「チェアマン続投」に思うこと。

 Jリーグの村井満チェアマンの再任が内定したという。
 それ自体の是非は今は問わない。ここで書きたいのは別のことだ。

 私はこのニュースを朝日新聞の紙面で知った。次の記事だ。

Jチェアマン 村井氏続投へ サッカー

 Jリーグは2日、役員候補者選考委員会を開き、3月に任期が切れる村井満チェアマン(56)の続投を決めた。3日にある臨時理事会をへて内定、3月の総会と新理事会で正式に再任が決まり、2期目(1期2年)に入る。(以下略)>
 
 気になったのは、見出しにもある<続投>という表現だ。
 あまりにも日本語に浸透しすぎて今さら意識することもない人が多いと思うが、これはもともとは野球から来た言葉である。例えばYahoo辞書でこの言葉をひくと、大辞林第三版の、こういう解説などが見つかるはずだ。
<①野球で,投手が交代せずに引き続いて投球すること。
②転じて,任期を終わろうとしている者が,辞任せず引き続き任にあたること。 「今度の事件で首相のーーの目はなくなった」>
 
 一般的な日本語では「再任」とか「留任」という言葉で表現される事態を表すわけだが、野球で「続投」という言葉が使われる典型的なケースは、投手が走者を出してピンチを招き、ベンチから投手コーチがマウンドに行って何やら話し合いが行われたけれど、交代せずに投げ続ける、というような状況である。単に次のイニングも引き続き投げるというだけでなく、交代も考えられるけどやっぱり続けることにした、というニュアンスが付与されているので、比喩として用いるにはなかなか味わい深い。
 
 だから、政治家や企業人など別の世界の人事に対して比喩として用いられることには何の違和感も持たないのだが、サッカーとなるとスポーツどうし。わざわざ別の競技から引っ張ってこなくてもいいんじゃないかな、という印象がある。だいぶ前にも誰かとそんな議論になり、じゃあ「続蹴」がいいのか、などという話も出たが、そんなサッカー用語はない。わざわざ意味のよくわからない造語を使うのも妙な話で、なんとなく結論が出ないままに終わった。
(球技ライターの党首こと大島和人さんは「契約続行」の略語として「契続」を使おうと提唱している。「ケイゾク」とカタカナにすると何か禍々しい未来が待っていそうでもあるが)。

 記事が掲載された日の夕方、朝日新聞のサッカーを専門とするベテラン記者がツイッターでこの記事を紹介していたので、つい<サッカーの記事で「続投」はやめませんか?>などと@ツイートをしてしまった。返事はなかったもののリツイートされたので、それに対するコメントが彼のタイムラインにいくつか見られた。
  <(サッカーファンは細かいなー)>という書き込みもあった。これを書いた人は21歳だそうなので、まあ知らなくても無理はない。彼が生まれる前のことだから。
 
 チェアマン、という言葉で英和辞典を引けば、議長、座長、司会者、委員長、会長、頭取といった訳語が並ぶ。だから、肩書きを英訳すればチェアマンと呼ばれることになる日本人は少なくないはずだ。
 だが、日本国内でカタカナの「チェアマン」という肩書きを名乗り、ほぼ全国に知られた人物は、川淵三郎の前にはいなかった。Jリーグの初代チェアマンである。
 この耳慣れない呼称を、川淵はあえて選んだ。それだけではない。Jリーグは、さまざまな耳慣れない言葉とともにスタートした。スタンドを埋める人々は「ファン」ではなく「サポーター」。クラブの本拠地は「フランチャイズ」ではなく「ホームタウン」。そして、「会長」や「コミッショナー」ではなく「チェアマン」。
 競技スペースを「ピッチ」と呼ぶのはもともとのサッカー用語だが、上記の3つはJリーグが独自に定めた言葉といってよい。川淵は、日本のプロ団体スポーツの先行者で成功例である野球との差異を強調するために、あえて新しい言葉を用いた。
(孫引きになるが、たとえばこういうところに当人たちの証言が紹介されている)
 新しい言葉が、Jリーグというものの新しさを、より印象づけた。それが1993年だった。
 
 そんな経緯を記憶している者にとっては、まさにその川淵三郎の数代後の後継者の人事を伝える記事に、無造作に野球用語が使われているのは驚きだった。当時の状況を私などよりずっと熟知しているであろうベテラン記者が、その言葉を使っていることにも驚いたのだった。
 
 ツイッターでは「続投」に肯定的な書き込みも散見された。 「再任」では微妙なニュアンスが伝わらないという意見もあった。
 ただし、検索してみると、このニュースを伝える新聞の多くは「再任」という表現を使っている。ネットで検索して確認できた範囲では、読売、毎日、報知、スポニチ、日刊スポーツが「再任」を使っていた。朝日と時事通信は「続投」だ。「やっぱり野球がサッカーより上だ」、あるいは、「もはや言葉にこだわる必要もないほどサッカーが定着した」などと朝日新聞が判断したのかどうか、私にはわからない。単に言葉に無頓着なだけかもしれない。
 
 野球用語には、このように一般社会で比喩的に使われる言葉が多い。
 昨今相次いでいるニュースキャスターの交代においても、岸井氏もフルダチも国谷さんも、伝える記事の多くは「降板」と表現している。「登板」も同じように使われる。「代打」「空振り」「外野」などもよく耳にする。
 
 このように言葉が一般化しているスポーツは、他に相撲くらいしか見当たらない(「寄り切る」「仕切り直し」「徳俵に足が掛かる」等々)。もともと日本発祥で、昔からあり、人々の生活に根を下ろしてきた相撲と比較可能なほど、野球の言葉が土着化しているというのは驚くべきことだ。そもそも、これほど競技用語が日本語化されている西洋発祥のスポーツが他にあるだろうか。
 
 昨年、女子サッカーやラグビーで「ブームから文化にしたい」という代表選手の言葉が話題になった。どうなったら文化になったと言えるのか、という問いも議論になった。このように「用語が一般社会で比喩として用いられ、出自が忘れられるほど定着する」という現象は、そのスポーツが文化となったことを示すひとつの指標といえるかもしれない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

アギーレ八百長疑惑があぶりだす日本メディアのメンタリティ。

 サッカー日本代表監督に就任したばかりのハビエル・アギーレに、スペイン時代の八百長疑惑が持ち上がって2か月余り。裁判所が検察の告発を受理するに至っていないということもあり、年明け早々のアジアカップには、アギーレ体制のままで臨むことになった。
 アジアカップの成績次第でメディアの態度も変わるだろうから、大会直前の今、2014年末時点で思うところをまとめておく。
 
 まず、現時点での事実を確認しておく。

アギーレ監督、八百長疑惑を否定
AFP=時事 12月28日(日)8時34分配信

アギーレ監督、八百長疑惑を否定
都内で行われた記者会見に臨むサッカー日本代表のハビエル・アギーレ監督(2014年12月27日撮影)。
【AFP=時事】サッカー日本代表のハビエル・アギーレ(Javier Aguirre)監督は27日、サッカー界を揺るがす八百長疑惑について、その関与を否定した。
 スペイン検察は、2011年にレバンテ(Levante)に勝利したレアル・サラゴサ(Real Zaragoza)がスペイン1部リーグからの降格を免れた一戦で、サラゴサの指揮官だったアギーレ監督ら41人が不正が行ったと主張している。
 アギーレ監督は、来年2月にはバレンシア(Valencia)の裁判所に出頭することになっている。
 都内で行われた会見でアギーレ監督は通訳を通じ、「12年間スペインサッカーにかかわって過ごしたが、倫理やプロフェッショナリズムに反したことはない。何も受け取ったことはないし、何かを頼んだこともない」と語り、当局に協力していくと誓った。
 検察当局は、サラゴサが総額96万5000ユーロ(約1億4000万円)をクラブのコーチ陣やスタッフ、選手の銀行口座に振り込み、その金を「賄賂」としてレバンテの選手に手渡したとしている。
 日本サッカー協会(JFA)は、疑惑がある中、アギーレ監督が来月オーストラリアで開催される第16回アジアカップ(2015 AFC Asian Cup)で指揮を執るとしている。【翻訳編集】 AFPBB News

 読んでおわかりの通り、AFP=時事は「スペイン検察は…主張している」「検察当局は…としている」と、疑惑の内容については、あくまで、検察がそう主張している、という書き方に終始している。有罪判決が出るまでは被告人を無罪として扱うべし、という「無罪推定の原則」に則った書き方で、事件報道の基本のキであり、報道というより法治国家の基本のキでもある。
 だが、この基本のキにまったく敬意を払う気のなさそうなメディアが少なくない。
 その典型例がスポーツニッポンの次の記事だ。

 逆ギレ!辞めない!アギーレ監督 釈明会見で潔白主張も根拠示せず
 八百長疑惑でスペイン検察当局に告発された日本代表のハビエル・アギーレ監督(56)が27日、東京都文京区のJFAハウスで釈明会見を行った。会見は約40分に及び、逆ギレ気味に潔白を主張したが、肝心の“疑惑の金”に関する説明はなく、無実の根拠は一切なし。辞任の意向がないことを強調し、騒動の渦中にいることに対する謝罪もなかった。[ 2014年12月28日 05:30 ]

 長いので前文だけの引用にとどめたが、「逆ギレ気味」「無実の根拠は一切なし」「謝罪もなかった」などの文言は、あきらかに書き手が「アギーレが悪い」という前提に立っていることを示している。

 別の日のスポーツ報知の記者コラムには「潔白証明できなければ身を引くべき」とあった。
 犯罪の疑惑にもいろいろある。犯罪が行われた日時と場所が特定されている殺人のような事件なら、疑われた者が自ら潔白を証明することは可能だ。その日時に別の場所にいたことを証明すればよい(いわゆる「アリバイ」という奴だ)。
 だが、アギーレにかけられた疑いは、試合相手に対する買収への関与だ。日時も場所も相手も特定されていないのだから、それを「した」ことの証明はできても、「していない」ことの証明などできるはずがない。告発内容がこの記事の通りであれば、アギーレの潔白が立証されるケースは「捜査当局が有罪を立証できなかった時」でしかない。逆に言えば、捜査当局が有罪を立証できない限り、アギーレは潔白なのだ。自分で証明する必要などない。
 
 八百長疑惑がなかったとしても、アギーレは評判の悪い代表監督だった。
 そもそもの出発点として、6月のワールドカップブラジル大会で日本が2敗1分と惨敗した後で、原専務理事兼強化委員長がすみやかに後任監督をアギーレに選んで就任させたことに対して、「総括もしないのに早すぎる」と不満や不信感をあらわにしていたメディアやサッカーライターは少なくなかった(4年前には「監督選びが遅い」と非難されていたものだが)。
 そして、アギーレが前任者とはかなり異なる顔触れを代表に選び、しかも試合ごとに大幅に入れ替えることに対しても、非難がましい声は強かった。とりわけ10月に行ったブラジルとの試合に代表経験の浅いメンバーで臨み、大敗したことに対しては、「ベストメンバーで臨むべきだった」と批判する声がとても強かった。
 就任以来、試合ごとにメンバーが大幅に入れ替わっているアギーレ代表にあって、なぜこの人たちはこれが「ベストメンバー」ではないと断言できるのだろうかと、私は不思議だった。ザッケローニ時代のベストメンバーが6月に「世界」にまったく通用しなかったのだから、今度は別のメンバーで試してみる、という考え方には合理性がある。ザッケローニはある時期からメンバーを固定して新しい選手の起用に消極的になっていたから、今のJリーグの20代前半には、国際経験に乏しい有望選手が大勢いる。彼らを厳しい環境下に放り込んで、どの程度やれるのかを試してみるには、このブラジル戦は絶好の機会ではないか。
 その後、アギーレはアジアカップ前の最後の2連戦には遠藤らザッケローニ時代のベテランも呼び戻し、難敵オーストラリアを相手に手堅く勝利した。初期のテスト期間に試した選手からも、武藤ら数名を確保している。就任から半年足らずで大陸選手権を戦わなければならない監督の準備期間の使い方としては申し分がないと私は思うのだが、そう思わないメディアやライターは少なくないようだ。
 
 八百長疑惑の報がスペインからもたらされたのは、そんな状況の中だ。当初は現地メディアが取りざたしていただけだったが、12月に検察当局が告発に踏み切ったことで、アギーレ批判(というより非難)報道は爆発した。その多くがアギーレを黒と決めつけんばかりの勢いであることは前述の通りだ。
 
 スポーツ紙がアギーレを黒と決めつけるのは、単に事件報道の基本など知らない人が多いからなのかも知れない。
 だが、キャリアの最初に事件報道の基本を叩き込まれるはずの全国紙でも、ほとんど同じような論調が見られることには驚いた。

 朝日新聞のベテランサッカー記者である潮智史編集委員が12/20付のスポーツ面に書いた署名コラムのタイトルは<アギーレ監督続投 グレー状態でいいのか>だった。ネット上では有料なのでリンクは貼らないが、コラムには<でも、それは法律上の話であって、ピッチの上に目を向ければ、このままグレーの状態では相当にややこしい話になる><将来、無実が証明されたとしても、それまでに傷ついた名誉や損失は取り戻せるだろうか>といった文言が躍っていた。グレーでいいのか、と協会に詰め寄りながら、決して「解任すべき」とは書かないところには計算を感じる。日本経済新聞の武智幸徳記者も、ほぼ同じ趣旨のコラムを前日の日経に掲載していたが、具体的な提案を示していた分だけ、武智記者の方が潔いと思う。
 日経は経済新聞だから、物事の判断基準が損得勘定にあったとしても、それなりに納得はできる。だが、朝日新聞は長年、人権の守護者のように振る舞ってきた新聞だ。その紙面に、疑わしきは罰せよと言わんばかりのコラムが堂々と掲載されたことには本当に驚いた。

 潮記者が無罪推定の原則を知らないとは考えにくい。それでもこんなふうに書かずにいられないのはなぜなのか。Jリーグ以前からサッカーを取材している記者やライターからは、サッカーが取材対象というより、自身がサッカーファミリーの一員としてサッカーに貢献したい、という気持ちをひしひしと感じることがある。潮記者や武智記者もその世代の人だ。潮記者は確か筑波大で中山や井原と一緒にプレーしていた大学サッカー部出身と聞く。
 そういう経歴の人たちにとって、アギーレは「俺の大事な日本サッカーに傷をつける、ろくでもない人物」と感じられるのかも知れない。この件に関する潮記者のツイートを読んでも、とにかく感情的でナイーブな印象を受ける。
 武智記者にしても、彼には珍しいタイプの文体と感じる。あまり一喜一憂せず、落ち着いた独自の視点に立ったこの人のコラムが私は好きだったので、この文章の冷淡さにはかなり衝撃を受けた。彼にも潮記者にも、そしてスポーツ紙にも共通して感じられるのは、アギーレに対する冷たさだ。
身内を信用しないわけにはいかないんじゃないかなというのが、自分自身の哲学ではあります>と本田圭祐は語ったそうだが、記者たちはアギーレを身内とは思っていないようだ。「外国人が外国で起こした問題なのだから、さっさと厄介払いしてしまえばよい。俺たちには関係ない」という考えが、アギーレを非難する記事には通底しているように感じる。
 
 だが、本当にそうなのだろうか?
 
 報道によるとスペインでは2010年に八百長を禁じる法律が設けられ、今回が最初の適用事例になりそうだという。欧州サッカー界で八百長が深刻な問題になっていることも確かなようで、UEFA.comの日本語版を検索しただけでも、UEFAが真剣に対策に取り組んでいると伝える記事がいくつも見られる。

UEFA、八百長との徹底抗戦をあらためて表明 
UEFAとユーロポール、八百長対策で覚書締結
UEFAが八百長防止の新システムを導入 

 90年代にフランスのマルセイユ、2000年代にはイタリアのユベントスが、それぞれ八百長を仕組んで発覚し、大スキャンダルになったことは記憶に新しい。どちらも欧州主要リーグの強豪クラブである。アギーレはスペイン。どこで何が起こってもおかしくはない。一方で、欧州に渡って活躍する日本人選手は増えるばかり。つまり、日本人選手が八百長問題に巻き込まれる可能性も、着実に大きくなっている。例えば本田圭祐にロシア時代の八百長疑惑が持ち上がったりしたら、日本のメディアや記者は「疑惑をかけられた選手は代表から身を引くべき」「危ない橋をこの選手と一緒に渡る義理はない」と書くのだろうか。
 
 今年7月に邦訳が出たデクラン・ヒル「あなたの見ている多くの試合に台本が存在する」(カンゼン)は、世界のサッカー界における八百長について書いたノンフィクションだ。思わせぶりな邦題から暴露本を想像して敬遠していたのだが、アギーレの疑惑を機に読んでみた。邦題に反して、実際の内容は学術書に近く、豊富な実例を集めて、八百長のメカニズムを解説している。原題は「The Insider's Guide to Match Fixing in Football」という。Matxh Fixingが八百長のこと(余談だが「八百長」という日本語は「tsudaる」とか「エガワる」のような符丁に近い言葉なので、翻訳記事や本に使う訳語としては違和感がある。もっと単刀直入な訳語を考えた方がよいのでは)。
 八百長とならぶスポーツ界の大問題、ドーピングについて、このblogではかつて「ドーピングの社会学」という優れた研究書を紹介した。本書はそれに匹敵する八百長の研究書のように思う。私にとってはさまざまな発見があった。
 もっとも基本的な事項としては、世界の八百長組織の中心地は東南アジアなのだそうだ。賭博のために八百長を行う組織があり、彼らが欧州サッカーの現場にも進出している(もちろん欧州オリジナルの組織もある)。賭博のために八百長を試みる人々が選手や審判に接近する方法は、日本で暴力団員がスポーツ選手や芸能人に近づく方法にとてもよく似ている。ご承知の通り、Jリーグは近年、東南アジアを市場として強く意識し、進出を図っている。元Jリーガーで東南アジアのリーグに移籍する選手も増えている。ヒルの著書によれば、八百長に関与する選手は決して特別な悪人ではない。ごく普通の選手が、さまざまなきっかけで八百長の世界に引きずり込まれてしまう。
 
 サッカーはグローバルな競技で、日本国内で完結しているわけではない。リーグも選手も世界に出て行く以上、世界で起こっている潮流と無縁でいられるはずもない。「スペインに学べ」とか「世界基準で戦え」とか日頃から声を大にして書き立てているサッカーメディアやライターが、アギーレの八百長問題についてはかたくなに国内基準を当てはめようとしているのは奇異なことだ。
 八百長という問題は、アギーレを切り捨てれば厄介払いできるようなことではなく、日本のサッカー界がいずれは直面する可能性のあることなのだという覚悟があれば、今回の一連の報道も少し違ったものになると思うのだが。
 
 念のため書いておくが、私はアギーレが無実だと信じているわけではない。現時点では何とも言えないと思っているだけだ。スペインの司法当局がまだ判断できていないことが、私にわかるはずもない。検察が、関係法の初の適用事例として告発するのであれば、絶対勝てそうな事案を選ぶのが人間の心理というものだ。FOOT!での倉敷保雄アナのように「欧州サッカーに詳しい人にとってはよくあること」などと過小評価するつもりはない。
 外国の司法当局の動きを日本で先回りして把握したり、影響力を行使することなどできるはずもないのだから、JFAに対しては、現時点ではアギーレ率いるアジアカップで最善の闘いができるように代表チームをサポートし、全体的には今後起こりうるあらゆる事態を想定して、すみやかに対応できるよう準備しておくことを望むばかりだ。
 仮に2月以降にアギーレが退任するような事態に発展したとしても、このアジアカップでアギーレから学べるものはあるはずだ。この経験豊富な指導者を無駄遣いせず、美味しいところを絞り尽くすことを考えてもらいたい。
 
 さしあたり、欧州から帰国した選手たちから聞こえて来る談話は「今は大会に専念するしかない」という落ち着いた内容ばかりだ。「選手が動揺したらどうするんだ」と協会に詰め寄っていた記者たちは、振り上げた拳を降ろす先に困ったのか、「選手が質問しないからよいというものではない」などとつぶやいたりしている。
 
 そもそも、多くのサッカーメディアやライターは、6月の惨敗の後、日本人には戦う気持ちが足りないとか勝者のメンタリティーが必要だとか声を揃えていたはずだ。今、我々の代表監督は、八百長に関与した疑惑を受けて司法当局に告発されても「有罪判決が出るまでは無罪だ」と言い張って戦い続けようとしている。この図太い神経と戦う姿勢こそ、彼らが日本人に足りないと主張していた類いの精神性ではないのか。
 アギーレがこの段階で「世間をお騒がせして申し訳ない」と身を引いてしまうような人物だったら、そもそも2014年8月のタイミングで呼ぶ価値はない。我々の代表選手はぜひここにも学んでもらいたいし、この問題で動揺してアジアカップに失敗するような選手は代表には必要ない。転んでもただでは起きないしぶとさをオーストラリアの地で見せてほしい。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

ワールドカップ2014ブラジル大会に関するツイート集。

ものすごい今さら感だが、次期代表監督も決まったところで個人的記録としてのまとめ。後で表記や注釈を書き足す予定。

*********************************

2014年06月03日(火)
W杯イヤーになるたびに、やたらマニアックなサッカー本を出す白水社。今年もやりましたな。読んでみたい。/ジョナサン・ウィルソン著 実川元子訳 「孤高の守護神 ゴールキーパー進化論」http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.pp?pro_id=08358…

6月7日
なぜザンビア?と思ったが、試合をしてみればいチームだった。さすが2年前のアフリカ王者。内田も山口も寄せたのにやられている。コートジボアール戦に向けて、貴重な実習になったのでは。そして最後の最後に大久保のあのスーパーゴール。DFを押さえながらいい場所に回り込む動き。凄かった。
posted at 10:50:36

@May375 今回のスケジュールには、過去4大会の積み重ねが随所に感じられますね。ただ、FOOT×BRAINでリポートしてたけど、ブラジルでの拠点はコートジボワールの方が良さそうでした。日産にいたオスカーが経営する高級リゾートで、本人も「日本に来てほしかった」と苦笑してたしw

6月11日2010年大会では西村氏、相楽氏と韓国人副審のトリオだったけど、今回は日本人3人のチームで選ばれたというのも素晴らしい。/日本の西村雄一氏がW杯開幕戦ブラジル対クロアチアを担当(SOCCER KING) http://brazil2014.headlines.yahoo.co.jp/wc2014/hl?a=2040611-00198736-soccerk-socc…
posted at 20:03:13

6月14日
日本の試合はもちろん楽しみだが、昔のように無闇に浮き足立つ感じはない。もはや日本代表は私にとって、我が子のように心配な「私たちそのもの」ではなく、頼もしい「彼ら」、という感じの距離感なのだろう。むしろ、ジョホールバルのあの円陣が「私たちそのもの」と思えた僥倖にこそ感謝したい。

6月15日
もうまったくもって武藤師に同意。>RT

6月16日
それにしても、まだ全グループの初戦が済んでないというのに、びっくりするような逆転劇が次から次へと起こる。よほど気候が困難なのか、欧州リーグで疲弊している選手が多いのか、他に理由があるのか。梅雨の中で行われた日韓大会も、番狂わせは多かったが、大逆転劇はさほど記憶にないなあ。

あ、念のため書いとくけど、日本-コートジボワールは、日本人以外にとっては、別段「びっくりするような」逆転劇ではなかったと思うけど。単に「コートジボワールがシュートを盛大に外したけど何とか必要最小限の本数は入った」と思われてそう。

先方には先方の事情がある。勝つにせよ負けるにせよ、自分たち側の事情だけで決まるわけではない、ということですな。/日本戦逆転弾のジェルビーニョ「以前の僕たちだったら負けていた」 http://www.soccer-king.jp/news/world/2010616/200984.html… @SoccerKingJPさんから

90年代頃の欧州では、代表の重鎮はマテウスとかバレージとかブランとか守備的な選手が多かった気がする。そういうタイプはプジョルあたりが最後かも(シャビもピルロも位置は後ろでも攻撃の人)。守備的な大物が減った傾向と、W杯のこの逆転の多さに、何か関係があるのかどうか。

98年にも現地フランスのテレビニュースでしきりに紹介されてました。よほど珍しかったらしい。16年経ってもやっぱり珍しいのか。/初戦悔しい敗戦も、日本ファンが試合後ゴミ拾い…海外メディア賛辞 http://www.soccer-king.jp/news/japan/natonal/20140616/201153.html… @SoccerKingJPさんから

テレビカメラとギャラと関係者パスがなければスタジアムに足を運ばないような人は、サッカーファンではなく単なる「サッカーで収入を得ている芸能人」に過ぎない。明石家さんまがどっち側の人かは知らないが。どっちにしてもあのメッシへの質問は「そっち側の芸能人」としては永久資格停止レベル。

6月17日
「自分たちのサッカー信奉」への批判がTLに散見される。ごもっともなのだが、リアリズムと信奉の間を行き来してきたのが日本のW杯でもある。直前でリアリズムに転じて好成績を挙げた2010年の次だからこそ、今度は「自分たちのサッカー」でどこまで行けるか試す回なのだと個人的には思っている。

98年は理想も何も、守るのに精一杯だった。2002年は自分たちのというよりフランスの奇人の理想に沿って戦ったが、幸運にもそこそこ日本にフィットした。2006年は理想だけ掲げて大破した。2010年は理想を求めたが直前に限界と判断してリアリズムに転じ、好成績。そんな感じ。

いま選手たちが「自分たちのサッカー」と言ってるようなことを放棄し、「守ってカウンター」「フィジカルで勝負」みたいなサッカーをやると標榜して代表チームを運営しても、日本ではまず支持されまい。予選はもはや勝って当たり前扱いだから、結局、W杯本大会で勝つことでしか正当化できない。

承前)そして本大会で勝って正当化されても、それが継承されることはなくて、次の大会に向けては「やっぱりパスを回して崩すサッカーをやろうよ」という風向きが圧倒的になる(実話)。要するに、我々日本人はああいうのが好きなのだ。「良さ」とか「得意」とかいう以前に、どうしようもなく「好き」。

@toronei ああ、確かに。継承されるであろう唯一のケースが優勝ですね。代表だけでなく、日本サッカー全体の価値観が変わるかも知れません。

@kettosee 「挑戦者」の立場から「世界」という漠然としたものを目指すのではなく、「世界」の一員としてこの大会でこの相手とどう戦うのかを考えなくてはならない段階なのでしょうね。相手も日本を対等とみなして研究し、倒しにくる、というステージまで来たこと自体は感慨深くもあります。

東京新聞の「こちら特報部」が、椎名林檎の「NIPPON」が右翼的、とか何とか。NHKの右傾化と関係があるとか言ってる「識者」もいるが、会長就任より前から動いてた話じゃないかね。この次元のことをこんなに騒ぐと、大事な報道も「また東京がやってるよ」としか見えなくなってしまう。

加地が<以前から海外移籍を強く希望>? 東京時代には「サッカーやめたら保育士になりたい」とか話して、さほど執着なさそうだったのになあ。ともあれ新天地での健闘を祈る。/G大阪加地 米MLS・チバスUSA移籍 http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-c-tp1-20140617-1319195.html…


6月19日
「心中察するに余りある」という言葉があるけれど、今のカシージャスの心中は察したくない。想像するだけで辛すぎて、とても耐えられそうにないから。ゴールキーパーというのは本当に怖い役割だと思う。もちろんメキシコのオチョアのように、一夜でヒーローになれることもあるけれど。

6月20日
恥じることはない試合だった(最後の数分に諦めが感じられたのは残念だが)。しかし結果はついてこなかった。これだけ自分たちのペースで試合を進めながら得点が得られないのであれば、もはやこれが実力と考えるしかない。いよいよ「自分たちのサッカー」について考え直す時期が来たのかな。

TLを見てると監督を責めるツイートが多いなあ。パワープレーや3人目の交代を云々する以前に、遠藤や香川の投入以後、あれだけチャンスを作って、それでも得点できないというのは、監督のせいなんだろうか。私は、監督よりも選手に対して思うところの方が大きい。今後付き合うのは選手たちだし。

この試合の総括が「監督が悪い」になるのなら、結局日本代表はトルシエ並みの約束事将軍の下でしか、よい結果を残せない、ということになりはしないか? ザックの次にそういう監督を連れて来たとして、選手やファンが4年も耐えられるかどうかという問題が生じそうだが。

まあしかし、日本代表に何が足りないって、そりゃ高くて早くて屈強でパスが出せて状況判断がよくて逆境に負けないリーダーシップを備えたCBでしょ。ベスト16まで行った2大会では、かなりいい線いってた。加藤久以来、代表の主力CBはキャプテンを引き継いで来たが、中沢以来、途絶えている。

選手は?と聞きたくなりますね。 @toronei でもね「自分たちのサッカー」という言葉に引きこもっていた、日本のサッカーマスコミの人たちにも、果たしてそれが言えるのかねとも思うんだよなあ。 http://twitter.com/tete_room/stats/479774591192399872… …

あれほど結果に対する責任感を堂々と口にしていた選手たちに対して、そういう態度は失礼じゃないですかね。ま、今じゃなくて終わってからでいいですけど。 @toronei ザックはもうおさらばだけど、選手はまだ付き合い有りますからね言えないんでしょ。

前のツイート、正しくは「中沢を最後に」ですな。

まあしかし、内田のアレとか大久保のアレとか遠藤のアレとかが入ってさえいれば、ここ2時間くらいTLとかテレビとかを賑わしている議論のほとんどなど存在せず、「次で決めろ!」一色になっていたんだろうな。4年前に勝ち上がったときだって、そんな紙一重の差をすり抜けてきたはずだ。

ま、第1回WBCだって、あんな絶望的な状況から他力のおかげで勝ち上がって優勝しちゃったんだから、コロンビア戦に向けて気を取り直さなくちゃいけません(あんなアレなレギュレーションとは違う、という異論は受け付けませんのでよろしく)。

ここでさりげなく「コロンビア戦以降」と書いてくる武藤さんを見習って、反省会は終了。>RT

6月21日
3人目の交代枠が云々と新聞もテレビも多くのサッカーライター諸氏もやたらに強調するのだが、あなた方がこれまで礼賛してやまなかった選手たちが2試合で1点しか取れていないことについては、どう考えているのか。監督の采配ミスが失敗のすべてで、選手はよくやった? そんな試合などあるものか。

6月24日
ドイツとアメリカが引き分ければ他の2国は勝ち点で追いつけない。両監督はかつてドイツ代表を率いたコンビ。さて、どうなるか。クリンスマンは引き分けた後のインタビューで「ドイツは優遇されてずるい」みたいな話もしてたけど…。ま、そんな星勘定ができるのもうらやましい。

6月25日
気持ちは伝わってきた前半。あれだけ激しく走ると、交代もポイントになってきそう。

日本の選手が倒れるたびに「倒された」と叫ぶのがうるさいな、このアナウンサー。松木、中山、名波のコンビネーションは絶妙なのだが。

ギリシャがどうあれ日本代表はこの試合で見せなくてはならないものがある。

香川と遠藤、失意の2ショット。中盤が日本の強みのはずだったが、相手がそこを潰しにきた時に乗り越える力はなかった。

攻撃でも守備でも一対一で勝てず、キープもできず、パスをやすやすと相手に渡してしまう。これが実力だと認めるしかない。右肩上がりの時代は終わり。中堅国になった今、ここから上に上がるのが本当に大変なのだろう。今日は気持ちは見えた。だが気持ちだけでは足りない。

3試合通しての結果は2006年と酷似しているけれど、意味合いは全然違うと思っている。2006年は単なる自滅。今回は持っているものを試しに行って負けた。メンタル面も含めて、多くの課題を露呈した。長谷部が言った意味とは違うだろうけど、20年後の礎になりうる大会になったのでは。

3試合を通じて、プレーの上でもコメントでも、いちばん納得できたのは内田だった。コンディションは決して良くなかったはずだけれども。何が違ったのだろう?経験値?

とりあえず「世界との差」ってのはやめませんか。コートジボワールと、ギリシャと、コロンビアと、それぞれどんな差があり、何を学び、どう埋めるべきなのか。漠然と「世界との差」とか言ってる段階では、もはやないはず。5大会連続で出てれば、すでに世界の一員ですよ、日本は。

@toronei そういう意味でも代表引退なんて言わずに、次のチームにいろんなことを伝えてもらいたいと思います。

ザッケローニは、これで母国の代表監督の目は消えたと思うから、どこかJリーグで監督してくれないかな。スタッフ込みだと高価すぎるか。クラブで改めて見てみたい気もするんだが。

ワールドカップで前評判が良く、台風の目になるのではと期待されながら、いいところなく敗退する国がしばしばいる(1994年のコロンビアとか)。前評判が良ければ警戒されるし研究もされる。それを跳ね返すほどの力はなく、備えもない。今大会の日本の立ち位置は、そんなところだったのかも。

@toronei CL経験者がJ監督になったり、日本人指導者が欧州リーグで監督になったりするには十分な時間ですね。16年って結構いい線かも。

@augustoparty 岡田さんについては「準備段階で負け続けたことに対する批判」と、大会後の「守備重視の試合内容に対する批判」との2段階がありましたね。

@augustoparty そこは事後も含めての話ですね。ひとつ前のツイートが事前の批判についてだったので、誤解したようです。

実は目下出張中なのだが、職場に何人かいる蘊蓄王(うち1人はS山S樹の受け売り大好き)の御託宣を聞かずに済むのは、不幸中の幸いである。

@May375 もう変わりましたけど、グループリーグ中の1時4時7時に試合開始というスケジュールは体に良くなかったですね。試合を見ながら寝落ちして、ゴールの絶叫に一瞬目が覚め、朝起きるとまた別の試合をやってる。人間を駄目にする大会ですw

6月26日
「ストライカー不在」「選手構成が多様でなかった」「個人技では限界」「競技感覚が落ちていた」「アジアサッカーは停滞」…辛辣ではあるが、日本を熟知する指導者の言葉だけに傾聴に値する。/明らかになった韓日サッカーの限界と課題 || 尹晶煥 http://japanese.joins.com/article/973/18973.html…

そうか、やっぱり新井が悪いのか>RT

@gorou_chang そうか、ザックジャパンに足りなかったのはムードメーカーでしたか!(ちがう)

@hello4020 お疲れさまです。ザッケローニ監督は素晴らしい人柄だと改めて感銘を受ける一方で、試合後の会見での発言内容も含めて考えると、この人は代表というよりクラブ向きの指導者だったのかな、という考えも湧いてきます(彼に託したのが失敗だったというつもりはありませんが)。

これが野球だと、誰もが「守備から入るのが基本」「投手力が大事」と口を揃えて、攻撃に偏ったチームは「四番打者を集めても勝てない」と蔑まれるのに、不思議です。 @nns_blackhand 何がそこまで、日本人に「守備サッカー」「糞サッカー」を嫌わせるのか。

野球は普及の初期に武道的な考え方を取り入れたため、自己犠牲をよしとする考えが今も支配的ですが、サッカーでは自己表現を尊び、「部活サッカー」が蔑まれる。対照的です。 @nns_blackhand その辺は「国民的スポーツ」としての歴史の差かもしれませんねえ

@augustoparty なるほど。ギリシャのあのサッカーをギリシャ国民は好きなのかどうかには興味があります。小国の自分たちが勝つためにはあれしかないと割り切っているのか。ギリシャとかイタリアとか、享楽的な国民性なのにサッカーは「粘り強く守り抜く」のが身上というのも興味深い。

@augustoparty 確かに。98年には「あのアルゼンチンを相手にここまで抵抗できた!」と感動しましたが、今の日本代表が同じことをしたら「5バックじゃ点は取れないよ!」とイライラしそう。見る側の自己評価(それが的を射ているかどうかは別として)にも左右されそうですね。

@augustoparty それも含めた宣伝戦というか、岡田斗司夫が昔言ってた「洗脳」が大事ということですかね。新しい戦術を取り入れた過渡期には、特に重要になりそうな。ただ、日本人の監督がそれを露骨にやると、刷り込みどころか「言い訳するな」と批判を浴びそうな気はします。

@augustoparty 広島でも浦和でも選手もサポーターもミシャを賛美してやまない理由がよくわかりましたw でもやっぱり岡田さんがトゥールーズで同じことを言ったら叩かれたような気はするなあw ちなみに5バックと言ったのは、試合当日のレキップ紙のスタメン配置図によるものです。

@augustoparty お雇い外国人も対戦相手もリスペクトしすぎてしまう、と(泣)

@augustoparty そういう批判を口にできるのは、自身もワールドカップの監督をやって1勝以上挙げた人だけだと思いますけどね。ところでコスタリカが90年以来のグループリーグ突破を決め、当時の映像が流れるのを見て、あれがミルチノビッチの声価を高めた大会だったと思い出しました。

@augustoparty とはいえ、自惚れと世間からのプレッシャーがあるからこそ世界一になれる、という面もあるのでしょうし…。サッカーでは、坂の上の雲を追って上り坂を歩いてきたけれど、尊敬と自惚れのバランスが難しい、踊り場にさしかかっているのでしょうね。

確かに。ただ、あれは「何連覇もしてるのに客が入らない」という特異な状況における贅沢な要望で、勝利優先の場合は、手堅く行かない方が批判されやすいと思います。@atsushigo @nns_blackhand ただ、野球にしても森監督時代の西武は「つまらん」と批判されてた気もします。

@hello4020 そんなザックさんだからこそ、マジック采配で嵩上げすることもなく、選手との軋轢を生じることもなく、今の日本の力をそのまま反映した大会になった気がします。この経験を次に生かしてこそこの4年間の意義がある…となると、確かに日本人コーチがいてほしかったですね。

6月27日
行きつけの書店に寄ったら、今となっては手にとる気が起こりにくい代表選手たちの自己啓発本を並べたW杯棚からだいぶ離れたスポーツ実用書棚に、永井洋一「脱パスサッカー論」BBMが平積みになっていた。5/31にこれを刊行した著者と版元に敬意を表して購入。今こそW杯棚に置けばいいのに。

6月28日
野球で日本がWBCで優勝した後、イチローらMLB組は現地解散だったけど、あのチームも「最後までバラバラ」だったのかね?現地で会見した本田が「逃げた」って?あほくさ。 【W杯】ザック日本、現地解散!海外開催では初、最後までバラバラ : http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/2140625-OHT1T50261.html…

承前)そもそも、試合後に囲み取材と監督会見があり、翌日に現地で会見をやって、なぜ帰国後にまた会見をしなくてはならないのか。慣例自体の意味がわからない。協会幹部や監督の会見くらいはやってもいいけど、選手は個別取材に対応すれば(しなくても)十分じゃないかね。さっさと家に帰してやれよ。

新聞各紙などにザッケローニ監督時代の日本代表総括がぼちぼち出ているんだけど、「監督が選手の声を聞きすぎた」とか「チームの方針をひとつに固めすぎた」とか、好成績を残せば「これが勝利の秘密だ!」と評されていそうな類いのことが多い。もっと試合内容に即した具体的な敗因分析が読みたい。

勝てば「建設的な話し合い」だが負ければ「内紛」。勝てば「選手が自主性を発揮」だが負ければ「造反」。勝てば「高い目標とモチベーション」だが負ければ「思い上がり」。ま、世の中そんなもんです。「勝てば官軍」とはよく言ったもので。

いきなり委員長は無茶だろう。加藤久の二の舞いになることを懸念する。実力会長のバックアップ(が良いかどうかは別として)も期待できないし。/宮本恒靖氏が技術委員長就任へ 37歳手腕に日本代表再建託す(スポニチアネックス) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-0000073-spnannex-socc…

それにしてもNHKは福西とか戸田とか、若手解説者の発掘と育成が巧いな。奈良橋、小島と、宮沢ミシェル以降、W杯を経験した世代では、スター性にこだわらず、守備的ポジションの選手を重用してる(森島もいるけど)。


そういえば「準備試合を弱小国とばかりやったのがいけない」という批判もあったなあ。コスタリカ強いじゃん。「同じ組なら良かったね」と言った人もいたけど。ザンビアも決して弱くはなかったし、ブラックアフリカの身体能力を相手にするレッスンになったと思うけど。

ちなみに2002年の本大会前の試合相手と結果は次の通り。ウクライナ○、ポーランド○、コスタリカ△、スロバキア○、ホンジュラス△、ノルウェー×、スウェーデン△。本大会の結果はベスト16。今年の相手国と比べて強い?弱い?

6月29日
@swimmerhagitomo ハギトモさん、よく「喝!」と言ってくれた! 「日本が負けたからもういいよ」なんて言ってたら五輪の100m中継がなくなってしまいます(笑)。

6月30日
素晴らしいリアリズム。<強心臓なんて誰が判断するんよ? ピンチに強い? ……そんなもんピンチつくらないほうがええに決まってるやんか(笑)>岡田彰布はブラジルW杯をどう見たか。「俺は野球のことしかわからんけどな」 #numberweb http://number.bunshun.jp/articles/-/82154…

この姉さんに応援団長を託すテレビ局があったら全力で支持する。<よく頑張った!なんて言いません。><だって勝ってほしいから。だって私たちにはできないことを、あなたたちに託しているのだから。>【西山繭子のBoa sorte日記(6)】http://www.sanspo.com/geino/news/2010625/oth14062519540028-n1.html…

<日本も厳しい取材制限を敷くことで記者は各国の幅広い取材を求められ、サッカー文化の醸成に繋がる>それはない。単に選手の家族友人知人恩師親類縁者の登場量が増えて、縁の薄い縁者に広がっていくだけ。 | フットボールチャンネル | http://www.footballchannel.jp/2014/06/30/pos45664/…

こういうのは各国のメディア事情が影響しているのでは。各国代表の対応が、なぜそうなるのかという背景が見えない。/しゃべりすぎた日本代表。対戦国密着取材から見えたメディア対応の違い。 | フットボールチャンネル | サッカー情報満載! http://www.footballchannel.jp/2014/06/30/pos45664/…

なぜ「それはない」かといえば、日本のメディアが求めているのは対戦相手の情報ではなく日本代表選手の情報だから(もっといえば、1面の見出しや番組紹介や中吊りに選手の名前を使いたいから)。少なくとも一般メディアはそうだし、サッカーメディアの方がもっと選手依存に見える。

<勝っても負けても「どうでもいい」>という層が渋谷や成田に現れたというだけの話では。テレビ視聴率は全体が下落傾向にあるので、過去の数字と単純に比較しても無意味。表層的なコラムだなあ。/帰国した日本代表への温かい出迎えに違和感 http://www.nikkansports.com/brazil2014/colmn/oggi/news/f-cl-tp0-20140629-1325561.html…

「違和感」と言いながら<罵声を聞きたいわけではない。もちろん、水をかけろというのでもない>って、では一体どうしてほしいの?97、98年並みに熱くなれ、と言うのなら、まだ納得できるけど。/帰国した日本代表への温かい出迎えに違和感 http://www.nikkansports.com/brazil2014/colmn/oggi/news/f-cl-tp0-20140629-1325561.html…


7月1日
<アギレ氏の優れた面として、対話により求心力を高める手腕がある>前任者は「選手の言い分を聞きすぎた」とか批判されてませんでしたっけ…。イタリアもサッカー先進国なんだけどね。/アギレ日本は多国籍軍 4カ国スタッフ http://www.nikkansports.com/soccer/japan/nws/p-sc-tp2-20140701-1326619.html…

@daijapan @HuffPostJapan サッカーW杯に限っていえば、あれほどいろんなメディアや企業、広告を通じて「応援しましょう」「感動しましょう」と呼びかけているわけですから、それに応じた人々が試合結果に失望したら、その負の感情も引き受けるのが筋ではないでしょうか。

「バドミントンが世界一になっても報道しないマスコミはけしからん」というツイートを目にしたが、してないわけではないですな。 http://www.asahi.com/articles/ASG5V3R7G5TKTQ203D.html… とか、 http://sankei.jp.msn.com/sports/news/14526/oth14052601060002-n1.htm… とか。ただ、たぶん通信社の記者しか現地に行ってない。

承前)マスコミも記者の人数は有限だから、あらゆる競技の世界大会に自前で取材者を出すことは不可能。W杯に人手を取られるこの時期は特に難しそう。有望競技から優先されるから、優勝の見込みが薄かった「奇蹟の勝利」ほど、見逃す可能性が高くなる。ただ、この優勝により、次の機会には出すかも。

承前)大手マスコミが取材に行かなくともフリーのライターさんが行くケースもある。小野伸二たちが準優勝した1999年のサッカーU-20世界選手権に日本から取材に行ったのは確か4,5人で、フリーの人の方が多かったと聞く。ただ、バドミントンにそういう書き手がいるかどうかは知らない。
p
承前)マイナー競技が競技別大会で勝ってもあまり話題にならず、4年に1度のオリンピックだけが騒がれる、という実情はある。五輪でしか大扱いしないマスコミが悪いのか、国民が五輪にしか興味を持たないのか…。

承前)こちらの記事はバドミントン界の諸事情にも触れて興味深い。http://diamond.jp/articles/-/53966 タイミングの問題もあるでしょうな。松井秀喜の引退も、表明が年末ぎりぎりだったため、テレビは正月特番ぎっしりで割り込む余地がなかったのか、特集番組はほとんど作られなかった。

一般論として言えば、「日本のマスコミはこの大問題を隠している!」と大上段に振りかざして断罪しているツイートが主張する「大問題」は、ネットで検索すると、かなり高い確率で、新聞社や通信社が報じた記事を見つけることができる。

そういえば最近は「ググレカス」という定型の批判をめっきり目にしなくなったな。自分で検索しないままに「マスコミが隠している!」と騒ぐ人が増えたことと、何か関連があるのだろうか。必要なことはTLで流れてくるからググる必要もないのだろうか?

@gots_13 4年前のW杯中継に比べて、上からつり下げるスパイダーカムの扱い方が、ずいぶん複雑で技巧的になっていると思います。あれに代表される新技術に関心が行っている分、おっしゃるようなオーソドックスな映像にあまり力が入ってない印象はありますね。

「自分たちのサッカー」というキーワードで新聞記事を検索してみたら、まあ出るわ出るわ。Jリーグ発足以前から、高校サッカーの監督や選手の談話にわんさか出てくる。ともかく我々は、自分たちが「自分たちのサッカー」という言葉を大好きなのだということは、事実として受け入れた方がいい。

承前)代表監督で「自分たちのサッカー」を多用していたらしいのは加茂周、ジーコ、そしてザッケローニ。オシムの記事にはほぼ見かけない。岡田武史は第二期の予選では使っていた。監督がジーコからオシムに変わったら代表選手が「自分たちのサッカー」と言わなくなった、という記事もあった。

承前)高校サッカーで「自分たちのサッカー」という言葉が多用される件については、こちらの記事も参考になる。/自分たちのサッカーとは? 全国高校サッカー選手権出場校から、チームがめざす方向性を考える | サカイク http://www.sakaiku.jp/column/thought2013/004061.html…

ごもっとも。<“自分たちのサッカー”に正解やゴールはありません。自分たちがどうありたいか、何を目指すためにどんなサッカーをするのかを指導者や選手たちが常に考え続けることが大事なのではないでしょうか。>http://www.sakaiku.jp/column/thought2013/004061.html…

@gots_13 喜んじゃうのは映像が場内の画面に連動してるからでしょうね。野球場で昔からあるサービスですが、テレビ見てる側は無意識の表情を見たいですね。2002年大会でアイルランドが負けた時のサポーターのおじさんの、自国代表を誇りに思う気持ちに溢れた顔は、今でも忘れられません。

アジアカップは来年1月。今後もこの日程なら、W杯後に代表監督を変えるのはタイミングとしてうまくない。コンフェデ出場やW杯予選シードを考えると、かなり大事な大会なのだから、次の監督の契約の切れ目はアジアカップまでにした方がよいのでは?W杯でダメすぎたら例外的に変えるとしても。

7月2日
しかし、デシャンとかケシとかクリンスマンとかホンミョンボとか、サッカーでも現役時代を知っている監督が増えてきたなあ。今年のNPBでは代行も含めて14人全員知ってるし(伊原はプレーを見たことはないけど選手名鑑に載ってたのは覚えてる)が、サッカー見物歴も結構長くなってきたわけか。

フランスとドイツの駐日大使館の中の人がツイッターで和やかに「準々決勝よろしく」「28年ぶりだそうですね」などと挨拶しているが、さらにその4年前、スペイン大会のあの壮絶な準決勝の録画を見たら、こんなに和やかではいられなくなるに違いないw まさに「最後にドイツが勝つ」試合だった。

7月3日
アメリカ国内のテレビで「ワールドカップを見る、記録的な大群衆」がニュースになってるところを見ると、今大会は「見るスポーツ」としてのアメリカのサッカーにとって、画期的だったのだと実感する。時差の少ない南米開催も追い風だったかな。

@Mahal やるスポーツとしてはすごく普及していたと聞きますが、見る方がもうひとつ、という認識でした。ワールドカップのたびに「中継が見られない」というアメリカ在住の人のぼやきを目にした気もしますし。得点が、というより「アメリカが1位でない競技は見ない」という印象はありますねw

@yagihexe @Mahal あの国で4大プロスポーツ並みにお金と人材がサッカーに流れ込むようになったら、さらに厄介なほど強くなるかもしれませんね。

@Mahal @yagihexe そんなに入ってるんですか。野球が食われてるんだろうか…W

@Mahal しかも「1年後にリベンジ」という物語までついてきましたしねえ(泣)

>RT 為末さんが「敗れた日本代表を批判することの正当性はどこにあるのか」みたいな質問をして、回答した人に質問を重ねて行ったら、怒りだす人が何人もいるのが興味深い。自分がなぜ怒っているのか、考えたこともない人が結構多いのだなあ。日本代表はいったい何を代表しているのか。

承前)サッカー日本代表に関してはわかりやすい。W杯前にはテレビでもコンビニでも「応援しよう」「感動しよう」と呼びかけてくるし、選手もCM収入などで恩恵を受けている。感動の空手形を切りまくった以上、人々が「感動できなかったじゃねえか」と怒りだしたら、甘んじて受けるべきだろう。

承前)難しいのはオリンピックだ。メディアや広告はW杯と同様に空手形を切るし、選手もキャンペーンに動員されるが、選手の多くはプロではないし、キャンペーンの恩恵も小さい。メダルをとっても名誉以外のリターンは不明。負けると全国民から叩かれる。リスクとリターンが釣り合っていない。

@Mahal なるほど。そういう偶然は大きいですよね。「たまたまその夜は雨が降って大勢が家にいた」とかが決定的になる場合もある。

>RT 大会中に監督自ら(スタッフかも知れないけど)こういうツイートをするマメさ加減は立派。クリンスマンのこういうところもUSAでのサッカー人気向上に一役買っているのかも。

>RT このour countryは、やっぱりUSAのことだよなあw ドイツ代表監督時代からアメリカ在住だったようだから、気持ちは半ばアメリカ人なのかも。

承前)「日本代表選手は、いったい何を代表しているのだろうか」という疑問を初めて自覚的に抱いたのは千葉すずがシドニー五輪代表に選ばれずにもめた頃だったけど、いまだにこれという答えは見つからない。ただ、ジョホールバルでの「私たちそのもの」という山本アナの言葉には当時100%同意した。

@nobody_nobody7 国民はともかく、企業としてスポーツをスポンサードするのであれば、勝利を前提とすること自体が誤っています。そこで「騙された」というのなら、企業人としてはかなり能力が低いですね。そもそも8年前の前例から学んでいないのかと。

承前)たぶん、ある時期までは、国民そのものに(全員でないにせよ、かなりの割合を包括した)一体感があり、選手はそれを代表していたのでは。今は国民の利害も関心もばらばらで、むしろ五輪やW杯の時だけ一体感が醸成されている感じ。「代表選手」の意味合いがまったく変わっているのかも。

承前)スポーツの大会のキャンペーンで、「ひとつになろう」的な文言が、いつからこんなに頻発されるようになったのだろう。少なくとも前の東京五輪の頃にはなかったんじゃないか(広告キャンペーン自体がなかったかも知らんけど)。2011年以降増えたとは思うが、もう少し前からあった気も。

承前)クリンスマンのツイッターなどを見てると、チームUSAのキャッチフレーズもOneNationOneTeamというらしい。今の合衆国の現実と見比べると、これもまた意味深。さっきから日本について書いてることがそのままあてはまりそうな。

「勝って当たり前」「お家芸」のように言われる競技が負けると、自分自身が傷つけられたような気になるんだと思います。どんな競技に「自分自身」を感じるかは個人差もあると思いますが。 @daijapan @harunohi619 柔道が負けた時、批判される理由はなんだと思われますか?

承前)「日本代表」が自分自身の一部であると感じていれば、「日本代表」が負けると自分も傷つき、感情的になる。ただ、本当に「自分自身」と一体化していれば、自分も敗北を我が事と受け止めるだろう。現実には「勝てば自分の勝ち、負ければお前の負け」と無意識に使い分ける人が少なくない。なぜか。

承前)「日本代表」が勝った時には我が事として喜んでいる人が、負けると「あいつらが悪い」と突然他人事に切り替わってしまう、というのがこの問題のいちばん不思議で、興味深いところ。たぶん、やっている本人はそれを自覚していない。為末さんの質問はそれを露にするから、相手が怒り出すのだろう。

@augustoparty 党首さんくらいたくさんの試合を見ていると「勝っても負けてもたかがスポーツ」という認識が根底にあるんじゃないかと思いますが(私もそうですが)、代表が負けて怒る人というのは、もっと過剰なものをそこに託している気がします。掛け金が大きすぎるというか。

@augustoparty オリンピックでもそうですが、「ふだんその競技を見てない人ほど、負けた時に派手に怒る」というのはある気がします。今大会は「誰某が悪い!」「ああしておけば勝てたのに」みたいに、判りやすく怒りをぶつける対象が見つけにくい内容でしたし。

7月6日
「質問」と「批判」と「攻撃」の違いがわからない人が、こんなにたくさんいるのだなあ。/為末大さんdaijapanの「あなたの勝負が失敗した場合、私はあなたを責めてもいいのでしょうか? 」 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/687949

7月9日こんなことがあるのだろうか…。もはや試合とかサッカーとかいう次元でなく、ブラジルという国にこれから何が起こるかが恐ろしい。
posted at 05:35:20

これが海外での大会なら「国に帰れない」レベルの試合だが、よりによって自国開催の準決勝。彼らに逃げ場はない。この結果を受けて3位決定戦をやらなくてはならないことは、セレソンにとって雪辱のチャンスなのか、それとも死者に鞭打つ試合となるのか…。
posted at 05:54:22

決勝、客入るんだろうか…。チケット持ってるブラジル人たちが、この瞬間に全員破り捨てたりしてるんじゃないだろうか…。空席だらけになるのか、あるいはドイツへの恨みをぶちまけ続けるのか…。

ノイアー容赦ない…。
posted at 06:09:25

この試合、テレビ朝日が中継してたらどうなったんだろう。セルジオが泣き松木も沈黙、アナもパニックを起こしてうわ言を繰り返す中、ピッチサイドから名波が淡々とブラジル守備の穴を解説…って感じか。
posted at 06:14:59

ブラジルは空元気で攻めてるようだけど、ここでドイツがもう1点取ったら大崩壊しそうな予感がひしひしと。
posted at 06:18:20

6点目、7点目を失った時のジュリオ・セザールのがっくりきた表情が辛すぎる。2002年のカーンとはまた違った哀しみが。ああ、観客がドイツに声援を贈りはじめた…。
posted at 06:39:19

リプレイを見た印象ではオスカルのオフサイドだけど、もう誰も文句言わんわな。
posted at 06:48:24

ハイライト映像を見てると、ドイツがブラジルのペナルティーエリア前で左右にボールを動かしてるうちに、魔法のように点が入っていく。サッカーがものすごく簡単に見える映像だ。
posted at 07:05:10

「ドイツ代表に移民出身の代表選手が増え、昔よりもテクニックは巧みになったが、かつての不屈の魂が薄れたのでは」みたいなことを後藤健生とかが書いてたが、今朝の試合で見せた情け容赦のなさ、何点取っても黙々とタスクを実行し続ける姿は、まさにドイツ人そのもの。
posted at 11:41:11


7月10日
いやー、シレッセンのあの見るからに自信のなさそうな姿、あれじゃあ止められないだろうなと素人目にも思わせる。準々決勝でPK前に交代になったのもわかる。この大舞台で、触ったシュートを止められなかったとなると、もう一生止められないんじゃないか。相手にも舐められるし。
posted at 07:49:11

@ariaribababa こういうのは動物同士の喧嘩と同じで、いかに自分を大きく見せて相手を威圧するか、というのが大事なんじゃないかと思います。テレビで見てても、ロメロはゴールを塞がんばかりに大きく見えたし、シレッセンの時は逆にゴールが広く感じましたね。
posted at 07:55:28

ブラジルにサッカーがある限り永遠に続く屈辱を植え付けたドイツと、永遠の宿敵アルゼンチンが決勝。ブラジル人にとってはもはや「ワールドカップなんてやんなきゃよかった」レベルなのでは。

これはサッカーにも共通しそう。名コーチの卓見。「きれいなパスを投げるのはテクニック(技術)。どのタイミングでパスを出すかがスキル(熟練、能力)。日本人は技術に優れているが、スキルが足らない」/「汚い練習」が勝利を呼ぶ http://sankei.jp.msn.com/sports/news/14708/wcj14070810000001-n1.htm…

ホンミョンボにこんなこと言わせちゃいけないよなあ。韓国協会は切り札を使う時期を誤ったのでは。<ジミー・カーター元米大統領は、在任期間中、一番自分の役割を果たせなかった米国大統領だったが、任期後は最も立派な業績を築いた。私も努力する>http://www.pitch.co.jp/archives//1736

7月11日
「米国のスポーツ番組がスゴイ」って、これを読む限りNHKのW杯中継&ハイライトとほぼ同じなのだが。/W杯の高視聴率は、アイドルのおかげ? 米国のサッカー番組を見て思う、日本のガラパゴス事情 | http://toyokeizai.net/articles/-/40830

7月12日
ノイアーが最優秀選手の候補でなく、最優秀GKの候補になっているというのは納得しづらいなあ。

7月14日
同じ1-0でも、90年のあのつまらない決勝とは大違い。中身の濃い試合だった。試合後、メッシを先頭に何かを見つめて立ち尽くすアルゼンチンの選手たちの、涙も枯れ果てたような無表情が印象的だ。
posted at 07:18:12

MVPはメッシって、あの表彰されるときの白け切った本人の表情を見るだけで、どんなにけったいな選択かは明白だろう。やっぱりノイアーのダブル受賞でよかったんじゃないの。でなきゃハメス・ロドリゲスでも。

それにしてもドイツの選手たちがグラウンドに連れ込んで抱き合う彼女だか女房だかたちの美人すぎること…。

これは懐かしい。自分に取材パスを出さないとはけしからんとJFAへ文句をつけていた中条一雄氏を担ぐとは、さすが老人のsex特集が売り物の老人誌。/W杯惨敗 協会批判できない御用メディアにベテラン記者が喝(NEWS ポストセブン) http://brazil2014.headlines.yahoo.co.jp/wc2014/hl?a=2040713-00000018-pseven-spo…

今回のワールドカップ中継では、前回から本格的に使われたスパイダーカムの操作の成熟ぶりが目立った。スピードに乗ったカウンターをピッチ後方から追いかけてゴールする頃に真上に追いつく映像がダイナミック。試合前後は選手の周囲でぐるぐるしすぎで、いつか人にぶつかりそうな気もするが。

ブラジルを見習え的言説の中には傾聴すべきものもあるけれど、やたらと「監督をやめさせろ」と言うのだけは見習わない方がいい。長期的な戦略を立てることができず、有望な指導者が次々と傷物になり、利口者はその座を避けて、ベテラン再登板しかない…みたいな状況が理想的とは思えない。

ワールドカップの優勝国は8か国だが、自国開催での優勝経験がないのはブラジルとスペインだけ。5か国は初優勝が自国開催時で、うちイングランドとフランスは自国でしか優勝経験がない。そして、自国以外で初優勝したもうひとつの国が西ドイツ。ドイツは地元でも外でも強かった。

7月24日
メキシコ人指導者自体、Jリーグでもほぼ記憶にないので(選手もほとんどない)、アギーレ監督が就任したらどうなるのか推測のしようもない。今大会のメキシコ代表の監督を見ながら「あんなにアツい指導者は日本にはいないな」と思ったのは覚えている。日本一アツそうな城福浩の100倍くらいアツい。

これまでの外国人代表監督が話していた言語は、オフト=英語、トルシエ=仏語、ジーコ=ポルトガル語、オシム=クロアチア語、ザック=イタリア語で、アギーレはスペイン語。見事に全員違う。アギーレの次の本命はドイツ人か? そう言えばクラマーと岡野さんは何語で喋っていたのだろう。

7月25日
うわ、ファルカンを忘れていた!「黄金の4人」のうち2人が日本代表監督を経験しているのか。1人は鬼籍に入り、もはや可能性はない。残る1人は日本での指導実績が豊富。いつか代表監督になる日があるのだろうか。今の流れだとなさそうだけど。

前回は新監督決定が8月下旬までかかったら「遅すぎる」と批判されていた。今回は手回し良く7月中に決めたら「大会の総括もしないうちに」と批判されている。絶対的な正解はないけれど、育成から含めたグランドデザインを練り直す必要はあると思う。今から検討して、4年後から実行するくらいの。

承前)リーグ戦をプロ化し、ナショナルトレセンを整備するという改革によって、その後の20年の発展があった。今の日本のサッカー界は、今後20年を支える何かを準備できているだろうか?「世界を驚かす準備はできているか」とは、代表選手よりも代表監督よりも、協会に聞いてみたい質問だ。

これを読んで思うのは、この4年間の技術委員会は原ヒロミの個人商店だったのだな、ということ。それ自体は功罪ともにあるとしても、いつまでもそのままではいけないだろ。/原専務理事が語ったW杯の敗因とアギーレ氏招聘の経緯(ゲキサカ) - http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140725-0137571-gekisaka-socc…

ドイツに学ぶべきことはいろいろあると思うけど、例えば代表チームでもバイエルンでも、有力OBが結集している感があるのは羨ましい。日本もそろそろW杯や海外クラブを経験した人材が、協会や代表チームを支えてよい時期ではないか。98年に選手だったデシャンやドゥンガもすでに代表監督なのだ。

代表とJリーグを経験した監督といえば三浦兄、柱谷弟、長谷川、高木、森保、山口、秋田、田坂、相馬、代表はJ以前だが風間、柱谷兄、反町あたりか。コーチで井原、松永。実績からいっても森保は代表監督候補に挙っていいはず。海外経験も考慮すれば、もう少し若い藤田や名波に期待するところも大。

ブラジル代表監督、ホントに「再登板」しかなかったとは…。監督は変わったけど、ブラジルのサッカー界が変わろうとしているとはとても思えない。選手を叱れるタイプを連れて来ることで、国民の怒りを晴らそうとしているだけではないか?(ドゥンガが叱るだけの指導者かどうかは別として)。

@piroyon065 その2人も含め、この世代でJの監督として活躍した人たちは、今のところ主にJ2での実績が多いですね。元Jリーガーで、J1での優勝経験のある監督はストイコビッチ、ブッフバルト、森保一の3人です。

メキシコが勝負強いチームだったとして、それを率いたメキシコ人の監督が、日本に勝負強さを植え付けるということができるのだろうか。逆を考えてみよう。日本代表の特長が組織力にあるとして、日本人監督(例えば岡田武史)がそれを他国の代表に植え付ける能力を持っているのかどうか。

承前)本田圭佑が言うように、組織への適応が、日本人選手が生得的に持つ能力だとしたら、日本人監督はそれを前提としてチームを作る。日本人監督と選手にとって当たり前の前提だから、日本人監督は「組織への適応」を選手に教える必要がない(あっても容易)。とすれば彼にその能力は育ちにくいはず。

承前)となると、国民性に根ざしたメンタリティが代表チームの特長となっている場合、同国人の監督が他国にそれを移植することは、実はかえって難しいことなのかも知れない。ま、これは一般論。アギーレは海外でも仕事をしているから、メキシコ人の長所短所を相対化して把握してはいると思うけど。

承前)実際、ドイツ代表の「ゲルマン魂」あたりは、どこまで実体があるのかは疑問だけど、例えばパラグアイのあの異常な粘り強さが他国に移植できるとは考えにくい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それでもなお世界を驚かせる覚悟があるのなら。

 悔しい。

 もちろん敗戦は悔しい。ただ、今回の組み合わせが決まった時点から「絶対勝てない相手もいないが、楽勝の相手もいない。3連勝も3連敗もありうる」と考えてきた。コートジボワールに負けたこと自体は、ありえないことではない。

 悔しいのは、1-2で逆転負けを喫したこのブラジル大会の初戦で、日本らしさ、日本の良さがまったくといってよいほど表現されなかったことだ。
 日本がこれまで強豪国を倒した、あるいは苦しめた時にはいつも、守っては、高い位置からボール保持者に襲いかかり、敵が1人抜いても2人目3人目が食いついてくるしつこさがあり、攻めては3人目4人目がよい位置に動いて、短いパスを速いテンポでつないで相手を翻弄し、守備陣形に隙間をこじ開けたり裏側に走り込んだりしてゴールを奪ってきた。屈強な守備者と対峙しても、日本特有のアジリティーによって隙をついてきた。
 今回のチームは、まさにそういうサッカーをするための23人が選ばれ、その目的に最適ではないと判断された選手はどんなに素晴らしくとも外されてきたはずだ。
 それなのに、そういうサッカーができなかった。

 解説の岡田武史が、試合の序盤で「誰かが100%で守備に行かないとスイッチが入らない。今は全員が80%くらいでやっている感じ」と話していたが、結局、最後まで80%のままで終わってしまったような印象を受ける。
 高温、強い雨、午後10時という開始時刻。ピッチ上のコンディションがどんなに悪いものだったか、見ている者にはわからない。ただ、気候条件が悪ければ悪いほど、それでも試合終盤になっても激しく動き回って、消耗して足が止まった相手を圧倒する、というのも、日本が強い相手を倒したり苦しめた時には必ず見られた現象だった。今回はむしろ日本の方が、動きが重かったようにも見えた。
 ボール保持者に圧力をかけ、苦し紛れに出させたパスを出先で奪って高い位置から攻撃につなげる、というのがよい時の日本のペースへの第一歩。今日は、奪えなかったのではなく、そもそも保持者に圧力をかけていない。一歩目がなければ二歩目以降はない。
 
 理由はわからないし、誰かを断罪するつもりもない。
 ただ、「攻撃的な日本のサッカーを世界に披露する」ことがこの大会のテーマだとザッケローニ監督は公言していた。顔触れと時期からいっても、それは適切な設定だと思う。
 だとしたら、このパフォーマンスのままで大会を終えるのであれば、この4年間の冒険と努力は徒労に終わる。
 監督も選手たちも、そんなことは百も承知だろう。グループリーグの勝ち抜け云々よりも、次の試合でそこが修正され、日本らしい試合が見られることを期待している。

 ワールドカップの「結果」というのは、グループリーグを抜けたかどうかとか、ベスト16になれたか、ベスト8まで進んだか、という成績だけではない。ひとつひとつの試合内容も「結果」なのだ。
 グループリーグであっても、人々の記憶に残る試合、人々に感銘を与える試合というものはある。そういうものを見せてほしい。
 
 気になったのは、試合中の選手の表情や雰囲気が、どことなく2006年大会の日本代表に似ていたことだ。短時間に同点から逆転に至ったという経緯だけではない。リードしている時間帯にも、何かおかしい、何かうまくいってない、自分たちのペースではない、という訝しさを感じているような選手たちの表情が、よく似ていた。

 もしかすると、これは「失うものがあるチーム」だから起こる現象なのかも知れない。
 あの時は、いわゆる黄金世代がピークを迎え、史上最強の日本代表と呼ばれて、本大会前のドイツ戦でも非常によいパフォーマンスを演じた。本大会の初戦の相手はオーストラリアで、グループの中ではもっとも勝ちやすいと目されていた相手。はっきりいえば、勝って当然、くらいの空気があった。選手たちに楽勝ムードがあったとは思わないけれど、相手が格上だと思っている選手もいなかったことだろう。その相手に、どこかうまくいかない、というイヤな感じを持った試合が、イヤな結末に終わった。

 今回は、このところ負けていないとはいえ内容的には課題も多く、選手たちがそう楽観視していたとは思えない。ドログバやヤヤ・トゥーレの怖さもよくわかっている。世界有数の選手がいる強豪国で、その強さも弱さも理解したうえで、それでも自分たちが格下とは思わない。そういう認識の選手が多かったのではないかと思う。
 コートジボワールと対等のつもりとは日本代表も偉くなったものだ…と言うのは皮肉ではない。本当に偉くなったのだ。

 今や日本代表の半数は欧州組だ。ビッグクラブのレギュラー選手もいる。どんな相手にも名前負け、位負けはしないだろう。目標として「優勝」を堂々と掲げるだけの自信と強いメンタリティーも備えている。
 私がよく現場に足を運んでいた90年代の日本代表に比べると、ずいぶんと立派になった。運動会で我が子をハラハラしながら見守る親のような心境で試合を見ていた当時とはまるで違う。ジョホールバルで延長戦に入る前に山本浩アナウンサーが口にした言葉を借りれば、私にとっては今の日本代表は、「私たちそのもの」というよりも、立派になった頼もしい「彼ら」に見える。

 そこに油断があったとは思わない。だが、ひょっとしてペース配分を考えたりはしなかったか。このコンディションの中で試合後半に向けて体力を保持しておかなければ、という計算はなかったか。グループリーグ突破のためにはこの試合で勝ち点3を確保しておかなければ、という打算はなかったか。
 
 ○○しなければ、という意識は動きを重くする。
 メンタルが強くなった、世界の二番手あたりの仲間入りをした、とはいうものの、そういう計算をして、計算通り怜悧に試合を運んで、予定した結果を手にする、というほどの老練さは、日本にはまだないのかも知れない。
 なりふり構わず、必死で、後先考えずに、今、持てる力を出し切ることで、やっと強豪国と対等に、あるいは対等以上に戦える。日本の現在地は、そういうチームなのではないか。少なくともこれまではそうだった。相手や状況に合わせて戦い方を変える、などという器用な真似ができるようになるには、まだ時間がかかるのではないか(と今年のFC東京を見ていても思うわけだが…泣)。
 
 次の相手ギリシャは、守備が堅くカウンターを得意とするチームだ。初戦でコロンビアに大敗したから、次の試合の敗者は大会の部外者になることがほぼ確定する、という試合でもある。
 オシムの言葉を借りると「他人のお祝いを台なしにする能力がある」ギリシャという国に対して、全力で前に出て攻撃的に行くことは、もしかすると馬鹿げた行為なのかも知れない。
 それでも、できるだけ早い時期に、そういう自分たち本来の姿を思い出しておかないと、日本はこのまま、自分たちの良さを見せることができずに大会を去る羽目になるのではないか。それが目下の心配事だ。
 
 日本代表はしばしば、リードされても諦めない反発力で世界を驚かせてきた。今度は試合の中だけでなく、大会の中での反発力を見せてほしい。たとえばソチ五輪での浅田真央のように。
 
 
…と書いた後で、2006年の時はどんなことを書いてたかなあとバックナンバーを読み返してみたら、ずいぶんとよく似た内容なので我ながらいささかどんよりしてきた。進歩がないのは私なのか、日本代表なのか、それともそもそも日本人はこうなのか。サッカー界はその後、ずいぶんと成功体験も重ねて来たはずなんだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

俺たちのコクリツ、俺たちの背番号1。

 試合開始の15分ほど前にメインスタンドに着くと、ピッチでは両軍の選手たちが試合前の練習をしていた。すでにゴール裏を埋め尽くした東京のサポーターたちは、「ルーカスルーカスルーカスルーカスゴール」とチャントを歌ったり、「俺たちのユキヒコ」の旋律で「俺たちのコクリツ」と歌ったりしていた。
 このクラブがJ1に上がった2000年には、まだ味スタ(最初は「東京スタジアム」だった)が完成していなかったため、主に国立競技場をホームとして使っていた。私が初めてFC東京を見た夜、当時国内最強だった磐田を逆転で下した試合も、ここで行われた。特例とはいえ国立をホームにしたJクラブはたぶんこの年のFC東京しかないと思う。以後もしばしばここでホームゲームを開催していた。FC東京が持つ2つのナビスコカップと1つの天皇杯も、すべてここで獲得したものだ。「俺たちの」と言いたくなるだけの歴史が、ここにはあった。

 練習を終えて引き上げる際に、この日ゴールマウスを守った塩田がゴール裏に向かって両手を何度も振り上げ、「もっと、もっと声を出して!」と言わんばかりに煽っていた。リーグ最終戦の仙台戦で今季のリーグ戦での初先発を果たしたベテランGKは、天皇杯の仙台戦、そしてこの日と3試合続けて先発を勝ち取っていた。

 2013年12月29日午後3時、天皇杯準決勝のFC東京ー広島戦。この試合と、1月1日の決勝戦が、今の国立競技場で開かれる最後の天皇杯となる。観客は約26000人。少なくはないが、多くもない。このタイミングでこの競技場を目に焼き付けておこうと考える人は、まだそれほど多くなかったようだ。

 試合は冒頭から激しい潰し合いが続いた。東京は森重、加賀、チャンヒョンスとCBを3枚使う3-5-2で佐藤寿人と石原を抑え込みにかかったが、その分、自らの攻撃にも生彩を欠いた。東やアーリアが懸命に走り回ったが、前線に人数が足りない印象は否めなかった。もちろん広島は堅守で鳴らすチームだし、ルーカスを練習中の骨折で欠いた影響も大きかったのだろう。
 終盤、広島が佐藤寿人と高萩を相次いで交代させたことで、広島が得点する可能性は減じた。三田、林、石川ナオと攻撃的な駒を投入し、延長終盤には東京の攻勢が続いた。アーリアや石川が決定的なチャンスを作ったが、ゴールを割る前に試合は終わった。あと5分あったら東京が勝っていたのではないかと思うような展開だった。

 PK戦は東京側のゴールで行うことになった。力強い塩田コールと広島の選手に対するブーイング。広島の選手にとっては、やりづらい環境のように見えた。東京の一番手、太田があっさりとゴールネットを揺らし、広島の青山が左隅に蹴ったボールを塩田がかき出した時、その予感はほとんど確信に変わった。広島の千葉もバーの上に蹴り出し、両軍3人づつを終えて3-1と東京は圧倒的優位に立つ。試合前にサポーターを思い切り煽っていた時から塩田がヒーローになることは決まっていたのかな、と思ったりもした。

 しかし、4番手の三田のシュートが西川に阻まれ、その西川がキッカーとして、横に飛んだ塩田を嘲笑うかのように中央に決めると、場内の雰囲気が陰る。東京陣営は少し気圧されたような心境になったのではないかと思う。
 決めれば勝利、外せば追いつかれる、というこの上なく重圧のかかる状態で出番を迎えた5人目のアーリアが蹴る時、たぶん、そんな空気を変えるために、あえて選んだのだろう。ゴール裏からは、試合中にも景気づけのように歌われていた「もういくつ寝るとお正月」という歌が聞こえた。まだちょっと早いんじゃないの…と思っていたら、アーリアのシュートは西川に阻まれた(もちろん、両軍2人づつを残したタイミングですっかり勝った気になっていた私に、彼らの選択を云々する資格などない)。
 振り出しに戻ってサドンデス。追いつかれた方は嫌なものだ。6番手の米本が決めて少し押し返したものの、7番手の石川も止められ、広島の7番手が決めて、ほぼ手中にしていたはずの元旦決勝は、指の間をすり抜けて落ちていった。西川に浦和コールでもしてやればよかった、と後から思った。

 最後のシュートを決められた後、塩田は手を腰に当て、棒立ちになったまま動かなかった。権田とおそらくはGKコーチがゴールマウスに近づき塩田に声をかけた。他の選手たちを慰めたネマニャも塩田のもとに歩み寄り、肩を抱いた。そういえば何の大会だったか、PKを外した選手のもとに真っ先に駆け寄り、励ましていたのはルーカスだった。PK戦においても、その欠落は大きかったのかも知れない。

 試合終了の挨拶の後、ポポと東京の選手たちは、バックスタンドからぐるりと半周してサポーターに挨拶した。ポポとネマ、そしてルーカスにとっては、これが最後の試合となってしまった。ゴール裏を経由してメインスタンドに歩いて来た選手たちの中で、塩田だけは肩を落として下を向き、スタンドに手を振ることもできずにいた。私は思わずスタンドから「塩田!」と叫んだが、たぶん彼の耳には届かなかっただろうと思う。それでも、メインスタンド前に整列した選手たちに「礼!」と掛け声をかけるのは彼の役目だった。

 彼らがバックスタンドに向かって歩き出した頃、同じグラウンドの中で西川へのヒーローインタビューが始まり、場内に音声が流れた。PK戦で、あと1人決めていれば、あるいはあと1人止めていれば。お立ち台の上には間違いなく塩田が立っていたはずだ。
 120分かけて0-0で終わった試合で、塩田は何度も決定的なピンチを救い、チームを危機にさらすことはなかった。PK戦にも臆することなく堂々と立ち向かい、1人のボールを止め、さらに1人のキックを外させた。誇るに足る仕事ぶりだった。
 それでも塩田は敗戦の責任がすべて自分にあるかのような表情で、ピッチでひとり泣いていた。たぶん彼は、天皇杯を引退の花道にするはずが練習中の骨折により出場できなくなったルーカスや、今季限りでチームを去るポポビッチ監督、ネマニャらに優勝をプレゼントして一緒に賜杯を掲げることに、誰よりも強い思いを抱いていたのではないかと思う。そして、自分がもう1本止めてさえいればそれが実現できたのに…と悔やんでいたのだろう。

 塩田が流経大からFC東京に入って、今年がちょうど10年目のシーズンになる。うち、レギュラーとして過ごしたのは2シーズン弱に過ぎない。
 入団当時のレギュラーは日本代表の土肥洋一だった。この年のナビスコカップでは代表で不在がちの土肥に代わり、準決勝までゴールマウスを守ったが、決勝では土肥にスタメンを譲った(決勝は0-0の末のPK勝ちで、土肥がMVPを獲得した)。それが典型で、最初の3年は土肥の控え、カップ戦要員として過ごした。
 4年目の2007年に、ようやくレギュラーの座を手にしたが、2009年の開幕前に病に倒れ、その間に権田が正GKの座を確固たるものにしてしまう。以後5年にわたって、年下の権田の控えという立場が続いている。それでも数少ない出場機会が巡ってくれば、堅実でレベルの高いプレーを見せる。監督にとって、これほどありがたい選手もいないだろう。選手会長も長く務め、チームの支柱となってきた。

 2009年にナビスコカップで優勝した時、この年限りでの引退が決まっていた浅利や藤山を捕まえ、胴上げの音頭をとっていたのが、控え選手としてベンチにいた塩田だった。J2転落が決まった2010年オフは、ちょうど契約が切れる時期で、他のクラブからも誘われたと聞く。この年のリーグ戦には4試合しか出ていないのだから、彼が転落の責任を負う筋合いはない。プロなら出場機会を求めて出て行っても当然の状況で、しかし塩田は東京に残り、五輪予選で欠場が多かった権田の留守をしっかりと守って、1年でJ1復帰を決めた。

 代表で活躍したり個人タイトルを取ったりすることはなくても、チームにとってはかけがえのない宝物。よいクラブには、そういう選手がいるものだ。東京にとって、それはかつてのアマラオであり、藤山であり、浅利であり、そして塩田も、彼らの列にすでに加わっている。こういう選手がいる限り、チームが道を誤ることはない。

 スタジアムを後にして帰る道すがら、悄然と歩く塩田の表情を思い出したら泣けてきた。

 こんなにも悔しいのは、ただ負けたからではない。
 塩田をお立ち台に立たせられなかったことが悔しいのだ。

 世の中にはあんまり知られていないかもしれないが、どうだ、俺たちの背番号1はこんなに素晴らしい選手なんだぞと、あの台の上から満天下に見せつけることができたら、どんなにか嬉しかっただろう。

 それが叶わなかったことが、ただただ悔しい。
 
 
 
 新国立競技場をめぐる議論についても書こうと思ったが、ちょっとそういう心境でもなくなってきたので(笑)、改めて。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

コンフェデレーションズカップ2013に関するツイート集。

●6月5日(冒頭はツイッター上での「ニワカ批判」に関して)

@toronei 控えめに見てもドーハ以来20年の日本のサッカー好きの歴史の上に今の「日本代表サポ」がいるのであって、今のJリーグサポと肌合いが違うのが事実だとしても、それを理由に両者を峻別することに意味があるとは思えません。まして若い衆を蔑視することに何の意義があるのやら。

ブラジル行きを決めて、もう予選仕様の試合をする必要がなくなり、コンフェデで比較的長い活動期間が得られた今こそ、ザッケローニがどんなチームでW杯に臨みたいのかが見えてくるんじゃないかと期待している。新戦力を試すにもよい時期だし、試合後のインタビューでもそれを仄めかしていたような。

昨夜からTL上で「渋谷駅前の代表サポなんざニワカだ」的な言説をめぐっていろんな意見を見かけるが、武藤さんみたいな人にフォローされていると知りながら他人をニワカ呼ばわりする度胸は私にはない。せいぜい広島でアジアカップ優勝した頃からの駆け出し見物人ですから。

まあ、スクランブル交差点的な騒ぎは自分の好みとは違うし、若い頃でも加担はしなかったと思うけど、別に批判しようとは思わない。ああいう人たちの数%でもJリーグを見に来てくれるといいなと思うだけだ。97年のジョホールバルの試合後に中田ヒデが言ってた通り、昔々からの課題なのだから。

@augustoparty 「サポーターかくあるべし」と高い理想を掲げて自分や仲間がそれを目指すのは結構だと思うんですが、他人がそれを共有しないからといって蔑んでいても、あまりいいことはないですね。スポーツファンに限らず、いろんな分野でありそうな現象ではありますが。

今朝のワイドショーで見た、昨夜の埼玉スタジアム外でのレポート風景。後半45分ごろに駅に向かっていたカップル。レポーター「なぜ帰るの?」男「負けるとこ見たくないから」レ「でも追いつきましたよ」男「え…」女「やったー!!!」ここで喜べる女子すげー。いろんな意味でかなわないと思った。

<カタール経由でブラジルに乗り込んだとすれば時差調整も終わらないし、猛暑のカタールでのトレーニングの疲れを取ることもできない。カタールにはサブ組を送り込んで、主力組はオーストラリア戦の後、直接ブラジルに入るべきだろう>と後藤健生氏。 http://www.jsports.co.jp/press/article/2013052707350402.html…

この説でいけば、カタール戦は新戦力のテスト、ブラジル戦に現状のベストメンバーで臨み、イタリア戦から融合をはかる、という線が考えられる。さてどうなることやら。メンバー発表が楽しみだ。 @higeito

※「カタール戦」は「カタールでのイラク戦」の誤り。toronei氏ご指摘の通り。

とか言ってたら、まったくこれまで通りのメンバーだった…。佐藤寿人と豊田くらいは呼んで欲しかったが。/イラク戦&コンフェデ杯メンバー決定、駒野ら3選手が外れる(ゲキサカ) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130605-1119843-gekisaka-socc…


●6月16日(ブラジル戦に0-3で敗退後)

数十センチの間合いの差が、ブラジル相手だと致命傷になってしまうということをまざまざと思い知らされたコンフェデ初戦。ブラジルの守備も強かった。ボール扱いの巧さが他国とやる時の日本の長所だけど、そこで上回る相手とどう闘うかが問題。メキシコ戦でひとつの答えを出してほしい。

あと、全体に動きが重く見えたのは、カタールからブラジルと短期間に長距離移動を繰り返した影響がなかったか。試合序盤の日本選手は、ブラジルと比べると異様なほど汗をかいていた。ユニホームの材質のせいもあるかも知れないけど、コンディション万全だったのかなという疑念は残る。

●6月20日(イタリア戦3-4で敗退直後)

あー悔しい。悔しすぎる。残り1年、最大の課題は守備の立て直しだなあ。攻撃陣は欧州に渡って順調に「個」を強化しているのを実感できたが、守備陣は唯一のプレミアDFがアレでは…。

先制点を取っても当たり前のような表情だった選手たち、イタリアが本気でボールを奪いにきてもボールを回していなしていた前半。成長を実感できる場面はたくさんあった。それだけに、勝利という結果を掴みたかった。残念な、本当に残念な敗戦。

サッカー専門誌でもブラジル相手の敗戦の後で「世界との差」みたいな表現をしてたけど、そろそろこういうざっくりした考え方は卒業しませんか。ブラジルともイタリアとも差はあるけれど、それぞれの差のありようは違う。「世界」じゃなくて個々の国との個別具体的な差を埋める段階に来たんじゃないか。

こっちが成長して、近づいたかと思ったら、さらにそれを上回る切り札が出て来る。絶望的な気分になりそうだが、こちらが相手を追いつめるだけの力をつけたから、それを引き出せたのだ、とも言える。そうやってひとつひとつ近づいて行くしかないのだろう。成長曲線は逓減するものだ。

あれ、試合後の選手インタビュー、全然見てないんですか? あんなに悔しそうな彼らの表情を私は見たことがないんですが。別の試合を見てたのかな、セルジオさんとは。 @sergio_echigo 監督も選手も満足感でいっぱいだろうね。

何も進歩していないのは、代表チームやファンやメディアではなく、20年くらい同じことを言い続けて恥じる様子もない一部のライターや評論家だと思う。あ、あと、そういう人たちを起用しつづけてる一部メディアもね。

それにしてもNHKはなぜ中田英寿をあんなにありがたがるのだろう?私の感覚では、彼とサッカー界との距離は、野球でいえば板東英二か新庄剛志くらい遠いのだが。

質の高いサッカー中継を見たいから、民放地上波と中継が重なった時にはBS1を選ぶのですが、あのイタリア語同時通訳と中田英寿さんのゲスト出演が続くのなら、メキシコ戦はフジテレビで見ることにします。#NHK_soccer

@hamagodzilla @sergio_echigo PKで先制した時の喜ばなさ加減も、一昔前には考えられないものでした。正直、選手たちは20年前からの成長を喜んでる私なんぞよりも、はるかに先にいて、もっと先を見ているのだと思います。

一度身に付けたら20年くらい通用する美味しい手法です。毎週スタジアムに通う必要もありません。 @augustoparty 俺も売文家として大成するためには、こういう試合の後に監督、選手を叱責できる上から目線メンタリティを磨かねばならん。

ブラジルの観客が日本とイタリアの試合であれだけ湧いていたことにも感慨を覚えた。現地観戦の方たちのツイートを見てると日本が応援されてたようだし。もちろんグループリーグの推移からしてイタリアを叩きたい利害関係もあっただろうけど、今日の日本代表のプレーにも喜んでいたようだ。

@turipfete カズが留学した頃のブラジルでは「ジャポネーゼ」といえば「サッカーが下手な奴」の代名詞だったそうですから、そこから25年かそこらでここまで来たのか、という感慨はありますね。

それにしてもDF。攻撃陣では「柿谷を呼べ」とか「寿人を呼べ」とか「豊田を呼べ」とか、いろんな代案が頭に浮かぶのだが、守備ではせいぜい「米本を呼べ」くらいしか思いつかない。ワールドクラスの人材がいない中で、どう整備するか。守備の国から来た監督の真価が問われる分野ではある。

@May375 欧州での過去の実績は今の代表のレベルでは普通だし、解説の内容が卓越しているわけでもない。マーケティング的にも賞味期限は過ぎた感があるし(そもそもNHKのBSでマーケティングを意識してどうする)。単なるゲスト解説ならともかく、別格扱いするのは不思議です。

@hamagodzilla 我々にとっての到達点が、彼らにとっては出発点ということなのでしょうね。もちろん、その積み重ねによって日本サッカーは右肩上がりに進んできたわけで、裾野の方から目撃してこられた幸福を、今日のような試合を見ると実感します。

卒業といえば、「惜敗」とか「善戦」という表現や概念も、そろそろ卒業すべきなのだろう(新聞やテレビは今朝の試合に対しても使っているけれど)。ブラジルやスペインの代表には、誰もそんな言葉は使わない。もちろん、選手たちが一足先に卒業していることは今朝のインタビューに見た通り。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「なでしこ優勝の裏側で」などに関する2011/7/24の連続ツイート

 今さら1年も前のことを、という気もするが、ロンドン五輪が終わると状況が一変している可能性がなくもないので今のうちにまとめておく。
 サッカー女子日本代表がワールドカップに優勝した後で、代表選手たちの待遇が悪い、とテレビやら何やらいろんなところで騒がれ出して、という時期に、為末大氏と乙武洋匡氏がツイートで語った一連のやりとりが、togetterで「なでしこ優勝の裏側で」と題してまとめられた。それを読んでの感想。

●サッカー女子代表が世の中から与えられている脚光と環境が非対称だ、という為末さんの嘆きには共感できる。が、それをスポーツ全般や文化にまで一般化してしまう乙武さんの論法には違和感がある。

●人生のかなりの部分を費やしてスポーツや文化活動に打ち込んでいる人は大勢いる。そのことだけを理由に公共が支援する、というわけにはいかない。支援する対象を選ぶ基準は、結局は「人気」や「実績」で選ばざるを得ない。

●「スタジアムに足を運ぶ人が増えることが、いちばん効果的だとは思うけれど、それ頼みでは長続きしない」(乙武さん)。しかし、観客が足を運ばない競技を税金で支援するというのも奇妙な話ではないか。

●女子サッカーには女子サッカー特有の問題があり、特有の解決法があるはず(「JFAは金持ちなんだからもっと女子も支援しろ」なんてことは、他競技では言えない)。が、不用意に一般化すると話がおかしくなる。

●文化支援となるとさらに厄介。無償の情熱で活動している人は多いし、スポーツのようにわかりやすい成果軸もないのに、支援する対象をどう選ぶか。結局は「識者」と称する業界のボスたちが談合して利益誘導、なんてことになりかねない。

●3年前に大阪の交響楽団への補助金打ち切りへの反対運動があった。補助金が年間4億5000万円で、反対署名が7万5000人。彼らが1人6000 円出せば済むのに、なぜ府が税金を使う必要があるのか不思議だった。

●観客が「一時的に増えても、また時がたてば逆戻り」(乙武さん)だったのとすれば、それだけの魅力しかなかったということ。それでは、選手が競技だけで生活することはできない。世界ランク順位と経済的価値は必ずしも比例しない。

●だからこそ、「今度こそ」と思いたい。昨日の神戸とジェフの試合には魅力があった。私はスカパーで見たが、スタジアムに行きたい、と思う試合だった。これから9月の五輪予選にかけて、多くの人にそう思わせる試合をしていけば。

●行政の支援は、練習施設の整備、企業がスポーツや文化活動を支援しやすい枠組み作り(休暇制度とか免税とか)などの環境整備を中心にするのがよいと思っている。競技団体が後援組織を作る指導、なんてのもいいかも。

以上。今読み返すと、行政の支援の話だけに限定してしまうと、2人の関心事から若干ずれる感はある。
あと、例えばワールドカップ優勝によって「感動した!なでしこ万歳!」みたいな気分になった人たちから、きちんと選手たちに届くように金を集める仕組みを作る責任は、一義的には競技団体にあると思う(これを書いた頃なら、喜んで金を出す人は大勢いたと思う。今でも少なくないだろう)。募金でも資金集めパーティーでも堂々とやればよい。そこをすっとばして、選手が不遇なのは社会の責任、みたいな話になっていくと、やや短絡気味という印象を受ける。

これに先立つ7/20にはこんなことを書いていた(ダブり感があるな)。

●「なでしこ選手の厳しい生活実態」って、そこらじゅうのワイドショーで取りあげられている。世界一だから支援すべき、という意見は、事業仕分けで仕分け人から出た「マイナースポーツを支援してもメダルに届かないのでは」という質問と、論理的には矛盾しない。

●国民の多くが望むのならば、国や公共団体から特定競技への支援をより手厚くするのは、結構なことだと思う。だが、そのことと、その競技がプロスポーツとして成り立ち、選手が競技専業で生活していけるかどうかは、また別の話。

●結局は、国に「支援しろ」と言うだけでなく、例えば「なでしこリーグ」や各チームの存続を自分の問題と考えて何らかの支援をする人がどれだけいるか、にかかってるんじゃないだろうか。少なくともJリーグは20年近くかけて、そういうサポーター層をある程度は獲得した。

以上。この最後のツイートは為末氏に対する見物人からのひとつの答えになっている気がする。


ちなみに昨日はこんなことを書いた。

●なんだかなあとは思う。が、判断軸がいろいろあるので、考える材料としては面白い。競技内での五輪の位置付け。メダルへの距離。両代表が協会にもらたす収入。選手たちの普段の待遇。どれを重視するか。/男ビジネス女エコノミー - 日本代表,サッカー

| | コメント (1) | トラックバック (0)

more than one game.

 FCバルセロナには、MES QUE UN CLUBというキャッチフレーズのような言葉がある。カンプ・ノウ・スタジアムのバックスタンドにも記されている。
 英語で言えばMORE THAN A CLUB、“クラブ以上のもの”であるのだという意思と自負の表明だ。

 昨29日夜に大阪・長居で開かれたサッカーの震災復興支援試合、日本代表-Jリーグ選抜で後者の監督を務めたドラガン・ストイコビッチは、試合後のインタビューの冒頭に、似た言葉を口にした。

"That game was more than one game," said Stojkovic. "I think that the Japanese football family gave a really big heart to the people of Japan."とJapan Timesの記事にある。

 Jリーグにとって東日本大震災が起こった3/11は、前週に開幕し、第2節の試合が行われる前日にだった。リーグはただちに試合をとりやめ、まもなく、約1か月にわたるリーグ戦・カップ戦の中断を決めた。3月下旬に2試合が予定されていた代表の強化試合は被災者のためのチャリティーマッチという位置づけに替えて、予定されていたニュージーランド代表の来日がかなわないと判明すると、代表とJリーグ選抜との試合に変更した。
 仙台や水戸、鹿嶋といった被災地に複数のクラブがあったことも影響しているのだろうが、その対応は、(国内のあらゆる分野の組織直接震災に対処すべき性質のものは別にして)の中でも、迅速かつ的確だったように思う。それだけに、もうひとつのプロスポーツ団体の迷走ぶりも際だってしまったわけだが。

 試合の内容は、こういう時期にしては、というよりも、こういう時期だからこその、気持ちの入ったものだったように思う。
 日本代表には、欧州のクラブに在籍する選手たちが結集した。それぞれのクラブは、Aマッチではない非公式戦と知りつつ、選手たちを快く送り出したようだ。アジアカップに出場した選手はもとより、参加しなかった阿部や、その後スペインに渡ってから代表に加わった家長らの顔もあった。
 「勝敗よりも被災者の力になることが大事だった」と語ったザッケローニ監督は、しかし初めて3-4-3の布陣を敷くというチャレンジで、強化の上でもこの試合を活用した。中盤の左に配された長友は、力強い突進でこのサイドを制圧。日本代表は、遠藤のフリーキックと岡崎の裏に抜ける突破により2点を先行した。

 Jリーグ選抜は、「ほぼ日本代表OB選抜」と呼びたいような顔触れだった。昨年のワールドカップ南アフリカ大会で日本のゴールの前に立ちふさがった中沢とトゥーリオがセンターバックを組み、川口、楢崎、中村俊輔、中村憲剛、小笠原、小野ら、日本サッカーの顔役ともいうべき選手たちが並んだ。
 そんな中で、仙台から参加し10番を背負ったリャン・ヨンギは、豊富な運動量でピッチを駆け回り奮闘した。日本テレビの中継が、アナウンサーの実況においても映像においても、彼をクローズアップする機会が著しく少なかったのは、彼が被災地のクラブから参加した選手だという点を抜きにしても、不当であったと思う。
 
 選手をごっそり入れ替えた後半も、中村俊輔が中盤の低い位置からゲームをコントロールし、選手たちは急造チームとは思えないコンビネーションで代表ゴールに迫った。GKのキックをトゥーリオがヘディングで競り勝ち、前にこぼれることを予期した飛び出しを見せたカズのゴールは、90年代前半に高木と組んだ2トップを彷彿とさせるものだった。バウンドする浮き球の処理の巧さは若い頃から抜きんでいた。

 「まだ苦しい大変な日が続くと思いますけど、日本全体、世界全体でこの危機を乗り越えましょう」

 言葉だけ抜き出せば、さほど特別なものではない。だが、日本サッカーの現代史を築き上げ、国内に知らぬ者のない「生ける伝説」が、この特別な試合で特別なゴールを挙げたことによって得たインタビューの機会に語られたからこそ、カズの言葉は特別な響きをもって人々の心に伝わる。
 
 カズやザッケローニやストイコビッチの名とともにこの試合のニュースが報じられること自体が、そのまま「日本はくじけないぞ」という世界へのメッセージとなる。被災者を元気づけるために開かれたこの試合の意義は、同時にそういう面にもある。彼らは、そのことをよくわかって、この試合に参加し、よく選ばれた言葉でコメントしている。その意味でも、この試合のために帰ってきてくれたザッケローニやストイコビッチには感謝している。
 
 Jリーグ選抜の顔触れに「顔役」という言葉を使ったが、岡田武史やラモスといったOBたちもスタジアムに駆けつけて、募金活動などに協力したという。まさに日本サッカー界の顔役が集まって、ひとつのことをなそうとした。
 それがどのくらい被災者のためになったのかを云々する立場に私ははないけれど、被災地以外の人々の心を奮い立たせ、被災地支援に向かわせる上では、大きな力になったはずだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

早すぎる中間試験をクリアしたザッケローニ。

 かつてワールドカップの中間年に開かれていた頃、アジアカップは代表監督にとっての中間試験のような意味合いを持っていた。

 1992年、史上初の外国人監督となったハンス・オフトは、史上初めてこのタイトルを日本にもたらした。就任当初は主力選手(特にラモスだ)との確執が伝えられたものの、夏に北京で開かれたダイナスティカップに優勝して選手たちの信頼を勝ち取り、秋に広島で開催されたアジアカップを日本人の目の前で勝ち取ったことで、メディアを含めた日本のサッカー界を味方につけた。「オフト・マジック」という言葉が広く流布されるようになったのは、この頃からのことだ。アジアカップで彼が手にした信頼は、翌年秋のワールドカップ1994アメリカ大会最終予選の最後の数分まで有効だった。
 
 日本が次にアジアカップをとったのは2000年の秋だった。前年にU‐20日本代表を率いてワールドユースのファイナリストとなり、この年にはU‐23日本代表を率いてシドニー五輪でベスト8に進んだフィリップ・トルシエが、年齢制限のないフル代表にすべての年代を結集し、満を持して臨んだ大会で、日本はグループリーグで圧倒的な得点力を見せつけ、危なげなく優勝した。ワールドカップ1998フランス大会組の名波、シドニー五輪世代の中村俊輔、ナイジェリアワールドユース世代の高原(シドニー五輪でも活躍したが)の3人がベスト11に選ばれるなど、世代的なバランスがとれ、西沢・高原の2トップ、名波・中村のダブル司令塔がそれぞれ機能した理想的なチームだった(振り返ればトルシエの日本代表はこの時期がピークだったかもしれない)。
 翌2001年、フランスとの親善試合で大敗したことから(おそらくはそれまでのエキセントリックで独裁的な振る舞いに対して積もり積もっていた不満が爆発し)、協会内やメディアでトルシエ解任論が持ち上がった時、岡野JFA会長がトルシエを支え、ワールドカップ2002日韓大会まで指揮を執らせることになった上で、このアジアカップ優勝という実績は、大いに役立ったものと想像する。
(と書きましたが、コメント欄の武藤さんご指摘のように、トルシエ解任論が持ち上がったのは2000年春で、シドニー五輪とアジアカップの前。前後関係が間違っていました。失礼しました/2011.2.6)

 トルシエの後に代表監督となったジーコが、ワールドカップ予選で危なっかしいマネジメントを続け、解任デモまで行われたにもかかわらず、結局はワールドカップ2006ドイツ大会まで任期を全うすることになったのも、2004年の夏に開催されたアジアカップにディフェンディングチャンピオンとして大苦戦しながらも優勝したことが大きく影響していたと思われる。少なくともアフリカ大陸では数々の輝かしい実績を持つトルシエと異なり、初めて率いたチームが日本代表だったジーコにとっては、これがほぼ唯一の指導者としての実績だったのだから。

 この間、1996年大会でクウェートに敗れてベスト8止まりだった加茂周は、1997年のワールドカップ最終予選の最中に解任された。
 つまり、92年にオフトが初優勝して以来、アジアカップで優勝した監督はワールドカップ(または最終予選の最後)までの任期を全うし、優勝できなかった監督はそれ以前に退任している。「中間試験」と書いた意味がおわかりだろう。

 前回の2007年大会は7月に東南アジア4か国で共同開催され、イビチャ・オシムが率いた日本代表はベスト4に終わった。オシムはその年の暮れに病に倒れて代表監督を退任し、後任の岡田武史が予選を勝ち抜いてワールドカップ2010南アフリカ大会に出場している。結果的にはジンクス通りになっているが、オシムの退任とアジアカップの結果との間には、おそらく関係はない。

 冒頭に「かつてワールドカップの中間年に開かれていた頃」と書いた通り、この2007年大会からアジアカップの開催年は1年繰り上がり、ワールドカップの翌年開催となった。スポンサー営業などの都合で五輪開催年を避けたということなのだろうが、そのおかげで、ワールドカップへの出場やそこでの躍進を現実的な目標とする国にとっては、位置づけの難しい大会になってしまった。「中間試験」としては早すぎるのだ。

 オシムがアジアカップに臨んだのは就任から約1年後だが、前任者がベテラン選手を重用しすぎて世代交代が最大の急務となっており、戦術やトレーニングの面でも異質だったため、ほぼゼロからチーム作りをスタートさせなければならなかった。
 オシムはアジアカップで、酷暑の環境にもかかわらず同じ選手を起用し続けた。準決勝と3位決定戦で接戦の末に競り負けたという結果は、その体力面での消耗が影響していた可能性はある。それでもオシムが同じメンバーにこだわったことについて、後藤健生が当時「オシムはアジアカップをトレーニングキャンプとして使った」というような解釈をしていた。

 アルベルト・ザッケローニ現代表監督にとって、今回のアジアカップはオシム以上に厳しい条件下で迎えた大会だったはずだ。9月に就任し、10月に親善試合を2試合戦った後、2か月ぶりの試合がいきなりアジアカップの本番。しかも日本国内のリーグ戦と天皇杯が1月1日まで詰まっており、事前キャンプで選手全員がそろったのは大会直前だった。
 オシムがアジアカップを「トレーニングキャンプとして使った」のだとしたら、ザッケローニは「トレーニングキャンプとして使わざるを得なかった」と言うのが適切だろう。

 そのカタール・キャンプを、ザッケローニは、これ以上考えられない理想的な形で終えることに成功した。優勝という結果はもちろんのこと、チームの掌握や新戦力の発掘・育成という難しい課題にも一定の成果を挙げることができた。
 選手の顔触れや戦い方、戦いぶりを見ると、今の代表チームは、ワールドカップ2010南アフリカ大会のチームを継承し、なおかつ新世代をそこに加えて、進化しつつあると実感できる。
 中沢、闘莉王という守備の要を故障で欠いたものの、川島、遠藤、長谷部、本田、長友らをそのまま残した現在のチームは、その骨格を南アフリカから継承している。ザッケローニはチームを自分の色に染めることよりも、岡田武史が作ったチームを土台として、弱点を補強し、長所を伸ばそうとしているように見える。
 ワールドカップが終わり、監督が替わるたびに、チームを作り直していた日本代表の近代史から見ると、これは特筆すべきことだ。
(サッカー協会の人脈から選ばれた監督たちが、そのたびにチームをリセットしていたのに、初めて日本とまったく無縁なところからスカウトしてきた監督が最も強く既存のチームに敬意を払っているというのは、皮肉なことともいえる)

 と同時にザッケローニは、南アフリカに行ったがチャンスに恵まれなかった選手たちや、そもそも南アフリカに行けなかった選手たちにチャンスを与え、それぞれが結果を出した。特筆すべきは、吉田、伊野波、細貝、李と4人もの選手が代表初得点を挙げたことだろう。それぞれが試合を決定づける(あるいは死の淵から日本を生還させる)、とてつもなく貴重なゴールだった。2人のベテランの存在があまりに大きかったセンターバックのバックアップ、あるいは後継者候補たちが経験を積んだことにも大きな意義がある。

 大会を通じて、私が最も印象に残っているのは、ピッチサイドに立つザッケローニの表情だ。就任以来、親善試合の間も穏やかで温厚な印象を崩さなかった彼が、しばしば(というよりかなり頻繁に)猛々しく、時には凶悪とさえ言える表情を見せていた。
 表現は悪いが、普段は好々爺にしか見えない元暗黒街の顔役が何かの拍子に往年の貌を垣間見せたような印象を受けた。なるほどこれがセリエAを生き抜いてきた勝負師の貌か、と納得できるものがあり、私には好ましく感じられた。

 2014年大会までは3年半もある。これまでのアジアカップウィナーのように、この勝利がワールドカップでの采配(もちろん予選を勝ち抜けばの話だが)を保証するものではないかも知れない。
 だが、この勝利は今後、ザッケローニ代表監督の仕事をとてもやりやすくするはずだ。その意味で、彼にとって非常に大きな意義を持つ。そして、彼の指導を受ける期間を得た日本代表(とその候補)の選手たちにとっても。

 試合後にザッケローニが言った通り、私は日本国民として、我々の代表チームを誇りに思う。そして、そのチームをアジアの頂点に導いた代表監督も、誇りに思っている。

 さらにいえば、ザッケローニを選んで口説いて極東まで連れてきた原博実技術委員長に感謝する。脳裏に甦る日本代表のゴールは、どれも「いい時間に入った」ものばかりだった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

佐藤岳「中澤佑二 不屈」文藝春秋

 ワールドカップ南アフリカ大会の後で出た書籍の中で、読む価値のあるものを1冊選べといわれたら、たぶんこれを挙げる。報知新聞記者の著者が、中澤の半生をたどりながら南アフリカ大会でのチームや戦いぶりを記している。
 
 まずは中澤のストイックな生き方に感服する。ここまで自分を追いつめた上に彼のプレーがあるのかと、改めて思い知った。
 そして、ワールドカップ。中澤が出場した2つのワールドカップが、当然ながら本書の大きな山となっている。内部崩壊したドイツ大会と、それに対する反省を抱いた経験者たちがどう南アフリカ大会に臨んだか、という部分を軸に、著者はワールドカップを書く。
 
 著者は5月以降の岡田監督には批判的なスタンスをとっている。巷間ほめたたえられた戦術の変更、キャプテンの交替。スイスでのミーティングの成果についても、そう劇的なものとしては捉えていないし、岡田がそれをネガティブに受け取ったかのような書き方でもある。
 ただし、本書の中で著者は岡田自身には取材をしていない。岡田に対するネガティブな見方の根拠は、主に「ある選手」の言葉として示される。それがすべて同一人物なのか、複数の選手なのかも定かではない。
 ワールドカップ後に多勢を占めた「岡田礼賛」の言説が間違っていて本書だけが真実だ、とは思わない。ひとつの結果の背後にはさまざまな要因があり、立場によって見方は変わる。出場した選手、それも、レギュラーと控えとの間だけでなく、試合に出ていた選手たちの見方でさえ、ひとつではないだろう。
 本書では、少なくとも中澤の言葉として語られる部分については信頼が置ける。中澤という1人の中心選手にとって2つのワールドカップがどうであったか、ということだけでも、書き残される値打ちがある。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧