高代延博「WBCに愛があった。 」ゴマブックス

 今春の第2回WBCで三塁ベースコーチを務めた高代延博が大会を回顧した本。あとがき等を見ると、スポーツ・ヤアの元編集長、本郷陽一が関わっているようだ。

 第1回大会の後には2冊のドキュメンタリーが刊行されたが、いずれも取材者(石田雄太、石川保昌)の手によるものだったから、インサイダーによるWBC回顧録というのは初めてで、それだけで興味深い。三塁ベースコーチとして、日本代表の攻撃のすべてをグラウンドで体験してきた高代であれば、なおさらだ。

 刊行時の目で記したプロローグ、大会そのものについての考えを述べたエピローグを除くと、本書は著者が原代表監督から三塁コーチへのオファーの電話を受けた日に始まり、帰国便が成田空港に到着する場面で終わる。
 コーチ陣の編成が発表された時、私は、原と高代にどういうつながりがあるのだろうと訝しく思ったものだが、高代自身も同じような戸惑いを持っていたようだ。ジャイアンツとのプレーオフに敗れたその夜に、落合監督自身の口から翌年の構想に入っていないことを告げられ、その2日後、ナゴヤドームで荷物をまとめている最中に、携帯電話に原自身から連絡があった。
 意欲はあるものの、WBCに参加すれば、そのシーズンはもうコーチとしての仕事はない。生活のためには他球団に就職した方がよいのではないか、と迷った高代は、率直に事情を話して返答を保留するが、プレーオフが終わるような時期には、すでにどこの球団も監督・コーチ人事は完了していた。原の誠意、妻の勧めにも推されて、高代はコーチを引き受ける。
 …というような、わりとなまなましい内情が、坦々と記されていく。首脳陣の顔合わせ、選手選考*と、大会に向けた準備が進み、そして合宿へと向かっていく。

 面白いのは首脳陣の人間関係における高代の立場だ。
 もちろん高代のコーチとしての手腕は評価され、仕事の上では尊重されていたのだろうが、高代は人間関係の上ではまるで外様なのだ。この大会限りのプロジェクトチームとして集められたコーチ陣とはいえ、それぞれに既存の関係はある。王顧問、原監督、篠塚・緒方コーチというジャイアンツ人脈が中心にあり、投手コーチの山田、与田は職掌上は専門外。
 そのため、仕事を離れた場面では一人で過ごすことが多かったようで(酒を飲まないコーチが多かったせいもあるらしい。高代自身は飲む人なので)、本書では、合宿や遠征生活の中で一人で夕食に出かける場面がたびたび出てくる。というより、監督主催などの食事会以外では、スタッフと行動をともにする場面がほとんどない(選手とは食事をしないのがポリシーらしい)。食事会で王顧問の隣に座るたびに緊張しているのもおかしい。
 別にそれがトラブルや不和の存在を示唆しているというのではなく、プロジェクトチームの成り立ち方というのはそんなものだろうな、とも思う。いい大人が1か月以上も集団生活を送るのだ。よほど気心の知れた相手でなければ、四六時中一緒にいたのでは疲れてしまうことだろう。何気ない場面だけれども、こういう描写にリアリティを感じる。
 
 宮崎での合宿、そして大会がスタートすると、今度は三塁ベースコーチとしての高代の眼と腕が前面に出てくる。これも本書の肝だ。
 どの試合のどの場面で、どの走者のスタートが遅れたことがどういう結果をもたらしたか。どうすれば自分は失敗を防げたのか。ある局面で本塁突入を指示し、別の局面で止めたのはなぜか。相手外野手の肩をどう評価していたか。テレビで見ているだけではなかなか判らない(いや、球場で見ていても判るとは限らない)、微妙なプレーと判断の機微が、試合の行方を左右していく。まさに「三塁コーチが見た侍JAPAN」(サブタイトルの一部)である。高代が書く三塁コーチ論をぜひ読んでみたい、と思わせる。ま、ご本人はまだまだコーチとして仕事を続ける意欲たっぷりだろうから、本当に肝心なことが書けるのはずっと先になるのかも知れないが。

 高代にはもうひとつ、守備コーチとしての仕事もあった。
 合宿に集まった内野手たちからアドバイスを乞われて、それぞれに対して課題とその解決方法を教える場面は圧巻といってよいが、白眉は何といっても村田への指導だろう。

 WBCを見ていて驚いたことのひとつが村田の守備だった。決して上手ではなく、そもそも本人がまともに意欲を持っていなかったことは確実(昨年末のテレビ番組で、広島の東出から「広島遠征では毎晩焼き肉屋に通っているから、3連戦の3日目あたりには明らかに守備の動きが悪い」と指摘されて、「今は食べたいものを腹いっぱい食べたい」と居直っていた)だった村田が、厳しい打球に飛びついて、しばしば危機を救っていた。本書では、原監督と高代が、村田の意識を変えて練習に取り組んでいく様子も記されている(横浜の指導者はこれまで何を教えてたんだろう、という気もしないでもないが。こういうことをきちんとさせられないのが弱いチームなのだろうな)。
 
 高代のノックの巧さが、USAで行われた第2ラウンド以降、現地のメディアに絶賛されていたという話は、大会当時も話題になっていた。本書でもその件が紹介されている。練習試合を行ったサンフランシスコ・ジャイアンツのベンチコーチが、守備理論を聞くために高代を訪ねてきた場面も興味深い。ベテランのベンチコーチを感服させる高代も見事だし、日本人にわざわざ教えを乞うコーチも立派だ。

 もちろん、ひとり高代だけでなく、原監督をはじめ伊東、山田、篠塚ら、それぞれのコーチに、それぞれのWBC物語があることだろう。彼らのような指導者がチームを支えていたこと、そもそも高代のような指導者がいること自体が、日本野球の強みなのだろうと思う。
 高代は法大ー東芝と進んだ後にドラフト1位で日本ハムに入団、日本ハムで10年、広島で1年の現役生活を過ごして引退。そのまま広島でコーチ生活に入り、90年から昨年まで19年間コーチ業をしてきた。現役時代から守備と走塁に定評のある内野手だったから、もともとそれらの技術については思考と実践を重ねていたのだろうが、人に教えるとなればまた別だ。
 本書は、優れたコーチとなった高代の仕事ぶりをWBCという特殊な大会を通じて描いたものだが、そこに至る過程、彼がいかにして優れたコーチとなったかについても興味が湧いてくる。
  
 
*
亀井義行の選考については、本書によれば高代自身が推挙したという(昨年末にテレビ番組に出演して、亀井の守備を高く評価したこともあった)。このblogで議論になったこともあるので、該当部分を引用しておく。

<問題は、外野の守備がための選手の是非だった。
 外野担当の緒方コーチも、そこは決めかねていたようで「例えば逃げ切りたいときに、どうしますか? 青木、イチローに代打はないですよね。福留に代打はあるかもしれません。その場合、守りはどうしましょうか」と全員に問題提起した。
 私は「亀井義行はどうか」と推薦した。
 色眼鏡で見られる巨人の選手、しかも実績には欠ける。だから、原監督や緒方ら巨人のスタッフにしてみれば、自分のチームの選手を推しにくかったのかもしれない。しかし、私は、敵チームである中日の三塁コーチャーズボックスに立っていて亀井は嫌な外野手の一人だった。肩と、打球を処理してからの動作の速さに関して言えば、全盛期の高橋由伸にもヒケを取らないレベルにあると感じていた。
 最終メンバーまで亀井が入ったことに「巨人だから選ばれた」という批判があったみたいだが、内情は違う。これは亀井の名誉のためにも特記しておきたいと思う。>

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夢枕獏「東天の獅子/天の巻・嘉納流柔術」(全4巻)双葉社

 夢枕獏は「魔獣狩り」で売り出した頃に何冊か読んだが、熱心な読者ではない。格闘技については、経験もないし、熱心な見物人というわけでもない。格闘小説についても然り。

 というわけで通常なら守備範囲外の本書だが、講道館柔道の始祖・嘉納治五郎について少し調べたことがあり、以来、関心が持続していた。講道館の草創期を描いた小説と知って手に取ってみた。

 単行本4冊を、一週間もかからないうちに一気に読み切った。それほど面白い。
 戦後、木村政彦がブラジルで前田光世の弟子と闘うプロローグに始まり、嘉納が講道館を創設した頃から、その名を天下に知らしめた警視庁武術大会での他流派との戦いあたりまでを描く。史実に基づいた小説、という形をとっているが、相当によく史料を調べていることを伺わせる。

 いわゆる講道館四天王をはじめ、九州や千葉の古流柔術家たちのキャラクターの強烈さ、その魅力は、著者が後書きで書いている通り、<時代小説の剣豪もの>の趣がある。格闘場面の迫力には凄まじいものがあり、互いに人体を破壊していく描写には紙面から目を背けたくなるほどなまなましいけれど、同時に、彼らがその凄絶な戦いを通して自分を、互いを見出していく喜びが存分に描かれている。

 嘉納治五郎が、彼のよき理解者であり後援者でもある勝海舟に<この時代遅れの柔術が、鉄砲より優れているものを持っているのです>と語る場面がある。

<敵である相手を敬い、相手のことを思いやる気持ちです>

<銃で、離れたところから相手を撃ち殺すのでは、絶対に伝わらぬものがあります。互いに、相手の身体に触れ、相手の力や技をその身に受けることで、相手がこの日のためにどれだけの研鑽を積み、どれだけの努力をしてきたのか、それがわかるのです。それは、自分がやってきたことだからです。自分と同じものに、相手も耐えて、そしてこの場に立ち今自分と向きあっているーーそれがわかれば、それは、自然と相手への尊敬の念にかわりますーー>

<今、西洋から、海を越えて新しいものや新しい考え方が、この国が消化できぬほどの速さで入ってきています。その時、わが日本国が忘れてならないのは、この日本人の精神です。そのためにも、今、柔術が必要なのですーー>

 この精神が、夢枕が描く試合場面のすべてに通底しているのだろう。だから、どんなに凄惨な戦いにもカタルシスがある。

 この対話の中で、嘉納は勝から<おまえさんが、新しいことをやろうってえ言うんなら、そいつを、新しい名前で呼ぶのがいいかもしれねえ>と、「柔道」の名を贈られる(もちろん、史実ではなく著者の創作だと思うが(笑))。
 
 
 当blogの講道館柔道に対する関心事は、前述のエントリの経緯から、主に嘉納の政治力にあるのだが、もちろん著者の関心は格闘にあるので、政治力方面の記述はほとんどない(二度の警視庁武術大会をクライマックスとしているので、話がそこまで行っていないせいもある)。
 ただ、講道館が初めて武術大会に参加するにあたって、投げ技での一本を認めさせる、といういきさつが描かれている。当時の柔術界では、投げ技は寝技や絞め技に持ち込むための過程と考えられ、投げだけで決着がつくことはなかった。しかし、講道館だけは、投げ技によって勝敗が決まるというルールをとっていた(野外で戦い、固い地面や岩に投げつけられれば、それで戦闘能力は失われる、という理由による)。
 嘉納は大会の前に警視総監に談判し、野外であったら戦闘能力が失われるであろう投げられ方をした場合は一本と認める、という合意を得た。これもまた、畳の外での戦いであることは言うまでもない。
 
 
 講道館以前の柔術は、流派の技は門外不出であり、相手の知らない技を持っていることが有利になる世界として描かれる。また、それまで本土ではほとんど知られていなかった琉球空手に接した時の柔術家たちの反応も興味深い。
 
 つまり、この時期の柔術(柔道を含む)は、それ自体が総合格闘技であり、他流派との試合は異種格闘技戦と捉えることができる。
 著者はあとがきでこう書いている。

<このところ柔道はJUDOとなって、嘉納治五郎が始めた頃、頭に思い描いたものとは大きくかけ離れたものになっている>
<柔道には、歴史の中に消えていった、あるいはゆこうとしている多くの古流柔術に対する責任があると思うのである。
 柔道が、世界に広まるためにJUDOとなってゆくのはしかたがないとしても、それとは別に、一年に一度か、二年に一度くらい、当時の柔術に近い柔道のルールを作って、講道館で大会を開催していただきたいと思っているのである。誰でも、どの競技の人間でもこれに参加できるものになればいいと思っている。当然、ぼくにとっては、こちらの大会の方がオリンピックよりも上位概念となる。
 そうでないと、日本柔術の多くの技や形、精神までが滅んでしまうのではないか。>

 柔道とJUDOは違う、という表面的な言葉は多くの柔道家と似ているが、夢枕のベクトルはたぶん彼らとは逆方向を向いている。「柔道」という世界に引きこもるのではなく、JODOをも飲み込んだ大きな概念として柔道を捉えている。
 それは魅力的な考え方だ(実際にやる人には大変だろうけれど)。そして、嘉納の歩んだ道は、夢枕の考えに近いのだろうと思う。

 あとがきによると、本書は次の4つの小説の構想をのみこんだものになるらしい。

1)講道館創成期の物語
2)明治大正における、日本にやってきた外国人格闘家との異種格闘技戦の物語。
3)コンデ・コマこと、前田光世の物語(『東天の獅子』)。
4)コンデ・コマ以外の、海外へ渡った日本人格闘家の物語。

 3)を書くつもりで始めたら、1)の部分が膨らみすぎて、とりあえずそこまでで区切りをつけたのが、この「天の巻」4冊。2)3)4)は、いずれ「東天の獅子/地の巻」として書かれるという。私は特に4)に関心がある。
 数多くの連載を同時進行させ多忙を極めているであろう作家のことだから、いつになるのかわからないが、「地の巻」を楽しみに待つことにする。

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カルラス・サンタカナ・イ・トーラス『バルサ、バルサ、バルサ!』彩流社

 FCバルセロナの本拠地カンプ・ノウ・スタジアムのバックスタンドには、MES QUE UN CLUBというカタルーニャ語の文言がくっきりと記されている(正しくはMESのEの上に’がつく)。
 英語でいえばMORE THAN A CLUB。「単なるクラブ以上のもの」という意味だという。
 これはこのクラブの標語のようなもので、FCバルセロナ周辺のいろんなところで目に付く(たとえば公式サイトのクラブ名の下にも記されている)。

 「単なるクラブ以上のもの」とはどういう意味か。なぜFCバルセロナは「単なるクラブ以上のもの」なのか。
 そんな疑問に回答を与えてくれるのが本書だ。

 日本語版の副題が「スペイン現代史とフットボール 1968〜78」。原題は、直訳すると「バルサとフランコ体制 カタルーニャにとって決定的だった数年間の年代記(1968〜1978)」という意味になるという(訳者の山道佳子が、なぜこういう邦題をつけたのかはよくわからない)。そのへんからもわかるように、これはスポーツライティングというよりは歴史書だ。
 スペインにおいて、バルセロナを州都とするカタルーニャ州は、独自の歴史と文化、言語を持つ地域で、今も独立を志向する動きがある。FCバルセロナは、そんなカタルーニャの地域性を代表するサッカークラブでもある。
 バルセロナ大学地理歴史学部教授で現代史が専門の著者は、クラブにまつわる豊富な史料と当事者たちへのインタビューに基づいて、FCバルセロナがいかにしてカタルーニャの地域性を代表するに至ったかを描き出す。

 20世紀初頭の内戦の後、フランコが独裁体制を築くと、スペインはマドリードを首都として中央集権化した。フランコが率いた反乱軍にとっての敵対勢力、共和国側の拠点だったのがバルセロナだった。そのためか、フランコ独裁体制が確立すると、カタルーニャは政府から強く危険視され、当初はカタルーニャ語を用いることも、自治を要求することも禁じされていた。

 そんな状況下で、カタルーニャの人々が公然とカタルーニャへの愛国心を発露することのできた数少ない(もしかすると唯一の)場が、FCバルセロナのホームスタジアムだった。FCバルセロナの会長ジュアン・ラポルタは日本語版への序文に、フランコの独裁体制下について、こう書いている。
<民主主義やカタルーニャ主義といった価値にとって、私たちのクラブが数少ない避難所のひとつとなった時代>

 とはいうものの、スポーツやサッカーの世界が政治から自由だったかといえば、そんなことはない。内戦以前はプライベートな活動だったスポーツは、フランコ独裁体制下では、独裁政党ファランヘの「国民スポーツ局」によって管理されることになる*。国民スポーツ局は各競技連盟の会長と副会長の任免権を握り、会長は地方連盟の会長・副会長を指名するという中央集権体勢がスポーツ界にもできあがった。

 そして、その体制の下では、FCバルセロナは何かにつけて連盟から苛められ、タイトルがかかった重要な試合では必ず審判がバルサに不利な判定を下し、外国人の獲得などのクラブ運営においても不利な裁定を下されることが多かった、とバルセロナの人々は考えている。逆に、常に優遇されたのが首都のクラブ、レアル・マドリードだ。この本を読むと大抵の人はレアルが嫌いになるだろう(笑)。
(もっとも、英国人フィル・ボールがスペインサッカー事情について書いた『バルサとレアル』では、それらはあくまでカタルーニャ人の主観的な見解とされている)

 だから、ラポルタがいう<避難所>は、決して安全かつ安泰な場であったわけではない。バルサが<避難所>たりうるために、歴代会長や役員たちは絶えず戦わなければならなかった。本書は、彼らがいかにしてクラブのカタルーニャ性を拡張してきたか、いかにして政府や連盟の抑圧と戦ってきたかを、過去の新聞雑誌や関係者たちの書簡、そして直接の証言などをもとに明らかにしていく。

 ピッチの上でのプレーについてはほとんど記されていないけれど、唯一ヨハン・クライフだけはクラブ史上の重要人物として登場する。
 それまでスペインリーグでは外国人選手は中南米のスペイン移民の子孫に限って許されていたが、実際には抜け道はいくらでもあったらしい。しかし、他クラブと同じように書類をでっちあげて移民の子を装わせた選手の獲得を却下されたことから、バルサはスペインフットボール連盟に国籍制限の撤廃を働き掛けて、ついに実現させた。
 そんな経緯があるだけに、意地でも世界一の選手を、と狙ったのがクライフである。1973年のシーズン途中に加入したクライフはすぐに大活躍し、クラブを13年ぶりの優勝に導いて、FCバルセロナの名を世界に轟かせた。まもなく生まれた長男につけた名前JORDI(ジョルディ)はカタルーニャ人にとても多い名でもある。クライフが今なおバルセロナで特別な存在であるというのも、わかる気がする。

 75年にはフランコがこの世を去り、スペインでは王制復活と民主化が進んでいく。カタルーニャは自治を取り戻す。以来30年、FCバルセロナは今も「単なるクラブ以上の存在」としてそこにある。今では、ユニセフへの支援と結びつき、貧困に立ち向かうクラブ、という意味合いも帯びているようだ。


 以上をお読みいただければわかるように、これは「スポーツに政治を持ち込んだ」クラブの歴史である。スポーツに政治を持ち込むのが悪なのであれば**、FCバルセロナは厳しく非難されるべきだろう。事実、独裁政権下でのバルサは、そのような批判を何度も受けている。そのような事実をどう捉えればよいのだろう。
 著者のサンタカナは「はじめに」の中で次のように書いている。

<スポーツの世界には、政治とスポーツは混同すべきではないと力説する指導者たちが多くいることを私は知っている。(中略)多くの場合そこには、民主体制の到来のために指一本さえも動かさなかった人たちの名前が連なる>
<スポーツへの政治の介入に反対する人たちは、実際のところある特定の「政治」に反対しているのであって、あらゆる政治、たとえば自分たちの「政治」はそれには含まれないのだ。>(P.9)

 本書の日本語版の刊行は2007年6月、原著は2005年にカタルーニャ語で出版されているから、著者がこれを書いた時には、2008年春に北京五輪の聖火リレーが走る先々で起こった出来事など知る由もない。
 けれども、このサンタカナの言葉は(とりわけ後半は)、「政治をスポーツに持ち込むべきではない」と言い続ける中国政府に対して、そのままあてはめることができる。

 本書を読めば、たいていの人が「バルサ万歳! カタルーニャ万歳!」と叫びたくなると思うけれど(私も多少なっている)、冷静に考えれば、スポーツクラブがこのようにエスニシティや愛国心と直結することを全面肯定してよいものかどうか、というためらいが私にはある。権力者がスポーツに政治を持ち込むのはダメだが反権力ならいい、というほど単純な整理もしづらい。例えば、木村元彦が描いてきたユーゴスラビア・サッカーにおけるクラブ愛と愛国心との結びつきのうち、どれが権力でどれが反権力か、などという判別ができるだろうか。

 ただ、たぶんこういうことは言えるのではないかと思う。
 フランコ政権のようにスポーツを政治の道具として利用しようとした者は、しばしばそこから強烈なしっぺ返しを食らう***。
 スポーツが帯びている政治性は、小賢しい知恵で利用できるほど生やさしいものではないのかも知れない。

*
1992年のバルセロナ五輪の際にIOC会長だったファン・アントニオ・サマランチ(本書によると正しくは「サマランク」だそうだ)は、この国民スポーツ局長を務めていた。バルセロナ出身のカタルーニャ人ではあったが、中央政府内での自身の立場を守るためにカタルーニャには冷淡に振る舞った人物、という印象を本書からは受ける。

**
わたし個人の中にはスポーツに政治が介入することに対する強烈なアレルギーがあった」と書いたスポーツライターがいるが、彼は一時期バルセロナに住んでいたはずだ。FCバルセロナが備えているこれほど強烈な政治性については何とも思わなかったのだろうか。不思議だ。

***
中国政府も以前、サッカーのチベット代表チームがデンマークで試合を行うことを阻止しようとして、かえってデンマーク全土に試合の開催を宣伝してしまったことがある。詳しくはこちら。今回の聖火リレーの経緯を見ると、彼らはデンマークでの出来事から何も学んではいないようだ。

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ベッテ/シマンク『ドーピングの社会学』不昧堂出版

 著者のカールーハインリッヒ・ベッテはハイデルベルク大学スポーツ科学研究所所長、ウヴェ・シマンクもドイツの社会学者。原著は1995年刊行、「近代競技スポーツの臨界点」というサブタイトルをつけた日本語版は2001年に刊行されている(木村真知子翻訳)。

 いわば一昔前の本のはずなのだが、古さを感じさせない。いや、ドイツや欧州ではすでに古くなっているのかも知れないが、日本ではたぶん1995年よりも現在の方が、この内容にリアリティを感じる読者が増えているのではないかと思う。日本のスポーツを取り巻く状況が、良くも悪くもヨーロッパに近づいてきた、ということかも知れない。

 まずは目次。

序章 ドーピング問題への社会学的アプローチ

第一部 競技スポーツの構造的ダイナミズム

第1章 無限の勝利コードと酷使される身体

第2章 周囲からの煽り

第3章 選手生活の罠

第二部 構造の結果としてのドーピング

第4章 社会的産物としてのドーピングの定義

第5章 不当なイノベーションとしてのドーピング

第6章 ドーピングへの罠

第7章 社会の競技スポーツ離れ

第三部 競技団体の問題解決策

第8章 ドーピング撲滅策とその難しさ

第9章 ドーピング問題の無視・もみ消し

展望 競技スポーツの自己変革に向けて

ドーピングに関する本はいろいろ刊行されているが、その多くは“汚れた実体を暴く!”という類のノンフィクションだ。「ドーピングはけしからん」「スポーツからドーピングを追放すべきだ」と言い切ってしまえば話は簡単なのだが、そういう正義感だけでは割り切れない何かがある、というのが、喉に刺さった小骨のように、私の中ではずっと引っかかっている。話を簡単に済ませたところで、現実のドーピング問題が解決するわけではない。

 本書では、そんな「割り切れない“何か”」を、実に丹念に掘り下げている。著者たちは過去の豊富な研究や文献に基づいて、ドーピングがいかにして生まれ、行われているのか、当事者たちとスポーツを取り巻く環境はドーピングをどのように見なしているのか、といった事柄を論じる。私がこのblogのエントリやコメント欄で示してきた疑問や議論の多くは、すでに本書の中で、ずっと高く深いレベルで論じられている。

 目次を眺めてもわかるように、著者たちは、スポーツ界にドーピングが蔓延する根本的な原因を、競技スポーツが置かれた構造にあると考えている。

 オリンピックのような競技大会における勝利の価値が高まるにつれて、競技レベルは高まり、勝つために選手は練習量を増やすことが求められる。それはスポーツ選手の職業化、さらには選手のみならず、彼をサポートするスタッフ集団“チーム○○”の出現へとつながっていく。

 また、スポーツ大会への人々の注目が高まるにつれて、政治・経済・メディアはそれぞれにスポーツを支援し、スポーツはそれらから主として財政的なサポートを得る。

 そうやって、ひとつの勝利に多くの人々の利害が絡むことになる。だが、マーケティングやビジネスのシステムが精緻な塔のように積み上げられたところで、それらが乗っている基盤は、選手の生身の身体という、いつ崩れるかわからないものなのだ。

経済行為としての投資は、必然的に配当を求める。が、スポーツにおける勝敗とは本質的に不確定なものであり、投資-配当という概念とは相容れない。その相容れないものを、あえて投資-配当の枠組みに押し込めようとする欲望が、勝利の確実性を高める圧力と化す。

つまりドーピングとは、不確定な勝利を少しでも確実なものにするための方法のひとつなのだ。かくして選手自身にとっても、周囲の利害関係者(本書では身も蓋もなく「取り巻き」と表現される)にとっても、ドーピングは有益な手段とみなされる。

 本書の中で特に興味深く感じたのは、ドーピングの定義をめぐる議論だ。

 ドーピング・コントロールの動きは、まずドーピングの本質的定義を定めようとするところから始まる。

1963年特にプロ自転車競技のドーピング・スキャンダルの後、欧州会議はもっと包括的で威力のあるドーピング定義を行った。すなわち「ドーピングは、人為的で不公正な競技成績向上を唯一の目的として、人体にないすべての物質を、あるいは生理的物質であってもそれを異常な形や異常な方法で、健康な人間に施したり用いたりすることである。さらに選手の成績向上のための心理的処方もドーピングと見なされなければならない」(Sehling u.a. 1989:18から引用)と。>P.116

 しかし著者たちは、その本質的定義がいかにして論破されてきたか、どれほど成り立ちがたいものであるかを、身も蓋もなく記している。かなり長くなるが、面白いのでかいつまんで引用する。(以下はP.116-121から)

<この定義は、ドーピングの本質規定にとって後々尾を引くことになるすべての要素を含んでいた。本質規定の決め手になる言葉は《不公正》と《非自然性》である。>

 では、競技スポーツからすべての不公正を排除することができるのだろうか。著者たちは2つの点から否定的だ。

<第一は、周知のことであるが、どんなトレーニングを始める前にも人間の身体的・心理的諸前提は依然として非常に違っているということである。>

<第二に、トレーニングにいろいろな人が関わって工夫に工夫を重ねた結果、不平等が生じることがあるのに、試合ではその点が甘く見られる。>

<勝ったのは、より優秀な選手ではなくてより良好なインフラ構造であったとしても、そのことに何の憤りも発せられないのである。それなのにこのような取り巻きの支援やインフラ構造の不平等をドーピングで是正しようものなら、奇妙にもそれはたちまち《競技スポーツの理念》に反することとされてしまう。>

24時間を競技のために捧げられる選手と、仕事の傍ら競技を続ける選手。コーチ、トレーナー、栄養士などの「チーム○○」に支えられた選手と、自分1人で練習方法を考えながらやってきた選手。この両者の間に「公正」が存在するといえるだろうか。

 そして、著者たちは、ラディカルな思考実験によって「不公正だからドーピングは禁止」という考え方にとどめをさす。

<試合の参加者全員が同じだけドーピングをしたら、どうだろう。機会均等をアンフェアに損なうものだとしてドーピングを追放する試みは、たちまち挫折するだろう。>

 となると、残るは「非自然性」=「不自然性」だ。しかし、これも突き詰めていくとおかしなことになる。

 誰しも思い当たるであろう健康への悪影響を理由にドーピングを定義することは、実はなかなか難しい。

 

<第一に、ドーピングなら何もかも健康に悪いというわけではないからである。その一方で、ドーピング以外で認可され実践されている種々の競技力アップの方法にも有害な結果を引き起こす可能性はかなりあるのである。>

 また、そもそも「選手の健康のため」という理由で禁止事項を設けること自体に問題がある、という。

<選手のためだとしたり顔で庇護者を気取るのは明らかに越権であり、近代になって大きな意味を獲得した個人の自律という理念に逆行する。>

 というわけで健康問題は理由にならない。

<そのかわりに、関係者は《不自然性》を《人為性》と結びつけようとした。>

 しかし、「人為性」というキーワードにも無理がある。

<ここで挙げてきた競技力向上のファクター(引用者注:コーチ、設備、トレーニングやメディカルケアなど)は、選手の社会的環境に由来し選手自身に由来するものではないという意味で、禁止されている薬理学的物質と同様に《人為的》である。それにもかかわらず、薬物の場合は誰もが不正な競技力向上だと考え、すでに実施されているトレーニング方法の場合は誰もそう考えない。>

 つまるところ、ドーピングの本質を定義することは事実上不可能となった。かくして、アンチ・ドーピング運動は、いつ果てるとも知れない禁止薬物リストを作ることに力点を移していく。

 しかし、禁止薬物が指定されるということは、そこに載っていなければ何を使おうと処罰されることはない、ということでもある。

<本質的定義は、曖昧で大した威嚇力もないから有用ではなかった。それに対して列挙的定義は、たしかにそれなりのコントロール力があり警告的である。しかしそれは他方で、何の良心の咎めもなく工夫を凝らしてドーピング禁止と渡り合おうという気にさせる挑発を暗に含み込んでいる。>P.127

 結局、ドーピング・コントロールの試みは、禁止薬物の証拠隠滅方法や新たな薬物を開発しようとする側と、それらを発見し禁止リストに加えようとする側との、果てしない競争となる。ただし、前者は成功すれば莫大な報酬に結びつくけれど、後者はどこまでいっても莫大な費用を使い続けるばかり、という条件の差が、完全なコントロールの実現を絶望的なものにしている。それが95年に書かれた本書の現実認識だ。13年後の今はどうなっていることだろう。

 このほか、選手たちがドーピングに走る心理や、利害関係者たちがいかにしてドーピング共同体を形成し、事態の発覚を妨害してきたか、についての記述は、ほとんど固有名詞が出てこないにもかかわらず、きわめてなまなましく描かれており、背後に豊富な実例とその研究・報告の存在を思わせる。

 ドイツはドーピングに関してはいささか特殊な立場に置かれた国だった。かつては共産圏のドーピング大国・東ドイツと対峙して、その卓越した成績と比較される立場に置かれ、後には東西統一によって、その国のスポーツ界を受け入れることになった。ドーピングに関する経験も問題意識も研究も、他国に先んじているとしても何の不思議もない。そんな国の研究者たちだからこそ書きうるようなリアリティが本書の随所から感じられる。

60年代以降、勝利コードの無限上昇性と停滞気味の選手の身体性の間に横たわる溝を何とか埋め、国際的な舞台で自国の選手たちが活躍できるように最適化する試みが始まった。この時から走り出した科学化の趨勢は、このような背景とともに理解されるべきである。>

<国際的な競技スポーツの舞台で敗北を喫し、それがきっかけでスポーツの専門的知識が切に求められた、ちょうどその時期に、西ドイツではスポーツ科学が分化独立し軌道に乗せられたのである。西ドイツ・スポーツの《スプートニク・ショック》は1968年メキシコ・オリンピックの時に起こった。この時、はじめて東と西に分かれてドイツ選手団は出場したわけであるが、東ドイツが圧勝したのである。>P.40

 この文脈の中では、批判する人はほぼいないと思われる科学的トレーニングとドーピングの差は、ほんのわずかなものでしかない。

 このようにして本書では、ドーピングがいかに現在の競技スポーツがおかれた社会的環境と構造的に結びついているか、いかに排除が困難かということを繰り返し論じている。当然ながら、明快な処方箋を与えてはくれない。

 ただし、ドーピングを防ぐための唯一にして決定的な鍵は、本書の中にも示されている。

それは、観客の存在だ。

<スポーツ行為は身体が関わるので、視覚化しやすい。その点で、スポーツ行為は後追いしやすい行為である。この目で見ることができるということがまさに観客を惹きつけるのである。観客は何が起こっているのかを見て自分で判定することができる。>

<クラブや競技団体の舞台裏で何が起ころうとも、スタジアムでは観客の目の前で誰が優れ誰が劣っているのかが決定される。

 ドーピングの暴露はまさにこのような観衆の期待を裏切る。>P.213

<競技スポーツに対する世間の感性がパラダイム変換を遂げてしまうと、それは取り巻きたちの競技スポーツ離れへとつながっていく。というのも、取り巻きたちが競技スポーツで得る利益は《潔白》なスポーツ像に依存しているからである。問題はドーピングが存在することにあるのではない。それは選手自身が担うことである。政治・経済界にとってはドーピングが風評になることだけが問題なのである。風評になると、組織スポーツはスポーツ外の関係グループとの取引の際に大きくものをいうはずの不可欠の潜在的魅力を失ってしまうのである。

 ドーピングは、大衆がスポーツに寄せてきた興味を駆逐する。>P.222

 政治・経済・メディアが一体となってスポーツを支援し、そこから引き出してきた利益の源泉は、ひとえに、多くの人々がスポーツに強い関心を抱いている、という状況に依存している。その前提がなくなれば、このシンジケートは崩壊する。

そして、スポーツを好む観客の多くは、上述のようなドーピングの本質的定義がいかに論理的に成立困難なものであろうとも、それらを飛び越えて、理屈抜きでドーピングを嫌っている。観客がドーピングを是認しない限り、選手や利害関係者たちは、どう言いつくろったところで、彼や彼女を応援している観客を裏切っているのであり、それが発覚すれば、選手はすべてを失う。

 ドーピングに一定の歯止めをかけることのできる最後の障壁、それは、「嘘だといってよ、ジョー」という昔ながらの少年の無垢な一言なのかもしれない。少年少女がいつまでも無垢でいてくれればの話だが。

 最初の方にも書いた通り、これまで当blogのエントリやコメント欄でドーピングについて触れてきた問題の多くが、本書では整理されて深く議論されている(答えが与えられている、というわけでは必ずしもない)。

 ドーピングの歴史や具体的事例はあまり記されていないけれど、ドーピングについて考える上での筋道を手に入れたい人にとっては絶好の入門書である。この夏、北京で起こるかも知れないいくつかの出来事を理解する上でも、下の「オリンピック全大会」とともにお薦めする。

関連エントリ

ホゼ・カンセコ『禁断の肉体改造』ベースボール・マガジン社

「756*」。

ミッチェル・リポートのざっくりした感想。

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加藤仁『宿澤広朗 運を支配した男』講談社

 サラリーマンの退職後の人生を延々と書き続けている加藤仁がなぜ宿澤を?というのが疑問だった。読み終わっても、加藤が宿澤の人生を書くに至った動機や経緯は、よくわからない。月刊現代に掲載された短期連載がもとになっているというから、現代編集部からの依頼だったのかも知れない。
 だからといって本書がつまらないということはない。ラグビーにも銀行にも門外漢の私にも興味深く読めたし、加藤だからこそ書けた、と感じる部分もある。

 スポーツブログ的観点では、宿澤といえば早稲田ラグビー部の名スクラムハーフであり、日本代表監督としては今のところ唯一のワールドカップの勝利、今のところ唯一のスコットランドからの勝利を日本にもたらした名将でもある。ラグビー協会の強化委員長を務めた時期もあった。
 と同時に住友銀行(現在は三井住友銀行)でもスピード出世を続けて、急逝した昨年6月の時点で専務取締役執行役員。将来の頭取候補と目されるところに位置していた。
 加藤の関心はラグビー以上に銀行にあったようで、銀行員としての仕事ぶりがそれぞれの段階において、当時の上司や同僚、部下の豊富な証言によって詳しく記されている。そこに描き出される宿澤は、ラガーとしての生き方と銀行員としての生き方に齟齬がない。堂々と王道を歩んでいた人だったのだということが伝わってくる。

 私はラグビーには詳しくないし、あまり興味もない。唯一強い関心を惹かれた人物が宿澤だった。ワールドカップで勝利を挙げた後で書いた「TEST MATCH」という本には強く感銘を受けた。その後、世界的なプロ化の波に洗われて日本のラグビー界が揺れ動き、成績も低迷、組織も混迷していても、いつかは宿澤が乗り出して見事に建て直すのだろうと漠然と思っていた。Jリーグ発足前後のサッカー界における川淵三郎のような役割を果たす人物がいるとしたら、宿澤を措いてほかにないのだろうと。

 だから、宿澤の訃報に接した時には本当に驚いたし残念だった。ところが本書には、それ以前に彼はラグビー協会を離れていたと書いてある。強化委員長を務めた後に追われるように理事を降り、協会を去った。しかも事務局から電話で解任の通告を受けたのだと加藤は書いている。これには衝撃を受けた(加藤の取材に対し、ラグビー協会の幹部たちははっきりそうと認めてはいない)。大友信彦がラグビーマガジンの宿沢追悼特集に寄せた文章によれば(孫引きになるが)、宿澤が強化委員長を退いた後、宿澤が委員会に集めたスタッフたちも任を解かれ、<能力本位で機能していた強化委員会は、特定の人脈が重用される御都合集団に変貌していった>という。ともあれ、ラグビー日本代表の監督人事がこの後、混迷をきわめていったことは、門外漢の私の目にも明らかだった。

 そのせいもあってか、加藤はラグビー界における宿澤の、ありえたはずの将来、果たすはずだった役割については多くを語らない。むしろ、宿澤がなるはずだったバンカー像を語ることに、より熱心であるように見える。
 確かに、本書に描き出された銀行家・宿澤の仕事ぶりは、今、私が日本の銀行に抱いているイメージ(それはたぶん多くの日本人が持つそれと共通していると思う)を大きく変えるような堂々たるものだ。ラグビーどころか日本の銀行界を変える人物になるはずだったのかも知れない、とさえ思わされる。

ただし一方で、本書の中で加藤は、磯田一郎や西川善文といった元頭取たちを宿澤の庇護者として好意的に描き、その後、彼らが世間からどのように見られるようになったかについては敢えて触れようとしない。
 それを考えると、宿澤は果たして銀行の中で、最後まで王道を歩む紳士でいつづけることができたのかどうか。いつかは悲劇的な齟齬をきたすことになったのではないだろうか、という苦い想像も、打ち消すことができずにいる。

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えのきどいちろう『サッカー茶柱観測所』駒草出版

 5月上旬だったと思うが、東京駅前のオアゾ丸の内の中にある丸善のスポーツ書籍売り場で平積みになった本書の上に、店員による手書きPOPが立ててあった。「奇蹟の書籍化!」はよいとして、締めの言葉は「文庫化や重版はないと思うのでお早めに」。褒めてるんだか舐めてるんだかよくわからない。

 週刊サッカーマガジンの読者はよくご存知の通り、本書はコラムニストえのきどいちろうが2002年ワールドカップの最中から2006年ワールドカップの少し後まで同誌に連載していたコラムをまとめたものだ。
 編集部の忘年会で隣り合わせた佐山一郎氏が口走った「サッカー界、握手多くない?」。「ならば」や「事実」というサッカー記事の常套句。「今日はワールド、やってるでしょう」と嬉しそうに話すおばあさん。OB系解説者が口にする「積極さ」と「有効的」の魅力。リモコンがいっぱいありすぎてテレビをBSに切り替えられない弱虫くんだらけのサッカーマガジン編集部。時代劇は「コタビ」ばかりだという南伸坊氏*。
 いや、これだけ抜き出しても暗号か呪文のようで、何の話かまるでわからないだろうけれど、著者は本職のサッカーライター並みに毎週毎週スタジアムでいろんな試合を観まくりながら、書いていることのかなりの割合がこんな感じだ。

 どうでもいいような小ネタを弄んでいるように見えるけれど、4年分の連載を通して読むと、さまざまなスタジアム、さまざまな階層のサッカーの試合に足を運び、尋常ではないほどサッカーにのめりこみつつ、常に自分とサッカーとの距離を測り続けている著者の姿が見えてくる。自分だけではなく、スタジアムの観客やサポーター、選手や指導者自身、テレビ視聴者、メディア人、通りすがりの普通の人まで含めて、さまざまな人や物事とサッカーとの微妙な間合いを計り、語ることが、この連載に流れる通奏低音だったような気がする。

 長年の熱心な日本ハムファイターズファンとして知られ、自分の持っているコラム枠やラジオ番組を勝手にファイターズ応援枠にねじ曲げたりして、誰よりも、と言いたくなるほどファイターズを愛していながら、著者の愛情は、例えば「ファイターズを悪く言う奴は俺が許さねえ」「来年は絶対優勝だ!」という方向には決して向かわない。贔屓チームの欠点も限界も誰よりも見えてしまっていながら、それも含めて丸ごとチームを愛し、そんなチームを、そして自分自身をも玩んでしまう、そんな距離感の絶妙さが、彼の書くものの最大の魅力だと私は思っている。
 対象に心底惚れ込むことと、対象と自身と世の中のそれぞれの間の距離に自覚的であることは、なかなか両立しづらい。そんな芸当をやってのけることを、観客席における成熟と呼んでもよいような気がする。

 本書のあとがきによれば、2002年大会の放映権を獲得したスカパーのスタッフが、このラジオ番組の愛聴者で「日本ハムを語るようにサッカーを語ってほしい」と口説いたことから「ワールドカップジャーナル」が誕生し、その番組のゲストにサッカーマガジンの当時の編集長を招いたことからこの連載が始まった。
 「それが今、サッカーに一番足りないものです」というスカパーの人の言葉が何を指しているのかは語られていないが、結果からいえば、日本のサッカーファンはいささか真面目にすぎるのではないか、という問題提起であったように思う(この発言があった2001年と今とは全く同じではないにせよ)。
 いや、真面目な人がいるのはもちろん結構なのだが、サッカー観戦者の全員が全員、「日本のサッカーのために俺には何ができるのか」なんて真剣に考えているというのもちょっと妙な気がする。腰の据わったサポーターと、代表戦のスタンドに大勢いるような浮動層、この両者の間にグラデーションを描いて、さまざまなスタンスの観客が生まれていくことが、サッカー愛好者の層の厚みであり、文化としての豊かさということになるのだと思う。そして、そういう面ではまだ日本野球にはサッカーよりも一日の長がある。
 そう考えると、この連載は「成熟した一野球愛好者のスタイルをサッカー界に移植する試み」であったのかも知れない**。それが成功したのかどうかはまだ何とも言えないが、本書が丸善のスポーツ棚担当者氏の予想を裏切って増刷されたり、魅力的な類書が登場するような日が来ればいいなと思っている。


 というところで綺麗に終わってもよいのだが、著者はこの春、サポートしていたアイスホッケークラブ、日光アイスバックスの役員になるという、まるで沢木耕太郎のような急展開を見せている。
 間合いの達人が、事もあろうにクラブの当事者、距離感ゼロのど真ん中に入ってしまったらどうなるのか。いずれはロジャー・カーンの『ひと夏の冒険』のようにこの体験を書いてくれたらいいなと思いつつ、当面は次のシーズンのアイスバックスを見に行こうと思う。寒いのはあまり得意ではないが、まあ何とかなるだろう。


*
これを読んでから『風林火山』を見るたびに笑いそうになる。確かに毎週1回や2回は誰かが難しい顔をして「コタビのイクサは」などと口走るのだ。

**
とはいうものの、あとがきによれば本書は著者の初めての「スポーツコラム集」らしい。えのきどの野球本がまだ世の中に存在していないというのは、日本野球、どうかと思う。自分で言っといてナンだが、この「一日の長」、かなり怪しくなってきた。

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小野寺歩『カーリング魂。』小学館

 発行は今年の3月末。トリノ五輪から1年1か月が過ぎ、新生チーム青森が国内外の大会に出場した06-07シーズンも終わろうという時期は、“トリノ本”を刊行するタイミングとしては決して早いものではないが、彼女の中で、この間のさまざまな出来事に整理をつけるには、そのくらいの時間が必要だったのかも知れない。
 トリノ五輪の女子カーリング日本代表チームのスキップが、自身のカーリング人生を振り返って記した本。トリノ五輪での戦いについても丁寧に記されており、大会中のどん底から押し返していく様子、精神面でのコンディショニングのあり方なども面白いし、カーリングという競技自体についての解説も懇切丁寧でわかりやすい。

 私がもっとも興味深く感じたのは、彼女の出身地である常呂町のカーリング環境や、青森に渡ってからの苦闘を描いた部分。
 「チーム青森」の母体であるべき青森市の存在感の希薄さは、トリノ五輪当時から気になっていた。わざわざ競技場を作り、五輪選手を招いたわりには、彼女たちの扱われ方がぞんざいなのだ。
 本書の中でも、優勝すればトリノ五輪代表に決まる2005年2月の日本選手権で準優勝に終わり、落胆して青森に帰ったら、駅には誰一人迎えに来ていなかった、というくだりが印象的だ(その2週間前、前哨戦の軽井沢国際大会で優勝した時には駅で花束が贈呈されたというのに…)。
 時系列でいうと、小野寺と林が青森市文化スポーツ振興公社の臨時職員に就職した時点では、青森にはまだカーリングホールも存在していない(青森市スポーツ会館がオープンしたのは2002年の暮れ)。2003年に冬季アジア大会が開催されているから、おそらくは大会のために作られた施設なのだろうし、その先の見通しなどろくに考えられてはいなかったのではないか。カーリングホールを作ってはみたものの、ホール自体も小野寺たちもどう扱ってよいのかわからずに持て余していたとでもいうような、「国体型ハコモノ行政」の典型的な歪みを感じる。

 そんな中で、少ないページ数ながらも小野寺が愛着たっぷりに記しているのが、青森での初年度のチームのことだ。
 目黒、寺田が北海道から青森の大学に進んで一緒にチームを結成したのは2003年の春から。02-03シーズンには間に合わないが、すでにカーリングホールはオープンしている。小野寺と林は、地元の澤田優嗣子、真人香という姉妹と「リンゴスターズ」というチームを組んで大会に参加した。元五輪代表2人と初心者2人、しかも1シーズン限定と決まっていて将来はない、という特殊な内情の中、チームは日本選手権3位に食い込む。小野寺は次のように書く。
<結成して、数か月しか経っていないにもかかわらず、この結果にチームは大満足でした。大会関係者からも絶賛されました。意気揚々、青森に帰ったのですが、予想外に冷たい反応もありました。
 「(予選リーグの)最初の四連敗はなんだったの?」
 「小野寺と林がいれば当然だよ」
 言葉を失いました。カーリングは四人でプレーします。五輪選手がふたりいても、澤田姉妹の力がなければ、三位入賞はなかった。彼女たちがメダル獲得の原動力になったことは、まぎれもない事実です。
 今、青森の関係者は『リンゴスターズ』の三位入賞のことを誰も覚えていないでしょう。あのとき、認めてもらえなかった悔しさをバネに、ふたりは今も頑張っています。>
<『リンゴスターズ』での日本選手権三位入賞は、林さんと私の大切な思い出であり、誇りです。>
 青森に対する、小野寺の屈託が感じられる文章というほかはない。

 とはいうものの、現時点での状況を調べてみれば、青森市もなかなか頑張ってはいる。高校生の全国大会を主催したり、普及にも力を入れているようだ。地元の新聞社が愛好者の大会を開催したりもしている。「リンゴスターズ」の一員だった澤田優嗣子は、選手として五輪を目指すとともに、地元高校カーリング部の顧問として指導にもあたっている。
 青森は、相撲や柔道では名選手を輩出しているし、スキーでも三浦雄一郎というスーパースターを生んでいるが、冬季五輪一般に送り出す選手の数は、雪国のわりに多くはない。カーリングのチーム青森は、小野寺と林が退いて編成が変わった今でも依然として県外出身者ばかりだ。
 そんな中、全国でまだ数少ない専用ホールと「チーム青森」の奮闘がもたらしたカーリング熱は、青森がスポーツで全国の注目を集める、めったにない機会でもある。このままカーリングが青森市に根付いて、自前の「チーム青森」を編成する日が来れば、小野寺たちの苦闘も、懐かしい思い出話として語ることができるようになるのだろう。
 現チーム青森のうちトリノ経験者の3人は、次の五輪の前に大学を卒業する。その時に青森市が彼女たちをどう処遇するのかは、さしあたり興味深い。

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暴走王・石川賢を悼む。

 今でもあるのかどうか知らないが、私が小学生の頃に、子供向けのテレビ漫画雑誌というものが創刊されて、仮面ライダーやらマジンガーZやらの人気テレビ番組をもとにした漫画が掲載されていた。原作の漫画からテレビ化された作品をさらに漫画化するという、考えてみれば妙な二次創作である。
 石川賢の名を初めて知ったのは、永井豪の漫画を原作とするそのような二次創作漫画の作者としてだったと思う。といっても、子供にはそんな複雑な事情はよくわからないから、「永井豪の漫画のバッタ物を描く人」というくらいの認識だったかも知れない。当然ながら、さほどの興味をそそられることもなかった。
(あとから考えれば、子供向け漫画としては異常な迫力で強烈な印象を残した『ゲッターロボ』の作者でもあったわけだが)

 その石川賢が化けた、と思ったのは、『魔界転生』を読んだ時だった。角川書店の単行本で書き下ろしだった。H.R.ギーガーに影響を受けたとおぼしき(違ったらごめんなさい)魔物の描写で画面を埋め尽くす密度が圧倒的であり、甦った魔人たちに立ち向かう柳生の忍者たちの人間離れした能力の凄まじさ、死にざまの見事さに感銘を受けた。
 もっとも、本当に驚いたのは後年、81年に作られた角川映画(深作欣二監督)を見たり、山田風太郎の原作を読んだ時だった。天草四郎が甦らせたいにしえの剣豪たちを柳生十兵衛が倒していく、という基本設定は一緒だが、物語の途中から石川版『魔界転生』は原作と関係のない筋道をひた走っていた。私がもっとも魅力的に感じた忍者たちの戦いは、ほとんどが石川のオリジナルだったのだ。

 続いて発表された『虚無戦史MIROKU』や『魔空八犬伝』、『スカルキラー邪鬼王』といった作品、あるいは『ゲッターロボ』の数々の続編でも、石川はその圧倒的な画力とパワフルなキャラクター、逸脱するプロットといった特徴をいかんなく発揮して私を魅了した。石川が創造するキャラクターは誰もが凄まじいエネルギーを抱えている。主人公は悩みも迷いもせずに力一杯突き進む底抜けに明るい快男児であり、それに味方するキャラクターのアクの強さは敵役たちに優るとも劣らない。思えば『ゲッターロボ』の主人公の1人、神隼人は狂信的な学生運動家で、高校生でありながら一部の校舎を支配し、離脱しようとする部下の顔に爪を立ててぐしゃぐしゃにいたぶるサディストだった。

 と同時に石川は、敵陣にも魅力的なキャラクターを配置する。二つの集団がぶつかりあうところに、さまざまな対決が生まれるが、どんなに窮地に追い込まれても不敵に笑う脇役たちの存在感は強烈無比で、とんでもない必殺技を繰り出しながら華々しく闘っては倒れていく。誰にでも一度は壮絶な見せ場を作ってやるのが石川のいいところだ。
 そんなキャラクターたちのエネルギーが物語を牽引し、本来予定されていたプロットをしばしば逸脱する。いや、石川作品では、敵と味方だけでは飽き足らず、どちらに加担するともつかない第三勢力や共通の敵が現れて、事態をさらに混乱に陥れる。それは作品としての欠陥ではなく、むしろ魅力のように感じられた。

 そのせいかどうか、大風呂敷を拡げるだけ拡げておいて、収拾がつかないままに終わる作品は多かった。数々の作品をひとつの世界観の中に再構築すべく、大幅加筆しながら『虚無戦記』と『ゲッターロボ』の選集が刊行されたが、それらを読んでも、結局何がどうなったのか私にはよくわからなかった。だが、そんな物語の結構などどうでもいいと思わせるだけの魅力が、石川の漫画にはあった。絵柄も物語も凄まじい勢いで加速しながら暴走する、その加速感こそが魅力だった。

 近年は『神州纐纈城』の漫画化など時代劇に重点を置いていた石川が急逝したのは昨年の11月。58歳の若さだった。手に取る気を起こさせなくなって久しい永井豪作品とは異なり、まだまだ高いテンションを保って作品を発表し続けた、現役そのものの作家だった。

 遺作となった『戦国忍法秘録 五右衛門』(リイド社)が、最近、発売された。
 石川五右衛門を伊賀忍者と設定し、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康ら戦国大名を登場させながら、例によって破天荒な設定とプロットで押しまくる。五右衛門の暴走する破壊力もいつもの通り。雑誌掲載時の第6話、単行本1冊分で中断し、未完のまま終わったことは惜しまれる、と言うべきなのだろうが、石川作品に限ってはそうでもない。プロットの途中で放り出されることには慣れている。彼自身はどうせ、どこか別の世界で、今も爆走する男たちの物語を生み出し続けているに違いない。

 昨年の秋、石川の訃報を聞いた時には何を書けばよいのかわからなかった。『五右衛門』を読んで、ようやく何か書こうという気になってきた。
 ごちゃごちゃと書いてきたが、本当に言いたいのはひとつだけ。

 これだけたくさんの無茶苦茶な作品を残してくれてありがとう、石川さん。

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吉井妙子『夢を見ない男 松坂大輔』新潮社

 入手してからしばらくは職場の机の脇に積んであった。たまたま手に取ったら面白いので、そのまま一晩で全部読んでしまった。ちょうど、松坂が初めてMLB公式戦に先発する夜のことだった。今は自宅で地上波しか入らないので生中継は見られない。そのまま眠って一夜明けたら、松坂はあっさり10三振を奪って初勝利を挙げていた。絶好調というわけではなさそうだが、坦々と投げて、当たり前のように勝つ。まさに彼が言う通り、「夢」ではない現実がそこにあった。

 タイトルの意味は、開巻まもなくレッドソックスの入団発表記者会見の様子を記した第一章で明かされる。<「大リーグ入りの夢が叶った今の気持ちを聞かせてください」>という米国人記者の質問への松坂の答えの中にある。
「僕はもともと夢という言葉は好きではありません。見ることは出来ても叶わないのが夢。僕はずっとメジャーで投げることが出来ると信じ、それを目標としてやって来ました。信じてやってきたからこそ、今ここにいられるのだと思います」
 夢を見るのでなく、目標を掲げてそれを目指す。著者は松坂から口癖のようにそう聞かされてきたと書く。各界の成功者の口からしばしば出てくる成功の要諦に通じるものがある。

 著者は朝日新聞出身のスポーツライター。中島悟や清水宏保についての著書がある。1人の選手を長期にわたって取材し続けることが多い。松坂に関しても週刊誌(確か文春)に聞き書きの連載を持っていた。
 スポーツライティングの世界には、有名選手や監督に長期間密着してさまざまな媒体に書いていく“食い込み系”ともいうべきライターが少なくない。そういう人たちが書いたものには、被取材者との親しさをひけらかすかのようないやらしさを感じたり、被取材者の言い分を無批判に垂れ流す“お筆先”っぽさを感じたりすることがしばしばあるのだが、著者の書くものにそういう匂いを感じたことはない。取材対象への大いなる敬意は明らかであっても、相手と一定の距離感を持ち、書き手の中で消化した上で読者の前に出してくる。そういう節度を感じる。誰を持ち上げるでもなく誰を貶めるでもない筆致は、読んでいて心地よい。

 プロ入り以降、私が松坂に抱いていた印象は、「有り余る素質を持ちながら、肝心なところで勝てない投手」だった。シドニー五輪予選と本大会、ジャイアンツとの日本シリーズ、近鉄との優勝争いの中で中村紀洋に食らった逆転ホームラン。桧舞台に立ち、自分の手で栄光を掴むチャンスを目の前にしながら、ことごとく敗れていた。何か精神面で問題があるのではないかと感じていた。
 だから、著者が本書で松坂のプロとしての意識の高さ、プライベートな場での周囲への気配りを称賛し続けることには、疑ったわけではないけれど、読んでいて若干の違和感を感じていた。
 だが、読み進むについれて違和感は氷解した。松坂といえども最初からそうだったわけではない。プロ入り後しばらくは、試合後にクールダウンもせず、高校時代の友人に誘われるとそのまま遊びに行って朝まで帰らない(酒は飲まないそうだが)こともしばしば、という若者だったという。それでもあれだけ勝っていたのだから呆れるが(笑)。

 そんな松坂を変えたのは2002年の右ヒジ痛による長期戦線離脱、そして、年上の恋人の粘り強く厳しい叱責だったという。つまり、今の彼の妻だ。著者は松坂のプロ入り1年目のオフに彼と知り合い、友人として付き合ってきたが、スポーツアナウンサーだった妻とも2002年のソルトレーク五輪で知り合い、その真摯な仕事ぶりに感銘を受けた(もちろん松坂の交際相手だということはその前から知っていたわけだが)。以後、それぞれから相談を受けたりしていたようで、2人の交際についても1章を費やして詳しく記している。
 どちらかというと妻寄りの目線で書かれているが、著者がそうなるのも無理はない。別に女同士だからというわけではない。妻にとって松坂との恋愛は二重の戦いだった。世間の厳しく嫌らしい目との、そして、自らの素質を大事にしない松坂大輔のメンタリティとの。何度も破局の淵に立ちながら、2人は危機を乗り越える。初の日本一、アテネ五輪でのキューバへの勝利、そしてWBCでの世界一という近年の松坂の栄光は、妻なくしては得られなかったに違いない、と本書を読んだ人なら誰もが感じるだろう。レッドソックスとの交渉の中で、ことあるごとに家族のことを口にしていたのも納得できる。

 順序が逆になったが、本書は、昨秋のポスティングからレッドソックスとの契約成立に至る経緯から始まる。かなり詳細に書かれていて、MLBのスカウティングや契約交渉についての、よいケーススタディの材料になりそうだ。松坂がなぜスコット・ボラスと代理人契約を結んだのか不思議だったのだが、それも納得できる。

 いろんな意味でバランスがよい本。この春は何冊もの松坂本が出版され、書店のスポーツ棚に並んでいるが、まずは選んで間違いのない1冊だ。

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平林岳『パ・リーグ審判、メジャーに挑戦す』光文社新書

 27日の朝、パイレーツの桑田真澄が三塁への悪送球に備えてファウルグラウンドに出ていったところで、突進してきた巨漢の主審と激突して跳ね飛ばされ、右足を捻挫する場面が、ニュース番組の中で紹介された。
 審判がこの位置を走ってきたのはこの試合が審判2人制か3人制で行われていたためで、日本のプロ野球ではまず起こり得ない動きなので、桑田にとって、そこに主審が走ってくるというのは、たぶん想像もしなかった事態なのだろう。不運としか言いようがないし、早期の回復を祈っている。

 短い映像を見ただけで審判の人数(実際には3人制だったらしい)に考えが至ったのは、数日前に本書を読んだばかりだったからだ。
 著者は元パシフィック・リーグ審判員。学生時代からプロ野球審判を志したが採用試験が不定期のためタイミングが合わず、アメリカのジム・エバンス審判学校を卒業してマイナーリーグの審判員になった。日本人では初めてだったという。その後、パの関係者に誘われて帰国、93年にパの審判員になった。99年に松坂大輔が初登板した時の主審が彼だったという。2002年まで勤めた後、再び渡米して2005年からマイナーリーグの審判員としてメジャー昇格を目指している。40歳を前に(今はもう四十路だ)薄給で過酷なマイナーからチャレンジする姿勢には頭が下がるし、世代の近い者として勇気づけられる。

 本書は、そんな著者が経験した日米両国のプロ野球審判員の違いや、審判から見たプロ野球の違いについて記されている。
 ルーキーリーグまで含めれば実質7軍まであるアメリカ野球の最下層からスタートし、ひとつひとつ階段を上っていく。ルーキーリーグと1Aでは審判2人制(1Aの中でさらに3つの階層がある)、2Aと3Aでは3人制で、4人制でやるのはメジャーだけだ。著者は昨年まで1Aの審判だったので、本書の中では2人制の体験談が書かれている。
(著者のblog オールド・ルーキー チャレンジ日記 によれば、現在は昇格したらしく、初の3人制に取り組んでいるようだ)

 アメリカ野球の審判について書かれた本で日本に紹介されたものといえば、1950年代に審判を目指した青年を描いた、爽やかでほろ苦い青春小説『コンダクト・オブ・ザ・ゲーム  大リーグ審判を夢見て』(ジョン・ハフ・ジュニア著/集英社)や、MLBの名物審判だったロン・ルチアーノが書いた『アンパイアの逆襲』*1(文春文庫)などがあったが、日本人の手で書かれたものはたぶん初めてだし、実体験としても、マイナーリーグの実態を記したものとしても、貴重な資料といえる(注)。また、著者以外にもアメリカでメジャー審判員を目指す日本の若者が大勢いるということも本書で初めて知った。さほど遠くない将来に、MLB中継で日本人の主審を見られる日が来る可能性は結構高そうだ。

 第一章では「審判から見たベースボールと野球」と題して、さまざまな局面でのルール解釈やセオリーの相違を紹介しつつ、その背景にある野球の捉え方の違いを分析する。同点で無死一、三塁の場面でゴロを捕球した三塁手がとるべき行動についての相違など、なるほどと思わせる。日米のストライクゾーンの解釈が異なることは知られていても、それが具体的にどう違うのか、そして、なぜそうなのかについても、たいへん明快に考えを記していて興味深い。本塁打を打ってもガッツポーズをしてはいけない等のUnwritten rule(不文律)についても詳しく書かれている。

 著者は<どちらが正しいということではない>と繰り返し書いているけれど、アメリカではこうだ、という強い調子の説明が続くせいか、読んでいるうちに「アメリカがそんなに偉いのかね」と、ちょっとした反感を覚えてしまった。
 著者はアメリカだけを一方的に礼賛しているわけではないし、観客優先の立場からアメリカではこうだ、という記述も多いのに観客である私が反感を覚えるというのは辻褄が合わない。私の了見が狭いのか、著者の文章に何かそう思わせる要因があるのか。
 ただ、日本のプロ野球における審判員の地位や処遇について著者が憤りを抱いていることは明らかで、それが強い調子の文章の遠因になっているのかも知れない。また、常に自己を主張し続けなければ居場所が作れないらしいアメリカ社会では、このくらいの押しの強さがなければ生きていけないのかも知れない(あるいは、そういう社会で生きているからこういう文章になるのか)。そんなことも考えた。

 2人でペアを組んで各地を転戦する1A審判員の生活について書かれた章は楽しく読める。2人でペアを組んだら、そのシーズンはずっとそのままなので、相方との相性も大事だ。移動は常に自動車だというが、著者は国際免許を持っていないそうなので、ずっと運転し続けた相方は、さぞ大変だったに違いない(笑)。相方の家族や他の審判たちとの交流の様子も記され、体力的にきついながらも楽しい日々を過ごしている雰囲気が伝わってくる。


 というわけで、資料的な価値もあるし、読み物としても面白く、アメリカ野球を観る上でも参考になる、といいことづくめの本なのだが、ひとつ釈然としないのは末尾近くに書かれたボブ・デービッドソン審判についての記述。WBCの日本ーUSA戦で、西岡のタッチアップ(英語ではタッグアップ)を「捕球より離塁が早いのでアウト」と判定した例の主審だ。
 著者はデービッドソンと親交があるそうで、彼がMLB審判をやめてマイナーリーグからやり直すに至った経緯を詳しく説明している。99年、ある審判への処遇に抗議してMLB審判員全員が辞表を出すという事件があり、その後、リーグによる切り崩しが進んで辞表を撤回する審判が増える中、最後まで突っ張ってそのまま職を去った22人のうちの1人がデービッドソンだったのだという。その後、彼は再びマイナーリーグからすべての階段を新人同様に上り、現在のバケーション・アンパイア(マイナー所属だが、MLB審判の休暇等で穴が空いた時にはMLBの試合の審判も務める)まで辿り着いた。彼がマイナー所属でありながらメジャーの試合で審判を務めていたのが不思議だったのだが、ようやく事情が理解できた。
 で、著者はデービッドソンが尊敬すべき先輩であり、<絵に描いたようなやさしいお父さん>、若い審判にとっては<すごく気をつかってくれるいい人>だと力説する。日本でデービッドソン審判への人格攻撃めいた報道も見られたことへの反論の意味もあるようだ。そこまではいい。

 釈然としないのは、WBCでの判定について言及した部分だ。
 著者は、「離塁が本当に早かったのかどうか」については<その場にいなかったので、わかりません>という。「テレビ中継のリプレー映像」については、左翼手ウィンの捕球シーンと西岡の離塁シーンが別々のカメラで撮影されており<二つの映像の同期のとり方でどうにでもなってしまいます>とし、従って<あのVTRでは離塁が早かったのかどうかを判断することはできません>という。
また「近くにいた塁審の判定を、なぜ遠くにいた球審が訂正するのか」については<あれはそもそも球審がすべき判定で、責任の所在は球審にある>としている。<最初の判定は本来下されるべきものではありませんでした。二度目のものが、本来判定すべき人が下した判定なので、それで決まりなのです>と書く。

 ここに書いてあること自体は、審判として正しい見解なのだろう*2。ただし、著者が本書で触れなかったことで、ぜひ意見を聞いてみたい点はいくつかある。

1)<あれはそもそも球審がすべき判定>とする根拠は、公認野球規則のどの条文に当たるのだろうか。
9.04(球審及び塁審の任務)を素直に読むと、b-1「特に球審が行なう場合を除く塁におけるすべての裁定を下す。」によって、三塁からの離塁の判定は塁審の任務であるように思えるし、「一つのプレイに対して、二人以上の審判員が裁定を下し、しかもその裁定が食い違っていた場合には、球審は審判員を集めて協議し(監督、プレーヤーをまじえず、審判員だけで)、その結果、通常球審(または、このような場合には球審に代わって解決にあたるようにリーグ会長から選任された審判員)が、最適の位置から見たのはどの審判員であったか、またどの審判員の裁定が正しかったかなどを参酌して、どの裁定をとるかを決定する。」とあるが、デービッドソン球審は全審判員を集めて協議することはしなかった。
公認野球規則ではなく内規のような形で「球審がすべき判定」とされているのかも知れないが、そうであれば関係者以外には知る由もないことだ。

2)デービッドソン主審がアウトの判定を下した時、USAのバック・マルティネス監督はグラウンド上で派手なガッツポーズをした。この行為はMLBのUnwritten ruleに反しないのだろうか。

3)デービッドソン審判はUSAーメキシコ戦で一塁塁審を務めた際、メキシコの打者バレンズエラの、右翼ポールに当たった打球をエンタイトル二塁打と判定した。中継映像で見ると、打球はフェンスよりたっぷり2メートル程度は高い位置でポールに当たっているのだが、どのようにルールを解釈すれば、この打球をエンタイトル二塁打と判定できるのだろうか。

4)本書で詳しく説明されているように、日米間にはルール解釈にかなりの違いがある。他の国では、また別のルール解釈があることも考えられる。にもかかわらず、16か国が参加したWBCでは、MLBの判定基準がそのまま適応され、アメリカ野球の審判員だけが審判として参加した。このような運営はMLB所属選手の多い国に有利になり、国際大会として公正さを欠くのではないだろうか。


 当時、日本の観客はこれらの要因に対して複合的に憤っていたのであり、デービッドソン審判の人格と日本-アメリカ戦の判定についてだけ擁護して他のことは素通りというのでは、読者としてはフラストレーションがたまるばかりだ。
 平林氏のblogにトラックバックを送っておいたので、もしご意見をお聞きできたら嬉しい(シーズン前でお忙しいだろうから、レスポンスを貰えなくても仕方ないとは思うが)。

 なお、これを書くためにWBCの一連のプレーを録画で見直してみたが、西岡がホームを踏んだ時、デービッドソン主審はセーフの動作をしていない。それが普通なのか、あるいはアピールがあればアウトになると意識してコールしなかったということなのだろうか。後者であれば、彼の判定自体は一貫していると言えそうだ。


*1 原題はThe Umpire Strikes Backで、『スターウォーズ帝国の逆襲』の原題The Empire Strikes Backの駄洒落だった。

*2 昨年4月にこのblogで報告した通り、私が書いたデービッドソン審判の判定についての意見を含む手紙への返信の中で、バド・セリグMLBコミッショナーは「I am sorry for some of the umpire calls」と明記している(具体的にどの判定についてかは記されていない)。もちろん、コミッショナーは審判ではないが。


注)
馬場さんのコメントで教えていただいたのだが、2003年に2A審判の内川仁氏が「大リーグ審判武者修行日記」という本を書いているので、本書が初めてというのは間違い。

追記)(2007.3.29)
桑田投手はこの「事故」について、毎日新聞の取材に答えて次のように語っている

 --三塁ベースの付近で球審と接触したことは想定外だったか。

 (ベースの)カバーに行く時は、必ずボールを見ながら塁審がどこにいるかを視界の中に入れているが、まさか後ろから(球審が)来るとは思わなかった。(当日は審判3人制で、球審が三塁上の判定をしていたが)そこまで気づかなかった。注意力が足りなかった。

追記)(2007.10.27)
久しぶりに平林氏のblogを見に行ったら、ひと月半ほど前のエントリ<イチロー選手の審判との駆け引き>が少々物議を醸していたようだ。イチローが判定を不服として審判に批判的なコメントをしたことに対しての論評だが、平林氏に対して批判的なコメントがいくつも書き込まれた。それに対して平林氏は<審判としての立場>というエントリで補足をしている。

この補足が、悲しいほど噛み合っていない。

元のエントリに批判的な書き込みをした人たちの多くは、平林氏の文章のうち、<彼のコメントが、アメリカメディアに出たのかどうかはわかりませんが、審判サイドに伝わっていたとしたら、間違いなく報復されます。勿論、だれもわざとやったなんていいませんが、わからないように、いくらでも際どい判定を不利に判定することはできます。><僕は、本当のところはわかりませんが、その抗議態度が、その後の1塁での判定に繋がったのだと想像できます。>というあたりの箇所に反応している。
つまり、判定に抗議した選手に対して、別の判定によって報復するという行為が審判員によって日常的に行われているらしいこと、それについて平林氏が特に問題意識を抱いていないらしいことにショックを受け、反発している。

私自身がひっかかったのも、それらの箇所だ。たとえ事実がそうであり、選手を従わせるために他に効果的な方法がないのだとしても、それは警察の捜査における別件逮捕のようなものだろう。あくまで必要悪、ルールの中のグレイゾーンであり、当の審判員が公の場で公然と口にするようなことではない。平林氏を擁護するコメントに「上記の馬鹿ども、野球のルールブック読んでから出直して来い!」というのがあったが、ルールブックの中にこのような報復行為を認める条文があるのだろうか? 

しかし、それらのコメントに対する回答として書かれたはずの<審判としての立場>というエントリでは、報復行為についてまったく言及されていない。ここに書かれたことに反対する人はまずいないだろう。「審判を攻撃するべきではない」ということはわかる。だが論点はそこにあるわけではない。

そして、子供達が野球というスポーツをやる目的をもう一度考えて欲しいのです。野球をやることにより、人間として必要な大切なことが学ぶことが出来る、それがスポーツをやる目的なのです。審判の判定に不満だからといって、審判を攻撃するようなことが、正当化される見本になるような行為や言動は絶対にして欲しくありません。又、それをさせないために、審判には、権威や権力を持つことが許されているのです。

野球というスポーツをする以上、判定に対して不満であっても我慢するしかないのです。だから、審判もより正確な判定が下せるように、日々努力を重ねる必要があるのです。そのことは、我々審判はよく理解しています。

この平林氏の美しい結語と、判定による報復が、どうしたら両立するのか、私には理解できない。平林氏は審判を目指す子供たちに、「審判に逆らう選手がいたら、どちらとも決めかねる微妙なプレーの判定に際しては、そいつに不利になる方を選ぶといいんだよ」と胸を張って教えるのだろうか? それが<人間として必要な大切なこと>なのだろうか? 

平林氏はこのエントリを最後にblogを移転して、現在はこれらのエントリへのコメントやトラックバックを受け付けていない。一連の文章とやりとりへの違和感は、本文に記したデービッドソン審判についての記述への違和感に通じるものがあるので、ここに追記することにした。私は彼のチャレンジには敬意を抱いているし、審判に関する啓発・普及活動も貴重なものだと思っている。できれば応援したい人物なので、何度も批判するような真似は気が重いのだが、この文章と対応には納得しづらい。

最初のエントリを読んだ時、「警官に逆らったら、どんな理由をつけて逮捕されるかもわからないから、逆らわない方が身のためだよ」と当の警官に言われたような気分がした、といえば、平林氏にもご理解いただけるだろうか。こういう台詞は、第三者が言えば単なる論評だが、その権力を持つ本人が言えば限りなく恫喝に近づくものだ、ということも合わせてご理解いただけるといいと思う。
ま、ご本人がこのエントリを訪れることは、もうないと思うけれど。

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