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2022年2月

北京冬季五輪に関する備忘録。

 ロシアがウクライナに攻め込んだ今となっては北京五輪のことなど遠い過去のようだが、忘れないうちに関連ツイートをまとめておく。

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考えてみれば、コロナでなければ今ごろは、北京五輪前の調整のため、日本で事前キャンプを行う国も結構あったかもしれないな。

 

 2018年の平昌五輪では、日本で事前合宿を行う国が結構あった。当時の日経に記事がある。OAR、すなわち「ロシアからの五輪選手」のフィギュアスケートチームが新潟市で練習したり地元住民と交流する様子を伝えた上で、こう書いている。

韓国までは飛行機で数時間で、時差もない。充実した練習環境を売りに、自治体は事前合宿を積極的に誘致した。新潟市のほか、北海道の札幌市(カーリング、スキー・ジャンプ)や伊達市(スキー・クロスカントリー)、長野県軽井沢町(カーリング)などに各国の選手団が滞在している

 

 日本から北京への移動時間は少々長くなるが、時差が1時間、冬季競技の練習環境も整っている。今回、日本で事前合宿を行った海外チームがあったのか否か確認しきれてはいないが、報道は見当たらなかった。

 

2/1
そういえばアメリカでは選手に自分のスマホ持ち込みを避けるよう勧告してたはずだけど、この人たちは何からSNSに投稿してるのか気になるところ。

東京五輪と北京五輪の“ベッド比較”が話題に。米メディアも指摘「東京大会のアスリートを間違いなく嫉妬させる」

https://news.yahoo.co.jp/articles/28c6c1cf61df1515eacc881de9737dfc40c85b98

 

リンク先はというTHE DIGESTの記事。米国のリュージュ女子代表選手が動画つきで選手村のベッドを絶賛し、米NBCも東京五輪のベッドと比較してこれを紹介したという。東京五輪のベッドが段ボール製だったのは、リサイクル可能な素材で環境に配慮したという名目だったはずだが、そこはあまり気にならない人が結構いるらしい。

 

スマホ持ち込みを避ける勧告というのは、この話。

北京五輪には自前のスマホを持ち込むな、米加が選手に警告

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/01/post-97886.php

 

日本は開会式直前にようやく言い出したようで、出遅れた感があった。

https://www.zakzak.co.jp/article/20220204-RIMSL3YIBNJR5L5NWI7OERMTCU/

 

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「またオリンピックか、早いな」と言う人は多いし自分でもそう感じるのだが、考えてみれば92年までは冬夏とも同年開催だった。

まあ、当時は夏冬とも五輪で日本人が活躍する競技は少なかったし、テレビなども今ほど五輪一色で煩くはなかったかも。

 

 1992年まで、冬季五輪と夏季五輪は同じ年に開催されていた。中間年になったのは94年のリレハンメルから。正確な理由は知らないが、マーケティング上の事情は大きいのではないかと思う。

 日本が冬季五輪でメダルを獲得したのは1956年コルチナダンペッツォ(次回の開催地だ)男子回転の猪谷千春の銀メダルが最初で、次が72年札幌での「日の丸飛行隊」表彰台独占。ただし札幌ではこれが全てだった。76年インスブルックが0、以後3大会は1個づつで、再び複数メダルを獲得したのは92年アルベールビル。つまり夏冬の開催年が分かれる頃からである(以来、2006トリノ以外は複数メダルを獲得)。

 その頃までのテレビ中継では、各競技をまんべんなく中継し、世界の有力選手もきちんと紹介していた印象があるのだが、それはメダルが期待できる日本選手が少なかったことと表裏一体だったのだろう(今のテレビは日本のメダリストを追うのに手一杯で、各競技の優勝者すらまともに紹介しなくなっている)。

 

東京五輪では選手の陽性は全部で41人との報道があったから、北京五輪は開会前に既に超えてしまったことになる。東京2020以上に、コロナが成績に影響する事例が出てくるかも。

北京五輪 出場予定の約50人が新型コロナ陽性に

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220203/k10013464101000.html

 

日本の41人は日本で検査したケース(オリパラ合計)だから、その条件で比べるなら、今の北京では「約20人」か。だとしても、やっぱり多い。

 

 

昨年の東京五輪開幕前ごろに連日「コロナでフェアじゃないから、選手のために中止すべき」と開催に猛反対してたジャーナリスト氏は、選手に陽性続出のいま何を書いてるかなとツイートを見に行ったら、このところ北京五輪に全く言及していない。

ホントは選手のことなんか興味ないんすね。

 

自国でコロナが増えそうだから東京五輪に反対したけど外国の五輪は知ったこっちゃない、という態度の個人を批判する気はない。自然な感情だし。

が、「選手のため」「公正な大会のため」に東京五輪を中止すべきと主張した「公器」には、たった半年で辻褄が合わなくなっても平気なのか、とは思う。

 

@VfFo7qFuD6Do7Zw 何かを批判するために「選手のため」とか言い出す人は昔から結構いて、それでも中身が的を射ていればよいのですが、実際にはスポーツ側の機序をろくに考えてない言説が結構多いので、そういう人たちにとっては「たかがスポーツ」なのだろうなと思います。

 

 自分の主張のために選手をダシに使う人たちは、昔から気になっていて、ブログに書いたこともある。東京五輪には、政治・カネ・人権・コロナなど、ありとあらゆる問題が乗っかってしまったから、スポーツ以外の文脈で批判を受けるのは当然だ。

 が、選手でも競技関係者でもなく国内外の選手を数多く取材しているわけでもない「ジャーナリスト」や「識者」が「●●だから、選手のために中止しろ」などと公然と主張しはじめると、こうやってスポーツを利用する人なのだな、と思うばかり。

 

 

2/4

入場行進の前は見てないけど、なんというか、「そちらさんにそれを言われましてもねえ…」感が満載の開会式。素直に国威発揚全開できてくれた方が、それなりに感心できたかも。

 

史上最も小さい聖火かも。台はでかいけど。

 

北京五輪の開会式、遅ればせながら録画で見た。

豪華なショーだけど、それだけだ。

海外からの選手と関係者を開催都市から隔離し、一般客を入れないという異形の五輪なのに、開会式ショーではコロナ禍は無視すると決めたわけか。ちょっと違う気がする。(2/7)

 

東京五輪の開会式は、直前の不祥事の影響もあって全体的にはヨレヨレだったけど、冒頭に「コロナ禍に苦しみ、悩み、打ち勝とうとするアスリート」のダンスを置いたことは高く評価している。あれと選手入場と最小限のスピーチと聖火点灯だけにすれば、むしろ最高の開会式だったかも。

 

東京五輪については、トラブル続出で計画通りにできる状況でなかったという面もあるが、そもそもお祭り騒ぎでスタートするような大会ではないのだから、開会式などなくていいのに、と個人的には思っていた。そもそも五輪自体の肥大化が批判されているのだから、競技ではない国威発揚ショーを競う必要などなく、簡素化に舵を切ることにすれば五輪自体への貢献にもなる。

だから、開会式の後で、ショーとしての出来が悪い、と批判する人がいたことには、当時いささか面食らっていた。今回も同じだ。まして、「北京の開会式はよかった、それに引き替え東京はダメだ」という話には、関心のありようが全然違うのだな、というほかない。

 

2/5

「オリンピックなんか要らない、競技別大会があればいい」という意見、去年の夏前には偉い先生が新聞で語ってたり、今でもツイッタ界でちらほら目にする。

そうなれば、陸上や水泳やフィギュアスケートあたりはともかく、集金力に乏しいマイナー競技が世間にアピールする機会はほぼなくなる。

昨夜の北京五輪開会式や東京五輪の開会式では、小さくて豊かでない国の少人数の選手団も、テレビの前の世界の人々に温かく見守られ、存在をアピールできたけれど、そんな機会もなくなる。

(世界陸上の開会式に選手入場があるかどうか知らないが、あっても見る人は五輪よりずっと少ないだろう)

 

五輪が巨大ビジネスでIOCが巨大集金マシンであることは事実だけど、そうやって集めた金のうち、それなりの割合はマイナー競技や貧困国のスポーツ振興のために使われているはず。

五輪とIOCがなければ、世界の檜舞台に参加する機会や道を失う国や競技は結構あるんじゃないかな。

 

例えば、欧州のどこかで開かれたカヌーの世界大会で日本人が銅メダルを取ったからといって、日本人の大半は関心を持たないだろう。

五輪があるから、マイナー競技の選手がスターになり、競技自体が注目され振興するチャンスが生まれる。

そこに意義を見いだすか、そんなのどうでもいいと考えるか。

 

オリンピックは巨大であり巨額の金が動くから邪悪、とみなす人は結構多いと思う。

そういう面があることは否定しない。

だが、巨大だからこそ、小さくて弱いものを引き上げる力が生まれる、ともいえる。その良さを守りつつ邪悪さをどう減らすかが問題。

 

 なんでこのタイミングでこれを書いたのかはよく覚えていないのだが、ずっと思っている持論のひとつ。

 

2/6

小林陵侑、見事だなあ。こんな不安定な競技で、2本とも安定したジャンプ。素晴らしい。

 

この日はスモールヒルで金メダル。ラージヒルでも銀。小林陵侑はこのほか混合団体、男子団体と4種目に出場、本番で計8回飛んで、失敗と言われるようなジャンプは一度もなかったのではないか。風や環境に左右されるこの競技で、すごい安定感だ。

 

川村あんり、初出場の17歳に「金メダル候補に挙げていただいたのに、メダルが取れなくて申し訳ない」なんて言わせちゃいけないな。解説の上村愛子さんも心なしか目を赤くしてたような。

 

 川村に限らず、若い選手たちがしっかりしていることには感心する。冬季の個人競技の選手は、ワールドカップで海外を転戦することで、人として鍛えられるのだろうか。

 そういえば、スノーボードの選手が服装や記者会見での発言で激しく批判されたのは2010年バンクーバー大会でのことだったが、それから12年、スノーボード界と五輪の間に折り合いがついてきたのかもしれない。

 

 ちなみに、この上の文を書くために検索したら、その国母和宏選手が当時を振り返った2021年のインタビュー記事をみつけた。ご本人の今の感想は以下の通り。

スノーボーダーとしてクソ真面目すぎたんだと思う(笑)。ピシッとネクタイを締めたりするのは、なんかいつもとは違う方向に自分を持っていってることだと思うから、オレはスノーボーダーらしく振る舞っただけ。あれが一番の正解だったと思うし、それがスノーボーダーだから。だから叩かれたけど、別に何とも思わなかったですね

https://backside.jp/interview-048/

 私は当時彼について<ある既成の行動規範に従い、全力を尽して自分をその型に嵌め込もうと振る舞っている、生真面目な青年に見えた>と書いたが、おおむね正しかったようだ。

 

 

2/8

高梨沙羅のスーツで失格、ジャンプでは時々起きることではある。

ただ、個人種目なら自分が大会から消えるだけだが、団体戦でやられると当該選手へのダメージは比較にならないほど大きいだろう。その意味で出場40人中4人、10チーム中4チームというのは、大会運営としてどうよ、という数ではあるな。

 

4人じゃなくて5人だった。「全く新しい方法で」ってのは疑問。せめてシーズン当初からじゃないとトラブルの元でしょ。

高梨沙羅を含め5人が失格「なぜ女子だけなのか?」 各国から怒りと疑問の声

   https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/3982373/

 

氷点下約15度の極寒で筋肉も萎縮する。「寒さが厳しかった分、うまくパンプアップ(トレーニングによる一時的筋肉増大)できなかった」と同ヘッドコーチは分析した

https://www.nikkansports.com/olympic/beijing2022/ski_jump/news/202202070001350.html

そんなことがあるのか。他国も含めた失格続出はそういうことかな。ドイツやノルウェーの方が怒ってる。(2/8)

 

 ジャンプ混合団体。個人で4位、メダルを逃した高梨が1回目に大ジャンプを決めて喜んでいたら失格と伝えられ、泣き崩れる姿は見ていて辛かった。ドイツやノルウェーの選手や関係者は激怒。各国の報道も様々で、大会が終わった今でも、検査方法がいつも通りだったのか違ったのか、事実関係すらよくわからない。

 それでも高梨は2回目をきっちりと跳んだ。高梨だけでなく全員が次々に高得点を挙げて、4人×2回のうち1回が得点ゼロなのに表彰台まであと一歩の4位に食い込んだのだから、この日本代表は凄いチームだった。

 

2/8

今日のミスは自分ではどうこうしようもない。何より自分の感覚で「ミス」ではないので、あれは

終わってすぐこう言えるのは凄いな。だからこそ冒頭のアクシデントの後も崩れなかったのだろう。

https://www.daily.co.jp/olympic/beijing2022/2022/02/08/0015046914.shtml

 

 リンク先の記事が消えていたので、デイリースポーツの一問一答を貼っておく。3連覇を期待された羽生結弦のショートプログラム。私は職場で見ていたが、冒頭の4回転半を失敗した瞬間、周囲から悲鳴があがった。世界中のテレビの前で同時にあがったことだろう。

 それでも羽生は残りのプログラムを揺るぎなく滑りきった。順位は8位。試合後のインタビューでは、驚くほど冷静に状況を分析して振り返っている。

(しかし内心が冷静ではなかったことは、フリーを終えた後のインタビューなどで明かされている)

 

カーリングのロコ・ソラーレも、五輪代表決定戦で2連敗の後、個別要素では何も悪くないし劣ってない、ただ運がないだけだ、だから運命を変えよう、とメンタルを切り換えて大逆転した。

結果が出なくても「やってることは間違ってない」と言えるだけの準備をしてきた人にのみ可能な立て直し方。

 

 結果が出なくても自分を信じられるのは、彼ら彼女らが、やれる準備をすべてやってきたからだろう(もちろん、単なる自信家もいるけれど)。

 

2/10

堂々とひとつの時代を終えた、という感じの感慨があるな、羽生の演技。いやこれで引退かどうかはわかんないけど。

 

でも4回転半は、今季の世界選手権までチャレンジを続けるという選択肢もあるのかな。彼の心身の状態次第か。

 

全部終わったら、「いいものを見せて貰った」という感慨が全てのフィギュア男子。

 

いやもう、一生懸命頑張りました。正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないですけど、確かにショートからうまくいかないこともいっぱいありましたけど、むしろうまくいかなかったことしかないですけど。でも一生懸命頑張りました

https://www.nikkansports.com/olympic/beijing2022/figure_skating/news/202202100000627.html?cx_testId=154&cx_testVariant=cx_undefined&cx_artPos=1#cxrecs_s

 

このクラスの偉大な選手の「一生懸命頑張りました」は、とてつもなく重い。

 

 

2/11

平野歩夢の3本目、凄いな。素人目にも誰より難しい技を連発して、全く失敗しそうにない。ここ一番で最高の演技。

ショーン・ホワイトが最後の滑りを終えた後の表情も印象的。勝って終わるのも美しいけれど、後を追う者に負けるところまでやり切るのも王者の務めなのだろう。 

 

穏やかな笑顔、落ち着いた口調。平野歩夢の優勝インタビュー、心身ともに良い状態だったことがうかがえる。一時の勢いやテンションではなく、持てる力をそのまま出して、勝つべくして勝った、という感じ。いや普段見てない競技に何言ってんだと自分でも思うけど、そう思わせるだけの語り口。

 

 ほとんど4年に1度しか見ないような競技にも、ついこんなきいたふうなことを書きたくなるほど感銘を受けた。平野歩夢選手はいつも落ち着いているけれど、落ち着きの中にも喜びがにじみ出ていて、見ていてとても気持ちのよいインタビューだった。俳優業の人たちは、こういうのをよく見ておくといいんじゃなかろうか。大げさな身振りや叫びではない「心からの喜び」を表現するお手本になる。

 

2/14

北京五輪のテレビ中継アナには、競技をよく知っていると感心することが多いのだが、選手インタビュー(現地スタジオ出演も含む)では、「それ、さっき話したろ」と思う質問を重ねるアナが結構いる。

それでも苛立ちも見せずにさらりと答える選手が多いのには感心する。

 

北京五輪のNHK、スタジオでの選手インタビューがイマイチなことが多い中(さっきの小林陵侑インタビューでの青井アナも雑で準備不足)、デイリーハイライトで村瀬心椛に取材する鳥海アナはさすがベテランスポーツアナ、安心して見てられるし、話の中身も濃い。このレベルでお願いしますよNHKさん。2/16

 

 最近はスタジオ解説だけでなく、インタビューも巧みなアスリートOBが増えてきた。もはやアナウンサーに固執する必要はないんじゃないか。まして芸能人など不要(もちろん、例えば村上信五のようにスポーツキャスターとして優れていれば歓迎)。

 

2/15

CASがワリエアの出場を認めた理由は「16歳未満で保護対象だから」「陽性結果が出たのが五輪直前で本人の責任ではないから」だそうだが、これ、両方ともロシアがコントロールできる事項ではあるな。

 

「それなら根本的に出場資格を16歳以上に変更すべきでは」との「日本のフィギュア関係者」および記者の意見に全く同感。今回の裁定では「15歳はドーピング可」も同然で、フェアでも健全でもない。

フィギュア界は以前も若年齢化が問題になって年齢制限を設けたのに、また繰り返されるのか。

ワリエワ15歳だからOKでは五輪の根幹崩れる 不公平ない環境整備を/記者の目

https://www.nikkansports.com/olympic/beijing2022/figure_skating/news/202202140001268.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp

 

2005年、年度の基準日に14歳だった浅田真央がグランプリファイナルを制した時、朝日新聞などの一部メディアは「真央ちゃんを特例で(06年の)トリノ五輪に出すべき」と言い立て、「いや年齢制限にはフィギュアのために合理性があるから尊重すべき」とブログに書いたら、賛同も得たが叩かれもした。

年齢制限の意義は、この「選手人生が長く続かぬ競技に希望ない」という町田樹の言葉に尽きる。体重が増えては勝ち目がないのなら、フィギュアスケートは子供専用の競技になってしまう。今回、羽生やチェンが見せたような「成熟した演技」も衰退する。

https://www.nikkansports.com/olympic/beijing2022/figure_skating/news/202202050000614.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp

 

 

 ロシアの女子フィギュアスケーターが12月の大会の検査でドーピング陽性判定が出た、とロシアのメディアが大会中に報じたことで、大会で最も注目される問題になってしまった。すぐ出場停止にすればまだしも、ROCが出場を容認し、提訴されたCASも出場OKとの結論を出したので、特に現場からは猛反発が出た。当然である。祖父の薬だろうが何だろうが、検体が陽性判定を受ければ大会から除外されるのがドーピングコントロールの大前提。特例を認めれば制度が崩壊する。

 問題が発覚する前にワリエアが出場し、ROCが金メダルを獲得した団体は、銀銅の国も含めて大会中のメダル授与ができなかった(そもそも国としての参加は許されず、クリーンが証明された選手が個人として参加しているはずのロシア=ROCが団体戦に出場できるという理路が理解できないのだが)。さらに、最終結論が出ないままワリエアが出場する女子個人では、ワリエアが1~3位になった場合は*つきの暫定順位にする、との話まで出てきた。

 

ドーピングが疑われていたバリー・ボンズが、ハンク・アーロンのMLB記録に並ぶ通算755本目のホームランを打った時、スタンドの観客たちが「*」と書いた紙を掲げて異議を示していたのを思い出す。2/17

 

 ショートプログラムでは完璧な演技で格の違いさえ感じさせたワリエアが、フリーでは転倒につぐ転倒。消沈して氷から降りた彼女を厳しい表情と口調で迎えたコーチにも批判が集まった。

昨夜のフリーの演技とその後の様子を見ると、CASが規則通りに出場停止にすることと、恣意的な判断で出場を容認することのどちらが、より「取り返しのつかない」ダメージを彼女に与えることになったのか、まったくわからない。(2/18)

「取り返しのつかない」悪影響に配慮、CASがワリエワ出場を認めた裁定文公表

https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2022/20220218-OYT1T50233/

 

 そんな異様な状況で出場した坂本花織は銅メダル。ロシアトリオの牙城を崩したのだから見事だった。

 

坂本、良かったなあ。演技中は自信に満ちあふれて見えたのに、リンクを降りるとコーチに抱きついて泣き崩れた。絶望に立ち向かった時間、どんなにかタフな挑戦だっただろうか。

 

2/19

NHKのデイリーハイライト、今日で終わりなの? 明日はカーリング決勝に日本が出るんだから、閉会式の後でもやればいいのに。正直、中国の国威発揚ショーやバッハ会長の演説なんかより、市川さんが解説するカーリング決勝のアフターゲームショーが見たい。

2/20

カーリングは、トリノ五輪のマリリン人気の頃に比べると、俺ら素人のリテラシーがずいぶん上がってきて、競技そのものを楽しめる人が増えてきたんじゃないかな。

試合数が多く、試合時間が長く、選手の役割分担が明確で、一投ごとに戦略があるから、いい試合を見れば見るほど理解が進む。

 

金村萌絵さんの解説も明快で、このショットが何を狙って、それが成功したのか否か、この結果が戦局にどう影響し、日本が次に何をすべきなのか、全部リアルタイムに説明してくれる。ストーンの速度が遅く、選手間の相談が全部聞こえるカーリングならではとはいえ、スポーツ解説のお手本のようだった。

 

ロコ・ソラーレのインタビューでは、いつも吉田知那美の談話に感心する。自分たちの状態を把握し、分析し、打開策を見出し、言葉にして指針を示す力が卓越している。きっと氷の上でもそうなのだろう。中心が1人だけではなく、〝エース〟と〝精神的支柱〟の2頭があるチームだから強いんじゃないかな。2/21

 

最年長メダルが話題のカーリング石崎選手は、たまたまフィフスで出番がなかったけれど、他国代表には40代の選手もいたし、ロコ・ソラーレと日本代表を争ったフォルティウスの船山選手は44歳で現役。将来は、出場選手による最年長メダル記録更新も十分にありそう。2/21

 

それにしても、東京に通年カーリング場のひとつもあれば、今ごろ体験希望者殺到だろうに。スケートリンクは減ってるけども、大人の娯楽としてはスケートよりカーリングの方がずっとハードル低いと思うんだけどね。海外では酒飲みながらプレイもOKらしいし。2/21

 

 予選落ちと思ってインタビューに応じていた最中に準決勝進出を伝えられ、泣き崩れた選手たち。準決勝は大会中でもベストゲームだったのでは(大逆転のデンマーク戦も素晴らしかったが、最後の一投までずっと劣勢だった)。

 平昌五輪と同じチーム、同じ顔触れ(試合に出ないフィフスのみ交代) だったので、こちらも選手たちをよく知っている。平昌の後はうまくいかない時期もあったが、昨年秋の代表決定シリーズの大逆転は本当に見事だった。あそこでチームとして一皮むけたのではなかろうか。

 長野五輪から24年。日本国民の競技リテラシーは着実に向上している。首都圏に競技場ができれば競技人口もレベルも一気に底上げできるんじゃなかろうか。平昌の後で高木美帆が自民党の党大会で「国立のスケート場を」と要望していたが、カーリングも含めて、あっていいんじゃないですかね。

 その高木美帆については、ほとんどツイートしなかった。結構見てはいたのだが「残念!」「やった!」くらいしか書きようがなかった気がする。こんなに数多くの種目に出た選手は橋本聖子以来ではないか。素晴らしい滑り、素晴らしい人間性。幼い頃から見てきた一国民として、成長と活躍を心から祝福している。

 

バッハ会長、何をどう考えたら、ここまで時宜にも場所にもそぐわないスピーチ内容を思いつけるのだろうか…。

本当にオリンピック以外のことは何も視界に入らないのかな。中国がやってること、ロシアがやってることを考えたらとても言えないことばかりだ。

「ワクチンがすべての人に平等に行き渡りますように」

オリンピックのために関係者の接種を優先させた張本人が何言ってるのかとしか。

 

NHKの近ごろの五輪開会式や閉会式の中継って、アナウンサーが妙にハイテンションに盛り上げる、というより勝手に盛り上がってるのが苦手。特に女性アナ。もっと落ち着いて淡々とやってくれればいいのに。東京も北京も、競技はともかく、大会自体は手放しで賛美するようなもんじゃなかったでしょ。

 

 閉会式はテレビはつけていたがあまり興味がなく、ただバッハ会長の挨拶の空疎さだけはひっかかった。ドイツのテレビでは閉会式中継の中でも中国批判をしてたらしい。NHKくらいは盛り上げ一辺倒ではなく是々非々で冷静にやってもらいたい。

2/21

北京五輪の開幕前までは北京や参加予定選手のコロナ感染者数が報じられていたが、開幕してからは選手村内の選手・関係者どころか北京市内の感染者数のニュースすら目にしなくなった。選手が感染すれば当該国でニュースになるから隠せるはずもない。バブル内での封じ込めは成功したということかな。

 これはいまだに数字が見当たらない。そのうち中国から誇らしげな発表があるのかどうか。もはや世界の目はオリパラどころではないけれど。

 

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野球で起きることは、すべて水島漫画の中ですでに起きている。

 水島新司「野球狂の詩」に、東京メッツの老雄・岩田鉄五郎がエディ・ゲーデルという元大リーガーについて語る場面がある。高校生の女性投手・水原勇気のドラフト1位指名を主導した鉄五郎が、入団を拒む勇気を説得するため水原家に通っていた、ある日のことだ。

 

 エディ・ゲーデルは身長約1メートル10センチ、おそらくMLB史上もっとも背が低い選手だ。

 1951年、セントルイス・ブラウンズ(現在のボルチモア・オリオールズ)の選手として、一度だけ打席に立った。オーナーのビル・ベックが、生まれつき体が小さく、パフォーマーをしていたゲーデルを、ある日のダブルヘッダーの間のアトラクションに出場させるとともに選手として契約し、第二試合で代打に送ったのだ。背番号は1/8。クラウチングスタイルで構えるゲーデルに、投手はストライクが入らず、ストレートの四球。ベックはゲーデルにバットを振るなと厳命していたと言われる。

 どんな投手でもストライクを取れそうにない打者の存在をアンフェアとみなしたのか、リーグ会長は試合後にゲーデルの試合出場を禁止し、以後、彼が打席に立つことはなかった。

 

 鉄五郎は勇気に、上記のようなゲーデルに関する一部始終を語り、最後にこう告げて、水原家を後にする。

 

 「エディーはもっと野球をやりたかっただろうに」

 

 エディ・ゲーデルの一件は、MLB史の中で、ビル・ベックの破天荒なアイデアマンぶりを示す逸話として語られることが多い(例えば伊東一雄・馬立勝「野球は言葉のスポーツ」中公新書)。私もそういう出来事として知っていた。

 だから、鉄五郎の言葉を目にした時には、虚を突かれた。エディ・ゲーデルをこの観点から語る人はなかなかいない。

 だが、考えてみれば、水島新司なら当然そう言うだろう。

 幸福とは、ユニホームを着てグラウンドに立ち、野球をプレーすることである。

 すべての作品のすべてのページのすべてのコマが、紙面からそう訴えかけてくるような野球漫画をひたすら描き続けてきた水島新司なら。

 

 水島新司が亡くなった。

 2020年暮れに水島新司が画業引退を表明したのを受けて行われたこの対談で、オグマナオトは1977年を水島の全盛期としている。

<『ドカベン』(6年目)、『野球狂の詩』(6年目、この年でいったん連載終了)、『あぶさん』(5年目)、『球道くん』(2年目)、『一球さん』(3年目、この年で連載終了)。さらに、野球マンガ専門誌『一球入魂』を創刊して責任編集長まで務め、この雑誌上で『白球の詩』の連載を開始。あるインタビュー(『月刊経営塾』9510月号)では、最盛期には月に450枚描いていた、と明かしています>

 「ドカベン」が少年チャンピオン、「野球狂の詩」が少年マガジン、「一球さん」が少年サンデー、「球道くん」がマンガくん(後に少年ビッグコミック、ヤングサンデー)、そして「あぶさん」が「ビッグコミックオリジナル」。少年ジャンプ以外の主要少年漫画週刊誌3誌で連載していたのだから、漫画を読む子供ならほぼ全員が水島漫画に触れていたはずだ。

 筆者が浴びるように水島漫画を読んでいたのは、75年ごろから10年ほどの期間。人生で初めて買った単行本漫画は「ドカベン」の10巻と21巻だった(近所の書店の店頭在庫がその2冊だった)。まさに水島漫画の全盛期をリアルタイムで体験し、浴びるように読んでいられたのは幸運だった。

 

 当時の自分や同級生たちは、「ドカベン」の何が好きだったのだろう。

 まずは、その明るさだったと思う。岩鬼や殿馬が口にするちょっとしたギャグは、すぐに仲間内で流行した。みな、「ドカベン」のキャラクターたちが大好きだった。

 山田太郎は,地味な性格だが、どっしりと落ち着いて迷いがなく、穏やかで、それでいて明るく、仲間思いで、誰に対しても優しい。揺るぎなく確かなものがそこにある、という安心感を、チームメイトのみならず読者に対しても与えてくれる。こうやって文章にすると退屈そうな人物だが、破天荒で賑やかなキャラは周囲に大勢いたから、作品そのものは賑やかだった。

 

 そして、どの少年誌にも複数の野球漫画が連載されていた時代にも、水島が他の追随を許さなかったのが、その画力だった。

 山田太郎の力強いスイング。里中智の華麗なアンダースロー。不知火守の、これぞ速球投手というフォーム。打つ、投げる、走る、捕るといった野球の動作を、躍動感たっぷりに、しかも美しく描くことにおいて、水島新司の右に出る者は、おそらくいない。

 「ドカベン」は76年からアニメ化され、それなりに人気もあったはずだが、私は全く興味が湧かなかった。実際に絵が動くアニメよりも、水島が紙に描いた山田たちの方が、はるかに生き生きと動いていたからだ。

 厳密にいえば、水島新司が描くプレー画像は、実際の分解写真とは違う。人間の足はあんなふうにたわんだりはしないし、投手のリリースポイントはそんなに前ではない、という絵もあった。

 けれども観客の目には、野球選手のプレーはそんなふうに見える。水島の絵は、加速感や残像も含めた“人の目に映る野球”を描いていた。

 

 浦沢直樹や江口寿史ら当代の名人上手たちが、水島の訃報に接した際のツイートを見ても、水島の画力がいかに優れていたかがうかがえる。

 

水島新司先生の描く野球漫画は、人間の本当の躍動を描くという革命を漫画界にもたらしたと思っています。私も中学生の頃あの躍動感に憧れ、どれほど先生の絵を模写したことでしょう。素晴らしい作品をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。>浦沢直樹

 

ぼくにとって水島新司先生は、ちばてつや先生と並んでよく模写した漫画家ですが、このスパイクの裏側とグラブの(中指、薬指、小指を閉じた)描き方は、パイレーツでもそのまんま丸パクリで描いてましたね。>江口寿史

 水島作品は、例えば「文藝別冊」や「ユリイカ」に特集されるような意味での「批評」の対象になることは、昔も今もほとんどない。だが、そういう場で好んで扱われる江口や浦沢は、水島漫画に大いに影響を受けているらしい。

 

 訃報に際して水島について書かれた文章の多くは、「野球狂の詩」における女性投手の登場、あるいは「ドカベン」における競技規則の隙間をついた得点シーンが後に甲子園で実際に起こったことなどを例にひいて、「将来を予見していた」ことを高く評価していた。

 その通りではあるのだが、私にはどこか違和感がある。

 他にも、ドラフト制度を拒否する高校生を描いた「光の小次郎」のように問題提起を強く意識した作品があるのは事実だし、「野球狂の詩」の水原勇気編も、初期には野球協約の壁との闘いが描かれている。

 一方で、「野球狂の詩」には荒唐無稽なエピソードもたくさんある。野球の上手なゴリラが阪神に入団しそうになったり、マサイ族の勇者が代走専門で活躍したり。不動の四番打者・国立玉一郎は歌舞伎の名門の御曹司に生まれ、入団当初は女形と掛け持ちでホームゲーム限定の選手だった。後に実現したかどうかで評価を決めるのなら、これらの作品は大外れだが、もちろん、作品の価値はそんなところにはない。

 

 水島は単に、野球のすべてを描きたかったのだと思う。野球に関わるすべての人々、野球で起こりうるすべての出来事を、何もかも描きたかった。だから、あらゆるプレーの可能性を考え、野球に関する制度を調べ、公認野球規則の盲点や野球協約の理不尽に気づいたら、それを作品にした。

 そうやって描かれた「何もかも」のうちのいくつかが、後で現実に起きた。そういうことだったのではないかと思う。

 水島新司の野球漫画が偉大なのは、将来を予見したからではない。野球で起こりうる、あらゆることを描こうとしたから偉大なのだ、と私は思っている。

 三谷幸喜がドラマ「王様のレストラン」のために捏造したエピグラムに倣って言えば、<野球で起きることは、すべて水島漫画の中ですでに起きている>のである。

 

 「野球狂の詩」は連載当時も好きな漫画だったが、“おっさんくさい漫画”という印象ももっていた。東京都国分寺市をフランチャイズとする架空の球団・東京メッツを取り巻く人々の群像劇だが、全編を通しての主人公は50歳を過ぎても投げ続ける岩田鉄五郎だ。引退間際のベテラン選手を主役としたエピソードも多い。

 ただ、水島の訃報を機に、改めて全17巻を買い直して読んでみると、おっさんが大勢出てくるからというだけでなく、プロットそのものが“おっさんくさい漫画”である。

 

 野球、という最大の属性を取り払ってみると、水島漫画には“貧しくても前を向いて明るく生きる人々の話”がとても多い。とりわけ「野球狂の詩」には顕著だ。

 例えば「メッツ本線」。オールスターで打ち込まれて引退を考え始めた鉄五郎が、かつてバッテリーを組んだ現監督の五利と2人で気分転換に温泉旅館を訪ねたら、駅から温泉までのバスの停留所の名は、2人が活躍したメッツ全盛期の選手の名が打順通りに並んでいた。実は…という話。老いた投手と老いたファンの気持ちが交わる、しみじみと沁みる作品だ。

 そういうエピソードがあるのは覚えていたが、自分が岩田鉄五郎の年齢を超えた今になって読み返すと、当時とは比較にならないほど、深々と心に刺さる(これを描いた頃の水島がまだ30代というのが、ちょっと信じられない)。

 

 水島新司は、貧しさゆえに高校進学を諦めて中卒で就職、働きながら独学で漫画を描きはじめ、大阪の貸本漫画から人気漫画家にはいあがった。“貧しくても前を向いて明るく生きる人々の話”に描かれる人々は、若き日の水島自身であり、水島の周囲の人々だったのだろう。時に野球を断念する若者の話が描かれるのは、高校野球に憧れながら断念せざるをえなかった自身を投影しているように見える。

 ありていにいえば、水島漫画にはベタな人情話が多い。落語であり演歌であり浪花節であり、ごりごりの昭和である。読者が子供のうちは素直に楽しめても、「若者」になると、少々ださく感じられる。そういう話が多い。特に女性観は、今どきの水準でいえばかなり古くさい。東京メッツのエース、火浦健が愛した女性は、幼なじみの家族を支えるために火浦との結婚を諦める。かくのごとく、男女の仲が描かれても「恋愛」より「家族愛」に着地することが多い。

  訃報に接して、何か水島作品を読み返したくなった。昔買っていた単行本の多くは手元になく、すぐには読めない。いろいろ考えた末、連載時にはあまり読んでいなかった「平成野球草子」全10巻を古書で買った。90年代にビッグゴールドに連載された作品だ。プレーそのものよりも、野球に関わる人々の哀歓が描かれ、「野球狂の詩」をさらに人情話寄りにしたような漫画である。

 連載誌も中高年向けであり、当時30歳かそこらの自分の琴線には触れなかったのだろう。が、50代後半の今の私には触れまくる。うかつに外で読むとすぐ泣きそうになるので、家で少しづつ読んでいる。子供の頃は水島漫画で泣いたことなどなかったのに。

 

 水島新司が描く人情話は、「故郷の実家」のようなものだ。子供の頃は好きだったし楽しかったけれど、ある時期から気恥ずかしくなって距離を置いたりする。だが、大人を通り越して老いを感じる頃には、改めてその良さに気づく。

 残念なことに、今は水島の代表作の多くが入手しにくい。どんな事情があるにせよ、早く水島作品が電子書籍化され、かつての子供たちや、今の子供たち、未来の子供たちが数々の傑作を身近に読めるようになることを、心から望んでいる。

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