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2011年12月

落合博満とは何だったのか。

 私は来年で48歳になる。年男というやつだ。
 このくらいの年齢になると、プロ野球の監督のほとんどは、その現役時代から見ている、という状況になってくる。と書いてから確認したら、来シーズンのNPBの監督12人は、ほとんどどころか全員の現役時代を知っている。なるほど、久しぶりの草野球で飛球を追う足がもつれるようになったのも無理はない。

 その監督たちを見ていると、現役時代とはかなり印象が変わった人物もいれば、なるほど彼らしいと思う人物もいる。
 前者の代表格は西武ライオンズの渡辺久信だ。外見の印象もかなり変わったが(トレンディドラマ全盛期に、いかにもそれらしい服装で遊び歩いていた当時の彼から、今の姿は想像しづらい。遊び仲間だったらしい工藤公康の変わらなさぶりも驚異的だが)、それだけではない。ストレート一本勝負のスタイルのままモデルチェンジできずに引退していった渡辺が、ああいう包容力のある指導者になるとは驚きだ。以前このブログでも著書を紹介したことがあるが、台湾時代の経験が、彼のそんな資質を引き出したのだろう。

 一方、「変わらないな、この人は」と思わされる機会が多かった方の代表格が、先ごろ中日の監督を退いた落合博満だった。シーズン終盤に退任が決定した際には、「契約が切れてやめる。それだけ」というようなコメントを残していたが、それも含めて彼らしい「オレ流」を貫いた8年間だったと思う。
 
 何が「落合らしさ」かについては人によって意見があるだろうが、私は「自分の流儀で結果を出す」ことにあると思っている。「結果至上主義」といってもよい。

 現役時代の落合は、すさまじい打者だった。特に、右中間に棒のように伸びていく打球が印象に残っている。が、見ていてさほど面白い選手ではなかった。当たり前に結果を出し、感情を表に出すこともない。打っても喜ばず、凡退しても平然とベンチに戻っていく。投手や捕手から見れば、この見逃し三振も何かの伏線ではないか、球筋を見切られてしまったのではないか、というような疑心暗鬼が生じて、打ち取った気がしなかったのではないかと思う。
 
 現役時代の落合が最初に書いた本のタイトルは「なんと言われようとオレ流さ」という。最年少で三冠王を獲得し、世の中に名を知られるようになった当時から、パブリックイメージも、彼のセルフイメージも「オレ流」だったわけだ。
 かといって、目立ちたがりの反逆児、というわけでもない。たぶん、彼には望む結果を出すための道筋が見えていて、そこを歩いているだけなのだろうと思う。そして、その道筋が他人にとっては面白くなかったり困ったりするものであったとしても、それには一切考慮しない。周囲の事情が彼の道筋と抵触して、はじめて「オレ流」となる。
 退任後に出演したテレビ番組で(日本テレビでの江川卓との対談だったか)、「普通って何?オレは普通だよ」という意味のことを口にしていたが、彼にとっては「普通のことを普通にやってきただけなのに、なぜか他人がとやかく言う」という感覚なのだろう。
 
 現役時代に、制度としては存在していても誰も利用することのなかった年俸調停を初めて申請したのは落合だった。選手会を退会しながら、選手会がフリーエージェント制度を勝ち取ると、初年度に利用して中日からジャイアンツに移籍した。どちらの行動も、何かの規則に抵触するわけではない。ただ、凡人なら「空気」に配慮してやらないだけだ。
 一方で、MLBにはまったく興味を示さなかった。オフのエキシビジョンゲームであった日米野球では、よく日本側の選抜チームに選ばれて活躍し、MLB側の監督に絶賛されていたが、新聞記者らからの「大リーグに意欲は?」という質問には「通用しないよ」「どうせ行けないでしょ」といったニベもない返事をするのが常だった。野茂英雄のように当時の規則を超えてアメリカに渡る、という意欲はなかったようだ(監督就任後のWBCへの無関心ぶりを見ると、本当に国際試合に興味がなかったのかも知れない)。

 つまり、落合は一貫して「規則には従う。空気は読まない」という人物だった。
 規則で許される範囲内で、ぎりぎり最大限のことをやる。明文化された根拠のない空気は無視する。それが彼の「オレ流」だ。
 そうやって、目的合理性を追求してきたという点では、現役時代も、監督になってからも、彼の言動は変わらない。「強打者なのに守備的なチームを作ったのは意外」という声も散見されたが、私は同意しない。落合が、勝つ確率を下げてまで自分の好みを優先する姿は想像できない。目的のためには手段を選ばない、身も蓋もないリアリスト。それが落合なのだ。

 監督になってからの落合は、中日ドラゴンズの勝利のために、あらゆる手を尽くし、実際に勝利してきた。中日ファンにはよい監督だっただろう。中日の勝利を喜びとしない人間にとっては、特に面白くはない監督だった。その評価のギャップが表面化した典型が、例の日本シリーズでの山井降板だったともいえる。

 ジャイアンツファンである私にとっては、落合が率いる中日は嫌な相手だった。手ひどい敗北を何度も見せられた。
 野球のスタジアムにはそういう慣習はないけれど、サッカーの試合では、アウェーの選手紹介の際に相手選手の名が呼ばれた時にサポーターがブーイングをする。手強い選手ほどブーイングは強くなる。その大きさは、裏返しの評価とも言える。
 落合中日監督は、私にとって最大級のブーイングに値する人物だった。中日ドラゴンズのどの選手よりも。
 そして、強くて嫌な落合ドラゴンズだからこそ、勝った時の喜びも、また大きかったのである。
 
 
 落合の監督としての実績には揺るぎないものがある。一方で、「コーチを育てなかった」「選手を育てなかった」という批判がある。

 「選手を育てなかった」という言い方は、正しくはない。現在の投手陣はほぼ落合監督下で育った選手ばかりだ(岩瀬も落合によってはじめてクローザーに抜擢された)。野手でも、井端、荒木、森野、和田、谷繁らの主力は、移籍組も含めて、落合監督の下で1ランク上の選手に成長したといってよいと思う。
 ただし、若い野手は伸びなかった。彼が監督をしていた8年間にドラフト経由で入団した野手に、これまで規定打席に達した選手がいないという(自分で確かめたわけではないが、東京新聞に書いてあったのでたぶん事実だろう)。これをどう評価するか。結論を出すのは来シーズン以降でよいと思う。
 
 原理原則でいえば、新人選手を一軍で使えるレベルに育てるのは、一軍監督の仕事ではない。二軍監督を含めた他のスタッフの仕事だ。一軍監督の仕事は、現有戦力を用いて勝つことだけだ。
 ただし、選手を育てるべきコーチの人事も、落合の意向に大きく左右されていたと聞く。自分で招いたコーチも容赦なく切っていたように見えた。

 しかし、これは落合監督の問題というよりは、球団側の問題だ。球団側が確固たる編成方針、育成方針を持たず、二軍のコーチ人事までも一軍監督の意向に左右されるようでは、その監督が去った後には何も残らない。落合に匹敵するプロフェッショナルが、彼を雇った中日ドラゴンズ球団にはいなかった。それが、今回の奇妙な退任劇を招いたのだろうと思う。

 落合という選手は、プロ野球選手という職業の一つのあり方、むきだしの本質を見せてくれた存在だった。
 そして、落合という監督もまた、プロ野球監督という職業の、むき出しの本質を体現していた。私にはそのように思える。

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内柴事件と「柔道の安全指導」に関する2011/12/13の連続ツイート。

 ブログの更新はすっかりご無沙汰しているが、このごろ、ツイッター(@nenbtunotetsu)にはちょこちょこと思いついたことを記している。連続ツイートしているうちに、ちょっとまとまった感じの内容になることもある。
 じっくり長文の論考に仕立て直している余裕が残念ながらないのだが、自分用の備忘録も兼ねて、「まとまった感じのもの」は、ここにまとめて記録しておこうと思います。

●内柴の件に何か言及してるだろうかと全柔連の公式サイトを見に行ったら、その件に関する記述はなかったが、「柔道の安全指導」というパンフレットのpdfを見つけた。一読して驚愕。「指導の名の下に人を殺してしまっている」という危機感が感じられない。

●本文の最初の頁に「指導者は(略)被害を最小限に食い止める努力をしています。それでも残念ながら事故が起きることがあります。そうした場合でも、従来と異なり、交通事故や医療過誤における損害賠償と同じように指導責任や管理責任を追及し、訴訟になるケースが多くなっています」とある。

●医療過誤は、基本的には病気やケガの治療における失敗だ。ほっとけば悪化するのを食い止めようとして医療行為を行う。柔道で怪我をしたり死んだりした人々は、ほっとけば何も問題はなかった。しなくてもいい柔道をしたために命を失ったり、生涯続く後遺症を背負ったりした。一緒にされては困る。

●全体を通読すると、隅々まで「指導者性善説」にのっとって書かれている。指導者が事故防止に全力を尽くしているのに不可抗力で事故が起きているかのようだ。しかし、死亡事故の報道を遡れば、指導者自身が技をかけ続けた結果、子供を死なせてしまった例が少なくない。危険なのは指導者自身だ。

●全柔連には、このパンフレットの付録として、過去の事故事例や訴訟の判例を集めた冊子を全国の指導者に配布することを勧めたい。その方がよほど抑止力になるのではないか。ただ、事故のさまざまな統計も記載されているので、資料集としては役に立つ。

●柔道界が指導者に対してこんなに甘い考えだから内柴事件みたいなことが起こる…と言ってしまうのは短絡だろう。女性の指導に若い男をあてるのは、やめた方がいいとは思うが。あれだけ女性のメダリストがいるのに、なぜわざわざ指導経験の浅い男性を招いたのか。大学側の考えも理解しづらい。

●と思ってちょっと調べたら、柔道の女子選手が引退後に指導者になる環境はあまり整っていないらしい。http://www.47news.jp/topics/entertainment/2011/08/post_4256.php 「男社会だからセクハラが横行する」という可能性もありそう。というわけで、内柴事件の再発防止には「女子の指導者を育てること」をお勧めしたい。

●ちょっと訂正。「女子の指導者を育てること」というより、「女子が指導者として生活できる環境を整えること」だ。例えば、「どこかの大学が女子柔道部の指導者を紹介してほしいと言ってきたら、女性の指導者を紹介する」みたいな。

以上。
後で「内柴の件」がわからなくなると困るので新聞記事を引用しておく。

<準強姦容疑>内柴正人容疑者を逮捕 ホテルで女子学生に

 アテネ、北京五輪の柔道男子66キロ級金メダリストで、九州看護福祉大(熊本県玉名市)の女子柔道部コーチを務めていた内柴正人容疑者(33)=同市=が部員の学生に性的暴行をした疑いが強まったとして、警視庁捜査1課は6日、準強姦(ごうかん)容疑で逮捕した。【内橋寿明、小泉大士、喜浦遊】

 捜査関係者によると、内柴容疑者は9月下旬、女子柔道部の合宿遠征で東京都内のホテルに宿泊した際、近くの居酒屋で飲酒させてめいてい状態だった未成年の学生に性的暴行をした疑いがもたれている。「納得いかない。合意だった」と容疑を否認しているという。

 同大学によると、関係者から9月下旬、「学生にセクハラ行為をした」と通報があり、調査を開始。この結果、内柴容疑者によるセクハラ行為があったことが裏付けられたとして、11月29日、「教育職員としての適性を著しく欠く」と懲戒解雇処分にした。警視庁は、女性からの被害届を受け、関係者らから事情を聴いていた。

 内柴容疑者は懲戒解雇後、自分のブログに「大学をクビになりました。そして、僕は旅に出ました」などと記していた。

 内柴容疑者は熊本県合志市出身。04年アテネ、08年北京の両五輪で金メダルを獲得。09年から同大学の非常勤講師を務め、10年4月に新設された女子柔道部のコーチになり、同年10月に現役を引退。今年1月から単年度契約の客員教授に就いていた。

(毎日新聞 12月6日(火)13時8分配信)

追記 2011.12.31
 その後、内柴は起訴されたが、それ以前に「逮捕されただけで犯罪者扱いなのか」という批判をネット上でよく目にした。内柴自身がインタビューに答えた雑誌記事などを読むと、行為そのものは認めているようだ。刑法上の犯罪にあたるかどうかは別として、「未成年の教え子に酒を飲ませて性行為に及んだ」という時点で、スポーツ指導者としてはアウトだと私は思う。

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