続・公式戦を引退試合にするのは、あまり感心しない場合もある。

 10月7日に、山本昌が最後の登板を果たした。ナゴヤドームではなく広島で。展開次第では出番を作るのが難しくなると判断したのか、「打者1人限定の先発」である。結果は1番打者の丸をニゴロに仕留め、「史上初の50歳登板」は幕を閉じた。
 広島は、試合前にスクリーンに山本昌の足跡をまとめた映像を流し、降板に際しては新井から花束を贈ったという。手厚いおもてなしである。
 
 一方でこの試合は広島にとっての今季最終戦。「勝てばCS」という大きなものがかかっていた。MLBからの黒田復帰で膨れ上がった優勝への期待に背いて低迷した今季、雪辱を果たす最後のチャンスだった。
 だが、山本昌が降板した後も打線はふるわず、5位の中日に完封負けを喫して、希望は潰えた。
 もし前田がこのオフにMLBに旅立てば、今季は前田と黒田が二本柱として並び立つ最初で最後のシーズンだったことになる。前田が抜けたカープが、その穴を即座に埋めることは難しい。黒田も今年は活躍したものの、突然成績が落ちることが起こりうる年齢ではある。
 そう考えると、カープにとってこの試合は、何としても勝たなければならないはずだった。

 山本の「サヨナラ登板」が、勝敗の帰趨に影響したかどうかはわからない。ただ、もし私が広島カープの選手であったなら、試合前の映像や試合中のセレモニーを見て、「ウチの球団、こんな大事な時に何やってんだろうな」と鼻白んだかもしれない。広島は10/2の中日戦でも、選手としての引退を表明した谷繁に対し、試合前に記念の映像を流し、ベイスターズ時代の同僚である石井琢朗コーチから花束を贈呈したという。ずいぶんと手厚いおもてなしである。
 (最終戦の翌日、広島は東出の引退を発表した。生え抜きの主力選手だった彼には、シーズン最終戦でファンの前で挨拶する機会は与えられなかった)
  
 今年の野球界は有力選手の引退ラッシュだ。オリックスの谷、西武の西口、楽天の斎藤隆、DeNAの高橋尚成、阪神の関本。中日は特に多く、山本昌、谷繁のほか、和田と小笠原も引退だ。
 シーズンを通して低迷し、早々にCS進出の望みがなくなったこともあってか、中日は4選手それぞれ別の日に「最後の出場」と、セレモニーの機会を設けた。しかも谷繁は古巣・横浜スタジアム、山本昌は前述の通り広島だ。
 私にとっては、皆、売り出した時から見てきた選手だから、引退となれば感慨もあるし、最後の勇姿を映像で見れば、じいんと来るものもある。それでも、この中日球団の振る舞いは、やりすぎと感じる。
 
 以前から、引退の決まっている選手を公式戦にサヨナラ出場させて「引退試合」と呼ぶ風潮には違和感を抱いている。このブログで反対意見を書いたエントリをアップしたのは、2007年のことだった(このエントリのタイトルに「続」とついているのは、そういうわけだ)。
 それから8年経って、風潮は衰えるどころか、ますます盛んになっている。
 
 折しもプロ野球界では、ジャイアンツの福田聡志投手が野球賭博に関わったことが発覚し、大問題となっている。この種の教育についてはしっかりしている球団だと思っていたので、報道に接した時には強いショックを受けた。残念で、悔しくて、忌々しい。

 野球協約では、野球賭博で自身が所属する球団に賭けた者は永久資格停止(いわゆる永久追放)、野球賭博をしたり、その常習者と交際した者は1年または無期の資格停止、という厳しい罰則を定めている。

 プロ野球の選手や指導者が野球賭博に関わることが、なぜ許されないのか。
 賭博自体が犯罪である。また、それが反社会的組織の資金源になることも好ましくない。が、それだけなら一般人も同じだ。
 プロ野球選手が特に許されない理由は、賭博が八百長につながる可能性があるからだ。賭博に携わる人々が、自身に有利な結果を求めて、チームや選手を思い通りに動かそうとする可能性がある。
 八百長は、英語でMatch fixingという。あらかじめ勝敗を決めてしまう、という意味だろう。NPBがファンに提供する商品は、どちらが勝つか判らない真剣勝負である。Match fixingが行われると、それがたとえ特定の1試合だけであったとしても、他の試合についても勝負の真剣さが疑われ、プロ野球全体の商品価値が著しく損なわれてしまう。
 
 八百長が行われた試合でも、160キロの剛速球や飛距離150メートルの本塁打を見ることはできるかもしれない。ひとつひとつのプレーの質は、物理的には他の試合と変わらないかもしれない。
 だが、例えばシーズンオフに行われる日米野球では、目を見張るようなプレーをたびたび見ることはできても、心臓を鷲掴みにされるような緊張や興奮、感動を味わうことはない。両チームの選手たちが勝利を目指して懸命に戦う姿があればこそ、ファンは試合に熱中し、情緒を揺り動かされる。

 ラグビーW杯イングランド大会で、日本が南アフリカに勝った試合を見て、ハリー・ポッターシリーズの作家、J・K・ローリングは「こんなの書けない」とツイッターに書いたという。
 細かく言えば、彼女はこういう物語を書くことはできる。だが、一流の作家が技巧と情熱を尽くして同じ物語を書いたとしても、読者にあの試合と同じ感動を与えることは、ほぼ不可能だろうと思う。それはまさに、小説では試合結果を作家がfixせざるを得ないからだ。どうなるかわからないものを同時進行で見ているからこそ、その結果に観客は興奮し、感動する。
 
 そういう大前提を踏まえた上で考えれば、すでに引退を表明した選手、とりわけ、シーズン中に実力で一軍に上がることができなかったり、故障ですでにトップレベルのプレーができないとわかっている選手を試合に出し、さらに試合を中断して花束贈呈などのセレモニーを行うことは、手放しで称賛するようなことではない、と私は思う。試合の前や後でセレモニーを実施するだけならともかく、それが試合そのものに侵入するというのは、好ましいことではない。
 
 だから、福田の野球賭博関与が発覚し、それを厳しい論調で批判していたメディアが、その2日後には山本昌の最終登板を無批判かつ感傷的に伝えていることが、私には奇異に感じられる。この人たちは、選手が野球賭博をすることがなぜいけないのかを、真剣に考えているのだろうかという疑問さえ抱いてしまう。

 これが、上位進出の可能性も潰え、もはや真剣勝負としての価値にも乏しい消化試合であれば、そんな試合にも足を運んでくれるファンのためのサービスにもなるし、あまり目くじらを立てなくてもよいかもしれない(ただし、個人タイトルの帰趨に直接影響するような場面での登場は避けるべきだろう)。
 だが、CSの導入によって、その種の消化試合は著しく減った。ホームチームの最下位が確定していても、対戦相手には懸かるものがある、というケースが頻繁にある。そもそも、消化試合を減らし、シーズン終盤まで真剣勝負を増やし、観客の興味を引きつけることが導入の目的だったのだから、当然である。
 だから、今のプロ野球では、引退選手のサヨナラ出場は、なかなか難しいはずなのだ。それでも無理に出場させようとすると、今回の山本昌のようなことになる。
(もし「史上初の50歳登板」という記録を作らせることも目的だったのだとしたら、そんなやり方は記録に対する冒涜でもある。宇佐美徹也さんが存命だったら、激怒されたのではなかろうか)

 引退試合はオフのファン感謝デーか翌年のオープン戦でやればよいではないか。公式戦でファンに最後の挨拶を、というのであれば試合後にセレモニーをすればよい。無理に公式戦に出場させることはない。
 だいぶ前のことだが、ヤクルトの鈴木健が最終打席で三塁側に打ち上げたファウルフライを村田修一が(十分取れる位置にいたにもかかわらず)捕球しなかったことが、美談のように伝えられた。今年も楽天の斎藤隆の最終登板で、細川は明らかなボール球を振って三振した。
 村田はその後、広島の佐々岡の最終登板で本塁打を打ち*、観客から「空気の読めない奴」と冷たい視線を浴びた(と、その日スタンドにいたという知人が話していた)。結局は、相手チームの選手までもが、真剣勝負ではない何かの片棒を担ぐことを無言のうちに求められる。衆人環視の中で、投手と打者の対戦がfixingされていく。

 最後に出場する選手は嬉しいだろうし、相手チームも含めて選手や監督たちも感動するだろう。スタンドのファンも喜ぶ。球団も潤う。誰も損をしない、いいことづくめのように見える。
 一方で、こういうやり方は、「1打席、1人分くらいいいじゃないか」が「せっかくだから花を持たせてやろうよ」「なんでそこで空振りしないかな」とエスカレートしていく。そこでは、目には見えず、小さいけれども、何かが確実に損なわれていく。
 長年活躍した選手の労を報い、功績を祝福し、次の人生に送り出す、せっかくの機会なのだ。できるだけ瑕疵のない方法で実現されることを望んでいる。
 
 
*前のブログにも書いたように、村田はこの本塁打により初の本塁打王のタイトルを獲得し、高橋由伸はこの本塁打により、タイトルを取り損ねた。おそらく高橋は打撃タイトルに縁のないまま現役生活を終わることになりそうだ。

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スポーツ選手に与えられる、最上級の褒め言葉。

 イチローのMLBでの通算安打数がベーブ・ルースに近づいたとか並んだとか抜いたというニュースを、このところよく目にする。そのたびに多くのメディアがベーブ・ルースを「野球の神様」と形容している。例えばこのように。

イチロー“神様”ルース超え2875安打も…マーリンズ泥沼8連敗 スポニチアネックス 5月23日(土)
 
 これ以上の褒め言葉はなさそうだし、ベーブ・ルースは「これ以上ない褒め言葉」にふさわしい選手でもある。ただ、自分はそこそこ長くMLBを見て、その歴史にも日本人の平均よりは通じているつもりだったが、ベーブ・ルースが「野球の神様」と呼ばれているとは知らなかった。出典を探そうとネットを少し検索してみたが、なかなか見つけることができない。例えばWikipediaを見ると、日本語版の「ベーブ・ルース」の項には、冒頭の概要部分に<野球の神様と言われ、米国の国民的なヒーローでもある>と書かれている。が、英語版の<Babe Ruth>の項目の同じ部分には<Nicknamed "The Bambino" and "The Sultan of Swat">とあるだけだ。Bambinoはもともとはイタリア語で「赤ん坊」や「坊や」の意味。Sultanはイスラム世界の君主で、swatは「激しく打つ」「長打」などの意味があるから、Sultan of Swatは「打撃の帝王」くらいの意味か。そもそも彼の本当の名前はジョージ・ハーマン・ルイスであって、ファーストネームとして扱われているベーブ自体が「赤ちゃん」という綽名である(「坊や哲」「お嬢吉三」みたいなものか)。
  
 日本野球には、「神様」と呼ばれた人物がいる。代表的なのが「打撃の神様」川上哲治だ。卓越した技術と成績に加え、厳格で人を寄せ付けない人物像、求道的な打撃への姿勢、そして「球が止まって見えた」という発言に代表される神秘性などが相まって、「神様」という綽名が定着したのだろう。
 赤坂英一が川相昌弘について書いた「バントの神様」という本もあるが、これは川相の綽名として定着したというほどではない。ただ、ひとつの分野、ひとつの技術に精通した人物を「○○の神様」と呼ぶことは、日本ではさほど珍しくないように思う。
 
 「神対応」「神回」というような形容がごく普通に使われる昨今の風潮を見ても、日本人にとって「神」は、尊敬する対象ではあっても、さほど畏怖されるものではないらしい。人間を「神」と呼ぶことに対するハードルはかなり低い。
 そんな日本にあっても、1人の選手を「野球の神様」と呼んだ例は記憶にない。「野球の神様」は、例えば「野球の神様が助けてくれました」みたいな談話に代表されるように、野球というゲームを司る絶対者、というようなニュアンスで語られるのが一般的だろう。
 
 ルースの人柄は「ベーブ」と呼ばれたことからもわかるように、子供っぽくて、よく言えば天真爛漫、悪く言えば自分勝手な人だったようだ。彼自身はヤンキースの監督になりたかったようだが、声がかかることはなかった。その意味では、川上哲治とはかなり異なるキャラクターだったようだ。
 
 なぜルースが「野球の神様」と呼ばれたことになっているのかを見つけることはできていないのだが、ネットで検索すると、この形容が、昨年、大谷翔平が達成した10勝&10本塁打に関する記事に多用されていることがわかる。
 
大谷“野球の神様”に並ぶ!96年ぶりの10勝&10発
 
 ベーブ・ルースといえばホームラン。普通なら「伝説的な長距離砲」とでも呼んでおけば済むのだが、この話題で彼の名を出す時ばかりは、それでは物足りない。投手としても優れていたことを同時に示さなくてはならないからだ。大谷の凄さを示すためには、なぞらえる相手も偉くなくてはならない。形容に窮した誰かが、えいやっと「野球の神様」にしてしまった、てなことだったのではないか…と想像したのだが、Yahoo!知恵袋にはそれ以前にもルースを「野球の神様」としている質問があるので、昨年から突然呼ばれ始めたのではないらしい。
 
 この件が気になるのは、そもそも一神教が支配的な社会で、人間に対して「神」という綽名が定着したりするものなのだろうかという素朴な疑問があるからだ。
 上にも書いた通り、日本では偉人をすぐに神様と呼びたがる。ペレも「サッカーの神様」とする記事をよく目にするが、ペレといえばキングと昔から決まっているので、これには強烈な違和感がある。ジーコにも「神様」という形容がよく使われたが、これは彼の日本での業績に対する尊称だから、まだしも納得できる。
 スポニチや他のメディアがルースを「野球の神様」と決めて勝手に使うのならともかく、「大リーグで“野球の神様”と呼ばれた」などと書いてあると、誰が呼んでるの?と気になってしまう。 
 イチローがルースの通算安打数を抜いたことはSIなど米メディアでも話題になっていたが、ルースの名は形容抜きで記述されている記事が多い。日本のスポーツメディアにとって長嶋茂雄が説明不要な人物であるのと同様、ベーブ・ルースという名前は、USAのスポーツメディアにとっては説明不要な名前なのだろう。
 
 MLBの「神様」といえば、私の頭に浮かぶのはルースではなく、テッド・ウィリアムズだ。彼は日本では「打撃の神様」と呼ばれていた。米国のwikiでは<Nicknamed "The Kid", "The Splendid Splinter", "Teddy Ballgame", "The Thumper" and "The Greatest Hitter Who Ever Lived",>とされている。たくさんあるが、神に類するものはない。
 
 ただ、彼には神にまつわる有名なエピソードがある。
 現役最後の試合の最後の打席で本塁打を放ったウィリアムズは、観衆のスタンディングオベーションにも、ベンチを出て応じようとはしなかった。なぜ手を振ってやらないんだ、と問われて、「神様というものは、手紙に返事を書かないものだ」と答えたという。たとえば伊東一雄・馬立勝「野球は言葉のスポーツ」(中公新書)に紹介されている。もっとも、実際にはこれはウィリアムズ自身の言葉ではなく、作家のジョン・アップダイクがこの場面を評して書いたものらしい。米国版wikiにも<Williams' aloof attitude led the writer John Updike to observe wryly that "Gods do not answer letters.">とある。
 
 私自身は現役時代のウィリアムズを見たことはないが、このエピソードは知っていた。知っていたから驚き、胸を熱くした場面がある。1999年のオールスターゲームでのことだ。
 この年のオールスターはボストンのフェンウェイ・パークで行われた。始球式に招かれたのは地元レッドソックスの生ける伝説、テッド・ウィリアムスその人だった。彼がマウンドに立つと、両リーグの選手たちが、みな集まって握手を求めた。選ばれたスターたちを野球ファンの子供に戻してしまう、スターの中のスターが彼だった。
 始球式の後、ウィリアムズはカートで場内を回った。立ち上がって拍手を贈る観客に向かって、ウィリアムズは高々と手を振っていた。< He proudly waved his cap to the crowd — a gesture he had never done as a player.>“選手としては決してやらなかった仕草だった”、と米国版wikiには書かれている。神が人間に戻った瞬間だった。
 
 「神」でもうひとり、思い出すスポーツ選手がいる。とあるゴールについて「ディエゴの頭と神の手が決めた」と語った、あの人物だ。マラドーナには「神の子」という綽名もあったようだが、これまた出典がすぐには見つからない。奔放な性格は、伝えられるベーブ・ルースのそれに似ているが、ディエゴはベーブと違い、希望通りにアルゼンチン代表の監督になった(成功はしなかったが)。
 
 マラドーナと綽名について語るならば、マラドーナにつけられた綽名よりも、「マラドーナという綽名」の方が意味があるかもしれない。彼が活躍した80年代半ばから90年代にかけて、卓越した技術を持つ中盤の選手は、よくマラドーナになぞらえられていた。「カルパチアのマラドーナ」と呼ばれたゲオルゲ・ハジ、「砂漠のマラドーナ」と呼ばれたサイード・オワイラン。日本にもいたはずだ。あのころ、世界中に何人のマラドーナがいたことだろうか。

 日本野球で最初の三冠王、中島治康は「和製ベーブ・ルース」と呼ばれていた。早稲田実業の期待の長距離砲、清宮幸太郎も、リトルリーグの世界大会で米国メディアに「和製ベーブ・ルース」と呼ばれたそうだ。ルースもまた、綽名をつけられることよりも、綽名となることにふさわしい。
 
 スポーツ選手にとっては、「神様」と綽名をつけられることよりも、自分の名が他人の綽名に冠せられることこそ、最上の栄光なのかもしれない。

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もう「統一球」なんてやめちゃったらどうですか。

 昨年、規定を逸脱して飛ばなすぎたボールを内緒で品質改善したことが問題になったプロ野球の統一球が、今度は飛びすぎるというのでまた問題になっている。「プロ野球界の和田アキ子」とも言うべき存在である星野仙一楽天監督もお怒りのようだし、その楽天の正捕手にして選手会長の嶋も問題視している。

 もちろん、プロ野球の使用球は反発係数が一定の範囲となるよう定められているのだから、製造元であるミズノは、その規定に沿ったボールを納入する義務がある。各球団の指導者と選手は、ボールが規定に沿ったものであるという前提の上でプレーしているのだから、違った場合に文句を言うのは当たり前ではある。

 ただ、メディアで見られる監督、コーチ、選手、あるいは球団の経営陣の声は、怒りの感情の濃淡はあれど、「規定通りの球にすべし」という方向では一致している。となれば、ミズノが謝罪して、規定に沿ったボールを納入すれば一件落着ということになる。でも、それでいいんでしょうか。これはそういう問題なのか?
 


 そもそも統一球は何のために始まったのか。導入を決めた2010年8月にNPBが発表したプレスリリースをNPBの公式サイトで読むことができる。加藤良三コミッショナー(当時)の声明文に、こんな記述がある。

<2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などで選手、関係者が国際試合で日本のボールとの様々な違いに戸惑うケースがあることを目の当たりにいたしました。 それをきっかけに春季キャンプの視察などで現場からのボールに関する意見や要望をお聞きし、まずは国内の使用球を統一することにしました。その統一した結果として、国際試合でもNPBの選手のボールに対する違和感が少なくなることを期待しています。>

 そう、思い起こせば統一球が導入された主目的は、選手が国際試合で戸惑わないようにするため、ということだった。
 その効果はどうだったか。2013年のWBCの後には、こんな記事が見られた。

「似て非なる」ものだった統一球とWBC球(スポニチ)

<統一球を手にしたことのある松坂(インディアンス)は、握ったときの感触も含めたその類似度について「大リーグ球を10としたら、統一球は3くらい」と表現する。違和感を感じていたのは投手だけではない。内川は「打ったときにすかすかした感じ」と力が伝わらない様子を訴えた。さらに送球がすっぽ抜けて失策にならないように、低い球筋を徹底する指示も出ていた。>
<与田投手コーチは「全ての選手と言っていいくらい、苦しんでいた。滑ると思うあまり無意識のうちに力が入る。統一球ではあり得ない腕や肘の張りが出る」と指摘する。>

 統一球を公式戦で使っていたにもかかわらず、選手はWBCの使用球に、ものすごく戸惑った。加藤コミッショナーの意図は達成されていない。この段階ですでに「統一球」は失敗だったと言ってよい。
 
 
 統一球が始まったのが2011年。ミズノとの契約は2年間で、2シーズンを終えた時点で見直しを行うとされていたはずだった。だが、2012年オフにどの程度の話し合いが行われたのか明らかにされないまま、翌2013年にも統一球は使われ続け、そして「飛ばなかったボールを内緒で品質改善した問題」が発覚した。
 昨年、この問題が発覚した際には「飛ぶボール」という表現がずいぶんと使われていたので誤解している人がいるかも知れないが、昨年のボールは規定の反発係数の範囲内だった。規定外だったのは、その前の2年間である。つまり、「統一球」は最初の年からすでに、契約上のスペックを満たすことに失敗していた。
 そんな苦い経験をしたはずのメーカーが、今年再び品質管理に失敗したというわけだ。世の中にはミズノを罵る論調が目につくし、まあ非難されても仕方のないことだとは思うけれど、ここまで失敗続きだと、根本的な疑問が湧いてくる。

 そもそも現行のスペックを満たすことが、1メーカーに可能なのだろうか?
 
 日本のプロ野球では、2010年まではミズノを含む4社がボールを提供していた。球団ごとにメーカーを選んでいたので、社によって生産量は違ったのだろうが、いずれにしても、すべてのボールを供給している現在よりはずっと少なかったはずだ。
 統一球の導入が決まった時期の新聞記事によると、<12球団が昨年1年間で使用した一軍試合球は、練習やブルペンなどでの使用も含めて約2万5000ダース>(読売新聞2010年8月24日付、記事中の「昨年」は2009年のこと)だという。
 上述のNPBのプレスリリースには、ミズノが供給するボールの新旧スペックを比較した表がついている。これを見ると、原材料の牛革とウール糸は、それまでの国産から中国製に切り替えたことがわかる。同社は統一球を生産するために中国・上海に工場を作った。価格もそれまでから2割以上下げたというから、相当な企業努力をしたはずだ。というか、かなりの無理をしたんじゃないか。中国製=粗悪品と決めつけることはできないが、日本の熟練工が手縫いで作るボールと同じ品質のものを、始めたばかりの海外工場で作れるとも思えない。
 この生産体制の結果が、度重なる規定違反。となると、もはや「統一球」が求める量、品質、価格をすべて満たすことは、同社の能力を超えていると考えた方がよさそうだ。

 硬式野球ボールにおける国内シェアは知らないが、スポーツ用品メーカーとしてはミズノは押しも押されぬ大企業だ。そのミズノにして品質管理ができないのなら、一体どのメーカーにそれが可能なのだろう。


 MLBの使用球はローリングスが1社で供給している。<年間使用量は約11万ダース。工場はコスタリカにあり、不測の事態に備えて年間使用数の25%の備蓄がある>(読売新聞2010年9月1日付)という。
 この記事には<大リーグ機構(MLB)では「ケン・グリフィーが新人の時と、(今年の新人の)ストラスバーグが投げているボールは同じ」と、同品質の球を大量に安定供給し続ける能力を評価する>とあって、ローリングスは量と品質をともに満たしているように読めるけれど、アメリカに渡った日本人選手の評価はかなり異なる。
 例えばスポーツライターの二宮清順は、2012年春にこう書いている。
<多くの評論家が既に指摘していることだが、メジャーリーグの公式球は日本のそれと比べると滑りやすく、縫い目の山が高い。昨シーズン、ボルチモア・オリオールズからレンジャーズへ移籍した上原浩治は、物憂げな面持ちでこう語っていた。「日本の(高品質の)ボールに比べたら天と地ほどの違いがある。米国のボールはひとつひとつ全て違う。しかもツルッツル。まだ悩んでいます」>

Numberwebにもこんな記事があった。
<「日本のボール製造技術とメジャーの技術(メジャー公式球はローリングス社製でコスタリカの工場で生産されている)を比べると、製品の均一性では日本が圧倒的に勝っているんです」
 その関係者はこう案じていた。
「メジャーの場合は飛ばないといっても、データ上の数字と実際の数字ではムラがある。同じ公式球でも飛距離の差は10フィート(約3.04m)から20フィート(約6.08m)は当たり前という世界で、ときにはそれ以上のときもあるのが実情です。ただ日本の技術で飛距離を抑えた低反発のボールを作ったら、ほぼその規格で仕上がってくる。全部が飛ばないボールになるということです」>

 MLBのボールは、メーカーは統一だけど、日本人の目から見れば品質は統一されていないのが実情のようだ。

 長くなったので、話を整理する。

・統一球導入の目的は「選手が国際試合に戸惑わないこと」だったが、2013年のWBCでは、その効果はなかった。
・統一球の導入から4シーズンのうち3シーズンで反発係数の逸脱が著しく見られたことからして、現行の「統一球」が求める価格と品質と量のすべてを満たす能力はミズノにはない。日本の他社にあるかどうかは未知数。
・MLBのボールの品質のばらつきは日本よりも激しい。従って米ローリングス社がボールの品質を「統一」する能力は日本のメーカーよりも低そうだ。

 こうなると「統一球」は、実体のない概念に近い。そんなものはもはや幻に過ぎないと考えた方がよいのではないだろうか。
 NPBがこれ以上「統一球」に固執する意味が、どこにあるのだろうか。

 私は、「統一球」が規定の反発係数を逸脱したこと自体については、是正は必要だが、そんなに大声で非難するようなことだと思ってはいない。
 そもそも野球というのはアバウトな競技だ。屋根のないスタジアム(それが本来の姿だが)では、風の強さや向き、湿度によって飛距離は影響される。打席から外野フェンスまでの距離や、フェンスの高さも球場ごとに違う。MLBでは左翼と右翼で形状がまったく異なる球場を平気で使っている。内野の芝も、人工芝と天然芝では反発係数は相当異なるはずだ。そういう環境の中で、ボールだけを精密に品質管理しても、あまり意味はないんじゃなかろうか。野球は飛距離を競う競技ではないし、1試合の中で同じ品質のボールが使われている限り、両チームにとっての公平は担保されている。
 さらにいえば、反発係数を定めているのは公認野球規則ではない。それは、国内リーグのアグリーメント、つまり申し合わせ事項に過ぎない。各球団が合意すれば変更することも可能な数値である。もちろん、各球団の合意なく、またプレーする現場に知らせることなく変更してしまうのは「約束事」を破ったのと同じだから、各球団や現場には怒る権利があるし、逸脱は是正されるべきだ。しかし、透明性さえ確保されていれば、あとは定期的に粛々と点検し、間違いがあれば是正していけば、それでよいと思っている。

 「統一球」が導入される以前までは、NPBの試合球の品質はメーカーによってかなりのばらつきがあり、つまり主催球団によって使用球の品質も違った。ミズノの球はよく飛ぶと定評があったことも、こちらの小川勝の記事に詳しい。
 目下お怒りの星野仙一監督も、現役時代にはホームとビジターでは違う品質の球を投げていたはずだ。彼は昔からいろんなことに怒っていたが、ボールの品質に文句をつけていたという記憶はない。2010年までは誰もがそれでやっていたのだから、そこに戻ることに大きな問題があるとは思えない。
 
 「統一球」を試みたこと自体を批判しようとは思わない。試験的に導入したけれど、メリットが少ないので元に戻す。それでいいじゃないですか。
 幸い、このアイデアを始めたお方はすでに球界を去っているのだから、今やめても傷つく人はあまりいないだろうし。


追記(2014.4.16)
 この記事を見ると、2010年段階ですでに12球団すべてがミズノのボールを使っており(うち4球団は他社製品と併用している)、NPBにおけるシェアは圧倒的。統一球になったことで生産量は増えただろうが、たぶん倍増もしていないだろう。原材料を中国産に切り替えたことは、増産よりも値下げのためという意味合いが大きかったのかも知れない。


追記2(2014.4.22)
本日付の朝日新聞朝刊スポーツ面には、詳細な特集記事「FOCUS BASEBALL2014」<統一球「想定外」の連鎖>が掲載されている。興味深いのは以下の記述。
 
<反発係数を一定にするのは技術的に難しい。このため海外の主要プロリーグは反発係数を公表していない。関係者によると、韓国は4社による競合、台湾は1社独占だが、いずれも反発係数の測定結果は未公表だ。大リーグはローリングス社の独占だが、そもそも反発係数の測定すらしていないという>

 つまり、1国のプロリーグの公式戦で試合するボールのすべてを1社が提供し、反発係数を厳格に管理する、というような事業には前例がない、ということだ。そんなことが可能なのかどうかについては、以下の記述が大いに参考になる。

<日本車両検査協会によると「個体差があり、同じ1ダースの中でも反発係数に100分の1単位で幅が出ることもある」という>
 
 今シーズンのアグリーメントが定める反発係数は0.4034〜0.4234である。100分の2の間に収めることが要求されているのに<100分の1単位>で幅があるようでは、サンプル検査をした<同じ1ダースの中>にも違反球が含まれている可能性が高い。
 
 私がこの記事を読んで得た結論は単純だ。やっぱり無理なんじゃないの?

 

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NPB統一球変更隠蔽に関するツイート集。

これまた「今さら感」ですが、まあ一応継続中の事案ですし。しかし、調査するのに第三者委員会作るほどの大きな組織なのかNPBって。


●6月12日
「飛ぶボールでした」じゃなくて、去年が「飛ばなすぎるボールでした」ということだな。昨年、仕様から外れたボールを使っていたことが、そもそもの問題。そのミスを隠すために、嘘に嘘を重ねた結果がこの騒ぎ。お粗末すぎるNPB。

ボールの仕様の変更自体は、規則の範囲内であれば、公表すればよかっただけのこと。根本的な問題は、そもそも統一球は国際試合に対応するために導入したはずなのに、今年のWBCで選手たちが大会球にすんなり対応できていなかったのでは?という点。ここをしっかり検証しなければ意味がない。

昨年のボールが規定外になってしまったのは、技術的な問題。今年、仕様の変更を隠していたのは、組織の誠実さの問題。どちらがファンに嫌われるかは明白だ。NPBは自ら問題の次元を深刻な方向に導いてしまった。過去に不祥事で泥沼にはまった企業の轍を見事に踏んでいる。外交、下手すぎ。

ただ、野球のボールの品質が記録にどれほど影響するかは、あまり神経質になっても仕方ないのでは。ドーム球場でなければ試合ごとに気象条件が異なるし、外野フェンスまでの距離やフェンスの高さもまちまち。バットの品質だって選手が選べる。MLBのボールの品質はかなりバラツキがあると聞く。

嶋選手会長は労働環境が変わったことをデメリットのように語っていたけれど、野球の成績は相対的なものだから、ボールが飛ぶようになったことで得をする選手もいるわけですね。

統一球の件、選手や球団が文句を言うのはわかるけれども、一部の新聞が「ファンに対する裏切り」と批判しているのがよくわからない。個々の選手にとっては損得があるだろうけれど、野球全体のレベルが変わったわけではないし、見世物としての価値が損なわれたとも思わないのだが。

●6月13日
2010年までは5種類くらいのボールでも普通にプレーしていた選手たちが、統一球になったら飛ぶの飛ばないのと文句を言い出した。つまり、統一球の導入は選手の環境への対応力を弱めている。その上、MLB球やWBC球への適応にも効果がないとなれば、統一球という仕組み自体をやめた方がよい。

コミッショナーは、隠蔽がどうこうというよりも、当初の2年間の試行期間が過ぎても、ろくに功罪を検討せず、統一球を使い続けていることによる混乱に対して、大いに責任を感じて対処してほしい。むしろ、いろんな球が混在している方が、選手の国際試合への対応力は高まるんじゃないの?

@south_zonnbi まあしかし、よく打つ人が加入したからという面もありますしね。西武は統一球1年目の2011年より本塁打が減ってるけど、これは要するに中村がいないから。
※楽天の本塁打が今シーズン急増したことについて

@south_zonnbi もちろん、全体的に本塁打が増えてることは間違いないです。個人的な印象としては今年くらいでちょうどいい。だから、ボールの品質を調整したこと自体は間違ってないと思うんですけどね。MLBは貧打の年が続いた時にストライクゾーンを調整したとも言われてますし。

統一球の件、各球団の見解に温度差があって面白い。コミッショナーの選任方法の問題にまで踏み込んでいるのは楽天だけかな。昨年、再任に2球団が反対したと報じられたが、その一角なのだろう。RTした党首さんのツイートの通り、問題の根幹はコミッショナーを誰がどう決めて何をさせるか。

そう考えると朝日新聞の「加藤やめろ」キャンペーンは奇異に映る。RTした党首さんのツイートのように、問題はコミッショナーを誰がどう決めて何をさせるか。西村編集委員は加藤氏の辞任が「野球ファンの幸せにつながる」とか書いてるけど、留飲が下がるだけで、何かが改善されるわけではない。

@augustoparty ポジショントークとしては、「コミッショナーの選任や動向が一部の球団の意向に沿いすぎていることの弊害」という論調に向かいそうなものなのに、今回は加藤氏への個人攻撃に終始しているのが不思議です。
※朝日新聞の論調について

@augustoparty そんなところかもしれませんね。ドラフト裏金問題を激しくやってた頃は、払う側だけが悪で受け取る側はイノセント、学生野球は一方的に被害者という奇妙な論調でした。今回は、加藤氏が悪いと言ってる限り、ブーメランになる心配はないですね。

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1980年代の「二刀流」。

 ボー・ジャクソンをご記憶だろうか。
 大学時代に野球とアメリカンフットボールで活躍し、とりわけフットボールではMVPにあたるハイズマン賞を受賞した。両方のプロリーグから誘われた後、1986年にカンザスシティ・ロイヤルズに入団。87年には116試合に出場して22本塁打、53打点、打率.235の成績を残した。そのまま強打の外野手に成長していくのかと思いきや、彼はアメリカンフットボールのロサンゼルス・レイダーズにも入団。2つの競技でプロ選手になり、2つのチームでレギュラーとして活躍した。89年にはMLBのオールスターゲームに出場してMVPを獲得した。90年にはNFLでプロボウルに出場しており、2つの競技でオールスターゲームに出場した唯一の選手だという。
 しかし、1991年、フットボールの試合中のケガがもとで、フットボール選手としては引退。野球ではカムバックを果たしたが、レギュラー獲得には至らず、94年を最後に引退した。

 以上はWikipediaに基づいた記述だ。素晴らしい身体能力によって才能の片鱗を見せつけたが、野球選手としてはタイトルを獲得することもなく、通算成績は凡庸なものに終わった、というのが彼に対する印象だ。フットボーラーとしても、たぶん似たようなことだったのだろうと思う。
 
 日本ハムに入団した大谷翔平が投手と野手の「二刀流」に挑戦していることについて、いろんな人がいろんな意見を表明している。プロ野球で経験の長い人、大きな業績を残した人ほど、強く反対しているという印象がある。先般、月刊ベースボールマガジンでも特集が組まれたが、大抵のOBは反対意見を語っている。堀内恒雄が「反対だったが、プレーを見ると両方素晴らしいので確かに捨てがたい」という意味のことを書いているのが目をひいた。落合博満もNHKの「サンデースポーツ」で「面白い」と話していたが、プロOBで容認を明言しているのは少数派だと思う。

 まあ、無茶なことをしようとしているのは素人にもわかる。投手の中でさえ、先発投手とリリーフ投手では体の作り方から何から違うのだ。投手と野手となれば、トレーニングも違うし生活リズムも違う。そんな事情を知っている人ほど、リスクの大きさにハラハラするのだろう。大谷の才能の大きさがわかるだけに、危険を冒さず王道を行って欲しいと望むのだろうとも思う。
 
 彼の才能の程度を云々できるほどの眼力は私にはないが、観客として、惹きつけられる選手であることは間違いない。
 長い手足を自在に操るバッティングは、かのジョン・オルルッドを思い起こさせる。ゆったりしたフォームから重そうな速球を低めに投げ込むピッチングにも、類を見ない魅力がある。
 端的に言って、こんな選手は見たことがない。体や能力もさることながら、あの落ち着いた態度、明晰な語り口は見事なものだ。昨年のドラフト前のアメリカ行き宣言の頃から、カメラの前で話す姿を見てきたが、彼が置かれた状況を考えれば、あの落ち着きと思慮深さは尋常ではない。冷静で礼儀正しいのだが、取材陣をものともしない風格がある。野茂英雄の動じなさ加減に通じるものを感じる。彼なら、誰もやれなかった、やろうとしなかったことをやってしまうかもしれない、という印象は受ける。

 大谷の「二刀流」に反対する人々が用いる論法のひとつに「どちらも中途半端な成績になりかねない」というのがある。「20勝できる器なのにもったいない」とかいう話になっていく。
 投手か打者に専念して、200勝とか2000本安打とかいう立派な成績を残すことと、そこまでは行かないかもしれないが投手と打者の「二刀流」で活躍することと、どちらの価値が高いか。これはもう、個々の判断に負うしかない。
 ただ、希少価値という点では議論の余地はない。投手と打者と、それぞれでチームの主力として活躍するような選手は、日本ではもう半世紀くらい現れてはいない。名球会の会員は50人以上いる。「二刀流」の希少さは圧倒的だ。
 
 名球会が野球界にもたらした弊害のひとつに、「通算成績が大きいほど偉い」という考え方を広めすぎたことがあるように思う。
 もちろん200勝も2000本安打も偉い。だが、それはあくまで結果の数値でしかない。1つ1つの勝利の中身、1本1本の安打の中身はすべて異なる。打球の軌道や速度、フォームの美しさ、バットから放たれた音、ベースを駆け抜ける速さはそれぞれの打者によって違う。フォームや決め球、変化球のキレ、危機に陥った時に脱出するやり方、マウンド上での風格や態度は、それぞれの投手によって違う。

 もちろん積み上げた数字に拍手を贈るのもよい。だが、見物人が見ているのは、「200勝」や「2000本安打」という数字ではなく、あくまで彼らのプレーそのものであるはずだ。ひとつひとつのプレーが素晴らしく、その結果が「勝利」や「安打」になる。目の前のパフォーマンスに魅力がなければ、それがいくつ積み上がろうと、やっぱり大した魅力はない。そういうものではないかと思う。
 たとえ通算成績では及ばなくとも、短い期間に素晴らしいプレーをした選手もいる。ほんの数試合だけ、奇蹟のような働きを見せた選手もいる。その日その時に限っていえば、彼らの価値は名球会入りした選手に劣らない。そして、たまたまそれを見た見物人にとって、そのプレーは永遠のものになることもある。

 私は、たとえば広島で売り出し中だった頃の斎藤浩行が打った、はしたないほど大きい本塁打の驚きを忘れたことがないし、ジャイアンツの二軍にいた頃の三浦貴の、バッターボックスからライトスタンドまで定規で線を引いたようにまっすぐに飛び込んだ、上品な本塁打の軌跡を鎌ヶ谷で見たことも忘れたこともない。キャッチボールのような投球でジャイアンツのために貴重な数個の勝ち星を稼いでくれた晩年の石井茂雄のへろへろな球も忘れない。片岡篤史の美しい打撃フォームと美しい打球も忘れない。この調子で数え上げていったら、一晩中でも語ることができそうだ。
 そんな喜びを誰よりも多く与えてくれたのが、例えば松井秀喜であり、例えば王貞治だった。王貞治の偉大さは、打った本塁打の本数にあるのではない。誰にも打てないような本塁打を打って見物人に喜びを与えてくれたことが偉大なのだ。
 
 衣笠祥雄が連続試合出場記録を作った頃から、彼を「サラリーマンの鑑」と呼ぶメディアが増えた。だが、私が知っている彼は、その弾むような走り方、リズミカルな動作を見ているだけで楽しく、豪快なフルスイングが小気味よい選手だった。リスクを恐れないプレーは、「サラリーマン的」という形容から最も遠く、そういう言葉を使う人たちは彼の何を見ているのだろうと不思議だった。

 話を大谷に戻す。 
 大谷の試みに関する論評の中で、いろんな過去の選手たちが引き合いに出される。ベーブ・ルースや野口二郎の名を引く人も多い。しかし彼らは、50歳近い私にとっても歴史上の人物でしかないので、そのプレースタイルを具体的にイメージできる人はほとんどいないのではないか。
 私が対比してしまうのは、冒頭に紹介したボー・ジャクソンだ。その能力の高さにおいても、その発想と意欲の破格ぶりにおいても、大谷はボーと比較される資格があるように思う。
 ボーの試みは、果たして成功だったのか、失敗だったのか。記録を重んじる立場から見れば、失敗に見えるだろう。「野球に専念していればどれほどの記録を作ったか」と嘆いた人が当時もいたに違いない。
 先般、JSPORTSで彼を扱ったドキュメンタリーが放送されていた。残念なことに終わりの方を少しだけしか見ることができなかったのだが、現在の彼は、だいぶ体重が増えた風情で、野球界からもフットボール界からも離れ、郊外の住処で狩猟に興じながら暮らしているという。自らの挑戦について「後悔はしていない」と語っていた、と記憶している。彼がカメラの前で本心を語っているかどうかを判断する術はない。

 例えばYOUTUBEで検索すると、彼の現役時代のプレーを垣間みることができる。主にレフトを守る彼のダイビングキャッチには大変な迫力があり、オールスターゲームで放った本塁打も力感に溢れている。アメリカンフットボールでのプレーを評価する目は私にはないが、YouTubeにアップされている映像はNFLでのものの方が多いようだから、彼を評価したり惜しんだりした人は少なくないのだろう。
 何よりも、2つの異なるメジャースポーツで、それぞれオールスターの舞台に立って脚光を浴びるという経験をした選手は、両方の長い歴史の中で、何百という名選手たちの中で、彼ひとりしかいないのだ。現に、遠く太平洋の反対側に住む野球好きの1人(私だ)の心にも、彼の名は今もしっかりと刻まれている。その名声という無形のものに対する評価を決められるのは、彼自身でしかない。

 ボーの同時代にもう1人、ディオン・サンダースもNFLとMLBの2足のわらじを履いた。サンダースはNFLに重きを置いていたようだ。プロボウルに8回も選ばれ、フットボールの殿堂入りもしているから、フットボーラーとしては一流なのだろう。メジャーリーガーとしては通算558安打、186盗塁。出場試合が100を超えたのは1シーズンだけだから、まあそこそこ、というところだ。ボーよりもサンダースの方が賢かったのかもしれない。
 
 彼ら以降に、野球とフットボールの二刀流選手を目にすることはほとんどなくなった(90年代から00年代初頭にかけてカージナルスやブレーブスで活躍したブライアン・ジョーダンもNFL経験があるようだが、こちらは途中から野球に専念して1455安打。立派なキャリアを築いた)。野球のポストシーズンの長期化とか、それぞれの年俸の高騰と、それによる球団のリスク管理(ケガをしそうなことをしない条項が契約書に記される等)とかが理由かもしれない。野球は、無謀な子供の遊びから、大人のビジネスに変わったのかもしれない。
 
 大谷の壮挙または暴挙について、私は肯定的だ。見たことのないものを見せるという行為は、プロスポーツというエンターテインメントの世界で最大の価値を持つべきだと思っている(もちろん、そのスポーツの本質から大きく乖離しない範囲での話だが)。大谷の能力と知性と判断力にも尊重するだけの重みがあると思っている。反面、「球団や観客という我々大人たちが、若者の人生を弄んでいるのではないか」という懸念も、完全に払拭することもできずにいる。
 今は目の前の彼のプレーを固唾をのんで見守り、記憶に焼き付けること。いつの日か、彼が投手か野手のどちらかに専念すると決めることがあれば、それを支持すること。もし彼の現役生活よりも私の人生の方が長く続くのであれば、彼がどんな選手であったかを語り続けること。私にできるのは、それだけだ。

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200勝へのキャリアデザインを論じるつもりだったが。

 前回の末尾に「投手編は後日改めて」と書いたが、実際に200勝か250セーブを挙げた投手をリスト化してみて後悔した。
 なぜ後悔したかは、以下の表をご覧頂けば想像がつくと思う。

<200勝>
1946 スタルヒン2/4
1947 若林忠志 1/2
1948 野口二郎 3/3
1954 別所毅彦 2/2
1955 中尾碩志 1/1
1955 藤本英雄 3/3
1958 金田正一 1/2
1962 稲尾和久 1/1
1964 小山正明 2/3
1966 米田哲也 1/2
1967 梶本隆夫 1/1
1968 皆川睦雄 1/1
1970 村山実 1/1
1977 鈴木啓示 1/1
1980 堀内恒夫 1/1
1982 山田久志 1/1
1982 江夏豊 4/5
1983 平松政次 1/1
1984 東尾修 1/1
1989 村田兆治 1/1
1992 北別府学 1/1
2004 工藤公康 3/5 FA
2005 野茂英雄 8/11 MLB
2008 山本昌 1/1 現役

<250セーブ>
2000 佐々木主浩 2/3 FA
2003 高津臣吾 1/7
2010 岩瀬仁紀 1/1 現役

 「名球会」の入会基準をクリアした選手のキャリアデザインにどんな変化があるかを見ようと思って始めた作業なのだが、投手の場合、変化の最たるものは「200勝投手が出なくなった」ことなのだ。90年代以降で4人しかいないのだから、動向を云々するどころではない。21世紀にNPB単独で200勝に到達したのは工藤と山本昌の2人だけだが、それをもって「左腕優位の時代だった」と言うわけにもいかない。
 2000本安打と200勝をひとくくりにする、という発想は、金田正一が作った「昭和名球会」によって生まれたものだ。だが現在では、この両者を等価とみなすこと自体に無理が生じている。
 
 といっても、当時の金田の判断が著しく間違っていたとは思わない。1978年の時点では、200勝投手が14人、2000本打者が11人で、200勝投手の方が多かった(これは「昭和名球会」の有資格者ではなく、すべての達成者の数)。また、当時の各球団のエース投手といえば、堀内、山田、平松、東尾、村田。リリーフに転向していたが江夏も同世代で、彼らはそれ以降に着実に200勝を達成している。前途も洋々のはずだった。
 それが、現在の達成者数は27人:47人。2000本安打に届きそうな選手は大勢いるが、200勝に届きそうな投手はほぼ見当たらず、遠からずダブルスコアになりかねない。
 差がついたのは80年代以降の出来事なのだ。
 
 現在の投手たちが、かつての名投手に比べて著しく能力が劣っていると考える人もいるかも知れないが、私はその立場をとらない。時間や距離という明確な指標がある陸上競技や水泳競技において、記録は更新され続けている。それらの競技によって洗練されたトレーニングや栄養摂取の技術、選手の体格、国際試合の経験値、球場の広さ等を考慮すれば、個々には例外があるにしても、選手の平均的な運動能力は向上していると考えられる。
 ただし野球においては、運動能力が成績に直結するわけではない。投手成績と打撃成績は、投手と打者の能力の相関関係によって左右されるから、全体的には、打者の能力向上が、投手のそれを上回った、と考える人もいるかも知れない。
 
 だが、私はもっと単純な理由を挙げたい。
 1978年より後のある時期に投手の登板機会が減り、そのため勝ち星を挙げる機会も減ったのだ。

 先発投手の登板間隔について語ろうとすると、私はどうしても江川卓を思い出さずにはいられない。
 江川は、プロ野球選手となるまでのトラブルと、彼自身のキャラクターにより、世の中の多くの人々と、ゴシップ色の強いメディアに、いたく嫌われていた。「キャラクター」といっても、彼の人格が万人の嫌悪感を誘ったというわけではない。メディアを通してみる限り、彼はスポーツ選手としては珍しいほど人当たりがよく知性もある興味深い人物なのだが、例えば、ジャイアンツへの「入団発表」における「そう興奮しないでください」という発言に代表されるような物の言い方が癇に障る人も多かったのだろう。1978年のドラフト会議以後、プロ入りして数年の間、江川が受けていた風当たりの強さを、当時を知らない人に説明するのはかなり難しい。例えば1981年の江川と西本の成績だけを見比べたら、なぜ江川が沢村賞を取れなかったのか理解できる人はおそらくいないと思う(当時は今と違って新聞記者が選考していた)。
 ともかく、プロ入り後のかなりの期間にわたって、江川はやることなすこと批判されていたという記憶がある。

 ここで話は本題に戻る。江川はプロ入り間もなく肩を痛めたこともあってか、登板間隔をもっと長くしてほしい、という意味の発言をしたことがある。プロ野球の諸先輩やメディアは、彼を「怠け者」と非難した。
 その時に江川が求めた間隔は、確か中4日だった。
 1985年、右肘に左腕の腱を移植するトミー・ジョン手術によって復帰した村田兆治は、毎週日曜に登板して勝ち星を重ね、「サンデー兆治」の異名をとった。私の記憶が確かなら、当時は「週1回しか投げない主力投手」という存在自体が珍しく、「サンデー」にはそんな含意もあったはずだ。
 それから約30年。今の日本球界では、大きな故障をしたわけでもない20代の主力投手でも、投げるのは週に1度。MLBでは相変わらず5人くらいでローテーションを回しているので、今では日本の方がMLBより登板間隔が長いのだ。江川はきっと、自分が言った通りになったじゃないかと思っていることだろう。

 Wikipediaの「先発ローテーション」の項では<1980年代の先発ローテーションは中5日が多く><1990年代から中6日の先発ローテーションが増える>と記している。MLBについては、<1980年以降のMLBでは、先発投手5人を100球前後で降板させ、中4日の日程で運営するローテーションが定着している>とある。真偽のほどを確認するのは大変なのでここでは措くが、大雑把な印象としてはそう外れていないように思う。200勝投手が80年代以降デビュー組から激減したという事象と、時期的にも一致している。
 
 今、「2000本安打」と等価とみなすべき勝ち数はどの程度が妥当なのだろう。
 NPBの公式サイトには、各種通算記録の上位100傑が記載されている。2000本安打を(NPBだけで)打ったのは44人。一方、150勝を挙げた投手は47人だ。150勝から199勝の投手のうち、80年代以降にデビューしたのは、西口文也、斎藤雅樹、星野伸之、桑田真澄、槙原寛己、三浦大輔。日米通算なら野茂英雄、石井一久、松坂大輔、黒田博樹も加わる(80年代以降デビュー組で200勝したのは、野茂を除けば工藤公康と山本昌の2人だけ)。90年代デビューはゼロだ。
 80年代にデビューした打者だと、NPB単独で2000本以上打ったのは立浪和義、石井琢朗、秋山幸二、清原和博、野村謙二郎、田中幸雄、駒田徳広、谷繁元信。90年代で前田智徳、稲葉篤紀、古田敦也、小笠原道大、小久保裕紀、中村紀洋。2000年代デビューにもラミレスがいる。これに日米通算のイチローと松井秀喜、松井稼頭央が加わる。
 顔触れを見比べると、私の“相場感覚”では、150勝でだいたい釣り合いがとれているように思うのだが。
 
 「2000本安打」と「200勝」が世の中で特別な意味を持つようになったのは、前回エントリでも書いたように、名球会の影響が強い。
 記録保持者に光が当たり、広く一般に知られて尊敬を集めるようになったことは、名球会の功績といってもよい。ただし、有資格者に当たる光が強すぎることが、結果的に、その基準に届かなかった人々を見えにくくしてしまっていることも否めない。とりわけ「200勝」にわずかに届かない投手たちにおいて、その影響は顕著に現れている。
 別に「名球会入りの基準を150勝に引き下げろ」などと主張する気はない。が、平成の150勝投手たち(あるいは、先発とリリーフの双方を高レベルでこなしたがゆえに、どちらの基準にも到達しなかった佐々岡真司や大野豊や槙原寛己のような投手たち)がもっと尊敬されて然るべきだということは、2000本安打を打った打者たちが次々と脚光を浴びている今だからこそ、主張しておきたい。
 端的にいって、投手が150勝に到達した時には、スポーツメディアは今の2000本安打と同じくらい大騒ぎしてよいと思う。名球会などという昭和のモノサシに、いつまでも囚われている必要はない。

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2000本安打へのキャリアデザイン。

 今年は開幕から2000本安打を達成する打者が続いている。去年も3人いたのだから、「今年も」というべきか。
 去年は稲葉、宮本、小久保。今年はラミレス、中村紀、谷繁。井口も故障なくレギュラーで出場し続ければ手が届く距離だ。年間4人になれば、衣笠、福本、山崎、藤田平が達成した1983年以来の豊作ということになる。
 
 長期間活躍しなければ達成できない通算記録だから、2000本に到達したのは見慣れた選手ばかりだが、何となく気になったことがあり、確かめてみようかと2000本達成者をリスト化してみた(日本人は日米通算も含む)。左の数字は達成年、右の数字は、まあちょっと考えてみてください。

1956 川上哲治 1/1
1967 山内一弘 2/3
1968 榎本喜八 1/2
1970 野村克也 1/3
1971 長嶋茂雄 1/1
1972 張本勲 1/3
1972 広瀬叔功 1/1
1974 王貞治 1/1
1975 江藤慎一 4/5
1977 土井正博 2/2
1978 高木守道 1/1
1980 松原誠 1/2
1980 柴田勲 1/1
1981 大杉勝男 2/2
1983 衣笠祥雄 1/1
1983 福本豊 1/1
1983 山崎裕之 2/2
1983 藤田平 1/1
1984 山本浩二 1/1
1985 若松勉 1/1
1985 有藤道世 1/1
1985 谷沢健一 1/1
1987 門田博光 1/3
1987 加藤英司 5/5
1990 大島康徳 2/2
1992 新井宏昌 2/2
1995 落合博満 3/4
2000 秋山幸二 2/2
2000 駒田徳広 2/2
2003 立浪和義 1/1
2004 イチロー 2/3  現役、MLB
2004 清原和博 2/3
2005 古田敦也 1/1
2005 野村謙二郎 1/1
2006 石井琢朗 1/2
2007 松井秀喜 2/5  MLB
2007 前田智徳 1/1 現役
2007 田中幸雄 1/1
2008 金本知憲 2/2  FA
2009 松井稼頭央 4/5 現役、MLB、FA
2011 小笠原道大 2/2 現役、FA
2012 稲葉篤紀 2/2  現役、FA
2012 宮本慎也 1/1  現役
2012 小久保裕紀 3/3 FA
2013 アレックス・ラミレス 3/3 現役
2013 中村紀洋 6/6  現役、MLB、FA
2013 谷繁元信 2/2  現役、FA

 さて、数字の意味がおわかりになっただろうか。
 種明かしをすれば、/の左側が「2000本安打達成時までの在籍球団数」、右側が「最終的な在籍球団数(現役選手は今年までの数)」だ。
 現役生活を1球団で終えれば1/1。達成後に移籍をすれば1/2とか3とかになる。同一球団に2度以上在籍した場合はそれぞれ別にカウントしている(例えば、ホークスからジャイアンツにトレードされ、FAでホークスに戻った小久保の在籍球団数は3となる)。
 
 2000本安打を打つほどだから、それぞれの選手は最初の所属球団でレギュラーとなり、一時代を築いている(今のところ例外はない)。70年代の野村、張本らは、最初の所属球団で2000本に到達、その後も長く活躍し、その中で球団を移っている。達成時の球団数が「1」ではない山内や江藤、土井、大杉も、当時は珍しかった主力の大型移籍であり、移籍後も長い間活躍している。

 昭和30年代あたりにはまだ、選手もファンもさほど記録に関心を持っていなかったと聞く。力が衰えても2000本を打つまで現役で頑張る、という選手の行動が顕著に見られるようになったのは、金田正一が昭和名球会を設立した1978年以降のように思う。1980年に達成した松原、柴田はいずれも衰えが明白な中での達成となった。松原は低迷の続いた大洋を支えた功労者でありながら、この80年のオフにはジャイアンツに移籍。主に代打で1年を過ごして引退する。柴田は80年を最後に引退した。
 80年代後半にも、複数球団を経験した達成者が増える。中でも加藤英司(秀司)は、5球団目にしてようやくの到達。海外移籍を経験していない選手としては最多である。山田久志、福本豊とともに阪急全盛期の三羽ガラスと呼ばれ、首位打者を2度もとった選手だが、他の2人が阪急一筋で選手生活を終えたのと対照的な晩年となった。

 90年代後半からの達成者は、「一筋派」と「FA派」にほぼ二分される。「FA派」の第一号は、FA移籍第一号でもある落合博満。3球団目のジャイアンツでの達成となった。ちなみにこの95年以後、ジャイアンツ在籍時に2000本安打に到達したのはほかに清原と小笠原がいるが、ジャイアンツの生え抜き選手では80年の柴田を最後に出ていない(FAでジャイアンツを出て行った選手としては駒田と松井がいる)。

 この表を作って気づいたのは、「一筋派」も結構多い、ということだった。古田、野村、前田、田中幸雄、宮本。いずれも球団を代表する大選手である。ただし、同時代の「FA派」の打者たちと比べると、主軸というよりはその周囲を打つ打者が多い。そして、守備時においてもチームのリーダー的な存在だった。例外は前田。本来は押しも押されぬ主軸打者だが、アキレス腱断裂という大きな故障をしている(それでも2000本まで届いたこと自体が凄いが)。
 一方、「FA派」の打者たちは、ほとんどが3番か4番が定位置という顔触れだ(例外は松井稼と谷繁)。
 つまり、チームの最強打者はFA宣言して移籍していき、その周囲を打つ好打者で守備でも中心的な選手が長くチームに残る、というのが、FA制導入以後の名選手たちの移籍動向といえそうだ。球団史を代表する四番打者たちの名が連なる80年代半ばまでとの、もっとも大きな違いのように思う。

 また、ここ数年の達成者には、気息奄々かろうじてたどり着いた、というタイプも少ない。ほとんどの選手がレギュラーとして試合に出ながら2000本を打っている。かつてより選手寿命が延びたこと、シーズンの試合数が一時期よりも増えたことなどが影響していそうだ。
 
 こんなことを調べてみようと思ったもともとのきっかけは、ラミレスの2000本安打達成だった。
 2000本に届くほどの大打者で、極端に衰えたわけでもなくレギュラーで活躍しているというのに3球団目とは、あまり正当に評価されていないのではないか、と思って一覧にしてみたのだが、結果から言えばそう珍しくない。日本人でも全盛期にFA移籍する選手は多い。彼のヤクルトからジャイアンツへの移籍を日本人におけるFA移籍に該当すると考えれば、21世紀の2000本打者のキャリアとしては典型例に近い。
(ただし、以前は「日米通算2000本」で可だったはずの名球会の入会資格には、いつのまにか「日本をキャリアのスタートとする」という条件がついていた。まるでラミレスを狙い撃ちしたかのような条項で、相変わらずコロコロとよく変わる。これではクロマティが入れなくなってしまったではないか(笑))
 
 投手編は後日改めて。
 
※表はWikipediaなどをもとに拵えたもので、あまり厳重なチェックはしていません。間違いを見つけた方は教えてください。

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松井秀喜の引退。

 遠からずこの日が来ると覚悟はしていたものの、例によって予定時刻に遅刻して会場に現れた松井の姿を見たら、やはり何とも言いがたい感情がこみあげてきた。
 席について最初に口にした「わたくし、松井秀喜は…」という折り目正しい言葉は、10年前、彼がその地を目指すと宣言した時とまったく変わらないものだった。ファンへの挨拶に始まり、引退の理由を説明し、現役生活を振り返った長い独白の中で、「引退」という言葉も、「ケガのせいで」という言葉も、とうとう口にされることはなかった。先日、同じように現役生活に終止符を打った中山雅史と同じように、彼もまた、言いたくなかったのだと思う*。ユニホームを着た時の感情表現は正反対でも、プレーへの執着、ファンへの誠実さ、己の肉体への厳しさといった幾つもの面で、彼ら2人はよく似ている。

 ただ、ヤンキースを離れ、1年ごとにチームを代わり、遂に契約してくれるチームのないまま春を迎えても、そして、ようやく契約してメジャー昇格したレイズから解雇されてもなお選手であることに固執したように、アメリカでは徹底的に諦めの悪さを見せた松井も、日本でのプレーを考えなかったのか、という質問に対しては、「10年前には巨人の四番であることに誇りを持ち、責任を持ってプレーしていた。日本に帰れば、10年前と同じ活躍を期待する人は多いと思うが、同じ姿を見せられるという自信を、強く持つことができなかった」と語った。
 川上、長嶋、王、原と、歴代の読売ジャイアンツの四番打者は、その現役生活をジャイアンツで始め、ジャイアンツで終えた。高橋由伸も阿部慎之助も、おそらく同じ道を歩むのだろう。絶頂期でジャイアンツを離れた松井は異色の経歴をたどったけれど、ことNPBでの足跡は、先人たちと同じということになった。
 ヤンキースは松井の引退にあたって、さっそく公式サイトにハル・スタインブレナーオーナー、ブライアン・キャッシュマンGM、デレク・ジーターのコメントを発表した。三者三様に、それぞれに松井への敬意と愛情のこもった文章であることは、私の拙い英語力でも理解できる。それでも、「ヤンキースの一員のまま引退するのが幸福」というような考え方はなかったようだ。
 松井は会見で、アメリカで学んだ事を問われて、長考の末に「実力がすべて、ということですかね」と答えた。世界中から人材が集まり、競争を勝ち抜いた者だけが生き残り、絶えざる離合集散がすべてである彼の地と、少年時代から晩年までをひとつの「野球界」で生きて行く日本。どちらがよいとも悪いとも言う気はないが、それが彼我の違いなのだろう。

 引退を報じるワイドショーで放送された過去の映像を見ながら、いろんなことを思い出した。
 今でこそ入団会見で「子供に夢を与えられる選手になりたい」と口走る選手は珍しくないが、20年前に彼の口からその言葉を聞いたときの驚きは、今でも私の中に残っている。18歳やそこらでそんなことを考える野球選手を見たことはなかった。そして、その目標は見事に果たされた。子供だけではない。彼より10歳年上の、私のようなおっさんにまで、大きな夢を見せてくれた。
 この20年、大仰にいえば、私は松井とともにあった。20年間の思い出を問われて「ありすぎて」と口ごもった彼と同様、私もまた絞りきれないくらいの光景が脳裏を駆け巡る。ルーキーイヤーの短かった二軍生活の中で、チョコレートの匂い漂うロッテ浦和球場で放った大きなホームランに始まり、数々のプレーを目にしてきた。活躍した日も、そうでない日も、すべてが大切な思い出だ。このブログでも何度も彼について書いて来たので、主なものを下に記しておく。改めて読み返すと、自分がどれほど彼にべた惚れだったのかを思い知って気恥ずかしい気もするが、それに値する選手であったことには微塵の疑いも持っていない。

 今日の質疑応答の中で、「自分なりに精一杯やったが、ファンの方たちがどう受け止めてくれたのか、自分にはわからない」という意味の、実に彼らしい発言もあった。数百万、数千万分の一の意見に過ぎないが、そのひとりとして伝えたい。

 あなたのおかげでこの20年間、数えきれない幸福な思いをさせてもらえました。ありがとう、松井さん。

*
 その後の質疑応答の中で「引退とは言いたくない」と自分でも語っていた。「草野球の予定もありますし」と付け加えたジョークに笑い声がさほど起こらなかったのは、それが滑ったというよりも、聞き手たちが感じていた寂しさゆえだったのだろう。


追記:過去の松井に関する主なエントリー

進化する怪物。
http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2004/09/post_11.html

滑り込んだ松井。
http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2004/10/post_4.html

ジーターを見ていればわかること。
http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2005/04/post_0122.html

嘘だと言ってよ、ヒデキ。
http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2005/12/post_087a.html

広岡勲『ヤンキース流広報術』日本経済新聞社
http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2007/02/post_d6d3.html

松井秀喜の戴冠。
http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2009/11/post-50d8.html

ヒデキがブロンクスに戻った日。
http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2010/04/post-54be.html

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落合博満とは何だったのか。

 私は来年で48歳になる。年男というやつだ。
 このくらいの年齢になると、プロ野球の監督のほとんどは、その現役時代から見ている、という状況になってくる。と書いてから確認したら、来シーズンのNPBの監督12人は、ほとんどどころか全員の現役時代を知っている。なるほど、久しぶりの草野球で飛球を追う足がもつれるようになったのも無理はない。

 その監督たちを見ていると、現役時代とはかなり印象が変わった人物もいれば、なるほど彼らしいと思う人物もいる。
 前者の代表格は西武ライオンズの渡辺久信だ。外見の印象もかなり変わったが(トレンディドラマ全盛期に、いかにもそれらしい服装で遊び歩いていた当時の彼から、今の姿は想像しづらい。遊び仲間だったらしい工藤公康の変わらなさぶりも驚異的だが)、それだけではない。ストレート一本勝負のスタイルのままモデルチェンジできずに引退していった渡辺が、ああいう包容力のある指導者になるとは驚きだ。以前このブログでも著書を紹介したことがあるが、台湾時代の経験が、彼のそんな資質を引き出したのだろう。

 一方、「変わらないな、この人は」と思わされる機会が多かった方の代表格が、先ごろ中日の監督を退いた落合博満だった。シーズン終盤に退任が決定した際には、「契約が切れてやめる。それだけ」というようなコメントを残していたが、それも含めて彼らしい「オレ流」を貫いた8年間だったと思う。
 
 何が「落合らしさ」かについては人によって意見があるだろうが、私は「自分の流儀で結果を出す」ことにあると思っている。「結果至上主義」といってもよい。

 現役時代の落合は、すさまじい打者だった。特に、右中間に棒のように伸びていく打球が印象に残っている。が、見ていてさほど面白い選手ではなかった。当たり前に結果を出し、感情を表に出すこともない。打っても喜ばず、凡退しても平然とベンチに戻っていく。投手や捕手から見れば、この見逃し三振も何かの伏線ではないか、球筋を見切られてしまったのではないか、というような疑心暗鬼が生じて、打ち取った気がしなかったのではないかと思う。
 
 現役時代の落合が最初に書いた本のタイトルは「なんと言われようとオレ流さ」という。最年少で三冠王を獲得し、世の中に名を知られるようになった当時から、パブリックイメージも、彼のセルフイメージも「オレ流」だったわけだ。
 かといって、目立ちたがりの反逆児、というわけでもない。たぶん、彼には望む結果を出すための道筋が見えていて、そこを歩いているだけなのだろうと思う。そして、その道筋が他人にとっては面白くなかったり困ったりするものであったとしても、それには一切考慮しない。周囲の事情が彼の道筋と抵触して、はじめて「オレ流」となる。
 退任後に出演したテレビ番組で(日本テレビでの江川卓との対談だったか)、「普通って何?オレは普通だよ」という意味のことを口にしていたが、彼にとっては「普通のことを普通にやってきただけなのに、なぜか他人がとやかく言う」という感覚なのだろう。
 
 現役時代に、制度としては存在していても誰も利用することのなかった年俸調停を初めて申請したのは落合だった。選手会を退会しながら、選手会がフリーエージェント制度を勝ち取ると、初年度に利用して中日からジャイアンツに移籍した。どちらの行動も、何かの規則に抵触するわけではない。ただ、凡人なら「空気」に配慮してやらないだけだ。
 一方で、MLBにはまったく興味を示さなかった。オフのエキシビジョンゲームであった日米野球では、よく日本側の選抜チームに選ばれて活躍し、MLB側の監督に絶賛されていたが、新聞記者らからの「大リーグに意欲は?」という質問には「通用しないよ」「どうせ行けないでしょ」といったニベもない返事をするのが常だった。野茂英雄のように当時の規則を超えてアメリカに渡る、という意欲はなかったようだ(監督就任後のWBCへの無関心ぶりを見ると、本当に国際試合に興味がなかったのかも知れない)。

 つまり、落合は一貫して「規則には従う。空気は読まない」という人物だった。
 規則で許される範囲内で、ぎりぎり最大限のことをやる。明文化された根拠のない空気は無視する。それが彼の「オレ流」だ。
 そうやって、目的合理性を追求してきたという点では、現役時代も、監督になってからも、彼の言動は変わらない。「強打者なのに守備的なチームを作ったのは意外」という声も散見されたが、私は同意しない。落合が、勝つ確率を下げてまで自分の好みを優先する姿は想像できない。目的のためには手段を選ばない、身も蓋もないリアリスト。それが落合なのだ。

 監督になってからの落合は、中日ドラゴンズの勝利のために、あらゆる手を尽くし、実際に勝利してきた。中日ファンにはよい監督だっただろう。中日の勝利を喜びとしない人間にとっては、特に面白くはない監督だった。その評価のギャップが表面化した典型が、例の日本シリーズでの山井降板だったともいえる。

 ジャイアンツファンである私にとっては、落合が率いる中日は嫌な相手だった。手ひどい敗北を何度も見せられた。
 野球のスタジアムにはそういう慣習はないけれど、サッカーの試合では、アウェーの選手紹介の際に相手選手の名が呼ばれた時にサポーターがブーイングをする。手強い選手ほどブーイングは強くなる。その大きさは、裏返しの評価とも言える。
 落合中日監督は、私にとって最大級のブーイングに値する人物だった。中日ドラゴンズのどの選手よりも。
 そして、強くて嫌な落合ドラゴンズだからこそ、勝った時の喜びも、また大きかったのである。
 
 
 落合の監督としての実績には揺るぎないものがある。一方で、「コーチを育てなかった」「選手を育てなかった」という批判がある。

 「選手を育てなかった」という言い方は、正しくはない。現在の投手陣はほぼ落合監督下で育った選手ばかりだ(岩瀬も落合によってはじめてクローザーに抜擢された)。野手でも、井端、荒木、森野、和田、谷繁らの主力は、移籍組も含めて、落合監督の下で1ランク上の選手に成長したといってよいと思う。
 ただし、若い野手は伸びなかった。彼が監督をしていた8年間にドラフト経由で入団した野手に、これまで規定打席に達した選手がいないという(自分で確かめたわけではないが、東京新聞に書いてあったのでたぶん事実だろう)。これをどう評価するか。結論を出すのは来シーズン以降でよいと思う。
 
 原理原則でいえば、新人選手を一軍で使えるレベルに育てるのは、一軍監督の仕事ではない。二軍監督を含めた他のスタッフの仕事だ。一軍監督の仕事は、現有戦力を用いて勝つことだけだ。
 ただし、選手を育てるべきコーチの人事も、落合の意向に大きく左右されていたと聞く。自分で招いたコーチも容赦なく切っていたように見えた。

 しかし、これは落合監督の問題というよりは、球団側の問題だ。球団側が確固たる編成方針、育成方針を持たず、二軍のコーチ人事までも一軍監督の意向に左右されるようでは、その監督が去った後には何も残らない。落合に匹敵するプロフェッショナルが、彼を雇った中日ドラゴンズ球団にはいなかった。それが、今回の奇妙な退任劇を招いたのだろうと思う。

 落合という選手は、プロ野球選手という職業の一つのあり方、むきだしの本質を見せてくれた存在だった。
 そして、落合という監督もまた、プロ野球監督という職業の、むき出しの本質を体現していた。私にはそのように思える。

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無事是貴人。

 中日の岩瀬仁紀の通算セーブ数が286に達し、高津臣吾と並んで日本一になったことを伝える6/13の東京中日スポーツに掲載された、岩瀬の年度別成績を見ながら感心したことが二つある。

 ひとつは、登板試合数だ。プロ入り1年目の1999年にいきなり66試合に登板し、以後昨年までの12年間、すべて50試合以上に投げている。
 こんな投手は他にいない。その後、岩瀬に抜かれて通算セーブ数で2位になった高津が50試合以上に登板したのは、各国リーグ合わせて実働19年のうち4年。3位の佐々木主浩は16年中6年(うち3年はシアトル・マリナーズ在籍時)。4位の小林雅英は12年中4年。
 登板数はクローザーよりも中継ぎの方が多くなる傾向があるが、あれほど投げまくっていた印象のある鹿取義隆でも50試合を超えたのは19年中3年に過ぎない。吉田豊彦でも20年の現役生活のうち、3年連続3回どまり。現役では、藤川球児が中継ぎ時代と合わせても10年中5年、久保田智之が8年中4年。最近ではジャイアンツの越智大祐と山口鉄也が3年連続で50試合以上登板しているが、あと9年もこのペースを続けるなんて、考えただけで気が遠くなるに違いない。
 
 もっとも、1950〜60年代には化け物じみたタフな投手が大勢いて、通算登板数トップの米田哲也は1956年のプロ入りから13年間のうち11年で50試合以上に登板している。先発ローテーションに入りながらリリーフもしていたので、投球回数も毎年200台後半から300台。金田正一も50試合以上投げた年が20年中11回、稲尾和久は14年中9回。梶本隆夫、小山正明など数え始めればきりがないほど、登板試合数の上位には、往年の大投手が並んでいる。

 昔の大投手たちがなぜそれほどタフだったのかを論じはじめたら大変なことになるので(というより私には正直よくわからない)、ひとまず棚上げして、ここではリリーフ専業投手というものが日本のプロ野球に現れ始めた1970年代半ば以降に絞って話を進めることにする。

 重ねて言うが、現代のリリーフ投手として、岩瀬の堅牢さは群を抜いている。
 これほど投げ続けるシーズンが3年も続ければ、たいていの投手は故障するか成績が落ちる。しかし岩瀬の場合、明らかにダメだった年というものがない。防御率が最も悪かったのは2001年の3.30だが、61試合に投げて8勝3敗、特に悪いとは言えない。クローザーに転向した2004年以後は、勝ち数が負け数を上回った年はないのだが、セーブが30も40もあれば文句はあるまい(そもそもクローザーにとっては、勝ち星は必ずしも成功を意味しない)。
 振り返ってみれば2004年の2勝3敗22セーブという数字は多少物足りないが、それは翌年以降の成績が凄すぎることから来る印象で、クローザーとしては及第点だろう。

 私は、プロ野球選手にとって最も大事なことは、「数多くの試合に出て、一定レベルの成績を残し続ける」ことだと思っている。
 毎年百数十もの試合を行うプロ野球では、観客がその大半を見ることは難しい。球場に足を運ぶのはさらに難しい。年に一度どころか、もしかすると一生に一度くらいしかスタジアムで野球を見ることができないファンに対して、選手がなすべき最低限の仕事は「試合に出る」ことだ。「試合に勝つ」とか「活躍する」というのは、その先にあることだ。相手のいることだから、どんなに頑張っても勝てない日もあれば打てない日もある。それでもスター選手がグラウンドに現れ、頑張っている姿を見せれば、ファンは満足はしなくても納得はできる。MLBでいうところのconstancyは、いわば選手の観客に対する誠意の結晶なのだ。
 増して岩瀬はクローザーだから、「姿を現す」ことは「勝利を見せる」ことにほぼ等しい。この「ほぼ等しい」という状況を6,7年も保っているのだから、見事というほかはない。
 
 プロ野球に関する言説では、こういう「丈夫で長持ち」する選手が話題に上ると、よく「無事是名馬」という言葉が持ち出される。これは一体どこから来た表現なのだろうかと調べてみたら、意外なことが判った。「臨済録」に「無事是貴人(きにん)」という言葉があり、競馬好きの菊池寛がこれをもじって言った言葉なのだという。元ネタは禅語というわけだ。

 <当然のことを造作なく当然にやることが平常であり、無事というわけです。いかなる境界に置かれようとも、見るがまま、聞くがまま、あるがままに、すべてを造作なく処置して行くことができる人が、「無事是れ貴人」というべきです。>と<臨済・黄檗 禅の公式サイト>に解説が書かれている。
 勝ち試合の9回表になると当然のようにマウンドに立ち、ほとんど表情を変えず、長い腕から“死神之鎌”の如きスライダーを投げ込み、何事もなかったかのように試合を終わらせる岩瀬には、まさに<すべてを造作なく処置して行くことができる人>である。「名馬」よりも「貴人」が彼にはふさわしい。
 
 
 長くなったので、「感心したこと」の2つ目は改めて。前にtwitterに書いたので、知ってる人は知ってると思いますが(笑)。

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