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それでもなお世界を驚かせる覚悟があるのなら。

 悔しい。

 もちろん敗戦は悔しい。ただ、今回の組み合わせが決まった時点から「絶対勝てない相手もいないが、楽勝の相手もいない。3連勝も3連敗もありうる」と考えてきた。コートジボワールに負けたこと自体は、ありえないことではない。

 悔しいのは、1-2で逆転負けを喫したこのブラジル大会の初戦で、日本らしさ、日本の良さがまったくといってよいほど表現されなかったことだ。
 日本がこれまで強豪国を倒した、あるいは苦しめた時にはいつも、守っては、高い位置からボール保持者に襲いかかり、敵が1人抜いても2人目3人目が食いついてくるしつこさがあり、攻めては3人目4人目がよい位置に動いて、短いパスを速いテンポでつないで相手を翻弄し、守備陣形に隙間をこじ開けたり裏側に走り込んだりしてゴールを奪ってきた。屈強な守備者と対峙しても、日本特有のアジリティーによって隙をついてきた。
 今回のチームは、まさにそういうサッカーをするための23人が選ばれ、その目的に最適ではないと判断された選手はどんなに素晴らしくとも外されてきたはずだ。
 それなのに、そういうサッカーができなかった。

 解説の岡田武史が、試合の序盤で「誰かが100%で守備に行かないとスイッチが入らない。今は全員が80%くらいでやっている感じ」と話していたが、結局、最後まで80%のままで終わってしまったような印象を受ける。
 高温、強い雨、午後10時という開始時刻。ピッチ上のコンディションがどんなに悪いものだったか、見ている者にはわからない。ただ、気候条件が悪ければ悪いほど、それでも試合終盤になっても激しく動き回って、消耗して足が止まった相手を圧倒する、というのも、日本が強い相手を倒したり苦しめた時には必ず見られた現象だった。今回はむしろ日本の方が、動きが重かったようにも見えた。
 ボール保持者に圧力をかけ、苦し紛れに出させたパスを出先で奪って高い位置から攻撃につなげる、というのがよい時の日本のペースへの第一歩。今日は、奪えなかったのではなく、そもそも保持者に圧力をかけていない。一歩目がなければ二歩目以降はない。
 
 理由はわからないし、誰かを断罪するつもりもない。
 ただ、「攻撃的な日本のサッカーを世界に披露する」ことがこの大会のテーマだとザッケローニ監督は公言していた。顔触れと時期からいっても、それは適切な設定だと思う。
 だとしたら、このパフォーマンスのままで大会を終えるのであれば、この4年間の冒険と努力は徒労に終わる。
 監督も選手たちも、そんなことは百も承知だろう。グループリーグの勝ち抜け云々よりも、次の試合でそこが修正され、日本らしい試合が見られることを期待している。

 ワールドカップの「結果」というのは、グループリーグを抜けたかどうかとか、ベスト16になれたか、ベスト8まで進んだか、という成績だけではない。ひとつひとつの試合内容も「結果」なのだ。
 グループリーグであっても、人々の記憶に残る試合、人々に感銘を与える試合というものはある。そういうものを見せてほしい。
 
 気になったのは、試合中の選手の表情や雰囲気が、どことなく2006年大会の日本代表に似ていたことだ。短時間に同点から逆転に至ったという経緯だけではない。リードしている時間帯にも、何かおかしい、何かうまくいってない、自分たちのペースではない、という訝しさを感じているような選手たちの表情が、よく似ていた。

 もしかすると、これは「失うものがあるチーム」だから起こる現象なのかも知れない。
 あの時は、いわゆる黄金世代がピークを迎え、史上最強の日本代表と呼ばれて、本大会前のドイツ戦でも非常によいパフォーマンスを演じた。本大会の初戦の相手はオーストラリアで、グループの中ではもっとも勝ちやすいと目されていた相手。はっきりいえば、勝って当然、くらいの空気があった。選手たちに楽勝ムードがあったとは思わないけれど、相手が格上だと思っている選手もいなかったことだろう。その相手に、どこかうまくいかない、というイヤな感じを持った試合が、イヤな結末に終わった。

 今回は、このところ負けていないとはいえ内容的には課題も多く、選手たちがそう楽観視していたとは思えない。ドログバやヤヤ・トゥーレの怖さもよくわかっている。世界有数の選手がいる強豪国で、その強さも弱さも理解したうえで、それでも自分たちが格下とは思わない。そういう認識の選手が多かったのではないかと思う。
 コートジボワールと対等のつもりとは日本代表も偉くなったものだ…と言うのは皮肉ではない。本当に偉くなったのだ。

 今や日本代表の半数は欧州組だ。ビッグクラブのレギュラー選手もいる。どんな相手にも名前負け、位負けはしないだろう。目標として「優勝」を堂々と掲げるだけの自信と強いメンタリティーも備えている。
 私がよく現場に足を運んでいた90年代の日本代表に比べると、ずいぶんと立派になった。運動会で我が子をハラハラしながら見守る親のような心境で試合を見ていた当時とはまるで違う。ジョホールバルで延長戦に入る前に山本浩アナウンサーが口にした言葉を借りれば、私にとっては今の日本代表は、「私たちそのもの」というよりも、立派になった頼もしい「彼ら」に見える。

 そこに油断があったとは思わない。だが、ひょっとしてペース配分を考えたりはしなかったか。このコンディションの中で試合後半に向けて体力を保持しておかなければ、という計算はなかったか。グループリーグ突破のためにはこの試合で勝ち点3を確保しておかなければ、という打算はなかったか。
 
 ○○しなければ、という意識は動きを重くする。
 メンタルが強くなった、世界の二番手あたりの仲間入りをした、とはいうものの、そういう計算をして、計算通り怜悧に試合を運んで、予定した結果を手にする、というほどの老練さは、日本にはまだないのかも知れない。
 なりふり構わず、必死で、後先考えずに、今、持てる力を出し切ることで、やっと強豪国と対等に、あるいは対等以上に戦える。日本の現在地は、そういうチームなのではないか。少なくともこれまではそうだった。相手や状況に合わせて戦い方を変える、などという器用な真似ができるようになるには、まだ時間がかかるのではないか(と今年のFC東京を見ていても思うわけだが…泣)。
 
 次の相手ギリシャは、守備が堅くカウンターを得意とするチームだ。初戦でコロンビアに大敗したから、次の試合の敗者は大会の部外者になることがほぼ確定する、という試合でもある。
 オシムの言葉を借りると「他人のお祝いを台なしにする能力がある」ギリシャという国に対して、全力で前に出て攻撃的に行くことは、もしかすると馬鹿げた行為なのかも知れない。
 それでも、できるだけ早い時期に、そういう自分たち本来の姿を思い出しておかないと、日本はこのまま、自分たちの良さを見せることができずに大会を去る羽目になるのではないか。それが目下の心配事だ。
 
 日本代表はしばしば、リードされても諦めない反発力で世界を驚かせてきた。今度は試合の中だけでなく、大会の中での反発力を見せてほしい。たとえばソチ五輪での浅田真央のように。
 
 
…と書いた後で、2006年の時はどんなことを書いてたかなあとバックナンバーを読み返してみたら、ずいぶんとよく似た内容なので我ながらいささかどんよりしてきた。進歩がないのは私なのか、日本代表なのか、それともそもそも日本人はこうなのか。サッカー界はその後、ずいぶんと成功体験も重ねて来たはずなんだが。

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