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2020年5月

私的プロ野球ベストナイン(昭和篇)

 5月3日のNHK「サンデースポーツ」で、「あなたが選ぶ昭和&平成プロ野球ベストナイン」という企画をやっていた。COVID-19の影響でプロ野球が開幕できず、残念な思いをしているファンのための企画ということだろう(と同時に、競馬以外は試合がないので、伝える中身がなくて困っている番組自身のための企画でもある)。

 ネットで公募していたので参加した。この日の番組で発表された結果は次の通りだった。

 

 【昭和】

先発:金田正一

中継ぎ:鹿取義隆

抑え:江夏豊

捕手:野村克也

一塁:王貞治

二塁:高木守道

三塁:長嶋茂雄

遊撃:吉田義男

外野:福本豊

外野:山本浩二

外野:張本勲

DH:門田博光

 

 順当である。順当すぎて退屈でもある。

 もう昭和の野球を見て記憶しているのは50歳くらいから上に限られるだろうから、投票者の中には、記録や今の知名度を頼りに選んだ人も多いのではないか。そんな印象を受ける結果となった。

 数字で決めるなら人間が選ぶ必要もない。せっかくなので、自分なりにベストナインを選んでTwitterに書き散らしたものを、多少加筆して再録する。そんなわけで、リアルタイムに自分の目で見た印象で決めている(私が明瞭に記憶しているのは昭和51年=1976年ごろ以降)。何人かについては、通算記録よりも、全盛期の瞬間風速的なインパクトを優先した。

 

●先発投手:山田久志(阪急)

 昭和50年代前半、阪急の黄金時代に君臨したエース。なにしろアンダースローのフォームの美しさが卓越していた。昭和51、52年の日本シリーズでジャイアンツは連敗、特に52年は打てる気がしなかった。格のある投手でした。

●中継ぎ投手:永射保(クラウン・西武ほか)

 左のサイドスローで、クラウンから西武に生き残り、ワンポイントリリーフでレロン・リーらパの左の強打者たちを苦しめた。YouTubeで動画も見られるけど、最初はオーバースローっぽい動きが途中から切り替わる変則フォームで、タイミングが取りづらそう。

抑え投手:鈴木孝政(中日)

 江夏豊でもいいんだけど、江夏の全盛期は先発の頃だろう。昔のエースは先発の合間にリリーフもやっていた。江夏の場合は抑え専門になってからも、最後まで「先発投手が抑えをやってる」ような印象があった。鈴木孝政は高卒からリリーフエースとして売り出した純正の抑え投手なので彼を推したい(後に先発もやったけど)。とにかく球が早くて手がつけられなかった。

●捕手:中尾孝義(中日ほか)

 本当に良かったのは入団2年目、中日が優勝してMVPになった昭和57年だけだが、その瞬間風速的な印象が強烈。捕手といえば野村や森(や山田太郎)のようなずんぐり型だった時代に、細身の体格で機敏な動きが新鮮だった。肩も強かった。ツバのない捕手用のヘルメットを守備時に使い始めたのは彼だったと記憶している。後にジャイアンツに移籍して、89年の優勝時には主力捕手となった。

一塁手:王貞治(読売)

 なにしろ俺が生まれてから10歳まで、王が本塁打王でなかったことがない(1年おいて、また2年連続)。3割40本100打点が当たり前というのがどれほど異常なことか、気づいたのは王選手の引退後だった。

 若い頃は知らないが、晩年は無茶苦茶に打球が速かったわけでもなく、さほどのパワーは感じさせなかった。けれど、打球はフェンスを越えていったし、極端なシフトを敷かれても引っ張り続け、それでも3割を打ち続けたのだから、何がどうなっていたのか不思議。77年ごろのバッティングを何試合かじっくり見直してみたいところ。

二塁手:篠塚利夫(読売)

 イチローの登場以前は、バットコントロールの巧みな打者といえば彼だった。特に流し打ちは芸術的。守備のグラブ捌きも見事。小柄で華奢、身体能力より技術で活躍した華のある選手。たまに見せた、狙いすまして引っ張った本塁打も爽快だった。

●三塁手:落合博満(ロッテ、中日、読売、日本ハム)

 この手の企画では落合をどこに置くかが難題。サンデースポーツでも、あちこちに名前はあるがベストナインには入っていない。二塁、三塁、一塁でベストナインを獲得しているが、連続三冠王をとった昭和60-61年が三塁だったので、ここがキャリアハイでもある。守備範囲は広くなさそうだが、グラブさばきは上手だったと思う。ともかく打撃技術ではプロ野球史でも片手に入るだろう。右中間に棒のように伸びる打球が強烈。中日時代、パーフェクトを逃した直後の斎藤雅樹からサヨナラ本塁打を打って地獄に叩き落とした苛烈さが印象に残る(笑)。

●遊撃手:石毛宏典(西武ほか)

 昭和の遊撃手は守備の人のイメージが強く、打てる選手も小柄だった。1メートル80以上で守備が上手くて、よく打ち続けた遊撃手は、たぶん石毛が初めて。続いて池山や田中幸雄が現れて、遊撃手のイメージが変わった。常勝西武のリーダーでもある。

左翼手:蓑田浩二(阪急ほか)

 全てにバランスの取れた好選手。売り出し当初は福本の後を打つ二番打者だったが、後にはトリプルスリーを達成する強打者に。守備も巧く、送球が巧みで左翼、右翼ともにこなした。渋い男前でもあった。

中堅手:福本豊(阪急)

 鉄板。この手の企画で最初に満票で埋まる守備位置のはず(笑)。足だけでなく全てに優れ、小さい体で結構本塁打も打った。センターの守備位置は、びっくりするくらい浅かった。後ろの打球に追いつく脚力に自信があったのだろう(昭和の球場は狭かったし)。

●右翼手:秋山幸二(西武、ダイエー)

 西武時代はセンターだけど、ダイエーではライトも守ってたということで。身体能力に優れたアスリートタイプの野球選手は、秋山以前にはほとんどいなかったのでは。今でいう5ツールプレーヤー。ダイエーを初優勝に導いた静かなリーダーシップも見事だった。

●指名打者:門田博光(南海、オリックス、ダイエー)

 若い頃は強肩の右翼手だったらしいが、アキレス腱を切った後の指名打者の印象が強い。小さな体をムキムキに鍛えて30代になってから長打力を伸ばした。漏れ伝わる気難しそうなエピソードが、いかにも当時のパリーグっぽかった(笑)。

 以上。

 打順を組むとしたら、こんな感じか。

(中)福本

(左)蓑田

(一)王

(三)落合

(指)門田

(右)秋山

(二)篠塚

(捕)中尾

(遊)石毛

  3-5番で100本塁打、チーム全体で200本は楽勝。盗塁も福本、蓑田、秋山、石毛で150くらいになりそう。

 

追記

 抑え投手については、実は成績でいえば、佐藤道郎も相応しい。日大からドラフト1位で、野村克也が兼任監督になった南海に入団し、昭和45年に55試合に登板して18勝6敗で新人王と防御率1位。以後、76年までほぼリリーフ専門で382試合も投げている。1年あたり54.6試合だ。しかもほとんどの年で既定投球回数を超えている。セーブが正式記録に採用された74年には13セーブを挙げて初代セーブ王(76年にも)。

 野村とリリーフエースといえば、江夏豊を「野球界に革命を起こそう」と口説いて転向させた話が名高いけれど、「リリーフエース」という存在は既に当時の南海にいたわけだ(佐藤は江夏の加入により先発に転向)。私自身は残念ながら、昭和54年に横浜に移籍した後、力の落ちた晩年しか見ていないので、ここでは選ばないけれど、これほどの投手がほぼ忘れられているのも残念なので、あえて記しておく。

 

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