それなりに抵抗力を見せたことに充実感を覚えていた。私も他の観客たちも、下を向いてはいなかった(あの時は観客自身も、チケット争奪戦という厳しい戦いを勝ち抜いていたのだ)。
 ダーバンの観客たちがどうだったかはわからないが、私があそこにいたとしたら、昂然と胸を張ってスタジアムを後にしたと思う。敗れはしたが、誰に恥じることもない。

 デンマークがカメルーンを破り、グループリーグ突破は直接対決で決することになった。
 理想と現実とのバランスが整いつつある日本代表が、その状態を保ったまま、この厳しい局面を突破することができたなら、ひとつ上の世界が開けてくるような気がする。できなかった時のことは、その時に考えたい。

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岡田リアリズムの発動。

 とりあえず岡田監督には頭を下げる。
 彼もチームも、折れてはいなかったようだ。

 ワールドカップ本大会の初戦、カメルーン戦で1-0の勝利。
 1トップに本田を置き、両サイドに大久保と松井。阿部をアンカーに置いて、遠藤と長谷部で固める。ほんの1か月前までは見たこともなければ兆しもなかった布陣だ。
 最も得点力のある選手を最も相手ゴールの近くに置く、単純明快な起用が功を奏した。右サイドに張り続けてペナルティエリアに近づこうとしなかったエトーとは対照的だった。押されっぱなしの後半だったが、エトーが捌いているうちは恐怖は半分で済む。

 準備期間のほとんどでチームの中心としてきた中村俊輔も、あれほどこだわってきた小柄なFWも、すべて捨てた。それも、日本を出発した後で。
 札幌でも横浜でも、高い理想を掲げながら、ある時点で結果への最短ルートにずばっと切り替えてきた、かの岡田監督のリアリズムが、遂に発動した、ということなのか。

 ともかく選手たちは、一対一を恐れず、守っては次から次へと相手に襲いかかり、1人では無理でも2人目、3人目がボールを奪った。トルシエがこの試合を見ていたら、「日本に守備の文化が生まれた」と認めるだろうか。

 試合終了時の選手たちが、淡々と落ち着いた表情だったのが印象的。困難なミッションを完遂したプロフェッショナルの相貌だった。

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