高代延博「WBCに愛があった。 」ゴマブックス

 今春の第2回WBCで三塁ベースコーチを務めた高代延博が大会を回顧した本。あとがき等を見ると、スポーツ・ヤアの元編集長、本郷陽一が関わっているようだ。

 第1回大会の後には2冊のドキュメンタリーが刊行されたが、いずれも取材者(石田雄太、石川保昌)の手によるものだったから、インサイダーによるWBC回顧録というのは初めてで、それだけで興味深い。三塁ベースコーチとして、日本代表の攻撃のすべてをグラウンドで体験してきた高代であれば、なおさらだ。

 刊行時の目で記したプロローグ、大会そのものについての考えを述べたエピローグを除くと、本書は著者が原代表監督から三塁コーチへのオファーの電話を受けた日に始まり、帰国便が成田空港に到着する場面で終わる。
 コーチ陣の編成が発表された時、私は、原と高代にどういうつながりがあるのだろうと訝しく思ったものだが、高代自身も同じような戸惑いを持っていたようだ。ジャイアンツとのプレーオフに敗れたその夜に、落合監督自身の口から翌年の構想に入っていないことを告げられ、その2日後、ナゴヤドームで荷物をまとめている最中に、携帯電話に原自身から連絡があった。
 意欲はあるものの、WBCに参加すれば、そのシーズンはもうコーチとしての仕事はない。生活のためには他球団に就職した方がよいのではないか、と迷った高代は、率直に事情を話して返答を保留するが、プレーオフが終わるような時期には、すでにどこの球団も監督・コーチ人事は完了していた。原の誠意、妻の勧めにも推されて、高代はコーチを引き受ける。
 …というような、わりとなまなましい内情が、坦々と記されていく。首脳陣の顔合わせ、選手選考*と、大会に向けた準備が進み、そして合宿へと向かっていく。

 面白いのは首脳陣の人間関係における高代の立場だ。
 もちろん高代のコーチとしての手腕は評価され、仕事の上では尊重されていたのだろうが、高代は人間関係の上ではまるで外様なのだ。この大会限りのプロジェクトチームとして集められたコーチ陣とはいえ、それぞれに既存の関係はある。王顧問、原監督、篠塚・緒方コーチというジャイアンツ人脈が中心にあり、投手コーチの山田、与田は職掌上は専門外。
 そのため、仕事を離れた場面では一人で過ごすことが多かったようで(酒を飲まないコーチが多かったせいもあるらしい。高代自身は飲む人なので)、本書では、合宿や遠征生活の中で一人で夕食に出かける場面がたびたび出てくる。というより、監督主催などの食事会以外では、スタッフと行動をともにする場面がほとんどない(選手とは食事をしないのがポリシーらしい)。食事会で王顧問の隣に座るたびに緊張しているのもおかしい。
 別にそれがトラブルや不和の存在を示唆しているというのではなく、プロジェクトチームの成り立ち方というのはそんなものだろうな、とも思う。いい大人が1か月以上も集団生活を送るのだ。よほど気心の知れた相手でなければ、四六時中一緒にいたのでは疲れてしまうことだろう。何気ない場面だけれども、こういう描写にリアリティを感じる。
 
 宮崎での合宿、そして大会がスタートすると、今度は三塁ベースコーチとしての高代の眼と腕が前面に出てくる。これも本書の肝だ。
 どの試合のどの場面で、どの走者のスタートが遅れたことがどういう結果をもたらしたか。どうすれば自分は失敗を防げたのか。ある局面で本塁突入を指示し、別の局面で止めたのはなぜか。相手外野手の肩をどう評価していたか。テレビで見ているだけではなかなか判らない(いや、球場で見ていても判るとは限らない)、微妙なプレーと判断の機微が、試合の行方を左右していく。まさに「三塁コーチが見た侍JAPAN」(サブタイトルの一部)である。高代が書く三塁コーチ論をぜひ読んでみたい、と思わせる。ま、ご本人はまだまだコーチとして仕事を続ける意欲たっぷりだろうから、本当に肝心なことが書けるのはずっと先になるのかも知れないが。

 高代にはもうひとつ、守備コーチとしての仕事もあった。
 合宿に集まった内野手たちからアドバイスを乞われて、それぞれに対して課題とその解決方法を教える場面は圧巻といってよいが、白眉は何といっても村田への指導だろう。

 WBCを見ていて驚いたことのひとつが村田の守備だった。決して上手ではなく、そもそも本人がまともに意欲を持っていなかったことは確実(昨年末のテレビ番組で、広島の東出から「広島遠征では毎晩焼き肉屋に通っているから、3連戦の3日目あたりには明らかに守備の動きが悪い」と指摘されて、「今は食べたいものを腹いっぱい食べたい」と居直っていた)だった村田が、厳しい打球に飛びついて、しばしば危機を救っていた。本書では、原監督と高代が、村田の意識を変えて練習に取り組んでいく様子も記されている(横浜の指導者はこれまで何を教えてたんだろう、という気もしないでもないが。こういうことをきちんとさせられないのが弱いチームなのだろうな)。
 
 高代のノックの巧さが、USAで行われた第2ラウンド以降、現地のメディアに絶賛されていたという話は、大会当時も話題になっていた。本書でもその件が紹介されている。練習試合を行ったサンフランシスコ・ジャイアンツのベンチコーチが、守備理論を聞くために高代を訪ねてきた場面も興味深い。ベテランのベンチコーチを感服させる高代も見事だし、日本人にわざわざ教えを乞うコーチも立派だ。

 もちろん、ひとり高代だけでなく、原監督をはじめ伊東、山田、篠塚ら、それぞれのコーチに、それぞれのWBC物語があることだろう。彼らのような指導者がチームを支えていたこと、そもそも高代のような指導者がいること自体が、日本野球の強みなのだろうと思う。
 高代は法大ー東芝と進んだ後にドラフト1位で日本ハムに入団、日本ハムで10年、広島で1年の現役生活を過ごして引退。そのまま広島でコーチ生活に入り、90年から昨年まで19年間コーチ業をしてきた。現役時代から守備と走塁に定評のある内野手だったから、もともとそれらの技術については思考と実践を重ねていたのだろうが、人に教えるとなればまた別だ。
 本書は、優れたコーチとなった高代の仕事ぶりをWBCという特殊な大会を通じて描いたものだが、そこに至る過程、彼がいかにして優れたコーチとなったかについても興味が湧いてくる。
  
 
*
亀井義行の選考については、本書によれば高代自身が推挙したという(昨年末にテレビ番組に出演して、亀井の守備を高く評価したこともあった)。このblogで議論になったこともあるので、該当部分を引用しておく。

<問題は、外野の守備がための選手の是非だった。
 外野担当の緒方コーチも、そこは決めかねていたようで「例えば逃げ切りたいときに、どうしますか? 青木、イチローに代打はないですよね。福留に代打はあるかもしれません。その場合、守りはどうしましょうか」と全員に問題提起した。
 私は「亀井義行はどうか」と推薦した。
 色眼鏡で見られる巨人の選手、しかも実績には欠ける。だから、原監督や緒方ら巨人のスタッフにしてみれば、自分のチームの選手を推しにくかったのかもしれない。しかし、私は、敵チームである中日の三塁コーチャーズボックスに立っていて亀井は嫌な外野手の一人だった。肩と、打球を処理してからの動作の速さに関して言えば、全盛期の高橋由伸にもヒケを取らないレベルにあると感じていた。
 最終メンバーまで亀井が入ったことに「巨人だから選ばれた」という批判があったみたいだが、内情は違う。これは亀井の名誉のためにも特記しておきたいと思う。>

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プロ野球監督と学歴。

 このところ、古いエントリにコメントがついて、プロ野球の育成力について延々と議論をしているのだが、その過程で思い出したテーマがいくつかある。

 以前、別のエントリで「高卒と大卒、どちらが有利か」「高卒かつドラフト下位でプロに入ることにはリスクが大きいのではないか」というような議論をしたことがあった。この件については、少し前に読んだ泉直樹『ドラフト下位指名ならプロへ行くな!』(実業之日本社)という本がさまざまな材料を提供してくれている。本自体の結論としてはタイトルの通りで、とりわけ高卒選手においてのリスクは大きくなっている、というのが著者の考えのようだ。

 では現役を退いた時にはどうなのか、という疑問もある。他の世界に転じる場合はともかく、プロ野球界の中で、いわゆる背広組の仕事に就く上で、学歴が関係する局面があるのだろうか。
 豊田泰光氏が「球団フロントに残るには大卒が有利」とか「仰木がなかなかGMになれなかったのは高卒だから」というようなことを書いているのを読むと、実際にそうなのか、といささか気になってくる。
とはいえ、球団職員としてどんな選手OBが球団に残っているのかは、部外者にはなかなか把握しづらく、調べるのは難しい。

 では、公になっているところで、監督の学歴はどうなんだろう。
 選手が引退後に球団内でする仕事の最高位といえば、ユニホーム組では監督だ。もし各球団に学歴重視という傾向があるのなら、そこにも反映されているんじゃないだろうか。

 今年の12球団の監督のうち、アメリカ人2人を除く10人を高卒組と大学・社会人出身組に分けると、次のようになる。

●2009年 4:6
<高校>渡辺久信、梨田昌孝、野村克也、秋山幸二
<大学・社会人>大石大二郎、原辰徳、真弓明信、落合博満、高田繁、大矢明彦

上述の『ドラフト下位指名なら…』によると、1980年から2007年までの間にプロ入りした選手の出身カテゴリーは高卒949人、大卒449人、社会人585人だそうだから、高卒:大学・社会人出身の比率はおよそ48:52になる。現在の監督の構成比は、そこから大きく外れてはいない(実際には80年より前にプロ入りした監督が半数を占めるが)。

では、遡ってみるとどうだろう。5年刻みに調べてみた。

●2004年 4:6(アメリカ人2名を除く)
<高校>堀内恒夫、伊東勤、王貞治、梨田昌孝
<大学・社会人>落合博満、若松勉、岡田彰布、山本浩二、山下大輔、伊原春樹

●1999年 4:8
<高校>野村克也、王貞治、東尾修、仰木彬
<大学・社会人>星野仙一、長嶋茂雄、権藤博、若松勉、達川晃豊、上田利治、佐々木恭介、山本功児

●1994年 6:6
<高校>高木守道、三村敏之、野村克也、森祇晶、仰木彬、鈴木啓示
<大学・社会人>長嶋茂雄、中村勝広、近藤昭仁、根本陸夫、八木沢荘六、大沢啓二

●1989年 2:10
<高校>森祇晶、仰木彬
<大学・社会人>藤田元司、山本浩二、星野仙一、関根潤三、村山実、古葉竹識、上田利治、杉浦忠、近藤貞雄、有藤道世

●1984年 4:8
<高校>王貞治、稲尾和久、岡本伊三美、植村義信
<大学・社会人>古葉竹識、山内一弘、安藤統男、武上四郎、関根潤三、上田利治、広岡達朗、穴吹義雄

●1979年 3:8(アメリカ人1名を除く)
<高校>中利夫、梶本隆夫、広瀬叔功
<大学・社会人>古葉竹識、別当薫、長嶋茂雄、広岡達朗、西本幸雄、大沢啓二、山内一弘、根本陸夫

疲れてきたのでこのへんでいったんやめるが、どうやら傾向ははっきりしている。

<大学・社会人>のカテゴリーには高校から社会人を経てプロ入りした人もいるから、必ずしも「大卒優先である」とは言いきれない(実際には大学を卒業していない人が結構いるという話もあるし)。
だが、「高校から直接プロ入りした監督」が少数派である年が多いことは明らかだ。しかも、調べた範囲では、古い方がその傾向が強く、今はそれほどでもない。
実力の世界と言われるプロ野球でも、実力が計りづらい分野では学歴が影響する余地がある、ということだろうか。正直なところ、ここまで差があるとは、調べてみるまで気付いていなかった。

この件、もう少し調べてみようかと思っている。

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見物人の節度。(再録)

 いずれはこういうことも起こるのではないかと懸念してはいた。

プロ野球観戦中にファウル直撃 男性が楽天など提訴

仙台市宮城野区のクリネックススタジアム宮城で昨年5月、プロ野球の試合を観戦中にファウルボールが右目に当たり、失明寸前の大けがを負ったとして、宮城県大崎市の税理士の男性(47)が7日、球場を所有する県と球団を運営する株式会社楽天野球団に対し、約4400万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。

 訴状によると、男性は昨年5月18日、同球場の3塁側内野席で家族と試合を観戦中、楽天の打者が打ったファウルボールが右目を直撃。右目眼球破裂とまぶたを切る重傷を負い、今年3月23日まで通院治療を行ったが、以前は裸眼で0・3だった視力が0・03まで低下するなど回復しなかったという。男性が座っていた席には防護ネットなどは張られておらず、ライナー性の打球がそのまま男性の目に当たる形になった。

 担当の弁護士によると、男性は「ビールを席の下に置いて顔を上げたら、目の前にボールがあった」と話しているという。>(産経新聞より)
 
 
 ケガをした男性には、気の毒なことだったとは思う。不幸な事件だ。
 具体的に彼がどのような席に座っていたのかはわからないし、クリネックススタジアム宮城のフェンスが今どうなっているのかも直接は知らない(私があそこを訪れたのは、まだフルキャストと呼ばれていた2005年が今のところ最初で最後だ)。

 ただ、一般論として言えば、防護ネットのない席に座るのがどれほど危険なことなのか。強い打球が直接飛び込んでくる危険がゼロに近い席がほかにたくさんあるはずなのに、あえて防護ネットがない席に座ることがどんな意味を持つのか。そこに座る観客には自覚してもらいたいという思いはある。

 東京ドームの内野ネットの内側に設けられたエキサイトシートはとても人気のある席だが、当然ながら強いファウルボールが直撃する可能性がある。そこではすべての座席にヘルメットとグローブが用意されているのだが、先般のWBCで3試合続けてすぐ後ろから見た時には、ヘルメットを着用しない観客がかなりの割合に及んでいた。ヘルメットをつけないまま、インプレー中に後ろ向きで子供の世話をしている若い母親もいて、見ている方が冷や冷やした。
 
 
 プロ野球のフランチャイズ球場が、グラウンドと客席を隔てるネットを外したり、下げたり、ネットの内側に客席を設けたり、フェンスを低くしたりということを一斉に始めたのは、近鉄が消滅し、楽天が誕生し、球団も選手会も声を大にしてファンサービスを唱えた2005年シーズンのことだった。

 その頃にこのblogに書いた<見物人の節度。>というエントリがある。後半でこの話題を扱っている。
 今読み返しても、私の言いたいことはほぼ書き尽くされているので、後半部分を再録する。

 今回の事件で野球界の側に足りなかった点があるとすれば、ここでいう「社会的合意」を形成するための努力だったのだろうし、今後取り組むべき方向もそこにあると思う。

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(前略/冒頭はMLBについての話です)

 ネットがなければ、観客自身にも危険がある。一、三塁ベースの斜め後方あたりの客席には、痛烈なライナーのファウルボールが飛び込む。それもジアンビーやプホルスの打球である。並みの速さではない。ボールに当たってケガをする人がいないはずはないと思うが、それが大問題になったという記憶もない。「熱いコーヒーをこぼして火傷したのは店の責任」などという理不尽な訴訟がまかり通る国なのに、野球場でのケガに関する訴訟が大きな話題になったという記憶もない。

 たぶん、アメリカ人にとっては、「野球というのは、そういうもの」なのだろう。理屈ではなく、昔からそういうものだと決まっているのだ。時にはプレーの邪魔をする不届き者がいたり、打球に当たってケガをする不運な人がいたりもするけれど、だからといって野球を「そういうもの」でなくしてしまうことはできない。それが関係者にとっての、あるいは国民にとっての合意なのだろう。

 日本でも今シーズンから、ネットのない観客席を設ける球場が増えてきた。
 従来のスタンドの内側に、防護ネットのない内野席エキサイトシートを設けた東京ドーム。内野席のネットをなくした横浜スタジアム。フルキャスト宮城でも、外野のファウルグラウンドを極端に狭くし、フェンスを低くしている。
 メディアはこれらの試みを「グラウンドと観客を一体化する」と好意的に伝えている。私もいずれ座ってみたいものだと思っている。
 だが、これらの席には、いつか必ず痛烈なライナーが飛び込む。一定の確率でケガ人が出ることは避けられない。清原やローズがフルスイングした打球を、誰がよけられようか。また、選手が捕るべきボールを先につかんでしまう不心得者も、いずれ現れることだろう。

 そんな事件が発生した時が正念場だ。球団や球場は、自分たちの決断を疑わずにいられるだろうか。メディアは、掌を返して「主催者の管理責任」を追及するいつもの習慣を、我慢できるだろうか。
 それはつまり、我々は「野球というのは、そういうものだ」という合意を形成できるだろうか、ということでもある。

 観客はボールの行方から一瞬たりとも目を離さず集中すべきだ、選手と一緒に戦え、ビールなど飲んでいる場合ではない等々と主張する「ネット不要論者」も世の中にはいるようだが、すべての観客がそうあるべきだとは、私は思わない。野球はそもそも退屈な時間の多い見世物であって、ビール飲んで弁当食って友人たちとお喋りしながら見物するにも適している。そういう楽しみを否定してしまうのは惜しい。
 それに、実際にスタンドに座って見ていると、ファウルボールが近くに飛んできた時、アメリカの観客はほぼ例外なくボールをつかもうと争うけれど、日本の観客は必ずしも全員がそうではなく、ボールから逃れようとする人も結構いる。別に、どちらが正しいというわけでもない。ただ、そこで逃げてしまうような人が、うっかりネットに守られていない席に座ってしまうような宣伝や売り方は、しない方がいい。
(その意味で、エキサイトシートに萩本欽一という老人を座らせた日本テレビは、間違ったメッセージを視聴者に伝えており、感心できない)

 要は、それぞれが求める楽しみにふさわしい席を得られれば、それでいい。
 歌と鳴り物で応援したい人は外野席へ。弁当とビールと談笑を楽しみたい人はネット裏へ。一投一打に集中して観戦したい人だけが、ネットのない内野席へ。そんな社会的合意ができていれば、ネットのない席でファウルボールに当たってケガをする人が出たとしても、それが「防護ネット復活キャンペーン」につながる可能性は下がる。

 ネットを外すという試みは、責任回避を重視する日本の組織にとっては、簡単にできることではないと思う。フルキャスト宮城は県営球場、横浜スタジアムは第三セクター、どちらも自治体がかかわっているだけに、なおさらだ。
 おそらく打球の危険性については、それぞれの組織内部で相当厳しく指摘され、それでも実現するという決断を誰かが下しているに違いない。
 だとすれば、その勇気に敬意を表し、支持をする覚悟を、メディアも観客も持つべきだろう。我々は、MLB100年の伝統に匹敵する合意を、これから形成していこうという立場なのだから。


追記(2009.4.10)
コメント欄でご指摘いただいたが、MLBでも類似の訴訟はある。一般的には球団側が勝つか棄却されることが多いようだが、状況によっては原告の主張が認められる場合もあるようだ。

http://www.boston.com/news/local/massachusetts/articles/2004/06/10/
court_sides_with_red_sox_in_foul_ball_injury_lawsuit/
(うまく表示されないので途中で改行しています)

http://www.desmoinesregister.com/article/20090314/NEWS/903140337

また、NPBの「試合観戦契約約款」には、主催者の免責事項として以下の事柄が挙げられている。ただしこれが観戦者全員に充分に周知徹底されているかといえば疑問ではあるが。

第13条 (責任の不存在)

 主催者は、観客が被った以下の損害についての責任は負わないものとする。

(1) ホームラン・ボール、ファール・ボール、その他試合又は練習行為に起因する損害
(2) 暴動、騒乱等の他の観客の行為に起因する損害
(3) 球場施設に起因する損害
(4) 本約款その他主催者の定める規則又は主催者の職員等の指示に反した観客の行為に起因する損害
(5) 第6条の入場拒否又は第10条の退場措置に起因する損害
(6) 前各号に定めるほか、主催者又は主催者の職員等の故意行為又は重過失行為に起因することなく発生した損害
2  主催者が負担する損害賠償の範囲は、治療費等の直接損害に限定されるものとし、逸失利益その他の間接損害及び特別損害は含まれないものとする。

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ひょっとしてUSAにこそ野球を普及しなければいけないんじゃないか。

 最初に断っておきますが、「baseball」は「野球」に学べ、という話ではありません。念のため。

 WBCが始まる前には、前回と同様、「こんな大会に価値はない」「熱くなってるのは日本だけ」というような声がいろんなところから聞こえてきた。価値にはいろんな捉え方があるだろうから措くとして、蓋を開けてみて思ったのは、たぶん「熱くなってないのはUSAだけ」というのが正しいんじゃないだろうか(ま、南アフリカあたりも国を挙げて熱くなってるなんてことはないだろうけど)。

 ベスト4に残った日、韓、キューバはもとより、プエルトリコやベネズエラといった国々では、相応に高いモチベーションをもって大会に臨んでいたように思う。イタリアやオランダは、MLBおよび傘下チームの選手だけではなく、自国の国内リーグの選手も結構いたけれど、メジャーリーガーで固めた国と渡り合っていたのは驚きだった。欧州で開かれる次の五輪で野球が行われないのは残念だ。

 チームUSAにも、有力選手が参加してないとか、準備期間が全然なかったらしいとか、チームとしてのまとまりがないとか、いろんな問題はあるけれど、日本との試合を見ていていちばん印象的だったのは、ほとんど白人ばかりだったことだ。ジーターのほかにはロリンズとグランダーソンくらいか。ま、ハワードやデレク・リーが辞退したせいでもあるが、そのリーやケン・グリフィ、ランディ・ウィン、バーノン・ウェルズらが主軸に並んでいた前回とはだいぶ印象が違う(A-RODもいたからか)。
 「アメリカでは黒人の野球離れが進んでいる」という報道をここ数年、目にするようになったが、どうもそれは深刻なのではないか、という気がしてきた。

 「野球離れ」の理由として挙げられるのは、主として経済的な理由だ。都市部の貧困層にとって、野球は道具に金がかかるし、そもそもグラウンドがない。ボールひとつあれば路地裏でできるバスケットに人気が集まるのは当然でもある。
 また、プロ入りしてすぐに大金を稼ぐ、という点ではアメリカンフットボールやバスケットの方が有利らしい。NFLやNBAの事情はあまりよく知らないのだが、野球では大学卒のルーキーがいきなり活躍することは少ないし、最初のうちは報酬額も抑えられてしまうから、人生設計としてリスクが大きいのは確かだろう。

 USAの国内リーグは、ありとあらゆる人種が参加して、世界最高レベルでの野球が繰り広げられている。だが、そのプレーを担う選手のかなりの部分は、世界各国から集まっている。
 日本から見ていると<MLB=アメリカ>だけれども、<アメリカ>だと思っていたものから各国の選手を取り除いて残ったのが、あの<USA代表>だ。有力選手が大量に辞退したのは確かだが、それはドミニカやベネズエラも同じこと。

 世界中からかきあつめた選手たちのおかげで普段は見えにくいけれど、USAの実態は各国に比べてそれほど突出したものではない、というのが、今大会で明らかになったことのひとつのように思う。
 日本でも子供の野球離れが懸念されているが、USAの青少年の野球人口はどう推移しているのだろうか。子供たちは今も父親とキャッチボールをしているのだろうか。そういう風景自体がすでに神話なのだろうか。ご存知の方がいらしたらご教示ください。

 懸念されるのは普及の面だけではない。
 無限に上昇するかと思えたMLB選手たちの報酬も、さすがにこの不況で頭打ちになりつつはあるようだ。もともと一部の球団を除けば決して儲かってはいないとされる(そんなはずはない、会計上のカラクリだ、という見方もあるようだが)だけに、経営が厳しくなる球団も出てくるかも知れない。
 MLBの収益構造を支える柱のひとつは地元自治体だ。豪華な球場を自治体に(造ってくれなきゃ出て行くぞ、と脅して)造らせ、それを独占的に使用して、なおかつ球場を用いた商売(売店その他)の収益は球団が手にする、という、日本のプロ野球経営者から見れば信じられないほどおいしいビジネスモデルがあるわけだが、これだけ税収が落ち込むご時世に、自治体がこれまでのような負担をしつづけてくれるのかどうか。
 MLB機構の幹部たちからは、WBCのビジネス的成功を寿ぐ談話ばかりが聞こえてくるが、普及の面でもビジネスの面でも、少し足許を見直した方がよいのではないかと他人事ながら心配になる。

 MLBが揺らげば世界中が揺らぐのが、残念ながら今の野球界の実状だ。しっかりしていてもらわなければ困る。
 いや、ホントは、MLBに隙があるなら世界の有力選手をさらってきて主導権を奪おう、というくらいの元気がNPBにあってくれると嬉しいのだが。
 日本代表チームは、寄せ集めたコーチ陣と選手たちがひとつになってチームとして有機的に機能し、世界一を勝ち取った。
 NPBの偉いさんたち、いや、アマチュアも含めた野球界の競技団体幹部たちは、今こそ彼らに見習って「チーム」を目指してほしい。まずは監督人事に習って、若返りから始めてみたらどうか。アメリカ野球は日韓に学べ、と書いたアメリカの報道を見て満悦している場合ではない。って、最後は日本の話になってしまいましたが。

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終わりよければすべてよし(増補版)。

 昨日は中身のないエントリを大勢ご覧いただいたようで失礼しました。

 普段の私なら、試合が終わったところで、何か落ち着き払って恰好つけた文章を書こうとするのだろうが、昨日ばかりは何も湧いてこなかった。ただただへたりこんで言葉がない、そんな心境だった。
 試合前は、また韓国とかよ、もう見飽きたよ、という気持ちもあったはずだが、試合が進むにつれてどんどん前のめりになっていった。そんな人はたぶん日本中に大勢いたのではないかと思う。いいことも悪いこともあったが、決勝戦にふさわしい立派な試合だった。

 ともあれ日本は再びワールドベースボールクラシックの頂点に立った。
 アメリカに敗れ、韓国に1勝2敗と負け越した前回は、レギュレーションに救われた面があったことは否めない。
 だが、今回は違う。韓国には3勝2敗、キューバに2勝無敗、USAに1勝無敗。五輪で優勝経験があり、昨年の北京五輪で日本を上回る成績を残した3か国にすべて勝ち越している。何の瑕疵もない、堂々たる優勝だ。それが嬉しい。

(またしてもドミニカとやれなかったのは残念だが、一次ラウンドであっちが消えてしまったのだからどうしようもない。ちなみに韓国は今回、キューバともUSAともやらずに決勝に進んだ。別に彼らのせいではないが、幸運だったとは言えそうだ)


 試合が終わった後は、そのまま夜中まで仕事をしていて、帰宅が夜のスポーツニュースにも間に合わなかったので、試合後のインタビューで監督や選手たちが何を喋っていたのかはよく知らない(あの雰囲気は好きなので残念だ)。
 ただ、グラウンドでイチローが受けていたインタビューだけはテレビの前で聞いていた。同点の延長10回、二死一、三塁で打席に入った時の心境を聞かれて、彼はこんなことを話していた。

<日本からの視線が凄いことになってるだろうなと、自分の中で実況しながら打席に入って、そういう時は結果が出ないものなんですが、ひとつ壁を越えたな、と>
<球場に来てくれた皆さん、日本で見ていてくれた皆さん、すべての人に、ありがとうと言いたい>

 このblogに長く付き合ってくださっている方は、4年前の3月に書いた<イチローは視線に脅えている。>というエントリをご記憶かと思う。当時、文芸春秋に掲載されたインタビューの中で、彼は<日本からの目というのは脅威ですよ>と繰り返し語っていた。その後、第1回WBCの経験なども加わってか、だいぶディフェンスの鎧を緩めた印象はあるものの、基本姿勢は大きくは変わっていない。

 そんな面からイチローを見続けてきた者にとって、この談話には感慨深いものがあった。大袈裟に言えば、あの打席こそ、彼が視線恐怖症を克服した瞬間だったのかも知れない。

 レギュラーシーズンが始まれば、彼は再び日本のメディアに追い回されることになる。昨シーズンにやり残した「張本勲の通算安打数3085本を抜く」という局面がすぐに訪れるからだ。差は2本だから、開幕戦から期待が集まるだろう。
 彼がそこをすんなりと乗り越えられるようであれば、今シーズンの彼のプレーは、かなり楽しみなものになる。

 そして、就任前から大会中までとやかく言われ続けた原監督。
 試合中の采配は、必ずしも最良の選択ばかりをしてきたとは言えない。決勝戦でも残塁の山を築き、原自身が<うまい監督さんならもう少したくさん点を取れたでしょう>と認めている。

 試合中の作戦はもちろん大事だ。だが、監督の仕事はそれだけではない。
 大会中、前の試合から先発メンバーを入れ替えたケースで活躍した選手は多かった。野手では、スタートは悪くとも大会中に調子を上げていった選手は何人もいたし、途中で著しく調子を崩した選手はいなかった。
 13人連れていった投手のうち、まったく使えなかった投手は1人もいなかったし、<本来は僕がいる場所じゃないが、球児さんが心の持ち方をアドバイスしてくれた>という決勝戦後のダルビッシュの言葉に見るように、選手同士が助け合うチームになっていた。

 原が具体的に何をしたのかは知らない。投手陣については山田・与田両コーチに負うところも大きかったに違いない。
 だが、監督は結果のすべてに責任を負う立場である以上、評価もまた結果によって下されるべきだ。

 原監督は素晴らしいチームをまとめて世界一に導いた。
 それがただひとつの結果だ。誰にも覆せない。

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終わりよければすべてよし。

 原監督、スタッフ、選手たち。結果の出せなかった選手も含めて、みんなよく戦った。
 今度こそ瑕疵のない世界一だ。おめでとう!

 今はそれ以上言うことがありません。続きは後ほど。さ、仕事しなきゃ(笑)。

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チルドレンが巣立つとき。

 イチローチルドレンという言葉があった。
 2006年に開かれた第1回WBCでのことだ。川崎、西岡、青木。今江も入っていたかどうか。彼らが野球少年だった頃、すでにイチローは史上初のシーズン200安打を達成したスーパースターだった。イチローに憧れて育った彼らがプロ入りし、一軍の試合に出るようになった時には、すでにイチローは海の向こうの人だった。
 その憧れのヒーローと同じチームで野球ができる喜びに溢れた彼らは、生まれたてのアヒルが母の背中にくっついて歩くがごとく、いつもイチローにくっついて歩いていた(らしい)。そんな彼らをメディアがイチローチルドレンと名付けた。

 年齢差は10歳もないのになぜチルドレンか、と今になれば違和感を抱くが、当時は、その半年前の“郵政民営化選挙”で衆議院に大量当選した新人議員たちが「小泉チルドレン」と呼ばれて政界の一大勢力をなしていた頃だったから、そこから命名されたのだろうと容易に想像はつく。
 政界のチルドレンの多くはその後、庇護者を失って迷走を続けているが、野球界のチルドレンは、憧れのイチローと成し遂げた世界一の勲章もきっかけと励みになったのだろう、以後もそれぞれに成長し続けている。
 
 
 
 世界大会なのにどうして同じ相手とばかり何度も試合をしなければならないのかとか、ラウンドの初戦を勝ってもあんまり有利にならないのが釈然としないとか、ラウンドの最終戦は常に順位決定のためだけに行われるので気合の持っていきどころに困るとか、試合をするたびにダブルエリミネーション方式に翻弄されながらも(といってもこれは全部見てる側の感想で、やってる選手はまた違うのかも知れないが)、日本代表は第2ラウンドでキューバを再び倒し、どうにかベスト4の一角にまでたどり着いた。

 6試合で4勝2敗。日本をここまで導いた最大の要因は間違いなく安定した投手力だ。
 一方で、事前報道では絶対的なリーダーであるかのように扱われていた(そして彼自身もそのように振る舞っていた)イチローが極端な不振に陥っている。韓国との2試合はいずれもそこそこ走者は出るものの、進められず還せず、ひとたび先制を許すと、その重苦しい雰囲気のまま、ずるずると押し切られてしまう。そんな負け方だった。圧倒されたというわけではないだけに、一番打者の不振の影響は大きいように思える。このまま日本が大会から消えれば、戦犯扱いされることは避けられなかっただろうし、彼自身も大会前から、勝ち負けに責任を持つべき立場の人物がするように振る舞っていたのだから、そういう思いはあっただろう。
 春先はさほど打率が上がらないのが常とはいえ、イチローがここまで打てない姿は見た記憶がない。日本ラウンドでは不振だったものの、アメリカに渡って初戦のアメリカ戦の第一打席でいきなりホームランを放ち、以後はチームを牽引した前回大会とはかなり様相が異なっている。

 そして、チルドレンの3人もまた、3年前とは違う春を過ごしつつある。
 二塁手のレギュラーとして活躍した西岡は、そもそもこのチームに選ばれず、千葉ロッテの一員としてシーズンに備えている。二塁の岩村、遊撃の中島がそれぞれ相応の結果を出しており、今のところ西岡不在を穴とは感じさせない。ただ、手足が縮こまったような野球をしてしまった韓国との2試合では、よい意味で空気を読まない西岡の存在が突破口になったかも、と感じさせなくもない。

 西岡と二遊間コンビを組んで、やはりレギュラーだった川崎は、今大会では主にベンチに座っている。彼が守れる遊撃と三塁では、中島と村田がそれぞれにいい仕事をしているから、控えに回るのもやむなしとはいえる。ただ、渡米後の発熱で中島が欠場した時、代わってスタメン起用されたのは、西武では二塁を守る片岡だった。いかに足が速いとはいえ、川崎だって盗塁王経験者だ。屈辱的ともいうべき起用(正確には不起用)にもかかわらず、川崎はベンチの中できわめて高いテンションを保ち、守備から帰ってくる選手たちを迎えたり、イチローのキャッチボール相手を務めている。持ち味は違うけれど、彼なりに、前回大会で宮本慎也が果たしていたような役割をしようとしている。

 そして、まぎれもなく今大会の日本打線の中心にいるのが青木だ。ほかの打者が打ちあぐむ投手を攻略し、安打を重ね、好機ではランナーを還している。
 前回大会の彼は、前年にイチロー以来の200安打を記録したとはいえ、まだ売り出し中の若手だった。控えとしてベンチに座ることが多く、先発に起用された試合でもよい結果を出せなかった。優勝はしたけれど、充実感は物足りなかったのではないかと思う。その後の3年間、彼はレギュラーシーズンで好成績を続けた。北京五輪の予選と本大会にも出場し、今度は活躍した。そして今、少なくとも最初の6試合で、青木は誰よりも見事な打棒を見せている。
 
 
 3年前は、イチローに憧れ、仰ぎ見て、背中からついていくばかりだった若者たちが、今はその“父”の不振を補っている。イチローが打てなくても、青木が打つ。イチローは黙っていても、川崎がチームを鼓舞する。
 そして、彼らの少し上の世代である村田は、試合に出ているうちにだんだんと4番打者らしくなっていき、少し下である中島は、北京五輪に続き、緊張を感じさせないプレーを見せている。そんな彼らを見ながら、片岡や内川が緊張しつつも相応の結果を出している。
 下位をがっちりと固めている城島や岩村に支えられ(福留はもう少し打ってもいいと思うが)、20代半ばの中堅選手たちが苦しみながら戦って、日本は勝ち上がってきた。
 イチローがダメでも周囲がカバーして得点を挙げ、準決勝まで勝ち上がったということ自体が、この大会の最大の成果であるように私には感じられる。
(投手陣も見事だが、こちらはもともと評価が高いので)

 第1回大会で打線を牽引したイチローにしても松中にしても、今から見ればキャリアのピークにあった時期だ(これからまた上昇する可能性は否定しないけれども)。
 一方、今大会で上位打線を打つ彼らは、まだまだ成長途上にある。年齢的にはベテランに近づきつつある村田にしても、伸びしろはありそうだ。
 そういう選手たちが、この大会を足がかりに、さらに飛躍してくれるのなら、日本野球にとってこれほど嬉しいことはない(西岡や今江においては、出られなかったことを足がかりに。サッカーの世界では、あるワールドカップに選ばれそうで選ばれなかった選手が、次のワールドカップでチームの中心にいる、という事態はしばしば起こる)。

 と同時に、次の五輪で野球が採用されず、日本代表が真剣にタイトルを争う大会が4年後までこないことを考えれば、そこで主力となるであろう世代の選手たちが中心となって勝ち上がってきたことの意味はとても大きいと思う。
(今大会で活躍している20代の選手のほぼ全員が北京五輪経験者だというのは偶然ではないのではないか)
 イチローが額面通りに打ちまくって勝ち進むことよりも、ここまでの現実の方が、はるかに価値が高いと私は思っている。


 仰ぎ見ていたイチローの背中に、チルドレンと呼ばれた選手たちは、着実に近づいている。いつかは父を乗り越えなければならないのが子供の宿命だ。彼らの目に、イチローの背中は、間違いなく3年前とは違った見え方をしているに違いない。

 そして、あとは「父」が意地を見せてくれれば、もう何も言うことはない。
 イチローは、プロ入りして一軍で試合に出るようになってこのかた、「自分が打ってチームが勝つ」「自分は打つけどチームが勝てない」という状況は何度も経験してきたはずだが、「自分は打てないけど周囲が頑張ってチームが勝つ」というのは35歳にして初めての体験ではなかろうか。
 この事態を彼がどのように消化していくかは興味深い。過剰な自意識から解放され、「みんなのおかげでここまで来られた」というような言葉を口にすることができるようになった時、彼はまたひとつ違うステージに立てるのではないかという気もしている。もっとも、そんな期待をすることは、天才を凡人のステージに引きずり下ろすような類いの過ちなのかも知れないが。
 

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完全なるホーム。

 イチローがライト前に彼自身の大会初安打を放つと、スタンドの観客の半分くらいが立ち上がった。
 というのはたぶん私の錯覚で、実際には2割か3割くらいだったかもしれない。だが、そもそもイチローが登場してきた時点から、場内の空気は異様なほど高揚していた。

 試合開始直後の一回表。冷静に考えれば、単なる無死一塁だ。試合の先頭打者を出塁させてしまうことは、先発投手にとって、よい状況ではないけれど、とりたてて珍しい状況でもない。韓国の先発投手、キム・グァンヒョンだって経験はあるはずだ。
 だが、今夜のそれは、キムにとって絶対絶命のピンチのように感じられたのではないだろうか。今夜の東京ドームは、それほどの雰囲気、それほどの圧力だった。
 だから、続く中島の安打、青木の先制打、そして大会初登場の内川が三塁線を抜いたタイムリー二塁打は、観客の後押しによって生まれたといっても過言ではないと私は思っている。その後も積み重ねた計14本の安打と14の得点のすべても。

 村田は試合後のお立ち台で「野球選手として幸せです」と話していたが、それはそうだろう。本塁打を打った次の打席からの村田への声援はイチローに次ぐものだった。彼のプロ野球人生で、スタンドのほぼ全方位が自分を応援しているという体験は、空前のものだったに違いない。

 3年前の第1回大会の時にこのブログを訪れていた方は、東京ラウンドの終了時に、私が観客席のヌルさ加減を批判するような文章を書いたことをご記憶かも知れない。スタンドが埋まったのは韓国との試合だけだったし、その韓国戦では、日本での試合にもかかわらず、韓国側の応援に圧されていた。

 だから今夜、東京ドームで自分の席について満員のスタンドを眺めた時には驚いた(中国戦がほぼ満席だったことにも驚いたが)。韓国の応援団は左中間にこぢんまりと集まり、あとは三塁側に数カ所の島があるだけ。あのカンカンと甲高い音を立てる棒状の風船を両手に持った韓国サポーターは、全部で1000人もいなかったのではないかと思う。

 東京ドームのスタンドは、一周360度のうち350度くらいまでが日本を後押ししていた。集まった人たちは、見物ではなく応援に来ていた。ライトスタンドの応援団のリードに応じて、多くの観客が声を挙げ、手を叩いた。これほどの大差にもかかわらず、試合終了まで席を立つ人はごく少数だった。それどころか、ほとんどの観客が、試合後のヒーローインタビューまで残っていた。
 今夜の東京ドームは、これ以上ない、完全な日本のホームだった。3年前とはまったく違う。第1回大会に優勝したことの意義を、改めて実感した(もちろん北京五輪での経験も影響しているのだろうけれど)。

 2003年に行われたアテネ五輪予選以来、日本が国際大会のアジアラウンド(または予選)を戦うシリーズを現地で観戦し続けて4大会目になるが、これほどひとつになったスタンドを初めて経験した。それが嬉しい。
 
 原監督にはイチローを三番に置く構想もあったようだが、日本での試合では一番に置いて正解だったと思う。イチローが出てきた時の盛り上がりには異様なものがある。相手チームの先発投手は、最も神経をつかうであろう初回の第一球から、いきなり大ピンチのような気分に追い込まれるのだ。これほどやりづらい状況はない。
 イチローが打席に立つ時、観客がシャッターを押すカメラのストロボが、スタンドをまるでスパンコールのような状態にする。私はできるだけ発光を控えてほしいという立場をとっているけれど(写真撮ってもいいけど発光しない設定にはできるはずだ)、現実にはイチローの打ちづらさ以上に、相手投手が投げづらいんじゃないかとは思う。


 このような状況を韓国サイドから見れば、2大会続けてアジアラウンドを日本でやることは、理不尽に思えるかも知れない。前回大会では日本に2勝1敗だったし、別の大会とはいえ北京五輪では優勝しているのだから、もっと尊重されるべきだ、と彼らが考えたとしてもおかしくはない。
 WBCは、わけのわからないうちにレギュレーションが決まっていることが多く、日本ではMLBを批判する声が強い大会だが(もちろん正当な批判だけれども)、この点においては、日本代表は「わけのわからないうちに決まるレギュレーション」のメリットを大いに享受している、ともいえる。


 この勝利で日本は2次ラウンドへの進出を決めた。
 アジアラウンドはまだ1試合残っているから、チーム状態について軽々しいことは言えないが、よほどのことがない限り、アメリカでの2次ラウンドに落ち着いて入ることができるだろう。
 この2試合で石原捕手を除く野手全員が何らかの形で出場し、投手も岩隈、内海、小松を除いた10人が登板して、まずまずの内容の投球をした。当たりの出ていない打者が何人かいるものの、打線につながりが生まれ、ほぼ全員がゲームに入った状態で次に進めるのは、よい傾向だ。第1回大会のレギュラーだった川崎が、ベンチにいながらも懸命に盛り上げているのがよくわかる。

 スタンドはひとつになった。チームもおそらく、その方向に進んでいる。

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『昭和の魔術師』 ベースボール・マガジン社 ~田村大五さんの逝去を悼む~

 今朝の新聞の片隅に、田村大五さんの訃報を見つけた時には、本当に驚いた。
 つい最近刊行された著書『昭和の魔術師』を読んだばかりだったからだ。訃報によると亡くなられたのは13日で、ちょうど私がその本を読み終えた日だった。週刊ベースボール今週号の編集後記では、編集長を含む3人の部員が全員田村さんを追悼する文章を書いているが、本当に突然のことで、つい数日前まで普通に編集部に出入りしていたようだ。
 
 田村さん、と知り合いのように書いているが面識はない。私は一読者に過ぎない。
 たぶん週刊ベースボールを読まない人には、田村さんの名はまったく馴染みがないだろうと思うが、ここ30年くらい、ほぼ毎週読み続けている者にとっては、田村さんは週刊ベースボールの魂と言っても過言ではない人物だった。
 
 同社サイトの年表には書かれていないが、戦後まもなく月刊誌として始まったベースボール・マガジンは、一度なくなった後(週刊ベースボールとは別。週刊誌は昭和33年に刊行されてずっと続いている)、昭和53年ごろに復刊された(4,5年続いた後で季刊誌になり現在に至る、と記憶している。違ったらすみません)。
 その復刊当時に「プロ野球・謎とロマン」と題して、昭和初期の名選手たちの評伝が連載されていた。宮武三郎、景浦将といった歴史上の人物たちを生き生きと描いて、毎号楽しみに読んでいた。
 
 筆者は大道文という名だったが、後に週刊ベースボール誌上で「白球の視点」というコラムの連載が始まった時、あ、あれはこの人が書いていたのだな、と気がついた。文体がそっくりだったからだ。それが田村さんだった。
 
 「白球の視点」がいつからいつまで続いていたのか、はっきりと覚えてはいないのだが、今も続く豊田泰光さんの「オレが許さん!」と並ぶ名物連載だった。豊田さんが同世代の指導者や後輩たちをズバズバと斬っていくのと比べると、田村さんの文章はいつも暖かく、選手への思いやりに満ちていた。
(雑誌掲載が終了した後、「白球の視点」はネット上に場を移して継続され、昨年春まで続いていた。バックナンバーを今も読むことができるので、彼の文章に触れていただきたい)
 
 
 今年1月に刊行されたばかりの『昭和の勝負師』は、三原脩と水原茂、高松から始まり、東京六大学を経て、プロ野球界でも所属を変えながら続いた2人の勝負師のライバル物語を描いたものだ。2人の野球人生は巨人軍での同僚として微妙に交錯した後、九州に下った(と敢えて書く。当時はそういう感覚だったらしい)三原が西鉄ライオンズを最強チームに育て上げ、水原率いる巨人を3年続けて日本シリーズで倒した昭和30年代初頭がクライマックスだ。
 
 若き日に西鉄ライオンズの担当記者として過ごした田村さんにとっては、このチームこそが野球記者生活の原点だったのだろう。3度の対決が終わった6年後に生まれた私でさえ細部にわたってエピソードを知っているほど語り尽くされ、書き尽くされたテーマであるにも関わらず、のめり込むようにして一気に読めたのは、田村さん自身が見聞きし、あるいは当事者から聞いたエピソードの活きの良さと、書き手の気迫によるものだと思う。
 
 
 本筋のほかに印象に残るのは、「この話題についても書きたいのだが編集部から与えられた紙幅では書き尽くせないので先を急ぐ」という類の記述が繰り返し出てくることだ。
 
 一般論としては、私は書き手がこういうことを書くのは、好きではない。限られた紙幅の中に収めるのも芸のうちであり、言い訳じみたことにその貴重な数行を費やすのは潔くないと感じる。
 
 だが、本書に限って言えば、そういうネガティブな印象をまったく受けなかった。それをどうしても書いておきたい、ここで書けないのが残念だ、別の機会にぜひ書きたいんだ、という田村さんのあふれんばかりの熱意が伝わってくるからだ。三原水原の時代の熱気を今に伝えるのが執筆の動機、というようなことが前書きに書かれていたが(手元に本がないので後で確認しますが)、同時に、もしかするとそれ以上に、田村さん自身の熱さがよく伝わってくる。
 
 「あの頃はよかった」「俺たちの時代はなあ…」と語る年配者は世の中にいくらでもいる。そして残念なことに、ほとんどの場合、彼らの言葉は、現代を生きる者にとって価値を持たない。語る側の人々が、今の時代への理解と若者たちへの愛情のいずれか、もしくは双方を欠いているからだ。
 
 田村さんがそういう人たちと異なることは、例えば「新・白球の視点」を読めばすぐに判る。
 現役の野球選手たちに深い愛情を注ぎ敬意を払うことと、若き日に自分が仰ぎ見ていた偉大な人々の物語を語ることの双方が、彼の中では高いレベルで両立していた。だから、昔話を書いていても、どこかで必ず今とつながっている。
 そんな人はめったにいない。日本の野球界は、希有な語り部を失った。
 
 彼にとって特別に大切だったであろう三原・水原を主人公に据えた著書を、最後に残してくれたことは嬉しい。
 だが、その本の中で、あれも書きたい、これも書きたいと意欲を語っていた物事が、ついに語られなかったことが残念でならない。もっといろんなことを教えていただきたかった。
 一読者として、田村さんのご冥福をお祈りします。

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野球か。何もかも、みな懐かしい。

 先日、テレビ朝日の開局50周年企画で、1988年10月19日のロッテー近鉄戦を振り返るドキュメントが放映された。出張と重なったので、録画しておいて昨夜見た。
 
 当時、私は仕事の都合で、ある地方都市に住んでいた。久米宏の「ニュースステーション」の枠内で放映された試合を、職場のテレビで見ていた。終わった時には、言葉もなかった、という記憶がある(あと、あの試合を見た大抵の人がそうだろうが、有藤が大嫌いになった(笑))。
 
 20年を経た今、当時の映像を見ていてもっとも感慨深いのは、平日の昼間から川崎球場に並ぶ長蛇の列だった。グラウンドが見える近隣のマンションには、非常階段から屋上までびっしりと人が立って見ている。テレビ朝日は、もともと予定していなかった編成を変え、人気ドラマを休止してCMを飛ばし、「ニュースステーション」の時間帯にはニュースを全部後回しにして野球中継を続けた。
 冷静に考えれば、たかだかリーグ優勝決定戦である。毎年必ず生まれるリーグ1位が決まるに過ぎない試合に、そこまで人々が入れ込み、視聴者も支持した(ドラマが見たかった、という人もいただろうけれど、その声はさほど世の中に聞こえてはこなかった。インターネットもないご時世だから、単にメディアに無視されたのかも知れないが)。
 
 昭和の昔には、世の中がこれほど野球を大事にしていたんだな、としみじみと感じる。戦争が終わった直後の日本では、野球は娯楽の王だった。それから43年目あたりまでは、まだその熾火が、人々の中に残っていた。
 
 
 もっとも、近鉄の応援団長だった佐野正幸氏の「川崎球場じゃなかった」という言葉とともに映し出された「普段の川崎球場」の映像も衝撃的だった。がらがらのスタンド、ねそべる観客、外野でマージャンに興じる客さえいる。ネット裏も含めても1000人くらいしかいないんじゃないか、というくらいスカスカのスタンドも、また昭和の現実だった(この日、「ニュースステーション」が後回しにしたニュースのひとつに、阪急ブレーブスの身売りがあった。よりによってこんな日に球団の譲渡を発表するところに、阪急とオリエント・リース、現オリックスの両社が、野球にどの程度の敬意を抱いていたかが如実に現れている)。
 私も80年代、後楽園球場で行われた日本ハムの主催試合には時々足を運んだが、映像の中の川崎球場と大差なかった。

 平成20年のプロ野球では、パ・リーグといえどもあんな光景はない。
 という言い方は失礼で、今やパの観客動員は1試合平均22,118人もいる(セは27,970人)。阪神、巨人は突出しているが、下位3球団はセパともほぼ変わらない。数字に表れない部分では、むしろパの球場の方が熱い。
 
 普段から野球場に行く人の数は増えている。だが、行かない人たちの野球への関心は減っている。それが、この20年間の変化なのだろう。
 
 
 試合そのものについては、あまり言うことはない。リアルタイムで見ていた人も、この番組で初めて見た人も、それぞれに胸を熱くしたことだろう。
 ただ、熱戦を貶めるつもりはないけれど、吹石とか真貴志とか高沢とか、年に何本もホームランを打たない選手の打球が次々と外野フェンスを越えていく、という展開は、劇的であると同時に、やっぱり川崎球場は狭かったな、と思わざるを得ない(笑)。これもまた、この20年の変化ではある(この88年は東京ドームがオープンした年でもあった。以後、福岡、名古屋、大阪、札幌にドーム球場が造られ、それぞれ以前のフランチャイズ球場よりも外野が広くなった)。
 
 ま、こんな理屈は後から浮かんできたもので、番組を見ている間は、とりたてて大扱いされることもなく登場してくる選手たちを見ているだけでも感慨深かった。
 現在、日本ハムの監督を務める梨田昌孝はダブルヘッダー第1試合で勝ち越しタイムリーを打った殊勲者だ。オリックスの監督である大石大二郎も大事なところでよく打っている。第2試合の終盤、ロッテの有藤監督の猛抗議を招いた牽制刺殺の当事者でもある(現在の有藤が「あれはアウトですよ」とあっさり認めていたのには驚いた。以前はそう簡単には認めていなかったような気がする)。
 ジャイアンツにいた淡口、後にイチローの打撃コーチとしても知られるようになった新井、ミルウォーキー・ブルワーズが球団史上ただ1度だけリーグ優勝した時の主砲で、日本でも真摯にプレーしたベン・オグリビー。今は亡き鈴木貴久。
 ロッテではMLBで首位打者をとったが日本ではさほど活躍できなかったマドロック。第一試合の終盤では牛島が投げていたし、仁科も美しいアンダースローを披露している。近鉄のクローザー、後にメジャーリーガーになった吉井が2試合とも機能しなかったことが試合をもつれさせた大きな原因のひとつでもあった。

 そして、この試合のコーナーが始まって早々に映し出されたロッテのベンチ前には、高畠康真(後に導宏)コーチが厳しい表情で立っていた。昨年の今ごろ、NHKで放映されていたドラマ「フルスイング」の主人公のモデルとなった人物だ。試合で貴重な本塁打を放ったベテラン内野手、吹石徳三は、ドラマで高畠(ドラマでは「高林」)の同僚を演じた吹石一恵の父でもある。「先輩、こんなガッツポーズなんかするような人じゃないんですよ」と金本がしみじみと語った吹石の満面の笑顔。一恵嬢はこの番組を見ただろうか。見ていれば、さぞ感慨深かったに違いない。


 あの試合から約1年後。私は別の土地に転勤して、やはり昼間から野球中継を見ていた(まったくろくな職業人ではない)。1年前と同じように西武と近鉄がパ・リーグの優勝を争い、その行方を決める直接対決のダブルヘッダーが行われていた。
 西武が積み上げた5点のリードを、ラルフ・ブライアントがたった1人で粉砕していった。
 最終的にリーグ優勝を決めたのはもう少し後のことだが、実質的には、この日の2試合でブライアントが放った4本の本塁打が近鉄の優勝を決定づけた。山田太郎でもめったに打たないような劇的な本塁打をスタンドに放り込んでいくブライアントを見ながら、野球ってのは恐ろしいもんだ、と私は思った。
 
 あの頃、野球は熱かった、などと言う気はない。今だって熱いし、昭和21年ごろは当時より熱かったに違いない。それぞれの時代に、それぞれの野球がある。ずっと付き合ってきた者にとっては、それで十分だ。そしてこれからも、そうあってほしい。

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WBC日本代表候補発表に思う2、3の事柄。

 もう2日前になるが、12/15にWBC日本代表の候補選手が発表された。顔触れは以下の通り。

 【投手】岸孝之(西武)、涌井秀章(同)、小松聖(オリックス)、ダルビッシュ有(日本ハム)、渡辺俊介(ロッテ)、田中将大(楽天)、岩隈久志(同)、馬原孝浩(ソフトバンク)、和田毅(同)、杉内俊哉(同)、内海哲也(巨人)、山口鉄也(同)、藤川球児(阪神)、松坂大輔(レッドソックス)、黒田博樹(ドジャース)、斎藤隆(元ドジャース)

 【捕手】細川亨(西武)、阿部慎之助(巨人)、石原慶幸(広島)、城島健司(マリナーズ)

 【内野手】中島裕之(西武)、片岡易之(同)、松中信彦(ソフトバンク)、川崎宗則(同)、小笠原道大(巨人)、栗原健太(広島)、村田修一(横浜)、岩村明憲(レイズ)

 【外野手】稲葉篤紀(日本ハム)、亀井義行(巨人)、青木宣親(ヤクルト)、内川聖一(横浜)、イチロー(マリナーズ)、福留孝介(カブス)

(生年月日、利き腕も含めたリストは公式サイトに)


 この日には候補者45人が発表されると予告されていたが、蓋を開けてみたら34人だった。原監督の意向らしい。このメンバーで来年2/15から合宿に入り、最終的には28人に絞って大会入りするという(故障などのアクシデントによる多少の入れ替えはあるだろうが)。
 要するに、この34人は「日本代表候補合宿メンバー」ということになる。賢明な判断だと思う。

 北京五輪でも6月ごろだったと思うが、1次候補と称して60人くらいのリストが公表されたが、何の意味があるのかわからなかった。
 それでも北京五輪の時はシーズン中だったから、選手たちはコンディションを整えるまでもない。発表されたところで何か準備をしなければならないということもなかっただろうが(パスポートの用意くらいはしたかも知れないが)、今度はオフを挟むので調整の仕方が変わってくる。候補と言われてオフ返上で準備したあげくに合宿にも呼ばれない、では外れた選手も不快だろう。「選手たちは3月初めの本番に向け、覚悟を持って例年より前倒しで調整して来る。門戸を広げるのは決していい方向とは思わない」というコメントを見ると、選手サイドから見て意味不明なことはやりたくない、と原監督は考えたようだ。

 実際、ほとんど実害のなかったはずの今回でも、不快感を表明する人はいる。松井稼頭央の事務所の人が怒っている、とサンスポが報じている。

< 「落選理由も選考の説明も何もない。手紙で(この日発表された)34人に入っていない、と書かれていただけ。あまりに冷たいやり方です」
 松井稼の所属事務所「クロス・ビー」の代表取締役、神崎実氏が語気を強めた。今月8日、原監督は暫定候補44選手に共闘への士気を高める手紙を送った。松井稼のもとにも届いたが、34選手から漏れたことに関しては「45人には入るが、そこから絞った34人には入っていない」と書かれていただけだったという。
 松井稼は今季、3度の故障者リスト(DL)入り。DLに45日以上入った選手がWBCに出場するには所属球団の許可が必要だが、松井稼サイドはアストロズに許可を求め、快諾を得ていた。
 一方、NPB(日本プロ野球組織)側からは協力を求める連絡が何度もあり、松井稼も「喜んで協力します」と答えていたが…。「選手へのリスペクト(尊敬)が感じられない。せめて説明が欲しかった」と神崎氏。発表以前の段階での対応に不信感を募らせた。>

 球団に許可まで取ったのに…という点で同情はできる。ただし、日本代表というのはそんなに監督が選手に気を使って頭を下げて参加してもらうようなものなのだろうか、という気もしないでもない。記者会見で落選を知ったというのならともかく、事前に「選ばれない」という連絡が書面でなされていることは記事中でも明らかだ。*

 ともかく、外された選手から不満の声が上がるのは仕方ないし、避けられない。このタイミングですら、選手を絞り込めばこういう反応が(メディアも含めて)出てくる。大会直前の2月にそれをやればチームに悪影響を及ぼしかねない。トラブルの種を早めに片づけたという点でも、34人まで絞ったことは評価できる。


 顔触れそのものについていえば、不在が気になったのは西岡剛だ。

 松井稼頭央は、私の感覚では「選ばれてスタメンで出場してもおかしくはないが、選ばれなくてもおかしくはない」という位置の人だ(サンスポの上の記事では<“正遊撃手”が、まさかの落選だ。>と書いているが何の根拠があるのか)。
 上の顔触れを見てもわかるように、彼とポジションが重なる優秀な選手は国内にも大勢いる。野球が五輪競技から外れた今、日本代表が国際大会に真剣に臨む機会が4年に1度のWBCしかない、という状況を考えると、力量に大差がなければ、次回大会にも出場できそうな選手を優先するという判断は納得できる。ベンチにいて貢献できるベテランなら選ぶ価値もあるが、松井稼はそういうタイプでもなさそうだし。

 一方、西岡はまだ24歳と若く、しかも第1回WBC、北京五輪と2度の国際大会を経験し、活躍した実績もある。やってみなければ普段の実力が発揮できるかどうかわからない国際試合において、戦力として計算の立つ貴重な選手だ。今季の成績も悪くない。大きな故障もない。落選の報に本人がとてもがっかりしたコメントを出しているので**、意欲もコンディションも問題なかったと思われる。川崎と並んで代表チームを背負っていく選手だと思っていたので、どういう判断なのかは気になる。

 年齢でいうと、70年生まれの斎藤隆が最年長で、72年の稲葉が続く。そして、1歳違いの73年にイチローがいる。イチローも35歳だ。野手陣では年齢、実績、その他含めてあらゆる面で最上級ということになる。今回は宮本キャプテンもいないので名実ともにリーダー格にならざるを得ないが、幸い、同学年に松中と小笠原もいる。このへんが核になっていけばチームはおのずとまとまるのではないかと思う。

 戦力面での感想はいつも通りだ(笑)。
 捕手陣の中でのサポート役、野手における控えのスペシャリスト、投手陣におけるセットアッパー問題が気になる。

 左の中継ぎが山口しかいないのはいささか不安。岡島をなぜ選ばなかったか、というのも(古巣ジャイアンツに対しては屈託がありそうなだけに)気になるところ。先発も中継ぎもやってきた武田勝(日本ハム)あたりも候補に入っていてよさそうなものだが。
 ただ、WBCでは投球数制限があるので、前回も2番手投手は「第2先発」のような形で投入されていた。つまり1試合で先発投手を2人使うわけだから、先発投手が多くなるのは必然でもある。北京五輪とはレギュレーションが違うので、おのずと構成も異なる。

 捕手は城島と阿部が同時に選ばれるという、かつてない高いレベルでの均衡となった。城島は右打者、阿部は左打者なので監督は併用を考えているかも知れない(MLB所属選手は城島が、アジアとキューバの選手は阿部が、それぞれ対戦経験をもっているという点でも相互補完的だ)。
 野手陣は、ここ一番で代打でバントを決められそうな選手が見あたらないのが気になる。外野は左打者が多いので、あえて亀井を抜擢する理由も思いつかない。田口壮を招いた方がチームの戦力は向上するだろう。ジャイアンツの若手に国際経験を積ませたい、というのなら(その枠が許されるかどうかは別として(笑))、実はあまり若くない亀井よりも坂本の方がいいんじゃないか。

 というわけで、岡島、西岡、田口あたりが欠落しているように感じるのだが、最終メンバーはここからさらに絞られる。前回大会でも、当初メンバーには含まれていなかった宮本と福留が大きな役割を果たした。本番まで3か月、まだいろんなことが起こるだろう。3月の時点で最高のチームで大会に臨めるように祈るばかりだ。
 
 
*
 そもそもこの記事を読んだ最初の感想は、「神崎って誰?」だった。MLB球団との契約における代理人ではないだろうから、松井のそれ以外のビジネスをマネジメントする会社なのだろうが、サンスポの「所属事務所」という表現に違和感がある。野球選手が所属するのは野球チームだけでしょ(それも厳密には個人事業主として契約しているに過ぎない)。
ビジネスマネジメントの立場から、クライアントの商品価値を傷つけられたことに怒り、回復を図ってこんな記事を書かせたのかも知れないが、松井本人ならともかく、事務所の人が感情的になってどうする。本人をかばったつもりなのかも知れないが、この記事はむしろ彼のクライアントの商品価値をさらに下げている気がする。少なくとも私は、この人を通さないと松井稼頭央に取材ができないのなら、あまりやる気がしないなあ、という気分になった。

**
<「この大会を目標にしてきたし自分の中では出るつもりでいたので本当にショックです。気持ちを切り替えて09年のシーズンにこの悔しさをぶつけたい」>(日刊スポーツ)
 西岡には「出るつもりでいたので本当にショック」と言うだけの実績がある。しかも監督に対する恨み言は混ざっていない。記事を読んだ人は誰もが西岡に共感し好意を持つに違いない。こういう状況で選手が発する声明としては非の打ち所がない。
 松井の事務所の人は、こういう時に何を言えばよいのかを選手にアドバイスする立場の人だと思うのだが。

追記(2009.2.26)
上記34人のうち、黒田博樹、斎藤隆が調整上の理由などで辞退。岩田稔(阪神)が追加招集され、33人で2/16に宮崎で合宿入りした。合宿中に故障離脱者はなく、最終日の2/22に最終メンバーが確定。岸、和田、細川、松中、栗原が代表から外れた。和田を除く4人は調整不足が理由と報じられた。

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まだそんなこと言ってるんですか、中日の偉いさんたちは。

 下のエントリ<またですか。>の続き。
 本日発売の週刊文春、週刊新潮がそれぞれこの件を取り上げて、中日球団幹部の談話を載せている。

 週刊文春2008.12.4号は白井文吾オーナーに直撃取材して、見開き2ページのインタビュー記事。一部を紹介する。

<そもそもWBC(アジア予選)は読売がやってる。五輪やサッカーのW杯とは違う。アメリカの選手会が会社を作って、メジャーの野球機構も加わって、日本の読売新聞にも話が来て、『金儲けしよう』というのがWBCの発端。だから私は以前、お宅(小誌)に監督について聞かれたときも、主催者の読売グループの巨人から選べばいいって言ったんだ。
 それにみんな『出ると名誉』だと思ってる。そこが違う。名誉じゃない。よその国だって一流選手が出てくるとは限らないし、そんなのに勝ったってちっとも名誉じゃないよ。夢中なのは日本だけ。>(P.147)
 
 これに対する論評は前のエントリに書いているので割愛。ここまで注文通りの談話がオーナーの名の下に恥ずかしげもなく出てくるとは予想外だった。「匿名の声」とか書いてた私は甘かったと反省している。

 あと覚えている人も少ないと思うから念のため書いておくが(私も前のエントリ書いた時は忘れてました。すみません)、中日新聞社が主催して90年代に3回実施された日韓プロ野球スーパーゲームの日本選抜チームには、読売ジャイアンツの選手も参加していた。もし将来あれを再開するつもりがあるのなら(中日新聞の主催かどうかは知らないが2007年秋に日韓野球が行われる計画はあった)、白井オーナーは、他の11球団すべての幹部から「あれは中日さんの金儲けでしょ」と言われて選手の派遣を断られる覚悟をしておいた方がよいと思う。
 
 
 一方、週刊新潮2008.12.4号は、西川順之助球団社長のこんな談話を載せている。
 
<これからの時期、選手は来季に向けてのリハビリをしなければいけない。万が一、WBCで何かが起きても何も保証してもらえないし、球団としても、働いてもらわないと年俸も出せない事情もあるからね>(P.57)

 記事ではこの談話について<そうプレッシャーをかけられたら、選手は出場するとはいえないだろう。>と論評している。同感だ。オーナーも球団社長も監督もWBCに関してはやる気がないということはよくわかった。

 西川社長の考え方に対する批判は、前のエントリにもリンクした、3年前の第1回大会前のエントリ<王監督まで見殺しにするのか。>のコメント欄でさんざん書いたが、そこでは断片的な議論が長々と続くので、読んでくださいとも言いづらい。改めて私の考えを整理しておく。
 
 
 ……試合中のケガやシーズンへの悪影響が怖いからWBCを辞退する(あるいは球団が選手を出さない)というのは、リスク回避を最優先とした考え方だ。
 もしも日本のプロ野球が大繁栄していて、試合はいつも満員、テレビ視聴率は常に20%超え、選手にいくら年俸を払っても球団は儲かって仕方がない…という状況ならそれでいい。
 しかし現実は違う。経営に苦しむ球団が多く、球団数を削減しようかという暴挙が実行寸前までいくほどの危機的状況がほんの数年前にあり、今もV字回復を遂げたとは到底言えない。何かを変えることが必要だ。
 
 ほとんどのスポーツ競技において、日本で最も人気のある試合は国際大会である。その欠落は野球の弱みだった。とりわけサッカーが隆盛になってからは、その欠落感が観客に強く意識されるようになった)。
 WBCは、その欠落を補う絶好の機会である。変えるべき「何か」に相応しい。
 野球が五輪競技から失われた今、ファンの注目を集め“世界と戦う”というイメージを形成できる、ほぼ唯一の機会といえる。
 <よその国だって一流選手が出てくるとは限らない>などということは、現時点ではまったく問題ではない。この大会で勝ちさえすれば、日本は公然と「世界一」を名乗れる。そして大会がアメリカ本土で開催される以上、そこで負けることはMLBにとって大きなプレッシャーになるのだから、彼らもいずれは本気にならざるを得ない。白井オーナーがさかんに引き合いに出す(週刊新潮でも言っている)サッカーのワールドカップも、第1回大会の参加国はわずか13。権威などなかった。続けているうちに権威ある大会に育ったのだ。

 日本が本気で勝ちに行き、この大会を「本気で世界一を決める大会」に育てることは、日本国民の目を野球に向ける上で、大きな効果が期待できる。
 だからこそ、日本野球はWBCに全力を挙げて取り組むべきである。名誉がどうとかいう次元のことではない。国内リーグを盛り上げるためにこそ、WBCで名勝負をすることが必要なのだ。
 何もせず、今まで通り国内だけで勝った負けたとやっているだけでは、プロ野球そのものが衰退していくリスクを大きくしてしまう。リスク回避策のつもりでWBCに非協力的態度をとる球団は、中長期的にみれば、プロ野球全体のリスクを大きくする行動をとっているに等しい。……
 
 
 これを読んだ方の多くは「当たり前じゃん」と思うことだろう。
 3年前には、まだWBCという大会が行われておらず、海のものとも山のものともつかない状態だったから、このくらい言葉を尽くさなければ理解されなかった(いや、当時これが理解されたかどうかも判らないが)。
 だが、第1回大会を経験した今なら、こんなことは「当たり前」でしかない…と思っていたのだが、これも甘かったようだ。
 
 
 上の西川社長の談話で唯一意味を持つのは<WBCで何かが起きても何も保証してもらえない>というくだりだ。
 これは重要な問題だから、当事者の間で大いに議論されるべきだと思う。
 
 では、中日はこれまで、オーナー会議や実行委員会で、WBCで選手が故障した際の補償について問題提起し、納得がいくまで議論したのだろうか。前回大会が終わってからずいぶん時間はあったはずだが、報道からその形跡を見出すことはできない。
 まあ、西川社長が最近になって急にこのことに気付いて心配になったという可能性もなくはない。そんなにケガが心配なら、来年からはオールスターゲームにも選手を出すのをやめた方がいいんじゃないだろうか。

 同じことは選手会についても言える。
 第1回大会への参加を決める前には、開催時期と故障時の補償について不服を申し立て、日本の出場はなかなか確定しなかった。開催時期については選手会が譲った形になったが、補償問題がどう決着したのかは明確には伝えられていない。実際に大会中に故障した岩村や川崎にどういう補償がされたのか(あるいはされなかったのか)も気になる。

 だから、第2回大会についても、選手会はNPBに故障時の補償を要求すればよいと思うのだが、そういう交渉をしている形跡はない。選手会公式サイトのニュース欄を見ても、選手会が開催するイベントの告知ばかりが目立つ。ニュース欄で7/31に開催された臨時大会の様子が報告されているが、主な話題はいつもの通り、FAと保留期間の問題だったようだ。
 
 故障時の補償は、基本的には当事者間の問題だ。各球団や選手会が要求してNPBが拒絶したのなら問題視するけれど、当事者が要求している形跡がない段階で、見物人がどうこう言っても仕方ない。個人的には心配だし、NPBが保険をかけた方がいいと思うけれど(もしかけてるのなら結構なことだ)。

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またですか。

WBC代表候補、中日勢4人全員が辞退(読売新聞)

<国内組では、中日から選ばれた4人全員が辞退。WBCには12球団が一致して協力することを確認しているだけに、原監督は「事情はあるでしょうが、一人も協力者がなかったことは寂しいものがある」と残念そうに話した。
 中日の白井文吾オーナーは「北京五輪に全面協力したが、選手が体調を崩し、後遺症が大きかった。WBCにも協力すべきと思うが、うちはけが人が多い」と説明した。>


WBC 主力級含めた辞退、「最強軍団」構想に暗雲(毎日新聞)

<しかし、理由を明示せず、ただ辞退というのはいかがなものか。原監督によると、ある球団は候補者全員が辞退し、その球団の別の選手に要請したところ、また断ってきた。そこまでくると、チームとして何らかの力が働いているとみられても仕方あるまい。>

 中日は、第1回WBCに際しても、選手の派遣に関して非常に消極的だった。中日スポーツの記事は、<断腸の思いで“名誉欲”を断ち切ろうとしている>と出場辞退を賛美するかのようなトーンで伝えていた。
 
 
 第1回大会の前後、雑誌の記事などでは、「読売の商売に付き合う必要はない」というような匿名の他球団関係者の声がしばしば報じられていた。WBCアジアラウンドで読売新聞が、大相撲でいう勧進元のような立場で事業を仕切っていることについての見解だ。

 NPB全体で取り組むべき事業を一球団の親会社が単独で開催するのはおかしい、という考えがあるのなら、それは正論だと思う。
 だから、もしそういう不満を抱いている球団があるのなら、NPBの実行委員会で声を上げ、希望球団が持ち回りで勧進元を務めるようにするとか、NPB自身が勧進元として興行が打てるようにコミッショナー事務局の機能強化をはかるとかを訴えて、行動計画を提言すればよい。
 主張が容れられなければメディアやファンに問うてみるのもよい。そんな球団が現れたら、私は支持する。

 「日本代表の試合を東京だけで開催するのはおかしい。名古屋で開催すべきだ」(大阪でも福岡でも仙台でもよいが。いや3月の仙台では寒すぎるか)と主張する球団があってもいいと思う。東京以外で開催されれば私個人にとっては不便になるが、そのことに反対しようとは思わない。

 だが、現実にはそんな球団は現れない。
 現れるのは、故障を理由とした出場辞退者であり、「どうせ読売さんの商売でしょ」というような匿名の声(を報じる新聞・雑誌)だけだ。

 「寂しいものがある」という原監督のコメントに同意。
 
 
 
関連エントリ <まだそんなこと言ってるんですか、中日の偉いさんたちは。

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“ジャイアンツ愛”のバトンをつなぐ者。

 シーズン終了とともに、ジャイアンツの人事が活発に動いている。
 二岡智宏と林昌範が2対2(マイケル中村、工藤隆人)の交換トレードで北海道日本ハムへ*。
 清水隆行が金銭トレードで西武へ**。
 上原浩治はFA宣言してMLB行きを目指す。
 
 ひとつひとつの動きはある程度予想されたことなので驚きはない。だが、この顔触れが一斉にいなくなるとなれば、やはりひとつの時代の終焉という感慨を覚える。
 
 清水は1996年にドラフト3位で東洋大から入団。ルーキーイヤーのシーズン途中から左翼のレギュラーに定着し、同年に逆指名で巨人入りした仁志敏久と一、二番コンビを組んだ。仁志が出塁して清水が進塁打、三番の松井秀喜が返して手早く先制し逃げ切る、という勝ちパターンを後半戦に確立して、一時は11.5ゲーム差をつけられたペナントレースをひっくり返した。二番を打つことが多かったが、このシーズンの犠打は1だけだ。99年の小笠原(日本ハム)に先立つ、「バントしない二番打者」だった。
 その後、長嶋監督にはあまり重用されなかったものの、原辰徳監督が就任して一番打者に抜擢され、191安打を放つ活躍をした2002年と、この96年が特に印象に残っている。足は遅くないのに守備がいまひとつという、ある意味でバランスの悪い選手だったことが、打力のわりに出場機会が減りがちだった理由だろう。
 
 上原と二岡は同期入団だ。ともに逆指名で99年にジャイアンツに入った。上原は新人の年に先発投手のタイトルを総なめにする大活躍を見せ、以後もジャイアンツのエースとして活躍。二岡もレギュラーに定着し、毎年コンスタントに.290前後の打率を上げる強打の遊撃手となった。
 自球団の強い影響力のもとに制定されたにもかかわらず、逆指名制度が導入された1993年(会議年)のドラフト以後しばらく、はかばかしい成果を挙げることのできなかったジャイアンツにとって、98年の上原、二岡は、その前年の高橋由伸、翌年の高橋尚成、2年後の阿部慎之助らと並んで、もっとも成功した例といえる。
 
 その一方で皮肉に感じるのは、前述の仁志も含めた彼らが、自ら選んでジャイアンツに入ってきたにも関わらず、チームへの愛着、責任感といったものが、少なくとも外から見た限りでは希薄だったことだ。
 それは、例えば、特に本人が希望したわけではなく、くじ引きでジャイアンツに選ばれた松井秀喜が、FA宣言してアメリカ行きを発表した記者会見で見せた葛藤の深さとは対照的といってよい。
 
 もちろん、それぞれの選手に内に秘めたものはあっただろう。他のレギュラーが総崩れとなった2006年に孤軍奮闘した二岡、あるいは松井が去った翌年や、一番打者に起用された昨年の高橋由伸が見せた責任感の強さには(そういうタイプの選手だとは思っていなかっただけに)感銘を受けた。
 
 だが、たとえばかつてこのblogで批判した上原の逆指名制度に対する考え***には、しょせんその程度の気持ちなのかと冷や水を浴びせられた思いがした。仁志もテレビ出演して似たようなことを話していた。**** 
 この時期に逆指名してジャイアンツに入った選手たちは、報酬額の多さによって就職先を選んだと報じられることが多かったが、彼らのこのような言動に触れていると、やっぱりそういうことだったのだろうか、という思いが拭えなかった*****。
 2002年に原辰徳が最初にジャイアンツの監督に就任した時、まず語ったのは“ジャイアンツ愛”だった。裏を返せば、前年までヘッドコーチを務めていた原の目に、チーム内にそれが欠落しているように映ったということだ。
 
 そして今、グラウンド上でのプレーを見ていると、ジャイアンツの生え抜きであるはずの彼らよりも、小笠原、ラミレス、イ・スンヨプといった移籍選手の方が、チームへの忠誠心や勝利への執着心、ひとつひとつのプレーへの集中力、ファンへの感謝といった気持ちを、より強く表現している。以前なら「ジャイアンツらしい」と呼ばれたような選手の心性は、別にジャイアンツに特有のものではなく、強いチーム、一流の選手が共通して持ち合わせているものなのだということが、彼らを見ているとよくわかる。
 
 その意味では、この一連の“中抜き世代交代”は、今年抜擢されたような伸び盛りの若者たちが、誰の背中を見ながら進んでいけばよいのかを明確にする効果をもたらすのではないかと思う。
 原監督が今後も、他球団や海外から来た歴戦の勇者たちを掌握し、チームの勝利に向けて気持ちをひとつにまとめることができていれば、新しい世代の“ジャイアンツ愛”は、おのずと育まれることだろう。
 
 もはやジャイアンツは“常勝球団”と呼べるようなチームではなく、いくつかある強豪チームのひとつに過ぎない。だが、70年余にわたって積み上げてきた歴史を背負う矜持は、現在の選手たちにもあってよいはずだ。そして、その歴史の重みを理解しているのは、むしろ他球団からやってきた選手たちの方であるように見える。だとすれば、伝統というリレーのバトンを、一時期、その選手たちが担うというのも、さほど不自然なことではないのかも知れない。
 
 
 
 そして結局、ここまで書いてきたような事柄は、このチームが松井秀喜が抜けたダメージから今もって脱しきれていないことを意味してもいる。松井の大きな背中が今もそこにあれば、上原や仁志や二岡の言動もいくらか違ったものになっていたのだろうか。
 
 とはいえチームを去る選手たちは、一時期のジャイアンツを支えた功労者ばかりだ。清水はもとより、二岡も上原も(林も)、新天地で活躍して、もう一花咲かせられるよう祈っている。いずれも故障に悩まされてきた点が心配ではあるのだが。
 
 
 
*
今季成績を比べるとずいぶんと非対称な交換トレードだが、マイケル中村の高騰するであろう年俸を日本ハムがもはや支えきれないという背景が報じられていて、なるほどありそうな話のように思える。もっとも、二岡と林がともに体調十分で開幕を迎えて、それぞれの標準的な成績を残せば、日本ハムにとってはお買い得だった、ということになる。
 
**
この髪形を見ると、すでに心は西武の一員、という気もする。
 
***
<逆指名って制度があって「入団してください」って言ってくれた球団の中からジャイアンツを選んだだけ。日本のプロ野球で野球をするなら、一番、注目されて設備や環境の整ったジャイアンツがいいと思って選んだんだよ。乱暴な言い方になるけど「入れてください」ってお願いして入団したのなら「メジャーに行かせてください」って簡単には言えないけど、必ずしもそうじゃない。>上原浩治オフィシャルサイト +kouji19.net+より
 
****
2007年12月27日深夜にテレビ朝日が放映した「中居正広プロ野球革命 タブーに挑戦!」という討論番組で、ファン代表という立場で出演していた芸人・出川哲朗の「逆指名で入りたい球団に入った人たちは、FAの権利は与えなくてもいいと思うんです」という意見に対して、仁志はこう答えた。
「僕も逆指名なんですが、逆指名をした時はアマチュアの選手なんです。で、逆指名の制度を作ったのはプロ側なんです。逆指名をした選手には何の罪もないんです。だって、あるものを利用しただけですから。勝手につくったのはプロ野球ですから。しかも入る時に、これを利用したらFAは何年です、なんて説明はまったく受けていない。もしかしたら選手の中には、じゃあFAがそれだったら逆指名しない、という人もいたかも知れない。すべての説明がなされていて逆指名の権利を使うんだったら、僕はいいと思いますが」
新しい制度を遡及して適用すべきではない、という理屈は正しい(しかし、それならFA権獲得の期間短縮も、今年入団した選手から適用すべきだということになるはず。自分たちの利益になる時には反対しないのか)。だが、出川が代弁しているファン心理の割り切れなさに対しては、仁志はまったく答えていない。
ちなみに同席していた宮本選手会長は、「じゃ答えます。僕も逆指名なんで。その制度があったから使ったわけで、くじだったら僕らもくじで入ってたわけです。(中略)で、入ってみて違うことってたくさんあるじゃないですか。(中略)入ってみてから、というのはやっぱり違うんで」と、さらに身も蓋もない回答をしている。
   
****
言うまでもないことだが、この一連の感想は、ドラフト3位指名された清水には該当しない。清水も闘志が表に出るタイプではなかったが、私は彼のグラウンドでの態度や言動に失望したことはない。

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『寛容力』/渡辺久信にみる野球指導者の育ち方。

 ジャイアンツが日本シリーズに敗れた瞬間から、野球について見たり聞いたり考えたりするのはしばらくごめんだ、という気分に支配されていたので、書店の店頭で、優勝監督が爽やかに(異論があるかも知れないが)微笑む表紙の本を見た時も、当然ながら反射的に目をそらして立ち去ろうとした。
 だが棚から3歩くらい離れたところで、渡辺の台湾時代のことが書いてあるなら読んでみたい、と思い直して手に取り、台湾時代と二軍監督時代のことが相応の割合を占めていると知って、1200円(税別)を支払って購入した。

 で、さっそく渡辺久信著『寛容力 〜怒らないから選手は伸びる〜』(講談社)を読了。面白い。拾い物といったら失礼だが、ライオンズのシーズン優勝決定後に実務がスタートしたのだとしたら、そんな短期間にここまで充実した内容に仕上げたのは見事だ。
 
 
 渡辺の経歴を簡単におさらいすると、群馬県の前橋工業高校を卒業後、ドラフト1位で1984年に西武ライオンズに入団。1年目から一軍で登板し、工藤、郭泰源らとともに西武黄金時代の主力投手として活躍する。98年にヤクルトに移籍し、その年限りで引退。
 翌99年からは台湾プロ野球「台湾大連盟」の「年代勇士LUKA」というチームの投手コーチとなる。コーチ兼業で投手としても初年度は18勝で最多勝。3年の台湾生活の後、帰国して解説者になる。2004年に西武ライオンズの二軍投手コーチに就任。翌年は二軍監督兼投手コーチ、3年目は二軍監督に専念し、復帰4年目の今年、一軍の監督に就任した。

 というわけで渡辺は、台湾プロ野球を経験した、日本プロ野球ではおそらく初めての監督である。若いころから球威で押しまくり、歳を取ってからは技巧派に転身できずに引退した投手だったから、現役時代の印象ではあまり指導者に向いているとは思えなかったが、台湾を経験したこと、二軍監督からの昇格であったことの2点は面白いと感じていた。

 渡辺が台湾に渡ったのは、台湾大連盟の最高顧問になっていた元同僚の郭泰源の誘いによるもので、直接的には東尾修の勧めがあったという。台湾大連盟は1989年に発足した中華職業棒球大連盟に続いて97年に生まれた後発リーグ(2003年には中華連盟と合併して1リーグになった)で、それだけに選手のレベルは低かったようだ。
 渡辺は、投手の育成から試合での起用、交代の指示まで、およそ投手に関するすべてを監督から一任されるが、選手たちは、技術レベルも低い上にプロとしての意識やモチベーションも低い。不慣れな生活で言葉も通じないという悪条件の中で、渡辺は苦労しながら選手たちとの対話を試みる。

<「何でわからないんだ」ではなく「どこがわからないのか」を考える。そうやって目線を落として、丁寧に教えることを学べたのが、台湾での大きな収穫です。
 自分の物差しで測った指導法はよくない。とにかくその相手のレベルまで、まず自分が降りてみることが大事だと気づいたわけです。>

 能力抜群だが練習にも出てこない傲慢な新人を叱り飛ばしたり、サイドスロー投手に内外角の揺さぶりの手本を示すために自身がサイドスローから試合で投げたり(それで完封したという)しながら、渡辺は選手たちの信頼を獲得していく。片言の中国語を操りながら、休日には台湾各地を旅行し、旅先で知りあった人たちと朝まで飲み明かすこともあったという。天性の資質もあったのだろうが、異国の人々の中へ自ら飛び込んでいくことで養ったコミュニケーション能力は、帰国後の指導に大いに役立ったことだろう。

 そんな経験を経て、さらに二軍のコーチ・監督を3年間務めた渡辺が、今シーズン、若い選手を育てて力を発揮させたのは偶然ではない。彼なりの方法論をもって臨んだシーズンだったことがよくわかる。
 と同時に、思い切った判断を下し、方針を決めた後は迷わないという腹の括り方は、現役時代に修羅場をくぐり抜けてきた経験の裏付けを思わせる。

 今シーズンは、渡辺の指導者としてのよい面がすべて出た。松坂、カブレラ、和田という、長年チームを支えてきた大物選手が相次いで抜け、若手を育てながら勝たなければならないというチームの状況が、渡辺久信という指導者の適性と合致していたのだろう。
 このまま順調にチームが伸びていき、今は一心に成長と勝利を目指している選手たちが、実績を積み、年俸も上がってベクトルにズレが生じ始めた時に、いかにチームをまとめるかというのは、渡辺監督にとっての新しい課題になるはずだ。

 本書には台湾時代のことだけでなく、二軍監督として学んだ現代の若者の扱い方なども詳しく書かれていて、若者を育てる立場の人には参考になりそうだ。デーブ大久保のコーチぶりについての記述も興味深い。
 
 
 日本のプロ野球界には、指導者を育成する方法論が存在しない、ということは、このblogでも何度か指摘してきた。今でもそういうものはない。
 だが、この渡辺久信の経歴は、ひとつのモデルケースを球界に提供している。ルーキーリーグから始めて、実績とともに上のレベルのリーグに引き上げられていく(と言われる)MLB指導者たちのキャリアデザインと、結果的によく似ている。
<「ナベがいずれ日本で指導者をやるというのなら、一度台湾で勉強してきたほうが、絶対にためになるぞ」>と強引に台湾行きを勧めたという東尾の炯眼も、評価されていい。

 今年のNPB12球団の監督13人のうち、二軍監督を経験したのは阪神・岡田彰布、ヤクルト・高田繁、日本ハム・梨田昌孝、オリックス・大石大二郎と、渡辺を含めて5人もいる(高田は日本ハム監督を退任後、ジャイアンツで。梨田は近鉄監督になる前)。そして、岡田、梨田、渡辺の3人が同一チームの二軍監督から昇格後に優勝を果たしている。大石も低迷していたチームをプレーオフ進出に引き上げている。
 これらの実績を見ると、二軍監督の経験は、一軍の監督を務める上で一定の効用が期待できそうだ。

 現在の二軍監督の顔触れを見ても、ジャイアンツ・吉村禎章、中日・辻発彦、阪神・平田勝男、日本ハム・水上善雄あたりは、将来の監督昇格も視野に入れての起用ではないかと思わせる。かつては一軍監督になる可能性などなさそうなベテラン指導者が務めることが多かったが(今でもそういうケースはあるし、それはそれで意味なしとはしないが)、現在の二軍監督は若手指導者も多い。ソフトバンクの秋山幸二新監督も二軍監督経験者だ。

 一方、指導者・渡辺を育てたもうひとつの土壌である台湾プロ野球となると、そう誰もが行けるわけでもないし、なかなか見習うのは難しいように思える。
 だが、技術レベルやプロとしての意識、練習や試合の会場、収入など、さまざまな面で厳しい環境は日本にも存在する。独立リーグだ。四国・九州アイランドリーグ、ベースボール・チャレンジ・リーグと、現在活動している2つのプロの独立リーグでは、指導者のほとんどがNPBの選手出身であり、NPBのコーチ経験者も多い(監督経験者=藤田平・福井ミラクルエレファンツ監督もいる)。

 今のところ、独立リーグでの指導経験を評価されてNPBのコーチや監督になったケースは少ないが(富山からソフトバンクのコーチ補佐になった宮地克彦くらいか)、選手ばかりでなく、指導者も独立リーグから育っていくケースが増えると面白い。
 というよりも、NPBが指導者研修のために、若いコーチを独立リーグに派遣するくらいのことがあってもよいのではないかと思う。渡辺久信の台湾での経験は、選手やリーグのレベルが低いからこそ意義があることを物語っている。
 
 
 
 ここまでの話題とはがらりと変わるが、冒頭に少し触れた、本書の作られ方について一言。

 冒頭でも書いた通り、短期間でこれだけ充実した内容の本をまとめた出版社側の仕事ぶりは見事だと思う。クライマックスシリーズや日本シリーズを準備する間に渡辺監督が自分で文章を書いたとも思えないから、聞き書きで作られた本だろう。実際にまとめたのは、おそらく、目次の後に「企画・構成」とクレジットされている関谷智紀という人物だと思われる。

 こういう本を作るには、漫然とインタビューをしてもダメで、聞き手の側が骨格となる構成を準備し、それに沿って質問していく必要がある。極端に言えば、インタビューしなくてもだいたい同じような本が書けるくらいに、渡辺監督のキャリアと、今季の西武の歩みを把握していなければ、ここまで緊密な内容に仕上げることは難しい。
 それほどよい仕事をしたにも関わらず、構成者の氏名は表に出ていない。私が構成者の存在を意識して探したからクレジットを見つけられたのであって、見過ごしてしまう読者の方が多いだろうし、見たとしても「企画・構成」が何を意味しているかもわからないだろう。

 アメリカでは、野球選手や監督が出した本は、しばしばライターとの共著という形をとる。コンテンツを提供した人物と、それを文章にまとめた人物、どちらが欠けてもその本は完成しないのだから、それが公正な扱いというものだ。
 だが、日本ではそういうケースは稀で、大抵は選手・監督の著書として扱われる。聞き手はゴーストライターと言われる通り、表面には出てこない。
 最近は目立たない形であってもクレジットされるようになったが、以前はそれすらなかった(1999年に講談社現代新書から刊行された川口和久『投球論』はいくつかの点で目を拓かれるユニークな名著で、ほぼ間違いなく聞き書きだと思われるが、構成者の名はどこにも記されていない)。新潮社が刊行している長谷川滋利の著書は生島淳が構成し、後書きも書いているが、著書が何冊もある生島でさえ、表紙には名前が記されていない。
 知名度のある選手や監督の名を著者として前面に出すのはよいとしても、ライターの名をなぜ隠すのか。今や養老孟司のような書き手でさえ聞き書きの本を出して、それがベストセラーになる時代なのだ。分業を憚る必要など何もない。

 講談社や新潮社は出版界をリードする大手企業だ。ライターは出版界を構成する重要かつ不可欠な要素なのだから、よい仕事をするライターを、もう少し尊重した方がよいのではないだろうか。「知名度がないから」と版元は言うかも知れないが、たとえば本書にとっては、知名度は渡辺久信のそれで十分だ。その脇に構成者の名があれば、本書によって彼の知名度が上がる。そうすれば、今度は彼の知名度を生かして次の仕事ができるかも知れない。
 そのようにして出版社がライターを育てなかったら、いったい誰が育ててくれるというのだろう。

 もしかすると本書における関谷氏の役割は私が推測したようなものではなく、氏名を表に出さないだけの合理的な理由があるのかも知れないが、この種の書籍一般について言えることなので、この機会に記しておく。もし本書に関して誤解があった場合には、関係者にはお許しいただきたい。

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重厚なコーチ陣への若干の懸念。

 第2回WBC日本代表のコーチ陣が決まったのだという。
 報道されるところによれば顔触れは以下の通り。

投手:山田久志、与田剛
バッテリー:伊東勤
打撃:篠塚和典
内野守備走塁:高代延博
外野守備走塁:緒方耕一

 まずは文句のつけようのない顔触れではある。
 山田は95,96年にオリックスが連覇した際の投手コーチで、仰木彬監督の細切れ投手起用をよく支えた。売り出した頃のイチローと親しかったようだから、その面の保険、という意味もあるのかも知れない。
 伊東は西武黄金期の名捕手であり、監督としてリーグ優勝を果たしている。
 高代は中日・落合監督の下で今季まで野手総合チーフコーチを務めた作戦・走塁のエキスパート。
 篠塚、緒方の2人は原の指名ということだろうが、今季のジャイアンツの打撃・走塁を見れば、一定の成果は挙がっていると考えてよいのでは(甘いか?)。
 コーチ経験のない与田は、お手並み拝見というところ。MLB解説を長くやっていてアメリカ野球に詳しいという点は、チーム全体にとってのプラスになるだろう。
 全体としては、それぞれの分野で実績のある指導者を配した重厚な布陣になったと思う。

(前回大会を投手コーチとして経験し、原監督の下でコーチを務めて日本一を経験し、アメリカのマイナーリーグでのコーチ経験もある鹿取義隆が起用されないのは少し意外だったが、だからといって山田・与田コンビに不満はない)

 ただ、顔触れが立派すぎて、まとまるのだろうかという点は少し気になる。

 山田と高代は原監督より年長。伊東は4歳下だが選手としてはほぼ同世代といってよい。山田と伊東は監督経験者だ。高代については多くを知らないが、現役時代も中日のコーチ時代も、かなり主張の強い人物だったという印象がある(中日では、ほかのコーチとの不和が伝えられたこともあった)。

 主張が強いことがいけないとは言わない。チームが順調にいっている時はそれでいい。
 だが、前回大会の二次予選や、北京五輪の予選リーグ終盤のように、チームが苦境に陥ることも想定しなければならない。そういう状況下で、監督とコーチの間で、あるいはコーチ陣の間で意見が割れた時に、原監督は彼らを掌握してチームをひとつにまとめることができるだろうか。そこがこの人事の最大のポイントであるように思う。

 そもそも、原監督への就任要請があったのは10/27で、まだ1週間しか経っていない。
 日本シリーズを戦っている原監督自身が、この短期間にコーチ陣を編成できるはずはない。NPB側で誰かが動いた結果と考えるのが自然だ(原監督の意向も容れてのことだと信じたいが)。順当に考えれば、王顧問の考えが反映されているのではないかと思われる。
 ある意味ではお仕着せの人事であり、原監督とコーチ陣の間に現時点で十分な信頼関係があるかどうかはわからない(もちろん、本番までに形成されればそれでよい)。 「仲良しトリオ」と酷評された北京五輪の指導陣に対する反省に基づいた人事ならよいが、反動ということだといささか困る。


 ちなみに2006年の第1回大会の顔触れはこうだった。

監督:王貞治
ヘッド:弘田澄男
打撃:大島康徳
投手:鹿取義隆、武田一浩
守備走塁:辻発彦

 どう見ても王監督が突出して偉い(笑)。
 年齢でも王監督が圧倒的に上だし、比較的年長の弘田、大島は穏やかな人物という印象がある。鹿取にとっては王監督は現役時代の大恩人だ。王監督の人間力も含めて、何がどう転んでも内紛など起きようのない組織だったという気はする(もちろん、結果に影響されての感想ではあるが、当時、敗色濃厚だった時点でも不協和音が報じられることはなかった)。

 原監督が、年長者を含めたコーチ陣をよく掌握し、それぞれの力量を十全に発揮させることができれば、よい人事、よい組織だった、ということになる。私が懸念するような面については、もしそんな芽があった場合にも、後見人としての王前監督が抑えになってくれることを期待する。

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プロ野球におけるOver35世代の変遷の一例。

 ひとつ前のエントリのコメント欄に

>ただ、昭和50年代ごろのベテラン選手たちのおっさんくささに比べると、
>今の30代、40代の選手は善くも悪くも若々しく見えるんじゃないでしょうか。

と書いたら、nobioさんからこういうコメントを貰った。

>そういう例も多いとは思いますが、そうではない例も多い、ような気もします。
>例えばアーチェリーで「中年の星」を自称する 山本博とか。
>和田一浩なんかも見るたびに、はあ? このおっさんがオレよりはるかに年下なのかよ、と舌打ちしたり、

>え、この方が私なんかよりはるかに若いんですか、と尊敬したりしてしまいます。

 山本博先生や和田一浩がおっさんくさいことに異論はない。
 だが、この話は世代傾向についての話題なので、2、3人のサンプルを取り上げて議論をしても仕方がない。あくまで集団として比較しなければ。

 そこで、試みに今年(2008年)と1981年について、35歳以上の現役選手を書き出して、顔触れを眺めてみることにした*。


【1981年(昭和56年)】46人

読売/吉田孝司35、松原誠37、柴田勲37、ホワイト38
広島東洋/安仁屋宗八37、高橋直樹36、渡辺秀武40、金田留広36、ライトル36、山本浩二35
阪神/竹之内雅史36
ヤクルト/神部年男38、大杉勝男36、マニエル37、山下慶徳36
中日/戸田善紀36、木俣達彦37、富田勝35
横浜大洋/野村収35、辻恭彦39、山本恒敬41、基満男35、中塚政幸36
日本ハム/成田文男35、高橋一三35、村上雅則37、井上弘昭37
阪急/白石静生37、中沢伸二35、大橋穣35、島谷金二36、高井保弘36、大熊忠義38
ロッテ/高橋博士35、榊親一36、有藤道世35、張本勲41
西武/山下律夫37、山崎裕之35、土井正博38、田淵幸一35、長谷川一夫36
南海/佐々木宏一郎38、伊藤勲39、藤原満35
近鉄/白仁天38


【2008年(平成20年)】80人

読売/豊田清37、門倉健35、藤田宗一36、クルーン35、小笠原道大35、木村拓也36、谷佳知35、清水隆行35、大道典嘉39
中日/山本昌43、谷繁元信38、立浪和義39、T・ウッズ39、中村紀洋35、和田一浩36、井上一樹37、上田佳範35
阪神/下柳剛40、ウィリアムス36、野口寿浩37、矢野輝弘40、金本知憲40、桧山進次郎39
横浜/川村丈夫36、三浦大輔35、入来祐作36、工藤公康45、石井琢朗38、仁志敏久37、佐伯貴弘38、鈴木尚36
広島/高橋建39、広池浩司35、前田智徳37、緒方孝市40、アレックス36
東京ヤクルト/リオス36、木田優夫40、遠藤政隆36、萩原淳35、リグス36、渡会博文36、宮本慎也38、城石憲之35、ガイエル36、真中満37
北海道日本ハム/稲葉篤紀36
千葉ロッテ/小宮山悟43、高木晃次40、堀幸一39、ベニー37
福岡ソフトバンク/二コースキー35、水田章雄35、的山哲也38、松中信彦35、小久保裕紀37、本間満36
東北楽天/小倉恒38、吉岡雄二37、山崎武司40、沖原佳典36、リック36、鷹野史寿35
埼玉西武/西口文也36、正津英志36、三井浩二35、石井一久35、谷中真二35、種田仁37、高木浩之36、江藤智38
オリックス/デイビー35、川越英隆35、清原和博41、北川博敏36、ラロッカ36、塩崎真35、カブレラ37、村松有人36、ローズ40

 

 ちなみにこの1981年がどんな年だったかというと、セはジャイアンツ、パは日本ハムが優勝、日本シリーズはすべて後楽園球場で行われ、ジャイアンツが勝った。MVPはセが江川卓、パが江夏豊、新人王はセが原辰徳、パが石毛宏典。山本浩二が本塁打と打点の二冠王、落合博満が初のタイトル(首位打者)を獲得した。野村克也と王貞治と高田繁が引退した翌年でもある。

 さて、皆さん、この顔触れを比べてどう思われるだろうか。もとより印象論なので正解はない。私自身は、冒頭に書いた印象に変化はない。自分自身のその時点の年齢によるバイアスは当然かかっていると思うが(1981年は17歳、2008年は44歳)。


 それ以外に、書き出してみて思ったことをいくつか。

・とにかく人数が全然違う。プロ野球の選手寿命はこんなに伸びているのかと思う。
 81年の人々はほとんどが引退間近という感じだが(全盛期といえるのは山本浩二くらいだろう)、今年のO-35たちは全盛期だったり発展途上だったりする選手が結構いる。
 プロ野球OBから、「昔の選手は体が強かった。今の選手はひ弱だ」という説をよく聞く。短期的にみればそうだったかも知れないが、長期的には正しくない。昔の選手の方が引退する年齢が若かった。
 選手寿命が伸びた理由としては、トレーニングおよび身体ケア技術の進歩、医療技術の進歩、酷使や故障をおしての出場が減ったこと、選手起用や雇用における偏見(30を過ぎたらもう引退だな、という周囲の視線)の希薄化、などが考えられる。

・2008年のリストで「おっさんくさいな」と感じる選手(下柳とか和田一浩とか清水隆行とか)は、思い起こせば若い頃からすでにおっさんくさかった。1981年のリストの選手たちが若い頃どうだったかは、私は見ていないのでわからない。ご記憶の方がいらしたら教えてください。

・81年リストにマッシー村上の名があるのを見つけて、彼がかなり長いこと現役だったのを思い出した。私が現役選手として知っているのは、この頃の彼だけだ。スリークォーターかサイド気味のフォームから緩い球を投げるベテランで、選手名鑑に「元大リーガー」などと書いてあるのを初めてみた時は、何のこっちゃ、と不思議だったのを覚えている。
 しかし、それは「若いころの珍しい経歴」くらいにしか見なされておらず、当時のマッシーがすごく尊敬されていたとか、しょっちゅう話題に上っていたという印象はない。たぶん、当時より今の方がずっと尊敬されている。マッシーは野茂の成功によって再発見され、値打ちが上がったといってよさそうだ。

・81年リストはほとんどの選手の名前と顔くらいは思い浮かぶのだが(今の方がよく知らない選手が多い(笑))、横浜大洋の山本恒敬という選手がまったく記憶にない。調べてみたら、選手登録してはいてもブルペン捕手専任に近かったようだ。

・ちなみに、81年の時点で現役で35歳に満たない選手には、衣笠祥雄34、水谷実男34、安田猛34、若松勉34、星野仙一34、谷沢健一34、平松政二34、福島久晃34、江夏豊33、加藤英司33、福本豊34、得津高宏34、東尾修31、大田卓司30、門田博光33、鈴木啓示34らがいる。強烈におっさんくさい(谷沢と平松は別だが)。
 しかし、当時34歳の世代(1947年、昭和22年生まれ)って、ものすごい当たり年だな。団塊の世代で人数も多かったのだろうけど。

・そういえば、団塊世代より前の10〜15年間くらいに生まれた日本人は、成長期を戦中戦後に過ごしたため、食糧難で栄養不足だった人が多い(地域によって例外はあるだろうが、全体的傾向としては)。
 そういう問題のなかった戦後生まれが、この1981年ごろから30代後半にさしかかっている(1981年に満35歳の人は1946年(昭和21年)、終戦直後に生まれている)。
 プロ野球において、このくらいの時期から選手寿命が伸び始めたのであれば、そんな社会的背景も影響しているのかも知れない。


*
ソースは2008年が週刊ベースボールのプロ野球全選手写真名鑑号(2/23号増刊)、1981年は同社刊行の「プロ野球70年史(記録編)」。いずれも、その年に達する満年齢が記されている。見落としや数え違いが多少あるかも知れないので、お気付きの方はご指摘ください。

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代表監督は罰ゲームじゃないんですから。

 欧州サッカーに詳しい人々の書くところによると、近年、有能な監督はビッグクラブで指導することを好み、あまり代表監督になりたがらない傾向があるらしい。

 確かに近年、イタリアやドイツ、オランダといった強豪国で、かつて代表チームで活躍して人気と知名度はあるが指導者としての実績に乏しい若手(ドナドニ、クリンスマン、ファンバステン。あるいは少し前のフェラーやライカールト)が代表監督を務めているのは事実だ(ブラジルのドゥンガもここに加えてもよいかもしれない)。
 いきなり代表監督をやり、退任した後でクラブの監督になるというのは、ちょっと順序が違うんじゃないかという気はする。

 ビッグクラブで成功を収めている指導者たちが代表監督をやりたがらない理由として考えられるのは、その職がハイリスク・ローリターンだからだろう。大きい大会で優勝でもすれば指導者としての評価も上がるから、単にローリターンとは言い切れないものの、金銭面での報酬はビッグクラブより小さそうだ。
 欧州中に散らばった選手を招集するたびにクラブから文句を言われ、金持ちになった選手たちのわがままに振り回され、ワールドカップや欧州選手権の予選でちょっと停滞すれば国中から非難を浴びるくらいなら、ビッグクラブを渡り歩いている方がいい、と彼らが考えても無理はない。
 選手の選抜にしても、国籍という制約を受け、現実には他国のクラブの都合に左右されることの多い代表チームよりも、世界中から好みの選手を集め、有望株を若い時期から育てられるビッグクラブの方が、むしろ自由度は高いと言えるかも知れないし。


 欧州サッカーではいろんな紆余曲折を経て今はそんな状態になっている、ということだと思うが、我が日本の野球代表監督は、始まった途端にそんな感じの立場として扱われている。
 アテネ五輪の長嶋(と、その代行の中畑)、第1回WBCの王、北京五輪の星野と、プロ選手の代表チーム監督は、これまですべて、決定後に発表されてきた。多少なりとも選考過程が世間の目に公開され、議論を呼ぶのは今回が初めてだ。

 加藤コミッショナーが招集した諮問委員会(正式名称は別にあったと思うが実質的にはそういうことでしょう)の会合がとりあえず1回行われ、メディア上では「星野仙一再び有力」と書かれたが、それを受けてイチローが会合での方針に異を唱え、星野仙一がすかさず「固辞するって言ったら固辞するんだよ」(と書いてあるわけではないが、そんなニュアンスではある)と自分のサイトで発表する*。なんだかババ抜きみたいなことになっている。

 とにかくここまで出てきた話は「現役監督は難しい」とか「私はやらない」とか、何かを除外する方向の話ばかり。「こういう人にやってほしい」「彼こそふさわしい」みたいな話題になっていかない(野村監督は落合や原の名を挙げたという報道もあったが、どこまで本気なんだか)。
 選考にあたる人々が、こういう人がいい、というビジョンさえ立てられずに、どうして人選ができようか。


 そんなことを考えていてふと気がついたのだが、選ばれる側の意識はどうだろう。
 王監督のもとで日本が優勝した2006年春から今までの間に、WBC代表監督に意欲を示した日本人指導者が1人でもいただろうか。「将来いつかは」というのも含めて、誰かがそういうことを言ったという記憶が私にはまったくない(もしご存知の方がいたら教えてください)**。
 やりたそうな発言をしたのはボビー・バレンタインくらいではないか。それはかなり寂しい状況だ。

 サッカー日本代表監督も、現任者に対する報道やネット上での言説を見ていると、なかなかリスクの大きな仕事のように思えるが、それでも、いつかは日本代表監督をやりたい、という目標を口にする指導者は(日本で指導する外国人も含めて)少なくない。
 というより、サッカーのコーチをやっているからには代表監督を目標にするのが当たり前、という考え方がひとつの常識として共有されている気がする(代表には興味ない、クラブの方がいい、という指導者もいるとは思うが)。
 あるいは、海外のクラブで指導してみたい、という人も、これは多数派ではないが存在する。指導者も成長しなければならない、挑戦しなければならない、という意識を持った指導者が大勢いることは確かだろう。

 だが、プロ野球の世界では、そんな言説はまず聞いたことがない。
 選手はレベルの高い戦いの場を求めて次々とMLBに出て行くが、指導者は、勉強のために渡米する人はいても、MLB監督を目指して海を渡った人は聞いたことがない(いたら教えてください)。日本人が海外で指導するといえば、せいぜい台湾で、これは上から下に教えに行く、という力関係になる。
 選手ばかりか、審判も、トレーナーも、スポーツビジネスを志す背広組も、野球に関わるいろんな業種の人々がMLBで働いているのに、コーチだけがいない。これは奇妙なことといってよい。


 共同通信が伝えた、WBC監督選考に対するイチローの発言を記事から抜き出すと次のようになる。
<「最強のチームをつくると言う一方で、現役監督から選ぶのは難しいでは、本気で最強のチームをつくろうとしているとは思えない」>
<「もう1度、本気で世界一を奪いにいく」>
<「大切なのは足並みをそろえること。(惨敗の)北京の流れから(WBCを)リベンジの場ととらえている空気があるとしたら、チームが足並みをそろえることなど不可能でしょう」>
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081021-421198.html

 明言はしていないものの、イチロー発言の背景には、そんな日本の指導者たちに対して感じている物足りなさがあるのではないかと想像する。
 監督自身が勝負してないじゃないか。そんな監督が僕らを指導できるの? と。

 日本一だけでは飽き足らず、MLBのチャンピオンやWBCでの世界一を現実的な目標としている選手は大勢いるのだから、この意識の差は、きっと無視できないくらいに大きい。イチローが<足並み>という言葉で表現しようとしている事柄の中には、そんなことも含まれているのかも知れない。
 今では多くの人が忘れてしまったのではないかと思うが、第1回WBCでは多くの有力選手が出場を辞退した。始まる前には、海のものとも山のものともわからない、値打ちのはっきりしない大会と見なされていたわけだ。
 第1回大会での優勝によって、日本代表選手のステイタスは急上昇し、多くの選手が出場を希望するようになった(と思う)。だが、代表監督という立場のステイタスは、まだそうなってはいないようだ。


 短期決戦における勝負強さだとか投手起用だとか、WBC監督の人選が議論に上る時、主としてベンチワークが話題になることが多いように思う。
 それらの諸々が大事でないとは言わない。
 が、これほどまでにいろんな荷物を背負わされたチームを引っ張っていくためには、余計なことに斟酌せず、馬鹿になって、勝利のためにすべてを捧げられる純粋な心性こそが、もっとも大事な要件なのではないかという気がしてきた(考えてみれば、長嶋茂雄も王貞治もそういうものを備えていた)。
 プロ野球監督として優勝した、あるいはそれに近い成績を残した人々を候補者と考えるなら、あとは、やる気のある人(あるいは、決まったら四の五の言わずに頑張りそうな人)に任せるのが最善の選択なのかも知れない。

 そう考えると、たとえば原辰徳という名前は、なかなか悪くない選択肢のようにも思えてくる。ま、まずは目下のクライマックスシリーズを勝ち抜いてからの話だが。

 ついでながら私見を記しておくと、原のほかには、以前、「王が推薦している」と報じられていた若松勉・元ヤクルト監督もよいのではないだろうかと思う。
 原やバレンタインもそうだが、最高水準の選手を集めたチームを率いる時には、選手のモチベーションを挙げ、一体感を持たせられることが最も大事になる。
 だから、選手を駒のように操ってマジックのような采配をするタイプの監督というよりは、選手の力を引き出すことを優先的に考え、求心力を持つタイプの監督がふさわしいと私は思っている。初代WBC監督も、そういう人物だった。

 
 
 
*
それにしてもこの人、この件については徹頭徹尾、被害者意識剥き出しだなあ。前回も今回も結局は、メディアが反対するからやりません、と書いている。かつて彼がどれほどメディアを利用して他者を攻撃してきたかを考えると、この打たれ弱さは見ていて哀しくなる。

とりわけ、<長い、いつの監督生活のなかでも常に「行蔵(出処進退)は我にあり」として、それを信条としてきたわたし>(公式サイトから)などという自己認識は噴飯ものだ。

 この「行蔵は我にあり」という言葉は、おそらく勝海舟の「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」という言葉を下敷きにしている。
 これは明治になってから、元幕臣が明治政府に仕えることを批判した文章を発表した福沢諭吉に対して(正確には、公表前に福沢が送ってきた草稿に対する返事として)勝が残した言葉だ。勝は福沢に対して発表を控えさせるような働きかけをしなかったし、反論もしなかった。
 つまりこの言葉で勝が言おうとしているのは、“他人が何と言おうと俺はやるべきことをやってきた。文句があれば勝手に言えばよい”ということだ。
 長い監督生活の中で常にメディアを操作して自分の立場を有利にしようと画策してきた人物が、「メディアに叩かれるからWBC監督はやらない」という声明に引用することが、どれほど相応しくないか、おわかりいただけると思う。


**
10/27に行われた第2回体制検討会議で、候補は原辰徳ジャイアンツ監督に絞られた。
会議の出席者のひとりである野村克也楽天監督はこの夜、TBSのニュース番組に出演して、「自分に声がかからないのは寂しい、俺の評価はそんなもんかと思った」「コミッショナーは世代交代ということを何度もおっしゃっていたから、自分は対象外なんだな、と思った」(アナウンサーから「次回の監督はいかがですか」と問われて)「お断りする理由がなければお受けします」などと意欲を見せていた。
そんなにやる気があるのなら「(星野で)出来レースじゃないか」とか「落合がいい」とか「イチローが兼任でやればいい」とかごちゃごちゃ言ってないで「私がやりたい」と手を挙げればよかったのに、素直じゃないんだから(笑)。

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黄金時代の後日談としての監督人事。

 いくつか下のエントリでもちょっと触れたが、日本のプロ野球界では、有名選手が引退後に監督を務める例が非常に多い。というより、有名選手でなかった監督を捜す方が難しいほどだ。北海道日本ハムファイターズを2年続けて優勝(うち日本一1度)に導いたトレイ・ヒルマンのようにメジャー経験がない(=日本のプロ野球で一軍経験のない)監督は、プロ野球草創期から昭和30年代あたりにかけてアマチュア野球界から転身した指導者を除けば、まずお目にかかることはない。

 ただし、「有名選手」には2種類ある、とも言える。タイトルを何度も獲得するような名選手というケースと、本人の個人成績はさほど突出していたわけではないが、現役時代に在籍したチームが非常に強く、その一員として有名であった、というケースだ。後者の典型例が仰木彬であり、現役監督の中では例えば高田繁がこれにあたる。
 弱いチームに強打者・名投手が在籍することはあるが、「強豪チームの一員」は強豪チームにしか在籍しない(当たり前だ)。だから、何度も日本一になって黄金時代を築いたチームからは、10~20年後に監督が大勢生まれている。
 1950年代の読売ジャイアンツからは、川上哲治、千葉茂、青田昇、別所毅彦、宇野光雄、広岡達朗など。1950年代後半の西鉄ライオンズからは大下弘、中西太、稲尾和久、川崎徳次、関口清治、そして仰木彬。同時代の南海ホークスからは杉浦忠、野村克也、飯田徳治、岡本伊三美、蔭山和夫(就任直後に急逝)、広瀬叔功、穴吹義雄。
 少し前まで大勢いたのは昭和40年代に9連覇した読売ジャイアンツだ。投手で堀内恒夫、捕手・森昌彦、一塁手・王貞治、二塁手・土井正三、三塁手・長嶋茂雄、左翼手・高田繁。期間中のベストナインのうち監督にならなかった方が少ない。なった6人のうち3人が日本一になっている。

 監督が大勢出たとはいうものの、上記の顔触れをよく見ると、西鉄や南海ではほとんどが自チームの監督で、それは黄金時代を持たない球団にもよくあることだ。
 一方、ジャイアンツ出身者は他球団の監督を務めたOBも多い。先端的な野球で勝ち続けてきたチームの一員は、他球団からも一種のブランドと見なされてきたようだ(結果からいえば、それは必ずしも優れた指導力を約束するものではなかったが)。

 現在、この種のブランドになりかかっているのは、1980年代後半から1990年代前半にかけての西武ライオンズだ。すでに東尾修、伊東勤、渡辺久信が自チームの監督として、それぞれリーグ優勝を果たしている。
 それ以外にも石毛宏典がオリックスの監督を務め*、そして来年、秋山幸二が福岡ソフトバンクホークスの監督に就任する。

 秋山は、西武時代には、日本人離れした長打力、主軸に据わりながら盗塁王を争う俊足、そして驚異的な守備力を発揮した名選手だったが、打率は低く、身体能力に依存するところの大きい選手だったと言えなくもない。だが94年にダイエーホークスに移籍すると、故障もあってか無理に長打を狙わず、コンパクトな打撃にモデルチェンジを果たし、地方の弱小球団だったホークスが強豪チームに生まれ変わるまでの時期を支えた。西武から秋山を獲得した当時の根本陸夫監督(実質的には「GMが監督を兼任」という立場だった)は「チームの体質を変えるためには、軸となる人を変える必要がある」と話していたが、見事に実を結んだわけだ。

 指導者としての秋山は未知数だが、もし彼が成功すれば、西武ライオンズ出身者を監督に招く球団が増えることになるかも知れない。リタイアしたがまだ若い伊東をはじめ、辻発彦、田辺徳雄、平野謙など各球団でコーチを務めている西武OBは少なくない。巨人・西武という2大ブランドを兼ね備え、かつWBC優勝チームのコーチでもあった鹿取義隆も在野に控えている。こうやって名前を並べると「華がない」とか言われそうな顔触れではあるが(笑)、森もそう言われながら実績を重ねた。

 仰木彬の監督としての成功、とりわけそのアイデアの豊富さは、かつて西鉄ライオンズを率いた三原脩の影響を人々に思い出させた。広岡・森コンビのヤクルトと西武での成功(西武では黒江透修もコーチを務めた)は、「V9巨人の継承者」との評価を受けた。
 野球チームにおける黄金時代の物語とは、ただその時に勝つだけでなく、後に優秀な指導者を生むことによって、後世に語り継がれる伝説的存在となっていくのかも知れない。
 とすれば秋山の手腕は、広岡や森の名が後世に残るかどうかの分岐点にもなりうる。秋山自身がそれを望むかどうかは別として(秋山自身は、王監督の後継者でありたいのではないかと思うが)。

* 田淵幸一もホークスの監督になったが、彼を西武OBと捉えるかどうかは微妙なところ。

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血迷ったか。

 田沢純一投手のMLB志望表明を受けて、同様のケースへの抑止策として、プロ野球実行委員会は6日、日本のドラフト指名を蹴って、あるいは指名されることをあらかじめ拒否して渡米した選手に対しては、帰国後のプロ入りを制限するペナルティを設けることに決めた、と報じられた。
<大学・社会人出身者は2年、高校出身者は3年、日本のドラフト(新人選手選択)会議の対象としないことになった>(読売新聞2008.10.7付)

 田沢のような選手を国内に引きとどめる方法がほとんどないのは確かだ。
 だからといって、このような選択肢を本当に選ぶとは信じ難い。

 選手からプレーの場を奪うというペナルティは、薬物使用や八百長、試合中の暴力といった、試合の価値そのものを侮辱する行為を選手自身が犯した場合にのみ許される手段だと私は思っている(多重契約のように、社会一般のルールを犯した場合も、まあ仕方ないとは思う)。

 これまで私は、日本プロ野球選手会の宮本会長がしばしば闘争手段としてストライキを持ち出そうとすることに強く反発してきた。選手は試合をするから選手なのであり、その存在基盤を自ら放棄することを条件闘争の道具とすることには納得できなかった(唯一実行された2004年のストライキは、球団という試合の場を守るためのものだった、という点で納得している)。

 同じ理由で、今回のNPBの措置にも反対する。
 NPBが失いたくないと思うような優秀な選手からプレーの機会を奪うことは、選手、球団、観客、誰の利益にもならない。社会一般から見て、正当性が説明できるとも思えない。
 そもそも、これからアメリカに渡ってMLBを目指そうという時に、選手が帰国後の心配をして思いとどまったりするものだろうか。流出防止策として効果があるとも考えにくいのだが。

 また、田沢投手本人に対しても適用するという方針については、同じ記事の中の<日本野球連盟の鈴木義信副会長は「本人の表明後に作ったルールを適用するのはおかしい」と反対する>というコメントが、まったくの正論だと思う。

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昭和の野球を生き切った清原。

 雑誌「野球小僧」の連載をまとめた高橋安幸の『伝説のプロ野球選手に会いに行く』というインタビュー集の、杉下茂の項を読んでいたら、こんな談話が目に付いた。

<川上(哲治・引用者注)さんに対しても、ランナーいなかったら、そんなボールほうらないもんね。真っ向勝負でさ、『エイヤ!行きましょうや』ってど真ん中だもん。ど真ん中にストレートほうってってね、これで打ち取ったら初めて勝った!っていう気になるんだよ。フォークじゃならねぇんだよ。ごまかした!って感じなんだな>
 杉下が「そんなボール」と表現しているのはフォークボールのことだ。日本におけるフォークボールの元祖にして、「魔球」と恐れられた本人は、実はストレートにこそプライドを抱いている。

 このくだりを読んで、清原もこの時代に生まれれば幸せだっただろうに…と改めて感じた。
 確かジャイアンツでの最後のシーズンだったと思うが、2-3から変化球を投じて三振を奪った藤川球児に対して「チンポコついとんのか」(語句については異説もあるようだが)と憤ったエピソードは、メディアだけでなく野球ファンの間でも批判的なムードで語られることが多かったと記憶している。だが、50年から60年前、杉下や川上の時代なら、それはごく普通の常識として通ったことだろう*。

 彼のそんなキャラクターについて、4年前に<清原に見る「最後の昭和」。>という文章に記したことがあるが、その感は、より強くなった。
 昨夜の引退セレモニーでは、彼に縁のある人々が次々と登場して花束を贈り、長渕剛が登場して「とんぼ」を歌った。思い切りベタな演出なのだが、直立不動で顔を歪めたまま歌に聴き入る清原の姿は、実に絵になっていた。
 こんなベタな演出がこれほどよく似合う人物が、今の日本にいるだろうか。清原は、その身にまとっていた「昭和の世界」を最後の最後まで見事に生き切った。そしてそんな姿が、誰よりも観客に愛された。

 正直なところ、私はプロ野球選手としては、清原があまり好きではない。西武時代から一貫して過大評価を受けてきたと思っていたし、プロとして「それは違うだろう」と感じる言動が多かった。
 それでも、スタジアムにいて彼が打席に立てばつい拍手してしまうし、テレビ画面なら注目してしまう。スケールの大きなホームランには目を奪われる。右中間に伸びる打球の弧も魅力的だった。
 どんなに傲岸で、幾多の間違いを犯したとしても、結局は憎めない、存在感の大きな選手だった。野球界の顔役、とでもいう表現が似合う。彼が20代後半の頃、たとえば1996年のアトランタ五輪がプロ選手で結成されたとしたら、少々打率は低くとも、清原は四番に収まっただろうと思う。

 ただひとつ、いや、惜しまれることはいくつもあるけれど、それでもひとつだけ挙げるとしたら、すでにジャイアンツで居場所を失いつつあった2004年オフ、仰木監督が指揮をとることになった合併球団オリックス・バファローズに移籍していれば、という思いはある。仰木の下で、何物にも縛られることなく伸び伸びと野球に打ち込む清原の姿を見てみたかった。当時もここでそう書いたが、1年後、仰木亡き後に移籍が実現しただけに、余計にその思いは強い。


 オリックス・バファローズは、特設サイトを作ったり記念グッズを売り出したりと、清原の引退興行に熱心だ。
 夏に自ら引退を発表した時点から、球団にとっては、今年のペナントレースは清原の引退興行という位置づけだったのではないかと思う。というよりも、ほとんど戦力になる見込みがない選手に高額の報酬を払って現役を続けさせていたのも、花道を飾らせつつ一商売したい、という考えからだったのではないかと思うが、最終的には球団にも清原にも幸福な形で終わることができたのは結構なことだ。

 それにしても、低迷するチームを突然任せられ、戦力にはならないが存在感だけはやたらに大きい選手をベンチに置きながら、彼のチームを盛り上げ勢いをもたらす力をもうまく使い、チームを立て直して快進撃を続け、ホームでの最終戦を前にクライマックスシリーズ進出を確定して、最後に清原に四番DHでのフル出場という花道を作ることに成功した大石大二郎監督の手腕は、見事というほかはない。クライマックスシリーズや日本シリーズの行方がどうなろうと、今年の最優秀監督には大石がふさわしい。

 …と勢いよく書いてしまったが、松坂に続いてカブレラと和田を失ったチームで、打ち勝ってレギュラーシーズンを制した渡辺久信監督もご立派。若い指導者が結果を出しているのは嬉しい。


*
…と書いたが、コメント欄のnobioさんの再三の指摘を読むと、「ごく普通の常識」というわけでもなさそう。いずれにしても、清原はこの時代の方が住みやすかっただろうとは思うのだが。(2008.10.6)

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王選手がグラウンドを去った頃のこと。

 スポーツを観るという行為の中には、かなりの割合で「失望すること」が含まれる。贔屓チームの勝利や、記録達成の瞬間を目当てにスタジアムに足を運んでも、それが見られるとは限らない。

 私もしばしばその種の期待を抱いて野球場のスタンドに座ることはあるが、偉大な記録や偉大な勝利の瞬間に居合わせたことはほとんどない。ありていにいえばツキがない。
 古くは木田勇が今日勝てば新人で20勝を達成するはずの日にあっさりとKOされ、イチローが2本だか3本のヒットを打てば打率が4割に乗るという夏の夜には、彼には珍しい無安打に終わった。ブライアントやローズの豪快な本塁打見たさに近鉄の試合に行けば、豪快な空振り三振を堪能させられる。1981年、ジャイアンツが8年ぶりに日本一になった時には、優勝が決まった試合のチケットを持っていたというのに、事もあろうに身内の葬式が割り込んで、葬儀場に停っていた車のラジオで優勝の瞬間を聞く羽目になった。

 そんな疫病神のような私がスタンドで目撃した数少ない歴史的事象に、王貞治選手の868本目の本塁打がある。

 1980年、10月中旬の日曜日だったと思う。当時高校生だった私は、友人に誘われて、とある私立の女子高の文化祭を訪れた。文化祭の方は、語るほどのことは何も起きていない(あ、ギターの弾き語りでグレープの「追伸」を聞いて、何て怖い歌なんだろう、とびっくりしたのは覚えている。それまで、さだまさしの声では気付いていなかったが、女性の声で聞くとあの歌詞はなまなましすぎる)。

 午後3時ごろに女子高を出ると、大通りを挟んですぐ向かい側に後楽園球場があった。調べると、午後4時からジャイアンツの試合があるという。これといって予定もなかった私は、友人と別れて、1人で野球を見ることにした。あまり所持金もなかったのだろう、座った席は、おそらくいちばん安かったライト側のジャンボスタンドだった(外野席の上に増設したスタンドがそう呼ばれていた)。
 午後4時などという半端な開始時刻は当時でも珍しかった。なぜこの日がそんな設定だったのかはわからない。

 この年、長嶋監督が率いるジャイアンツは、優勝戦線にからむことなくシーズンを終えようとしていた。前年は、野球協約が想定しない形での契約を強硬しようとしたあげく、イリーガルな移籍によって手に入れた江川卓投手をめぐるゴタゴタが悪影響を及ぼし(心理的なものだけではなく、江川とのトレードで阪神タイガースに加わった小林繁に8連敗を喫した)、勝率5割を切って5位に低迷した。明けて80年、江川はようやく本領を発揮しはじめ(16勝で最多勝を獲得)、定岡、西本、山倉、篠塚、中畑、松本ら、後に主力となる選手たちが台頭してきたものの、最終的に1つ勝ち越して3位に入るのがやっとだった。

 防御率2位から4位に3人が並んだ投手陣を擁しながら低迷した大きな原因のひとつが、長嶋引退後の巨人打線で四番に君臨してきた王貞治の衰えだった。
 前年、久しぶりに三割を切り、実に18年間続けて獲得してきた打撃三大タイトルをひとつも取れなかった王は、80年はさらに苦しみ、打率は2割そこそこに低迷。確か死球が原因ではあっても欠場が増えた。プロ入り初の代打本塁打を記録したのもこの年だった。最終的には.236で規定打席に達した選手中最下位。本塁打は30本にとどまったが、それでもチーム1だったところに打線の弱さがあった。

 そんなわけで、この日の試合はペナントレースの行方にはほとんど関係がなかった。秋晴れの日曜の夕方、外野席の上の方から、のんびりと眺めていたはずで、試合内容はほとんど覚えていない。相手がヤクルトだったことさえ忘れていた。

 ただひとつ記憶しているのは、王がライトスタンドに放り込んだ本塁打だった。
 すでにさほど力感があるわけでもなかったスイングだが、打球はゆったりとした弧を描いて、私のいたジャンボスタンドの眼下にあるライトスタンドに落ちていった。日米野球などを別にして、公式戦で王の本塁打をスタジアムで見たのは、これが初めてだった。だから、私はそこそこの満足感を抱いて後楽園を後にしたはずだ。

 その後、ジャイアンツは4試合の公式戦を戦ったが、王に本塁打は出なかった。シーズン終了後、長嶋監督が職を去り(辞任と発表されたが実質的には解任だろう)、しばらく置いて王の現役引退が発表された。

 上述したように、この年の王の打率は.236だった。プロ入り22年、40歳という年齢を考えれば、引退したとしても不思議はない。
 だが、結果的に彼の最後の1本となった本塁打を目撃した時、これが最後になるかも知れないとか、今年で見納めになるかもしれない、という意識は私にはまったくなかった。まして、あの本塁打が最後になるなどとは考えてもみなかった。
 王が初めて本塁打王になったのは昭和37年(1962年)。私が生まれた昭和39年には55本塁打でシーズン記録を塗り替え、以後ほぼ毎年、本塁打王と打点王を独占し、たまに首位打者もとった。1973年、74年には続けて三冠王となった。
 物心ついた時から本塁打王は王選手と決まっていたのだ。
 1年や2年、他人の手に渡ったところで、また取り戻してくれるのだろうという固定観念のようなものがあったのだろうと思う。

 だから、この年の11月に王が引退を発表した時の衝撃は大きかった。私にとっては、長嶋が監督をやめたこと以上に大きな打撃だったと思う。

 引退発表が、というよりも引退を決めたのがシーズン終了後だったから、王が公式戦で観客に別れを告げることはなかったし、王に別れをアピールする観客もいなかった。
 王が最後の本塁打を打った試合は、優勝から見放されたシーズン終了間際だったから、たぶんテレビ中継もされなかったと思う(昭和の昔には、ジャイアンツの試合はほとんどすべてテレビ中継されるのが普通で、テレビで見られない試合が例外的だった)。プロ野球ニュースは「今日のホームラン」をやっていたかどうか記憶にない。
 だから最後の本塁打は、満員とは言えない後楽園球場のスタンドの3万人かそこらの観衆が見守っただけの、ひっそりとしたものになった。

 王がファンの前で挨拶をする機会は、11月下旬のファン感謝デーで訪れた。挨拶の後、一塁ベース上に愛用のファーストミットを置くというパフォーマンスが行われたが、どこかぎくしゃくとぎこちなく、実直な彼には似合わないものだった。挨拶の内容も真面目一辺倒なものだったと思う。この日も私はスタンドに足を運んだが、挨拶の言葉を覚えていない。たぶん、型通りの挨拶だったはずだ。

 そうやって、日本プロ野球最高の長距離打者は、静かにグラウンドを去っていった。それはそれで彼らしい別れだったという気もする。


 王監督が今季限りでソフトバンクを去る、というニュースはアメリカ出張中にネットで知った。来るべき時が来たか、という心境だった。胃ガンの手術をしてからは、もうあまり長く現場にいることはないだろうと覚悟はしていた。
 私はホークスのファンというわけではないので、感情的な動揺はあまりない。だが、例えば松中に「お前ひとりに苦労を背負わせてしまったな」と声をかけた、などという報道に接すると涙腺が緩んでくる。まさにそういうことを言う人なのだと思う。
 王監督について王選手については過去にこのblogで書いたことがある。王監督論、王選手論として特に付け加えることはないので、今回は個人的な思い出話をさせてもらった(前回からそんなのばかりで恐縮ですが)。そういえば、「負けることも野球のうち」というのは、王さんがどこかで語った言葉でもあった。

 正直なところをいえば、王さんには一球団の監督というよりも、プロ野球全体の面倒をみていただけないかと以前から思っていた。
 新任の加藤コミッショナーは、ここまでの言動をみていると、かなりまっとうな人物という印象を受ける。王さんが特定球団との関係を離れた後は、ぜひともコミッショナー補佐などの形でコミッショナー事務局に招き、その判断に大いに学び、かつその影響力を生かしていただきたいと望んでいる。

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ヤンキースタジアム最後の試合の前の夜。

 仕事でアメリカに来ている。時差ぼけで夜1時半ごろに目が覚めて、テレビをつけたらESPNで「Yankee Stadium Tribute」と題して、過去の主要な試合のダイジェストを延々と放映していた。

 何時からスタートしたのか知らないが、私がテレビをつけた時には1983年、デーブ・リゲッティがノーヒッターを達成したところだった。続けて、同じ年のロイヤルズ戦で、ジョージ・ブレットのバットに「松ヤニをつけすぎだ」とビリー・マーチン監督がクレームをつけ、まんまと本塁打を帳消しにした試合。策士マーチンの真骨頂ともいえるゲームだ(こんなのを選ぶESPNもどうかしてるが私は好きだ)。
 懐かしい選手がぞろぞろ出てくるのを見たら、やめられなくなってしまった。
(このへんで予告しておきますが、この先も他愛のない個人的な思い出話がだらだら続くだけのエントリーです)

 ロイヤルズはこの3年前、1980年に球団史上初のワールドシリーズに進出した。当時はフジテレビがMLBを中継していたころで、このワールドシリーズも確か全試合を中継した。メディアに口を開かないことで有名だった左の大エース、スティーブ・カールトンをはじめ、本塁打アーチストのマイク・シュミット、いまだに史上最多安打数を誇るピート・ローズ、強肩強打の二塁手マニー・トリーヨらベテランぞろいのフィラデルフィア・フィリーズの前に敗退したのだが、ロイヤルズも若く魅力的なチームだった。
 四割に近づいたこともある好打者ブレットを中心に、ウィリー・ウィルソン、フランク・ホワイト、エイモス・オーティスといった職人タイプの選手がそろっていた。ウィルソンは79年に83盗塁でタイトルを獲得。今では考えられないが、80年代は100近く盗塁をする選手が何人もいた「盗塁王の時代」で、ウィルソンもその主要な一員だった。

 問題の場面では、ブレットが本塁打を打ってベンチに凱旋した後、おもむろにマーチンが審判に歩み寄って説明し、審判団が集まる。バットをながめて話し合い、ホームプレートにあてて(松ヤニがついた部位の)長さをはかった後に、ブレットにアウトを宣告する。一連の動きを不審げな目で眺めていたブレットは血相をかえて主審に疾走し、塁審や他の選手があわてて押さえる。

 もめている場面を見ていて気がついたのだが、抗議に出てきたロイヤルズの選手は白人ばかり。有色人種はブレットをおさえていたマルティネスという選手だけで、ウィルソン、ホワイト、U.L.ワシントン、マクレーといった黒人の主力選手はベンチを出てくることもない。80年代の中西部、まだまだそういう空気は強かったのかも知れない。
 ロイヤルズは81年秋に日米野球で来日し、確か4試合くらい見に行った。ウィルソンの守備位置が日本選手より10メートルくらい前にいることに驚いたものだ。そういえば試合前にウォーミングアップでも、キャッチボールの組み合わせは見事に白人と黒人に分かれていたのを思い出した。

 それにしても、この時点でワールドシリーズ出場から4年も経過しているのに、ロイヤルズの主力選手はほとんど変わっていない。選手の流動性が激しくなった今では考えられないことだ。ブレットとホワイトは確かロイヤルズでキャリアを終えた。

 当時の大スターが何人も出てくるが、監督になった選手は多くはない。ドン・ベイラー、デイブ・ウィンフィールド、ジョージ・ブレット、リゲッティのノーヒッターの相手だったレッドソックスのジム・ライス、ウエイド・ボッグス。すでに殿堂入りしたか、そのうち入るクラスの選手が何人も出てきたが、監督になったのはベイラーくらいか。83年ごろ、阪神と巨人の主軸だった打者が現在そのまま監督を務めているのとは対照的だ。落合も然り。先の北京五輪代表の監督・コーチもみな所属球団のスター選手だった。
 一方、この夜登場したMLBの選手で監督になったのはヤンキースにいたルー・ピネラ、ロイヤルズのフランク・ホワイトなど、好選手ではあってもチームの顔というほどではない。MLBでは選手とコーチは異なる職業とみなされているようだと改めて感じる。

 そんなことを考えているうちに、テレビは90年代に進んでいる。
 93年、ジム・アボットのノーヒッター。相手はインディアンス、一番センターは後にヤンキースに入ったケニー・ロフトンだ。ヤンキースのセンターはバーニー・ウィリアムス。ライトはオニール。一塁マッティングリーで三塁がボッグス。栄光のジョー・トーリ王朝までもう少し。おお、セカンドのガイエゴが2番をつけている。たぶん、もう今後はこの背番号をつける選手は出てこないだろう。彼の次に背負った男が永久欠番になる可能性は高いと思う。

 アボットスイッチは鮮やか。右手の手首から先がない左投手アボットは、右手でグラブを保持しながら、投げ終えた瞬間に左手にはめて送球や打球を受ける。この時点ですでにメジャーで何年も投げているから、テレビ画面は今さら動作をアップで見せることもない。あまりにスムースに移行するので、事情を知らずに見れば、しばらくは何が行われているのか気づかないだろう。
 彼は競技に直接関与しない部位の障害だったから、普通のメジャーリーガーとしてプレーができた。義足や義手でボールを直接扱うようだと、たぶん問題になったはずだ。北京五輪では義足のランナーの出場が議論になり、結局、国際陸連は出場を却下した。ハンディキャッパーのスポーツはメダルを脅かさない範囲で、という状況はフェアなのか。逆に、器具の力に支援されて世界一になることがフェアと言えるのか。大変な難問だが、パラリンピックが盛んになり、競技水準が高まるにつれて、この種の判断を迫られる機会は増えていく。

 このまま見ていたら朝になってしまう、とテレビを消して無理矢理眠った。
 目が覚めた時には99年、デイビッド・コーンの完全試合が進んでいる。捕手は現監督のジラルディだ。すでにトーリ王朝は始まっている。朝食を食べて戻ると、2001年のワールドシリーズ第5戦。アリゾナとの行き詰まる名勝負だった。ティノとジーターの本塁打で劇的なサヨナラ勝ちを収めるが、結局シリーズは負けてしまう。今にして思えば、これがトーリ王朝が傾きはじめた瞬間だった。この年のオフにジェイソン・ジアンビを獲得しティノ・マルティネスを放出してから、ヤンキースはワールドシリーズに勝っていない。

 ヤンキースタジアム最後の試合の夜は仕事が忙しくて中継を見られなかった。その後、ボストン・レッドソックスがプレーオフ進出を決め、同時にヤンキースのポストシーズンが消滅した。
 ESPNのスポーツニュースではジーターが寂しげな表情でインタビューに応じていた。画面には「キャリアで初めてポストシーズン進出を逃す」とテロップが表示されていた。

 私がヤンキース贔屓になったのはヒデキ・マツイが加入した2003年から。それまでは「悪の帝国」と見なしていたから、たとえば2001年のワールドシリーズは完全にアリゾナ側に立って見ていた。それでもやはり、それぞれの時代のヤンキースには知っている選手も多いし懐かしい。強いときも弱いときも、存在感はどの球団にも劣らない。それがヤンキースという存在なのだろう。
 来年は隣に新しいヤンキースタジアムがオープンする。今年の選手がどれだけ残るのか、新しい選手がどれだけ加わるのか、まだわからない。我が松井秀喜が新ヤンキースタジアムで開幕を迎えられるかどうかも予断を許さない。ま、ヤンキースはロイヤルズとは違って、25年前もそういうチームではあったのだが。

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日本プロ野球パッシングが始まるのか。

 とうとうこういう日が来たのだな、というのが正直なところ。

 先日の都市対抗で橋戸賞(MVP)を獲得した新日本石油の田沢純一投手が、NPBからのドラフト指名を断り、MLB入りを志望することを表明した

 もともと今秋のドラフトでは複数球団が一巡目で指名するだろうと予想されていた有力選手だ。そのクラスの選手が、日本のプロ野球を経由せずにMLB球団入りするケースは、これまでなかった。

 なかったけれど、時間の問題ではあった。
 1998年のドラフト会議でジャイアンツを逆指名して入団した上原浩治(大阪体育大学)は、入団前にアナハイム・エンゼルスにも勧誘されたことを隠していない。上原がエンゼルスを選べば同じ問題が起こったはずだ。
 そして、日本のプロ野球や国際大会であれほど活躍した上原が、ようやくFA権を得て海を渡れるというオフを前にした今シーズン、これほど成績を落としているのを見れば、「行ける時に行っておかないと」と思う若者が現れたとしても無理はない。

 NPBは緊急に対策会議を開いたりしているようだが、田沢はNPB内の人ではない。社会一般のルールからいえば、彼とMLB球団との契約に関してNPBは無関係な第三者であり、口出しすることはできない。

 これまでこういうことが起こらなかったのは、NPBとMLBとの間に紳士協定と呼ばれる約束事があったからだと言われるが、紳士協定である以上、強制力もペナルティもない。MLBのオーナーたちが紳士であるとも思えない。
 10年間放置しておいた問題が表面化したからといって急に騒ぎ立てても、よい対策が出てくることは期待しづらい。1995年の野茂渡米と同じように、これが契機となって、以後同じように海を渡る選手が増える可能性は充分にあると思う。

 2002年ごろに表面化した“世界ドラフト構想”を見てもわかるように、相手は手を出す気満々なのだ。日本側が何を要望しようと、望むような条件をMLBが承諾するとは考えにくい。
 それ以降の6年間で、MLB入りした日本人選手の評価はさらに高まっているだろう。と同時に、松坂を見ていればわかるように、たくさんの球数を投げる日本式の投手の練習方法は、まったく評価されていない(成果を評価するのなら、過程も尊重したらどうかと思うが)。
 “日本人の馬鹿げた指導法で有望な素材が潰されないうちに獲得して手元で育成したい”なんて、いかにも彼らが考えそうなことだと思いませんか。

 これは一青年の「職業選択の自由」に関わる問題だ。自由主義・資本主義・民主主義を旨とする日米両国においては、正義は田沢とMLBの側にある。彼らの自由を阻止しようとするNPBは、非関税障壁だと批判を浴びるのが落ちだろう(そもそも30年前に、ドラフト会議を経ずに行われた江川卓とジャイアンツの契約を、「職業選択の自由」を掲げて擁護したのは読売新聞であった。当時の論理が正しいのなら、田沢の選択も正しいはずだ)。

 選手の側からいえば、従来はMLBでは入団時に多額の契約金を払うということをしなかった*。入団時の一時金は、文字通り日本がケタ違いに多かったので、収入面では、まずNPB入りすることにメリットが大きかった(そこで成功してからMLBに行けば最高だ)。
 だが、田沢についての報道では、MLB側もかなりの金額を用意していると伝えられる。近年はアマチュア選手に代理人がついて入団時の契約金や年俸吊り上げを図っていると聞くので、金銭面でMLBがNPBに近づいているのかも知れない。金の張りあいなら日本がMLBに勝てるはずもない。
 ほとんど唯一のアドバンテージが失われたことも、このタイミングでこういう事態が起こった理由のひとつだろう。

 だから、「10年放置しておいた問題」と書いたものの、10年前から真剣に対策に取り組んだとしても、NPBに何ができたかといえば、はなはだ心許ないものはある。実質的に止めようがなかっただろうとは思う。


 ただ、ひとつだけ残念に思うのは、NPBと社会人球界との間に、どれほどの一体感や信頼関係があるのだろうな、ということだ。

 “日本の野球界をMLBの植民地にしないために、ドミニカのように冬場にしか自国リーグを開催できないような国にしないために、有望な若手は、最初はNPBに入るよう指導してくれませんか。”

 そのように、NPBの然るべき地位にある人々が、社会人球界や学生球界の指導的立場にある人々に頭を下げて回る、というようなことが行われていたら、アマ球界からの直接流出は、少しは可能性を抑制することができたのかも知れない。
(まだ実例がひとつもないうちにそこまでする必要はないのかも知れない。だが、数年経ってこの数行を読み返した時、「あの時にすぐそうやっておけば…」と残念に思う可能性は結構高いような気がしている)
 現実には、慌てふためくNPBに対するアマ球界の視線は、かなり冷淡なものなのではないかと想像している。


 記者会見で田沢の隣に座っていた監督の、大久保秀昭という名に記憶があったので調べてみると、確かに私が記憶していた通りの人物だった。
 アトランタ五輪代表を経て、27歳で近鉄入りした捕手だった。慶大主将として2連覇を経験、日本石油で社会人を代表する捕手となった。
 私が覚えていたのはそこまでだ。Wikipediaによると、プロ入り後は故障で外野に転向、レギュラーを獲得することもなく、通算22安打2本塁打、5年で引退している。梨田監督付き広報を経験後、04年には湘南シーレックスの打撃コーチ、そして06年からは古巣・新日本石油の監督に就任した。

 都市対抗に出場するクラスの強豪社会人チームでで、プロ経験を持つ指導者は珍しいのではないかと思う。選手として活躍はできなかったが、引退後も球団に残り、別の球団からも声がかかるということは、人柄や指導力に一定の評価(あるいは期待)があったのだろう。
 とすれば、田沢の一件については、大久保監督に対してプロ野球界の人脈から、さまざまなアプローチや説得があったであろうことが容易に想像できる。監督付広報をしていたのなら、梨田(現日本ハム監督)から「何とか田沢君を説得してくれよ」などと電話の一本もかかってきたら、苦しい思いをすることになったんじゃないだろうか(実際にそんなことがあったかどうかはもちろん知らないが)。

 にもかかわらず、大久保監督は、渡米するという田沢の意思を尊重し、「いろいろな圧力でご破算になることは避けたい。田沢は純粋な気持ちでいる。非難の声は僕が浴びればいい」と言い切っている。相当な覚悟が感じられる。と同時に、プロ野球界に対する厳しい感情も想像される。田沢だっておそらく、プロ野球で捕手経験をもつ監督に、じっくりと相談したに違いない。その結果、田沢は日本のプロ野球を選ばなかった。


 この一件ひとつで、NPBと社会人球界の関係性まで忖度するのは、想像力過剰かも知れないとはわかっている。
 だが、念願のプロ入りを延期してまでアトランタ五輪に賭けた経験のある大久保監督が、この夏の北京の試合を見たとしたら、自分たちが大切にしていたもの、長年積み上げてきたものに対する敬意の欠如に、深い失望を感じただろうなとは思う。そして、それもまた今回の決断の背景にあるかも知れないな、と。

 この一件がすべて決着し、ある程度の時間が経った頃に、大久保監督が胸のうちをじっくり語ったようなインタビューを読んでみたい。「野球小僧」あたりでやってくれないかな。


*
この点は事実誤認。98年にエンゼルスと読売ジャイアンツが争奪戦を繰り広げた上原浩治の場合、エンゼルスはジャイアンツを上回る契約金額を提示したと当時報道された(ただしマイナー契約で年俸は100万円程度、とも)。MLBでも90年代半ばから日本円にして数億の契約金で入団する選手が現れており、上位指名における高騰は10年前にすでに始まっていた。下位指名選手は今でも安い。

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いっそWBC代表は日本一のチームが出たら、という試案。

 9月1日のプロ野球実行委員会で、来春の第2回WBCの監督人事は議題に上ったが、結論は出なかった。

<日本代表監督の人選は、加藤良三コミッショナーを中心に、有識者の意見もふまえて進めることで一致した。
 実行委では、各球団が人選の方法について意見を交換。「日本シリーズ優勝監督など、選考基準を設ける」「選考委員会を設置する」などの声も出たが、まず、前回のWBCで日本を率いた王貞治・ソフトバンク監督ら、有識者の意見を聞く作業にとりかかることになった。>(読売

<来年3月に米国を中心に開かれる野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表監督の選考が、加藤コミッショナーに一任されることとなった。(中略)実行委員会では、中日などから「前年の日本一になった監督がWBCの監督をやるという方式は」という意見が出されたが、「現役の監督は難しい」という声もあった。「選考委員会を作っては」という意見も出たが、今月中に結論を出すためには時間がないということもあり、加藤コミッショナーが判断することとなった。前回大会で優勝に導いたソフトバンクの王監督らから意見を聞いて選定を進め、12球団に諮ることとなる。>(朝日

 コミッショナーを<中心に進める>と<一任される>ではずいぶんニュアンスが異なる。どっちなんだと言いたくなるが、まあ1日だけの話し合いでいきなり監督が決まるよりは、選考方法も含めて、きちんと検討した方がいい。

 各紙報道を読むと、<一任>という表現は、「今年の日本一監督にする」「選考委員会を作る」といった各球団からの提案が、時間がないという理由で却下されたところから出てきたもののようだ。

 昨日までの報道では、「今季日本一監督をWBC監督に」という提案が目立っていた。主導していたのは中日だ。
 西川球団社長は<「何のルールもなく恣意(しい)的に決めるのはおかしいでしょう」><「私は星野では駄目だと言っているわけではない。だが、なぜ星野なのかという理由が必要でしょう。それに代表の監督は現役監督でなくていいのかなとも思う」」>と語っている。

 ジャイアンツの首領の「星野君の他に誰がいる」という発言に対抗するもの、という印象を受けないでもないが、仮にそうだとしても、これはなかなかよい提案ではないかと私は思っている。

 理由はいくつかある。

 第1に、現役監督を除外すると、候補者の数は乏しい。体力と意欲を兼ね備えた優秀な指導者がいれば、各球団がそう長いこと放ってはおかない。

 日本シリーズで優勝経験があり、今は現場を離れている元監督といえば、上田利治、古葉竹識、森祇晶、権藤博、若松勉、伊東勤らの名を挙げることができる。とはいえ上田、古葉、森、権藤はすでに70代、現場を離れて10年以上経つ(古葉は大学野球部の監督だが)。今さらこの激務に担ぎ出すのはあまり現実的とは思えない。
 若松や伊東は、私は面白いと思うが、各球団やスポンサー筋を納得させるには押し出しが弱いかもしれない(そんな要因を考慮しなければならないのも情けない話だが)。

 第2に、現場感覚の有無というものがある。あるらしい。
 たとえば選手の調子を判断する目、試合の勝負所をつかむ感覚といったものは、日々現場で戦っていないと、衰えたり狂ったりするものだという。私にははっきりとはわからないが、どんな仕事でも現場感覚というものは大事だ。野球の世界にもそれがあるだろうということは想像に難くない。
 今週発売の週刊ベースボールではライターの木村公一が「韓国はなぜ金メダルに輝いたのか」という記事を書いているが、そこでは韓国代表の金卿文監督の手腕が高く評価され、その采配が際だった理由として「現職の監督だった」ことが指摘されている。監督もコーチ陣も全員が現職だったそうだ。

 第3に、準備期間の不足がある。
 「日本シリーズの優勝監督にする」「選考委員会を作る」という提案は、実行委員会で「時間がない」という理由で採用されなかったそうだが、現実には、誰がなったところで時間はない。実際に選手を招集して練習ができるのはおそらく2月中旬あたりから。それなら現役監督であっても大した違いはない(スタッフの招集を手際よくやれれば、という条件は伴うが。これは、監督以前に、しっかりしたGMを決めることの方が大事だろう)。

 そんなわけで「日本一監督をWBC監督にする」という中日案はなかなかよいと思うのだが、私はこれをさらに進めて、「WBC日本代表チームは、今年の日本一球団を母体とする」ということにしたらどうかと思っている。

 現役監督がWBC監督に就任する上で最大の障害は、監督がシーズン前にチームを離れることにある。WBCで世界一になった王監督は、その年、ソフトバンクを日本一にすることができなかった。
 監督がチームを離れるのが問題になるのなら、チームの主要部分も監督にくっつけて一緒に行ってしまえばよい。前年の日本一チームなのだから、要所要所に優秀な選手はいるはずだ。外国人に頼っている部分や弱い部分を他球団の選手で補えば、代表にふさわしいチームができるだろう。監督も含めていつも一緒に試合をしている選手たちなのだから、意思の疎通にも問題はないはずだ。シーズンに向けた調整も同時にできる。外国人や非主力選手が分断されるという問題はあるが、なんなら練習相手として何人か帯同させてもいいかもしれない。

 暴論だとお思いだろうか。
 もちろん、本当に最強のチームを作るのなら、常勤の代表監督とスタッフを置き、各チームから選手を選りすぐってチームを編成するのが本来の姿だろう。
 しかし、北京五輪に向けた日本代表のチーム作りを見ていると、そういうやり方では結局うまくいかないのではないかという懸念を覚える。テストや準備がほとんどできないからだ。

 国内のプロリーグが進行する傍らで代表のチーム作りを進めなければならない、という点で、野球とサッカーは似ている。だが実際には、監督が準備のためにできることには大きな違いがある。
 北京五輪のサッカー日本代表は、昨年暮れに出場を決めた後も、何度も代表合宿を行い、練習試合を行い、海外での国際大会にも参加した。代表監督はそこで新しい選手を試し、本大会には最終予選とはかなり異なるメンバーでチームを編成した(その結果がろくでもなかったというのは、また別の話)。

 反町監督が選手を集めて合宿や海外遠征をしていた間、星野監督はチーム作りのために何ができたか。所属チームで練習し、試合をする選手たちを、ただ視察し、話すことだけだった。

 7月に発表された代表チームには、「故障者が多い」「今季の成績を反映していない」「予選のメンバーに固執しすぎ」などの批判が浴びせられた。本番でも故障で満足に働けない選手が続出したため、この選手選考は敗因のひとつとして非難を受けている。
 だが、私はこの点に関しては、あまり星野監督を責める気にはなれない。
 (代表合宿を招集した段階で、本番に間に合わない選手の見極めは必要だったと思うが)

 ある選手が国際試合で通用するか否かを予想するのは難しい。西岡のようにまるで平気な選手もいれば、青木や新井のように経験を積んで力が出せるようになった選手もいる。
 北京では、予選不参加の西武の中島とGG佐藤が加わった。今季好調だったからだ。結果として、中島はそこそこ働き、佐藤は最後の2試合で日本を破滅に導いた1人となった。要するに、使ってみなければわからない。

 だが星野監督に、彼らを実戦でテストする機会は与えられなかった。
 とすれば、国際経験のない選手は、チームにとってある種のリスク要因となる。新顔が増えるほどリスクも増える。だから、「栗原を連れて行っておけば」という類の批判には、ほとんど意味がないと私は思う(小笠原、井端、和田一浩といった選手なら、成績やプレー以外で力になっただろうとは思うが)。

 十分な準備やテストができないのなら、オールスター的選抜チームが機能するのは難しい。国内リーグの成績だけで編成された「最強チーム」は、絵に描いた餅に過ぎない。それなら、既成の強いチームをベースに代表を構成した方が、まだしも間違いがないのではないか。

 こういう考え方は、実はほかの団体競技では珍しくない。

 日本のバレーボールが強かった頃には、特定の実業団チームの監督が自チームに多少の補強をして国際大会に臨む、というやり方で成功をおさめていた。東京五輪で優勝した「東洋の魔女」は監督以下、日紡貝塚がベースだったし、70年代の女子代表もほとんど日立とユニチカだった。

 サッカーでも似た例は多い。「トータルフットボール」と称えられる74年ワールドカップのオランダ代表は、アヤックスとフェイエノールトの混成チームだ。旧ソ連や現在のロシアも、特定クラブを中心に代表を編成することが多いように思う。

 野球の日本代表が、数年に一度の特定大会のために一時的に結成され、しかもそのための準備期間が満足にとれない、という条件の下でしか活動できないのであれば、出来合いの強いチームをベースに結成するという手法は、検討に値する選択肢だと私は思う。

 というわけで、次の実行委員会までの間に、中日球団はもう少し頑張ってロビイングをして、チームごとWBCに送り込むべく暗躍してもらいたい(って、中日が日本一になれるかどうかという問題もあるがそこはとりあえず措く)。
 


 と、ここまで書いてきて、大きな要因を見落としていることに気がついた。
 北京五輪とWBCでは、条件が大きく異なる。WBCにはMLB選手の出場が可能だ。

 松坂、黒田、岡島、斉藤、城島、岩村、松井稼、松井秀、イチロー、福留。ほとんどのポジションで日本のナンバーワン選手はアメリカにいる。そうでなくても、WBC本大会はアメリカの球場とアメリカの審判で行われるのだから、同程度の力量ならMLB選手の方が有利だろう。

 もし前回と異なり、彼らの大半が日本代表としてWBCに参加するのであれば、「日本一の監督とチームで参加」という形は成り立ちにくくなる。MLB組を主力に据え、NPB組は脇を固める、という形でオールスターチームを作るのがよいかもしれない(皮肉なことだが、この構造はシドニー五輪代表におけるプロ選手とアマ選手の関係に酷似することになる)。

 これは要素レベルでいえば掛け値なしに日本の最強チームとなる。
 ただし問題は、誰がそれを率いるのか、ということだ。

 第1回WBCの日本代表は、イチローが王監督を深く尊敬していたからチームとして成立した。イチローほど気難しい選手がほかにいるかどうかは別として、この錚々たるメンバーが指導者として認め、彼らに同じ方向を向かせることのできる人物でなければ、このチームの監督を務めるのは難しい。
 (極端な話、イチローは星野仙一を自分の監督として認めるだろうか。なかなか微妙な気はする)

 さて、そうなると誰がいるのだろう。MLB監督としても相応の実績を残しているボビー・バレンタインあたりがいいのだろうか。

 そういえば、MLB所属の日本人選手の全員から、掛け値なしに深く尊敬されている人物が1人、在野にいた。野茂英雄がベンチに入れば、彼らは文句なしにまとまるかもしれない。
 だが、彼をベンチに従えることができたはずの人物は、すでにこの世にない。仰木彬が健在であったら…。

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禁句。

 どんな立場の人間にも「言ってはいけない一言」というものがある。
 野球日本代表監督にとっては、たとえば次の言葉がそれにあたる。

最初のゲームでバッターにしてもピッチャーにしても、なんかこわごわピッチング、バッティングしていたね。ストライクゾーンがまったくほかの世界でやっているような感じだった。それで戸惑った感じだった

 この大会におけるストライクゾーンが曖昧だったのは確かだ。決勝戦では、1点差の9回裏一死満塁という局面で、四球の判定に不満を示した韓国の捕手が即座に退場になるという異常事態が起こった。苦しんだのは日本だけではない。

 五輪の野球は、<まったくほかの世界でやっているような感じ>ではない。<ほかの世界でやっている>のだ。
 日本には日本の野球があるが、キューバにはキューバが、プエルトリコにはプエルトリコの野球があり、欧州には欧州の野球がある。それぞれが入り混じり、日によって入れ替わりながら現れるのが国際大会というもので、それは今大会に限ったことではないはずだ。

 野球の日本代表が国際大会に初めて参加したのは1972年の世界選手権(現在はワールドカップと名称を変えている大会)で、その時からすでに現場の指導者や選手は同じ問題に直面している。以来、野球日本代表は、その問題に取り組み続け、野球がオリンピック競技となってからは、ずっとメダルという結果を出してきた。
 ひとつ前のエントリに即して言えば、「4年間、キューバを倒すことだけを考え続けてきた」という指導者や選手が、90年代の日本にはいたはずだ。

 その後、大会規定が変更されてプロの参加が認められ、もはやアマチュアだけでは勝てない、と助っ人のようにプロ野球選手を加えた混成チームで臨んだのが2000年のシドニー五輪(正確には前年の予選から)。それでも優勝できないと見るや、次のアテネ五輪からは指導者・選手ともオールプロに切り替えた。

 逆に言えば、野球界は、4年間キューバを倒すことだけを考えていたようなアマチュアの指導者や選手たちから、最大の目標、最高の舞台を取り上げてしまったのだ。
 シドニー五輪でプロの参加が決まった時、私は、これで日本の社会人野球は衰退に向かうだろう、と予測した。
実際、有力な企業野球部の廃部は相次いでいる(正確に言えば、当時すでにバブル崩壊の影響などで縮小傾向があったが、五輪のプロ化はその傾向に拍車をかけたということだろう)。

 くどくどと歴史を繰り返してしまったが、要するに、日本にも<ほかの世界>を研究し、挑み続けてきた歴史がある。
 星野の言葉は、そんな歴史や先人に対する敬意をあまりにも欠いている。

 現場が望んだわけではないにせよ、アテネ以来の五輪日本代表は、「アマチュア野球界から最高の舞台を奪った」という十字架を背負っている。だから、この日本代表は、ファンや国民に対してはともかく、アマチュア野球界に対しては、金メダルを持ち帰るという責務を負っている、ともいえる。
 社会人野球時代に代表経験を持つ宮本慎也はそれをよく知っており、だからこそ彼はあれほどまでに強い責任感をもって五輪に取り組んできたのだろうと思う。たとえば現在日本生命の監督を務めている杉浦正則(同志社大の先輩でもある)のような人々に対して、「金メダルをとらなければ申し訳ない」という気持ちが、彼を動かしてきたはずだ。

 かつてアマチュア時代の五輪で日本代表を率いた人々、日本代表として戦った人々は、星野の言葉をなんと聞いただろうか。
 星野監督は北京五輪の本大会を終えてから、<我々にはもっともっとパワーが必要。パワーで押さえ込むことが備わらなければ国際試合には勝てないんじゃないか>という結論にようやく至ったらしい。今はプロ野球界の一員となっている山中正竹バルセロナ五輪監督は、この言葉をどう聞いただろうか。ソウル五輪の投手コーチとして、もはや技巧派では国際試合に通用しないと考え、野茂英雄や石井丈裕、渡辺智男ら球威と変化球の決め球にすぐれた投手陣を揃えて決勝に進出した経験を持つ山中なら、そんなことは20年も前から判っている、と思ったのではないだろうか。

 いずれにしても、老人たちのご都合主義で始まった、矛盾に満ちた「プロによる五輪代表」という活動は、今回で終わった。MLBが態度を変えない限り、復活は難しいだろう(五輪がUSAで開催される大会で組織委員会がごり押ししてIOCが折れる、というケースはありそうな気もするが)。
 最後には苦いものだけが残ったが、勝利の甘美さがすべてを覆い隠してしまうのとどちらがよかったかといえば、私には判断がつかない。アテネ五輪の後で、今はロサンゼルスにいる黒田が宮本に話したという、「銅で良かったんですよ。あんな準備で金メダルをとってしまったら、みんな『簡単なんや』と思ってしまう」という言葉が思い出される。


追記:
 2008.8.24付朝日新聞に掲載されたロイター発の記事によれば、IOCのジャック・ロゲ委員長は、野球の3位決定戦を視察した際に、<大リーグ選手が参加しない限り、再び五輪で採用されることはないだろうという考えを示した>という。<テニスにはフェデラーやナダルがおり、サッカーではロナウジーニョがいる><大リーグのチームが丸ごと出てほしいと言っているわけではない。ただ、五輪にはトップ選手がいてほしい>というのがロゲの談話。


追記2(2008.8.25)
野球が公開競技として採用され、初めてメダルを争った1984年ロサンゼルス五輪の代表監督として日本を優勝させた松永怜一さんがサンケイスポーツに今大会についての評論を寄せている。
<悔しいし、残念でもあるが、それ以上に憤りもある。ロサンゼルス大会以降、アマチュアが苦労を重ねて積み上げてきた成果が、最後の最後に崩れてしまったからだ。>
<敗因はいくつもあるだろうが、私はオールプロの彼らが、最後まで「箱庭」から抜け出せなかったからだと思っている。>
<異なる野球文化で知らない相手と戦わねばならない。自分の庭でいかに秀逸な技能を誇っても、それを五輪でも発揮できるかとなると、話は別だ。>

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煮え切らないのは現場のせいだけではない。

 準決勝でまたも韓国に敗退。野球の金メダルの夢は潰えた。
 リードしながらも四球や守備のミスが絡んでの失点。出塁はしても走者をホームに迎えることができず投手を援護できない打線。選手選考や監督の采配に不満がないとは言わないが、別の選手起用、別の監督だったら勝てたのかといえば、確信は持てない。
 グループリーグでキューバ、韓国、USAに敗れての4位。それぞれの勝敗は紙一重でどちらに転ぶかわからないものだったが、結果としてこちらに転びはしなかった。

 ただし、日本代表が実力を余すところなく出し尽くしたかといえば、そうは思えない。上述した通り、敗因の多くをミスが占めている。日本野球の美質とはかなり異なる試合運びだった。
 準決勝以後、2日で3試合という厳しい日程の中で、エース上野が1人で3試合を投げ抜き、決勝ですべてを出し尽くして勝利した女子ソフトボールの日本代表とは、かなりの差があったといってよい。

 同じようなもやもやと落差を、サッカーの男女にも感じる。
 女子サッカーは史上最高の4位という好成績を挙げた。準決勝、3位決定戦ともに惜敗したが、特に3位決定戦では、強豪ドイツに対して終始攻め続け、絶望的な2点目を奪われた後もなお、彼女たちは足を止めることなく抵抗を続けた。試合後のテレビ報道では「チャンスは作ったが決定力不足だった」と評する声が多かったが、彼女たちが放ったシュートの多くはゴールの枠内をとらえていた。試合後の選手たちのインタビューでは、もうこれ以上はできないというくらいの試合をやりきった、という充実感が表情に表れていたように感じた。
 男子に関しては、多くを語る言葉を持たない。何もかもが中途半端だったように思う。

 持てる力を出し切った女子は立派だった。出し切れなかった男子はだらしない。
  たぶん、部分的にでも試合を観戦した人の多くが、そう思っているのではないか。
 結果はともかく、この「出し切れなかった感」については、現場、つまり選手と指導者の責任は大きいと思う。
 ただし、すべてが現場の責任に帰するべきだとは思わない。


 私は北京五輪のさほど熱心な視聴者ではなかった。全試合を集中して見たといえるのは柔道の石井慧くらいだ。とはいえ、競技のダイジェストや試合後のインタビューに答える選手たちの映像を見ていると、結果の善し悪しにかかわらず、各々がこの大会に賭けてきたものの重み、気持ちの強さはひしひしと伝わってくる。
 そして、日々その重みを受け止め続けているうちに、一部の競技の選手たちに違和感を覚えるようになってきた。
 それがつまり、男子サッカーと野球だ。

 オリンピックに出場するほとんどの選手たちにとって、この大会は競技生活における最大の節目だ。多くの選手が「この4年間、このために努力してきた」という意味のことを語る。
 ソフトボールの選手のひとりが「この4年間、アメリカのエースをどう攻略するかだけを考えてきた」と語った記事を読んで、大袈裟にいえば慄然とした。だが、たとえば北島康介は「ハンセンより早くゴール板に触るためには」と考えてきたのだろうし、塚田真希は決勝で当たった中国の選手を倒すために握力を鍛えてきた、と中継のアナウンサーは繰り返し語っていた。ソフトボール選手の言葉は、決して特異なものではないのだろう。

 だが、野球日本代表には、「この4年間、キューバのエースを打ち崩すことだけを考えてきた」選手など、1人もいないに違いない。心中期するものがあった選手もいるだろうが、それを具体的な対策として実行してきた選手がいるとは思えない。昨年の予選を勝ち抜いた経験を持つ選手でさえ、今シーズン開幕後にオリンピックについて聞かれれば「それは代表に選ばれ、合宿が始まってから考えます。今はチームが最優先です」と答えるのが常だった。
 ソフトボールの上野は4年間思い続けてきたが、野球選手たちは4週間にも満たない。
 そして、それ自体は彼らの責任ではない。
 彼らには、ペナントレースとオリンピックの軽重に優先順位をつけることは許されていないといってよい。

 しかし、テレビを見る側は、他の競技と同じような、あるいはそれ以上の期待を彼らにかける。
 今日の野球の準決勝を私は職場のテレビで見ていたが、8回裏に失点を重ねるたびに、同僚が選手や代表チームを口汚く罵った。私とて彼らのプレーぶりには深い失望を味わったが、同僚のように居丈高な態度をとる気にはなれなかった。
 たとえば私が西武ライオンズのファンで、日本シリーズ第6戦あたりでG.G.佐藤が試合を決定づける落球する姿を目の当たりにしたら、スタンドから思い切り罵倒するかもしれない。西武ファンの期待を背負い、怒りを受け止めるのは、プロ野球選手としての彼の義務だ。
 だが、日本代表としてプレーすることの責任をどのように彼が、そして他の選手たちが背負うべきなのか、私はには明確な答えが見つからない。
 それはひとえに、日本のプロ野球におけるオリンピックの位置づけの曖昧さ、世界の野球界におけるオリンピックの位置づけの曖昧さによるものであり、選手の自覚不足などという精神論に収斂できるものではない(もちろん、どんな状況のどんなレベルの試合であれ、8回の佐藤の落球は野球選手としての汚点以外の何物でもないけれど)。

 まったくの感情論として言わせてもらえば、水泳や柔道、レスリング、陸上、ソフトボールなど、この大会のために過去4年間のすべてを捧げてきた選手たちが勝ち取ったメダルと、野球日本代表が得たメダル(今大会では得られない可能性も残念ながらかなりあると言わざるを得ないのだが)が同じ重みであるとは、私には思えない。

 女子ソフトボールでは、表彰式の後、トップ3の各国選手たちが一緒になって、ボールで「2016」の文字を作り、五輪競技への復帰を訴えた。五輪がソフトボールという競技における最高峰の舞台である以上、それは当然の欲求だ。
 だが、野球はどうだ。
 このブログでも何度も書いてきたように、ベースボールの宗主国であるMLBは、五輪に選手を派遣するつもりがない。それはたぶん2016年以降においても変わらないだろう。その方針が変わらない限り、USA、ドミニカ、日本、韓国、台湾、あるいはオーストラリアといった国々は最強チームを編成することができない。
 そんな中途半端な形で五輪に復帰することに、どういう意味があるのだろうか。いっそ、野球が盛んな国で開催される時だけ公開競技として実施する、ということでもいいんじゃないかという気がしてくる。真剣勝負として命(とはいわないまでも選手生命を賭けた戦いを見ることは少なくない)のやりとりをする場にはふさわしくない。
 勝って得られるものの重みと、負けることで背負う傷の深さが釣り合っていない。そんな形で選手たちを戦場に送り込むのはもうたくさんだ。
 今大会のトップ4でいえば、キューバ代表は五輪を最大の目標としている。韓国はシーズンを中断し五輪に集中してきた。USAはMLBを除外して割り切ったチームで臨んだ。良くも悪くも、それぞれのスタンスは明確だ。日本だけが中途半端な位置にある(4年前からの進歩は認めるが)。

 野球は今大会を最後に五輪競技から外れる。世界の野球界において、また日本の野球界において五輪をどう位置づければよいのかを、抜本的かつ徹底的に話し合うには、よい機会ともいえる。
 もちろん、誰がどういうテーブルについて話すのか、という前提に最大の問題があるわけだが、今度こそ誰か本気でそれを考えてくれないだろうか。新任のプロ野球コミッショナーには、ぜひそういう意識をもっていただきたいのだが。


関連エントリ:
五輪競技落選による、MLB一極集中体制の完成。
足りなかったもの。
星野仙一が代表監督にふさわしいと考える理由。
で、野球界は北京五輪をどうするのか。
横尾弘一『オリンピック野球日本代表物語』ダイヤモンド社

 改めて並べると、同じようなことばかりずっと書いてますが。

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横尾弘一『オリンピック野球日本代表物語』ダイヤモンド社

 ありそうでなかった本だ。あるいは、こういうものがなかったこと自体が野球におけるオリンピックの半端な位置づけを象徴している、というべきか。
 タイトルの通り、野球が五輪の公開競技に採用された1984年ロサンゼルス大会から、正式競技としてひとまず最後となる2008年北京大会の予選に至るまで、野球日本代表がどのようにしてオリンピックに臨んできたかを記している。

 タイトルに「物語」とあるけれど、各大会のスター選手の活躍を描いた“名勝負物語”やNumber的“ヒューマンストーリー”を期待して読めば、いささか物足りなく感じることだろう。著者の記述スタイルはむしろ歴史書に近い。それぞれの五輪大会に向けた日本代表が、歴代の監督の下、どのように発足し、4年の準備期間にいかにして強化を試み、本大会に臨んだかが、粛々と記録されている。
 ロサンゼルスから始まる五輪の各大会ごとに1章があてられているが、本大会だけでなく、チームの発足から4年間に行われた大小の国際大会についてもきちんと記されているので、本書は実質的に、日本のアマチュア野球における国際挑戦史でもある(巻末にはそれらの大会すべての出場選手と勝敗、タイトルが記されている)。


 通読してまず感じるのは、日本代表の勝利という目的のために関係者が一丸となって総力を結集することの難しさだ。
 プロアマ混成の2000年シドニー大会、全員プロ選手で結成された2004年アテネ大会において、現場の指導者や選手たちが直面した困難はむしろ国内の野球界にあったのではないか、ということはこのblogでも何度か指摘してきた。
 が、実はそれはプロの参加を待つまでもなく、日本代表という存在に最初からついて回る宿命だったことが、本書を読むとよくわかる。

 草創期の日本代表に対して、選手を派遣する母体である企業は非常に消極的だった。学生球界との関係も密接とは言えず、日本代表は長い間、ほぼ社会人選手だけで構成されていた。
 ロス五輪では社会人と大学生の混成チームが出場したが、これは予選で敗退した日本がキューバの大会ボイコットで急きょ出場することになり、都市対抗との日程調整ができなかったという事情がある(本書によれば、日本代表の事実上のオーナーだった山本英一郎が、それを奇貨として、参加に消極的だった大学球界を強引に説き伏せて選手を出場させた、という経緯もあったようだ)。

 社会人と学生の温度差は以後も続く。87年、社会人野球の団体である日本野球連盟の体協加盟が認められた際に、学生野球の各団体が出したコメントが紹介されているが、どれも他人事そのものだ。とりわけ日本学生野球協会の広岡知男会長のコメントの冷淡さには、今読むと驚くべきものがある。

<社会人が体協に入るのは、それはそれで結構なこと。学生協会は、設立の経緯から他の組織の下部団体にはなれない。体協に入らなければオリンピックに出さないというなら、こちらとしては出ない。オリンピックにも興行的な要素が出てきたし、変わってきている。大学連盟が、五輪に出たいところは出てもいい、と言っているのは協会との関係からおかしなことだ>

 広岡は旧制中学時代の甲子園に出場し、東大野球部では六大学の首位打者となった経験のある、元朝日新聞社長。このコメントを読むと、野球界全体の流れとは無関係に(そして、昨今の奨学生問題に象徴されるように、教育界とも無関係に)「学生野球」という独自の閉じた世界に至上かつ不可侵の価値を見出す人々が、その信念に基づいて学生野球界を動かしてきたのだということを改めて実感する。
(もっとも、広岡はこの4年後には全日本アマチュア野球連盟会長も兼任し、五輪における野球日本代表を推進する立場になるのだが)


 母体となる諸団体がそんな調子だから、選手たちの意識も揃わない。
 1977年にニカラグアで開催されたインターコンチネンタルカップでは、炭酸飲料をがぶ飲みして体調を崩したり、3位に終わりながら閉会式で記念写真を撮ったりしている選手がいて、監督の松永怜一を激怒させた。
 野球が五輪競技となり、日本代表が相応のステイタスを認められるようになると、別の問題が生じてきた。1992年バルセロナ大会の予選を振り返って、主将を務めた捕手の高見泰範は<バルセロナを目指し、予選はプロセスだと考えている選手と、プロ入りを目指していいプレーをしようとしている選手には、明らかに違いがあった。バッテリーを組んでいても、新谷(博=日本生命、後に西武など/引用者注)との意識の差は感じていました>と話す。
 ロサンゼルス大会から数えて4度目の五輪で、企業や大学の理解も深まり、ドラフト凍結という形でプロからも間接的なバックアップを受けていた1996年アトランタ五輪では、予選リーグ敗退寸前まで追い込まれるが、それも同じ問題がチームに亀裂を生じさせていたからだ、と著者は考えているようだ。

 歴代の監督たちも、意識の統一や一体感の醸成に心を砕いてきた。
 急きょロス五輪を率いることになった松永怜一は、合宿初日の前夜に<敗戦主義者や怠け者、不平不満を漏らす者はいらない。私の言うことが聞けない者は、今すぐ荷物をまとめて帰ってくれ>と選手たちに宣言する。
 1992年バルセロナ五輪を率いた山中正竹は<私は日本代表も自分のチームと思えるような選手を集めようとした><このチームを勝たせるにはどうすればいいか、その中で自分は何をすればいいのかを考えられる選手を見極めようと>と回想する。
 この山中が、最終合宿の最終日に、右肘を痛めていた西山一宇投手をメンバーから外そうとしたが、別の選手を呼ぶことでチームの一体感が崩れるリスクをおそれて思いとどまったというエピソードには、北京五輪代表における上原浩治の処遇の背景を想像させるものがある。

 星野仙一監督が率いる北京五輪の日本代表を見る上で、本書が示唆するところは大きい。メンバーが発表された今、選手たちが集合し、最終合宿を行い、本大会を戦う中で、どのような困難に直面することになるのかを知るためには、この上ない参考書となるはずだ。

 奥付での著者の肩書きは「ベースボール・ジャーナリスト」となっている。社会人野球誌「グランドスラム」を中心に活動しているようだが、私の印象に残っているのは、落合が中日監督に就任したシーズンに密着した『落合戦記』だ。あの落合に信頼されるというだけで一目置かざるを得ないという気になる。著書自体はけれん味のない実直な文章という印象を持っている。本書もまた、そのように記された労作だ。

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ONE AND ONLY.

 何事にも初めてという時がある。見物人においてもある。

 例えばサッカーにおいて、日本代表が史上初めてワールドカップに出場する試合が行われた1998年6月のトゥールーズのスタジアムに立ち合った時の心境は、この先日本サッカーに何があったとしても、二度と味わうことはないと思う(日本がワールドカップの決勝に進んだりしたらそれはそれは凄い感慨を覚えるだろうけれど、それはそれで別のものだ)。

 そのような意味において、野茂英雄が初めてMLBで投げた頃、テレビを見つめていた心境もまた、二度と味わうことのない性質のものだ。

 関西では阪神大震災が起こり、東京では地下鉄サリン事件が起こり、オウム真理教の驚くべき実態が明らかにされ、バブル経済の崩壊はもはや後戻りできないことが確実になり、政権の座は乱立する新政党の間でたらい回しにされ、日本社会そのものが液状化し足元が崩れていくような世の中にあって、ただひとつ確かに感じられたのが、海の向こうで黙々と投げる野茂の姿だった。私にとって、1995年とはそういう年だった。

 厳密に言えば、野茂は初めてのメジャーリーガーではない。日本人メジャーリーガー第1号はマッシー村上だ。
 が、彼はMLBを目指したわけではない。マイナーリーグで研修するだけの予定が、彼の才能に目をつけたジャイアンツに引き上げられて、アクシデントのようにメジャーリーガーになった。そして、彼の最初の予定のようにマイナーリーグで練習する選手はその後も出たが、彼のようにメジャーに引き上げられる者はいなかった*。開いたかに見えた道は再び閉ざされた。

 野茂ははじめからMLBで投げるつもりでアメリカに渡った。そんなことができるとは誰も思っていなかった時に。
 近鉄と喧嘩別れして日本を出て行き、近鉄時代の一割にも満たないわずかな報酬でロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、メジャーで投げられる保証などないままに(しかも前年からのストライキが続行中で試合再開の見通しさえ明らかでなかった時期に)アメリカに渡り、メジャーリーガーとなった。野茂がアメリカでもブームを引き起こすほどの成功を収めた後は、もはや道を閉じることは誰にもできなかった。

 日本野球を飛び出したにもかかわらず、野茂は日本野球を背負っていた。
 今は、誰かがアメリカに行けば「彼はMLBで通用するのか」という目で見られる。その成否は、あくまでその選手個人の問題でしかない。だが、野茂の挑戦は「日本野球はMLBで通用するのか」という命題と一体だった。彼自身が望むと望まざるとにかかわらず。

 野茂は太平洋に橋をかけ、道を作り、向こう側に居場所を作った。
 それは彼が彼自身のために行った工事だったが、結果的には数多くの後輩たちにとっての橋となり、道となり、居場所となった。彼の後にアメリカに渡った選手は、全員が野茂のかけた橋を渡っていったといっても過言ではない。

 2005年のシーズン途中、日米通算201勝目を挙げた直後にタンパベイを解雇され、利腕の肘を手術した彼と契約しようとするチームが現れなくなってからも、ベネズエラに渡ってまで投げ続けた。どんな土地のどんなチームであろうと頓着せずに。ほとんどメディアに紹介されることのなかったこの3年間の彼の歩みにも、凄みを感じる。

 去年あたりの『Sportiva』だったか、野茂の現況を紹介した記事に、野茂は渡米以来、代理人やトレーナーなどのスタッフを変えていない、という記述があった。
 昔から、成功するための要因として「運鈍根」という言葉がある。運と根はともかく、私には「鈍」がピンとこなかったのだが、野茂の野球人生を見てきて、その意味がわかったような気がする。自分を信じ抜き迷わない、そんなある種の鈍感さが、彼を導いてきた要因のひとつになっているのだと思う。


 2008年7月17日、北京五輪に臨む野球日本代表のメンバーが発表されたのと同じ日に、野茂は自身の公式サイトで現役引退を発表した。一行だけのそっけない文章もまた彼らしい。
 昨日までの彼の歩みに、持てる限りの敬意を表する。

 「日本で最も偉大な野球選手を○人選べ」と問われたら、私はそこに野茂の名を挙げる。1人選べといわれたら迷うかも知れないが、○が2以上であれば必ず挙げる。


* 厳密にいえば、日本のプロ野球を経由せずにマイナーリーガーとしてスタートし、96年にメジャーデビューを果たしたマック鈴木がいる。マックだけは、野茂のかけた橋ではなく、自分自身の道を通って渡米したといえる。

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北京五輪野球代表についての感想。

 今日、北京五輪に向けた野球日本代表メンバー24人が発表された。

<投手>
上原浩治G、川上憲伸D、岩瀬仁紀D、藤川球児T、ダルビッシュ有F、成瀬善久M、和田毅H、杉内俊哉H、田中将大E、涌井秀章L
<捕手>
阿部慎之助G、矢野輝弘T、里崎智也M
<内野手>
荒木雅博D、新井貴浩T、村田修一BAY、宮本慎也S、西岡剛M、川崎宗則H、中島裕之L
<外野手>
森野将彦D、青木宣親S、稲葉篤紀F、G.G.佐藤(佐藤隆彦)L


 顔触れを見てすぐに思い当たるのは、星野監督は昨年12月の予選のチームを重視した、ということだ。24人中19人までが予選に出場している。以下の5人が入れ替わった。

OUT 小林宏、長谷部、井端、和田一浩、大村三郎
IN  和田、杉内、田中、中島、佐藤

 予選では9人だった投手が1人増えた。3試合で終わる予選と違い、五輪本大会は試合数が多いのだから当然(投手を10人にするか11人にするか、が選考における最大の論点だった、と山本浩二コーチが記者会見で話している)。
 和田、杉内はWBC経験者(杉内はアマ時代のシドニー五輪、和田はアテネ五輪にも出場した)で国際経験に不足はない。田中、中島はおそらく初の国際大会出場になる。GG佐藤も同様だと思うが、アメリカでのプレー経験がプラスになるかどうか。

 昨年の予選では、昨季好調だった選手を中心に選んだ感があったが、今回のメンバーは必ずしも現在の成績や調子を反映してはいない。パの野手陣では打撃ランキング上位の選手が順当に選ばれているが、セではかなり異なる。投手についても涌井や成瀬の勢いは昨年ほどではないし(とはいえ実質2年目の今年も相応の成績を残しているという意味では評価できる)、上原の不振は深刻だ。
 選ばれたメンバーよりもよい成績を残している選手は少なくない。

 つまり星野監督は、現時点での調子よりも、予選3試合を通じて培われたチームの一体感を重視したということだろう。
 シーズン真っ最中で最低限の準備期間しかとれない本大会のために、一からチームを作り直すことは困難だろうから、これは合理性のある判断だと思う。

 この「予選を勝ち抜いたチームを基礎にして本大会に臨む」という当たり前のことが、アテネ五輪では許されなかった。
 当時の代表チームには「本大会出場は1チーム2名まで」という制約が課されたために、首脳陣はチームをいったん解体して組み直さなければならなかった。チームの求心力を担保していたはずのカリスマ監督は病に倒れ、指導者としての実績が無に等しい代行監督が、この即席チームを率いてアテネに赴かなければならなかったのは周知の通り。
 今回、その種の制約が外れたのは、プロ野球界もアテネについていくらか反省したという現れだろうし、アテネでの一部始終を放送席から見ていた現監督の強い意向にもよるのだろう。

 ちなみにアテネ五輪から連続出場する選手は、投手で岩瀬、上原、和田毅、野手では宮本ひとりの計4人。本来なら黒田、松坂、城島、福留なども連続出場して然るべきだが、彼らはこの間にアメリカに渡ってしまった。


 さて、顔触れを見て気になったことがいくつか。


1)宮本を誰が補佐するのか。

 WBCの代表選手が発表された時、宮本不在で誰が主将役を務めるのか、という懸念をこのblogに書いたことがあったが(後に井口の出場辞退に伴い、宮本はメンバーに加わり、私が期待したような役割を果たした)、星野監督は予選の時から宮本を主将に指名していた。故障やよほどの不振でない限り選ばれるのは確実だったし、それが張り合いになったのか、宮本は打撃でも好調を維持している。

 というわけで今回は主将に不足はないのだが、改めて顔触れを眺めると、野手陣は宮本以外は全員若手の感がある。捕手陣3人はベテランぞろいだが、投手陣の把握に相手打線の研究、ブルペンコーチ役と、捕手業務で手一杯になりそうだから、野手陣に宮本を補佐する選手が必要になってくるはずだ。
 WBCではイチローが主将格で宮本が陰のリーダー、という分担ができていたようだし、アテネ五輪では高橋由伸が宮本の相談相手になっていたようだ。今回の予選では井端や和田がいた。

 今季は必ずしも状態や成績がよくない高橋由伸、井端、小笠原らが最終候補に名を連ねていたのは、おそらくそのような含みもあってのことだったのだろうが、結局は3人とも落選。台中でベンチを引き締めていたと思われる和田一浩もいない。

 年齢的には稲葉はベテランだ。実力も充分でレギュラー出場が予想されるから、候補のひとりではある。が、日本ハムでもそうだが、人格的にとても初々しくて、リーダー格とかまとめ役とかいうのはちょっと違うような気もする(あくまでメディアで見た限りでの印象)。

 期待したいのはむしろ、西岡、川崎、青木といった面々。WBCで“イチロー・チルドレン”として売り出した彼らも、今や国際経験ではトップクラスになっている。予選の後で稲葉が「WBC組についていくのに必死だった」と話していたように、今や日本代表の顔でもある。やんちゃな若手という立場にとどまらず、次のWBCでは宮本から主将を引き継ぐくらいの気持ちで取り組んでくれたらいいなと期待している。


2)誰が打線の核になるのか。

 国際試合、とりわけ準決勝以降のノックアウト方式に入ると、チームとしての精神的タフネス、諦めない力とでもいうものがとても重要になると思われる。
 その時に大切なのは、打線のつっかい棒とでもいうべき打者だ。誰もが「○○さんに回せば何とかしてくれる」と信じられる時に、打者たちは線となって敵に立ち向かうことができる。

 前回のアテネ五輪から、逆の例を見出すこともできる。準決勝でオーストラリアに1点をリードされた最終回。先頭打者だった四番・城島は初球からバントヒットを狙って失敗した。
 奥田英郎は著書『泳いで帰れ』の中で<自分が何とかしようとする者の行為ではない。あとは頼むという、責任回避の行為だ。四番がこれか>とこのプレーを罵倒しているが、私も同感だった。城島は好きな選手だが、これはいただけない。日本はそのまま三者凡退であえなく敗退した。

 灼熱の北京で、選手たちは苦しい時に誰の顔を見ればよいのか。監督か?そりゃ違うだろう。宮本主将といえども、試合に出づっぱりでチームを引っ張るのは難しいだろうし、まして「つないだ走者たちを本塁に迎え入れる」という役割ではない。
 健在なら小笠原あたりが担うはずだった役目だが、いないものは仕方ない。ここは新井や村田に頑張ってもらいたい。台中で、単打に徹した新井は頼もしかった。本大会は彼らにとって一皮むけるチャンスでもある。


3)一塁コーチを誰が務めるのか。

 3つ目は、ものすごく細かい話。五輪ではベンチ入りスタッフの数も非常に絞られる。コーチは山本浩二、田淵、大野の3人だけ。山本が三塁コーチ(これも懸念したのだが、台中では無難にこなした。北京でも頑張ってもらうしかない。暑さが心配だが)を務め、田淵はベンチで星野監督の相談相手、となると一塁コーチは控え選手がやることになる。
 台中ではほとんどの時間帯を宮本が務めていた。走者たちへの指示ぶりは堂に入ったもので、まず不安はない。だが、宮本が試合に出ている間は、誰が代わるのか。

 予選で宮本不在中の一塁コーチャーズボックスに立っていたのは井端だ(アテネ五輪の予選でもやっていた)が、今回は選ばれていない。予選での中日・阪神勢の使われ方を見ていると、荒木、森野ら中日勢が候補と思われるが、選手としてはともかく、コーチとしては心許ない気がする(なんて書いたら失礼だろうか。中日ファンの皆さん、どうでしょうか)。
 スタッフが少ないだけに、試合に出ない選手の役割も普通のチームより重くなる。ベンチの選手たちの表情や態度にこそ、チームの一体感は現れるものだ。


 懸念としていくつか書いたが、このくらいのことはおそらく監督も考えた上でのセレクトのはず。選手たちが、大きなチャンスと捉えて取り組んでくれたらいいと思っている。
 あとは選手たちが開幕までによいコンディションに仕上げて本大会に臨めることを祈るばかり。

追記(2008.7.23)
代表チームの選考は、最終的には監督の専決事項だと私は思っているが、ファンやメディアから批判や異論が出るのは避けられないことだし、異論のある人は言えばよいとも思う。ただし、ファンの酒場談義なら好き嫌いだけで声高に論じてもよいけれど、メディアが批判を表明するなら、相応の根拠は示して貰いたい。

こんな判りきったことを書くのは、今週の週刊朝日の中吊り広告に呆れたからだ。

<やはり中日、阪神偏重で、今年の成績よりも「コネ」が優先!?
  星野ジャパン このメンバーじゃ勝てるわけない!>
http://publications.asahi.com/syukan/nakazuri/image/20080801.jpg

 記事の内容は二宮清純、小関順二、玉木正之らのコメントをつぎはぎしただけのお手軽なもの。個別には傾聴すべき部分もあるが、誰かが「中日阪神偏重だ」とか「コネ優先だ」とか「このメンバーじゃ勝てるわけない」などと明言しているわけではなく、中吊りと記事との整合性は低い。週刊朝日では、中吊り広告が記事とは別に独自の見解を主張することがあるようなので気をつけたい。

 昨年のアジア予選で、普段やらないような苦しいロングリリーフや、ブルペン捕手など試合の外側での地味な仕事を任されていたのが中日・阪神勢だったことは、3試合をきちんと見ていれば誰にでも判ったことだ。今回のメンバー構成を見ても、彼らが同じような役回りになることは容易に予想がつく。人数は多くとも優遇されたとは言い難い(そもそもぶっちぎりで首位独走中の阪神から3人というのは、決して多くはない)。
 そんなことには触れようともせず、人数だけ数えて「偏重」だの「コネ」だのと騒ぎ立てるような振る舞いを「下衆の勘繰り」という。06年のWBC日本代表には千葉ロッテから8人が選ばれたが、あれも誰かのコネだったというのか?

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貧乏なマネー・ボール、金持ちのマネー・ボール。

 ボストン・レッドソックスとオークランド・アスレチックスの開幕戦が行われた東京ドームのスタンドで、日本にいた頃と同じように球数の多い松坂大輔を眺めながら、相手打線は知らない選手ばかりだなあ、と、ぼんやりと考えた。

 ここ1,2年はMLBの試合をろくに見ていないので(なにしろ今住んでいる部屋では地上波とMXTVしか映らない)、単に私が無知なだけかと思ったが、公式プログラムをめくってみると、出場している選手の多くは実際にほとんど実績がない。
 唯一のスターといってよいチャベスが故障で来日しなかったため、無名選手ばかりのラインナップになってしまった(<シャヴェス、エリス、クロズビー以外はみんなルーキーか、それに近い若手>と「メジャーリーグ完全データ名鑑2008」(広済堂出版)には書かれている)。もっともなじみ深い名前は、打撃コーチのタイラー・バンバークレオ(元西武ライオンズのバークレオ)だった。
 松坂はもちろん、マニー・ラミレス、オーティズ、ローウェル、バリテックと年俸10億円クラスのスター選手が並ぶレッドソックスとは、人件費総額に相当な差がありそうだ。
 そうか、これは“貧乏なマネー・ボール”と“金持ちのマネー・ボール”の対決なんだな、と改めて気がついた。


 2月の初めにNHK総合テレビで、ボストン・レッドソックスの選手獲得法を扱った番組が放映された。「NHKスペシャル 日本とアメリカ」というシリーズの第3回「日本野球は“宝の山” 〜大リーグ経営革命の秘密〜」というタイトルだ。内容は、Number創刊時の編集長だった岡崎満義がインターネット上のコラムに詳しく紹介している。

< 6年前にレッドソックスを買収してオーナーになったジョン・ヘンリー氏は、巨大マネーを操るヘッジファンド経営者で、「金融も野球もデータから始まる」「金融界では意味のある指標を見つけられなければ、いいトレーダーとはいえない」という哲学の持主。自らスコアブックをつけながら、野球観戦をする。子供の頃から野球のデータが好きだった。その哲学の信奉者がルキーノ球団社長であり、エプスタインGMであり、データ分析専門家のマックラッケン氏である。みんな客観的なデータを信頼する人材の集まりだ。

 松坂投手のようなスターに大金をつぎこんで獲得するためには、半面ではいかに安い俸給でいい選手を発掘するかが大切だという。その基礎資料となるのがデータである。

 しかも、そのためには世間に通用している常識的なデータではなく、データを分析し、新しい価値を構築して、選手の隠された可能性を発見しなければならない。レッドソックス独得の「新しい指標」を編み出しているのが、すこぶる興味深かった。>

 私はこの番組を、出張先の地方都市の宿で見ていた。
 確かに岡崎が書くように興味深い番組だったのだが、反面、最後まで見終えた時には少々驚いた。こういう内容の番組を「ビリー・ビーン」「ビル・ジェイムズ」「セイバーメトリックス」「マネー・ボール」という言葉をひとつも使わずに制作するという姿勢に面食らったのだ(NHKの番組内容を紹介し絶賛するだけで、そのことにまったく言及していない岡崎のコラムについても然り。いや、普通の書き手ならいいんだが、スポーツジャーナリストを名乗って書いている以上、これでは物足りない)。


 2003年(日本語版は翌年)に刊行された『マネー・ボール』は、日本でも評判になり文庫化もされている著名な本なので、今さら紹介するのもいささか気恥ずかしい。詳しくはAmazonの商品説明などをご参照いただきたいが、簡単にいえば、MLBの中でも資金力に乏しいアスレチックスのGMビリー・ビーンが、いかにして他球団が目をつけない優良選手を安く手に入れて強豪チームを築き続けているかを描いたノンフィクションだ。

 その「いかにして」の部分こそ岡崎がいう「新しい指標」、すなわち市井の野球愛好家ビル・ジェイムズが考案し、私家版の冊子で紹介したデータ解析方法だ。ジェイムズはそれをセイバーメトリックスと名付けている。

 打者であれば打率や打点よりも出塁率に着目する、攻撃側はアウトにならないこと、守備側はアウトを増やすことを最も重視する、というような、従来の野球界の常識とは異なる指標によって選手を選別することにより、他球団の評価は高くないけれど勝利に貢献できる選手を安価に集めることができる。それがビーンの方法論だった。

 『マネー・ボール』の終盤には、レッドソックスを買収したジョン・ヘンリーが、ビル・ジェイムズを顧問に招き、さらにビリー・ビーンをGMとして引き抜こうとするくだりが描かれる。ほとんどその気になっていたビーンは、しかし土壇場で翻意してアスレチックスに残ることを決意する。
 ビーンに振られたヘンリーが、代わりに雇ったのが当時最年少GMとなったセオ・エプスタインだった。そしてヘンリーは、セイバーメトリックスを用いた選手の獲得を試みる。その成功例としてNHKスペシャルが紹介したのが主砲デビッド・オーティズであり、岡島秀樹だ。ボストンの一塁を守るユーキリスも、その出塁率の高さにビーンが獲得を熱望した選手として『マネー・ボール』に印象的に登場している。

 かくして新生レッドソックスは2004年、2007年と二度のワールドシリーズ制覇を成し遂げる。21世紀初頭のレッドソックスの栄光は、『マネー・ボール』の後日談とも言えるわけだ。
 言い換えると、アスレチックスが、貧者が金持ちに対抗するために開発した方法論を、巨額の富によって実行したらどうなるか、という試みを実践したのがレッドソックスだった。
 バレーボールでは1960年代から70年代にかけて、背の低い日本選手が速攻という戦術を武器に世界を制したが、背が高く身体能力に優った欧米の選手たちが同様の技術を身に付けてしまったことでアドバンテージが失われ、日本は久しくメダルから遠ざかっている。そんな状況を思い出させるような構図が、ここにはある。


 NHKの番組を見てからしばらくして、そこで感じた不満を埋めてくれそうなドキュメンタリー番組をみつけた。アメリカのディスカバリーチャンネルが制作したテレビ番組のDVD「ベースボール革命 勝利の統計学」だ。

 こちらは2006年の制作。セイバーメトリックス理論そのものを紹介することに主眼が置かれ、ほぼ全編にわたってビル・ジェイムズ本人が語り手として登場している。ビルはそこで「出塁率こそ重要」「送りバントは得点の可能性を損なう」「盗塁は得点の可能性にほとんど影響がない」といった持論を展開している。

 興味深いのは、ボストンの監督テリー・フランコナが登場して、こう語っていることだ。
「私はあらゆる情報をかき集めて、それを最大限利用しようと思ったんです」
「時には賛成しかねるアイデアもありますが、彼(ジェイムズ)との会話は示唆に富んでいて、今でも楽しいものです」
 『マネー・ボール』でジェイムズがいかにMLB各球団から無視され続けてきたかを読んだ後でこの発言を聞くと、隔世の感がある。

 ジェイムズのデータ分析の主たる関心事は「どのプレー、どの数値が勝利に結びつくのか(あるいは結びつかないのか)」を解明することにある。彼が編み出す指標は、「どの数値が勝利を導くか」を意味し、それがひいては「どの指標にすぐれた選手がチームを勝利に導くか」を示すことになる。
 だから、セイバーメトリックスは、チーム編成だけでなく、選手起用や試合中の戦術という監督の仕事にもダイレクトに活用できるはずだ(というよりも、具体的な采配と結びつけなければ、せっかく集めた選手を生かすこともできないだろう)。

 そう考えれば、セイバーメトリックスを采配に取り入れることに心理的抵抗をもたないフランコナは、まさに現在のレッドソックスを率いるにふさわしい監督といえる。また、『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』によれば、昨年就任したボブ・ゲラン監督が率いた2007年のアスレチックスは、リーグで四球数2位、盗塁数とバント数は最小と、ジェイムズの理論に忠実な戦術を貫いた(が地区3位となり、久しぶりに勝率5割を下回った)。
 この両チーム、編成だけでなく戦術的にも兄弟のような関係にあるようだ。


 両者が戦った3/25の開幕戦は、好ゲームとなった。立ち上がりに被本塁打と四死球連発で松坂が2点を失うが、二転三転の末、9回表にレッドソックスがモスの本塁打で同点に追いついて延長に入る。9回から登板したアスレチックスのクローザー、ヒューストン・ストリートは、大学球界で活躍したが体が小さい(といっても183センチ、88キロもあるが)と他球団から敬遠されたためにアスレチックスが目をつけたという。

 十回表のレッドソックスの攻撃は、先頭の9番ルーゴが三塁線を襲う内野安打で出塁し、一番ペドロイアは初球送りバントを決める。二番ユーキリス三振の後、オーティズは何と敬遠。四番ラミレスが右中間フェンスに直撃する二塁打を放って2点を勝ち越した。裏にはアスレチックスも猛反撃するが、5点目を奪うタイムリーヒットのクロスビーが三塁を欲張って挟殺されたことでチャンスは潰え、6-5でレッドソックスが逃げ切った。

 ビル・ジェイムズの理論では勝利に結びつかないはずの送りバントや敬遠を両チームが実行して、一方は成功し、一方は失敗した。そして、終わってみれば、勝負を決めたのは年俸2000万ドルの高額所得者マニー・ラミレスの打棒。ビッグマネー・ボールとスモールマネー・ボールの対決としては、いささか皮肉な結末と言えるかもしれない。まあ、一試合だけの結果であれこれ語るのは、統計と確率を基盤とするセイバーメトリックスの考え方とは相容れないものかもしれないが。

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高いレベルで野球がしたいのなら。

 このオフにも大勢の日本人選手がMLBに移籍していきます。FA権取得までまだ時間のかかる選手も、「ポスティングで行かせてください」と球団に訴えた(と取材陣の前で公言した)りしています。

 「高いレベルで自分の力を試してみたい」と彼らのほとんど全員が口を揃えます。

 なるほど。それはスポーツ選手としての本能のようなものでしょう。そこにストップをかけるのは、生きるのをやめろというようなもので、むごいことです。

 でも、そうやって日本から好選手がいなくなっては困る。日本のプロ野球は滅びてしまいます。故郷が荒れ果ててしまうのは、彼らが望むことでもないでしょう。

 そんなジレンマを解消する妙案があります。ドミニカのウィンターリーグに参加してみたらどうでしょう。

 ウィンターリーグの概要はこちらにある通り。過去の個人成績リーダーズのリストを見ても、MLBで活躍した選手の名がごろごろ並んでいますし、オフを利用して里帰りし、ウィンターリーグに参加する現役メジャーリーガーも少なくありません(こちらのブログを見ると、レッドソックスのオルティスも毎年のように参加しているようです。

 FAの資格がなくても、ポスティングをしてもらわなくても、このオフからすぐに現役メジャーリーガーと対戦できるし、日本の球団をやめなくてもいいし、一石二鳥以上じゃないですか。どうせ喋れないのなら英語もスペイン語も似たようなもんでしょ。「高いレベルで自分の力を試してみたい」のなら、今すぐカリブ海に飛んで、現役メジャーリーガーと勝負してみてはどうでしょうか! 巨額の報酬だけは期待できませんけど。

…という、単なる思いつきのイヤミを書き逃げして終わるつもりだったのですが、書きかけてほったらかしている間に、今週発売の週刊ベースボール12月31日号に掲載されているジャイアンツ清武代表の連載コラム「野球は幸せか!」が目にとまりました。

 ジャイアンツからドミニカのウィンターリーグに参加している深沢和帆投手が、日本の選手会から試合出場を止められた、と清武代表は書いています。

支配下選手の場合、十二月から一月までは、ポスト・シーズンだ。野球協約第173条では「球団または選手は、毎年12月1日から翌年1月31日までの期間においては、いかなる野球試合も行なうことはできない」ことになっている。これには「コミッショナーが特に許可した場合はこの限りでない」というただし書きがついているのだが、コミッショナーが許可しても、選手会が深沢のような試合出場を認めない。

 深沢は「自分がライバルたちに追いつくのは簡単なことではないと思います。彼らと同じことをやっていては差は縮まりません。ここで真価を発揮できずしてどうして日本で一軍定着が狙えようかという気持ちです。どうか、ドミニカで12月の試合出場を許可頂きたく、お願いします」とメールを出したり、選手会事務局に電話して訴えたが、結局、認められなかった。

 <選手会はだれのためにあるのだろう。>と清武代表は憤ります。

「一人の例外を認めると、オフシーズンの練習や試合出場を強制する球団が出てくる」というのが選手会の言い分だが、その頑なさが二軍選手の成長の壁になっている。

 このオフは確かジャイアンツと中日がドミニカに選手を派遣しています。ジャイアンツは志望した選手だけを送り出しているようですが、おそらくは球団が費用を負担し、引率のコーチも同行しているので、純然たる選手個人の自主的行為とも言い切れない面は残る。グレイゾーンであることは確かです。

 しかし、選手本人がやりたがっていることはほぼ間違いない。にもかかわらず、選手会がそれを妨げる。変な話です。日本の選手会がお手本にしているであろうMLBの選手たちは、特に規制されているふうでもなく同じウィンターリーグに参加しているのですから、なおさら奇妙に見える。

 野球がうまくなりたい、高いレベルで経験を積みたい、というのは若手選手の本能のようなものでしょう。そこにストップをかけるのは、生きるのをやめろというようなもので、むごいことです。

 その「むごいこと」を、同じ野球選手の集まりである選手会が行う。変ですね。

 意地の悪い見方をすれば、こういうことも言えます。すでに功なり名遂げて高い収入も得ている選手会の幹部たちが、これから成長して自分たちの競争相手になるであろう若い選手の成長を妨げている、と。

 もちろん選手会側にそんなつもりはないのでしょうけれど、結果的には同じことです。

 日本プロ野球選手会は、<日本のプロ野球12球団に所属する日本人選手全て(一部の外国人選手を含む)が会員となっている団体>です(かつて落合博満選手が脱退していたことがあったので、一応は任意なのだと思いますが。また、清武代表のエッセイを読むと、育成選手は対象外のようです)。

 数億円の年俸を稼ぐスター選手と、これから成長しなければならない若手選手。利害が相当に異なるはずの人々が同じ組合に所属していること自体に無理があるんじゃないでしょうか。日本の選手会が打ち出す方針の多くは、一握りのスター選手たちの利害に即したものになっているように、私には見えます。

 MLBの選手組合は、あくまでメジャーリーガーだけが組合員です(メジャーとマイナーを行ったり来たりしている選手について、どこで線を引くのかはよくわかりませんが)。かつて彼らが1994-1995年に大規模ストライキを実施した時に、球団側はマイナーリーガーや引退した元メジャーリーガーら非組合員を集めてスト破りの試合を実施しようと画策したこともありました(野茂が敢然とロサンゼルスに渡ったのは、まさにその渦中の時期で、スト破りに利用されかねない状況でもありました)。

 日本では一軍選手も二軍選手も球団との契約は同一なので、MLBのように別の組織にすることはできないかもしれません。しかし、何らかの線引きをして、それぞれの実情に即した施策をしていく必要があるのではないでしょうか。「選手会が『野球をしたい』という選手の意思を妨げる」というのは、どう考えてもおかしな話です。以前書いた「日米野球への参加拒否」なども、今回の事例と似ているように感じます。

 ネタのつもりで書き始めたエントリが、妙にくそまじめな結論になってしまいました。ホントは「今すぐドミニカに飛べば、オルティスとガチで勝負できるよ、球児くん」とか書いて終わるつもりだったんですが。

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ミッチェル・リポートのざっくりした感想。

 MLBの依頼でジョージ・ミッチェル元上院議員が行ってきたMLB選手の薬物使用に関する調査報告書、通称ミッチェル・リポートが発表されました。薬物使用が疑わしい人物として現役を含む90人の選手の具体名が公表され、ロジャー・クレメンスのような大選手、アレックス・カブレラのような日本でプレーしている選手も含まれているため、日米両国のメディアで大きく扱われています。

 リポートの原文はMLB.comで読むことができます(このページから閲覧可能。PDFファイルでダウンロードもできます)。元メッツ職員で薬物の売人だったカーク・ラドムスキ(「違法薬物の販売・配布などの罪で逮捕・起訴された」と報じられる)が選手と品物をやりとりした宅配便の伝票コピーなども大量に添付されていて、生々しい印象を受けます。

 400ページを超える(もちろん英語)リポートに細かく目を通す余裕もないので、新聞報道などから、とりあえずの感想をいくつか記しておきます。

・90人のリストにクレメンスの名があったことで日米で注目が高まったようです。アンディ・ペティットなど目新しい名もありますが、一流の成績を残した選手では、ホゼ・カンセコ、マーク・マグワイア、バリー・ボンズ、ラファエル・パルメイロ、ケン・カミニティなど、自ら使用を認めたか、調査によってクロと判明したか、状況証拠が限りなくクロに近いと示している選手が多く、お馴染みの顔触れが多いという印象があります。

・その一方で、しごく凡庸な成績しか残していない無名選手も90人のリストにはたくさん含まれています。来日経験のある10人の中にも、ロッテのキャリオン、ジャイアンツのミアディッチなど「そんな奴いたっけ?」という選手が含まれています。薬物を使ったからといって凡庸な選手が一足飛びに一流になれるとは限らないようです(もっとも、「3A止まりだった選手がメジャーに手が届くようになる」というレベルの効果はあるのかも知れませんが)。

・そういえば、ボンズがハンク・アーロンの通算本塁打記録を更新したころに、日米のさまざまな選手がメディアにコメントを寄せていましたが、打者の談話には「薬物を使っているかどうかは別として、あれほどの打撃技術をもった打者はいない」という類のものが多かったことが印象に残っています。

・クレメンスは弁護士を通じて疑いを否定しており、現時点で真相は不明ですが、彼と一緒にトレーニングをした経験のある上原浩治は、自身よりかなり年齢の高いクレメンスがものすごく激しいトレーニングをしていることに感嘆していました。自身を限界まで追い込んでいるからこそ、それでもなお届かない領域への渇望が強まる、なんてことも人間の心理としてはあるのかも知れません。

・このミッチェル・リポートはMLBの依頼によって実施され、MLBの公式サイトで全文が公表されています。内容よりも、むしろそのことが今回のポイントなのではないかと思います。

 つまり、この調査を行い、実名入りの報告書を公表すること自体が、「MLBは薬物を断固として追放する」という強いメッセージを内外に発信している。

IOCを中心とするアマチュアスポーツ界と比べるとMLBの薬物使用に対する罰則はかなり緩いものです。世界最強の組合と呼ばれるMLB選手組合の力が厳しい規制の導入を阻んできた、とも言えると思います。今回のリポート公表に対しても選手会は「実名を公表され、選手の名誉が傷ついた」と反発していますが、ファンの支持は得られないかも知れません。

 セリグ・コミッショナーは、このリポートを今後の規制強化への梃子にしようという意図を持っているのだと思われます。遅すぎた、という批判は避けられませんが。後世の評価では、96年から2005年あたりが、アンチ・ドーピングにおける「失われた10年」ということになるかも知れません。

・一方、我がNPBに視線を移すと、2つのことが思い浮かびます。

 まず、薬物問題そのもの。今シーズンから抜き打ち検査を実施して、ソフトバンクのガトームソンが初の処分を受けました。数年の準備期間を経て、着実にアンチ・ドーピング活動を進めてきたこと自体は評価できます。とはいえ、これだけ多くの薬物使用経験を持つ(らしい)選手が日本球界に入ってきていたという調査結果は、これまでにない現実味と重みを関係者に与えていることでしょう。アメリカ球界から選手を招く際のメディカル・チェックは、故障の有無だけでなく、薬物使用の有無も厳重に行う必要が出てきます。

 もうひとつは、今年の春に日本球界で行われた外部調査です。西武ライオンズの裏金問題を調べた調査委員会は、報告書を公表しませんでした。記者会見等で明かされた具体的な事項も、スカウトの名前くらいです。これは西武球団が依頼した内部調査であり、また金銭を渡した相手は高校や大学の指導者というプロ野球の外部の人々なので、ミッチェル・リポートと同列に論じることはできませんが、公表されたのが当たり障りのない範囲の情報に過ぎなかったことは確かです。

 ミッチェル・リポートが、MLB自身が主体となって、向こう傷を負うことをおそれずに断固として膿を出し改革に向かう、という姿勢を内外に示したのと比べると、この件について、NPBがリーダーシップを発揮することはありませんでした。今年のドラフト会議を全面くじ引きに戻した程度です。バド・セリグMLBコミッショナーのリーダーシップに比べると実に物足りない。NPBの球界改革は、すっかり足が止まってしまったのでしょうか。

関連エントリ ホゼ・カンセコ『禁断の肉体改造』ベースボール・マガジン社

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「外国人選手だけFA扱い」の謎。

 ヤクルトのグライシンガーがジャイアンツに入団することが決まったようです。すでに、横浜で活躍したストッパーのクルーンの加入も決まっていますから、来季のジャイアンツの投手陣は「セ・外国人オールスター」のようになります。ジャイアンツファンとしては複雑な気分。MLBではこのくらいの規模の補強は珍しいものではありませんが、日本で見るにはまだ違和感があります。

 この移籍に限らず、近年の日本のプロ野球では、12月になると一斉に外国人選手たちが好条件を求めて移籍します。以前から不思議に思っているのですが、彼らは実質的にフリーエージェントとして扱われているようです。

 野球協約によれば、11月30日までに球団が保留選手名簿に載せなかった選手はフリーになるわけですが、外国人選手は本人と契約が合意に至らなければそこには載せない、という慣習が確立しているようです。 つまり、11月中に契約がまとまらなければ、外国人選手は自由契約になる、ということです。

 日本人選手との契約においては、球団はそんな行動をとりません。主力選手の契約更改は12月に入ってから行われることが多いので、球団は選手の合意を取り付けなくても、名簿に載せてしまっているのだろうと思います。外国人選手だけが例外として扱われている。

 プロ野球選手は、統一契約書という同一の書式によって各球団と契約することが、野球協約によって義務づけられています。野球協約の条文を読む限り、例外はない(野球協約の条文や統一契約書の書式は、選手会ホームページで見ることができます)。法律の専門家ではない私がざっと条文を眺めた程度では、なぜ外国人の選手が統一契約書を用いて契約を行わず、移籍の自由を当たり前のように行使しているのか、なぜ球団側が(嫌々ではあっても)それを容認しているのか、説明がつきません。メディアも「○○選手交渉決裂、移籍へ」などと論じるだけで、そのへんが解説されることはほとんどないように思います。日本人選手と比べて、大変な不公平であることは間違いありません。

 ジャイアンツファンが言うな、といわれそうですね。確かに球団側の要望を振り切って移籍する外国人選手の行き先がジャイアンツである、というケースが多いけれども、それ以外の球団間でもこのような形の移籍は数多く見られます。中日のウッズなどは典型例ですね。ヤクルトや広島が草刈り場になっている。パでは必ずしも一方的な流れではなく、循環しているように見えますが。

 獲得する球団からすれば、同程度の年齢・成績の日本人FA選手と比較すると、補償金なしでとれる外国人の方が都合がいい。そう考えると、現在の外国人選手たちの権利は、日本人選手の雇用を圧迫している、と言うこともできます。しかし、選手会は表だって反対を表明してはいないようです。「外国人選手の権利を制限する」よりは、「日本人選手の権利を拡張する」のが選手会の目的ですから、批判するよりは、球団側との交渉の梃子に利用したいと考えているのでしょう。

 こういう状況が果たしてよいのか悪いのか。簡単に言い切れない面は残ります。冒頭にも書いたように、MLBではごく当たり前の光景ですが、私はまだ違和感を覚えます。ジャイアンツファンだけれども素直に喜べないし、引き抜かれる球団のファンなら腹立たしいでしょう。ジャイアンツと無関係なチーム間での出来事としても、なんだかなあ、という気はする。

 アメリカから来た選手にとっては、MLB復帰(または昇格)のチャンスがあれば逃したくない、という意向が最優先でしょうから、そういうケースで選手側が選択権を持つ、という条項を契約に設けるのはわかります。しかし、国内移籍に関しては、ある程度の制限を設けてもよいのではないかという気がします。選手の権利だとか自由競争だとか、現状を肯定する理屈はつけられるのでしょうが、ファンの多くが鼻白むような移籍が毎年いくつも見られるというのは、あまり歓迎すべき事態とは思えません。

 しかし、そんな制度的な縛りをかけなくても、打つ手がないわけではありません。

 球団側は、選手に出て行かれたくなければ最初から長期契約を結べばよい。ヤクルトが最初からグライシンガーと5年くらいの長期契約を結んでおけば、1年活躍しただけで出て行かれることはありませんでした。もちろん長期契約にはリスクが伴います。安い条件で長期契約を結び、ダメだった場合に違約金を払って解雇するのと、1年契約にしておいて、活躍したら高額報酬を払う(あるいは逃げられる)のとどちらを選ぶか。難しいとは思います。でも、経営判断とはそういうものではないでしょうか。

 サッカー界では基本的に全選手が野球でいうFAなので、契約の条件や期間は個々の選手によって異なります。長期契約を結ぶ選手もいれば、そうでない選手もいる。クラブは常に数年後の戦力を構想しながら、今の陣容を編成しているはずです。それと比べると、選手は保留条項によって縛られるが球団側はいつでも解雇する権利を有する、という野球界の現状が、球団にとっていかに楽で頭を使わなくてよい経営環境かということを改めて感じます。

 少なくとも、最初に海外から選手を連れてきて契約する段階では、球団と選手は対等です。というより、マイナーリーグにいるよりはずっと高額の年俸を払うわけですから、球団側が優位である場合が多い。とすれば、これほどまでに外国人選手が都合良く移籍するケースが勃発しているのだから、最初からそれを見越した契約を結べばよいと思うのですが、なぜそれをしないのか不思議です。選手側の代理人の言いなりになってるんじゃないかと疑わしく思えてきます。

 そう考えると、結局は各球団の交渉力不足が、このような事態を招いているのではないでしょうか。もし自力で有利な条件で契約する能力がないのであれば、球団側も、それこそ代理人を立てればよいのです。“球団サイドにたって選手側と契約交渉をする代理人”って、結構需要がありそうな気がします。

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で、野球界は北京五輪をどうするのか。

 台湾ギャラリーのゆるい文体から元に戻すのも何となく気恥ずかしいので、しばらくこのまま行って見ようかと思います。

 そういうわけで台湾で3試合見てきたのですが、台湾の夜は寒い、というのが意外でした。12月とはいえ、日中は陽射しが強くて、Tシャツ一枚でも充分なくらいだったのに、日が暮れると急速に気温が下がります。
 冬物のコートは成田空港でお役御免だと思っていたのに、結局は毎晩着込んで観戦することになりました。とりわけ台湾と戦った第3戦の夜は、左翼後方から終始強い風が吹きつけ、体感温度はかなり下がりました。グラウンドで戦っていた選手たちにとっても、やりづらいコンディションだったことでしょう。

 北京五輪予選を兼ねたアジア野球選手権は、3勝無敗で日本が優勝し、北京行きの資格を手にしました。この大会で五輪出場が確定するのは1位チームのみ、という厳しい条件だっただけに、監督や選手たちにのしかかった圧迫感は、並大抵のものではなかったと思います。総合的な力量では首位通過が順当ではあっても、「勝って当たり前」という状況はやりづらいものでしょうし、韓国や台湾には総合力では優っていても好投手がいるのも事実。誰かがたまたまその夜に一世一代の好投をしてしまったら、そうそう点が取れるものではありません。
 現地では日本の報道に接する機会はほとんどありませんでしたが、ちらっとテレビに映った優勝後の星野監督の表情は、強烈なストレスに晒された憔悴と、そこから解放された安堵感を如実に示していて、もともと体調に問題を抱えている60歳の人物には過酷な立場なのではないかとさえ感じました(時節柄、代表監督の健康状態にはどうしても神経質になってしまいます)。

 国際大会のアジア予選を3夜連続で観戦するのは、私にとっては2003年のアテネ五輪予選(札幌ドーム)、2006年のWBCアジアラウンド(東京ドーム)に続いて3度目でしたが、日本側スタンドの盛り上がりは今回がもっとも強かったように感じます(これまでは応援団のいる外野スタンドから見ていなかったからそう感じるだけかも知れませんが。台中洲際球場には外野スタンドがないので、応援団の人たちはベンチの後ろで仕切っていました)。わざわざ海外までやってきただけあって、日本代表を応援しようという姿勢が強く、傍観者的な観客は少なかったようです。
 それはつまり、日本代表というチームのステイタスが高まり、価値を認める観客が増えてきたということなのでしょう。

 日本代表チームのステイタスは、プレーする側にとっても確実に高まっているようです。台中で見た野手陣では、WBCに参加しなかった(あるいは参加しても出番の少なかった)選手のプレーが印象に残っています。
 自在に打ちまくった阿部をはじめ、稲葉やサブローといったベテラン選手のひたむきさ。懸念されていた四番打者・新井が、丁寧にミートするバッティングを心がけていたのも真摯さを感じました(WBC第2ラウンドの韓国戦で、代打に出て場違いな大振りで三振した姿の残像が焼き付いていただけに)。台湾戦で大差のついた最終打席、もうホームラン狙ってもいいよ、とつぶやいたら、本当にホームランが出ましたが、これも右方向。頑張った3日間へのご褒美のように感じられました。
 本来なら主軸に座ったであろう小笠原、福留、高橋由伸、松中らがそれぞれの事情で参加できませんでしたが、彼らに代わって国際舞台に立った選手たちは、きちんと役割を果たしました。WBC組に溶け込むのに必死だった、というようなコメントを誰かが(稲葉だったかな)していたように、WBCでの世界一は、テレビで見ていた選手たちにとっても大きなものを残したようです。

 一方の投手陣は、国際経験どころかプロ経験そのものが浅い3人の先発投手が、それぞれによく投げたと思います。特に初戦の涌井。フィリピンの拙守で5点をリードしたものの、以後は拙攻続きで追加点のとれない展開の中で、涌井は打線のたるんだ雰囲気に一切影響されることもなく、フィリピンを完璧に抑え込んで攻撃へのリズムを作っていました。
 そして、何といっても重厚なブルペン。
 3試合を通しての圧巻は、韓国戦での上原でした。
 体中から焦げた匂いがしてきそうなほどヒリヒリする思いで見つめていた試合の中、ライト線の外側に設けられたブルペンからマウンドに歩いてくる上原の姿は、それを見ただけで「ああ、彼がこの辛い試合を終わらせてくれる」と思えるだけの何かを放っていました。マウンドに立って投球練習を始めると、2、3球見ただけで、それは確信に変わりました。川上や岩瀬のような投手ですらあれほど苦労してしまう局面で、ポンポンとストライクをとって打者を追い込んでいく上原は、まったく別格の人でした。
 台湾戦でも、終盤に上原と藤川がブルペンで並んで投げている姿は、これ以上なく頼もしく感じられたものです。9回、ブルペンで投球練習を終えた上原が、渡されたペットボトルの水で口を潤し、5人ほどのスタッフ(リリーフ陣?ウインドブレーカーを着ていたので誰かはわかりませんでしたが)と拳を合わせてマウンドに向かうと、これでお役御免だと矢野や他のスタッフがベンチに引き上げていったのも印象的でした。

 宮本は一塁コーチを務め、二塁走者に外野手の守備位置を伝えたり、こまごまと指示を与えていました。選手が便宜的にやっているというよりはコーチが本業のように見えるほどでした(宮本が試合に出ている間は井端が代わりをしていました)。
 矢野はブルペン捕手を務めて、試合中に何度もベンチとブルペンを往復していました。外野手のキャッチボールの相手をしていたのは、荒木か森野だと思います(背番号が見えないのでよくわかりませんでしたが)。エース扱いされて当然なのに中継ぎに回った川上、普段より長いイニングを投げた岩瀬。星野監督が中日や阪神で使った選手たちは、しんどくて日の当たらない役回りを任されていたようです。そういう面も含めて、いいチームだったのだろうと感じます。

 しかし一方で、これはいったいどういうチームなのだろう、という思いが消えることもありませんでした。
 私が目の前に見ていたチームを定義するなら、「NPBの日本人選手のベストチーム」というのがもっとも近いでしょう(プロ入り前の長谷部がいましたから、正確さを欠く表現ではありますが)。
 あえて言えば、そこにいたのは3種類の選手たちです。「MLBに行かない選手」と「MLBに行けなかった選手」と「MLBにまだ行っていない選手」。
 上述した故障等での欠場者たちはともかく、日本のベストチームを作るなら、松坂と黒田と大塚と城島とイチローと松井秀喜と松井稼頭央と岩村と井口と田口と斎藤隆と岡島は当然入ってくるはずです。こういう選手たちをあらかじめ除外した「日本代表」というものを、どう捉えたらよいのでしょうか。

 これは別に日本固有の問題というわけではありません。
 前にも何度か書いてきましたが、オリンピックにおける野球という競技自体が、大きな矛盾をはらんだ存在です。現時点で正確な情報を持っていませんが、MLBは今回も選手の派遣を認めないだろうと思います。だとすると、USAのみならず、ドミニカやメキシコ、カナダ、日本、韓国、台湾、オーストラリアなど、キューバを除く有力国ではことごとく、最高級の選手が出場しないことになります。
 それは一体どう定義すればよい大会なのでしょうか。
 そこで優勝することに、どういう価値があるのでしょう。

 念のため言っておくと、これは反語ではありません。オリンピックでの優勝に価値がない、ということではない。何らかの価値はあるでしょう。日本国内ではオリンピックの地位は特権的に高いものとして扱われていますから、どんな競技でもおろそかにはできません(サッカー界では実質的にU-23ワールドカップに過ぎないはずのオリンピックが、どうかするとフル代表並みの注目を集める理由のひとつもそこにあるのだろうと私は思っています)。
 ただし、そこで野球が金メダルを取ったとしても、例えばバレーボールや柔道の金メダルとは意味が違います。野球のWBCにおける金メダルとも違う。
 では、どう違うのか。野球日本代表がオリンピックで金メダルを獲得することには、一体どんな意味があるのか。日本野球にとってどうなのか、世界の野球界にとってはどうなのか。

 日本代表にプロ野球選手が派遣されるようになって、これが3度目の五輪(2000年のシドニー五輪とその前年の予選では人数を限定したプロアマ混成チームでした)になりますが、プロ選手が参加する意味については、うやむやにされたままです。
 もともとアマチュア選手の大会であった五輪にプロ選手が参加し、遂にはアマチュア抜きでプロ選手だけが出場することになったのはなぜなのか。日本の野球界にとって、これはどういう意味を持つ大会になっているのか。そういう意義付けがあって、はじめて代表チームが選考できると思うのですが、実際には「もはやアマだけでは勝てない」という以上の説明を、私は聞いたことがありません。それ以外のことは、ずっとうやむやのうちに進んできた、といっても過言ではないと思います。

 これも何度か書いてきたことですが、野球日本代表チームの母体は、NPBではありません。代表チームの公式サイトを見ればわかりますが、「全日本野球会議」という組織が選出母体です。
 この「全日本野球会議」は、日本にものすごくたくさんある野球の競技団体の代表が寄り集まった会議で、組織としての実体はありません。

 そもそも、オリンピックに選手を派遣することができるのは日本オリンピック委員会(JOC)の加盟団体だけです。NPBはJOCに加盟していません。
 実際には「全日本アマチュア野球連盟」という団体が派遣元になりますが、全日本野球会議の組織図を見ると、これは「国際大会に参加する場合の共同付属機構 JOC加盟」と説明されており、いわば名義貸し団体のようです。
 社会人野球の団体である「日本野球連盟」の中に「全日本アマチュア野球連盟」のコーナーがあるのですが、規約の第1条に「本連盟は、全日本アマチュア野球連盟といい、外国に対しては、Baseball Federation of Japan(略称B.F.J.)という。」と定められています。英語名では「アマチュア」の文言が消えていることがわかりますね。
 一方、「日本野球連盟」の英語名はJAPAN AMATEUR BASEBALL ASSOCIATIONです。こちらは英語名だけに「AMATEUR」の文字が入っている。外国の人から見たら、わけがわからないと思います。
 全日本アマチュア野球連盟が、対外的にはアマチュアの団体でないふりをしながら(あるいは、国内だけでアマチュアのふりをしながら)、プロの監督とプロの選手による日本代表を、オリンピックに派遣する。
 こんなわけのわからないことを、いつまで続けるつもりなのでしょうか。

 そういう根本的な歪みを放置したまま、「北京で悲願の金メダルを」「オリンピックに野球の復活を」などという情緒的なスローガンを掲げ、ファンを煽動している人々がいるわけです。具体的に誰かは知らないけれども間違いなくいる。
 監督や選手には「北京に行ってもらわなければ困る」などとプレッシャーをかけておきながら、自分たちがすべき仕事は棚上げにしている。そんな人たちを私は憎みます。星野監督がどんな思いでチームを率いてきたのか、選手たちがどれほど真摯に戦ったのか。グラウンドでのプレーが真摯であればあるほど、彼らを送り出す立場の人たちが、そのプレーの価値をきちんと裏書きしてあげるべきではないかとの思いも強くなります。

 実際に、すぐに厄介な問題がやってきます。
 北京オリンピックの開催期間は8月8日から24日まで。野球が行われるのは、Wikipediaによれば13日から22日までの10日間です。今回の予選では10月30日から合同自主トレが始まりました。ほぼ1か月の準備期間をとっています。シーズン中なら体はできているから、それほどは要らないかも知れませんが、遅くとも8月初めごろには集合することになるでしょう。
 プロ野球にとっては書き入れ時の夏休みに、約3週間にわたって、もっとも優れた日本人選手が二十数人不在になるわけです。

 アテネ五輪の時には「1球団2名まで」との制限を設けることで公平を図ったわけですが、当時と今とでは代表チームのステイタスが違います。同じことをやればメディアやファンから猛然と非難を受けることでしょうし、星野監督もお得意のメディア操作技術を駆使してフリーハンドを手にしようと工作することでしょう。となれば、負担は各チーム公平に、ということにはなりづらい。今回の予選では、たとえば中日から川上、岩瀬、井端、荒木、森野が選出されました。この5人がいないまま3週間も戦うペナントレースを、我々はどう捉えればよいのか。
 また、オリンピックでの試合時刻が夜になれば、日本での試合とまともに競合してしまいます。

 そんな時期に、プロ野球は試合をどうするのか。
 実はすでに半分は結論が出てしまっています。セ・リーグは11/27に来年の試合日程を発表しました。8月にも試合は組まれています。オリンピックの準決勝・決勝が行われる22、23日は試合がない、と発表時の報道では伝えられています。また、8-11日の4日間も、週末なのに試合がないので、壮行試合が行われるということかも知れません。
 8/1のオールスター明けから23日までの12試合を、セ・リーグは代表選手抜きで普通に行います。仕方ないから目をつぶって気にしないことにしよう、ということでしょうか。五輪期間にはペナントレースを中断しセパ合同でカップ戦を行うとか、考えられる手はあると思うのですが、あまり活発に議論が行われた形跡はありません(外に漏れてこないだけかも知れませんが)。
 優勝争いが佳境に向かい始める時期にチームを離れて北京に向かう選手たちが、思い切ってプレーできるものなのでしょうか。後顧の憂いなく送り出してあげよう、という日程でないことは確かです。

 このように見てくると、野球界を動かしている人たちが「プロアマの断絶問題をどう解決していくか」とか、「五輪期間中の試合をどのような形にすれば、代表選手が気持ちよくプレーし、ファンにとっても納得のいくペナントレースになるだろうか」とか、五輪出場に伴う問題を根本的に解決しようと、真摯に考えて取り組んでいるようには、なかなか見えづらいのが現実です。むしろ、そういうことは先送りにしてとりあえず今回をしのげばいい、というやり方に見えます。

 台中で、選手たちは懸命にプレーし、誰もが満足する結果を勝ち取りました。監督やコーチも同様だと思います。北京五輪の本番でも同じように彼らは懸命にプレーすることでしょう。
 彼らを送り出した人たちは、それを見て何とも思わないのでしょうか。日本野球の将来が君たちにかかっている、とか何とか言ってプレッシャーをかける前にやることがある、とは思わないのでしょうか。

 五輪予選突破の重圧と、それを突破した喜びは、アテネ五輪の時も同じでした。代表チームが孕んでいた矛盾も同じです。そしてその矛盾は解決されることなく、五輪本番でも、すべて現場のコーチ陣と選手たちに押し付けられた。その結果が銅メダルでした。キューバならともかく、オーストラリアに負けた現実に、選手もファンも失望しました。しかし、その過程が追及されることはなかった。
 今度もまた、同じことが繰り返されるのでしょうか。私はそんな光景を見たくはありません。


関連記事:星野仙一が代表監督にふさわしいと考える理由。

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ギャラリー・台中棒球場報告(おまけ)。

台湾の地元紙の報道から。

12/2朝刊

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日本の記事は左端にちょっとだけ。


12/3朝刊

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台湾の初勝利(対フィリピン)に盛り上がっています。


12/4朝刊
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最終戦の後。当然ながら「日本が勝った」記事よりも「台湾が負けた」記事が中心です。
「牛棚」はブルペン、「奥運」はオリンピックのことのようです。


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台湾では外来語も漢字で表記するので、日本語のカタカナを表す文字には、なかなか味わい深いものがあります。
ダルビッシュは「達比修」、日本ハムは「日本火腿」、ロッテが「羅徳」。ソフトバンクの「軟体銀行」が傑作でした。
この写真は公式プログラム。各国の有力選手の特集記事には、4文字のキャッチフレーズがつけられています。日本は以下の通り。
ダルビッシュ…「投手王子」
岩瀬…「死神之鎌」
西岡…「颯速戦士」
どうせなら全員につけてくれると嬉しかったのですが。

ちなみに韓国は、朴生贄浩が「高麗特急」、呉昇桓が「石佛終結」、李炳圭が「韓国一朗」でした。
台湾の選手には「終結殺手」「攻守悍将」「精神領袖」「火力四射」「重砲出撃」「火線戦将」「外野遊侠」などと勇ましい名が並びます。北京五輪で日本のテレビ局が真似するかも。

以上、台湾レポートでした。
(この項おわり)

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ギャラリー・台中棒球場報告(其之三)。

12月3日、対台湾戦の日。

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この日は高鉄(台湾高速鉄道の略称)で早めに台中入りして、台中の町を歩いてみました。人口は105万人。台湾で3番目の大都市です。そごうデパートもあります。
ここのジーンズ売り場には「鬼洗い」とか「ジャパンブルー」という日本のブランド製品があり、日本人が日本で着るには気恥ずかしいようなギンギンの日本趣味のTシャツが並んでいました。売り場の女の子は日本語が堪能で「野球を見に来た」と話すと、「今日投げるのはダルビッシュですか?いいなー、見たいなあああっ」と体をよじって羨ましがられました。「顔もいいけど、強いから好き」だそうで、ほかには藤川球児(と紙にさらさらと書いて見せてくれました。漢字国だから当たり前ですが)もいいそうです。


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台中には国立自然科学博物館や古い建物を集めた民俗公園などがありますが、月曜日で全部休館。科学博物館は庭園は公開されていたので、しばらく庭で昼寝してました。これは温室です。モスラのようなものはオブジェです。


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スタジアム周辺は、地元・台湾が日本と決戦とあって盛り上がっています。応援グッズがたくさん売られ、顔にはペインティングも(たぶん無料)。


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某スポーツメーカーが設置した野外スクリーンの前では、チアリーダーが応援の仕方を伝授しています(が女の子どうしで振り付けが合っていないのが不安)。

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なぜかこんな人たちも気勢を上げています。これも某スポーツメーカーの仕込みのようです。彼らの姿は試合中のスタンドにも見られました。


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スクリーンでは王建民のCMを何度も流していました。見てるとうっかり泣けてきそうな、例によってよくできた映像です。


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試合中にはパブリックビューイングになっていました。


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この日は上層(二階席)から見てみることにしました。下層(一階席)の傾斜が浅い分、あまり高さがないのか、非常に見やすいです。


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場内はほぼ台湾ファンで埋め尽くされました。手にしたメガホンが一斉に動いて声が出るので迫力があります。三塁側スタンドで叩かれていた鋲打ち太鼓は、横浜の中華街などで見る獅子舞の伴奏のリズムと似ていて、畳みかけるように延々と続き、独特の高揚感を生みだします。


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台湾の“球迷”の興奮が最高潮に達したのが陳金峰の逆転2ラン。私の前にはマラソンの宗兄弟が20キロくらい太ったようなおじさんが座っていたのですが、私が日本人と気付くと、声をかけたり、いろいろとからかわれていました。この時はもう興奮して「どうだ!参ったか!」みたいに勝ち誇っていました。その裏のしおれっぷりも可愛いくらいでしたが。だんだんと諦めてきたようで、9回の西岡のファインプレーには感心して手を叩き、最後は握手して笑顔で別れました。
“球迷”たちは総じて明るく無邪気に野球を楽しんでいる感じで、日本の球場でいうと、初年度の仙台・フルキャストスタジアムの雰囲気に似ていました。台湾人ばかりの中にジャパンの帽子を被った私が混ざっていても、珍しがられるだけで敵意を感じることはありませんでした。台湾人の日本ファンも少なくないようです。日章旗に「皇国の興廃この一戦にあり」と書いたTシャツを着た台湾人の女の子を見た時は度肝を抜かれました。


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日本の勝利。五輪出場が決まって胴上げです。


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表彰式。各国連盟のお偉いさんたちの紹介で、某国コミッショナー代行の名が読み上げられた時、頭に血が上って反射的にブーイングしたら、前にいた台湾人の女の子たちが振り返って奇妙な顔でこっちを見上げていました。
(この項もう少し続く)

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ギャラリー・台中棒球場報告(其之二)。

 翌12月2日、対韓国戦の日。

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 ナイターを見る旅なので昼間は暇です。台湾は初めてだったので、少しは観光もしようかと台北市の故宮博物院へ。


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 誰しも同じことを考えるようで、韓国の応援団の姿も。館内は日韓中の団体が入り乱れてすごい混雑でした。

 余談になりますが、この故宮博物院の収蔵品は、第2次大戦後に国民党が共産党に敗れて台湾にやってきた時に一緒に持ってきた財宝類がベースになっています。台湾にありながらほとんど台湾島の歴史とは関係のない展示ばかりというのは素朴に考えれば相当に奇妙なことで、台湾の政治・外交上の難しい位置を象徴するような存在でもあります。


 さて、私が参加した某旅行会社の観戦ツアーでは、毎日台北のホテルと台中のスタジアムを往復します。旅行会社のスケジュール通りだと、ほとんどバスの中で生活する羽目になって辛いので、別行動で鉄道を利用することにしました。今年開通した台湾高速鉄道を用いると、台北から台中まで1時間足らずで着きます。

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台北駅の外観。日曜なので駅前は賑わっています。


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改札から乗り場へ向かう階段には、アジア選手権のポスターが。


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JRが技術供与したそうで、外観は新幹線のようです(内装もそっくり)。台北から台中まで指定席で700元(約2000円)。


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台中駅からタクシーを拾って、無事球場へ到着。


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時間があるので球場外側を眺めて歩きます。売店の列に阪神ファンの姿が。林威助選手は地元・台中の出身だそうで、阪神のユニホームを着た地元のファンをよく見かけました。


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これも外側にあるブースで、名選手ギャラリーという展示があり、王貞治選手の現役時代の雑誌なども飾られていました。


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球場外で売られていた台湾のファストフード。左端の豚の角煮入りちまきは美味くてボリュームもあり、私はこれを毎晩夕食代わりにしていました。球場に限らず、台湾では、道端の屋台やコンビニで売ってるジャンクフードがとても美味かったです。


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こちらは球場内。三塁側後方にヤクルトのシャーベットという面妖なものがありました。味は…ヤクルトでした。一塁側後方ではおでんを売っていました。


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この日はスタンドに大量の警官が。ほとんどの人は単に野球見物してるようにしか見えなかったのですが…。

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翌朝の新聞によると、日本からの問題人物(フーリガン?賭博関係者?)を警戒していたのだそうな。実際に入国を拒否された人物もいたそうです。

(この項つづく)

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ギャラリー・台中棒球場報告(其之一)。

 台湾・台中市で行われたアジア野球選手権(兼北京五輪予選)を、某旅行会社の3試合観戦ツアーで見てきました。
 試合そのものについてはすでにご存知でしょうから、ここでは球場内外の風景などを写真でご報告します。普段と違ってユルい企画ですがご容赦を。

 なお、あらかじめお断りしておきますが、持参したカメラは広角レンズだけでズーム機能がないので、プレー写真などは一切ありません。台湾の地方球場に興味があるという物好きな方だけご覧ください(笑)。

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 12月1日午後5時ごろ、台中洲際球場のスタンド前で開場を待つ人々。
 第一試合では台湾が韓国に負けたので、肩を落としてぞろぞろと引き上げる台湾の“球迷”たちとすれ違いました。

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 一塁側から見た球場遠景。スタンドを囲むようなH字型のアーチが特徴的。
 最下層はチケット売り場のほか、売店や飲食店のブースになっています。

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 球場内部。松山の坊っちゃんスタジアムの印象と似ています。フィリピン戦とあって、ネット裏以外はガラガラ。

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 球場内の記念グッズ売り場。こんなにすいてたのは開場直後だけで、あとは3日間ともずっと混雑してました。黒地に金で龍をあしらった帽子やTシャツはなかなかのデザインでした。

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 地元の観光協会が配布していた資料によれば、キャパシティは内野席15000人、外野席5000人収容だそうですが、ご覧の通り、外野席はまだ造成中です。

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 試合終了後、健闘を讃え合う両チーム選手たち。三塁側内野席最後方の通路から撮ってますが、スタンドの傾斜がなだらかすぎて、見づらい印象があります。前の席に背の高い人が座ったら困りそう。

 第1戦は現地時間の午後8時20分ごろ終了。ツアーの宿泊先は台北市なので、試合後にバスで2時間かけてホテルまで行きました。冷房が効きすぎて、いきなり風邪をひきそうになりました(台湾ではバスもタクシーもホテルもその他も、なぜか異常に冷房が効いています)。

(この項つづく)

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谷沢発言の真意を考えてみる。

 谷沢健一という人物を私が再発見したのは、3年前の夏の終わり、あるシンポジウムでのことだった。開設したばかりだったこのblogに、その時のことを書いている。近鉄とオリックスの合併話が持ち上がり、選手会がストライキに突入するのかどうか、という局面で、谷沢は、プロ野球が進むべき方向について考えるという趣旨のシンポジウムを企画し、識者を集めて開催した。この時期、いろんな人がいろんなことを言っていたが、プロ野球選手出身でそんなことをした人物はほかには見当たらない。

 谷沢は早大出身で70年に中日に入団。新人王を取り、その後も中心打者として活躍した。主に一塁を守った左の好打者で、今の選手でいえば、長打力もある福浦、という感じだろうか。76年に張本勲(読売)を僅差でかわして首位打者を獲得。78年にアキレス腱を痛めてほぼ2シーズンを棒に振ったが、80年には完全復活し、.369の高打率で2度目の首位打者となった。86年限りで引退した後、94-95年には西武の打撃コーチを務めた。98年には母校早大の大学院でスポーツ経営を学び、シンポジウムのあった2004年には西多摩倶楽部というクラブチームの監督を務めていた。
 翌2005年秋には自ら理事長となって谷沢野球コミュニティ千葉(YBC)というクラブチームを設立、運営と指導にあたっている。
 この秋で60歳になったはずだが見た目は若々しいし、テレビ解説ではいつも機嫌のよい笑顔で、ともすれば軽薄な印象を与えかねない語り口なのだが、現実にやっていることはずいぶんと地道だ。

 彼のblog「谷沢健一のニューアマチュアリズム」の最近の記述を読むと、クラブチームの練習場所を確保するために谷沢自身があちこちに頭を下げて頼んで回り、グラウンドの整備まで一緒にやっているようだ。私は彼のチームの活動を見たことがないので谷沢自身の記述を信じるほかはないのだが、これが事実なら相当なものだ。選手のレベルも決して高くはない。<プロ球団ーアマ企業球団ー独立リーグ球団ークラブ球団というふうに事実上、序列化されつつある昨今の状況下で、もっとも「底辺」で野球組織を維持することは、それなりの誇りと喜びがある>と彼は書いている。
 テレビ解説に講演や野球教室などやりながら悠々自適の生活を送れそうな立場の人物が、齢60にして、わざわざそんな手間のかかる面倒な真似を買って出ている。なぜかといえば、
<私は、プロ球界が責任を放棄している部分を、ひじょうに微力であるのを承知で少しでもカバーできたらと考え、まがりなりにも僅かずつ実行しているつもりである>
というのだから、大変なチャレンジをしている貴重な人物だと思っている。

 その谷沢が妙な形で話題になっている。
 日本シリーズ第5戦でパーフェクトゲーム寸前の山井を交代させた落合采配を批判したことで、ネット上で谷沢が非難を浴びている、と聞いた。彼自身のblogにも、さらりと触れている。どうも、「落合は監督の器ではない」というようなことを口にしたらしい。

 発言内容を知りたいと思って調べてみたら、YouTubeにアップされていた。中日日本一から一夜明けた朝のフジテレビ系「とくダネ!」でのことだ。
http://jp.youtube.com/watch?v=U417rSV2eDA

 該当する谷沢の発言は次のようになる。
「現代の監督、たくさんいますけどね、落合監督はもう監督の器じゃない。そのくらい言っていい」
「メジャーリーグでも1回しかないんですよ。百数十年の歴史の中でね、このパーフェクトというのは。日本のプロ野球で1950年から2リーグ制に分立して、初めて達成されるかどうかわからないような、ファンが一番注目してるこの試合でしょ」

 これだけではあまり説明になっていない。暴言と言われても仕方がない。
 興味深いのは、後半での発言だ。

 レギュラーコメンテーターの竹田圭吾(ニューズウィークジャパン編集長)が、このように話している(これは、この件における落合支持論の典型といえる)。
「あとでニュースで見たんですが、サッカーでも野球でも監督の仕事というのは球史に残る記録を作ることでもないし、選手をヒーローにすることでもないし、結果だけで判断されることなので、やっぱりクライマックスシリーズ、阪神と巨人に5連勝で勝ってきた勝ちパターンというものを考えると、まあしょうがないんじゃないかと思います」
 すると谷沢は「それだからダメなんですよ」と猛然と(しかし顔と口調はにこやかに)反論する。
「2004年にプロ野球がストを行った時に、たいへんな時代だったんです。赤字体質を解消しようとしてね、それで、プロ野球っていうのはファンのものでもないし球団のものでもないし、選手監督のものでもない、みんなのものなんですよ。そしてもう一度高めようという機運が起こったじゃないですか。それを忘れてますよ」

 このあたりが肝心なようだ。 「落合監督は監督の器じゃない」という発言は、「落合監督は『現代の監督』の器じゃない」という意味なのだと受け止めれば、谷沢の言いたかったことが見えてくる。

 プロ野球自体が存亡の危機にさらされているこの時代に、監督が勝つことしか考えていないようでは、プロ野球自体が立ち行かなくなる。中日ファンを喜ばせるだけにとどまらず、野球ファン全体、さらにはそれ以外の人々の耳目を野球に集めることまで、現代の監督は視野に入れなければならない。その絶好のチャンスをみすみす自分の手で潰した落合は、「現代の監督」の器ではない。

 彼の経歴や発言を踏まえて勝手に代弁すると、谷沢はそんなふうに考えているのではないかと思う。

 もし本当にそうなのであれば、谷沢はキャスターや出演者や視聴者に理解できるように説明するべきだったし、もう放送の世界に入って長いのだから、言葉足らずで誤解を招いたとすれば多少の非難を浴びるのは仕方ない。
 むしろこれは、彼の活動やスタンスを世間にわかりやすく説明するいいチャンスだったのに、と思うと惜しまれる。

 一方、そんな視点で落合を見てみるとどうなるか。
 「監督は結果だけで判断される」という竹田圭吾の言葉は、まさに落合博満の監督哲学であり、選手としての哲学でもあった。「結果さえ出せば文句ないでしょ」というのが、落合の野球人生を貫く姿勢といってもいい。

 落合は、昔も今もプロ野球界の異端児として扱われている。しかし、彼の経歴を見直すと、実は彼の「オレ流」言動は、常にルールの枠内に収まってきた。
 91年オフに参稼報酬調停を申請したのも、93年オフにフリーエージェント宣言をしたのも落合が日本人第1号だったが、これらはいずれも労使間で認められた選手の権利であり、ルール上は何の問題もない。
 ちなみに、フリーエージェント宣言をした時期、落合は日本プロ野球選手会から脱会していた。FA権獲得を目指す闘争方針に反対していた(落合は「統一契約書の見直しを優先すべき」と主張していた、との記述がネット上にあるが、具体的にどのような見直しを求めていたのかまでは不明)のに、導入されると真っ先に手を挙げるという彼の出処進退は、現行のプレーオフ制度を全面的に批判していたけれど、セに導入されたらプレーオフ用の戦術を考案して全勝優勝してしまったことと似た印象を受ける(ま、プレーオフに5連勝することは、やろうと思ったからできるわけではないが)。
 また、Wikipediaの彼の項目によれば、今年、金本明博選手を育成選手として再契約しようとして選手会に反対された時には、「本人と十分に話し合って同意を得た上で、決められたルールに従ってやった事だ。」と反論したという。

 つまるところ、落合が破ってきたのはあくまで球界の不文律であり、明文化されたルールに対しては従順だった(ルールが認める限界まで肉薄した、という点では余人の追随を許さないものがあったが)。彼は、置かれた状況の中で最大限の成果を挙げ、利益を享受することに専心してきたのであり、ルールや枠組みそのものを変えることに対しては熱心ではなかったと言える。

 だが、枠の外に出てしまった男たちもいる。
 石毛宏典は、四国アイランドリーグを設立し、資金繰り等で苦労を重ねていた時期に、プロ野球界を「ビニールハウス」と表現し、「中にいてはわからないことがたくさんある」と話していた。
 石毛と同様に、あえてプロ野球界を外側から見て、その不備を痛感し、自力で補うことで野球界を支えようと腐心している谷沢から見れば、「ビニールハウス」の外でも影響力を持ち得る貴重な人材であるはずの落合が、そこから一歩も外に出ようとしないのが、もどかしいのかも知れない。

 もちろん、このエントリ内容のほとんどは私の勝手な推測だ。谷沢健一氏が私の考えているような人物なのかどうかは、彼のblogを読むなり活動を追うなりして、ご判断いただきたい。


追記(2008.9.23)
今さらですが、この件について興味深い考察をしているサイトです。
【雑記】・高度なプレーをすることとプロであるということ/ふぬけ共和国blog

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「待たされた方の負け」は今年で終わりにしませんか、NPBの偉いさん。

 日本テレビが勝利監督インタビューの途中でさっさと中継を打ち切ってしまったので断定はできないのだが、中日はクライマックスシリーズを全勝で通過し、日本シリーズへの出場権を獲得しても、落合監督の胴上げをしなかった(少なくとも、試合終了直後には)。選手がみなベンチに引き上げ、インタビューに呼び出されるまで、落合はグラウンドに出ようとはしなかった。
 たぶんこれは落合監督の意思なのだろう。もともとパ・リーグがプレーオフ制度を導入した時から批判していた彼のことだから、勝っても胴上げをしないことでレギュラーシーズンに敬意を示したのではないかと思う。

 第3戦は決着が懸かっていたこともあって終盤まで盛り上がったが、9回裏、先頭で出塁した大道の代走で一塁に立った古城の馬鹿げた走塁ミスがジャイアンツの希望に冷や水をかけた。第2ステージを通して見れば、ジャイアンツ打線は中日の投手陣の前に封じ込まれ、投手陣はここぞという場面で打ち込まれた。得意の空中戦でも及ばなかったのだから、そこまでの力量だったのだろう。ファンとしては、そう思うほかはない。

 それはそれとして、プレーオフ制度としては、またしても「待たされた方の負け」という結果になった。
 現行方式の下で行われたパ4回、セ1回のプレーオフ、および3回の日本シリーズにおいて、「待たされた方の負け」の陥穽を免れたチームは北海道日本ハム(2度)だけだ。
 これほど偏った結果が残っているのだから、もはや、「待たされた方が不利」という推測は事実とみなしてよさそうに思う。NPBはそろそろ首位チームの日程上の不利を解消することに本気で取り組んでもいいんじゃないだろうか。
 幸い、両リーグの足並みが揃ったことで、日本シリーズにおいては従来ほど大きな差はなくなった。とすれば、次の改革へのステップを考えてもよい時期だろう。

 贔屓チームが負けたからそういうことを言い出すのか、と言われそうだが、この件に関しては以前から気になっていて、2年前にもこのblogでかなり突っ込んだ議論をしている(<待つ身はつらい。>および<今年できたはずのプレーオフ改革。>)。
 私が思いついたもっともシンプルな解決策を<今年できたはずのプレーオフ改革。>から再録しておく。両リーグのペナントレースを最終日を決めて一斉に終了し、2日後から第1ステージを開始、終わったら即座に第2ステージに移る、というものだ。具体的には次のようになる。

0日目 リーグ最終日
1日目 プレーオフ開催準備
2日目 第1ステージ第1戦
3日目 第1ステージ第2戦
4日目 第1ステージ第3戦
5日目 第2ステージ第1戦(以下略)

 今年のジャイアンツには14日間の空白があったが、これなら4日で済む。5日目を休みにして6日目から第2ステージを始めるくらいでもいいかも知れない。
<第1ステージから勝ち上がるチームにとってはタイトな日程になるが、1位チームにさしたるアドバンテージがないのだから、そのくらいのハンデがあってもいいだろう(初戦から連勝すれば4日目は休めるし)。シーズン中でも6連戦くらいは普通にやっているのだから、過重な負担になるとは思えない。>と当時は書いたが、今でもこのくらいが妥当だと思っている。

 そんなに準備期間がなくて営業が間に合うのか、というのは当時ひっかかった課題のひとつだが、この2年でチケットのネット販売はだいぶ普及したのではないかと思う(単に当時の私が知らなかっただけかも知れないが)。e+ではすでにジャイアンツと中日が主催する日本シリーズの先行販売受付を終えている。ぴあやe+などのチケット販売サイトでは、ネットで申し込んでカードで決済、発券はコンビニで、というシステムが出来上がっている。これなら短期間でもチケットをさばくことは可能だろう。現にMLBでは何年も前から普通にそういう日程でプレーオフをやっていて、どの試合もよく入っている。

 ちなみに私の手元には、そのようにして購入したクライマックスシリーズ第2ステージ第4戦のチケットがある。そして、試合終了から1時間も経たないうちにe+から「払い戻しのお知らせ」と書かれたメールが届いた。
 ここまでの論旨からすると、この手回しの良さを讃えるべきなのだろうが、今の私には、どちらかというといまいましい。せめて一晩くらい待ってから言ってこいよ、という気分だ。もちろん、e+に非があるわけではないのだが。


追記(2007.11.1)
VIP系というのだろうか、いろんなサイトにリンクを張って紹介するサイトのひとつに、このエントリがリンクされて、こんなコメントがついていた(10月30日分)。
まあ、わからなくもないですが。
今回の日本シリーズぐらいはまじりっけなしのストレートな視点で見て欲しいですねえ。
これで「日ハムが待たされたから負けたんだ」とかになったら胸糞悪いですよ。

人の書いたものをあれこれ言うわりには、トラックバックも送ってこなければコメント欄もないので、ここで感想を述べることにする。
私はエントリ中に「両リーグの足並みが揃ったことで、日本シリーズにおいては従来ほど大きな差はなくなった。」と書いている。事実、今年についていえば中日と日本ハムの差は2日しかない。従って、日本シリーズについて「日本ハムが待たされたから負けたんだ」などと主張するつもりは毛頭ないし、してもいない。
こちらが書いてもいないこと(そして、論旨が読み取れさえすれば、そうでないと推論できること)について曲解されて「胸糞悪い」などと書かれるのは、とても胸糞が悪い気分だ、と申し上げておく。

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公式戦を引退試合にするのは、あまり感心しない場合もある。

 やっぱり釈然としない。
 本日発売の週刊ベースボール10/22号を読みながら、改めて、ううむ、と唸ってしまった。
 表紙にでかでかと記されている「ジャイアンツV奪回!」や「高校生ドラフト総決算」のことではなく、後ろのカラーグラビアで特集されている「有終の美 引退試合」の方だ。
 前の(書いたのはずいぶん前だが)エントリに記したヤクルトの古田敦也と広島の佐々岡真司が、それぞれ本拠地最終戦に出場し、ファンに別れを告げた。
 試合後にセレモニーをして彼らがファンに挨拶をするのは当然のことだ。彼らが最後のプレーをファンに見せるのも自然な人情だし、ファンだって見たいと思う。
 ただ、今回の両者のやり方については、どうにも釈然としない思いが残る。特にヤクルトの側が。

 ヤクルトが本拠地・神宮球場での今季最終戦を迎えたのは10月7日。相手は広島だ。この試合が始まる時点で、両者は59勝82敗、ぴったり並んでリーグ最下位にいる(広島は他に2引き分け)。勝った方がこの時点で最下位を脱出するという試合だ。広島にとってはこれが今季最終戦でもある。ヤクルトは2試合を残している。どちらにとっても、リーグ最下位を免れたいのであれば、是が非でも勝ちたい試合だ。

 その試合に、ヤクルトの古田監督は、今季ここまで8試合にしか出場できなかった古田捕手を五番打者として先発出場させた。打撃はともかく、右肩の故障でシーズンの大半を棒に振り、引退を決めた老捕手に、盗塁阻止は期待できない。
 現実に一回表に2点を先制された2死一塁から、今季ここまで3盗塁しかない嶋に二盗を決められている。続く梵のセンター前ヒットで嶋はホームイン。梵は次の広瀬の初球にまた二盗。最下位脱出の懸かった試合で、ブラウン監督は遠慮なくヤクルトの弱点を衝いた。

 打者・古田は4打数無安打。うち3度は走者を置いて打席に立ったがチャンスを生かせなかった。
 監督・古田は、古田捕手のスタメン起用のほかにも面妖な采配を見せている。その最たるものが、青木を四番に据えたことだ。まあ、今季は20本塁打を打って長打力も見せているし、お前が今後のヤクルトを背負ってくれ、というメッセージなのかも知れない。
 青木自身は3打数2安打1四球とまずまずの結果を残したが、3度の出塁のうち2度は二死からで、ホームを踏むことはできなかった。その二死からの出塁はいずれも二番打者・ガイエルがソロ本塁打を打った後。まるっきりの結果論だけれども、一番・青木、四番・ガイエルという普通の打順なら、もっと点が入っていたかも知れない。ちぐはぐな印象は否めない(漫画『ドカベン』で、対戦相手から初球ど真ん中を予告され、山田太郎を一番打者に起用した明訓高校が、プレーボール本塁打で先制したものの、その後の展開に苦しむというエピソードを思い出す)。
 投手起用では、先発専門の石井一久を8回にリリーフ登板させ、広瀬に本塁打を打たれて失点している。
 要するに、監督・古田は、選手・古田の引退試合であることを意識した特殊な選手起用をいくつか行い、それらはマイナスの結果に結びついた。

 その夜のスポーツニュースや翌朝の新聞では、誰もそんなことを気にしている様子はなかったし、テレビのニュース映像で見る限りでは神宮球場のファンも気にしていないようだ。
 ヤクルトは今日10/9の横浜戦に勝って今シーズンを終えた。最終成績は60勝84敗で最下位。5位の広島とは1ゲーム差。カープに1試合勝っていれば最下位は免れたことになる。
 古田は現役引退と監督辞任を発表した記者会見で「(最下位という結果は)球団史の中でも非常に悪い出来事」と話していたが、その後、そこから脱出するチャンスがあったにも拘わらず、古田選手の引退興行を優先したわけで、いささか一貫性を欠いていたことは否めない。

 同じ試合で広島も佐々岡を登板させている。その前日、広島の本拠地最終戦でも佐々岡は投げている。10点をリードした最終回という、勝敗にはほぼ無関係な局面だった。選手たちが佐々岡のために花道を作ってあげたといってもよい。
 対戦相手の村田は佐々岡から本塁打を打った。空気の読めない奴、という空気が広島市民球場には漂ったことだろう。しかし、この村田の今季36本目は、ウッズ、高橋由伸と35本で並んでいた本塁打王争いから一歩抜け出す重要な1本となった。一打席たりとも無駄にできない村田が全力で打ちに行くのは当然だし、逆に言えば、そんな局面で佐々岡を投げさせたカープは、ウッズや高橋に対して非常に失礼なことをしたとも言える。

 だいたい言いたいことはご理解いただけただろうか。
 レギュラーシーズンの本拠地最終戦で、スター選手がファンに最後のプレーを見せることを、一概に否定するつもりはない。むしろ賛成だ。
 だが、それが順位争いやタイトル争いの行方に大きく影響してしまうようなことは、できるだけ避けるのが節度というものであり、野球に対する敬意というものではないだろうか。
 堅苦しいことを言えば、10/7の古田監督の采配は、敗退行為の疑いさえ生じるようなものだったと私は思う。Jリーグでベストメンバー規定に関する議論が白熱しているのと比べて、プロ野球界の何とおおらかなことか。

 選手が最後のプレーを見せる試合を「引退試合」と呼ぶことにも、私は抵抗を感じる。かつて「引退試合」というのは、公式戦とは別に行われるエキジビションマッチのことではなかったか。確か昔は野球協約で正式に位置づけられており、収益の一部を選手に贈るという習慣もあったと聞いた気がする。
 このような過去の美風にのっとり、選手がファンに別れの挨拶をする場は、基本的にはシーズン終了後に設けられるのが妥当だと私は思っている。どの球団も11月ごろに「ファン感謝デー」のような催しを開いているし、古田クラスの名選手であれば、独立した引退試合が開催されて然るべきだと。

 調べてみたら、はてなダイアリーのキーワードとして引退試合について詳しくデータが示されていたのでご参照いただきたい。野球協約の規定についても末尾の注に記されている。
 この表を見ていて思い出したのだが、2001年に長嶋茂雄がジャイアンツの監督を退いた時にも本拠地最終戦でセレモニーが行われた。この試合では、この年限りで引退する槙原寛己、斎藤雅樹、村田真一の3選手も出場し、合わせてセレモニーに登場した。
 本拠地最終戦とはいえジャイアンツはこの時点でまだ試合を残しており、リーグ優勝の可能性もわずかながら残っていた。だが長嶋の挨拶に「今季優勝して最後を飾りたい」という類いの言葉はなく、まだ終わったわけじゃないのに、こんな終戦ムードにしてしまっていいのか、という疑問を当時も覚えたものだった。
(ちなみに長嶋茂雄の現役引退セレモニー、「我が巨人軍は永久に不滅です」という有名な挨拶も、公式戦でのものだった。彼は最後までレギュラーだったから、試合にスタメン出場していたこと自体は不自然ではなかったが)

 この種の引退興行は、基本的にはファンのためのものだ(球団にとっても、消化試合が満員にできるという興行上のメリットはあるだろうけれど)。
 結果として順位が少々下がろうとも、ファンが喜んでるんだからいいじゃないか、と言ってしまえばそれまでのことだ。
 だが、ファンサービスという近年の「錦の御旗」が、なし崩しにゲームそのものに侵入していくようなやり方は、私は好きになれない。どこかで一線を引かないといけないんじゃないだろうか。
 あの新庄だって、試合が始まればカブリモノはしなかったんだし。


追記(2007.10.10)
村田は結局36本塁打でシーズンを終え、佐々岡から打った本塁打によって初の本塁打王となった。
念のため記しておくが、私はジャイアンツファンで、ジャイアンツが一足早く全日程を終了した後は、今年の高橋由伸が初タイトルという形で報われることを(可能性がほとんどないと知りつつ)願っていた。

追記2(2007.10.12)
古田は、シーズン終了後に高津が戦力外通告を受けたことについて、球団に対し「プロ野球記録保持者(通算286セーブ)が退団するのにファンにメッセージを届ける場所もない。ファンだって彼に伝えたいことはあるはず」と苦情を伝えたという。
だが、そういうことのためにファン感謝デーというイベントがあるのでは? 球団が感謝デーへの高津の参加を拒否したとかいうならまた別だが(もっとも、ヤクルトの鈴木球団社長という人のこの件に関するコメントも、意味はよくわからないが冷淡さだけはよく伝わってくる。古田がつい一言いいたくなるような背景があるのかもしれない、とは思う。また、「相談も打診もなしに、いきなり戦力外通告とは、実績ある投手に対して失礼ではないか」という話なら理解できるのだが)。

追記3(2007.10.12)
今週発売の週刊サッカーマガジン10.23号の巻末コラム「ピッチのそら耳」で日経新聞の武智幸徳記者が、川崎フロンターレのベストメンバー問題(御存知ない方にはこちらがわかりやすいです)について、次のように書いている。

<Jリーグが一番恐れるべきはすべてが「なあなあ」になってしまうことだ。仮に昇格降格を懸けたリーグの終盤戦で優勝とも降格とも無縁のチームが、残り3節くらいから「来季を見据えて」若い選手を大量に使ったり、逆に引退が決まった選手の“花道”代わりに試合を使ったりしたらどうなるか。そうした選手起用が勝敗を分け、ひいては昇格降格にも影響を与えたとき、サポーターは不信や怒りの塊になるだろう。>

プロ野球では、これに類したことが当たり前のように行われてタイトル争いに影響を与えているが、ファンは特に気にしているようでもない、というのが現状。
ちなみにJリーグでは、一定の基準を満たした有力選手の引退に際しては、その選手が所属したクラブのOBや同世代の著名選手などが参加して、引退試合が行われる。古田も11月下旬か3月上旬ごろに<ヤクルトオールスターズvs古田フレンズ>なんて引退試合を組めば、相当な観客を集められるのではないだろうか。

※シーズン後の引退試合に関するくだりを一部加筆しました(2007.10.13)

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ドラフト89年組と社会人野球の栄光。

 ヤクルトの古田敦也兼任監督が、今季限りで監督を退き、現役も引退することを発表した9/19に、広島の佐々岡真司投手も今季限りでの引退を表明した。
 この2人、年齢は違うが同期入団だ。89年秋のドラフト会議で指名され、翌90年にプロデビューした。
 1年目から一軍で活躍していたが、ブレイクしたのはどちらも2年目だ。佐々岡は最多勝と防御率1位の2冠に加えてチームはリーグ優勝、MVPと沢村賞にも選ばれる。古田は落合に競り勝って首位打者になった。

 プロ野球の歴史も70年を超えたが、草創期を別にすれば、彼らが入団した1990年ほど優秀な新人が大挙してプロ入りし、活躍した年はほかにない。検証したわけではないが、たぶんないと思う。ほとんどの球団が、結果的に球団史に名を残す選手を獲得している。

 一位指名選手を列記してみよう。

読売:大森剛(慶大)内野手
広島:佐々岡真司(NTT中国)投手
中日:与田剛(NTT東京)投手
ヤクルト:西村竜次(ヤマハ)投手
阪神:葛西稔(法大)投手
大洋:佐々木主浩(東北福祉大)投手

近鉄:野茂英雄(新日鉄堺)投手
オリックス:佐藤和弘(熊谷組)外野手
西武:潮崎哲也(松下電器)投手
ダイエー:元木大介(上宮高)内野手
日本ハム:酒井光次郎(近大)投手
ロッテ:小宮山悟(早大)投手

 佐々岡、与田、佐々木、野茂、小宮山がタイトルを獲得、佐々木、野茂の2人が名球会入りしている。

 一位以外の主な選手も挙げておく。

広島4位:前田智徳(熊本工高)外野手
中日2位:井上一樹(鹿児島商高)投手
中日6位:種田仁(上宮高)内野手
ヤクルト2位:古田敦也(トヨタ自動車)捕手
阪神5位:新庄剛志(西日本短大付高)外野手
近鉄3位:石井浩郎(プリンスホテル)内野手
日本ハム2位:岩本勉(阪南大高)投手

 1位指名では投手優位だったが、2位以下は野手も錚々たる顔触れだ。前田と古田が2000本安打を打ち、石井もタイトルホルダー。新庄と野茂、佐々木、小宮山がMLBプレーヤーとなった。西村はプロ入り4年間で50勝を挙げ、野村ヤクルトのエースとして活躍。岩本も数字的に突出してはいないが、エースとしてチームを支えた時期がある。
 MVPを獲得したのは、セで佐々岡、古田(2度)、佐々木。パで野茂(しかも新人の年)。

 89年組から主力選手が出ていないのはジャイアンツ、オリックス、ダイエーの3チームか。
ジャイアンツは入団を熱望していた元木大介を回避して(2位狙いだったらしい)慶大の三冠王・大森を獲得し、世間の非難を浴びた。元木はダイエー入りを拒否し、チームに所属せずハワイで自主トレをしながら1年を過ごし、翌年ドラフト1位でジャイアンツに指名されて入団。スーパーサブ的存在として90年代のジャイアンツの顔の1人となった。
 オリックスの佐藤和弘は「パンチ佐藤」の愛称で人気はあったが、活躍したとは言い難い。

 新人王は、パはこの年の先発投手のタイトルを全部とった野茂、セは最優秀救援投手の与田が、それぞれ獲得した。7勝8sの潮崎、10勝の酒井、13勝17sの佐々岡、10勝1sの西村は、それぞれ運が悪かったとしか言いようがない。

 なぜこの年にこれほどの才能が集中したのか。多分に偶然のなせるわざだろうが、それなりの背景もある。

 この年の前年、88年にはソウル五輪で公開競技として野球が採用され、日本は決勝でアメリカに負けたが銀メダルを獲得している。84年ロサンゼルスの金メダルに続くファイナリストだ。89年ドラフト組にも、ソウル五輪経験者は、野茂、潮崎、古田、大森、2位指名で西武入りした鈴木哲がいる。
 五輪代表組が大挙してプロ入りしたのは、むしろ前年の88年ドラフトだ。石井丈裕、渡辺智男、吉田修司、小川博文、野村謙二郎、苫篠賢治、中島輝士と、これも錚々たるメンバーのはずだが、プロで大成したといえるのは石井と野村くらいか。

 ただ、これらの顔触れを眺めると、社会人出身者が質量ともに圧倒的に優勢を占めていることに気づく。
 88年の五輪-プロ組のうち、大学生は野村と苫篠だけ。89年ドラフト組でも、プロ入り後に活躍した選手のほとんどが社会人か高卒だ。大卒で目立つのは佐々木と小宮山ぐらい。

 社会人野球がもっとも世の中の注目を集め、人々に支持されていたのは、たぶん戦後まもない時期だと思うが、80年代は別の意味で、ひとつのピークだったのではないかと思う。当時の社会人野球の状況に詳しいわけではないが、この時期、アマチュア球界が代表チームの選抜と育成に特別の力を注いだであろうことは想像に難くない。

 84年のロサンゼルス五輪で初めて野球が公開競技として採用され、日本は金メダルを獲得した(予選では負けたのにキューバのボイコットに伴って急遽代替出場が決まったためか、この時の代表には大学生が多い)。
 88年のソウル五輪にはディフェンディングチャンピオンとして臨み、次のバルセロナでは正式種目として採用。もともと日本の国際試合はアマチュア球界のものだった。社会人球界にとって、五輪は大きな強化のモチベーションになったはずだ。
 それまで国際試合には「外人は変則投手に弱い」という考えから技巧派が重視されてきたが、ソウル五輪の投手コーチを務めた山中正竹は「90マイル+サムシング」というコンセプトを立て、144キロ前後の速球と、決め球になる変化球を持つ投手を選抜した。それが野茂のフォークであり、潮崎のシンカーであり、石井丈裕のパームボールだった。
 折しも日本経済はバブルの好況下。企業が野球部につぎ込める予算も膨らんだことだろう。

 選手たちにとっても五輪は大きな目標となった。この時期、プロでスターになれそうな好素材の中に、「五輪に出場してメダルを取ってからプロ入りする」という目標をもって、高校・大学の卒業後にすぐにはプロに進まず、社会人入りする選手が出てきたという印象がある。
 そんな才能ある選手たちが、負けたら終わりのノックアウト形式の国際大会でキューバやアメリカの強打者たちと渡り合って鍛えられた。ドラフト指名88、89年組に好投手が目立つのは、そんな経験と無縁ではないだろう。

 92年のバルセロナ、96年のアトランタの後も、五輪代表選手たちはプロ入りした。そのうち社会人出身でプロで成功したのは野手が多く(大島、松中、谷、福留)、投手は80年代に比べて小粒になっている。日本代表の選抜・育成方針に変化があったのかどうかはわからない。バブル崩壊後の90年代、社会人チームを縮小・廃止する企業が相次いだ影響は、大きかったに違いない。

 そして、2000年シドニー五輪でプロ選手の参加が解禁されたことで、五輪のために社会人野球入りする選手は姿を消した。21世紀にプロ入りして活躍している即戦力選手の大半は大卒だ。
 今後も社会人野球で成長する選手はいるだろうけれど、五輪野球がプロのものになった今(そして五輪から野球が消える近い将来)、1989年ドラフトのような大当たりの年は、もう二度と来ることはないだろう。

 89年組のうち、高卒の前田や種田(北信越リーグの宮地克彦もいる)、大卒の小宮山は健在だが、古田と佐々岡が引退すれば社会人出身者は全員が姿を消す(もっとも、野茂はまだMLB昇格を諦めてはいないに違いない)。
 ま、佐々岡にはたぶん代表歴はないので、この2人に国際大会における「アマ野球・黄金の80年代」を象徴させるのは、いささかこじつけ気味ではあるのだが、2人の引退を同時に聞かされると、どうしても私は、あの大当たりの年に颯爽と登場して暴れまくった社会人出身者たちを思い出さずにはいられない。

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「756*」。

 バリー・ボンズがハンク・アーロンの通算記録に並ぶ755本目の本塁打を打った映像をニュースで見た。スタンドには「*」と大書した紙を頭上に掲げた観客が何人もいたようだ。756本目の時にどうだったかは見ていないが、たぶん同じような観客がいたのだろう。
 この「*」とは、「ボンズの記録は筋肉増強剤の助けによって作られたものだから、アーロンの記録とは別扱いの注釈付き参考記録である」という主張を象徴しているものと思われる。ロジャー・マリスが1961年にベーブ・ルースのシーズン本塁打記録を超える61本を打った時、「ルースの時よりも試合数が多かった」という理由でレコードブックに「*」付きで掲載されていたという故事を踏まえたものだろう。

 ボンズが筋肉増強剤を使用したか否かについては、法廷で明確に結論が出たわけではないが、かなり疑わしい状況にあることは否めない。彼がピッツバーグ・パイレーツで売り出した頃(ボンズとボニーヤでBB砲、と呼ばれていた)には、スピードを売り物にした、すらりとした体型の選手で、30本塁打30盗塁を毎年のように達成していた。異様なまでに上半身が発達した現在の彼とは別人のようで、それはマーク・マグワイアにおける体型の変化ともよく似ている。

 どのような形にせよ、ボンズは薬物を使ったのだろうと私は思っている。それは好ましくないことだとも思っている。では彼の記録は無効なのか、あるいは「*」をつけて参考記録として扱われるべきなのか、といえば、これはなかなか難しい。
 どのような競技においても、時代とともに競技環境は変わる。陸上競技において、靴や衣類、競技場のトラックの土質、計時装置などの技術の発展は著しく、現代の選手たちは大いにその恩恵に預かっているはずだ。水泳も同様で、水着は水の抵抗を減らす方向にどんどん発達し、50年前のそれとは似ても似つかない。
 が、だからといって、その変化が記録の扱いに反映されることはない。

 野球の記録は、陸上や水泳のように、時間や距離という絶対的な数値ではなく、相手選手との対戦結果という相対的なデータである。敵と味方、投手と打者が等しく競技環境の変化にさらされ、その恩恵を受けているのであれば、どちらか一方に有利になるわけではない、とも言える。バリー・ボンズと同時期の選手であれば、投手であれ野手であれ、筋肉増強剤を使うことは可能だった(当時はそれが禁じられていたわけではない)。

 環境の変化が野球の記録にどのような影響を及ぼすかについては、過去にも少し触れたことがある(グールド進化理論が示すイチローの価値。)。現代の選手が昔に比べて有利だと言えば言えるし、不利だとも言えば言える。どちらともいいようがない。ベーブ・ルースの時代にはMLBは有色人種を締め出していたのだから、1946年以前の記録にこそ「*」が付けられるべきだ、という主張(があるかどうかは知らないが今思いついた)にも、うまい反論は見つからない。
 「これは○○だから参考記録扱いにすべきだ」という話は、言い出せばきりがない。球団数を拡張した年は全体のレベルが下がるのだから「*」をつけるべきだ、試合数が変わった年には「*」をつけるべきだ、などとやっていたら、すべての記録に「*」をつける羽目になる。

 王貞治は日本のプロ野球で868本の本塁打を打ったが、彼自身は「アメリカとは環境も違う」として、決して自分の記録が世界一だという言い方はしない。思慮深い発言だと思う。
 王の記録を貶めようと思えば、材料はいくつもある。彼の現役当時は、プロ野球の使用球場は今よりもずっと狭かった。セントラル・リーグのフランチャイズ球場のうち東京ドーム、横浜スタジアム、ナゴヤドームは彼の現役生活の晩年または引退後に作られたものだが、その前に各球団が使っていた球場では、ホームベースから外野フェンスまでの距離はいずれも今より短かった(甲子園にも王の現役時代にはラッキーゾーンがあった)。
 また、彼が愛用していた圧縮バット(バットの材質である木材に樹脂をしみこませて加工を施し反発力を強めたもの)は、彼の引退後に使用が禁止され、現在では使う選手はいない。
 これらの条件に助けられて王は本塁打を量産したのだ、と言う人もいる。それらが王にとって好材料であったことは否定できない。

 しかし、それらの条件は同時に同時代の選手すべてに当てはまる。球場は誰にとっても狭かったし、圧縮バットはその気になれば誰でも使えたはずだ。だが王ほど本塁打を打った選手はほかにはいなかった。

 王がシーズン55本塁打を打った昭和39年を例にとると、セ・リーグの総本塁打数は724本、1球団あたりの平均は120.7本だ。打率トップ10の選手の中で王に次いで本塁打が多いのは長嶋(巨人)とマーシャル(中日)の31本、さらに桑田(大洋)27本と続く。王の突出ぶりがわかるだろう。
 ちなみに昨年のセ・リーグ総本塁打数は821本、1球団あたり136.8本だ。球場が広くなり圧縮バットが禁止されて本塁打が出にくくなったのであれば、この数字は辻褄が合わない。
 要するに、ある特定の要因を抜き出して成績への影響を論じることは、そう簡単ではない。

 王が活躍した昭和40年代を通じて、状況はおおむね似たようなものだ。セ・リーグ全体の打撃が低調で、3割打者は数人しか出ず、本塁打も出にくい中で、王ひとりが40本以上の本塁打を量産しつづけた。その結果が868本という記録になった。
 記録を作ったことが王の価値なのではない。他人がなかなか打てない本塁打を打ちまくったことに価値があるので、記録はその結果に過ぎない。私たちは、ともすればそこを見失い、あるいは取り違えそうになる。

 繰り返しになるが、野球の成績は相対的な対戦結果である。「レフティ・グローブとノーラン・ライアンとロジャー・クレメンスの誰がもっともスピードがあったか」を比較することは(信頼すべき計測結果があれば)可能だが、球速そのものは野球の記録ではない。そして、「3人の誰がもっともいい投手か」を比較しても、誰もが納得する結論は出ないだろう。打者においても同様だ。
 選手ひとりひとりが生き物であるのと同様に、それぞれの対戦もまた生きている。記録というものは、その生きた営みのうちの、ごく限られた側面を保存して物語る手段に過ぎない。大事なのは目の前のひとつひとつのプレーなのだ。

 これから長い間、レコードブックの本塁打記録の筆頭に記されるバリー・ボンズの名を目にするたびに、私たちはそのことを思い起こすことになるのだろう。
 記録を過大視する傾向に冷や水をかける、という意味では、それはひとつの効用なのかも知れない。

 それにしても、ベーブ・ルース以後、シーズンと通算の本塁打記録のいずれかを塗り替えようとする選手は、さまざまな苦しみを味わい続けている。「*」のレッテルを貼られたマリス、人種差別に苦しんだアーロン、そしてボンズ。記録達成当時は祝福だけを受けていたマグワイアも、後には汚辱にまみれてしまった。
 次にボンズの通算記録に近づく選手がいるとすれば、先日最年少で500本塁打を打ったA-Rodだろう。彼の行く手には何が待っているのだろうか。

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長谷川滋利『素晴らしき日本野球』新潮社

 2006年というのは日本野球にとっては特筆すべき年だった。WBC優勝、決勝戦再試合の末の早稲田実業優勝で久しぶりの社会現象となった夏の甲子園、札幌移転後初の日本ハム優勝、松坂のポスティングによる60億円移籍など、めったにない出来事が次々と起こった。
 当blogでも、それぞれの出来事について、折々に感想を書いたり議論をしたりしてきたが、しばしば、彼の考えを聞いて見たいと思っていた人物がいる。長谷川滋利だ。

 同じ年の野茂英雄がMLBへの道を切り開いた2年後の97年にアメリカに渡った長谷川は、アナハイム・エンゼルスとシアトル・マリナーズで主にセットアッパーとして9年間投げ続け、昨年初めに引退を決めた。日米双方の野球に通じ、英語が巧みで、ビジネスへの関心も強い長谷川なら、一選手、一野球人にとどまらない広い視野から、これらの出来事を見ているに違いないと思っていた。
 そんな長谷川が、引退後の野球界の出来事を中心に、日本野球の現状と将来について語ったのが本書だ(構成者として生島淳の名が記され、後書きまで書いているので、長谷川は文字通り「語った」のだと思われる)。今年4月25日に発行されたばかり。

 それほど厚い本ではないし、聞き書きだけに文章も平明ですらすらと読めるが、中身は濃い。
 たとえばWBC優勝の捉え方について、長谷川はこんな意見を書いている。
<たとえばメンバーが親善大使の役割を担い、野球を広めることと、チャリティ活動を推進することを目的として世界を回る「ワールド・ベースボール・クラシック・ツアー」を開催しても良かったと思う><そうすれば日本が世界一になったこともアピールできるし、野球が外交の一部にもなり得る。さらに野球をするならアメリカで、と思っているヨーロッパの選手たちが「日本でプレーしてみたい」と考えるきっかけになっていたかもしれない>
<あるいはアメリカチームと一緒に世界を回るという方法も面白い。たとえばであるが、十一月に行われる日米野球の後、合同チームで遠征したりするのは選手にとてはプラスになるのではないか>
 これには唸らされた。彼は我々よりもずっと広いところを見ている。確かにMLBは以前から世界規模のプロモーションを意識していて、日米野球で来日したサミー・ソーサがその後に英国を訪れ、クリケットの投手と対決したりしていたこともあった。ここでは欧州が巡業先として挙げられているが、台湾や中国などにも市場開拓の余地がありそうだ。

 WBCのほか、松坂の移籍、甲子園の再試合、さらには球団経営やNPBの構造改革などについて、日米の事情を比較しつつ、長谷川は縦横に語る。
 それぞれに興味深い意見を述べているのだが、通読して感じるのは、彼のバランス感覚の良さと目配りの広さだ。
 基本的に長谷川は現状を真っ向から否定するような書き方はしない。そうなっている事情に一定の理解を示しつつ、しかしそのままではどのような悪影響をもたらすかを説明し、代案を示していく。センセーショナルな表現はしないが、説得力がある。
 本書に書かれた内容は、個別的にはおそらくテレビや新聞、雑誌等に発表してきたのだろうと思うが、1シーズンを経て、さらに本書が刊行された今でも、依然として長谷川がフリーの解説者であるというのは、実にもったいないことだと思う。彼をアドバイザー、あるいは球団代表補佐として雇おうとする球団経営者は日本にはいないのだろうか(長谷川が断っているのなら別だが)。これほどの人材を野に置いておくほど、日本の野球界に余裕はないと思うのだが。彼のコミュニケーションのスタイルであれば、おそらく経営者たちの中では(ひょっとすると現場の野球人たちの中にいるよりも)高い評価と信頼を得られるのではないかと思う。

 と書いてはみたが、実のところ彼にもっともふさわしいポストは、コミッショナー事務局の中に用意されるべきだと思う。現在の「代行」氏がさっさと退き、健全な判断力を備えた後任者が生まれて、長谷川の力を日本野球に生かそうと思いつくことを望んでいるのだが、さて、どうなりますやら。

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選手会とジャイアンツは敵なのか。

 下で紹介した『アマチュアスポーツも金次第』の中に、気になる記述があった。

<それにしても面白いのは、選手の権利であるFA権の取得年限短縮を、経営側である巨人が主張していたことだ。
 冷静に考えてみれば、これは選手会が主張すべきことなのだが、雇用者側である巨人が声高に訴えているところが不思議でもある。>(P.37)

<FA権の取得期限短縮については、巨人が出してくる論理に説得力がある。現状、アマチュア選手には球団を選ぶ権利があるわけだから、もしも完全ウェーバー制が導入されたとなると、選手側は球団選択の自由を奪われたことになる。
 だとすると、選手会側こそがFA権の短縮を強く要求すべきだと思うのだが、その主張を巨人がしているのだ。>(P.39)

 これは、西武の裏金問題発覚を受けて行われたドラフト改革論争についての記述だ。
 この時点での議論だけを見れば確かにその通りなのだが、歴史的に見れば、選手会は「ドラフト会議の完全ウェーバー化」と「FA権の取得年限短縮」を一体として扱ってきた(たとえば2004年9月に選手会が発行した「決意!」という本の中で当時の古田会長は「FA資格の大幅拡大と補償金の撤廃」を「これはドラフトの完全ウェーバー制導入とセットで実現すべき改革です」と書いている)。
 ジャイアンツが今回の議論で持ち出した「国内移籍と国外移籍のFA取得年限に差をつける」という案も、選手会の公式サイトには以前から掲載されている。

 つまり、選手会は年限短縮を主張していないのではなく、単に一時的に引っ込めたに過ぎない。どさくさ紛れに利益拡大を図っている、と世間から見られるのを嫌ったのかも知れない(実際、ジャイアンツはそのような批判を受けている)。
 だから、今後のドラフト改革論議の中で、選手会がいずれはFA権取得年限短縮を再び持ち出すことは確実だと私は思っている。
 生島淳がそのような経緯を知らないとも思えないので、このように書かれていることは不思議に感じる。

 さらに言えば、ジャイアンツがFA権の取得年限短縮を主張すること自体は、不思議でも何でもない。
 日本でFA制度が始まってから現在に至るまで、FA選手の最大の買い手はジャイアンツだった。
 獲得した選手がどれほど期待を裏切っても、巨額の投資が一向に優勝という成果に結びつかなくても、不合理なまでの情熱(それを「信念」と呼んでもよいかもしれない)を持ってFA市場を買い支え続けたジャイアンツがいなかったら、日本のFA制度は形骸化の一途を辿り、選手の権利は著しく貧しいものになっていたはずだ。
(そもそもFA制度が成立したこと自体、ジャイアンツの意向に負うところが大きかったと言われたはずだ)

 世間ではジャイアンツと選手会が不倶戴天の仇敵であるかのように思っている人が多いし、もしかすると著者の生島もそのような印象を持っているのかも知れない。
 だが、ことFA制度においては、ジャイアンツと選手会の利害と主張は一致しているし、むしろジャイアンツこそ選手会の最大の支援者だったと言っても過言ではないのではないだろうか。
 メディアを通して舌戦を繰り広げてはいても、当事者たちはお互いにそのことを判っているはずだ。裏でつるんでいる、とまでは思わないが(笑)。

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生島淳『アマチュアスポーツも金次第』朝日新書

 野球を中心にさまざまな分野で活動しているスポーツライターの著者が、スポーツを支える金銭的側面について書いた本。
(ジャケット見返しには「新鋭スポーツライター」とあるが、生島氏が「新鋭」なら、30代以下のライターは全員が「駆け出し」ではないか?(笑))

 「金次第」というタイトルの語感や、「アマチュアスポーツ界は、ここまで蝕まれている」という帯の文言(「蝕まれている」という6文字が一際大きい)のおどろおどろしさはいささか誇大広告気味で、実際の読後感はあっさりしている。もともと朝日新聞の土曜版「be」に連載していたコラムをまとめたという成立事情による面もあるだろうし、そうでなくてもこの著者の書く本はたいていあっさりしているという印象を私は持っている(あっさりしているのがいけないわけではない。リーダビリティは大事だ)。

 前書きをのぞく本文は次の7章。

第1章 西武の裏金問題があぶり出したもの
第2章 女子フィギュアばかりがなぜモテる? 〜女性アスリートが売れる時代〜
第3章 学校がマーケティングを始めたぞ
第4章 北海道経済と冬季五輪の関係って?
第5章 松坂に60億円! 〜ポスティング・システムの怪〜
第6章 サッカー世界の経済地図
第7章 姚明と2008年北京五輪

 当blogでも過去に扱ったことのある話題が多く、著者の問題意識はおおむね当blogのそれに共通しているように感じられる。こちらは漠然とした思いつきや感想を書いているだけだが、本業のスポーツライターである著者は豊富な事例を例示しつつ記しているので、私個人にとってはありがたい資料集である。
 西武の裏金問題についても経過をコンパクトに整理して記しているので、近い将来この件について考える時の資料として役に立つことだろう。
 このほか、第6章で紹介されている Deloitte Football Money Leagueという資料は興味深いし、私はバスケットの知識に乏しいので、姚明が国策による交配実験のようにして生み出された選手だったというエピソードにも驚いた。さほど厚い本ではないけれど、このような細かい事例が豊富に紹介されていることは本書の魅力だ。

 全部読んだ後で表紙を見直すと、やはり違和感がある。著者本人がどう思っているかは別として、「アマチュアスポーツも金次第」というタイトル、「アマチュアスポーツ界は、ここまで蝕まれている」という帯の惹句には、版元である朝日新聞社の問題意識が強く反映されていることが想像できる。

 だが、本書で紹介されているスポーツ界の実態を見る限り、「蝕まれている」という形容がふさわしいのは、せいぜい野球界だけだ。
 フィギュアスケートに金がかかるとか、北海道経済の衰退がウィンタースポーツの不振につながったとかいうのは事実にしても、選手の育成や強化に一定の費用がかかることは当然であり、そこに公序良俗に照らして「汚い」とか「不正」とか言われるような金が飛び交っているわけではない(連盟の汚職は別)。

 では、金のある者が勝つ、という身も蓋もない事実を、朝日新聞社は「蝕まれている」と形容するのだろうか? 
 歴史的にいえば、アマチュアリズムという概念の起源は、競技による報酬の受け取りを禁じることによって、ブルジョアジーが労働者階級を競技から締め出すことに始まっている。とすれば、「金のある者が勝つ」のはアマチュアスポーツ本来の姿に戻っているに過ぎない。

 ついでに言うと、第3章では学生スポーツ、とりわけ大学スポーツにおいて、スポーツに投資した学校が有利になっていく状況が紹介されている。
 これもまた「金のある者が勝つ」状況には違いないのだが、選手の側から見れば、状況は逆転する。学校から「投資」を受けることにより、裕福でない家庭に生まれた選手でもトップレベルで活躍する可能性が開けることになるからだ。
 そして言うまでもないことだが、野球特待生制度を根絶しようという高野連の施策は、裕福でない家庭に生まれた選手の可能性を狭める。高野連(と、その施策を容認する朝日新聞社)は、高校野球を「金のある者が勝つ」状況に導きかねない施策にひた走っている、とも言える。

 このような諸々を考えていくと、本書のタイトルや帯は、版元である朝日新聞の、この問題に対する混乱ぶりを、はからずも示すものになっているように思えてくる。
 スポーツに金がかかることをそれほど嫌悪するのなら、朝日新聞社はビッグビジネスと化した甲子園大会などとは縁を切って、三角ベースの普及活動を支援したらよいのではないか(いや、本当にそうするようなら、それはそれで褒め称えますが)。

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この際、プロ野球もユース制度を作ってみますか。

 野球部員の特待生制度を設けていた高校は、高野連の集計では334校、締切時刻後の申告分も含めると373校に上るのだそうだ(読売新聞による)*。
 脇村春夫会長は2日の会見で「数が多くて驚いている」と話したが、学生野球憲章の見直しについては明確に否定した。
(何を今さら驚いているのか、という感想は2つ下のエントリと同じ)

 特待生制度を禁止する根拠となっている学生野球憲章第13条の条文は以下の通り。

<選手又は部員は、いかなる名義によるものであっても、他から選手又は部員であることを理由として支給され又は貸与されるものと認められる学費、生活費その他の金品を受けることができない。但し、日本学生野球協会審査室は、本憲章の趣旨に背馳しない限り、日本オリンピック委員会から支給され又は貸与されるものにつき、これを承認することができる。>

 JOCから支給される金品だけがOKになる理屈がよくわからない。また、大学の野球部には<選手又は部員であることを理由として>通常の入学試験を受けずに入学が認められた選手が大勢いるはずで、これは大変な利益供与だと思うが、金品でなければ構わないのか、という疑問も残る。

 このところメディアは特待生問題一色だが、そもそもの発端は西武の裏金問題。いくつか前のエントリでも書いた通り、根絶すべきはプロ野球から金品を受け取る指導者や父兄、あるいは進学時に選手と学校をつなぐブローカーの存在だったはずだ。野球特待生制度を力ずくでやめさせたところで、それらがなくなるわけではない。そもそも高野連の田名部参事自身が、かなり早い段階で、他の理由による奨学金なら構わない、という発言をしているわけで、抜け道はいくらでもある。
 高野連が目指しているのは、金品授受やブローカーの根絶ではない別の何かなのだろう。

 そもそも野球をするには金がかかる。他の競技に比べて用具が多い。グラブ、バット、スパイク、ユニホーム、それぞれ本格的なものは40代社会人の私でも気軽には買いづらい値段の商品だ。高校生のお小遣いの範囲を超えている。
 強豪校になれば練習試合の相手を求めて遠征もする。交通の不便な土地の学校なら、県大会に出場するための交通費も馬鹿にならないだろう(宿泊しなければならないケースもあるかも知れない)。それを選手とその家庭がすべて自前で負担しなければならないということになれば、野球部に入れない学生も出てくることだろう。
 高野連が今やっていることは、結果としてそういう学生を切り捨てることになる。

 それなら、プロが拾ってみたらどうですか。

 高野連が特待生制度廃止の方針をあくまで貫くのであれば、高校野球のありようは大きく変わる。現在のようにプロに近い水準の選手を育成する機能は大幅に減退することだろう。高野連にとって大事なのは「高校野球」であって、「野球」全体ではないのだから、幹部たちはそれでも構わないのだろう。
 だが、プロ野球にとって、あるいは日本野球全体にとっては、それでは困る。高校野球がハイレベルの育成機能を担わないのであれば、プロがやるしかないではないか。

 かといって、中卒の選手をいきなりプロ選手として雇ってしまうのがよいとも思えない(阪神の辻本賢人はどうしているだろうか)。Jリーグのようなユースチームを設けるのが適切なところだろう。

 高校生の年代で、野球の素質があり、将来はプロを目指しているが、経済面または別の理由から、高野連が理想とする高校野球界の中では野球を続けることが困難。そんな青年たちを対象としてユースチームを作る。
 選手たちは寮生活で、近くの私立高校と提携して全員を通わせる。寮費と学費は球団持ち、野球用具は支給される(まあ、全部球団持ちでなくてもいいかも知れない)。もちろん高校の野球部には所属しない。学業で一定の成績を残せない選手はチームでの活動停止などのペナルティを受ける。
 彼らはプロのコーチやトレーナーの指導のもと、身体能力や技術、判断力に磨きをかける。時にはプロ選手たちに混ざって練習をすることもできる。他球団のユースチームや社会人チーム、クラブチームと練習試合をする。参加資格が微妙だが、うまくいけば都市対抗の予選に参加できるかも知れない。
 野球がうまくなるための環境としては悪くない。
(もっとも、以前「プロ野球に二軍は必要か。」というエントリで指摘したように、プロ野球の育成機能は必ずしも高い実績を持たない。実現のためには、若年層の育成プログラムの開発について、本腰を入れて取り組む必要がある。まあ、このままいけば高校野球の優秀な指導者が働く場を失いかねないのだから、そういう人々を引き抜いてくるという手もあるのだが(笑))

 問題は、当然ながら卒業後だ。
 そのままトップチームに入団できる選手はよいが、全員がそうそううまく成長するわけではない。プロに進めなかった選手が、大学や社会人、独立リーグなどでプレーできる環境が整えられるかどうかが、この構想が実現するためのひとつの鍵になる。

 もうひとつの鍵は、もちろんドラフト制度だ。下部ユースチームの選手が、通常のドラフトの指名対象になり、自チームに入団できないのであれば、球団にとっては何のメリットもない。何らかの優先権を設定しなければならないが、それは現行のドラフト制度と矛盾する。優先権が強いものになれば、ユースへの勧誘段階で争奪戦が起こり、大金を積んで…という事態が再現される。ここが思案のしどころだ。完全ウェーバー制度という現在の方向とはまったく異なるベクトルが必要になる。
(私自身は、ドラフト制度を徹底させることよりも、入団後の流動性を高めることの方が、戦力と経営のバランスをとるには有効なのではないかと思っている)
 また、ユース育ちの選手がMLBに流出することに対しても、歯止めは必要になるだろう。

 というわけで、乗り越えるべき制度上の壁が結構大きいのは確かだが、それさえ乗り越えれば、なかなかよい仕組みではないかという気がする。
 これまで、日本のプロ野球にとって、若年層の育成というのは、ある種のタブーだった。いや、タブーと意識されていたのかどうかはわからないが、高校までは高校野球の領域、という縄張りが存在し、越境することに対してはアマチュア野球の側から強い拒否反応があった。
 だが、そのアマチュア側がここまで錯乱するに至っては、プロ野球が自前で若年層を育成することを、そろそろ本気で考えてもよさそうな気がする。

 たかだか12のプロ球団が数十人づつの選手を集めたところで、高校野球部員の数からすれば微々たるものだ。これが高校野球の存在を脅かすものになるわけではない。Jリーグ創設時に、各クラブに下部組織の設置が義務づけられ、ユースチームが発足した時にも同様の論議はあったが、現在は高校サッカーとユースは共存している(高校サッカーのレベルが低下した、という声はあるようだが、一方で大学サッカーのレベルは向上しているように見える)。選択肢が増えることは悪くないと思う。

 野球をしたい10代の青少年にとって何がベストなのか。ひいては、日本の野球にとって何がベストなのか。この件の根本に置くべき指針は、これに尽きる。
 高野連の爺さんたちの頭の中には、そういう考えがあるのかどうか。


*3日に高野連が発表した最終結果は376校。

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吉井妙子『夢を見ない男 松坂大輔』新潮社

 入手してからしばらくは職場の机の脇に積んであった。たまたま手に取ったら面白いので、そのまま一晩で全部読んでしまった。ちょうど、松坂が初めてMLB公式戦に先発する夜のことだった。今は自宅で地上波しか入らないので生中継は見られない。そのまま眠って一夜明けたら、松坂はあっさり10三振を奪って初勝利を挙げていた。絶好調というわけではなさそうだが、坦々と投げて、当たり前のように勝つ。まさに彼が言う通り、「夢」ではない現実がそこにあった。

 タイトルの意味は、開巻まもなくレッドソックスの入団発表記者会見の様子を記した第一章で明かされる。<「大リーグ入りの夢が叶った今の気持ちを聞かせてください」>という米国人記者の質問への松坂の答えの中にある。
「僕はもともと夢という言葉は好きではありません。見ることは出来ても叶わないのが夢。僕はずっとメジャーで投げることが出来ると信じ、それを目標としてやって来ました。信じてやってきたからこそ、今ここにいられるのだと思います」
 夢を見るのでなく、目標を掲げてそれを目指す。著者は松坂から口癖のようにそう聞かされてきたと書く。各界の成功者の口からしばしば出てくる成功の要諦に通じるものがある。

 著者は朝日新聞出身のスポーツライター。中島悟や清水宏保についての著書がある。1人の選手を長期にわたって取材し続けることが多い。松坂に関しても週刊誌(確か文春)に聞き書きの連載を持っていた。
 スポーツライティングの世界には、有名選手や監督に長期間密着してさまざまな媒体に書いていく“食い込み系”ともいうべきライターが少なくない。そういう人たちが書いたものには、被取材者との親しさをひけらかすかのようないやらしさを感じたり、被取材者の言い分を無批判に垂れ流す“お筆先”っぽさを感じたりすることがしばしばあるのだが、著者の書くものにそういう匂いを感じたことはない。取材対象への大いなる敬意は明らかであっても、相手と一定の距離感を持ち、書き手の中で消化した上で読者の前に出してくる。そういう節度を感じる。誰を持ち上げるでもなく誰を貶めるでもない筆致は、読んでいて心地よい。

 プロ入り以降、私が松坂に抱いていた印象は、「有り余る素質を持ちながら、肝心なところで勝てない投手」だった。シドニー五輪予選と本大会、ジャイアンツとの日本シリーズ、近鉄との優勝争いの中で中村紀洋に食らった逆転ホームラン。桧舞台に立ち、自分の手で栄光を掴むチャンスを目の前にしながら、ことごとく敗れていた。何か精神面で問題があるのではないかと感じていた。
 だから、著者が本書で松坂のプロとしての意識の高さ、プライベートな場での周囲への気配りを称賛し続けることには、疑ったわけではないけれど、読んでいて若干の違和感を感じていた。
 だが、読み進むについれて違和感は氷解した。松坂といえども最初からそうだったわけではない。プロ入り後しばらくは、試合後にクールダウンもせず、高校時代の友人に誘われるとそのまま遊びに行って朝まで帰らない(酒は飲まないそうだが)こともしばしば、という若者だったという。それでもあれだけ勝っていたのだから呆れるが(笑)。

 そんな松坂を変えたのは2002年の右ヒジ痛による長期戦線離脱、そして、年上の恋人の粘り強く厳しい叱責だったという。つまり、今の彼の妻だ。著者は松坂のプロ入り1年目のオフに彼と知り合い、友人として付き合ってきたが、スポーツアナウンサーだった妻とも2002年のソルトレーク五輪で知り合い、その真摯な仕事ぶりに感銘を受けた(もちろん松坂の交際相手だということはその前から知っていたわけだが)。以後、それぞれから相談を受けたりしていたようで、2人の交際についても1章を費やして詳しく記している。
 どちらかというと妻寄りの目線で書かれているが、著者がそうなるのも無理はない。別に女同士だからというわけではない。妻にとって松坂との恋愛は二重の戦いだった。世間の厳しく嫌らしい目との、そして、自らの素質を大事にしない松坂大輔のメンタリティとの。何度も破局の淵に立ちながら、2人は危機を乗り越える。初の日本一、アテネ五輪でのキューバへの勝利、そしてWBCでの世界一という近年の松坂の栄光は、妻なくしては得られなかったに違いない、と本書を読んだ人なら誰もが感じるだろう。レッドソックスとの交渉の中で、ことあるごとに家族のことを口にしていたのも納得できる。

 順序が逆になったが、本書は、昨秋のポスティングからレッドソックスとの契約成立に至る経緯から始まる。かなり詳細に書かれていて、MLBのスカウティングや契約交渉についての、よいケーススタディの材料になりそうだ。松坂がなぜスコット・ボラスと代理人契約を結んだのか不思議だったのだが、それも納得できる。

 いろんな意味でバランスがよい本。この春は何冊もの松坂本が出版され、書店のスポーツ棚に並んでいるが、まずは選んで間違いのない1冊だ。

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アマチュア球界に代理人制度を導入する、という試案。

 西武ライオンズのアマチュア選手獲得における不正な金銭供与についての中間報告が発表された。いろいろ物議をかもしているようだが、アマチュア球界の指導者170人に金を渡した、という人数の多さは目を引くが、内容的にはさほど目新しくはない。プロもアマも関係者は衝撃を口にしているが、それは内容そのものというよりも、皆でないふりをしてきたことが公になった、という事態に対してなのだろう。

 私がもっとも知りたかったのは、逆指名制度の導入以前と以後で金銭供与は増えたのか、逆指名や希望枠で入団した選手に対して不正な金銭供与を行った度合は有意に高いのかどうか、という点なのだが、いくつかの新聞で報告書の概要に目を通した限りでは、その点については触れられていなかった。
 プロ側もアマ側もメディアも「ドラフトの希望枠が不正の温床」という点では意見が一致しているようだが、実際のところ、それはあくまで推測であって、実証した人はいない(球団内部で情報を握っている人はいるだろうけれど)。根拠が曖昧なままに制度をいじろうとしているわけで、それはいささか無理のある話だ。
 その意味では、今回はひとつの球団の二十数年間にわたる選手獲得活動のすべてを調査するというまたとない貴重な機会だ。調査委員会の先生方には、ぜひそのあたりもしっかり数字で示していただけるとよいと思う。

 さて、この発表についてさまざまな球界内部の人の談話が紹介されているが、