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2010年12月

えのきどいちろう「F党宣言! 俺たちの北海道日本ハムファイターズ」河出書房新社

 あれほど野球のことばかり書いたり喋ったりしてきた著者にとって、これが初めての野球に関する単著らしい。シンジラレナイ。反面、この本は、そういう立場に置かれるのにとてもふさわしい内容でもある。
 日本ハムファイターズが札幌に移転したのが2004年シーズン。本書はその前年の夏から始まった北海道新聞の連載コラムを、2010年シーズン終了分までまとめたものだ。4人によるリレーコラムだが、えのきどだけが隔週で書いている。
 移転前夜から初年度、新庄フィーバー、2連覇、梨田ファイターズ発足に中田翔の覚醒。もちろん、この間にダルビッシュが大エースになり、田中が引退し、森本や田中賢介ら鎌ケ谷育ちの若手が主力選手に育っていく。2週に1度づつ、7シーズン半にわたって書きためたコラムが、気がつけば北海道ファイターズのクロニクルになっている。
 読み返して思うのは、時評的なコラムでありながら、えのきどは折々に、いま目の前で見ているものの位置づけを論じる。ファイターズの歴史にとって何なのか、彼の野球人生にとって何なのか、北海道というフランチャイズにとって何なのか。一編一編がそのように書かれているから、ひとまとめに読んだ時にも、単なる寄せ集めではなく、ひとつの歴史を綴ったものになっている。コラムニストを本業とする著者の面目躍如でもある。

 連載は北海道の読者を想定して書かれているから、最初のうちは紹介目線である。別に「上から」ではなく、「ぼくの大事な人がそっちに行くから、ぜひよろしくお願いします」という姿勢であり、「ファイターズってこんなチームなんだ、いいでしょ」という少年のような素直な自慢でもある。それがだんだんとタイトル通りの<俺たちのファイターズ>になっていく。

 一方で、道新以外の雑誌などに寄稿したコラムが、その年度の最後にまとめて記載されている。ある意味では、これらが本書の白眉でもある。
 北海道の読者の前では意識して抑えていたようだが、東京生まれ東京育ち東京在住で70年代前半からのファイターズファンで東京ドームに年に何十回も通っていた著者にとって、ファイターズが東京から去ることのダメージは巨大なものがあったはずだ。それでも著者も誰も、移転に反対する声を挙げたりはしない。単に大人しくて控え目だからという性向もあるかも知れないし、著者のように、球団の生き残りを考えたら北海道に移った方がよい、というオトナの判断もあったのかも知れない。
 そんな複雑な思いのたけが、「さらば東京ファイターズ!」「ファイターズが東京を去った日」の2つのコラムに吐露されている。

<最終戦、東京ドームに駆けつけたファンは、皆、少数派としてこの街で暮らす人たちだ。満員の入りでもウェーブひとつするわけじゃない。普段は市井のどこかで肩身の狭い暮らしをしている。万年弱小球団を見て、どこか自分に似ていると思ったのだ。そして、自分を見放すことができないように、弱小球団を見放すことができなかった。>(「ファイターズが東京を去った日」)

 今やファイターズは、ぎっしり埋まった札幌ドームのファンが地鳴りのような声援を送り続ける、地元のナンバーワンチームであり、毎年のように優勝を争う強豪チームでもある。だが一方で、ファイターズの原点はあのまばらで、でも何ともいえずにいい雰囲気のあった東京ドームであり、こういう観客たちだった。だから何だ、という話ではないけれど、「スポーツを観ること」からいろんなものを削ぎ落としていって最後に残るのは、こういう姿であるような気がする。

 そして、そんな球場で弱いチームを長年見続けた著者が、選手ひとりひとりに注ぐまなざしの温かさが快い。田中幸雄の打席に吹く春風を受け、森本ひちょりの心の震えを感じながら、著者は選手たちを眺めてきた。かつて東京ドームのスタンドにいた人々。二軍の若手たちが鍛える鎌ケ谷スタジアム。ここには、プロ野球のあらゆる楽しみ方のサンプルがある。
 「今の野球はつまらなくなった」という年配者の言説を私は信じない。野球そのもののレベルはともかく(それが低くなったとも私は思っていないが)、それを見ることが面白いかつまらないかは、見る側の力量にもかかっているということを、本書を読むと改めて感じる。

 なんだか最後はわけのわからない思い入れを語っている文章になってしまったが、たぶん、「スポーツを観ること」のスタンスにおいて、私は著者に似たところがあるのだと思う。著者は私のような屁理屈をこねることは、めったにしないけれど。
 
 
 
 これが今年最後のアップになります。
 相変わらずの半休眠ブログですが、こんな感じでときどき思い出したように更新するペースが続くことになる見込みです。訪ねてくださる奇特な方々に感謝します。
 皆様がよい年を迎えられますように。

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佐藤岳「中澤佑二 不屈」文藝春秋

 ワールドカップ南アフリカ大会の後で出た書籍の中で、読む価値のあるものを1冊選べといわれたら、たぶんこれを挙げる。報知新聞記者の著者が、中澤の半生をたどりながら南アフリカ大会でのチームや戦いぶりを記している。
 
 まずは中澤のストイックな生き方に感服する。ここまで自分を追いつめた上に彼のプレーがあるのかと、改めて思い知った。
 そして、ワールドカップ。中澤が出場した2つのワールドカップが、当然ながら本書の大きな山となっている。内部崩壊したドイツ大会と、それに対する反省を抱いた経験者たちがどう南アフリカ大会に臨んだか、という部分を軸に、著者はワールドカップを書く。
 
 著者は5月以降の岡田監督には批判的なスタンスをとっている。巷間ほめたたえられた戦術の変更、キャプテンの交替。スイスでのミーティングの成果についても、そう劇的なものとしては捉えていないし、岡田がそれをネガティブに受け取ったかのような書き方でもある。
 ただし、本書の中で著者は岡田自身には取材をしていない。岡田に対するネガティブな見方の根拠は、主に「ある選手」の言葉として示される。それがすべて同一人物なのか、複数の選手なのかも定かではない。
 ワールドカップ後に多勢を占めた「岡田礼賛」の言説が間違っていて本書だけが真実だ、とは思わない。ひとつの結果の背後にはさまざまな要因があり、立場によって見方は変わる。出場した選手、それも、レギュラーと控えとの間だけでなく、試合に出ていた選手たちの見方でさえ、ひとつではないだろう。
 本書では、少なくとも中澤の言葉として語られる部分については信頼が置ける。中澤という1人の中心選手にとって2つのワールドカップがどうであったか、ということだけでも、書き残される値打ちがある。

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木村元彦「社長・溝畑宏の天国と地獄」集英社

 溝畑の存在を知ったのは、著者の木村が「サッカー批評」に書いた記事が最初だったと思う。本書の後書きに紹介されている18号での文章が、たぶんそれだ。
 溝畑はまだ自治省(当時)の官僚だった。大分県に赴任していた時期にトリニータを立ち上げ、ほぼ1人で切り盛りしていた人物が、異動して本省に戻った後もクラブを遠隔操作していることの異常さについて書いていた。記事の中に溝畑の実名は出ていなかったように思う。
 その後、ついに官僚を辞してトリニータの社長となり、背水の陣で経営の最前線に立ったことで彼の名を知った。その後の大分の躍進ぶりは言うまでもないし、ナビスコカップをとった時には彼自身もずいぶんとメディアにもてはやされていた。
 が、そこからの転落も早かった。
 
 本書は、それほど早い段階から溝畑に注目していた著者が検証した、大分トリニータの経営破綻に至る一部始終である。著者は溝畑に対して決して好意的な立場にはなかった。それは「サッカー批評」に発表した一連の記事が示している。それでも溝畑は彼の取材に協力し、木村は是々非々で溝畑の功罪を記していく。
 立場を超えて被取材者の信頼を得られるのはなぜなのか、それは本書を読めばわかると思う。
 
 サッカー界では悪者扱いの溝畑だが、本書を読めば、ひとりの悪役を仕立てて攻撃すれば済むような単純な話ではないことはわかる。私はつい溝畑に肩入れしたくなりそうになったが、読後しばらくして、観光庁長官になった溝畑が、BSフジの「東京会議」という緩い番組で小山薫堂らが訪ねる形で出演し、異様なテンションでおおはしゃぎして、訪ねた小山たちが気圧されたり退いたりしているのを見て呆れた。
 これは確かにある種の怪物だ。私が知っているどんな類型にもあてはまらない人物だ。トリニータを潰した男が長官か、という素朴な反感は私にもあるけれど、たぶん、海外から観光客を日本に招くなどという仕事は普通の官僚にはできないし、なかなかの適材適所かもしれない、という気もしている。
 
 
追記
当初、文中でサッカー批評最新号の犬飼前JFA会長のインタビュー記事が木村元彦氏の手によるものと記していましたが、コメント欄でのA吉氏のご指摘の通り、ミカミカンタ氏の誤りです。当該の記述を削除しました。

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桑田真澄・平田竹男「野球を学問する」新潮社

 気がついたらもう今年最後の日。
 書きそびれたことはたくさんあって、そのかなりの部分は自分でも忘れてしまったような気がするが(ホントは、その瞬間に書き残しておくのがblogの効用なんでしょうね。来年はツイッターを活用することにするか)、とりあえず、印象に残った本のことを簡単に記しておく。

 最初は前のエントリのように、ひとつにまとめて書き始めたのだが、それぞれ独立させた方が検索でひっかかりやすそうなので、分けて連続投稿とする。読みにくいかもしれないがご容赦を。
 今さらアクセス数を稼ごうとは思わないが、それぞれの本をお勧めしたいので少しでも多くの人の目に触れたい気持ちの表れとご理解ください。

 で、表題書。

 引退後、早大の大学院スポーツ科学研究科に09年春から1年間在籍した桑田真澄と、その指導教官だった平田竹男の対談。平田は日本サッカー協会で2002年から06年までジェネラルセクレタリー(専務理事)を務めた人物でもある。
 桑田が書いた「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」は、大学院でその年度の最優秀論文に選ばれるとともに、日本スポーツ産業学会から濱野賞を贈られたという。この学会は、会長が滝鼻卓雄・読売巨人軍オーナーで、理事長が平田竹男なのだから(で、副会長は奥島孝康元早大総長)、お手盛り感を覚えないわけでもないけれど、それでも、桑田の論文が高い価値を持つことについては疑う余地がない。それは本書を読めばわかる。
 
 桑田は研究のため、プロ野球現役選手に、高校時代の練習に関する意識調査のアンケートを行っており、270人から回答を得ている。質問項目は、練習時間の長さやそれに対する感想、指導者の飲酒・煙草・体罰等の有無、ケガをおしてのプレーの強要、投球数制限の有無、指導者を志望するか否か…など多岐にわたる。
 こんなデリケートな内容のアンケートに270人ものプロ選手が回答し、さらに六大学野球部の選手たちも回答する。この回収率自体が驚異的であり、それはアマチュア(高校野球)とプロの双方で抜群の実績を残し、こと野球に対する真摯な取り組みと高い理論が知れ渡っていて、なおかつスポーツに学問として取り組もうという人物にしかなしえない。そんな人は桑田しかいない。引き合いに出して悪いけれど、小林至では無理だろう(小林氏のスポーツビジネスにおける見識や能力を批判するものではないけれど、現役時代の実績とそれが現役選手たちにもたらす威光に差がありすぎるのだ)。
 
 そして、対談で語られる彼の「野球道」に対する考えも、そのアンケートの貴重さに相応しい。桑田は、現在のアマチュア野球の思想的背景をなしている飛田穂州の野球哲学を現代に即して再構成しようとする。結論はそう非凡なものではないけれど、最高レベルの実践がそれを裏打ちしている、という点で説得力は圧倒的である。
 対談の中で平田は<ぼくは将来的には桑田さんに、プロ野球のコミッショナーになってほしい>と話している。そして、桑田もそれを否定してはいない。

 私も同感だ。だが、コミッショナーそのものになるには、さまざまな面でハードルがあるし、時間もかかる。さしあたり加藤コミッショナーは、桑田を何らかの形で遇するか、あるいは内々でもブレーンとしてアドバイスを求めるか、どうにかして彼の見識を生かしてほしい。桑田自身がコミッショナーになるには、どうしたって20年やそこらはかかる。そんな先までプロ野球が健在である保証はないのだ。今すぐ彼を生かした方がいい。

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2010年秋の野球とサッカーに関する備忘録。

 多忙でろくに見ていられないうちに、野球でもサッカーでもいろんなことがあった。ありすぎて取りこぼしもありそうだが、個人的なメモとして。
 
●横浜、売却ならず
 TBSが横浜ベイスターズを売ろうとした。プロ野球球団を買おうという奇特な企業が現れたけれども、結局は成約に至らず。
 ベイスターズが弱い理由はいろいろあるだろうが、経営が苦しい理由の中では「横浜スタジアムの使用条件の厳しさ」がかなりの重みを持っているはず。
 成約しなかったこと自体は当事者間の判断だから、いいも悪いもない。だが、売買交渉の最中に横から買い手候補を批判した神奈川県知事は、自身の立場を理解していないように思える。県は、売買交渉を批判できるほど充分なバックアップを球団に対してしていたのだろうか。それは横浜市と球団の問題だ、ということなら、黙って傍観していればよい。
 本拠地の観客動員が不振で自治体の支援も乏しいのであれば、プロ野球球団を欲しがり支援したがっている自治体のもとに移るのは、プロスポーツクラブとしては合理的な判断だ。
 
 
●楽天監督に星野仙一
 年俸が高くて経営者への注文が多い野村監督を切って、12球団で最も安価なブラウン監督にかえてから1年。ふたたび値段の高い星野仙一に切り替えた。
 星野監督に払う年俸額は知らないが、総額ではおそらく野村よりも高くつく。年俸の高い選手を買い集めて巨大戦力を築くのが彼のノウハウだからだ。野村の場合、本人やスタッフはともかく、選手は安い買い物をして力を発揮させるのが上手だった。
 楽天球団にその覚悟があるのだろうか、と思っていたら、さっそく松井稼頭央と岩村を立て続けに手に入れた。野村時代にこのくらい補強していたら優勝できたんじゃないかとも思うが。
 さて、球団経営陣は、これほど短期間での路線変更について、強化方針を説明しているのだろうか。私は寡聞にして知らない。
 
 
●日本シリーズがテレビ完全中継されず
 正確にはそれぞれ地元では中継している。地上波での全国中継がない試合があった、ということ。第1,2戦はTBSが優先的に交渉したが、世界バレー中継があったので断った、と伝えられている。
 このブログを訪れるような野球好きの中には「地上波中継なんかなくてもBSやCSで見た方がいいよ」という人が多いかも知れない。始球式や中継ブースに番宣のためのタレントを送り込む民放のやり口は私も嫌いだ(このブログでも酷評したことがある)。
 だが、熱心な野球ファン以外の人々(要するに「普通の人」だ)の目に触れて、野球の面白さを知らしめる装置としては、やはり地上波テレビは大きい。それは、結果的に盛り上がった第6戦、第7戦に対する反響を見てもわかる。
 とはいうものの3,4戦の視聴率は2ケタに届かなかった。NPBの側も、テレビ局が中継しやすいように歩み寄ることを考えた方がよいのでは。日本シリーズについては、デーゲームに戻す手もあると個人的には思っている。
 レギュラーシーズンも含めて考えると、試合時間の短縮には本気で取り組んだ方がいい。延長の場合は仕方ないが、9回で終わる試合は3時間以内、理想的には2時間半程度に収まらないと、テレビだけでなくスタジアムの観客にとっての負担も大きい。
 
 
●千葉ロッテ、リーグ3位から日本一
 ポストシーズンの途中で「史上最大の下剋上」と言い出したのは里崎だったか。彼の言語感覚のおかげで救われたというか、制度的な矛盾がうやむやになった感はある。
 時にはこういう齟齬が起こるとしても、私はCS制度を支持している。理想的には2リーグ各8球団・東西2地区にして、地区優勝チームどうしがリーグ優勝を争い、その勝者が日本一を争うのが望ましいと思っているが、球団を増やすには、もっとスリム化したビジネスモデルが実現しなければまず無理。悩ましいところ。
 
 
●名古屋グランパス、Jリーグ初優勝
 毎年のように大型補強をしながら「中位力」を発揮しつづけていたクラブが、ようやく適切な道を見いだしたようにみえる。ストイコビッチ監督の戴冠によって、我々は将来の日本代表監督の有力候補を得た、とも言える。

 中日ドラゴンズもリーグ優勝を果たしたから、2010年は名古屋の年だったと言ってよい。ただ、これで両者が黄金時代の礎を築いたかといえば、その点は留保したい。
 グランパスの勝利はストイコビッチ監督と久米一正GMの功績だ。適切な補強が奏功しての勝利だが、結果的に主力選手の年齢構成は高い。絶えざる補強と、育成部門の強化が課題となりそうだ。両者がそろった状態での成功が長く続けば、彼らの手腕がチームの財産として引き継がれる可能性はある。
 一方、中日ドラゴンズはグランパスと異なり、もともと球団の各部門の実力の総和として「上位力」を備えている(その点で今中慎二の「中日ドラゴンズ論」(ベスト新書)は興味深かった。読み物としてすごく面白いというわけではないけれど))。そのチームを、勝ちきれる集団に仕立てたのは、落合監督個人の手腕によるものだろう。ただし、コーチ陣の出入りの激しさを見ていると(たとえば高代や川相の処遇)、その手腕がコーチの誰かに受け継がれるとは考えにくい(この球団の監督人事の歴史を見ると、落合監督が退く時には、落合色の強いと見なされた指導者も一掃される可能性がある)。影響が現れるとすればむしろ、選手として落合監督の下で戦った立浪や井端が指導者になった時かも知れない。
 
 
●FC東京、J2転落
 残念。が、これが今シーズンのパフォーマンスに対する正当な結果なのだろう。選手、指導者、経営陣のすべてにとって。1週間経ったが、今のところ聞こえてくる選手の声は残留の意思を示すものばかりであることが救い(大黒は別だが)。
 広島やセレッソのように、転落以前よりも強くなってJ1に戻る。願うのはそれだけだ。
 
 
●岩隈、ポスティング移籍ならず
 ポスティングシステムが制度化されたのは1998年だった。
95年に野茂が保有制度の空白地帯を突くようにしてドジャース移籍を果たし、翌96年には伊良部が三角トレードでロッテからパドレスを経てヤンキース入り。このへんの移籍がだいぶ揉め事になったことで、NPBとMLBの間に設けられた制度だ。急場凌ぎの暫定措置が、12年たって、そろそろ限界を呈してきた。岩隈には気の毒だが、そういうことに見える。当時とはかなり状況も異なる。現状に合わせて制度を整備すべきだろう。
 私見としては、ポスティングシステムのような特別な制度を設けなくても、両者がそれぞれ備えているドラフト制度とフリーエージェント制度のすり合わせ、および日米間トレードのルール整備をすれば、それでよいと思う。FA制度による海外移籍も制度化されたわけだし、日本の球団が選手にFAでアメリカに出て行かれるのが嫌なら、その前年に対価を得られる形でトレードすれば、それでいいんじゃないだろうか。

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