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2000本安打へのキャリアデザイン。

 今年は開幕から2000本安打を達成する打者が続いている。去年も3人いたのだから、「今年も」というべきか。
 去年は稲葉、宮本、小久保。今年はラミレス、中村紀、谷繁。井口も故障なくレギュラーで出場し続ければ手が届く距離だ。年間4人になれば、衣笠、福本、山崎、藤田平が達成した1983年以来の豊作ということになる。
 
 長期間活躍しなければ達成できない通算記録だから、2000本に到達したのは見慣れた選手ばかりだが、何となく気になったことがあり、確かめてみようかと2000本達成者をリスト化してみた(日本人は日米通算も含む)。左の数字は達成年、右の数字は、まあちょっと考えてみてください。

1956 川上哲治 1/1
1967 山内一弘 2/3
1968 榎本喜八 1/2
1970 野村克也 1/3
1971 長嶋茂雄 1/1
1972 張本勲 1/3
1972 広瀬叔功 1/1
1974 王貞治 1/1
1975 江藤慎一 4/5
1977 土井正博 2/2
1978 高木守道 1/1
1980 松原誠 1/2
1980 柴田勲 1/1
1981 大杉勝男 2/2
1983 衣笠祥雄 1/1
1983 福本豊 1/1
1983 山崎裕之 2/2
1983 藤田平 1/1
1984 山本浩二 1/1
1985 若松勉 1/1
1985 有藤道世 1/1
1985 谷沢健一 1/1
1987 門田博光 1/3
1987 加藤英司 5/5
1990 大島康徳 2/2
1992 新井宏昌 2/2
1995 落合博満 3/4
2000 秋山幸二 2/2
2000 駒田徳広 2/2
2003 立浪和義 1/1
2004 イチロー 2/3  現役、MLB
2004 清原和博 2/3
2005 古田敦也 1/1
2005 野村謙二郎 1/1
2006 石井琢朗 1/2
2007 松井秀喜 2/5  MLB
2007 前田智徳 1/1 現役
2007 田中幸雄 1/1
2008 金本知憲 2/2  FA
2009 松井稼頭央 4/5 現役、MLB、FA
2011 小笠原道大 2/2 現役、FA
2012 稲葉篤紀 2/2  現役、FA
2012 宮本慎也 1/1  現役
2012 小久保裕紀 3/3 FA
2013 アレックス・ラミレス 3/3 現役
2013 中村紀洋 6/6  現役、MLB、FA
2013 谷繁元信 2/2  現役、FA

 さて、数字の意味がおわかりになっただろうか。
 種明かしをすれば、/の左側が「2000本安打達成時までの在籍球団数」、右側が「最終的な在籍球団数(現役選手は今年までの数)」だ。
 現役生活を1球団で終えれば1/1。達成後に移籍をすれば1/2とか3とかになる。同一球団に2度以上在籍した場合はそれぞれ別にカウントしている(例えば、ホークスからジャイアンツにトレードされ、FAでホークスに戻った小久保の在籍球団数は3となる)。
 
 2000本安打を打つほどだから、それぞれの選手は最初の所属球団でレギュラーとなり、一時代を築いている(今のところ例外はない)。70年代の野村、張本らは、最初の所属球団で2000本に到達、その後も長く活躍し、その中で球団を移っている。達成時の球団数が「1」ではない山内や江藤、土井、大杉も、当時は珍しかった主力の大型移籍であり、移籍後も長い間活躍している。

 昭和30年代あたりにはまだ、選手もファンもさほど記録に関心を持っていなかったと聞く。力が衰えても2000本を打つまで現役で頑張る、という選手の行動が顕著に見られるようになったのは、金田正一が昭和名球会を設立した1978年以降のように思う。1980年に達成した松原、柴田はいずれも衰えが明白な中での達成となった。松原は低迷の続いた大洋を支えた功労者でありながら、この80年のオフにはジャイアンツに移籍。主に代打で1年を過ごして引退する。柴田は80年を最後に引退した。
 80年代後半にも、複数球団を経験した達成者が増える。中でも加藤英司(秀司)は、5球団目にしてようやくの到達。海外移籍を経験していない選手としては最多である。山田久志、福本豊とともに阪急全盛期の三羽ガラスと呼ばれ、首位打者を2度もとった選手だが、他の2人が阪急一筋で選手生活を終えたのと対照的な晩年となった。

 90年代後半からの達成者は、「一筋派」と「FA派」にほぼ二分される。「FA派」の第一号は、FA移籍第一号でもある落合博満。3球団目のジャイアンツでの達成となった。ちなみにこの95年以後、ジャイアンツ在籍時に2000本安打に到達したのはほかに清原と小笠原がいるが、ジャイアンツの生え抜き選手では80年の柴田を最後に出ていない(FAでジャイアンツを出て行った選手としては駒田と松井がいる)。

 この表を作って気づいたのは、「一筋派」も結構多い、ということだった。古田、野村、前田、田中幸雄、宮本。いずれも球団を代表する大選手である。ただし、同時代の「FA派」の打者たちと比べると、主軸というよりはその周囲を打つ打者が多い。そして、守備時においてもチームのリーダー的な存在だった。例外は前田。本来は押しも押されぬ主軸打者だが、アキレス腱断裂という大きな故障をしている(それでも2000本まで届いたこと自体が凄いが)。
 一方、「FA派」の打者たちは、ほとんどが3番か4番が定位置という顔触れだ(例外は松井稼と谷繁)。
 つまり、チームの最強打者はFA宣言して移籍していき、その周囲を打つ好打者で守備でも中心的な選手が長くチームに残る、というのが、FA制導入以後の名選手たちの移籍動向といえそうだ。球団史を代表する四番打者たちの名が連なる80年代半ばまでとの、もっとも大きな違いのように思う。

 また、ここ数年の達成者には、気息奄々かろうじてたどり着いた、というタイプも少ない。ほとんどの選手がレギュラーとして試合に出ながら2000本を打っている。かつてより選手寿命が延びたこと、シーズンの試合数が一時期よりも増えたことなどが影響していそうだ。
 
 こんなことを調べてみようと思ったもともとのきっかけは、ラミレスの2000本安打達成だった。
 2000本に届くほどの大打者で、極端に衰えたわけでもなくレギュラーで活躍しているというのに3球団目とは、あまり正当に評価されていないのではないか、と思って一覧にしてみたのだが、結果から言えばそう珍しくない。日本人でも全盛期にFA移籍する選手は多い。彼のヤクルトからジャイアンツへの移籍を日本人におけるFA移籍に該当すると考えれば、21世紀の2000本打者のキャリアとしては典型例に近い。
(ただし、以前は「日米通算2000本」で可だったはずの名球会の入会資格には、いつのまにか「日本をキャリアのスタートとする」という条件がついていた。まるでラミレスを狙い撃ちしたかのような条項で、相変わらずコロコロとよく変わる。これではクロマティが入れなくなってしまったではないか(笑))
 
 投手編は後日改めて。
 
※表はWikipediaなどをもとに拵えたもので、あまり厳重なチェックはしていません。間違いを見つけた方は教えてください。

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コメント

面白い記事ですね。
榎本や松原は、地味ながらもチームの生え抜きの主力として長年活躍して2000本安打を達成し
本来ならば1/1で現役を終えるはず(べき)だったのに、フロントや首脳陣に煙たがられトレードで放出
現役最後の1年を他球団で過ごすことになったのはちょっと可哀想だなと思いました。
中村ノリの2000本は子供の頃ファンだった江藤さんとダブって見えました。
己の道を突き進むの流浪の野球人生というのも悪くないな、と。

投稿: Kate | 2013/05/27 05:06

>Kateさん

榎本は私が物心つく前の選手なのでよくわかりませんが、松原の場合は、放出の事情はどうあれ、万年最下位だった大洋からジャイアンツに移ったことで、最初で最後のリーグ優勝と日本一を経験できたわけで、彼のキャリアにとっては悪くない結果だったのではと思います(ご本人の心情ばかりは、わかりませんが)。
私は81年の日本シリーズ第一戦をスタンドで見ていたので、代打で出てきた松原が、日本ハムの大リリーフエースだった江夏から打った同点ホームランは今でも目に焼き付いています。

中村ノリは、近鉄から渡米して出戻って、合併オリックスを自由契約になったあたりの出処進退にはまったく感心しませんでしたが、楽天入りした頃からの言動を見ていると、なんだかずいぶんと立派な人になったのかも知れないと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2013/05/27 23:48

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