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「相撲を守ること」=「日本相撲協会を守ること」ではない。

 大相撲の八百長が表面化して、とうとう本場所まで中止になってしまった。
 「徹底的に解明する」という放駒理事長個人の誠意を疑うものではない。が、仮に解明が成功して、星の買収や貸し借りに手を染めた経験者を角界から追放したら、その後に何が残るのだろうかと考えると、理事長には同情を禁じ得ない。

 私個人は相撲に対する関心が薄く、相撲への愛着はおそらく40代日本人の平均値を下回ると思われるので、今回の事態に対して、感情的な動揺はあまりない。長年のツケを払う時が来たな、と感じるだけだ。
 もともと私は、相撲が、例えば五輪競技に比肩しうる現代スポーツ競技だとは思っていない。対戦の組み合わせに公平性が担保されていない、という一事をもってしても、その資格はない。大相撲とは神事や芸能や興行などさまざまな属性を持つ運動体であり、その中にスポーツに近い身体運動も含まれている、というくらいの認識だったから、勝敗を決する上で当事者の力量と土俵上のパフォーマンス以外の要因が紛れ込んでいたとしても、まあそんなものかな、と思っていた。
 こうやって言語化すると奇異に感じられるかも知れないが、日本人の相撲観の平均的なところから、実はそれほど大きく外れてはいないのではないだろうか。
 
 その種の曖昧さが許容されなくなってきたのは、世の中一般の風潮であると同時に、日本相撲協会自身にも理由がある。朝青龍の行状を批判する際に、彼らは大相撲の品格というものを振りかざした。かのモンゴル人力士を引退に追い込むために、彼らは自分たちの格調をどんどん上げていった。上げすぎたハードルに自分たちでつまづいているのだから世話はない。
(ただし、朝青龍の行状のうち、故障による休業中にモンゴルでサッカーに興じていたこと、一般人に暴行したこと(事実であればだが)、本場所中に暴行したかどうかも覚えていないほど泥酔したことの3点は、現代のスポーツ選手として失格だと私は考える。特に2点目の暴行事件は、どんな格闘技でも資格停止処分に相当するのではないか)
 
 閑話休題。
 八百長の全容解明は理事長と委員会に任せるとして、再発防止のために制度改革をするとしたら、どういう方法があるだろうかとつらつら考えてみた。
 八百長相撲には大きく2種類があるのだろうと思う。強い力士が優勝や連勝のために金を出して星を買うケースと、幕下転落の危機に瀕した力士がそれを免れるために星を買ったり、貸し借りを行うケースだ。

 後者をなくす、少なくとも減らすことは制度的にできるのではないかと思う。
 幕下に落ちるといきなり固定給がなくなる、という経済的な落差の大きさが原因のひとつだとしたら、ここをもう少しなだらかにするという手がある。
 千秋楽に勝ち越しがかかっている力士に、勝ち越し(または負け越し)が決まっている力士が星を貸すというケースが多いのであれば、千秋楽の取り組みは相星どうしにしてしまえばよい。
 さらにいえば、現行の東西番付の取り組みをやめてしまって、幕内は16人限定、1場所ごとに総当たりリーグ戦を行う。当然はみだす力士がいるから2部リーグ、3部リーグと階層化し、上位リーグ最下位と下位リーグ1位の入れ替え戦を行う。給料も賞金も順位ごとに傾斜配分。ここまで透明化してしまえば星の貸し借りをしている余裕もないだろう。
 ドラスティックな改革には、伝統だの格式だのと抵抗する人もいるだろうが、大相撲の伝統などというのはすこぶる頼りないもので、過去の歴史を見ても、その時々の都合でどうにでも変わってきている(横綱が番付上の地位になったのは明治以後のことだし、場所の数だって戦前と今とでは違う)。
 伝統を守るためにこそ変化が必要なのは、どの分野においても同じことだ。
 
 そうはいっても上位者が星を買うことを止めるのは難しいし、そもそもあの人たちにこんな思い切った改革ができるものやら…などと考えているうちに、根本的な疑問が湧いてきた。

 相撲は日本相撲協会だけのものなのか?
 日本相撲協会を存続させなければ相撲は守れないのか?

 日本相撲協会の公式サイトには相撲そのものの歴史に関する記述はない。私は新田一郎先生の「相撲の歴史」を所有しているはずなのだが手元に見あたらないので、とりあえずウィキペディアを参照すると、相撲の項は「古事記」あたりから始まり、例の「日本書紀」の野見宿禰と當麻蹶速がすもうをとった話が出てくる。これが相撲の伝統とやらに正統性を与えている。
 日本中の神社仏閣で奉納相撲が行われ、そこから興行としての相撲も起こってきた。江戸時代には各地の殿様が力士のスポンサーとなり、大阪と江戸での興行が盛んになった。明治維新で殿様の庇護を失い、西洋化の中で「裸は不道徳」などと糾弾されながら自営の道を模索した人々の集まりが、今の日本相撲協会の始まりということになる。

 だから、日本書紀に始まる相撲の伝統は、別に日本相撲協会だけのものではない。今はそれ以外の相撲が衰退したから、我々は相撲が彼らだけのものであるかのように考えがちだが、相撲は日本人すべてのものであって、彼らに独占される筋合いはない。
 かつてほど盛んではないにせよ、今でも地方の祭りで奉納相撲が行われているところもあるだろう。高校や大学の相撲部もある。日本相撲協会の外にも相撲はあるのだ。
 
 …とすれば、と妄想は広がる。
 今の協会の人々が自浄作用を発揮する、などという極小の可能性に賭けることはやめて、彼らとは無関係に、一から競技団体を作ったっていいんじゃないだろうか。

 コンプライアンスにすぐれた企業人や相撲の伝統に精通した学識経験者、格闘技の指導者らを招いて、日本古来の文化である相撲の伝統と格式を守り、不正の温床とならず、青少年を惹きつけ、世界に通用するスポーツマンを育成できるような競技団体を制度設計する。
 力士を職業化する必要はない。他のアマチュアスポーツ一般と同様、職業をもったアマチュア力士や学生力士によるリーグ戦やトーナメント大会を競技団体が主催する*。両国国技館は旧協会の解散に伴って国が接収し、新団体が優先的に使えるように計らう。
 現在の相撲協会に属する指導者や力士は、新団体が個別に精査して、八百長への関与なしと認められ、かつ本人が希望する場合には、新団体の一員としての参加を認める。
 ただし、新団体は彼らに報酬を払うことはしないので、どう生計を立てるかは本人次第となる。彼らがこれまで言ってきたように、日本の伝統文化を守る気概と使命感があるのなら、無給でも新しい相撲界のために貢献してくれることだろう。

 これで何か問題があるだろうか?
 日本相撲協会の周辺で生計を立てている人たちを別にすれば、日本国民一般にとって、これで何か不都合があるだろうか?私には思いつかない。
 競技そのもののレベルが下がる? 今の日本相撲協会が主催する大相撲のレベルが、10年前、20年前と比べてどうなのか、私にはよくわからない。幸か不幸か相撲にはオリンピックもワールドカップもないので、国内の競技レベルが下がったとしても、それが顕在化することはまずない。

 
 いくら相撲に関心が薄いといっても、相撲が消滅することは私とて望まない。
 だが、日本相撲協会が解散することと、相撲が消滅することはイコールではない。
 日本国民が望んでいるのは「相撲の伝統が守られること」であって、「日本相撲協会が存続すること」ではないはずだ。
 「相撲の伝統」が奈辺にあるのかは、じっくり考えてみる必要がある。それが両国のあのへんにあるとは限らないのだから。
 
 
 
* 追記)
 このような枠組みの中で、柔道や剣道は運営され、金銭スキャンダルや八百長トラブルなど起こさずに(推定)、立派に伝統を守って存続している。一般人への普及という点でも、柔道や剣道は町の道場が各地にあって、青少年や成人の愛好家に門戸を開き、競技の裾野を広げている。職業格闘家の育成機関であるボクシングジムやプロレス、総合格闘技の団体も、道場に一般愛好者を参加させている。相撲だけが例外といってもいい。つまり、日本相撲協会は所属競技者を職業化し、特殊な髪形と体形にすることによって、競技を協会内に独占し、一般への普及を阻害している、と考えられなくもない。
 そもそも、髪を伸ばしてマゲを結うことは、相撲に絶対不可欠な本質なのだろうか?
 野見宿禰と當麻蹶速が江戸風の大銀杏を結っていたことは、まずありえないと思うのだが。

追記2)
と、これだけ書いた後で、アマチュア相撲の統括団体である「財団法人日本相撲連盟」が存在することに気がついた。そりゃあるでしょうな、世界大会もあるんだから。「連盟」の実情については何も知らないので、「連盟」がここに書いた「新団体」のような存在になりうるのか、というような議論はさしあたり控えておく。

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コメント

「相撲を守ること」=「日本相撲協会を守ること」ではない、という点では激しく同感です。

私個人は、株式会社化して「江戸プロレス」として「見世物」の本義に立ち返り、「ゆる~く」存続するのがヨイと思ってます。

だいたい観客が弁当広げて酒かっ喰らって物見遊山気分で見るのがお相撲というものです。会場の雰囲気が全然殺気立ってない。むしろ、「ゆる~い」。

大相撲の会場に入ると、ぷ~んと日本酒とスルメの匂いがして、なんか雰囲気が「お正月」なんですよね。着物の人がいっぱいいて日本情緒でご馳走とお酒がたっぷりあって。
「真剣勝負」を見る緊張感なんぞ、どこにあるのか、と問いたい(笑)。

特に午前中からやってる幕下の取り組みとか、観客少ないし、酒飲んでるし、寝転がって見てるし。緊張感ないことおびただしい。

そういうとこ、全部含めて「伝統芸能」としての「国技」なんで、血相変えて「真剣勝負」すること「だけ」をファンは望んでいないと思うのですが。真剣勝負「も」見物人としては見たいですけど、もちろん。

投稿: 馬場 | 2011/02/08 18:41

私も、いまの相撲協会は解体した方が良いのではないかと思います。
いまの相撲協会を改革するよりも、ゼロから「相撲の伝統」を継承する団体を創設した方が良いかも知れません。

但し、現在の協会幹部がそのまま新団体の幹部にスライドしてしまう可能性があり、それだと単に看板を掛け替えただけになる可能性があるので、組織・体制作りには注意が必要だと思いますが。

投稿: neko | 2011/02/08 21:01

>馬場さん

>だいたい観客が弁当広げて酒かっ喰らって物見遊山気分で見るのがお相撲というものです。会場の雰囲気が全然殺気立ってない。むしろ、「ゆる~い」。

その種の実感を抜きに理念だけで議論しても、あんまり生産的なことにはならなさそうですよね。
 
 
>nekoさん
協会を改革するにせよ、解体して作り直すにせよ、何を目指してどういう制度設計をするかが問題ですが、今のところ「八百長はけしからん」というだけで、最終的にどういう相撲界を目指すのかをあまり誰も考えていないんじゃないかという印象を受けます。

投稿: 念仏の鉄 | 2011/02/09 01:26

なんか話がおかしくなっていますね。(笑)
観客が酒を飲んでいるからとか寝転がっているからとかでどうして力士が「ゆる~く」なるのでしょう。
はっきりいって何の因果関係もありません。
野球場でもビールや日本酒や焼酎の売り子さんがいて、飲みながら野球観戦できるというのに。
広島のマツダスタジアムでは「寝そべりあ」という寝転がって野球を観る専用席があるというのに。
だからといって投手や打者が真剣勝負をしていないわけではない!

投稿: バイアウト | 2011/02/09 11:14

>バイアウトさん

そうですか。

投稿: 念仏の鉄 | 2011/02/10 14:34

久しぶりにのぞいてみました。
リーグ戦、いいアイデアだと思いました。
プロレス系のようにいろんな競技団体が乱立するのもまた面白いですよね。

あと、ふと思ったのは、個人間で星をやりとりしても意味がないようにしてしまえばいいだからで、部屋ごとの対抗戦、または一門対抗の団体戦にしてしまえばいいのでは。剣道のように先鋒から大将まで。いまどき東西って…紅白歌合戦と同じで形骸化した二軸対立ってそもそも意味ないような気もします。

投稿: ペンギン | 2011/02/12 03:17

>ペンギン君

久しぶりです。ま、こっちもアップが久しぶりでしたが(笑)。

>プロレス系のようにいろんな競技団体が乱立するのもまた面白いですよね。

例えばサッカーならワールドカップへの出場資格という要素がJFAの正統性と唯一性を支えているわけですが、日本相撲協会の場合、それは何なんでしょうね。吉田司家なのか、国技館の使用権なのか、タニマチや各地の勧進元とのしがらみなのか。

投稿: 念仏の鉄 | 2011/02/13 01:39

馬場さんに賛成。

相撲に一家言ある人(例えば小田嶋隆)が、
▼従来八百長は存在した。そんなこと常識。
▼だが、もちろん、決してあってはならないことだ。
という2本立ての主張をするのをよく見るのですが、
なんで
◆従来八百長は存在した。そんなこと常識。
◆それでいいじゃん。プロレスと一緒。
と主張する人が(馬場さん以外)いないのだろう、と
不思議に思います。

投稿: nobio | 2011/04/04 18:20

>nobioさん

>◆従来八百長は存在した。そんなこと常識。
>◆それでいいじゃん。プロレスと一緒。

そういう捉え方をすると、プロレス側で怒る人がいるようです。私はプロレスに詳しくないので、妥当性については判断しかねますが。

投稿: 念仏の鉄 | 2011/04/06 17:57

>プロレス側で怒る人がいるようです。

そうかも知れませんが、
◆従来、相撲に八百長は存在した。そんなこと常識。
◆それでいいじゃん。
……ということはプロレスとは無関係に主張できるわけで、
なんで従来八百長の存在込みで相撲が好きだった、という人が、いまさら
「もちろん、八百長は決してあってはならない」なんて言うのか、
それがどうも合点が行きません。
◆従来、相撲にシナリオは存在した。そんなこと常識。
◆それでいいじゃん。歌舞伎と同じ。
……でも、いいと思うのですが。

投稿: nobio | 2011/04/10 21:33

>nobioさん
>◆従来、相撲に八百長は存在した。そんなこと常識。
>◆それでいいじゃん。
>……ということはプロレスとは無関係に主張できるわけで、

ということなら異論はありません。

何でもかんでも白黒つけなきゃいけない、という心性は、結局は誰も幸せにしないんじゃないかと、最近とみに感じています。

投稿: 念仏の鉄 | 2011/04/13 19:14

稽古たりー
白鳳うぜー

遠藤は人間のくずだ

投稿: へたれ豪太郎 | 2016/03/17 21:15

国技自称なんてするから横綱の品格を重視するとか八百長禁止とかなるんでしょう。
相撲は競技(スポーツ)ではなく伝統的見世物だと認めればあんな問題になりません。
そもそも相撲以上に国技(日本固有の伝統的競技)に相応しい競技は他にありますよね。剣道や柔道などの武道、マインドスポーツである将棋も日本固有の競技。
相撲だけがそれらに比べ特別とは思えない。
国技自称を止め見世物興行だと堂々と自ら宣言し、弁えれば良いのに、余計なプライドが己の首を絞めてる。
見世物なら総理大臣杯とかもなくなるがそれでいい。そもそも土俵の女人禁制の伝統を守るなら、女性が首相や高官による授与の可能性が出てくる以上撲協会は自ら辞退すべきなのだし。(総理杯を受けながら杯を授ける女性を拒絶するのは筋が通らない。)

投稿: | 2017/07/07 11:39

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