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2011年3月

more than one game.

 FCバルセロナには、MES QUE UN CLUBというキャッチフレーズのような言葉がある。カンプ・ノウ・スタジアムのバックスタンドにも記されている。
 英語で言えばMORE THAN A CLUB、“クラブ以上のもの”であるのだという意思と自負の表明だ。

 昨29日夜に大阪・長居で開かれたサッカーの震災復興支援試合、日本代表-Jリーグ選抜で後者の監督を務めたドラガン・ストイコビッチは、試合後のインタビューの冒頭に、似た言葉を口にした。

"That game was more than one game," said Stojkovic. "I think that the Japanese football family gave a really big heart to the people of Japan."とJapan Timesの記事にある。

 Jリーグにとって東日本大震災が起こった3/11は、前週に開幕し、第2節の試合が行われる前日にだった。リーグはただちに試合をとりやめ、まもなく、約1か月にわたるリーグ戦・カップ戦の中断を決めた。3月下旬に2試合が予定されていた代表の強化試合は被災者のためのチャリティーマッチという位置づけに替えて、予定されていたニュージーランド代表の来日がかなわないと判明すると、代表とJリーグ選抜との試合に変更した。
 仙台や水戸、鹿嶋といった被災地に複数のクラブがあったことも影響しているのだろうが、その対応は、(国内のあらゆる分野の組織直接震災に対処すべき性質のものは別にして)の中でも、迅速かつ的確だったように思う。それだけに、もうひとつのプロスポーツ団体の迷走ぶりも際だってしまったわけだが。

 試合の内容は、こういう時期にしては、というよりも、こういう時期だからこその、気持ちの入ったものだったように思う。
 日本代表には、欧州のクラブに在籍する選手たちが結集した。それぞれのクラブは、Aマッチではない非公式戦と知りつつ、選手たちを快く送り出したようだ。アジアカップに出場した選手はもとより、参加しなかった阿部や、その後スペインに渡ってから代表に加わった家長らの顔もあった。
 「勝敗よりも被災者の力になることが大事だった」と語ったザッケローニ監督は、しかし初めて3-4-3の布陣を敷くというチャレンジで、強化の上でもこの試合を活用した。中盤の左に配された長友は、力強い突進でこのサイドを制圧。日本代表は、遠藤のフリーキックと岡崎の裏に抜ける突破により2点を先行した。

 Jリーグ選抜は、「ほぼ日本代表OB選抜」と呼びたいような顔触れだった。昨年のワールドカップ南アフリカ大会で日本のゴールの前に立ちふさがった中沢とトゥーリオがセンターバックを組み、川口、楢崎、中村俊輔、中村憲剛、小笠原、小野ら、日本サッカーの顔役ともいうべき選手たちが並んだ。
 そんな中で、仙台から参加し10番を背負ったリャン・ヨンギは、豊富な運動量でピッチを駆け回り奮闘した。日本テレビの中継が、アナウンサーの実況においても映像においても、彼をクローズアップする機会が著しく少なかったのは、彼が被災地のクラブから参加した選手だという点を抜きにしても、不当であったと思う。
 
 選手をごっそり入れ替えた後半も、中村俊輔が中盤の低い位置からゲームをコントロールし、選手たちは急造チームとは思えないコンビネーションで代表ゴールに迫った。GKのキックをトゥーリオがヘディングで競り勝ち、前にこぼれることを予期した飛び出しを見せたカズのゴールは、90年代前半に高木と組んだ2トップを彷彿とさせるものだった。バウンドする浮き球の処理の巧さは若い頃から抜きんでいた。

 「まだ苦しい大変な日が続くと思いますけど、日本全体、世界全体でこの危機を乗り越えましょう」

 言葉だけ抜き出せば、さほど特別なものではない。だが、日本サッカーの現代史を築き上げ、国内に知らぬ者のない「生ける伝説」が、この特別な試合で特別なゴールを挙げたことによって得たインタビューの機会に語られたからこそ、カズの言葉は特別な響きをもって人々の心に伝わる。
 
 カズやザッケローニやストイコビッチの名とともにこの試合のニュースが報じられること自体が、そのまま「日本はくじけないぞ」という世界へのメッセージとなる。被災者を元気づけるために開かれたこの試合の意義は、同時にそういう面にもある。彼らは、そのことをよくわかって、この試合に参加し、よく選ばれた言葉でコメントしている。その意味でも、この試合のために帰ってきてくれたザッケローニやストイコビッチには感謝している。
 
 Jリーグ選抜の顔触れに「顔役」という言葉を使ったが、岡田武史やラモスといったOBたちもスタジアムに駆けつけて、募金活動などに協力したという。まさに日本サッカー界の顔役が集まって、ひとつのことをなそうとした。
 それがどのくらい被災者のためになったのかを云々する立場に私ははないけれど、被災地以外の人々の心を奮い立たせ、被災地支援に向かわせる上では、大きな力になったはずだ。

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しかし全力を尽くせば。

 本棚から崩れ落ちた本の山を片付けていたら、古い蔵書の1冊が目についた。ニューヨーク・タイムズのスポーツコラムニスト、アイラ・バーカウのコラム集「ヒーローたちのシーズン」(河出書房新社、1990/新庄哲夫訳)だ。
 表題作の中の、こんな一節が好きだった。

<世界が激動している時代にあっては、良きにつけ悪しきにつけ、スポーツの存在意義などほとんどないかのように思われるかもしれない。
 しかし全力を尽くせば、スポーツやスポーツ選手は、クリスマス・シーズンに人々がことのほか尊ぶものを見せてやれるし、あまつさえあたえることもできるのである。それは希望と喜びと勝利だ。>
 
 
 このたびの震災で亡くなられた方に心からのお悔やみを、被害に遭った方に心からのお見舞いを申し上げる。
 
 被害の規模の大きさ、救援活動の長期化、そして原発事故処理の長期化を思えば、発生直後に「今は野球どころではない」と話した選手の気持ちには共感する。と同時に、それでも我々は前に進んでいかなくてはいけない。
 
 いずれ選手たちには、被災地のスタジアムで全力を尽くせる日が来る。イーグルスの臙脂やベガルタ・ゴールドや、水戸や鹿嶋や、ほかのそれぞれの色に埋め尽くされたスタンドの前でプレーできる日が必ず来る。
 その日に被災地にもたらすべき<希望と喜びと勝利>のために、選手たちも、そうでない我々も、それぞれの場でできることをする。今はまだ、そういう時期なのだと思う。
 
 もうひとつ大事なのは、忘れないことだ。
 メディアの報道は「復興」「希望」の色彩が濃くなってきたが、原発事故の被害を別にしても、あれほど広域に渡った震災なのだから、まだまだ復興どころではないほど困窮したままの地域や人々もいるのではないかと思う。
 今後、さらに復興が進んでいくと、その落差がますます広がっていく怖れもある。取り残される人を作ってはいけないし、やむない事情で復興の順番や速度が遅くなったとしても、止まってしまってはいけない。忘れられた人々がいるのではないかと心配し、探し、発見したら手当をする。そんな作業が、長いタイムスパンで必要になっていくだろうと思う。

 そのための第一歩は「忘れない」こと。震災翌日の気持ちと今の気持ちは、すでに違ってきているかも知れないし、時間がたてばさらに変わっていく。だから、私はここで自分に釘を刺しておく。忘れるな、と。

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