悔しくもあり、誇らしくもあり。
オランダ戦の前半は、カメルーン戦と同じだった。日本は自陣に引きこもり、侵入してきた相手を撃退することに労力の大半を費やした。時折、松井や大久保が独力でアクセントをつけてはいたものの、大勢としては、何事も起こらないまま時間が経過すればするほど自分たちに有利になる、という態度で、試合を潰しにかかっていた。実際、前半が終わろうとする頃には、オランダの選手たちが苛立っているのが感じ取れた。
だから、力量差の明白なチームどうしが対戦する時、格上の側がよくするように、後半の開始とともにオランダは猛然と日本のゴールに迫った。ぎりぎりで防ぎながら数分が経ち、この時間帯をしのぎきったら、新しい展望が開けてくるのでは…と私が期待を抱き始めた時に、スナイデルが強烈なシュートを放った。GK川島の反応は申し分ないものだった。パンチングに逃れる寸前に、ボールが彼の進行方向とは逆に曲がるまでは。そうそう都合よく物事は進まない。
後半8分での失点。
日本が別の顔を見せたのは、それからだった。
たまたまこの日の朝、私は録画してあったNHKの「スポーツ大陸」を見た。「大逆転スペシャル」と題したシリーズのひとつで、1997年、フランス大会予選のプレーオフで岡野雅行が決めたゴールデンゴールを扱った番組だった。
ジョホールバルでのイランとの3位決定戦。中山のゴールで先制した日本は、しかし後半に入ってイランの2ゴールで逆転を許す。今見ると、選手とさして年齢が変わらないような岡田監督は、FW2枚を同時に交替した。カズと中山に替えて、城と呂比須を投入。その城が同点ゴールを決め、延長に入ると最後の交替枠に岡野を選んだ。
同点に追いつかれても、リードを許しても、監督も選手も、そしておそらくはスタンドやテレビの前のサポーターも、誰も一歩も退かずに勝つことだけに集中していた。
オランダ戦で1点を失ってからの日本代表には、あの夜のチームを思い出させるものがあった。
攻撃にかかればリスクも増える。カウンターで2点目3点目を失う可能性は大きくなる。グループリーグ3試合での星勘定を優先するならば、このまま自陣に引きこもって最少失点差で試合を終え、デンマーク戦に賭ける、というやり方もあるのだろう(カメルーンに勝った後、「オランダ戦は捨てて、控え選手で戦え」と主張するライターや評論家もいた)。
だが、日本は攻めにかかった。誰かから合図があったとも思えないほど自然に、まるで失点によってスイッチが入ったかのように。大久保は相手に囲まれながらシュートを放ち、遠藤や長谷部が相手陣内に駆け上がる。長友は右サイドに転じて、途中から入ってきたエリアを封じながら、いつものように激しい上下動を繰り返す。岡田監督は中村俊輔、岡崎、玉田と3枚の交替枠すべてを攻撃に費やした。終盤にはトゥーリオが相手ゴール前に上がる。
南アフリカに入ってから、初めて見る日本代表の姿だった。
上がった最終ラインの裏をつかれて2度の致命的な危機が生じたが、いずれも川島が果敢に飛び出して防ぎ切った。
大久保や岡崎のシュートは、相手ゴールに届くことがなかった。
シュートを多く打ったのは良かったが、それが入らなかったのは、不運というよりは、そこまでの力なのだろう。大久保のキックには、スナイデルのそれのように相手GKを弾き飛ばすだけの速度も勢いもなかった。体勢が崩れても瞬時のチャンスをモノにするのが岡崎の持ち味のはずだったが、大舞台での交替出場に力が入ったのだろうか。こういう試合でこそ森本を試して欲しかった、という思いは残る。
もちろん敗戦は悔しい。
だが同時に、納得のいく試合でもあった。これが今の日本の力だ、と。
試合の終盤は日本がオランダを攻め抜いた。相手が1点を守って逃げ切ろうという態度に入っていたことも影響していたのだろう。だが、オランダのような、攻撃力に特長があり、試合の美しさを重視することにかけては世界有数の国を、そんな状況にまで追い込んだこと自体に、相応の価値がある。そして、にもかかわらず攻め切れなかった、という結果が残す教訓も大きい。
日本がワールドカップで、優勝候補に挙げられるような強豪国と戦ったのは、これが3度目になる。
フランス大会でのアルゼンチン戦は、2,3のチャンスはあったものの、ほぼ防戦一方に追いまくられ、守りに守ったが守り切れずに0-1で屈した。
ドイツ大会でのブラジル戦では、なすすべもなく1-4と粉砕された。
そして今回。同じ0-1でも、中身は98年のそれと同じではない。あの時は抵抗するのが精一杯だった。今度は相手を脅かした。
攻勢に出たことで、初めて見えてくるものもある。この試合を見たサッカー少年たちは、なぜ日本のシュートはゴールにならなかったのか、と考えずにはいられないだろう。そして、自分なりの対策を始める選手も、きっといるはずだ。大きな舞台での挑戦には、そういう意味があるはずだ。
12年前、トゥールーズでアルゼンチンに敗れた日本代表を見届けてスタジアムを後にした時は、ワールドカップへのデビュー戦だったこともあり、敗戦という結果よりも、それなりに抵抗力を見せたことに充実感を覚えていた。私も他の観客たちも、下を向いてはいなかった(あの時は観客自身も、チケット争奪戦という厳しい戦いを勝ち抜いていたのだ)。
ダーバンの観客たちがどうだったかはわからないが、私があそこにいたとしたら、昂然と胸を張ってスタジアムを後にしたと思う。敗れはしたが、誰に恥じることもない。
デンマークがカメルーンを破り、グループリーグ突破は直接対決で決することになった。
理想と現実とのバランスが整いつつある日本代表が、その状態を保ったまま、この厳しい局面を突破することができたなら、ひとつ上の世界が開けてくるような気がする。できなかった時のことは、その時に考えたい。
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コメント
悔しく、そして誇らしい。・・・まったく同感です。
「ひょっとしたら勝てたかもしれない」と思わせてくれるだけに、よけい悔しい(笑)。
私はサッカー技術にはまったくの素人ですが、日本代表のボールキープや当たり・当たられの個人技には目を見張りました。彼らは間違いなく一流のプレイヤーであり、それが「チーム」として機能しつつある、と感じました。
デンマーク戦がとても楽しみです。
「世界の壁」ともいうべき長身揃いのデンマークに対して、日本代表はどう攻めるのか。
結果がどうなろうとも、「これ以上の試合があり得ただろうか?(いや想像がつかない)」という試合になってくれそうな気がします。
がんばれ日本代表がんばれ岡田監督。
投稿: 馬場 | 2010/06/22 16:19
多くのチームが本来の調子を出せずに苦しんでいる大会序盤の中で、日本代表は、心技体いずれのコンディションも高い(自国比)レベルを保つことに成功しているように思います。
(2年半の準備期間や、23人の選考は何だったのか、という部分はひとまず措きます)
その状態を続けることができるなら、デンマークともかなりよい試合ができるはずです。
投稿: 念仏の鉄 | 2010/06/23 09:21
こんにちは。
理想と現実のバランス・・・まさにそうですね。
大会前は3戦全敗するだろうと思ってたので、嬉しい意味で裏切られて良かった(カメルーン戦の先発にFW本田と出たときは卒倒しましたが)。
美しく散るだとか、攻撃的姿勢が足りない、消極的すぎて印象が悪いなど評論家などは言いますが、初戦の1勝がもたらした事は物凄く大きな事だったと思いますし、これこそ日本が求めていたものだったなと感じました。
次に繋がっていけば良いですね。
岡田監督、全然期待してなくて済みませんでした。次の日は遠方出張ですが深夜起床、そのままジャージに着替えて応援させて頂きます。
投稿: hide | 2010/06/23 16:17
>hideさん
>美しく散るだとか、攻撃的姿勢が足りない、消極的すぎて印象が悪いなど評論家などは言いますが、
勝てば万事OK、という態度は非生産的ではありますが(昔、「ひとつの勝利が多くの問題を覆い隠してしまうことがある」てなことをオシム翁も言ってました)、かといって、己の主張に縛られすぎて奇説・怪説の類にはまりこんでいくのもどうかと思います。
結局は、見る側にもバランス感覚が必要なのではないかと。
投稿: 念仏の鉄 | 2010/06/24 14:22