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2023年6月

令和の名将、世界を制す。

 栗山英樹が5月末をもって野球日本代表監督を退任した、というニュースが流れた。

 実質的な仕事は3月のWBCで終わっており、本人も退任の意向を口にしていたので、それ自体は特にニュースではない。ただ、6月2日に開いた退任記者会見は興味深い。NHK全文を記事にしている。

 <選手がどういう形で集まって来てくれるのかっていうのは、正直プレッシャーもありましたし、そういう中ですべての選手が自分のことを捨てて日本野球のためにというふうに集まってくれた。それだけには本当に感謝しています>

 <たぶん彼らにこれから何度会っても「ありがとな」とたぶん言い続けるんだろうなと、そういうふうに思います>

  なるほど、こういう人がこういう思いでやっていたのだな、と改めて腑に落ちる。

 

 PCのデスクトップを整理していたら、4月上旬にブログ用の文章を書きかけて、そのまま放置していたことに気がついた。上の栗山談話に通じる面もあるので、少し手直しして以下にアップすることにする。

 

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 週刊ベースボールの最終ページに、廣岡達朗のコラム<「やれ」と言える信念>が隔週で連載されている。202345日に発売された4.17号には、「侍ジャパン、2つの勝因」と題した、第5回WBCを総括した文章が載っている。

 廣岡によると、日本の勝因は<一つは投手力が良かったこと><2つ目はWBCが平等ではなかった点>だという。

 1つ目は、大会を見た人なら誰もが同意することだろう。廣岡も<本調子でなかったのはダルビッシュ有、松井裕樹くらい。ほかはみんな一生懸命にやった。そこは評価できる。人選にはほぼミスはなかった>と書いている。

 2つ目はどういう意味かといえば、<日本は勝ちたいから選りすぐりの選手を監督自ら選んだ。だが、ほかの国は金をもらえるから参加するかという程度>なのだという。このブログでも2006年からたびたび書いてきた通り、USAの本気度(の低さ)は常にこの大会の最大の課題なので、廣岡の記述が全面的に間違っているとは思わない。が、今回のUSA代表の本気度は過去5大会で最も高かったように私は思うし、それ以外の国については……廣岡さん、日本プール以外の一次ラウンドはご覧になっていないのかもしれないね。私は大会中にドミニカの選手たちに「WBCか、ワールドシリーズか」と質問する動画ツイートを見て、WBCと答える選手が結構いることに驚いたものだった。

 

 話を廣岡コラムに戻す。アメリカの野球も堕落したとか本気度が足りないと力説するうちに、廣岡は栗山英樹監督を批判しはじめる。

 <そんなアメリカに勝ったからといって栗山監督を実力以上にもてはやす風潮はおかしい。選手任せで細かいサインもなし。これで監督と言えるのか。監督とは組織の頭であり全責任を持ってコーチ、選手を教える人間のことをいう。それが、選手のほうが主導権を握っていた。戦争で指導者が陣頭指揮を執らずに一番後ろから「突撃」と言って誰が付いていくだろうか>

 

 この広岡の評論(と呼ぶのもどうかと思うレベルの文章ではあるけれど)を読むと、むしろ今大会での栗山監督の何が優れていたかが、浮き彫りになるような気もする。

 

 <監督とは組織の頭であり全責任を持ってコーチ、選手を教える人間>と廣岡は定義する。21日からシーズン終了までほぼ毎日、新人を含む選手たちと行動をともにし、選手の起用に関する権限を持つ(さらに契約継続の可否についても影響力を持つ)NPBの監督なら、そうあることが可能なのだろうし、廣岡はそうやって勝ってきたのだろう。

 しかし、代表監督が選手とともに過ごす時間は少ない。栗山は特に少なかった。就任したのが202111月末。WBCの本番前合宿以前に、実際に選手を集めて練習や試合をする機会は2022年のシーズン前と後の短い期間しかなかった(223月に予定されていた台湾との強化試合はコロナ禍のため中止されたので、実際には22年のシーズン後だけだった)。

 

 球団から預けられた選手で勝負するNPBの監督にとっては、廣岡が言うように、選手を教えて育てることは大事だ。代表監督には、その時間は与えられない(とはいえ、ピンポイントの助言ならともかく、監督が事細かに何かを教えなくてはならないレベルの選手は、そもそも代表には呼ばれないだろう)。

 その代わり、代表監督は、選手を選ぶという大きな権限を持つ。ただし、選手にはそれを断る権利があるし、それで職を失うこともない。だから代表監督は、NPB監督のように“人事権”をタテに選手を服従させることはできない。

 とりわけメジャーリーガーの招集は困難だ。廣岡自身もコラムの中で、<アメリカは複数年契約で何十億という額で契約する。ということは、個人的な思惑でWBCに出ることは許されない。出場の可否に関する権利はメジャー・リーグの球団が持っているのだ>と力説している。

 MLBから日本代表に参加した選手たちは、レギュラー候補の若手であるラーズ・ヌートバーは別として、ダルビッシュ有、大谷翔平、吉田正尚、一度は出場を決めたものの故障で辞退した鈴木誠也は、まさに<複数年契約で何十億という額で契約>している選手で、日本代表への招集は容易ではなかったはずだ。

 監督がリストに名前を書いただけで、選手が宮崎合宿にやってくるわけではない。後で<人選にはほぼミスはなかった>と評するのはたやすいが、問題は<人選>した後なのである。組織論としていえばそれはGMの仕事かもしれないが、栗山は交渉を人任せにはせず、自分自身で選手に語りかけることで、実現に漕ぎ着けた。

 

 選手を招集する機会に乏しかった分、栗山は自ら選手に会いに行った。22年のシーズン中、各地の球場で試合を視察し、代表候補選手に声をかける栗山の姿が頻繁に報じられていた。アメリカにも渡り、MLB所属選手たちを訪ね歩いた。

 栗山は2012年から21年まで10年間、北海道日本ハムファイターズの監督を務め、2度のリーグ優勝と1度の日本一を勝ち取った。選手への愛情の深さ、我慢強く選手を育てる手腕は、さほど熱心なファイターズファンというわけでもない私にも強く印象づけられた。今回の代表では大谷のほか近藤健介、伊藤大海が栗山のチームでプレー経験がある。彼らだけでなく、その10年を通じて、他球団の選手たちも栗山の監督ぶりや人柄について知るところはあったはずだ。

 

 ダルビッシュは第2回WBCで胴上げ投手になった後、第3回、第4回大会では出場を辞退したと伝えられた。今年2月には36歳にして6年総額1800万ドルの契約を結んでいる。契約の大きさ、調整の困難さを思えば、参加しない蓋然性が高いはずの彼は、しかし代表キャンプの初日から日本にいて、初出場の若手たちに声をかけ、チームをひとつにまとめていった。優勝した後に勝因を問われてダルビッシュの名を挙げた選手は少なくない。彼のキャンプ参加は、このチームにとって決定的な出来事だった。

 廣岡の例えを援用するなら、監督がいちいち「突撃」と言うまでもなく、選手が自ら突撃していったのが今回の日本代表であり、そんなチームになるように選手を選び、語りかけることが、栗山の最大の仕事だったのだと思う。そうやって集められた選手たちが、試合を通じて自己組織化していった。<細かいサイン>だけが監督の仕事ではない。

 

 ダルビッシュは宮崎キャンプの最中に、栗山についてこう語っている(彼は栗山が日本ハムの監督になる前年に渡米しており、同じチームにいたことはない)。

<やっぱりすごく、自分かなり(栗山監督より)年下ですけど(コミュニケーションが)上手だなと。出るところと引くところというか、選手のことを上げてくれたりとか。人を基本的に傷つけるとか、恥をさらすことは言わないじゃないですか。そういうことって難しくて、日本の指導者ってなかなかいないので、そういうところにすごみは感じます>

 

  廣岡は周知の通り、ヤクルトでも西武でも<人を基本的に傷つけるとか、恥をさらすこと>を口にすることで選手を動かそうとする監督だった。この大会の代表監督が廣岡のように<人を基本的に傷つけるとか、恥をさらすこと>を盛んに口にする人物だったら、ダルビッシュは代表のユニホームを着ただろうか。

 <細かいサイン>を出す技術がどれほど優れていたとしても、それをグラウンドの中で実行するのは選手である。WBCが選手にとってシーズン前の調整を困難にするリスクを伴う大会であり、招集への拒否権がある以上、代表監督は、選手を選ぶ存在であると同時に、選手に選ばれる存在でもある。監督がどれほど素晴らしい人選をしたところで、集まらなければ絵に描いた餅に過ぎない。NPBの監督と日本代表の監督は、同じ名で呼ばれていても、まったく性質の異なる仕事だと思う。

 

 廣岡がNPBの監督を務めたのは197679年(ヤクルト)、8285年(西武)。いずれも下位に低迷していたチームを立て直した。ヤクルトでは弱いチームを鍛えて強くした。西武では、新しい親会社の力で集められたベテランのスター選手たちの再生と、才能ある若手の育成を並行して成功させ、勝ちながら世代交代を進めた。性質の異なる(リーグも異なる)2つの球団を日本一にした、押しも押されもせぬ名将である。選手に対しては、しばしば厳しい言葉をメディアの前でも(時にはメディアを通じて選手の耳に入るように)投げつけた。田渕や石毛など、廣岡への怒りを原動力に戦ったと公言する当時の選手も少なくない。そして彼らは最終的には、優勝を経験させてくれた廣岡への感謝を口にする。彼らには廣岡のやり方が適していたのだろう。

 廣岡が退任してからすでに40年近くが経過した。廣岡の下でプレーした若松勉、尾花高夫、大矢明彦、田渕幸一、田尾安志、石毛宏典、東尾修、森繁和、渡辺久信、工藤公康、伊東勤、辻発彦、大久保博元、田辺徳雄らが監督を務め、その座をすでに退いている(今後またやるかもしれないが)。

 面白いのは、このうちリーグ優勝や日本一を勝ち取った若松、東尾、渡辺、工藤、辻らが廣岡のように選手に対して辛辣だったかといえば、むしろ人当たりは柔らかく、もちろん厳しいところは厳しいのだろうけれど、選手を人として尊重しながら、のびのびとプレーさせていた印象が強いことだ。彼らが選手を<傷つけるとか、恥をさらす>言葉を口にしてメディアで報じられた記憶はほとんどないし、想像もしにくい。それぞれ廣岡から学んだものを自分なりに消化した上で、この時代の若い選手を動かすのにふさわしいやり方で監督を務めていたように見える。

 

 野球界に限らず、世の中一般で、辛辣な言葉を浴びせることで人を動かし育てるという方法論は、成立しがたくなって久しい。成果が出ないだけならまだしも、選手からパワハラを告発されて解任に追い込まれるのがオチだろう(Jリーグでは実例がある)。

 そんな時代に開花した若い才能を集め、彼らが力を発揮できる環境を整えることで勝利を掴んだ栗山は、令和の名将と呼ぶにふさわしい。その手腕が昭和の名将には理解できなかったとしても、この世界一という実績には、傷ひとつ付くことはない。

 

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