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2016年2月

「チェアマン続投」に思うこと。

 Jリーグの村井満チェアマンの再任が内定したという。
 それ自体の是非は今は問わない。ここで書きたいのは別のことだ。

 私はこのニュースを朝日新聞の紙面で知った。次の記事だ。

Jチェアマン 村井氏続投へ サッカー

 Jリーグは2日、役員候補者選考委員会を開き、3月に任期が切れる村井満チェアマン(56)の続投を決めた。3日にある臨時理事会をへて内定、3月の総会と新理事会で正式に再任が決まり、2期目(1期2年)に入る。(以下略)>
 
 気になったのは、見出しにもある<続投>という表現だ。
 あまりにも日本語に浸透しすぎて今さら意識することもない人が多いと思うが、これはもともとは野球から来た言葉である。例えばYahoo辞書でこの言葉をひくと、大辞林第三版の、こういう解説などが見つかるはずだ。
<①野球で,投手が交代せずに引き続いて投球すること。
②転じて,任期を終わろうとしている者が,辞任せず引き続き任にあたること。 「今度の事件で首相のーーの目はなくなった」>
 
 一般的な日本語では「再任」とか「留任」という言葉で表現される事態を表すわけだが、野球で「続投」という言葉が使われる典型的なケースは、投手が走者を出してピンチを招き、ベンチから投手コーチがマウンドに行って何やら話し合いが行われたけれど、交代せずに投げ続ける、というような状況である。単に次のイニングも引き続き投げるというだけでなく、交代も考えられるけどやっぱり続けることにした、というニュアンスが付与されているので、比喩として用いるにはなかなか味わい深い。
 
 だから、政治家や企業人など別の世界の人事に対して比喩として用いられることには何の違和感も持たないのだが、サッカーとなるとスポーツどうし。わざわざ別の競技から引っ張ってこなくてもいいんじゃないかな、という印象がある。だいぶ前にも誰かとそんな議論になり、じゃあ「続蹴」がいいのか、などという話も出たが、そんなサッカー用語はない。わざわざ意味のよくわからない造語を使うのも妙な話で、なんとなく結論が出ないままに終わった。
(球技ライターの党首こと大島和人さんは「契約続行」の略語として「契続」を使おうと提唱している。「ケイゾク」とカタカナにすると何か禍々しい未来が待っていそうでもあるが)。

 記事が掲載された日の夕方、朝日新聞のサッカーを専門とするベテラン記者がツイッターでこの記事を紹介していたので、つい<サッカーの記事で「続投」はやめませんか?>などと@ツイートをしてしまった。返事はなかったもののリツイートされたので、それに対するコメントが彼のタイムラインにいくつか見られた。
  <(サッカーファンは細かいなー)>という書き込みもあった。これを書いた人は21歳だそうなので、まあ知らなくても無理はない。彼が生まれる前のことだから。
 
 チェアマン、という言葉で英和辞典を引けば、議長、座長、司会者、委員長、会長、頭取といった訳語が並ぶ。だから、肩書きを英訳すればチェアマンと呼ばれることになる日本人は少なくないはずだ。
 だが、日本国内でカタカナの「チェアマン」という肩書きを名乗り、ほぼ全国に知られた人物は、川淵三郎の前にはいなかった。Jリーグの初代チェアマンである。
 この耳慣れない呼称を、川淵はあえて選んだ。それだけではない。Jリーグは、さまざまな耳慣れない言葉とともにスタートした。スタンドを埋める人々は「ファン」ではなく「サポーター」。クラブの本拠地は「フランチャイズ」ではなく「ホームタウン」。そして、「会長」や「コミッショナー」ではなく「チェアマン」。
 競技スペースを「ピッチ」と呼ぶのはもともとのサッカー用語だが、上記の3つはJリーグが独自に定めた言葉といってよい。川淵は、日本のプロ団体スポーツの先行者で成功例である野球との差異を強調するために、あえて新しい言葉を用いた。
(孫引きになるが、たとえばこういうところに当人たちの証言が紹介されている)
 新しい言葉が、Jリーグというものの新しさを、より印象づけた。それが1993年だった。
 
 そんな経緯を記憶している者にとっては、まさにその川淵三郎の数代後の後継者の人事を伝える記事に、無造作に野球用語が使われているのは驚きだった。当時の状況を私などよりずっと熟知しているであろうベテラン記者が、その言葉を使っていることにも驚いたのだった。
 
 ツイッターでは「続投」に肯定的な書き込みも散見された。 「再任」では微妙なニュアンスが伝わらないという意見もあった。
 ただし、検索してみると、このニュースを伝える新聞の多くは「再任」という表現を使っている。ネットで検索して確認できた範囲では、読売、毎日、報知、スポニチ、日刊スポーツが「再任」を使っていた。朝日と時事通信は「続投」だ。「やっぱり野球がサッカーより上だ」、あるいは、「もはや言葉にこだわる必要もないほどサッカーが定着した」などと朝日新聞が判断したのかどうか、私にはわからない。単に言葉に無頓着なだけかもしれない。
 
 野球用語には、このように一般社会で比喩的に使われる言葉が多い。
 昨今相次いでいるニュースキャスターの交代においても、岸井氏もフルダチも国谷さんも、伝える記事の多くは「降板」と表現している。「登板」も同じように使われる。「代打」「空振り」「外野」などもよく耳にする。
 
 このように言葉が一般化しているスポーツは、他に相撲くらいしか見当たらない(「寄り切る」「仕切り直し」「徳俵に足が掛かる」等々)。もともと日本発祥で、昔からあり、人々の生活に根を下ろしてきた相撲と比較可能なほど、野球の言葉が土着化しているというのは驚くべきことだ。そもそも、これほど競技用語が日本語化されている西洋発祥のスポーツが他にあるだろうか。
 
 昨年、女子サッカーやラグビーで「ブームから文化にしたい」という代表選手の言葉が話題になった。どうなったら文化になったと言えるのか、という問いも議論になった。このように「用語が一般社会で比喩として用いられ、出自が忘れられるほど定着する」という現象は、そのスポーツが文化となったことを示すひとつの指標といえるかもしれない。

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