« 2014年11月 | トップページ | 2015年5月 »

2014年12月

アギーレ八百長疑惑があぶりだす日本メディアのメンタリティ。

 サッカー日本代表監督に就任したばかりのハビエル・アギーレに、スペイン時代の八百長疑惑が持ち上がって2か月余り。裁判所が検察の告発を受理するに至っていないということもあり、年明け早々のアジアカップには、アギーレ体制のままで臨むことになった。
 アジアカップの成績次第でメディアの態度も変わるだろうから、大会直前の今、2014年末時点で思うところをまとめておく。
 
 まず、現時点での事実を確認しておく。

アギーレ監督、八百長疑惑を否定
AFP=時事 12月28日(日)8時34分配信

アギーレ監督、八百長疑惑を否定
都内で行われた記者会見に臨むサッカー日本代表のハビエル・アギーレ監督(2014年12月27日撮影)。
【AFP=時事】サッカー日本代表のハビエル・アギーレ(Javier Aguirre)監督は27日、サッカー界を揺るがす八百長疑惑について、その関与を否定した。
 スペイン検察は、2011年にレバンテ(Levante)に勝利したレアル・サラゴサ(Real Zaragoza)がスペイン1部リーグからの降格を免れた一戦で、サラゴサの指揮官だったアギーレ監督ら41人が不正が行ったと主張している。
 アギーレ監督は、来年2月にはバレンシア(Valencia)の裁判所に出頭することになっている。
 都内で行われた会見でアギーレ監督は通訳を通じ、「12年間スペインサッカーにかかわって過ごしたが、倫理やプロフェッショナリズムに反したことはない。何も受け取ったことはないし、何かを頼んだこともない」と語り、当局に協力していくと誓った。
 検察当局は、サラゴサが総額96万5000ユーロ(約1億4000万円)をクラブのコーチ陣やスタッフ、選手の銀行口座に振り込み、その金を「賄賂」としてレバンテの選手に手渡したとしている。
 日本サッカー協会(JFA)は、疑惑がある中、アギーレ監督が来月オーストラリアで開催される第16回アジアカップ(2015 AFC Asian Cup)で指揮を執るとしている。【翻訳編集】 AFPBB News

 読んでおわかりの通り、AFP=時事は「スペイン検察は…主張している」「検察当局は…としている」と、疑惑の内容については、あくまで、検察がそう主張している、という書き方に終始している。有罪判決が出るまでは被告人を無罪として扱うべし、という「無罪推定の原則」に則った書き方で、事件報道の基本のキであり、報道というより法治国家の基本のキでもある。
 だが、この基本のキにまったく敬意を払う気のなさそうなメディアが少なくない。
 その典型例がスポーツニッポンの次の記事だ。

 逆ギレ!辞めない!アギーレ監督 釈明会見で潔白主張も根拠示せず
 八百長疑惑でスペイン検察当局に告発された日本代表のハビエル・アギーレ監督(56)が27日、東京都文京区のJFAハウスで釈明会見を行った。会見は約40分に及び、逆ギレ気味に潔白を主張したが、肝心の“疑惑の金”に関する説明はなく、無実の根拠は一切なし。辞任の意向がないことを強調し、騒動の渦中にいることに対する謝罪もなかった。[ 2014年12月28日 05:30 ]

 長いので前文だけの引用にとどめたが、「逆ギレ気味」「無実の根拠は一切なし」「謝罪もなかった」などの文言は、あきらかに書き手が「アギーレが悪い」という前提に立っていることを示している。

 別の日のスポーツ報知の記者コラムには「潔白証明できなければ身を引くべき」とあった。
 犯罪の疑惑にもいろいろある。犯罪が行われた日時と場所が特定されている殺人のような事件なら、疑われた者が自ら潔白を証明することは可能だ。その日時に別の場所にいたことを証明すればよい(いわゆる「アリバイ」という奴だ)。
 だが、アギーレにかけられた疑いは、試合相手に対する買収への関与だ。日時も場所も相手も特定されていないのだから、それを「した」ことの証明はできても、「していない」ことの証明などできるはずがない。告発内容がこの記事の通りであれば、アギーレの潔白が立証されるケースは「捜査当局が有罪を立証できなかった時」でしかない。逆に言えば、捜査当局が有罪を立証できない限り、アギーレは潔白なのだ。自分で証明する必要などない。
 
 八百長疑惑がなかったとしても、アギーレは評判の悪い代表監督だった。
 そもそもの出発点として、6月のワールドカップブラジル大会で日本が2敗1分と惨敗した後で、原専務理事兼強化委員長がすみやかに後任監督をアギーレに選んで就任させたことに対して、「総括もしないのに早すぎる」と不満や不信感をあらわにしていたメディアやサッカーライターは少なくなかった(4年前には「監督選びが遅い」と非難されていたものだが)。
 そして、アギーレが前任者とはかなり異なる顔触れを代表に選び、しかも試合ごとに大幅に入れ替えることに対しても、非難がましい声は強かった。とりわけ10月に行ったブラジルとの試合に代表経験の浅いメンバーで臨み、大敗したことに対しては、「ベストメンバーで臨むべきだった」と批判する声がとても強かった。
 就任以来、試合ごとにメンバーが大幅に入れ替わっているアギーレ代表にあって、なぜこの人たちはこれが「ベストメンバー」ではないと断言できるのだろうかと、私は不思議だった。ザッケローニ時代のベストメンバーが6月に「世界」にまったく通用しなかったのだから、今度は別のメンバーで試してみる、という考え方には合理性がある。ザッケローニはある時期からメンバーを固定して新しい選手の起用に消極的になっていたから、今のJリーグの20代前半には、国際経験に乏しい有望選手が大勢いる。彼らを厳しい環境下に放り込んで、どの程度やれるのかを試してみるには、このブラジル戦は絶好の機会ではないか。
 その後、アギーレはアジアカップ前の最後の2連戦には遠藤らザッケローニ時代のベテランも呼び戻し、難敵オーストラリアを相手に手堅く勝利した。初期のテスト期間に試した選手からも、武藤ら数名を確保している。就任から半年足らずで大陸選手権を戦わなければならない監督の準備期間の使い方としては申し分がないと私は思うのだが、そう思わないメディアやライターは少なくないようだ。
 
 八百長疑惑の報がスペインからもたらされたのは、そんな状況の中だ。当初は現地メディアが取りざたしていただけだったが、12月に検察当局が告発に踏み切ったことで、アギーレ批判(というより非難)報道は爆発した。その多くがアギーレを黒と決めつけんばかりの勢いであることは前述の通りだ。
 
 スポーツ紙がアギーレを黒と決めつけるのは、単に事件報道の基本など知らない人が多いからなのかも知れない。
 だが、キャリアの最初に事件報道の基本を叩き込まれるはずの全国紙でも、ほとんど同じような論調が見られることには驚いた。

 朝日新聞のベテランサッカー記者である潮智史編集委員が12/20付のスポーツ面に書いた署名コラムのタイトルは<アギーレ監督続投 グレー状態でいいのか>だった。ネット上では有料なのでリンクは貼らないが、コラムには<でも、それは法律上の話であって、ピッチの上に目を向ければ、このままグレーの状態では相当にややこしい話になる><将来、無実が証明されたとしても、それまでに傷ついた名誉や損失は取り戻せるだろうか>といった文言が躍っていた。グレーでいいのか、と協会に詰め寄りながら、決して「解任すべき」とは書かないところには計算を感じる。日本経済新聞の武智幸徳記者も、ほぼ同じ趣旨のコラムを前日の日経に掲載していたが、具体的な提案を示していた分だけ、武智記者の方が潔いと思う。
 日経は経済新聞だから、物事の判断基準が損得勘定にあったとしても、それなりに納得はできる。だが、朝日新聞は長年、人権の守護者のように振る舞ってきた新聞だ。その紙面に、疑わしきは罰せよと言わんばかりのコラムが堂々と掲載されたことには本当に驚いた。

 潮記者が無罪推定の原則を知らないとは考えにくい。それでもこんなふうに書かずにいられないのはなぜなのか。Jリーグ以前からサッカーを取材している記者やライターからは、サッカーが取材対象というより、自身がサッカーファミリーの一員としてサッカーに貢献したい、という気持ちをひしひしと感じることがある。潮記者や武智記者もその世代の人だ。潮記者は確か筑波大で中山や井原と一緒にプレーしていた大学サッカー部出身と聞く。
 そういう経歴の人たちにとって、アギーレは「俺の大事な日本サッカーに傷をつける、ろくでもない人物」と感じられるのかも知れない。この件に関する潮記者のツイートを読んでも、とにかく感情的でナイーブな印象を受ける。
 武智記者にしても、彼には珍しいタイプの文体と感じる。あまり一喜一憂せず、落ち着いた独自の視点に立ったこの人のコラムが私は好きだったので、この文章の冷淡さにはかなり衝撃を受けた。彼にも潮記者にも、そしてスポーツ紙にも共通して感じられるのは、アギーレに対する冷たさだ。
身内を信用しないわけにはいかないんじゃないかなというのが、自分自身の哲学ではあります>と本田圭祐は語ったそうだが、記者たちはアギーレを身内とは思っていないようだ。「外国人が外国で起こした問題なのだから、さっさと厄介払いしてしまえばよい。俺たちには関係ない」という考えが、アギーレを非難する記事には通底しているように感じる。
 
 だが、本当にそうなのだろうか?
 
 報道によるとスペインでは2010年に八百長を禁じる法律が設けられ、今回が最初の適用事例になりそうだという。欧州サッカー界で八百長が深刻な問題になっていることも確かなようで、UEFA.comの日本語版を検索しただけでも、UEFAが真剣に対策に取り組んでいると伝える記事がいくつも見られる。

UEFA、八百長との徹底抗戦をあらためて表明 
UEFAとユーロポール、八百長対策で覚書締結
UEFAが八百長防止の新システムを導入 

 90年代にフランスのマルセイユ、2000年代にはイタリアのユベントスが、それぞれ八百長を仕組んで発覚し、大スキャンダルになったことは記憶に新しい。どちらも欧州主要リーグの強豪クラブである。アギーレはスペイン。どこで何が起こってもおかしくはない。一方で、欧州に渡って活躍する日本人選手は増えるばかり。つまり、日本人選手が八百長問題に巻き込まれる可能性も、着実に大きくなっている。例えば本田圭祐にロシア時代の八百長疑惑が持ち上がったりしたら、日本のメディアや記者は「疑惑をかけられた選手は代表から身を引くべき」「危ない橋をこの選手と一緒に渡る義理はない」と書くのだろうか。
 
 今年7月に邦訳が出たデクラン・ヒル「あなたの見ている多くの試合に台本が存在する」(カンゼン)は、世界のサッカー界における八百長について書いたノンフィクションだ。思わせぶりな邦題から暴露本を想像して敬遠していたのだが、アギーレの疑惑を機に読んでみた。邦題に反して、実際の内容は学術書に近く、豊富な実例を集めて、八百長のメカニズムを解説している。原題は「The Insider's Guide to Match Fixing in Football」という。Matxh Fixingが八百長のこと(余談だが「八百長」という日本語は「tsudaる」とか「エガワる」のような符丁に近い言葉なので、翻訳記事や本に使う訳語としては違和感がある。もっと単刀直入な訳語を考えた方がよいのでは)。
 八百長とならぶスポーツ界の大問題、ドーピングについて、このblogではかつて「ドーピングの社会学」という優れた研究書を紹介した。本書はそれに匹敵する八百長の研究書のように思う。私にとってはさまざまな発見があった。
 もっとも基本的な事項としては、世界の八百長組織の中心地は東南アジアなのだそうだ。賭博のために八百長を行う組織があり、彼らが欧州サッカーの現場にも進出している(もちろん欧州オリジナルの組織もある)。賭博のために八百長を試みる人々が選手や審判に接近する方法は、日本で暴力団員がスポーツ選手や芸能人に近づく方法にとてもよく似ている。ご承知の通り、Jリーグは近年、東南アジアを市場として強く意識し、進出を図っている。元Jリーガーで東南アジアのリーグに移籍する選手も増えている。ヒルの著書によれば、八百長に関与する選手は決して特別な悪人ではない。ごく普通の選手が、さまざまなきっかけで八百長の世界に引きずり込まれてしまう。
 
 サッカーはグローバルな競技で、日本国内で完結しているわけではない。リーグも選手も世界に出て行く以上、世界で起こっている潮流と無縁でいられるはずもない。「スペインに学べ」とか「世界基準で戦え」とか日頃から声を大にして書き立てているサッカーメディアやライターが、アギーレの八百長問題についてはかたくなに国内基準を当てはめようとしているのは奇異なことだ。
 八百長という問題は、アギーレを切り捨てれば厄介払いできるようなことではなく、日本のサッカー界がいずれは直面する可能性のあることなのだという覚悟があれば、今回の一連の報道も少し違ったものになると思うのだが。
 
 念のため書いておくが、私はアギーレが無実だと信じているわけではない。現時点では何とも言えないと思っているだけだ。スペインの司法当局がまだ判断できていないことが、私にわかるはずもない。検察が、関係法の初の適用事例として告発するのであれば、絶対勝てそうな事案を選ぶのが人間の心理というものだ。FOOT!での倉敷保雄アナのように「欧州サッカーに詳しい人にとってはよくあること」などと過小評価するつもりはない。
 外国の司法当局の動きを日本で先回りして把握したり、影響力を行使することなどできるはずもないのだから、JFAに対しては、現時点ではアギーレ率いるアジアカップで最善の闘いができるように代表チームをサポートし、全体的には今後起こりうるあらゆる事態を想定して、すみやかに対応できるよう準備しておくことを望むばかりだ。
 仮に2月以降にアギーレが退任するような事態に発展したとしても、このアジアカップでアギーレから学べるものはあるはずだ。この経験豊富な指導者を無駄遣いせず、美味しいところを絞り尽くすことを考えてもらいたい。
 
 さしあたり、欧州から帰国した選手たちから聞こえて来る談話は「今は大会に専念するしかない」という落ち着いた内容ばかりだ。「選手が動揺したらどうするんだ」と協会に詰め寄っていた記者たちは、振り上げた拳を降ろす先に困ったのか、「選手が質問しないからよいというものではない」などとつぶやいたりしている。
 
 そもそも、多くのサッカーメディアやライターは、6月の惨敗の後、日本人には戦う気持ちが足りないとか勝者のメンタリティーが必要だとか声を揃えていたはずだ。今、我々の代表監督は、八百長に関与した疑惑を受けて司法当局に告発されても「有罪判決が出るまでは無罪だ」と言い張って戦い続けようとしている。この図太い神経と戦う姿勢こそ、彼らが日本人に足りないと主張していた類いの精神性ではないのか。
 アギーレがこの段階で「世間をお騒がせして申し訳ない」と身を引いてしまうような人物だったら、そもそも2014年8月のタイミングで呼ぶ価値はない。我々の代表選手はぜひここにも学んでもらいたいし、この問題で動揺してアジアカップに失敗するような選手は代表には必要ない。転んでもただでは起きないしぶとさをオーストラリアの地で見せてほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

そうまでして東京五輪で野球をやりたいのかどうか、よく考えておいた方がよい。

 IOCの臨時総会で、開催都市の組織委員会が追加種目を提案できるという改革案が承認されたというニュースを、「これで東京五輪で野球やソフトボールがやれる可能性が出てきた」とテレビや新聞やスポーツ紙は祝賀ムードで報じていた。
 私とて五輪で野球をやるとなれば、テレビにかじりついて見るに違いないとは思う。だが、今の時点では、むしろ「何だかなあ」と思う材料が多すぎて、素直に祝賀ムードに乗る気にはなれずにいる。
 
 最初に思ったのは「また代表監督が大変なことになる」という件だ。
 現在、「侍ジャパン」と呼ばれる(というより自分で名乗っている)日本代表の監督は小久保裕紀が務めている。前のエントリでも書いた通り、おそらく2017年のWBCまでは彼が監督を務めることになるのだと思う(来年開かれるらしいプレミア12で、よほどひどい負け方でもしない限りは、そもそも解任する理由を見つけるのが難しい)。

 2017年のWBCでファイナリストになるくらいの好成績を残せば、小久保は、本人が望めば代表監督を続けられるかもしれない。彼の心中は(現時点ではたぶん彼自身にも)わからないけれど、一度は福岡で監督をやりたいのではないかという想像は、そう無理なものではないと思う。WBCでの好成績は、そのためには有力な材料となることだろう。逆にWBCで国民が失望するような結果となれば、そのまま代表監督を続けることは難しい。だから、いずれにしても小久保は2017年までで一区切りになる可能性は強い。
 
 目下の主要大会の開催間隔は、WBCが4年に1度、プレミア12はその中間年に開催されることになるようなので、ポスト小久保の代表監督は、おそらくこういうスケジュールに直面することになる。

2019 プレミア12
2020 東京五輪
2021 WBC
 
 これは大変だと思う。とりわけ東京五輪では、監督はとてつもない重圧にさらされることになるだろう。
 ただでさえオリンピック大好きな日本人が、地元開催となれば、金メダルはほとんどノルマのように期待されることになるだろう。追加種目は開催都市が決める。野球をやろうなどと考えるのは、日本のほかにはアメリカ合衆国、メキシコ、韓国くらいしかなさそうだから(野球が盛んなキューバやドミニカがオリンピック開催に手を挙げるとは考えにくい)、2020年の次の機会はいつ来るかわからない。つまり、ここで失敗すると取り返すチャンスは二度と来ない。
 
 試合内容自体も難しい。連戦になることはもちろんだが、特異なレギュレーションになる可能性がある。昨年だったか、IOCに追加種目として選ばれるために7回制を検討していると伝えられた。タイブレークは北京五輪で実際に採用された。WBCの投球数制限どころではない不慣れな試合形式だ。
 
 こんな大変な大会で監督を引き受けようという指導者が、果たしているだろうか。NPBでの指導経験を持たない小久保が代表監督に選ばれたのは、打診した候補にことごとく断られたからだ。第2回WBCでも代表監督選びは罰ゲームの様相を呈していた。WBCに2度優勝し、プロ野球における代表チームのプレゼンスは上昇し、「代表を目指す」的なことを口にする若い選手も出てきた。だが、「代表監督になりたい」と明確に発言した日本人指導者を私はいまだに知らない。小久保の業績やその評価によっては、若い指導者の中からそういう人が出て来るのでは、と期待してはいるが、そう信じられるだけの材料は今のところなく、あくまで希望に過ぎない。
 
 もうひとつ、どんよりした気分になったのは、野球とソフトボールの元代表監督が並んで満面の笑みで記者会見する写真を見た時だ。これも五輪競技に復帰するための方策として、野球とソフトボールの国際競技団体は合併してひとつになった。男女平等を重んじるIOCに気に入って貰おうと、「男の野球と女のソフトボール、合わせて一つの競技」という枠組みをこしらえたのだ。
 もともとオリンピックでは、野球は男子のみ、ソフトボールは女子のみしか行われていないので、合理的といえば合理的ではある。だが、野球そのものにも女子競技はあり、しかも日本はこの分野では、ワールドカップで3連覇している圧倒的強豪国であり、国内リーグも行われている。それなのに五輪種目となる可能性を、競技団体自身が閉ざしてしまっているわけだ。
 
 私は女子野球の選手でも指導者でもないし、特にファンというわけでもないので、女子野球の立場を代弁するような僭越な真似はしない。ただ、傍からみれば、おかしな話だと思うだけだ。
 
 もうひとつ言えば、いわゆる「侍ジャパン」はプロの代表チームだけでなく、あらゆる年代の日本代表チームに共通の愛称とされ、そこには女子代表も含まれている。侍ジャパンの公式サイトには女子のページもあり、ワールドカップでの活躍も誇らしげに報告されている。そして、各年代に共通の「侍ジャパン」のユニホームを、女子代表たちも着用している。彼女たちは「侍ジャパン」だけれども五輪代表ではない、というのもまた、筋が通らない話だと思う。
 
 男子ソフトボールについても同じことが言える。ソフトボールは女性専用の競技ではなく、日本にも男子ソフトの社会人リーグもあれば日本代表もある。私はソフト男子でもないし、関係者に知り合いもいないが、自分が当事者だったら、あんまり面白くはないかもしれない。
 
 という具合に、オリンピックに対する野球界の姿勢には、いろんな無理や屈折がある。あまり無理をしすぎて後遺症が残るようなことにならなければよいと思う。
 
 本番でどういうレギュレーションになるのかわからないが(全体の人数もぎりぎりまで絞らなくてはならないから、過去の五輪と同様、選手が打撃投手を務めるようなことになる可能性も高い)、いざ試合をやってみて、あまりに普段と異なる規則の数々に戸惑って不成績に終わったりしたら、関係者の誰かが「こんなのは野球ではない」などと言い出すかも知れない。
 確かにそれは日本でやっている野球とは違う。だが、IOCに追従し、そんな奇妙な形に競技内容を変化させてまでオリンピックの場で試合をすることを望んでいるのは、野球界自身なのだ。

 そうまでして東京五輪で野球をやりたいのかどうか。
 そして、やるとなったら腹を括って、野球界の総力を結集して勝利を目指すという、これまで一度も実現したことのない取り組み方をする覚悟があるのかどうか。
 野球界は今のうちによく考えておいた方がいいと思う。今の祝賀ムードのまま何となく大会に突入して、「こんなはずじゃなかった」などということになったら、いちばん傷つくのは、日本野球そのものなのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年11月 | トップページ | 2015年5月 »