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野球で起きることは、すべて水島漫画の中ですでに起きている。

 水島新司「野球狂の詩」に、東京メッツの老雄・岩田鉄五郎がエディ・ゲーデルという元大リーガーについて語る場面がある。高校生の女性投手・水原勇気のドラフト1位指名を主導した鉄五郎が、入団を拒む勇気を説得するため水原家に通っていた、ある日のことだ。

 

 エディ・ゲーデルは身長約1メートル10センチ、おそらくMLB史上もっとも背が低い選手だ。

 1951年、セントルイス・ブラウンズ(現在のボルチモア・オリオールズ)の選手として、一度だけ打席に立った。オーナーのビル・ベックが、生まれつき体が小さく、パフォーマーをしていたゲーデルを、ある日のダブルヘッダーの間のアトラクションに出場させるとともに選手として契約し、第二試合で代打に送ったのだ。背番号は1/8。クラウチングスタイルで構えるゲーデルに、投手はストライクが入らず、ストレートの四球。ベックはゲーデルにバットを振るなと厳命していたと言われる。

 どんな投手でもストライクを取れそうにない打者の存在をアンフェアとみなしたのか、リーグ会長は試合後にゲーデルの試合出場を禁止し、以後、彼が打席に立つことはなかった。

 

 鉄五郎は勇気に、上記のようなゲーデルに関する一部始終を語り、最後にこう告げて、水原家を後にする。

 

 「エディーはもっと野球をやりたかっただろうに」

 

 エディ・ゲーデルの一件は、MLB史の中で、ビル・ベックの破天荒なアイデアマンぶりを示す逸話として語られることが多い(例えば伊東一雄・馬立勝「野球は言葉のスポーツ」中公新書)。私もそういう出来事として知っていた。

 だから、鉄五郎の言葉を目にした時には、虚を突かれた。エディ・ゲーデルをこの観点から語る人はなかなかいない。

 だが、考えてみれば、水島新司なら当然そう言うだろう。

 幸福とは、ユニホームを着てグラウンドに立ち、野球をプレーすることである。

 すべての作品のすべてのページのすべてのコマが、紙面からそう訴えかけてくるような野球漫画をひたすら描き続けてきた水島新司なら。

 

 水島新司が亡くなった。

 2020年暮れに水島新司が画業引退を表明したのを受けて行われたこの対談で、オグマナオトは1977年を水島の全盛期としている。

<『ドカベン』(6年目)、『野球狂の詩』(6年目、この年でいったん連載終了)、『あぶさん』(5年目)、『球道くん』(2年目)、『一球さん』(3年目、この年で連載終了)。さらに、野球マンガ専門誌『一球入魂』を創刊して責任編集長まで務め、この雑誌上で『白球の詩』の連載を開始。あるインタビュー(『月刊経営塾』9510月号)では、最盛期には月に450枚描いていた、と明かしています>

 「ドカベン」が少年チャンピオン、「野球狂の詩」が少年マガジン、「一球さん」が少年サンデー、「球道くん」がマンガくん(後に少年ビッグコミック、ヤングサンデー)、そして「あぶさん」が「ビッグコミックオリジナル」。少年ジャンプ以外の主要少年漫画週刊誌3誌で連載していたのだから、漫画を読む子供ならほぼ全員が水島漫画に触れていたはずだ。

 筆者が浴びるように水島漫画を読んでいたのは、75年ごろから10年ほどの期間。人生で初めて買った単行本漫画は「ドカベン」の10巻と21巻だった(近所の書店の店頭在庫がその2冊だった)。まさに水島漫画の全盛期をリアルタイムで体験し、浴びるように読んでいられたのは幸運だった。

 

 当時の自分や同級生たちは、「ドカベン」の何が好きだったのだろう。

 まずは、その明るさだったと思う。岩鬼や殿馬が口にするちょっとしたギャグは、すぐに仲間内で流行した。みな、「ドカベン」のキャラクターたちが大好きだった。

 山田太郎は,地味な性格だが、どっしりと落ち着いて迷いがなく、穏やかで、それでいて明るく、仲間思いで、誰に対しても優しい。揺るぎなく確かなものがそこにある、という安心感を、チームメイトのみならず読者に対しても与えてくれる。こうやって文章にすると退屈そうな人物だが、破天荒で賑やかなキャラは周囲に大勢いたから、作品そのものは賑やかだった。

 

 そして、どの少年誌にも複数の野球漫画が連載されていた時代にも、水島が他の追随を許さなかったのが、その画力だった。

 山田太郎の力強いスイング。里中智の華麗なアンダースロー。不知火守の、これぞ速球投手というフォーム。打つ、投げる、走る、捕るといった野球の動作を、躍動感たっぷりに、しかも美しく描くことにおいて、水島新司の右に出る者は、おそらくいない。

 「ドカベン」は76年からアニメ化され、それなりに人気もあったはずだが、私は全く興味が湧かなかった。実際に絵が動くアニメよりも、水島が紙に描いた山田たちの方が、はるかに生き生きと動いていたからだ。

 厳密にいえば、水島新司が描くプレー画像は、実際の分解写真とは違う。人間の足はあんなふうにたわんだりはしないし、投手のリリースポイントはそんなに前ではない、という絵もあった。

 けれども観客の目には、野球選手のプレーはそんなふうに見える。水島の絵は、加速感や残像も含めた“人の目に映る野球”を描いていた。

 

 浦沢直樹や江口寿史ら当代の名人上手たちが、水島の訃報に接した際のツイートを見ても、水島の画力がいかに優れていたかがうかがえる。

 

水島新司先生の描く野球漫画は、人間の本当の躍動を描くという革命を漫画界にもたらしたと思っています。私も中学生の頃あの躍動感に憧れ、どれほど先生の絵を模写したことでしょう。素晴らしい作品をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りします。>浦沢直樹

 

ぼくにとって水島新司先生は、ちばてつや先生と並んでよく模写した漫画家ですが、このスパイクの裏側とグラブの(中指、薬指、小指を閉じた)描き方は、パイレーツでもそのまんま丸パクリで描いてましたね。>江口寿史

 水島作品は、例えば「文藝別冊」や「ユリイカ」に特集されるような意味での「批評」の対象になることは、昔も今もほとんどない。だが、そういう場で好んで扱われる江口や浦沢は、水島漫画に大いに影響を受けているらしい。

 

 訃報に際して水島について書かれた文章の多くは、「野球狂の詩」における女性投手の登場、あるいは「ドカベン」における競技規則の隙間をついた得点シーンが後に甲子園で実際に起こったことなどを例にひいて、「将来を予見していた」ことを高く評価していた。

 その通りではあるのだが、私にはどこか違和感がある。

 他にも、ドラフト制度を拒否する高校生を描いた「光の小次郎」のように問題提起を強く意識した作品があるのは事実だし、「野球狂の詩」の水原勇気編も、初期には野球協約の壁との闘いが描かれている。

 一方で、「野球狂の詩」には荒唐無稽なエピソードもたくさんある。野球の上手なゴリラが阪神に入団しそうになったり、マサイ族の勇者が代走専門で活躍したり。不動の四番打者・国立玉一郎は歌舞伎の名門の御曹司に生まれ、入団当初は女形と掛け持ちでホームゲーム限定の選手だった。後に実現したかどうかで評価を決めるのなら、これらの作品は大外れだが、もちろん、作品の価値はそんなところにはない。

 

 水島は単に、野球のすべてを描きたかったのだと思う。野球に関わるすべての人々、野球で起こりうるすべての出来事を、何もかも描きたかった。だから、あらゆるプレーの可能性を考え、野球に関する制度を調べ、公認野球規則の盲点や野球協約の理不尽に気づいたら、それを作品にした。

 そうやって描かれた「何もかも」のうちのいくつかが、後で現実に起きた。そういうことだったのではないかと思う。

 水島新司の野球漫画が偉大なのは、将来を予見したからではない。野球で起こりうる、あらゆることを描こうとしたから偉大なのだ、と私は思っている。

 三谷幸喜がドラマ「王様のレストラン」のために捏造したエピグラムに倣って言えば、<野球で起きることは、すべて水島漫画の中ですでに起きている>のである。

 

 「野球狂の詩」は連載当時も好きな漫画だったが、“おっさんくさい漫画”という印象ももっていた。東京都国分寺市をフランチャイズとする架空の球団・東京メッツを取り巻く人々の群像劇だが、全編を通しての主人公は50歳を過ぎても投げ続ける岩田鉄五郎だ。引退間際のベテラン選手を主役としたエピソードも多い。

 ただ、水島の訃報を機に、改めて全17巻を買い直して読んでみると、おっさんが大勢出てくるからというだけでなく、プロットそのものが“おっさんくさい漫画”である。

 

 野球、という最大の属性を取り払ってみると、水島漫画には“貧しくても前を向いて明るく生きる人々の話”がとても多い。とりわけ「野球狂の詩」には顕著だ。

 例えば「メッツ本線」。オールスターで打ち込まれて引退を考え始めた鉄五郎が、かつてバッテリーを組んだ現監督の五利と2人で気分転換に温泉旅館を訪ねたら、駅から温泉までのバスの停留所の名は、2人が活躍したメッツ全盛期の選手の名が打順通りに並んでいた。実は…という話。老いた投手と老いたファンの気持ちが交わる、しみじみと沁みる作品だ。

 そういうエピソードがあるのは覚えていたが、自分が岩田鉄五郎の年齢を超えた今になって読み返すと、当時とは比較にならないほど、深々と心に刺さる(これを描いた頃の水島がまだ30代というのが、ちょっと信じられない)。

 

 水島新司は、貧しさゆえに高校進学を諦めて中卒で就職、働きながら独学で漫画を描きはじめ、大阪の貸本漫画から人気漫画家にはいあがった。“貧しくても前を向いて明るく生きる人々の話”に描かれる人々は、若き日の水島自身であり、水島の周囲の人々だったのだろう。時に野球を断念する若者の話が描かれるのは、高校野球に憧れながら断念せざるをえなかった自身を投影しているように見える。

 ありていにいえば、水島漫画にはベタな人情話が多い。落語であり演歌であり浪花節であり、ごりごりの昭和である。読者が子供のうちは素直に楽しめても、「若者」になると、少々ださく感じられる。そういう話が多い。特に女性観は、今どきの水準でいえばかなり古くさい。東京メッツのエース、火浦健が愛した女性は、幼なじみの家族を支えるために火浦との結婚を諦める。かくのごとく、男女の仲が描かれても「恋愛」より「家族愛」に着地することが多い。

  訃報に接して、何か水島作品を読み返したくなった。昔買っていた単行本の多くは手元になく、すぐには読めない。いろいろ考えた末、連載時にはあまり読んでいなかった「平成野球草子」全10巻を古書で買った。90年代にビッグゴールドに連載された作品だ。プレーそのものよりも、野球に関わる人々の哀歓が描かれ、「野球狂の詩」をさらに人情話寄りにしたような漫画である。

 連載誌も中高年向けであり、当時30歳かそこらの自分の琴線には触れなかったのだろう。が、50代後半の今の私には触れまくる。うかつに外で読むとすぐ泣きそうになるので、家で少しづつ読んでいる。子供の頃は水島漫画で泣いたことなどなかったのに。

 

 水島新司が描く人情話は、「故郷の実家」のようなものだ。子供の頃は好きだったし楽しかったけれど、ある時期から気恥ずかしくなって距離を置いたりする。だが、大人を通り越して老いを感じる頃には、改めてその良さに気づく。

 残念なことに、今は水島の代表作の多くが入手しにくい。どんな事情があるにせよ、早く水島作品が電子書籍化され、かつての子供たちや、今の子供たち、未来の子供たちが数々の傑作を身近に読めるようになることを、心から望んでいる。

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