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2020年10月

私的プロ野球ベストナイン(平成篇)

 だいぶ遅れたが、昭和篇の続き。

 サンデースポーツの視聴者が選んだ平成のベストナインは以下の通りだった。

 

先発:田中将大

中継ぎ:浅尾拓也

抑え:佐々木主浩

捕手:古田敦也

一塁:清原和博

二塁:山田哲人

三塁:中村剛也

遊撃:松井稼頭央

外野:イチロー

外野:松井秀喜

外野:柳田悠岐

DH:大谷翔平

 

 まあ順当だが、大谷を選ぶならDHではなく、「2WAY」のポジションを用意すべきだろう。

 

 順当と言いながら、私のセレクトはだいぶ違う。

 

●先発投手:野茂英雄(近鉄、ドジャースほか)

 サンデースポーツの投票で、田中が選ばれたのはよいとしても、上位3人(田中、松坂、ダルビッシュ)の中に野茂の名がなかったのは承服しがたい。

 私が思うに、野茂は日本のプロ野球で最も重要な3選手のうちの1人だ(他の2人は三原脩と長嶋茂雄。大谷翔平が二刀流で大成すれば4人目になる)。

 プロ1年目の平成2年=1990年に先発投手のタイトルを独占し、MVPと新人王と沢村賞を受賞。そのまま4年連続最多勝&奪三振王をとり、1年おいて平成7年=1995年に近鉄を任意引退となってロサンゼルス・ドジャースと契約。13勝6敗の堂々たる成績で奪三新王と新人王のタイトルも獲得した。渡米当時は、ルール破りだの通用するわけないだのと非難を受けたが、その成績ですべてを黙らせた。日本のプロ野球選手がMLBに移籍する道を切り拓いたのは彼だ。野茂が日本のプロ野球界すべてを敵に回す覚悟で渡米しなければ、田中も松坂もダルビッシュもメジャーで投げられたかどうか分からない。その意味で、他の選手とは違う偉さがある。

 野茂は延べ8球団(ドジャースには2度在籍)を渡り歩き、2008年まで投げ続けて123勝を挙げた。いずれ田中が追いつくだろうけれど、まだ先のことになる。

 野茂が渡米した1995年、メジャーリーグは選手会ストライキの最中だった。前年夏から始まったストは労使交渉がまとまらず、渡米はしたものの開幕の目処は立っていなかった。結局、開幕したのは4月24日。大金持ちのメジャーリーガーがさらなる富を求めた身勝手な闘争とみなされ、ファンの目は冷たかった。そんな状況の中で、日本から来た見知らぬ投手が、奇妙なフォームからの快速球と魔球フォークで三振を奪いまくる姿はロスのファンを熱狂させ、「ノモマニア」という新語まで生まれた。

 一方の日本では1995年は1月の阪神大震災、3月の地下鉄サリン事件と、大いに世の中が震撼する中で、海の向こうで大リーガー相手に快投を続ける野茂の姿は、ある種の救いにもなっていた。だからこの年の野茂は、日米両国にとって、単なる一投手にとどまらない存在だったのである。

 コロナ禍に世界中が苦しむ今年だからこそ、あの25年前を思い出す。

 

●中継ぎ投手:山口鉄也(読売)

 山口は面白い投手だった。今どき珍しいほど善良でおとなしい人柄ながら、マウンドに立つと剛腕で打者をねじ伏せる。先発への転向は失敗し、クローザーにも向かず、しかしセットアッパーとしては無類の安定感を誇った。自らの栄光よりも、チームの中で役割を果たすことに喜びを見出しているように見えた。9年連続60試合以上登板(うち3年は70試合以上)と耐久性も抜群。中継ぎをやるために生まれてきたような投手だった。WBCにも二度出場、原監督の世界一メンバーでもある。

 

●抑え投手:岩瀬仁紀(中日)

 「こいつが出てきたらもうダメだ」と相手に思わせることができればクローザーも一流だ。その威圧感においては(そのルックスともあいまって)佐々木主浩の印象は強い。だが、佐々木が日本で本当に君臨したのは4年間(MLBの分を足しても計7、8年)で、優勝は1回だけ。

 岩瀬は本格的にクローザーになったのは2004年。翌2005年から9年続けて「50試合以上登板・30セーブ以上(うち5年は40セーブ以上)」し、その間に中日はリーグ優勝3回、日本シリーズ出場4回、日本一1回だ。クローザーは、どれだけチームを勝たせたかという結果で評価されるべきだろう。

 クローザーになる前は、ルーキーイヤーから5年間、一流のセットアッパーを務めた。ジャイアンツファンとしては、本当に嫌な投手だった。

 

●捕手:城島健司(ダイエー、マリナーズ、阪神)

 本人のキャラは昭和っぽいけれど、昭和の捕手のイメージとは違う。スケールの大きさでは類を見ない。低めのボール球をスタンドに放り込むパワー、座ったまま一塁走者を刺す強肩。華やかな選手だった。平成は名捕手の多い時代だったが「四番・捕手」として君臨したのは城島と阿部慎之助の2人だけだろう。そして城島は、まがりなりにもMLBでレギュラーを務めた唯一の日本人捕手であり、第2回WBCの世界一捕手でもある。

 

●一塁手:松中信彦(ダイエー)

 最後の三冠王だが、白状すると、私はホークスでの活躍はさほど見てはいない。それでも彼を選ぶのは、第1回WBCの印象が強いから。4番打者として全試合に出場、13安打はチーム最多だが本塁打はゼロ、打点は2。とはいえ空砲だったわけではない。11得点はイチローより多いチーム最多。松中は世界の大舞台で一発を求めて振り回すことなく、つなぎの四番として着実に出塁し、懸命に走ってホームベースを踏み続けた。

 第1回WBCは、実際に始まるまでは日本の球界での大会そのもののプレゼンスは高いとは言えず、王監督から代表入りを打診されても断る選手が続出した。そんな状況に異を唱えた松中は、大会が始まってからもチームを背負って戦い、王監督の胴上げを実現した。あの優勝の最大の功労者はイチローでも松坂でもなく、松中だと思っている。

 

●二塁手:菊池涼介(広島)

 長いこと野球を見てきたが、「こんなの見たことないよ」というプレーを次々に見せてくれる。彼が引退して10年くらい経った頃に、菊池を見たことがない人に彼の守備を言葉で説明してようとしても、あまりに現実離れしていて、喋ってる自分に自信がなくなってきそうな気がする。つまらない打球を取り損なうこともあるし、打撃にはムラがありすぎるし、トータルとしては彼を超える選手は何人もいると思うが、それでもあの守備は捨てがたい。

 

●三塁手:小笠原道大(日本ハム、読売、中日)

 最近のプロ野球選手は「マン振り」という言い方をするらしいが、常にフルスイング。あれほどの強さで振り続けて、かつあれほどの打率を残した打者を知らない。さほど大きな体ではなく、アマチュア時代の実績も平凡。それでもプロ入り後の鍛錬であれほどの打者になれることに感嘆する。試合中も手を抜くことを知らないメンタリティ。北海道移転の前年、日本ハムの東京ドームで最後の試合で打ったフェンス直撃の二塁打は忘れられない。

 

●遊撃手:坂本勇人(読売)

 坂本は高卒2年目の開幕戦で二塁のスタメンに起用され、二岡の故障により本来の遊撃に移って、そのままレギュラーになった。確かその開幕戦だったと思うのだが、エラーをした時に全く悪びれない表情をしていたのを見て、なんて神経の太い10代だろうかと驚いたのを覚えている。ジャイアンツで高卒の選手が若くして中心選手になるには、この種の鈍感力が欠かせない(松井秀喜然り、岡本和真然り)。

 早熟の天才肌は20代半ばから伸び悩んだものの、30歳前後からさらに成長を見せている。名遊撃手の多い平成年代にあっても、総合力ではトップグループの一員といってよいだろう。

 

●左翼手:松井秀喜(読売、ヤンキース ほか)

 古今東西好きな野球選手を1人挙げろと言われたら迷わず松井を選ぶ。彼のデビューから引退までを見届けられたのは、見物人としての幸福だった。長嶋監督の育成計画よりは少し時間がかかったけれど、四番打者に定着してからの彼は、揺るぎない確かなものがそこにある、という安心感を見る者に与えてくれた。

 MLBでの打者としての成績はイチローには及ばないし、今後、彼を超える打者も出てくるだろう。ただ、彼はどんな状況でも、どんな立場でも、チームの勝利のために全力を尽くし、相応の結果をもって応え続けた。あれほど次から次へとスター選手を買いあさっては使い捨てるニューヨーク・ヤンキースで7年間も主力選手として活躍するのは並大抵のことではない。放出の3年後に1day契約の引退セレモニーを行い、その後も球団内にポストを用意し続けていることが、ヤンキースの松井への評価を物語っている。

 

●中堅手:柳田悠岐(ソフトバンク)

 フルスイングから飛び出していく打球の凄まじさもさることながら、あの大きな体をあれだけのスピードで動かせること自体が凄い。単純に、何も考えずにただ見ているだけで楽しい選手で、プロ野球という興行で最も大事なのはそういうことではないかと思う。アマチュア時代に無名だった柳田が売り出した頃、新しい時代が来たと感じた。WBCは開かれるたびに「●●がいれば…」と思う大会だが、第4回に彼がいないのも残念だった。

 

●右翼手:イチロー(オリックス、マリナーズ、ヤンキース ほか)

 毎朝、東から太陽が空に上るように、試合に出ればヒットを打った。グラウンドのどこにでも自在に打球を運ぶバットコントロール、単なる内野ゴロを安打にする俊足、幾多の足自慢たちを本塁で茫然とさせた肩、不利な本塁突入でも捕手を混乱させる身のこなし。誰にも真似のできない技を、ひとつならずいくつも持っていた。バッターボックスでも塁上でも外野の守備位置=エリア51でも、ユニホームを着てグラウンドに立っていれば何かを起こす、一瞬も目が離せない、そんな選手だった。オリックス時代は東京ドームの日本ハム戦を何度か見に行った。彼が一塁走者で右方向にヒットが出た時、二塁を蹴って三塁に向かう加速感が好きだった。

 

●DH:ラルフ・ブライアント(近鉄)

 野球とはなんと恐ろしいゲームか、と呆然とした試合がある。1989年10月12日の近鉄ー西武戦だ。激しく優勝を争っていた両チームの、シーズン最後の対戦となるダブルヘッダー。第1試合、大きくリードされていた近鉄は、ブライアントが郭泰源からソロ、そして満塁本塁打を放って同点に追いつき、さらに渡辺久信から勝ち越し本塁打を放って、6-5で勝利した。近鉄の6点はすべてブライアントの本塁打によるものだ。2試合目も敬遠の後、2-2の同点から4打数連続となる勝ち越し本塁打を放ち、近鉄は圧勝して優勝をほぼ手中に収めた。全盛期の西武ライオンズを、ブライアントが1人で粉砕したのだった。長いこと野球を見ているが、あんなのは他に記憶にない。

 それまでブライアントに本塁打を打たれたことがなかった渡辺久信が投じたのは、ブライアントが苦手なはずの高めストレート。失投ではなかった。BS1「古田敦也のプロ野球ベストゲーム」でこの打席を論じた際、当事者の捕手・伊東勤は「なんで打たれたかわからない」と言い、古田も「神がかってた」と言う。当代の名捕手2人にも分析不能、まさに奇跡のバッティングだった。

 

●2WAY:大谷翔平(日本ハム、エンゼルス)

 2018年にMLB入りした大谷が投打で実績を残したことで、MLBには「TWO-WAY」という登録枠が作られた。野球の長い歴史の中で、「初めて●●をした男」は何人もいるだろうけれど、「ポジションを増やした男」が他にいるだろうか(高井保弘を「パ・リーグにDHを作らせた男」と呼んでもいいかもしれないが)。

 ただ、私個人の願望としては、MLBで打者に専念したらどこまでやれるかを見てみたい。160キロの速球を投げる日本人投手は今後も出てくるだろうけれど(というか実際にいるけれど)、メジャーリーガーの球を左中間スタンドにぼんぼん放り込む左打者は、まず出てこないだろう。あのサイズであれだけ巧みにバットを操り、力みのないスイングで本塁打を量産する。MLBにもめったにいない才能だと思う。

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