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17年目の答え合わせ ~ WBC余話として。

 WBCが始まっている。

 

 テレビ朝日で放送された前触れ番組のひとつを見ていたら、大谷、村上、吉田正尚ら代表選手たちが「子供の頃からの憧れ」「あの舞台に立つのが夢だった」と語っていた。

 

 これが2006年の答え合わせだ、と思った。

 

 もう忘れてしまった人も、そもそも知らない若い人も多いのだろうけれど、今世紀初頭の日本プロ野球の状況は厳しいものだった。球団合併とそれに伴うストライキ、アマ選手への裏金などの問題が起こり(正確には、構造的な問題の弊害がそれらの形で噴出し)、08年の北京大会を最後に五輪競技から除外されることも決まった。

 

 そんな時期に突然MLB主導で開催が決まったWBCは、今回AmazonPrimeVideoで配信された中国戦の解説で王貞治初代監督も話していたように、どんな大会になるのか誰にもわからない状態で開幕を迎えた。当時はファンばかりかNPB内にも懐疑的な空気があったように思う。多くの選手が出場を辞退し、公然と大会を批判する球団もあった。

 

 この時期、戦後日本において長らくスポーツ・エンタテインメントの王座を占めていたプロ野球の地位は、危うくなり始めていた。

 1993年にJリーグを開幕させたサッカーは、その93年秋に、W杯の出場権をほぼ手中に収めながら失った、いわゆる「ドーハの悲劇」を経験し、98年にW杯初出場、2002年にはW杯を(韓国と共催ながら)自国開催。着実に「世界に挑み、前進する日本代表」の姿を示して、国民的人気を獲得した。

 野球でも、95年の野茂英雄を嚆矢にイチロー、松井秀喜らトップスターが次々にMLBに挑んだ。

 もはや、国内リーグだけでファンを満足させられる時代は終わりつつあった。

 

 五輪競技ではなくなると決まった野球にとって、WBCは唯一の「世界に挑む日本代表」を見せられる場となった。

 その本質がMLBの金儲けだろうと、サッカーW杯に遠く及ばない規模だろうと、日本のプロ野球にとってはWBCに出場し、いい試合をして勝つ姿を見せることが、とてつもなく重要だ、と当時の私は考えていた。だから、WBCを軽視するような言動を見せた一部のNPB関係者に苛立ち、当ブログにも不満をぶちまけていた。

 

 一方で、「選手が契約しているのは球団である、そんな怪しげな大会よりもペナントレースを重視するのが当然」と当ブログのコメント欄に意見する人が何人も現れ、延々と議論を続けたこともあった。

 その種の意見にも理はある。国内リーグに専念すればNPBも球団も選手も安泰なのであれば、それが正解だ。だが、経営の展望が立たないから球団数を削減しようとオーナーたちが考えるような状況ではどうだろう。船室をどれほど磨き上げたところで、船自体が沈んでしまったら、そこに客が訪れることはできない。

 そんな私の言い分を、ある程度は理解してくれた人もいたし、受けつけない人もいた。

 

 いずれにしても、シーズンへの準備を整えるべき大事な時期に、見知らぬ相手と試合をし、時差のあるアメリカにまで行くことは、選手個人にとっては未知の大きなリスクだったはずだ。ケガでもすればシーズンを棒に振る可能性もある。

 代表選手たちは、それを承知の上で、わずかな準備期間で大会に臨んだ。

 そして王貞治監督は、現職のホークス監督であるにもかかわらず、シーズン前のキャンプ期間に自分のチームを離れて代表を率いた。

 

 最初の大会で、王監督と選手たちが手探りの中で懸命に戦い、ファンの心を打つ試合をして、優勝という結果を掴みとったことで、日本でWBCという大会と日本代表チームの価値が確立された。それは、大会を見ていた野球少年たちの新たな目標となり、そこを目指して励んできた大谷や村上や仲間たちが今、代表のユニホームを着ている。

 

 当時も今も「盛り上がってるのは日本だけ」などと大会を軽視する人はいる。そう言う人たちはたぶん、例えばプエルトリコで行われた第1回大会1次ラウンドの中米諸国の盛り上がりぶりを見ていないのだろう。けれど、仮に彼らが言う通り「日本だけ」であったのだとしても、その盛り上がりがなく、野球少年たちが「WBCに出て活躍する」という目標や夢を抱くことがなかったら、果たして日本に今ほど優れた若い選手が次々と現れることがあっただろうか。

 06年、そして09年の優勝があったから、才能ある若者たちが、他の競技でなく野球を選び、プロの世界に入っただけで満足することなく、上を目指し続けたのではなかったか。

 

 そう考えると、今の日本の野球界が世界最高水準の選手を輩出し、まがりなりにも国内で人気スポーツの地位を維持できているのは、2006年に最初のWBCに挑んだ人々の勇気と心意気に負うところが大きい、と私は思っている。

 

(と同時に、「第2ラウンドでUSAに勝ったメキシコ代表のおかげ」でもある。それがなければ第1回WBCでの日本は韓国に負けっぱなし、USAに誤審で負けて終わった後味の悪い大会となり、人々のWBCへの関心は冷え切って、第2回での成功もなかったかも、と思うと恐ろしい。運命は紙一重だ)

 

 

 5回目となる目下の大会には、大谷翔平、ダルビッシュ有ら、日本の代表的なメジャーリーガーが参加している。ダルビッシュは今の代表では優勝を経験した唯一の現役選手であり、最年長でもある。メジャーリーグでの経験も豊富だ。自身が、第1回におけるイチローと大塚、第2回におけるイチローや松坂らの立場にあることを自覚しているはずだ。

 一方で、キャンプに参加して以来、彼は大会の意義として「楽しむ」「一緒に成長する」ことを強調し、「戦争に行くわけではない」と勝利への過度なこだわりをよしとしない発言をしている。第1回におけるイチローの、勝敗に対する峻烈な姿勢とは対照的だ。

 

 もちろん、長年勝負の世界に生きてきた彼が、勝敗を軽視しているとは思わない。NPB選手としてWBCに優勝し、渡米後はメジャーリーガーとしてWBCを外から見てきた中で到った境地なのだろう。

 

 私とて日本の勝利を願っているけれど、5回目となったWBCでは、大会運営も日本代表のマネジメントも、一介の見物人がブログで憤りまくらなくてはならないような状況ではなさそうだ。今大会はダルビッシュに倣って、少しリラックスして見ようと思っている。

 

(第5回WBC初戦の中国戦翌日にツイッターに書き殴った文章を再構成した。こういうのは大会が始まる前に載せとくと格好いいのだが)

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コメント

たいへんご無沙汰しております。
今回のWBCのドキュメント映画を映画館で見て、感動を新たにしたところです。(佐々木朗希が廊下に座り込んで泣いていたシーンとか、よく撮ったものだと思いました。)

本当に、「運命は紙一重」ですよねえ。
第1回WBCであのまま敗退していたら、今日のプロ野球の隆盛はなかったと思うとぞっといたします。吉田がメジャー移籍初年であるにもかかわらず参加してくれたのは、「WBCへのあこがれ」あってのことでしたでしょうし。

王監督ほか、第1回WBC戦士に深く感謝しています。
(その中にたくさんホークスの選手がいることが、ことのほかうれしいです。)

投稿: 馬場伸一 | 2023/06/28 11:05

馬場さま

レス大変遅れて恐縮です。
あれから随分と時間も経ちましたが、
第1回大会をテレビで見ていた若者たちが
これほどの高みに見物人まで連れて行ってくれるのですから、
長生きはするものですね。

投稿: 念仏の鉄 | 2023/07/16 00:21

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