さらばボス。
南アフリカで行われた祭典で、すっかりサッカー脳になっていたところに飛び込んできたジョージ・スタインブレナーの訃報は、なんともいえない感慨をもたらした。
昨年秋、新しく生まれ変わったヤンキースタジアムでの初年度にチームがチャンピオンに輝くという快挙を成し遂げたにもかかわらず、その場に姿を現さなかったことで、よほど健康状態がよくないのだろうと想像してはいたが。
私がスタインブレナーについて知っているのは、すべてメディアを通してのことばかりだ。とはいえ長年眺めてきただけに、折々に思い出はある。
2003年、松井秀喜がヤンキースに加わった年にニューヨークに行ったことがある。テレビで流れていたクレジットカードのCMを見て驚いた。
ヤンキースの若き主将ジーターがスタインブレナーに説教されている。ジーターがカードを取り出して微笑むと、場面は変わってナイトクラブで若い男女に混ざってジーターやスタインブレナーが踊っている。スタインブレナーの浮かれた踊りっぷりに大笑いした。
ちょうどこの年だったと思うが、ヤンキースの成績が思わしくない時期に、スタインブレナーがジーターを名指しで「ナイトクラブで夜遊びばかりしているからいけない」と批判したことがあった。ジーターも反論していたはずだが、その「事件」をパロディー化したものだということは、英語がよく聞き取れない私にも一目瞭然だった。
スタインブレナーもずいぶん寛大になったものだ、と妙な感心をしたのを覚えている(CMに出演していたのは本人でなくそっくりさんだという説もあったが、実際はどうなのだろう。いずれにしても、スタインブレナーが本気で怒ればCMの差し止めは不可能ではないだろうから、笑ってにせよ渋々にせよ、彼が認めたのだろうとは思う)。
それ以前に私が聞いていた彼の風評は、そんな楽しいものではなかった。
資料を紐解くと、スタインブレナーがヤンキースのオーナーになったのは1973年。もう40年近くも前のことになる。
当時のヤンキースは、長い低迷期にあった。その時点までにワールドシリーズ優勝20回を誇った名門も、1964年を最後にその舞台から遠ざかり、黄金時代は遠い夢だった。
そんな名門に、新たな黄金時代をもたらしたのは、紛れもなく彼だった。だがそれは、メジャーリーグの歴史にはなかった特殊な方法論によるものだった。選手たちによる球団経営陣との待遇改善闘争により、1974年オフに出現したフリーエージェントを、スタインブレナーは買いあさった。
そうやって手に入れたレジー・ジャクソンら有力選手たちの力によって、ヤンキースは76年にリーグ優勝、77,78年とワールドシリーズ連覇を成し遂げる。だが、その勝利は「金で買った最高のチーム」と揶揄され、球界の嫌われ者となった。
今にして思えば、新しい(そして経営者やファンには心理的な抵抗の大きい)手法によって勝利を得たことが、嫌われる理由のひとつだったのだろう。彼のやったチーム編成方法は、今では良くも悪くも普通の手段となってしまった。球界の新参者である彼にとっては、旧来のオーナーたちと選手たちとの確執など他人事で、怨みや怒りで目が曇ることなくビジネスとしての最適解を粛々と実行した、とも言える。
もっとも、彼がヤンキースファンからも嫌われたのは、ビジネスの手法によるものだけではなく、彼自身のキャラクターに負うところが大きかった。
当時のリリーフエース、スパーキー・ライルの著書「ブロンクス動物園」(邦訳で読んだのだが邦題を忘れてしまった)にも、スタインブレナーの悪口がずいぶん書いてあったように記憶している。ライルが聞いた風評として、スタインブレナーは生え抜き外野手のロイ・ホワイトが嫌いで、ロイがテレビに映るたびに「なんでこんな奴を首にしないんだ!」と叫ぶらしい、という逸話が書かれていた。ライル自身も、スタインブレナーが新たなリリーフエース、リッチ・ゴッセージを獲得したことを不服としてヤンキースを去った。
この黄金時代は短期間に終わり、ヤンキースは1981年(あの忌まわしいストライキの年でもある)を最後に、再びワールドシリーズから遠ざかった。スタインブレナーは相変わらず高額FAを買いあさったがチームの成績には結びつかず、そのことに怒って監督や選手を頻繁に入れ替えた。
77,78の優勝監督であるビリー・マーチンは、雇っては解雇の繰り返しで、計5度にわたって監督を務めることになった。
マーチンはヤンキースの50年代のスター選手で、ニューヨークでは絶大な人気があったから、彼と対立してばかりいたスタインブレナーは、余計に悪名を高めることになったはずだ。
10年契約を結んだ外野手デーブ・ウィンフィールドをチームから追い出すためにギャンブラーを使ってスキャンダルを探させた、という行為によって1990年から2年間の資格停止処分を受けたこともある。このニュースを聞いた時には、錯乱したとしか思えなかった。
それからまもなく、90年代後半にジョー・トーリ監督によって新たな黄金時代が築かれた。が、それを担ったのは、主として生え抜きの若手選手(と地味な外様のベテラン)だった。
その後、スタインブレナーが再びジェイソン・ジアンビらの高額FAを買いあさりはじめると、皮肉なことにヤンキースは、ポストシーズンにまでは進めても、チャンピオンの座からは遠ざかることになった。黄金時代を築いたジョー・トーリも、結局は彼によって解雇された。
一昨年には2人の息子にオーナーの座を譲り、経営の一線からは退くことになった(その後も相変わらず口出しはしていたから、実質的なボスはやはり彼だったのだろうが)。
言動の善し悪しや好き嫌いは別として、スタインブレナーは落ち目だったヤンキースを最強のブランドに復活させた(今世紀に入ってから、国民のほとんどが野球のルールも知らないであろう北欧や北アフリカの土産物店でヤンキースの帽子が売られているのを見て驚愕したことがある)。
YESという専門テレビ局を開設し、ニューヨークに本拠を置く他競技のチームとの提携も進めた。スタジアムの改装という大事業も成し遂げた。
勝敗だけでなくビジネスの面でも、彼が優れた経営者であったことは疑う余地がない。
昨秋、その新しいヤンキースタジアムの初年度にヤンキースがチャンピオンを勝ち取った時、球場のスコアボードのスクリーンには、トロフィーの画像とともに、「ボス、これはあなたのためのものだ」という文言が映し出された。
インタビューされた監督や選手たちは、口々に「スタインブレナー家の人々と一緒に優勝できて嬉しい」と、どうやら本気らしい笑顔で語っていた。
いつのまにかスタインブレナーは、慕われるボスになっていたらしい。
20世紀半ばあたりまではMLBにも名物オーナーと呼ばれるような人物が何人もいたが、球団の資産価値が上がりすぎた今では、共同経営体制がほとんどで、オーナー個人が顔を出すこと自体が珍しい。レッドソックスのジョン・ヘンリーのような例外もいるが、彼にとっては球団経営はビジネスそのもののように見える。
FAという新しい制度を最大限に活用したスタインブレナーはMLBにとって新時代を拓いたオーナーだったが、同時に、現場に口を出さずにはいられない球団への偏愛ぶりは、むしろ彼の前の時代のオーナーたちを思わせる。最後の名物オーナーと呼んでもいいかもしれない。下で働きたくはないけれど、外から眺めている分には面白い人物だったし、振り返ってみれば愛すべき人だった気もする。
さまざまな人が彼を追悼する言葉を述べているが、「尊敬するオーナーという以上に、友人だった」というジーターの言葉が印象に残る。
ともかくこの40年近くの間、彼には楽しませてもらった。感謝とともに冥福を祈る。
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