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200勝へのキャリアデザインを論じるつもりだったが。

 前回の末尾に「投手編は後日改めて」と書いたが、実際に200勝か250セーブを挙げた投手をリスト化してみて後悔した。
 なぜ後悔したかは、以下の表をご覧頂けば想像がつくと思う。

<200勝>
1946 スタルヒン2/4
1947 若林忠志 1/2
1948 野口二郎 3/3
1954 別所毅彦 2/2
1955 中尾碩志 1/1
1955 藤本英雄 3/3
1958 金田正一 1/2
1962 稲尾和久 1/1
1964 小山正明 2/3
1966 米田哲也 1/2
1967 梶本隆夫 1/1
1968 皆川睦雄 1/1
1970 村山実 1/1
1977 鈴木啓示 1/1
1980 堀内恒夫 1/1
1982 山田久志 1/1
1982 江夏豊 4/5
1983 平松政次 1/1
1984 東尾修 1/1
1989 村田兆治 1/1
1992 北別府学 1/1
2004 工藤公康 3/5 FA
2005 野茂英雄 8/11 MLB
2008 山本昌 1/1 現役

<250セーブ>
2000 佐々木主浩 2/3 FA
2003 高津臣吾 1/7
2010 岩瀬仁紀 1/1 現役

 「名球会」の入会基準をクリアした選手のキャリアデザインにどんな変化があるかを見ようと思って始めた作業なのだが、投手の場合、変化の最たるものは「200勝投手が出なくなった」ことなのだ。90年代以降で4人しかいないのだから、動向を云々するどころではない。21世紀にNPB単独で200勝に到達したのは工藤と山本昌の2人だけだが、それをもって「左腕優位の時代だった」と言うわけにもいかない。
 2000本安打と200勝をひとくくりにする、という発想は、金田正一が作った「昭和名球会」によって生まれたものだ。だが現在では、この両者を等価とみなすこと自体に無理が生じている。
 
 といっても、当時の金田の判断が著しく間違っていたとは思わない。1978年の時点では、200勝投手が14人、2000本打者が11人で、200勝投手の方が多かった(これは「昭和名球会」の有資格者ではなく、すべての達成者の数)。また、当時の各球団のエース投手といえば、堀内、山田、平松、東尾、村田。リリーフに転向していたが江夏も同世代で、彼らはそれ以降に着実に200勝を達成している。前途も洋々のはずだった。
 それが、現在の達成者数は27人:47人。2000本安打に届きそうな選手は大勢いるが、200勝に届きそうな投手はほぼ見当たらず、遠からずダブルスコアになりかねない。
 差がついたのは80年代以降の出来事なのだ。
 
 現在の投手たちが、かつての名投手に比べて著しく能力が劣っていると考える人もいるかも知れないが、私はその立場をとらない。時間や距離という明確な指標がある陸上競技や水泳競技において、記録は更新され続けている。それらの競技によって洗練されたトレーニングや栄養摂取の技術、選手の体格、国際試合の経験値、球場の広さ等を考慮すれば、個々には例外があるにしても、選手の平均的な運動能力は向上していると考えられる。
 ただし野球においては、運動能力が成績に直結するわけではない。投手成績と打撃成績は、投手と打者の能力の相関関係によって左右されるから、全体的には、打者の能力向上が、投手のそれを上回った、と考える人もいるかも知れない。
 
 だが、私はもっと単純な理由を挙げたい。
 1978年より後のある時期に投手の登板機会が減り、そのため勝ち星を挙げる機会も減ったのだ。

 先発投手の登板間隔について語ろうとすると、私はどうしても江川卓を思い出さずにはいられない。
 江川は、プロ野球選手となるまでのトラブルと、彼自身のキャラクターにより、世の中の多くの人々と、ゴシップ色の強いメディアに、いたく嫌われていた。「キャラクター」といっても、彼の人格が万人の嫌悪感を誘ったというわけではない。メディアを通してみる限り、彼はスポーツ選手としては珍しいほど人当たりがよく知性もある興味深い人物なのだが、例えば、ジャイアンツへの「入団発表」における「そう興奮しないでください」という発言に代表されるような物の言い方が癇に障る人も多かったのだろう。1978年のドラフト会議以後、プロ入りして数年の間、江川が受けていた風当たりの強さを、当時を知らない人に説明するのはかなり難しい。例えば1981年の江川と西本の成績だけを見比べたら、なぜ江川が沢村賞を取れなかったのか理解できる人はおそらくいないと思う(当時は今と違って新聞記者が選考していた)。
 ともかく、プロ入り後のかなりの期間にわたって、江川はやることなすこと批判されていたという記憶がある。

 ここで話は本題に戻る。江川はプロ入り間もなく肩を痛めたこともあってか、登板間隔をもっと長くしてほしい、という意味の発言をしたことがある。プロ野球の諸先輩やメディアは、彼を「怠け者」と非難した。
 その時に江川が求めた間隔は、確か中4日だった。
 1985年、右肘に左腕の腱を移植するトミー・ジョン手術によって復帰した村田兆治は、毎週日曜に登板して勝ち星を重ね、「サンデー兆治」の異名をとった。私の記憶が確かなら、当時は「週1回しか投げない主力投手」という存在自体が珍しく、「サンデー」にはそんな含意もあったはずだ。
 それから約30年。今の日本球界では、大きな故障をしたわけでもない20代の主力投手でも、投げるのは週に1度。MLBでは相変わらず5人くらいでローテーションを回しているので、今では日本の方がMLBより登板間隔が長いのだ。江川はきっと、自分が言った通りになったじゃないかと思っていることだろう。

 Wikipediaの「先発ローテーション」の項では<1980年代の先発ローテーションは中5日が多く><1990年代から中6日の先発ローテーションが増える>と記している。MLBについては、<1980年以降のMLBでは、先発投手5人を100球前後で降板させ、中4日の日程で運営するローテーションが定着している>とある。真偽のほどを確認するのは大変なのでここでは措くが、大雑把な印象としてはそう外れていないように思う。200勝投手が80年代以降デビュー組から激減したという事象と、時期的にも一致している。
 
 今、「2000本安打」と等価とみなすべき勝ち数はどの程度が妥当なのだろう。
 NPBの公式サイトには、各種通算記録の上位100傑が記載されている。2000本安打を(NPBだけで)打ったのは44人。一方、150勝を挙げた投手は47人だ。150勝から199勝の投手のうち、80年代以降にデビューしたのは、西口文也、斎藤雅樹、星野伸之、桑田真澄、槙原寛己、三浦大輔。日米通算なら野茂英雄、石井一久、松坂大輔、黒田博樹も加わる(80年代以降デビュー組で200勝したのは、野茂を除けば工藤公康と山本昌の2人だけ)。90年代デビューはゼロだ。
 80年代にデビューした打者だと、NPB単独で2000本以上打ったのは立浪和義、石井琢朗、秋山幸二、清原和博、野村謙二郎、田中幸雄、駒田徳広、谷繁元信。90年代で前田智徳、稲葉篤紀、古田敦也、小笠原道大、小久保裕紀、中村紀洋。2000年代デビューにもラミレスがいる。これに日米通算のイチローと松井秀喜、松井稼頭央が加わる。
 顔触れを見比べると、私の“相場感覚”では、150勝でだいたい釣り合いがとれているように思うのだが。
 
 「2000本安打」と「200勝」が世の中で特別な意味を持つようになったのは、前回エントリでも書いたように、名球会の影響が強い。
 記録保持者に光が当たり、広く一般に知られて尊敬を集めるようになったことは、名球会の功績といってもよい。ただし、有資格者に当たる光が強すぎることが、結果的に、その基準に届かなかった人々を見えにくくしてしまっていることも否めない。とりわけ「200勝」にわずかに届かない投手たちにおいて、その影響は顕著に現れている。
 別に「名球会入りの基準を150勝に引き下げろ」などと主張する気はない。が、平成の150勝投手たち(あるいは、先発とリリーフの双方を高レベルでこなしたがゆえに、どちらの基準にも到達しなかった佐々岡真司や大野豊や槙原寛己のような投手たち)がもっと尊敬されて然るべきだということは、2000本安打を打った打者たちが次々と脚光を浴びている今だからこそ、主張しておきたい。
 端的にいって、投手が150勝に到達した時には、スポーツメディアは今の2000本安打と同じくらい大騒ぎしてよいと思う。名球会などという昭和のモノサシに、いつまでも囚われている必要はない。

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コメント

2000本安打と200勝が果たして等価値か?という問に関しては、最近の2000本安打到達者のラッシュでちらほら見かける議論ですね。
多くの人々が等価値ではないと感じているようですが、だからといって代替案がなかなかうまく収まらないのがこの議論の面白いところだと思います。

私があちこちで目にした案の中で面白いなと思ったものの中に、「安打数は自分の実力で積み上げることができるが、勝ち星はチームの強弱に左右される。勝ち星は打点と同じように運の要素が絡むので、投球回数や奪三振数など自信の能力で積み上げることのできるもので判断すべき」というものが有りました。
なるほど、勝ち星と打点がある意味で似ているというのは確かな気がします。
しかし安打数に比するものとして投球回数や奪三振数が相応しいかというと疑問なのも事実です。
(個人的には奪三振数は本塁打と比すると面白い気がしますが)

名球会はその成り立ちを考えると、今から投手の入会基準を変更するのは難しいとは思いますが、これを機に投手と打者の“一流”を判断する基準を考えてみるのは面白いことだと思います。

投稿: とおりすがり | 2013/05/13 00:36

>とおりすがりさん

個人の能力だけを純粋に評価できる指標を、という考えを突き詰めたのがセイバーメトリクスですね。
それはそれで納得できるのですが、一方で、いみじくも300奪三振について問われたダルビッシュが「三振を取る競技ではないので」と答えたように、野球選手のプレーの目標は「勝利」です。
「試合の勝敗について個人が責任を負う」という仕組みは、野手にはない、投手だけの責務であると同時に特権でもあるので、投手を勝利数で評価するというやり方は悪くないと思っています(シンプルでわかりやすくもありますし)。

むしろ、打者において投手の勝敗に匹敵するのは何かを考える方が、難しい気がします。打者の具体的な目標が「得点を挙げること」だと考えれば、打点と得点の合計数が、その選手の勝利に対する貢献を図る基本的な指標にふさわしいかもしれません(記録好きな人たちからたくさん異論が出てきそうではありますが)。

投稿: 念仏の鉄 | 2013/05/13 22:22

> 「試合の勝敗について個人が責任を負う」という仕組みは、野手にはない、投手だけの責務であると同時に特権でもあるので
これには唸らされました。チームメイトの能力にも左右されやすい勝敗ですが、特権という見方もできるのが野球のロマンティックなところですね。この考えがあるからこそ、エースという特別な地位を持った選手が生まれるのでしょう。
そういえば昔の新聞記事には勝利打点が掲載されていたような気がするんですが、いつの間になくなってしまったのでしょうね。

> 打点と得点の合計数
これは地味ですけど、勝敗への直接的な結びつきを考えると有効な気がしますね。特に得点はかなり重要な個人記録だと思いますが、あまり重要視されていないような気がします。強打者でも巧打者でも関わることのできる、非常にわかりやすい数値だと思うのですが。

投稿: | 2013/05/15 22:54

たとえば松井秀喜が「チームの勝敗に責任を負うのが四番打者」と公言していたように、そういう覚悟で試合に臨んでいる打者はいるはずですが、それを公式にオーソライズする記録の項目はありません。そこは投手と野手の大きな違いではないかと思います。

得点の通算記録トップは王貞治で、トップ10にはやはり長距離打者が並びますが、2位の福本、10位の石井琢朗など一番打者タイプの選手もトップ40にはかなり入ってきます。タイプを問わず打者の実績を評価する指標としては有効だと思いますが、あまり注目されませんね。

投稿: 念仏の鉄 | 2013/05/18 12:58

なんか以前プロ野球と学歴について論じてあったみたいですけど、200勝を大投手としての基準とするなら大卒はきわめてシビアということですね。
大卒は村山投手と若林投手だけなのかな?
できるだけ早くプロ野球に入団することが200勝への序章ですね。

投稿: バイアウト | 2013/05/29 22:44

>バイアウトさん

そうですか。

投稿: 念仏の鉄 | 2013/05/31 10:16

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