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2019年11月

宿沢広朗「TEST MATCH」講談社 1991<旧刊再訪>

「日本ラグビーは、宿澤のパスを継承する」
 
 奥田瑛二の渋いナレーションとともに始まるSMBC三井住友銀行のCMを、ラグビーW杯の試合会場の掲示板ビジョンで見た。
 宿沢、森、松尾、平尾、そして大畑、福岡。歴代の名選手たちがパスを出しては受け取り、ひたむきに前進を続ける。格別ラグビーファンというわけではなかった私でさえ、折々の時代に活躍を目にしてきたほどの名選手たちである。モノクロの映像に涙がこみあげてきた。
 もちろん、日本のラグビーの歴史が宿沢広朗から始まるわけではない。そこは、SMBC三井住友銀行が自社の行員であった宿沢を誇りたいという理由もあるのだろう。
 そして、ラグビーの側から見ても、宿沢は誇るに値する人物である。
 
 私は彼らの中で、宿沢だけは現役時代のプレーを見たことがない。実業団で長く活躍した他の選手たちと異なり、宿沢が第一線の選手だった時期は短い。
 宿沢は早大のSHとして活躍、1971,72年と連続して日本選手権で社会人チームを破って日本一になった。社会人の1位と学生の1位が1試合で雌雄を決するという、1960年度から96年度まで続いた日本選手権のシステムの中で、大学が連覇したのはこの時だけ。日本ラグビー史上に輝く黄金時代を築いた一員である。日本代表としてキャップ3。
 1973年に早大を卒業して住友銀行に入社。ラグビーは2年ほどで引退し、以後は銀行業務に専念していた。7年半のロンドン支店勤務から帰国した後、1989年春から2年8か月にわたって日本代表監督を務めた。
 監督としての初戦でスコットランドに勝利し、翌90年には第2回ワールドカップ のアジア予選を突破。91年に開かれた本大会ではジンバブエを52-8で破り、日本にワールドカップ初勝利をもたらした(そして、日本代表が次の勝利を挙げるまでには、24年の歳月を要することになる)。
 後には日本ラグビー協会の理事、強化委員長などを務め、銀行では取締役専務執行役員の要職にまで上ったが、2006年に55歳の若さで急逝した。
 
 前置きが長くなった。
 このCMを見て、そして、自国開催のワールドカップでの日本代表の活躍を見て、久しぶりに本書を読み返したくなった。
 「TEST MATCH」は、宿沢が自らの代表監督としての仕事を振り返って記録した本だ。ワールドカップでの3試合を終えたのが1991年10月。本書は早くもその年の12月20日に発行されている。
 内容は主に4部に分かれる。就任から初戦のスコットランド戦に向けた準備。ワールドカップ予選に向けた準備と予選の経過。英国時代に見た英国のラグビーや日本ラグビーへの提言などのエッセイ。そして、ワールドカップ本大会の日記。
 文章には無駄がなく、歯切れがよい。書くべきことを明確に書く。頭が良く、自分自身もそう自負している人の文章だなと感じる。
 
 日本が勝ったことのなかったIRB加盟国、今でいうティア1の一員であるスコットランドを倒すために、宿沢は戦略を練る。対戦相手の情報をどう集め、どう分析するのか。その結果を選手にどう伝えるのか。国際試合で勝つために、どういう選手を集め、どう指導するのか。 明確な基準を持って選手を集め、目的を明らかにしながら練習を積む。スコットランドの戦力を分析し、弱点を探し、そこを突くためにまた練習を積む。相手国を知るために、西サモアやトンガに遠征を行い、自らジンバブエに乗り込んでいく。
 刊行直後に本書を読み、ひとつの試合、ひとつの大会のために、これほど周到に準備をするのかと、いたく感動したのを覚えている。
 
 久しぶりに読んでみると、その点に強く感動することは、今はない。現代の、世界のトップレベルに近い水準の競技のどれかに通じている人が今はじめて本書を読んだとしても、「そりゃ、このくらいの準備はするでしょ」と、宿沢の準備そのものに驚くことはないだろう。
 2019年のスポーツ界では、情報収集とその分析手法も、戦略も、コーチングもそれぞれに発達を遂げ、競技の現場にいないファンにまでよく知られるようになっている。それがこの28年間の変化だ。
 
 逆に言えば、30年前、ラグビーではまだワールドカップが1度しか開かれておらず、日本代表がティア1と試合することなどほとんどなく、インターネットも海外スポーツ専門チャンネルもなく、海外の情報を入手するには人脈を頼るほかはなかった時代に、自らの考えで現代に近い水準の準備を行ない、それまでにない結果を導いた宿沢は、やはり偉大というほかはない。
 本書に記された具体的な戦術が現代のラグビーにおいてどういう位置になるかは私には判らないけれども、代表選手の選考や指導に関する考え方の多くは、今でも有効なのではないかと思う。
 
 宿沢はエピローグにこう書いている。
<念頭に置いたのは、次代のジャパンを目指す若いプレーヤー達に私達はこう考え、こう戦ったということを知ってほしいということだった。そして彼らが将来ジャパンの伝統の幹を少しでも太くしてくれることを期待しながら書きしるした。>
<この本はサクセスストーリーではなく、ラグビーのテストマッチを戦う人間達の記録であり、それは書き残すに値するものだと思っている。>
 
 その通り、今も読むに値する本である。
 ひとつだけ瑕疵を挙げるなら、勝利したスコットランド戦の、試合そのものに関する記録や分析がないのが残念。

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