落合博満とは何だったのか。
私は来年で48歳になる。年男というやつだ。
このくらいの年齢になると、プロ野球の監督のほとんどは、その現役時代から見ている、という状況になってくる。と書いてから確認したら、来シーズンのNPBの監督12人は、ほとんどどころか全員の現役時代を知っている。なるほど、久しぶりの草野球で飛球を追う足がもつれるようになったのも無理はない。
その監督たちを見ていると、現役時代とはかなり印象が変わった人物もいれば、なるほど彼らしいと思う人物もいる。
前者の代表格は西武ライオンズの渡辺久信だ。外見の印象もかなり変わったが(トレンディドラマ全盛期に、いかにもそれらしい服装で遊び歩いていた当時の彼から、今の姿は想像しづらい。遊び仲間だったらしい工藤公康の変わらなさぶりも驚異的だが)、それだけではない。ストレート一本勝負のスタイルのままモデルチェンジできずに引退していった渡辺が、ああいう包容力のある指導者になるとは驚きだ。以前このブログでも著書を紹介したことがあるが、台湾時代の経験が、彼のそんな資質を引き出したのだろう。
一方、「変わらないな、この人は」と思わされる機会が多かった方の代表格が、先ごろ中日の監督を退いた落合博満だった。シーズン終盤に退任が決定した際には、「契約が切れてやめる。それだけ」というようなコメントを残していたが、それも含めて彼らしい「オレ流」を貫いた8年間だったと思う。
何が「落合らしさ」かについては人によって意見があるだろうが、私は「自分の流儀で結果を出す」ことにあると思っている。「結果至上主義」といってもよい。
現役時代の落合は、すさまじい打者だった。特に、右中間に棒のように伸びていく打球が印象に残っている。が、見ていてさほど面白い選手ではなかった。当たり前に結果を出し、感情を表に出すこともない。打っても喜ばず、凡退しても平然とベンチに戻っていく。投手や捕手から見れば、この見逃し三振も何かの伏線ではないか、球筋を見切られてしまったのではないか、というような疑心暗鬼が生じて、打ち取った気がしなかったのではないかと思う。
現役時代の落合が最初に書いた本のタイトルは「なんと言われようとオレ流さ」という。最年少で三冠王を獲得し、世の中に名を知られるようになった当時から、パブリックイメージも、彼のセルフイメージも「オレ流」だったわけだ。
かといって、目立ちたがりの反逆児、というわけでもない。たぶん、彼には望む結果を出すための道筋が見えていて、そこを歩いているだけなのだろうと思う。そして、その道筋が他人にとっては面白くなかったり困ったりするものであったとしても、それには一切考慮しない。周囲の事情が彼の道筋と抵触して、はじめて「オレ流」となる。
退任後に出演したテレビ番組で(日本テレビでの江川卓との対談だったか)、「普通って何?オレは普通だよ」という意味のことを口にしていたが、彼にとっては「普通のことを普通にやってきただけなのに、なぜか他人がとやかく言う」という感覚なのだろう。
現役時代に、制度としては存在していても誰も利用することのなかった年俸調停を初めて申請したのは落合だった。選手会を退会しながら、選手会がフリーエージェント制度を勝ち取ると、初年度に利用して中日からジャイアンツに移籍した。どちらの行動も、何かの規則に抵触するわけではない。ただ、凡人なら「空気」に配慮してやらないだけだ。
一方で、MLBにはまったく興味を示さなかった。オフのエキシビジョンゲームであった日米野球では、よく日本側の選抜チームに選ばれて活躍し、MLB側の監督に絶賛されていたが、新聞記者らからの「大リーグに意欲は?」という質問には「通用しないよ」「どうせ行けないでしょ」といったニベもない返事をするのが常だった。野茂英雄のように当時の規則を超えてアメリカに渡る、という意欲はなかったようだ(監督就任後のWBCへの無関心ぶりを見ると、本当に国際試合に興味がなかったのかも知れない)。
つまり、落合は一貫して「規則には従う。空気は読まない」という人物だった。
規則で許される範囲内で、ぎりぎり最大限のことをやる。明文化された根拠のない空気は無視する。それが彼の「オレ流」だ。
そうやって、目的合理性を追求してきたという点では、現役時代も、監督になってからも、彼の言動は変わらない。「強打者なのに守備的なチームを作ったのは意外」という声も散見されたが、私は同意しない。落合が、勝つ確率を下げてまで自分の好みを優先する姿は想像できない。目的のためには手段を選ばない、身も蓋もないリアリスト。それが落合なのだ。
監督になってからの落合は、中日ドラゴンズの勝利のために、あらゆる手を尽くし、実際に勝利してきた。中日ファンにはよい監督だっただろう。中日の勝利を喜びとしない人間にとっては、特に面白くはない監督だった。その評価のギャップが表面化した典型が、例の日本シリーズでの山井降板だったともいえる。
ジャイアンツファンである私にとっては、落合が率いる中日は嫌な相手だった。手ひどい敗北を何度も見せられた。
野球のスタジアムにはそういう慣習はないけれど、サッカーの試合では、アウェーの選手紹介の際に相手選手の名が呼ばれた時にサポーターがブーイングをする。手強い選手ほどブーイングは強くなる。その大きさは、裏返しの評価とも言える。
落合中日監督は、私にとって最大級のブーイングに値する人物だった。中日ドラゴンズのどの選手よりも。
そして、強くて嫌な落合ドラゴンズだからこそ、勝った時の喜びも、また大きかったのである。
落合の監督としての実績には揺るぎないものがある。一方で、「コーチを育てなかった」「選手を育てなかった」という批判がある。
「選手を育てなかった」という言い方は、正しくはない。現在の投手陣はほぼ落合監督下で育った選手ばかりだ(岩瀬も落合によってはじめてクローザーに抜擢された)。野手でも、井端、荒木、森野、和田、谷繁らの主力は、移籍組も含めて、落合監督の下で1ランク上の選手に成長したといってよいと思う。
ただし、若い野手は伸びなかった。彼が監督をしていた8年間にドラフト経由で入団した野手に、これまで規定打席に達した選手がいないという(自分で確かめたわけではないが、東京新聞に書いてあったのでたぶん事実だろう)。これをどう評価するか。結論を出すのは来シーズン以降でよいと思う。
原理原則でいえば、新人選手を一軍で使えるレベルに育てるのは、一軍監督の仕事ではない。二軍監督を含めた他のスタッフの仕事だ。一軍監督の仕事は、現有戦力を用いて勝つことだけだ。
ただし、選手を育てるべきコーチの人事も、落合の意向に大きく左右されていたと聞く。自分で招いたコーチも容赦なく切っていたように見えた。
しかし、これは落合監督の問題というよりは、球団側の問題だ。球団側が確固たる編成方針、育成方針を持たず、二軍のコーチ人事までも一軍監督の意向に左右されるようでは、その監督が去った後には何も残らない。落合に匹敵するプロフェッショナルが、彼を雇った中日ドラゴンズ球団にはいなかった。それが、今回の奇妙な退任劇を招いたのだろうと思う。
落合という選手は、プロ野球選手という職業の一つのあり方、むきだしの本質を見せてくれた存在だった。
そして、落合という監督もまた、プロ野球監督という職業の、むき出しの本質を体現していた。私にはそのように思える。
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