別れを告げに来た男。
「イチローを、見ないのか」
日本テレビの宣伝コピーに煽られたわけでもないが、3/20の夜に東京ドームで行われたMLB開幕戦、シアトル・マリナーズ対オークランド・アスレチックスに足を運んだ。自分にとって、球場で彼の姿を見られる最後の機会になるだろうと思ったからだ。
マリナーズは日本に着いてから読売ジャイアンツと2試合のオープン戦を戦ったが、イチローはジャイアンツの投手陣を打てず、無安打に終わっていた。
相手は菅野ではない。今村、坂本工、戸根、桜井ら、さほど実績のない若手投手たちが一生の記念とばかりに投げ込んでくるボールを、イチローのバットは捉え損ねていた。選球眼、バットコントロール、タイミング、何もかもが本来の彼のバッティングではなかった。米国でのオープン戦からの不振を克服できてはいなかった。
一方で、右翼の守備に立つ姿は、特に衰えを感じさせなかった。3/18の試合で、無死二塁の場面で田中俊太が打ち上げた飛球を、イチローは少し下がって捕り、三塁に投げた。三塁手ヒーリーが胸元に構えたグラブにぴしゃりと収まるストライク送球に場内は湧いた。それがこの試合で唯一の、イチローの見せ場だった。
見事な送球ではあったが、テレビや新聞が皆「レーザービーム」と報じたのには違和感を覚えた。二塁走者は鈍足のゲレーロで、本気で三塁を狙うとは誰も思わない。イチローの送球は、やや山なりで8分程度の力に見えた。「レーザービーム」と呼ばれたかつての送球と比べるようなものではない。
並の右翼手なら拍手喝采されてよいけれど、彼はイチローで、そこはエリア51だ。46歳だろうと50歳だろうと、イチローがユニホームを着てそこにいる以上、全盛期と同じ水準のプレーをするはずであり、その自信がなければ彼はそこに立ってはいない。私はそう信じていた。信じたかった、と言うべきかもしれない。
3/20夜。開幕戦の始球式には、マリナーズOBでもある佐々木主浩と城島健司が登場し、打席にはアスレチックスの伝説的英雄リッキー・ヘンダーソンが立った。試合途中のイニング間には、マリナーズ球団史上の英雄ケン・グリフィーJr.の来場も紹介された(彼は試合中ずっとカメラマン席でカメラを構えていた)。本番の緊張感と、祝祭の高揚。いい雰囲気だった。
イチローは9番・右翼手として先発出場した。ジャイアンツとの2試合でもそうだったように、試合が始まる直前まで、三塁側エキサイトシートに歩み寄り、幸運な観客たちが差し出すボールやユニホームにサインを続けた(後にアキ猪瀬が「アリゾナキャンプでもそうだった。イチローさんはルーティーンを守る人だから、あまり見たことのない光景だった」と話していた)。
3回表、イチローが最初の打席に立つと、満場の客席のあちこちからストロボが光った。スマホが普及してからはあまり見ない光景だったが、この日のためにカメラを持参した観客も多かったのだろうか。私の周囲ではスマホを横に構えて動画を撮影する観客が多かった。せっかく現場にいるのに、彼らが見ているのは打席のイチローではなく、小さなスマホの画面。まあ何を見ようが各々の自由ではある。
イチローは、アスレチックス先発の右腕フィアーズの2球目を打ち上げ、セカンドフライ。相変わらずタイミングが合っていない。</p><p> その後、5番サンタナの満塁本塁打などもあって、次の4回表、イチローに第2打席が回ってきた。投手はヘンドリクスに交代。何球かファウルを打ち続けて四球を選んだ。二塁にまで進んだが、特に見せ場もなく残塁。
4回裏、いったん右翼の守備についたイチローは、サービス監督から呼び戻された。早くも交代。内野手たちはラインを超えて三塁ベンチ前に集まり、戻ってきたイチローを迎えてひとりづつ抱擁を交わした。
これはいかんな、と思った。活躍したわけでもない選手を、わざわざ守備位置につけてからベンチに呼び戻すなんて、去り行く選手にファンに別れを告げる機会を与える、はなむけ以外の何物でもない。
我々はイチローの最後の日々に立ち会っているのだということを、いよいよ認めなくてはいけないようだった。
2017年のオフにマイアミ・マーリンズとの契約が解除され、イチローは所属球団のないまま神戸で練習を続けていた。古巣マリナーズが彼に声をかけ、契約が成立したのが3月。十分なキャンプを過ごせないままシーズンに入った彼の打撃は低調だった。2割そこそこの数字が続き、5月初めに奇妙な発表がなされた。イチローは代表特別補佐に就き、チームに帯同するが、このシーズンは試合に出ることはない。だから引退ではなく、2019年についてはわからない。会見を開いたイチローは、球団に感謝の言葉を述べ、今まで通り練習を続ける、と語った。
そして2019年。イチローはマリナーズとマイナー契約を交わし、招待選手としてキャンプに参加した。打ち上げ間際にメジャー契約が成立し、彼は日本での開幕戦に参加することになった。
これはヤンキースが松井秀喜を遇したワンデー・コントラクトのようなものかも知れない、という予感は誰もが感じていたことだろう。日本での開幕戦のベンチ入り人数は28人だが、帰国後は25人になる。オープン戦の終盤に無安打が続いたイチローの立場が、カットされる3人の中にいるであろうことは想像に難くなかった。そして彼は来日後も、ジャイアンツとの2試合を含む3試合で1本の安打も打てていない。帰国後も現役生活を続けられると信じるに足る材料は、何一つ見当たらなかった。
翌21日の第2戦はテレビで見た。
この日の昼間、NHK-BSプレミアムでは、イチローがMLB通算3000本安打を達成した2016年に制作した、3000本を全部見せる番組を延々と再放送していた。画面の中のイチローは、バットを自在に操作して、右に左に中央にと打球を飛ばしていた。これほど簡単そうに安打を量産していた男が今、たった1本を打てずに苦しんでいる。
試合は18:30に始まった。始球式は藪恵壹と岩村明憲。前夜の2人に比べて在籍時の実績は華々しくはないが、一応アスレチックスOBである。打席にはケン・グリフィーJr.が立った。
イチローは、この日も9番・右翼で先発した。2回の第1打席が三塁へのファウルフライに終わったのと前後する頃、共同通信が<米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(45)が第一線を退く意向を球団に伝えたことが21日、関係者の話で分かった。>と速報した。
黙って見てろよ、そんなことは皆わかっている。頑なにそれを言わずに試合に出ている本人の心情を汲んでやれよ。そんな気分だった。
4回の第2打席は二塁へのゴロ。いい当たりのようにも見えたが一、二塁間を抜けることはなかった。イチローは右翼の守備についた。前日のようにベンチに退くことはなく、そのまま試合は続行された。
テレビ各局が「イチローが第一線を退く意向」との速報テロップを流す中、試合中継をしている日本テレビだけがそれをしない、というシュールな状況がしばらく続いたが、中継アナウンサーがとうとう、「試合後にイチローが会見を行う、とMLB広報から発表がありました。内容はイチローだけが知る、とのことです」と告げた。アップになったベンチのイチローの目が赤いように見えた。東京ドームの観客たちにも、スマホを通して、その事実が知れ渡っていったようだった。
そうやって回ってきた7回の打席、無死二塁のチャンスだったが、見逃し三振。悲しいような、しょんぼりしたような、なんとも言えない表情だった。
彼が三振の後にそんな顔をするのを見たことがない。「これでお前の球筋は読めた」と言わんばかりの傲岸不遜な表情で悠然とベンチに歩いていくのが常だった。何もかもが、最後の時が近づいていることを示していた。
その後もイチローは退かず、8回の第4打席を迎える。変化球に詰まった打球が遊撃手の前に転がる。
平凡なゴロを、内野手が何のミスもなく捕球して一塁に投げても、内野安打になってしまう。イチローは、内野手にとって悪夢のような打者走者だった。この日の昼間も何度も、そんな映像を見てきた。
ある意味でもっとも彼らしい打球が転がったけれども、一塁では間一髪アウト。
これは打撃不振ではなく衰えなのだと、ひとつひとつの打席が物語っていた。
8回裏。選手たちが守備位置につくと、サービス監督がベンチを出てゆっくりと主審に歩み寄る。
その時がきた。
今度は外野も含めたマリナーズの選手全員が、三塁側のラインを超えてベンチ前に集まった。誰もいないグラウンドをイチローが、スタンドに手を上げながら、ゆっくりと走っていく。ファウルラインを超え、一人一人と抱擁を交わす。完全に試合は止まっている。イチローのためだけの時間。ベンチの選手やスタッフとも抱き合う。この日メジャー初先発し、5回2死まで好投しながら、勝利投手の権利を得ることなく降板した菊池雄星が、顔を覆って泣いている。
全員との抱擁を終えたイチローは、再びスタンドに両手をあげ、グラウンドを去った。もう選手としてそこに戻ることはない。
イチローが去った後も試合は続く。この時点で4-4の同点。前夜敗れたアスレチックスは剛球クローザーのトレイネンを繰り出しマリナーズ打線を抑え込む。延長に入っても得点の気配がない。中継アナと解説陣は終電の心配を始めていた。12回表、マリナーズが勝ち越して、ストリックランドがその裏を締め、5-4でマリナーズが連勝した。イチローはグラウンドに飛び出して選手たちを出迎えた。
イチローが去った後も東京ドームの観客の多くは帰らない。再び彼が姿を現すことを待ち続け、イチローを呼び続けた。私はBS日テレのサブチャンネル142で中継されていたその光景を、テレビで見続けていた。
おそらく予定にはなかったはずだが、観客の熱意に本人も周囲も動かされたのだろう。イチローが再び姿を現し、グラウンドを一周して観衆に挨拶した。1974年の秋に長嶋茂雄が最後の公式戦で、同じ敷地内にあった後楽園球場で行ったグラウンド一周を彷彿とさせる光景だった。
彼がMLBで最も輝いた時代を過ごした、愛するシアトルのユニホームを着て、チームとともに公式戦で日本に戻り、日本のファンに見守られてグラウンドを去る。こんなにも幸福な形で現役生活を終えることのできる野球選手が何人いるだろうか。偉大な業績にふさわしい、特別な別れだった。
記者会見が始まったのは24時近く。冒頭に「今日のゲームを最後に日本で9年、米国で19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」と明言したイチローは、ひとつひとつの質問に本当に丁寧に、おそらく質問者の予想をはるかに上回る深さで、自らの野球人生を振り返って語り続けた。
引退を決めたのは「キャンプの終盤」だったとイチローは語った。
「もともと日本でプレーするところまでが契約上の予定でもあってということもあったんですが。キャンプ終盤でも結果が出せずに、それを覆すことができなかったということですね」
事実上、2日間の「ワンデー・コントラクト」ではあっても、それを引き延ばそうと試みたけれども、かなわなかった。日本に着いた時には、既にそれを受け入れて、ただ日本のファンに別れを告げるためにやってきた。そういうことだったのだと思う。
午前1時20分ごろ、「お腹すいたよ」と笑うイチローの言葉を契機に会見は終了した。記者会見自体が素晴らしいショーだった。結局私は18時半から7時間近く、ずっとテレビを見続けていた。
会見があまりに面白くて、試合を見ていた時の感傷的な気分は消し飛んでいた。イチロー自身も、会見場がしんみりとした空気になるのを嫌って、ちょいちょい笑いをとりにいっていたのかもしれない。ついに最後までカメラの前で涙を見せることはなかった。
会見の全文は、これらのサイトで読むことができる。中継を見られなかった方はぜひお読みになることをお勧めする。もはやイチローの作品と呼んでも過言ではない。
https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/ichiro
https://full-count.jp/2019/03/22/post325131/
テレビ中継についても触れておきたい。
この試合、日本では日本テレビが生中継した。18時から19時まではBS日テレ(試合開始は18時30分)、19時から約2時間は日本テレビが地上波で中継し、その後は再びBS日テレがサブチャンネルで中継を続けた。
地上波で見ることができたのはイチローの第3打席までだった。21時からは単発のバラエティ番組が予定されており、日本テレビは予定を変更することなく試合中継を打ち切った。地上波しか見られないという人たちの怨嗟の声がツイッターに流れ、さっそく<#イチローを、見せないのか>というハッシュタグが作られた。
私自身は21時以降もBS日テレで中継を見続けていた。
結局、BS日テレは記者会見の最後まで完全中継したので、個人的に感謝している。ほとんどCMが入ることもなかったので、スポンサーもないままでの自主制作だったのではないか。王貞治が756本を打った昭和52年とは異なり、民放も複数のチャンネルを持っているので、こういう方法でファンに応えることはできる(サブチャンネルになると画質はだいぶ落ちるけれども)。
ただし、地上波の日本テレビとしては、さんざんな結果だっただろうと思う。試合途中で会見開催がリリースされたけれども、中継は予定通り打ち切られ、21時からは単発のバラエティ番組が放送された。イチローの最後の打席も、守備位置から退くセレモニーも、地上波での中継が終わった後のことだった(視聴者にとってはどうでもよいことだけれども、中継を続けていれば結構な視聴率が記録されたことだろう)。
さらに、試合自体が長引き、その後で予定外の場内一周があったため、「NEWS ZERO」は会見冒頭の第一声しか中継できなかった(「引退します」の一言がかろうじて入ったのは、不幸中の幸いだったか)。
日本テレビだけではない。引退会見を生中継した地上波の局はほとんどなかった。フジテレビとテレビ東京がスポーツニュースやニュース番組の枠内で一部を中継できただけだ。完全中継したのはBS日テレと、いくつかのインターネット番組だけだった。
弾力的な衛星放送と、硬直的な地上波。テレビの強みと弱みを同時に見た気がした。
インターネットの時代になって、テレビの価値や役割が改めて問われている。
「多くの人が関心を持つ『いま起きていること』を、多くの人にリアルタイムで見せる」というのは、今なおテレビが持っている大きな強みであり、役割でもある(近年とみに多い災害時に、それを実感している人も多いことだろう)。
イチローの引退会見は、まさに「多くの人が関心を持つ『いま起きていること』」であろうと私は思うのだが、テレビ局は編成を動かしてそれを見せることをしなかった。
テレビが人々から支持されなくなってきた要因のひとつは、こういうことにあるのではないかと思う。
試合が終わった後、しばらくの間、BS日テレは、再びグラウンドに姿を現わすかどうかもわからないイチローを待ち続ける東京ドームの観客を映し続けていた。そして、私は自宅のテレビでただそれを見続けていた。
起こるかもしれない何かを待って、まだ何も起きていない光景を映し続ける。
それはある意味で、もっともテレビ的な営みである。
かの、あさま山荘事件の際にも、人々はそのようにして、何事も起こらない雪山の建物を、固唾を飲んで見守り続けたはずだ(私はまだ幼かったので、あの鉄球以外は、よく覚えてはいないけれど)。
前夜には自分もそこにいた場所をテレビで見ながら、私はそんなことを考えていた。
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