タイブレークの後で。
東京ドームで24時を迎えたのは初めてだった。満員だった観客のうち、控え目に見積もっても半数以上は最後まで残っていたと思う。延長11回、オランダとのタイブレークを制して8-6の勝利は、どこまでも付き合おうと腹を括った観客へのご褒美でもあった。
WBCを球場でしっかり見るのは2009年の第2回大会以来になる(第3回は海外出張と重なって、ほとんど見られなかった)。
違いを感じたのはスタンドだった。第2回大会では、イチローが打席に立つたびに観客の多くが彼の写真を撮るため無数のストロボが発光し、スタンド全体がスパンコールになったかのようにキラキラと光っていた。当時はおそらくデジタルコンパクトカメラをオートで使っていた人が多かったのだろう。今は皆スマホで撮影するので光ることはない。そして試合中でもLINEやら何やらにしきりに写真をアップしている人も目につく。それが8年という歳月である。
同じ8年の間に、日本代表には「侍ジャパン」という異名が(NPB自身に寄って)つけられ、マーケティング的には進歩している。チームが同様に進歩しているかといえば、そうとも言いづらいものがある。
大会における日本のプレゼンスは向上せず、監督人事は混迷し、MLB所属選手の招集は相変わらず困難だ。
ただし、選手にとっての日本代表のステイタスは向上している。今の選手たちの多くは、小中高生の頃に王ジャパンや原ジャパンが世界一を勝ち取るのを見て育ったのだから、自分もそこで戦いたいと思うのは自然なことだろう。現在では、初期に見られたようなNPB選手の招集に伴う困難は、あまり表面化することがない。コンディションに問題があって不参加の大谷、嶋、柳田らを別にすれば、「なぜこの選手を呼ばない」「なぜこんな奴が呼ばれるのか」という類の雑音は、過去の大会ほど大きく聞こえてはこない。MLB所属選手を除けば、現時点で小久保監督が考えるベストメンバーは、概ね実現しているのではないかと思う。
私が今大会の一次ラウンドのバカ高い通しチケットを買ったのは主に大谷を見ることが目的だったので、彼が出場を辞退した時点で目算は外れている。とはいえ、かつてゼロ年代には、野球日本代表マニアのようにWBCの国内試合と五輪予選を追いかけていた行きがかりもあり、まあやっぱり見ておこうかと、この一週間、仕事であるかのように勤勉に東京ドームに通っている。
3/7のキューバ戦は、勝ったことがすべてだった。翌朝のテレビのスポーツニュースの多くは、日本の得点シーンをつなぎ合わせて「打線爆発、宿敵キューバに快勝」というトーンで伝えていたが、それは試合を最初から最後まで見た印象とはかけ離れていた。
確かに打線は良かった。筒香を中心に、ここで点が欲しい、と切実に思う場面で点が取れたことは好材料だ。筒香が打席に立つ直前に強烈な素振りをする姿は、拝みたくなるほどありがたいものに見えた。
反面、投手陣は、一時は7-1と大差をつけたにも関わらず、リリーフ投手がことごとく打たれ、打線が引き離しても、すぐにキューバの追撃を許してしまった。
キューバ代表は、ジャイアンツでまるでダメだったセペダが三番を打っていることに象徴されるように(チャンスをことごとく潰してくれた彼の存在は実にありがたかった)、脂の乗り切った世代がMLBに行ってしまい、往年の強さはない。とはいうものの下位打線も皆スイングは鋭く、打球は速い。火がつけばたちまち3、4点のビッグイニングになって追いつかれるんじゃなかろうかという恐怖は最後まで私の中から去ることがなく、「快勝」「圧勝」などという印象は全くない。大量点を奪ったとはいえ打ったのは主に二番手以降の投手である。「ブルペンがアレではお先真っ暗」てなことを、その夜のツイッターには書いた。
翌日のオーストラリア戦は、一転して投手力の勝利となった。先発の菅野が良いペースを作り、続く投手たちもそれを引き継いだ。引き締まった投手リレーは、どうにかこの先も勝ち進めるんじゃないかという期待を抱かせるものだった。クローザーとして登板した牧田が、前夜とは別人のように落ち着いた投球を見せたのも嬉しい出来事だった。
1日置いた3/10の中国戦は、すでに一次ラウンドB組の首位通過が確定した状況で迎えたため、モチベーションの置き所は難しかったかもしれない。小久保監督は、中盤に勝利が見えてきたところで、まだ出場していなかった選手たちの慣らし運転にこの試合を充てることにしたようだ。それはそれで意義のあることだったが、敵失がらみと本塁打でしか得点できないのはやや気になった。
一次ラウンドの3試合で、最も印象に残った選手は捕手の小林誠司だ。代表チームの全貌があきらかになった時、彼は嶋、大野に次ぐ3番手捕手で、おそらく出番はほとんどないのだろうと私は想定していたし、大方の見方も似たようなものだったはずだ。だから、初戦のキューバ戦で小林が先発した時は驚いた。
日本代表の強力打線の中にいる小林はまるで場違いに見えたし、最初の打席でバントを失敗したことで、その印象はさらに強まった。次の打席で小久保監督が再びバントを命じ、これを成功させた時、スタンドの空気はまるで、初めて二足歩行を試みる幼児を見守る親戚一同のようだった。捕手としての振る舞いも、いささか浮き足立っていたような印象はある。客席からは細かな投手リードの内容は分からないけれども、救援投手たちが次々に打たれたことに小林が無関係であったとは思えない。
しかし、翌日のオーストラリア戦で、小林の振る舞いは随分と落ち着き、自らの投手陣と、試合の状況を掌握しつつあるように感じられた。先発投手が、ジャイアンツでも組んでいる同学年の菅野だったことも幸いしたのだろう。リリーフした岡田や千賀は年下ということもあり、小林が主導権を持ってリードしているように見えた。
5回途中、菅野が残した1、2塁の走者を背負ってリリーフした岡田が、ストライクが入らずに満塁となり、さらにボールを重ねたところで、小林はタイムを取ってマウンドに歩み、岡田に何やら話しかけた。直後のボールを相手打者が引っ掛けてダブルプレー、日本は窮地を逃れる。この場面は、小林の、というよりも、この試合の白眉だった。
期待できないと思われていた打撃でも、ここまで好成績を残している。中国戦では強烈な本塁打を放ったものの、次のオランダ戦では勘違いすることなくコンパクトなセンター返しを心がけて2安打。一度は勝ち越した6点目を挙げたタイムリーヒットは見事だった。捕球も安定し、この試合の終盤では、たびたび投じられたワンバウンドの投球を、後ろに逸らすことはなかった。テヘダ主審の判定は、とりわけ外角が不安定であるように見え、捕手にとってはやりにくい状況だったのではないかと思うが、小林は不満を表現することなく冷静に対処した(相手はラテン系だ、抗議なぞしようものなら報復される恐れは十分にある)。
この4試合を通じて、小林は傍目にもわかるほど成長している。初戦で2度成功させたバントにも自信をつけたことだろう。
もちろん代表チームやWBCは育成の場ではない。とはいえ捕手に関しては誰を出しても物足りないのだ。小林がこのまま、第1回大会における里崎のように化けてくれれば、日本代表にとっては喜ばしいことになる。
大野は中国戦の後半に出場し、大過なく試合を終えた。嶋の故障離脱に伴って緊急招集された炭谷にはまだ出番がない。試合中のグラウンドに姿を見せるのは、イニングの切り替え時、小林に代わって投球練習を受ける時くらい。NPBでも国際試合でも3人の中で圧倒的に豊富な経験を持つ炭谷が不満を表現することなく小林のサポートに徹しているようなら、このチームはもっと強くなる。
そして2次ラウンド初戦のオランダ戦。所用で到着の遅れた私が水道橋駅に着いた時、携帯で見た速報は3回表に中田の本塁打と秋山のタイムリーで5-1とリードしたことを伝えてきた。しかし、席に着いた途端にボガーツが犠牲フライ、そしてバレンティンがレフトのポールにぶつける強烈な本塁打を放って、リードは消滅した。
以後は両チームとも走者は出してもなかなか得点に至らないヒリヒリした展開が続く。
オランダの上位打線は強力、というより強烈だった。シモンズ、ボガーツ、グレグリウス、スコープと一線級のメジャーリーガーが並び、その中で4番に座るバレンティンの恐ろしさは日本人の我々が熟知している。リリーフ投手陣がしばしばピンチに陥ったのも無理はないところで、むしろ走者を背負っても粘り強く立ち向かい、4回から8回を無失点で切り抜けたことを評価したい。結果として四球を出すことはあっても、それはキューバ戦のように萎縮したがゆえではなく、打者に立ち向かう気持ちは揺らいでいないように見えた。
日本は5回表に小林のタイムリーで勝ち越し点をもぎ取ったが、その後は走者を出すもののホームに戻れない。9回裏、則本がスクープに同点打を許したが、責めを負うべきは則本よりも、追加点を奪えなかった打線の方だろう(則本がグラウンドに現れた時に「クローザーは牧田じゃなかったのかよ」と思ったのも事実だが)。中前に抜ける当たりに、菊池が超人的な反応でグラブに当てながら弾かれてしまった場面には、第1回大会のUSA戦で西岡が二遊間への打球を取れずにサヨナラ負けした場面が重なって見えたけれども、この夜はまだ負けたわけではない。
10回表に満塁のチャンスを逃し、その裏を牧田が危なげなく3人で片づけて、試合はタイブレークとなった。無死一、二塁からのスタート。
タイブレークを現場で見るのは初めてのことで、どんな奇妙な代物なのだろうかと思っていたが、打順は前のイニングの続きであり、初球が投じられてしまえば、あとは普通に試合が続いていく。状況は確かにピンチではあるが、投手にとっては、2人の走者は自分が出したわけでもなく、誰かが打たれたわけでもない。いわば「誰も悪くないピンチ」なので、投手は案外冷静に事態に対処することができるんじゃなかろうか、と牧田の投球を見ながら感じた。
話を戻す。
タイブレークで、日本は先頭の鈴木誠也がきっちりと送りバントを決めて走者を二、三塁に進めた。続く中田がレフト線に安打し、2人が生還した。日本代表らしい、つなぐ攻撃だった(左翼手が無駄な本塁送球をする間に中田は二塁に走れたのでは、とは思ったが)。
一方のオランダは先頭打者プロファーがフルスイングで内野フライ。
プロファーは前の打席で見逃し三振。外角低めの判定が気に入らず、主審に詰め寄ろうとしてボガーツにたしなめられていた。それだけに「俺が決めてやる」という意欲が強すぎたのだろう。そのボガーツも三塁ゴロに倒れる。そして、鈴木と同様、途中出場で4番に入っていたサムズが打ち上げたファウルフライが小林のミットに収まり、日本は苦しい試合を乗り切った。
明暗を分けたのは、このタイブレークの先頭打者の振る舞い、あるいは作戦であったように思う。
しびれる試合を乗り越えた今では、一週間前とは比較にならないほど、私はこのチームに愛着を抱いている。
最後に、最も印象に残った事象について記しておく。
オランダ戦では、日本の投手が窮地に陥ると、スタンドの全方向から拍手が湧いた。例えばボールが先行し、カウントが2-0となったりした時に、その瞬間ではなく一拍おいて、投手が捕手からの返球を受け取る頃に拍手が湧き起こり、投球動作に入る頃に静まる。
つまりその拍手は、投手を励ますためのものだ。
日本の攻撃の際には、ライトスタンドを中心に、打者ごとのチャントが歌われる。今は日本にいない青木の打席でも、ヤクルト時代の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の替え歌が歌われている。日頃はNPB各球団で応援している人たちが用意しているのだろう。
ただ、NPBの試合での習慣として、応援団は贔屓チームの攻撃時にしか応援しない。そして、今回の相手国は遠方の国が多く、まとまった応援がないため(そもそもそんな習慣もないのか)、相手の攻撃の際には場内は静かなことが多い(韓国や台湾が2次ラウンドに進んでいたら、大挙して応援団もやってきたののだろうけれど)。
我らが投手たちにとって、慣れない静寂の中で強力打線に立ち向かわなくてはいけないという状況は、より緊張を増す要因になっていたかも知れない。なのに、我々は窮地に立った味方投手を応援する手段を持っていなかった。
2試合目のオーストラリア戦で、菅野の後を継いだ岡田が全くストライクが入らずマウンドで立ち往生していた時にも、拍手が湧き起こった。ただ、その時には「こんな時に拍手したら、まるでストライクが入らないのを喜んでるみたいだけど、いいんだろうか。岡田は僕らの本心を分かってくれるだろうか」という懸念を抱きつつ、観客はそれでも見るに見かねて、おそるおそる手を叩いていたように感じた。
しかしながら、そんな状況が4試合も続けば、我が投手を応援したいという気持ちは、徐々に形になってくる。オランダ戦の終わり頃には、そういう拍手が日本の投手たちに対する激励の表現だということがスタンドではすっかり暗黙の了解になっていて、おそらくは選手たちにも理解されていた。その激励が効いてかどうか、彼らは多くの危機を乗り切った。監督や選手が口々に「チームがひとつになった」と語るのと同様、スタンドもまた、試合を重ねるごとに、ひとつになっている。
こういう情景はNPB球団同士の試合では起こらない。国際試合でしか見られない現象である。
このような、この場でしか起こらない何かを見たいから、私はWBCのスタンドに通い続けているのかも知れないな。東京ドームからの帰り道、そんなことも考えた。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
私の地元北海道では、札幌ドームの観客がこの「3ボール拍手」を行います。パ・リーグの他のチームのファンからマナー違反との指摘を受けることもあり、ビジターでは自粛すべきなのかもしれませんが、北海道では既に定着しています。
元々はファイターズの北海道移転時に札幌ドームに集まった人達の多くが、応援マナーについて無知であったことに端を発しているのだと思います。
1.敵側の攻撃の際には大きな応援をしないという習慣を知らない。
2.制球に苦しむ投手を激励したいが、どうしていいのかわからない。
3.シャイなので「しっかり投げんかー」とか、とても言えない。
4.シャイなので「がんばれー」とも言えない。
5.中年女性の客がとても多いので、つい母親目線に。
6.「なんとかこらえて」と祈りつつ、ただ拍手するのみ。
こんな具合に、道民のメンタリティーに基づいた応援だと思っていたので、全日本の応援でこのスタイルが見られたことには、少なからず驚きを覚えました。おそらくファイターズファンの真似という意識は全く無いでしょう。自然発生的に起こり、たちまち暗黙の了解にまで達したというのが面白く、国際試合の素晴らしさなのだろうと思います。
>例えばボールが先行し、カウントが2-0となったりした時に、その瞬間ではなく一拍おいて、投手が捕手からの返球を受け取る頃に拍手が湧き起こり、投球動作に入る頃に静まる。
これには気づけませんでした。札幌ドームでは、ここまでタイミングを見極めて拍手を送っているだろうか。道産子はなにしろ雑だから…。
投稿: えぞてん | 2017/03/14 17:13
>えぞてんさん
NPBの応援団はルールに厳格なんですね。
(登録制だから余計に遵法精神が強いのだろうか)
まあNPBの試合でやると、相手の応援と競合するという問題もあるのでしょう。
とはいえ韓国や台湾との試合では、相手の応援団がどっちの攻撃中だろうとのべつまくなし大声で応援しているので、日本側だけがNPBルールを守っていると、ちょっと分が悪い雰囲気になります。
今回は両国とも2次ラウンドに進めず、対戦相手はまとまった応援のない国ばかりだったので、相手の攻撃中は妙な静寂に覆われた感じになってました。
>これには気づけませんでした。札幌ドームでは、ここまでタイミングを見極めて拍手を送っているだろうか。道産子はなにしろ雑だから…。
投球がボールになった直後に拍手すると、相手を応援してるみたいでうしろめたいのですw
投稿: 念仏の鉄 | 2017/03/16 15:21