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2010年7月

さらばボス。

 南アフリカで行われた祭典で、すっかりサッカー脳になっていたところに飛び込んできたジョージ・スタインブレナーの訃報は、なんともいえない感慨をもたらした。
 昨年秋、新しく生まれ変わったヤンキースタジアムでの初年度にチームがチャンピオンに輝くという快挙を成し遂げたにもかかわらず、その場に姿を現さなかったことで、よほど健康状態がよくないのだろうと想像してはいたが。

 私がスタインブレナーについて知っているのは、すべてメディアを通してのことばかりだ。とはいえ長年眺めてきただけに、折々に思い出はある。
 
 
 2003年、松井秀喜がヤンキースに加わった年にニューヨークに行ったことがある。テレビで流れていたクレジットカードのCMを見て驚いた。
 ヤンキースの若き主将ジーターがスタインブレナーに説教されている。ジーターがカードを取り出して微笑むと、場面は変わってナイトクラブで若い男女に混ざってジーターやスタインブレナーが踊っている。スタインブレナーの浮かれた踊りっぷりに大笑いした。

 ちょうどこの年だったと思うが、ヤンキースの成績が思わしくない時期に、スタインブレナーがジーターを名指しで「ナイトクラブで夜遊びばかりしているからいけない」と批判したことがあった。ジーターも反論していたはずだが、その「事件」をパロディー化したものだということは、英語がよく聞き取れない私にも一目瞭然だった。
 スタインブレナーもずいぶん寛大になったものだ、と妙な感心をしたのを覚えている(CMに出演していたのは本人でなくそっくりさんだという説もあったが、実際はどうなのだろう。いずれにしても、スタインブレナーが本気で怒ればCMの差し止めは不可能ではないだろうから、笑ってにせよ渋々にせよ、彼が認めたのだろうとは思う)。


 それ以前に私が聞いていた彼の風評は、そんな楽しいものではなかった。
 
 
 資料を紐解くと、スタインブレナーがヤンキースのオーナーになったのは1973年。もう40年近くも前のことになる。
 当時のヤンキースは、長い低迷期にあった。その時点までにワールドシリーズ優勝20回を誇った名門も、1964年を最後にその舞台から遠ざかり、黄金時代は遠い夢だった。
 そんな名門に、新たな黄金時代をもたらしたのは、紛れもなく彼だった。だがそれは、メジャーリーグの歴史にはなかった特殊な方法論によるものだった。選手たちによる球団経営陣との待遇改善闘争により、1974年オフに出現したフリーエージェントを、スタインブレナーは買いあさった。

 そうやって手に入れたレジー・ジャクソンら有力選手たちの力によって、ヤンキースは76年にリーグ優勝、77,78年とワールドシリーズ連覇を成し遂げる。だが、その勝利は「金で買った最高のチーム」と揶揄され、球界の嫌われ者となった。
 今にして思えば、新しい(そして経営者やファンには心理的な抵抗の大きい)手法によって勝利を得たことが、嫌われる理由のひとつだったのだろう。彼のやったチーム編成方法は、今では良くも悪くも普通の手段となってしまった。球界の新参者である彼にとっては、旧来のオーナーたちと選手たちとの確執など他人事で、怨みや怒りで目が曇ることなくビジネスとしての最適解を粛々と実行した、とも言える。
 
 
 もっとも、彼がヤンキースファンからも嫌われたのは、ビジネスの手法によるものだけではなく、彼自身のキャラクターに負うところが大きかった。
 当時のリリーフエース、スパーキー・ライルの著書「ブロンクス動物園」(邦訳で読んだのだが邦題を忘れてしまった)にも、スタインブレナーの悪口がずいぶん書いてあったように記憶している。ライルが聞いた風評として、スタインブレナーは生え抜き外野手のロイ・ホワイトが嫌いで、ロイがテレビに映るたびに「なんでこんな奴を首にしないんだ!」と叫ぶらしい、という逸話が書かれていた。ライル自身も、スタインブレナーが新たなリリーフエース、リッチ・ゴッセージを獲得したことを不服としてヤンキースを去った。
 
 
 この黄金時代は短期間に終わり、ヤンキースは1981年(あの忌まわしいストライキの年でもある)を最後に、再びワールドシリーズから遠ざかった。スタインブレナーは相変わらず高額FAを買いあさったがチームの成績には結びつかず、そのことに怒って監督や選手を頻繁に入れ替えた。
 77,78の優勝監督であるビリー・マーチンは、雇っては解雇の繰り返しで、計5度にわたって監督を務めることになった。
 マーチンはヤンキースの50年代のスター選手で、ニューヨークでは絶大な人気があったから、彼と対立してばかりいたスタインブレナーは、余計に悪名を高めることになったはずだ。

10年契約を結んだ外野手デーブ・ウィンフィールドをチームから追い出すためにギャンブラーを使ってスキャンダルを探させた、という行為によって1990年から2年間の資格停止処分を受けたこともある。このニュースを聞いた時には、錯乱したとしか思えなかった。

 それからまもなく、90年代後半にジョー・トーリ監督によって新たな黄金時代が築かれた。が、それを担ったのは、主として生え抜きの若手選手(と地味な外様のベテラン)だった。
 その後、スタインブレナーが再びジェイソン・ジアンビらの高額FAを買いあさりはじめると、皮肉なことにヤンキースは、ポストシーズンにまでは進めても、チャンピオンの座からは遠ざかることになった。黄金時代を築いたジョー・トーリも、結局は彼によって解雇された。
 一昨年には2人の息子にオーナーの座を譲り、経営の一線からは退くことになった(その後も相変わらず口出しはしていたから、実質的なボスはやはり彼だったのだろうが)。
 
 
 言動の善し悪しや好き嫌いは別として、スタインブレナーは落ち目だったヤンキースを最強のブランドに復活させた(今世紀に入ってから、国民のほとんどが野球のルールも知らないであろう北欧や北アフリカの土産物店でヤンキースの帽子が売られているのを見て驚愕したことがある)。
 YESという専門テレビ局を開設し、ニューヨークに本拠を置く他競技のチームとの提携も進めた。スタジアムの改装という大事業も成し遂げた。
 勝敗だけでなくビジネスの面でも、彼が優れた経営者であったことは疑う余地がない。
 
 昨秋、その新しいヤンキースタジアムの初年度にヤンキースがチャンピオンを勝ち取った時、球場のスコアボードのスクリーンには、トロフィーの画像とともに、「ボス、これはあなたのためのものだ」という文言が映し出された。
 インタビューされた監督や選手たちは、口々に「スタインブレナー家の人々と一緒に優勝できて嬉しい」と、どうやら本気らしい笑顔で語っていた。
 いつのまにかスタインブレナーは、慕われるボスになっていたらしい。
 
 
 20世紀半ばあたりまではMLBにも名物オーナーと呼ばれるような人物が何人もいたが、球団の資産価値が上がりすぎた今では、共同経営体制がほとんどで、オーナー個人が顔を出すこと自体が珍しい。レッドソックスのジョン・ヘンリーのような例外もいるが、彼にとっては球団経営はビジネスそのもののように見える。
 FAという新しい制度を最大限に活用したスタインブレナーはMLBにとって新時代を拓いたオーナーだったが、同時に、現場に口を出さずにはいられない球団への偏愛ぶりは、むしろ彼の前の時代のオーナーたちを思わせる。最後の名物オーナーと呼んでもいいかもしれない。下で働きたくはないけれど、外から眺めている分には面白い人物だったし、振り返ってみれば愛すべき人だった気もする。
 
 
 さまざまな人が彼を追悼する言葉を述べているが、「尊敬するオーナーという以上に、友人だった」というジーターの言葉が印象に残る。

 ともかくこの40年近くの間、彼には楽しませてもらった。感謝とともに冥福を祈る。

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続・中沢佑二という保証。

 南アフリカ大会が始まって、カメルーンに勝って以後、ネット上では「岡田監督に謝ろう」という言説が数多く飛び交っていたようだが、私自身が今、謝りたいと感じているのは、中沢佑二に対してだ。

 中沢については2004年にこんな文章を書いたことがある。ちょうど岡田監督の下でマリノスが2連覇していた頃だ。Jリーグにおける彼の絶頂期といってもよいだろう。あれからもう6年も経つのだな。
 以後も、彼の人格やプロフェッショナリズムに対する敬意を失ったことはない。だが、近年、代表やJリーグにおける彼のパフォーマンスを見ていて、全盛期の能力を失いつつあるのではないかという懸念を拭うことができなかった。国際試合では、一対一の攻防で振り切られる場面をしばしば目にした。
 もちろん、失点の矢面に立つのが最終ラインの選手だからといって、その失点に関する責めのすべてを、その選手が負うべきでないことは判っている。ピッチのもっと前の方で、別の選手によってなされるべき作業がなされないまま、最終ラインの選手が不利な状況に直面し、それが失点につながることは多い。
 だが、そんなケースにおいてさえ、相手を跳ね返して日本のゴールを守ってくれる、と私は彼を信奉していた。高い信頼、というよりも、ほとんど言いがかりに近い期待である。そして、もうその期待が満たされることは二度とないのだろうな、と近年はなかば諦めていた。

 だから、南アフリカにおける彼の活躍には目を見張った。
 グループリーグで戦う3チームのうち2チームがオランダ、デンマークという「巨人の惑星」であるにもかかわらず、高さで崩された失点は皆無。長身の相手選手たちに向けたハイボールも、読みのよいヘディングで、ほぼ競り負けることはなかった。危険な場面ではシュートコースに身体を投げ出した。何度でも、どこまでも。
 190センチ近い長身にして、あれほど出足よく機敏に、そして献身的に動けるとは。この大会にむけて、彼がどれほどの対策を積み、細心の注意を払ってコンディションを整えてきたのか。大会に入ってからも、どれほどよい状態で試合に臨んでいたのか。そういうことが、何の知識もない人間にも伝わるほど、試合の中で余すところなく表現されていた。

 大会を通じてまったく集中を切らすことなく、不安定な場面のなかった闘莉王とともに、この4試合は、中澤の生涯のベストパフォーマンスになるのではないか。それほどの見事な戦いだった。
 4試合で2失点という堅い守備は、もちろん組織で守った成果だし、GK川島のファインセーブも数え切れない。だが、中澤があの位置であれほどの強さを発揮したことが、前後の選手たちの支えになったことは想像に難くない。
 中沢佑二は、やっぱり偉大な保証だった。疑ってごめんなさい。そして、ありがとう。あなたは日本が世界に誇れるセンターバックだ。
 
 
 南アフリカ大会の4試合を通じて痛感したことのひとつは、「やはりゴールに近い位置の選手が決定的なのだ」ということだ。
 ゴールから遠い、つまりピッチの中央に近い位置でプレーする選手たちに日本の強みがある、というのは90年代か、もっと前から続く日本サッカーの特徴だ。もちろん今大会でも、その位置の選手たちはよく闘った(もちろん、誰もがよく闘ったから好成績を残せたわけだが)。
 だが、2勝1分1敗、という好結果をもたらした直接的な要因は、本田の2ゴール1アシストであり、4試合で2失点という守備の堅さだ。点の取れる選手がいれば勝機は生まれるし、ゴール前に高くて俊敏で強いディフェンダーが2人いれば、どんな相手ともそこそこいい試合はできる。

 大会後のメディアやネットの論調を眺めていると、登録FWが先発出場できず、MFの本田がワントップを務めて成果を挙げた、という結果から、FWの養成が急務、とする主張はよく目にする。
 一方、中澤の後継者をどうするのか、という議論は、さして活発ではないように感じる。
 が、きわめて単純な言い方をすれば、高くて俊敏で屈強なセンターバックが中澤ひとりしかいなかったドイツ大会は1分2敗で、中澤と闘莉王の2枚揃った今大会は2勝1分1敗。ほかにもさまざまな要因があることはわかっているが、両大会におけるセンターバックの違いと結果との間に、因果関係がないとは思えない。

 4年後のブラジル大会を考えると、35歳になる中澤が今回と同等のパフォーマンスをすることは困難だろうし、闘莉王も決して若くはない(現役引退を口走っているという報道もあるが、さすがにそれはどうだろう)。そして、今大会で岡田監督が23人に加えた岩政もすでに28歳だ。
 4年後、8年後にこのポジションの主力を担えそうな若手を岡田監督は帯同しなかった。サポートメンバーのうち唯一のDF酒井高徳もサイドバックや中盤の選手で、センターバックではない(身長も176センチと高くはない)。
 今回のメンバーを見渡すと、岡崎、森本のいるFW、本田、長谷部、今野がいる(バックアップ兼サポートの香川もいる)MF、長友、内田の両SB、川島が大本命となったGKと、4年後につながる顔触れがいる他のポジションに比べ、センターバックだけがブラジルへの展望を欠いている。岩政を含めた誰が出場するにせよ、センターバックだけはワールドカップ初出場の選手が2人(ま、1人か3人かもしれないが)並ぶことになる可能性が強い。

 北京五輪代表には優秀なセンターバックが何人かいたし、オシム時代の日本代表に招集された選手もいる(残念ながら私には個人名を挙げて推挙するほどの見識がない)。まずはそのあたりが候補になるだろう。
 次の日本代表監督が誰になるにせよ、最初に整備しなければならないのは、このポジションだと思う。前の方の選手は、むしろ今は海外に出て、個としての力に磨きをかけてほしい。代表がチームとしてまとまっていくのは、しばらく先でよい。若い両サイドバックやGK川島も海外移籍が決まったり、オファーが集まっているというのは喜ばしいことだ。

 だが、センターバックには、代表が国際大会でめざましい成果を挙げなければ、海外に出るチャンスも生まれてこない。まずはJリーグと代表監督(五輪世代の監督も)が連携し、優れた素材によい経験を積ませるようにしてもらいたい。*
 もちろん、その過程では、中沢と闘莉王の2人にも、これまでと、そして今回の経験を、続く世代に伝えてほしい。若手の前に立ち塞がって競争を強いる、という面も含めて。


*
次回のアジアカップはカタールで2011年1月に行われる。欧州ではこの期間にリーグ戦が行われている国が多い。その意味でも、この大会は欧州組の招集は控え目にして、Jリーグに在籍する若手を中心に臨むのがよさそうだ。ま、センターバックに欧州組はいない(であろう)から、本エントリの趣旨とは直接は関係ないことになるが。

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