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「イカロス」と、合わせて見てほしいもうひとつのドキュメンタリー。

 「イカロス」という作品を知ったのは、わりと最近で、文春オンラインに掲載されたドキュメンタリー制作者たちの座談会を読んでのことだった。
 東海テレビやNHKで出色のドキュメンタリーを撮っているディレクターたちが「10年に1度の傑作」と口を揃える。ドーピングには以前から関心がある。配信しているNetflixの会員でもある。俺が見なくて誰が見るのだ。
 ということで通勤電車の中で見始めた。何日かかけて見ているうちに、「イカロス」はアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。賞に値する作品だと思う。示される事実が圧倒的であり、映像や語り口が面白く、構成が衝撃的である。
 
 ドキュメンタリーには、撮影中に何らかの状況の激変が起こり、当初の意図を大きく外れて流浪することがある。「イカロス」も、そういう激変のあるドキュメンタリーだ。「激変がある」などと書くとネタバレになってしまうのだが、まあNetflixの番組紹介にもネタは書いてあるからいいだろう。
ロシア人科学者が暴露した国家ぐるみのドーピング。プーチンにとって最悪の内部告発者となった男の証言に米国人自転車選手が迫り、アカデミー賞候補となった作品。
 私は読まずに見始めたけれど、この紹介文は作品の印象とはだいぶ異なる。
 
 監督のフォーゲルは30代くらい。アカデミー賞の受賞スピーチでは「今こそ皆さんに真実を語ることの大切さに気付いてもらいたい」と殊勝な話をしていたが、この作品を撮り始めた時の彼は、たぶん、そんなご立派なことは考えていなかったと思う。
 
 フォーゲルが映像作家としてどういう経歴の人物かはよくわからないのだが、自転車競技ではかなり本格的な経歴があるらしい。かつて憧れた絶対王者ランス・アームストロングが、実はドーピングまみれだったことに衝撃を受け、それほど検査がザルであるのなら、自分でドーピングをして大きな大会に出場し、検査をすり抜けてみせようという挑戦を思い立つ。「スーパーサイズ・ミー」あたりを意識したのだろう。
 
 参加したのは「オートルート」というアマチュアの大会。アマといっても、7日かけてフランス・アルプスの山岳地帯を駆け抜けるハードなもの。フォーゲルは前年にも出場してトップ20くらいに入っているようだ。
 ロサンゼルス在住のフォーゲルは、当初、UCLAオリンピック・ラボのドナルド・キャトリンにドーピング指導を依頼するが、キャトリンは計画に参加することに二の足を踏み(当たり前だ)、自分の代わりに「信頼できる友人」を紹介する。この友人がモスクワ・ドーピング研究所のグリゴリー・ロドチェンコフだった。ロシアにおけるドーピング検査の責任者である。
 
 ロドチェンコフの顔を見た瞬間、私は「うわっ」と思った。見覚えがあったからだ。
 一連のロシアの組織的ドーピングを明るみに出したのは、2014年に放送されたドイツのドキュメンタリー番組「Top-Secret : Doping How Russia Makes its Winners」だった。日本でもBS1「BS世界のドキュメンタリー」やJSPORTS「THE REAL」の枠内で放送された。ドーピングをして(させられて)いたロシアの陸上選手ユリア・ステパノワと、アンチドーピング機構に勤務していた夫ビタリーの証言や隠し撮り映像をもとに、ディレクターが取材を重ねたものだ。
 その番組の中で、ロドチェンコフはビタリーから名指しで「彼は選手に禁止薬物を売り、使い方をアドバイスする。自分が面倒を見ている選手が検査を受ける時には、陽性反応が出ないよう手をつくす。もちろん金のためです」と批判されている。
 ロドチェンコフ自身のインタビュー映像も出てくる。彼は、疑惑を全面的に否定して、ステパノワ夫妻を詐欺師呼ばわりする。
 
 「イカロス」に登場するグリゴリーは、ドイツの番組で見た不機嫌な男とは別人のような、陽気なおっさんだった。快活で親切で愛犬家、ロシア訛りの英語で冗談を飛ばし、テレビ電話に映る姿はちょいちょい上半身裸。フォーゲルは、グリゴリーのアドバイスに従って薬を自身に注射したり止めたりしながらトレーニングを続けていく。途中、モスクワを訪ねたりもして、2人は親交を深める。
 
 レースでは自転車の故障もあり、好成績は出せなかった。ドーピング検査がどうなったのか、直接には描写されないのだが、成績が悪くて検査の対象にもならなかったのかもしれない。
 フォーゲルはがっかりしたが、グリゴリーの身の上に起きた衝撃はそれ以上だった。2014年12月に、上述のドイツのテレビ番組が放送されて、彼と彼のラボがドーピングに加担していたことが世界中に知れ渡った。
 プーチン大統領やムトコ・スポーツ大臣(ロシアのサッカー連盟会長でもある。グリゴリーによれば元KGBでもある)は政府の関与を全面的に否定した。ラボが勝手にやったことだと切り捨てにかかったわけだ。
 グリゴリーはラボの所長を辞任させられ、ラボ自体も閉鎖される。身の危険を感じたグリゴリーを、フォーゲルはロサンゼルスに招いて匿う。
 そして、ロシアの反ドーピング機関の長だったニキータ・カマエフが謎の死を遂げたことを知ると、グリゴリーは、自分が手を染めていた組織的なドーピングとその隠蔽工作について語り始める。具体的で生々しい証言は興味深い。
 
 
 ネット上などで「イカロス」の感想を見ると、軽妙な前半から一変したシリアスな後半に衝撃を受けた、という人が多いようだ。
 
 私にはむしろ、前半の方が衝撃的だった。専門家の指導によるドーピングの実行を、遊び半分のような軽いタッチで描くやり方は、グロテスクにさえ感じられた。
 
 目的はどうあれ、フォーゲルはドーピングをして大会に出場した。もし彼が優勝でもして、かつドーピング検査に引っかかったら、大会は大きなダメージを受ける。検査をすり抜けた後にそれが映画として公表されれば(当初、この作品はそういうものになるはずだった)、やはり大会はダメージを受ける。
 彼がやったことは、スポーツの世界では犯罪だ(一般社会ではそうではない。だからフォーゲルは自身の行為をつぶさに撮影して公表することができる)。ルーブル美術館から「モナリザ」を盗もうとして捕まった男が「警備の甘さを教えてやろうと思ったんだ」と言っても、誰も相手にしないだろう。それはただの犯罪者だ。検査されて陽性が出れば、彼はそういう存在になっていたはずだ。
 
 「イカロス」の中でフォーゲルに指導したようなことを、グリゴリーはロシアの多くの選手に対して行っていた(ビタリー・ステパノワによれば、金を貰って)。
 「イカロス」の後半、IOCの関係者とフォーゲルのミーティングの席で、かつてグリゴリーの(表の)仕事を手伝ったことのある女性が怒りを露わにグリゴリーを非難する場面がある。フォーゲルが「彼は命がけで告白したんです」と説得し、一同の関心を今後の対応に向かわせたことで糾弾は収まったが、彼女の怒りは全く正当なものだ。
 「イカロス」の中で、ムトコ大臣はグリゴリーを嘘つき呼ばわりするが、「Top-Secret」ではグリゴリーがステパノワ夫妻を詐欺師と呼ぶ。グリゴリーは、もともとはムトコ側の人間なのだ。
 
 そうと知らずに、あるいは選択肢のない状況でドーピングをさせられた選手たち、ロシア選手の不当な能力の向上によって不利益を被った世界中の選手たち、公正さを偽られた試合を見せられた世界中の観客たちにとって、グリゴリーは加害者以外の何物でもないのだが、「イカロス」の犬好きで陽気なグリゴリー、国を追われて怯えるグリゴリーを見ていると、それを忘れそうになる。
 彼が懸念する通りに命まで狙われているとしたら不当だけれども、グリゴリーが職を追われ、スポーツ界から追放されること自体は、彼がやってきたことに対する正当な処分である。彼らを告発したステパノワ夫妻も、祖国を離れざるを得なかった。
 「イカロス」に、グリゴリーの「罪」を観客が意識させられる場面はほぼない。ソチ五輪の後でロシアがウクライナを侵攻したことについて「プーチンを調子付けてしまったかもしれない」とグリゴリーが後悔を口にする場面はあるが、ドーピングそのものに対する反省の弁はない。
 その意味では、「イカロス」だけを見ても、ドーピングの手口に関する知識が増えるだけで、ドーピング問題について認識が深まることは、あまりないかもしれない。
 
 
 この作品は、2人の男の奇妙な友情物語でもある。ひょんなことで知り合い、共同作業をするにつれて友情が深まり、人生の岐路を共に過ごすことになる。作品の最後、2人が別れる場面には胸を打たれる。
 それにしても、グリゴリーはなぜ「ドーピングと検査逃れを指導してほしい」というフォーゲルの依頼を受けたのだろう。警官に窃盗を指導してくれと頼むような話で、まともな感覚を持った専門家であれば、キャトリンのように断るはずだ。金のため? フォーゲルからグリゴリーに報酬が支払われたのかどうかは描写されていない。
 グリゴリーは、あまりに日常的にこの手の作業をやりすぎて、それが「危ない橋」だという認識さえ失っていたのかもしれない。
 
 窮地に追い込まれていくグリゴリーを、フォーゲルが匿おうと思った心情も興味深い。
 どう考えても、関わったらやばい人である。「ホントは悪い人だったのか、じゃあこれまでだ」と手を引くという選択肢もあっただろう。作中のフォーゲルは飄々として、渦中の人物を抱え込んで一山当てよう、などと考えるタイプにも見えない(結果的にはそうなったわけだが)。友人の窮地を見るに見かねて、という感情が作用したのだろうか。
 後半、フォーゲルが「親しい友達が犯罪者になってしまった」みたいなことを口にする場面がある。実際には彼は「自ら求めて犯罪者と親しくなってしまった」のであり、ドーピングの指導を受けている間にそのことに気づかないのはどうかしているのだが、そんな人だから、こんな傑作をものにすることができたのかもしれない。
 
 
 ここまで「イカロス」の欠落について批判めいたことも書いてきたけれど、とにかく「イカロス」はいろんな意味で見る価値がある。何より、面白い。
 「Top-Secret」の中では悪の組織の一員としての硬直的な面しか見せない人物が、実はこんなに気のいいおっさんだという面が見られるのは貴重だ。そして、「悪の組織」に切り捨てられた時、人はどう振る舞うのか、どう振る舞うべきなのか、という点についても、深い示唆を与えてくれる。
 
 だから、「イカロス」が日本の映画館で上映されることがあれば、その時はぜひ「Top-Secret」と2本立てにしてほしい。あるいはNHKはぜひ、この機会に「BS世界のドキュメンタリー」で「Top-Secret」を再放送してほしい。両方を見ることで、ドーピングというものが理解できるようになるはずだ。「イカロス」だけでは、ややバランスが悪いのである。

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