小川勝「オリンピックと商業主義」集英社新書

 ワールドカップの開催年には、地味だが興味深いサッカー本がよく刊行される(なぜか白水社からよく出る)。五輪の開催年には、地味だが興味深い五輪本がよく刊行される(北京五輪の年には武田薫の「オリンピック全大会」が出た)。そういう年でなければなかなか出せないような、貴重な資料であることが多い。
 これもたぶん、そんな1冊となる。

 小川勝はスポーツニッポン出身のスポーツライター。プロ野球や五輪競技を中心に書いている。
 私にとっては、「Number」で連載している記録コラムの印象が強い。記録中心の書き手というわけではないけれど、スポーツを数字から語ることに、現在、もっとも長けたひとりだと思う。
 サイバーメトリクスのような複雑な数式を駆使するわけではなく、小川が扱う数字は、主に公開情報や、それらに多少の加工を加えたくらいのデータだが、そこからの分析や考察が優れている。数字の向こうでプレーしたり采配をふるったりしている生身の人間に対する洞察が優れているのだと思う。数字を読む面白さを味わわせてくれるという点では、私にとっては故・宇佐美徹也以来の書き手だ。

 その著者が、「オリンピックと商業主義」を正面から取りあげた。ただし、タイトルから「黒い輪」のような暴露本・IOC糾弾本を予想した人がいたとしたら、それはちょっと違う。
 どう違うのかは、小川自身が序章の中で書いている。

オリンピックに対して、我々には二つの立場が提供されている。
 一つは--こちらが多数派だが--オリンピックを、古代オリンピックから続くアスリートの崇高な祭典ととらえ、舞台裏の事情はさておいて、テレビの前に(あるいは観客席に)座るという立場である。
 もう一つは、舞台裏の事情に目を向け、オリンピックにまつわる利権のシステムを追及し、国際オリンピック委員会(IOC)が掲げている理念との馬鹿馬鹿しいほどの乖離を指摘して、近代オリンピックを批判するという立場である。
  (中略)
 この二つの立場が、議論のテーブルに着くことはほとんどない。前者の数があまりに多いため、後者の声はメディアの片隅に追いやられている。前者は、後者の声を無視するか、あるいは軽い一瞥のあと、部屋に紛れ込んだ虫でも払いのけるように排除してしまう。一方、聞く者が少なければ、後者の声はどうしても過激になる。聞こうとしない者たちに対して冷笑的になっていく。そしてますます、両者の距離は遠のいていくように見える。
 本書は、この両者の間に端をかけようとする、ささやかな試みである。

 <オリンピック>を別の言葉に置き換えたくなるような今日このごろだが、どんな分野においても、こういう書き手は貴重である(こういうスタンスを取ると、なかなか熱烈な支援者やファンはつきにくそうだが)。
 
 本書のスタンスも、記録を扱う手付きと似ている。本書で扱われるのは、不正な金の流れを示す極秘資料、というようなものではない。著者は、各大会の公式報告書などから、それぞれの大会の収支やその内訳を示し、それらがどのような変遷を辿ってきたか、変化の背景に何があったのかを解説していく。つまり、原理的には誰でもアクセスの可能な公開情報から、「オリンピックと商業主義」の流れを追っていく。資料を集めること自体はスポーツジャーナリズムに携わる人ならさほど難しくないはずだが、こういう形でまとまったものは、あまり記憶にない。そして、そんな平凡にも見える作業の中から、意外な事実がいくつも浮かび上がってくる。

 オリンピックの商業主義への転換点といえば、1984年のロサンゼルス五輪、というのが定説だ。
 著者は、<大筋において間違いではないものの、(中略)現実はもっと複雑で、入り組んでいる>として、それ以前の大会から商業化への兆しはあったこと、ロサンゼルス大会では、商業化の事実はあっても明確な弊害は見られないことなどを指摘していく。当時のロサンゼルスをはじめ、開催都市の関わり方も多種多様であることに改めて気づく。IOCや企業以上に、開催都市に大いに問題があったケースも散見される。
  一方、まだオリンピックが厳格なアマチュアリズムに支配されていた1964年の東京五輪で、代々木第一体育館の電光掲示板にHITACHIの文字が入っていた、というエピソードは、まだマーケティングなどというものを誰も意識していなかった牧歌的な時代であることを印象づける(日立は電光掲示板を寄付しただけで、そこに名前を入れる対価を支払ってはいなかったという)。

 そうやって、さまざまな事象を歴史の時間軸の上に置くことで、スポーツメーカーのマーケティング、テレビ放映権料など、オリンピックに大きな影響を及ぼす金の流れが、いつからどのように始まり、どう変化してきたか、それぞれの大会で開催地の自治体や組織委員会が大会を(主に財務面で)どのように運営してきたか、貴族主義的だったIOCがどのようにオリンピックをビッグビジネスに変えてきたか…といった、オリンピックと商業主義を考える上での重要なファクターが、わかりやすく整理されていく。

 坦々と記述されてはいるけれど、著者は単なる客観中立の書き手というわけではない。
 例えば北京五輪で水泳と体操が「午前決勝、午後予選」という競技時間になったことに対して、<こうしたコンディション調整を強いるスケジュールが、選手にとってベストの競技環境であるはずはない><彼らが尊重したのは、米国のテレビ局のCM売り上げの方だった><この意味で北京大会は、かつてないほどひどい形で商業主義に陥った大会だったと言える>と厳しく批判している。
 一方では、テレビ放映の便宜のために行われる競技のルール改正について、<商業主義の弊害として取り上げられる事柄>と指摘しつつも、個々のケースを検討し、すべてが競技の本質を損ねるとは言えない、としている。

 商業主義とは何を指すのか、オリンピックにおいて失われてはならない価値は何なのか。
 小川は、前提となる概念をひとつひとつ確認しながら、論を進めていく。まったく当たり前のことなのだが、この「当たり前」の手続きをきちんと踏まえることのできる書き手は、案外多くはない。

 2012年のロンドン五輪は、「選手のためのオリンピック」を標榜して招致合戦を勝ち抜いた。そんな性格の大会において、商業主義はどんな相貌を見せるのだろうか。
 本書は、そんな観点からロンドン五輪を見るための、絶好の手がかりになるだろう。

 なお、「おわりに」の中では、私が当ブログの中で再三批判してきた、東京都の五輪誘致活動についても言及されている。<「オリンピック開催による恩恵」をPRすることばかりに重点が置かれている>という現状認識は私と同じだが、著者がそこで示した代案には少々意表をつかれた。なるほど本書の締めくくりにふさわしい提案である。

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えのきどいちろう「F党宣言! 俺たちの北海道日本ハムファイターズ」河出書房新社

 あれほど野球のことばかり書いたり喋ったりしてきた著者にとって、これが初めての野球に関する単著らしい。シンジラレナイ。反面、この本は、そういう立場に置かれるのにとてもふさわしい内容でもある。
 日本ハムファイターズが札幌に移転したのが2004年シーズン。本書はその前年の夏から始まった北海道新聞の連載コラムを、2010年シーズン終了分までまとめたものだ。4人によるリレーコラムだが、えのきどだけが隔週で書いている。
 移転前夜から初年度、新庄フィーバー、2連覇、梨田ファイターズ発足に中田翔の覚醒。もちろん、この間にダルビッシュが大エースになり、田中が引退し、森本や田中賢介ら鎌ケ谷育ちの若手が主力選手に育っていく。2週に1度づつ、7シーズン半にわたって書きためたコラムが、気がつけば北海道ファイターズのクロニクルになっている。
 読み返して思うのは、時評的なコラムでありながら、えのきどは折々に、いま目の前で見ているものの位置づけを論じる。ファイターズの歴史にとって何なのか、彼の野球人生にとって何なのか、北海道というフランチャイズにとって何なのか。一編一編がそのように書かれているから、ひとまとめに読んだ時にも、単なる寄せ集めではなく、ひとつの歴史を綴ったものになっている。コラムニストを本業とする著者の面目躍如でもある。

 連載は北海道の読者を想定して書かれているから、最初のうちは紹介目線である。別に「上から」ではなく、「ぼくの大事な人がそっちに行くから、ぜひよろしくお願いします」という姿勢であり、「ファイターズってこんなチームなんだ、いいでしょ」という少年のような素直な自慢でもある。それがだんだんとタイトル通りの<俺たちのファイターズ>になっていく。

 一方で、道新以外の雑誌などに寄稿したコラムが、その年度の最後にまとめて記載されている。ある意味では、これらが本書の白眉でもある。
 北海道の読者の前では意識して抑えていたようだが、東京生まれ東京育ち東京在住で70年代前半からのファイターズファンで東京ドームに年に何十回も通っていた著者にとって、ファイターズが東京から去ることのダメージは巨大なものがあったはずだ。それでも著者も誰も、移転に反対する声を挙げたりはしない。単に大人しくて控え目だからという性向もあるかも知れないし、著者のように、球団の生き残りを考えたら北海道に移った方がよい、というオトナの判断もあったのかも知れない。
 そんな複雑な思いのたけが、「さらば東京ファイターズ!」「ファイターズが東京を去った日」の2つのコラムに吐露されている。

<最終戦、東京ドームに駆けつけたファンは、皆、少数派としてこの街で暮らす人たちだ。満員の入りでもウェーブひとつするわけじゃない。普段は市井のどこかで肩身の狭い暮らしをしている。万年弱小球団を見て、どこか自分に似ていると思ったのだ。そして、自分を見放すことができないように、弱小球団を見放すことができなかった。>(「ファイターズが東京を去った日」)

 今やファイターズは、ぎっしり埋まった札幌ドームのファンが地鳴りのような声援を送り続ける、地元のナンバーワンチームであり、毎年のように優勝を争う強豪チームでもある。だが一方で、ファイターズの原点はあのまばらで、でも何ともいえずにいい雰囲気のあった東京ドームであり、こういう観客たちだった。だから何だ、という話ではないけれど、「スポーツを観ること」からいろんなものを削ぎ落としていって最後に残るのは、こういう姿であるような気がする。

 そして、そんな球場で弱いチームを長年見続けた著者が、選手ひとりひとりに注ぐまなざしの温かさが快い。田中幸雄の打席に吹く春風を受け、森本ひちょりの心の震えを感じながら、著者は選手たちを眺めてきた。かつて東京ドームのスタンドにいた人々。二軍の若手たちが鍛える鎌ケ谷スタジアム。ここには、プロ野球のあらゆる楽しみ方のサンプルがある。
 「今の野球はつまらなくなった」という年配者の言説を私は信じない。野球そのもののレベルはともかく(それが低くなったとも私は思っていないが)、それを見ることが面白いかつまらないかは、見る側の力量にもかかっているということを、本書を読むと改めて感じる。

 なんだか最後はわけのわからない思い入れを語っている文章になってしまったが、たぶん、「スポーツを観ること」のスタンスにおいて、私は著者に似たところがあるのだと思う。著者は私のような屁理屈をこねることは、めったにしないけれど。
 
 
 
 これが今年最後のアップになります。
 相変わらずの半休眠ブログですが、こんな感じでときどき思い出したように更新するペースが続くことになる見込みです。訪ねてくださる奇特な方々に感謝します。
 皆様がよい年を迎えられますように。

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佐藤岳「中澤佑二 不屈」文藝春秋

 ワールドカップ南アフリカ大会の後で出た書籍の中で、読む価値のあるものを1冊選べといわれたら、たぶんこれを挙げる。報知新聞記者の著者が、中澤の半生をたどりながら南アフリカ大会でのチームや戦いぶりを記している。
 
 まずは中澤のストイックな生き方に感服する。ここまで自分を追いつめた上に彼のプレーがあるのかと、改めて思い知った。
 そして、ワールドカップ。中澤が出場した2つのワールドカップが、当然ながら本書の大きな山となっている。内部崩壊したドイツ大会と、それに対する反省を抱いた経験者たちがどう南アフリカ大会に臨んだか、という部分を軸に、著者はワールドカップを書く。
 
 著者は5月以降の岡田監督には批判的なスタンスをとっている。巷間ほめたたえられた戦術の変更、キャプテンの交替。スイスでのミーティングの成果についても、そう劇的なものとしては捉えていないし、岡田がそれをネガティブに受け取ったかのような書き方でもある。
 ただし、本書の中で著者は岡田自身には取材をしていない。岡田に対するネガティブな見方の根拠は、主に「ある選手」の言葉として示される。それがすべて同一人物なのか、複数の選手なのかも定かではない。
 ワールドカップ後に多勢を占めた「岡田礼賛」の言説が間違っていて本書だけが真実だ、とは思わない。ひとつの結果の背後にはさまざまな要因があり、立場によって見方は変わる。出場した選手、それも、レギュラーと控えとの間だけでなく、試合に出ていた選手たちの見方でさえ、ひとつではないだろう。
 本書では、少なくとも中澤の言葉として語られる部分については信頼が置ける。中澤という1人の中心選手にとって2つのワールドカップがどうであったか、ということだけでも、書き残される値打ちがある。

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木村元彦「社長・溝畑宏の天国と地獄」集英社

 溝畑の存在を知ったのは、著者の木村が「サッカー批評」に書いた記事が最初だったと思う。本書の後書きに紹介されている18号での文章が、たぶんそれだ。
 溝畑はまだ自治省(当時)の官僚だった。大分県に赴任していた時期にトリニータを立ち上げ、ほぼ1人で切り盛りしていた人物が、異動して本省に戻った後もクラブを遠隔操作していることの異常さについて書いていた。記事の中に溝畑の実名は出ていなかったように思う。
 その後、ついに官僚を辞してトリニータの社長となり、背水の陣で経営の最前線に立ったことで彼の名を知った。その後の大分の躍進ぶりは言うまでもないし、ナビスコカップをとった時には彼自身もずいぶんとメディアにもてはやされていた。
 が、そこからの転落も早かった。
 
 本書は、それほど早い段階から溝畑に注目していた著者が検証した、大分トリニータの経営破綻に至る一部始終である。著者は溝畑に対して決して好意的な立場にはなかった。それは「サッカー批評」に発表した一連の記事が示している。それでも溝畑は彼の取材に協力し、木村は是々非々で溝畑の功罪を記していく。
 立場を超えて被取材者の信頼を得られるのはなぜなのか、それは本書を読めばわかると思う。
 
 サッカー界では悪者扱いの溝畑だが、本書を読めば、ひとりの悪役を仕立てて攻撃すれば済むような単純な話ではないことはわかる。私はつい溝畑に肩入れしたくなりそうになったが、読後しばらくして、観光庁長官になった溝畑が、BSフジの「東京会議」という緩い番組で小山薫堂らが訪ねる形で出演し、異様なテンションでおおはしゃぎして、訪ねた小山たちが気圧されたり退いたりしているのを見て呆れた。
 これは確かにある種の怪物だ。私が知っているどんな類型にもあてはまらない人物だ。トリニータを潰した男が長官か、という素朴な反感は私にもあるけれど、たぶん、海外から観光客を日本に招くなどという仕事は普通の官僚にはできないし、なかなかの適材適所かもしれない、という気もしている。
 
 
追記
当初、文中でサッカー批評最新号の犬飼前JFA会長のインタビュー記事が木村元彦氏の手によるものと記していましたが、コメント欄でのA吉氏のご指摘の通り、ミカミカンタ氏の誤りです。当該の記述を削除しました。

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桑田真澄・平田竹男「野球を学問する」新潮社

 気がついたらもう今年最後の日。
 書きそびれたことはたくさんあって、そのかなりの部分は自分でも忘れてしまったような気がするが(ホントは、その瞬間に書き残しておくのがblogの効用なんでしょうね。来年はツイッターを活用することにするか)、とりあえず、印象に残った本のことを簡単に記しておく。

 最初は前のエントリのように、ひとつにまとめて書き始めたのだが、それぞれ独立させた方が検索でひっかかりやすそうなので、分けて連続投稿とする。読みにくいかもしれないがご容赦を。
 今さらアクセス数を稼ごうとは思わないが、それぞれの本をお勧めしたいので少しでも多くの人の目に触れたい気持ちの表れとご理解ください。

 で、表題書。

 引退後、早大の大学院スポーツ科学研究科に09年春から1年間在籍した桑田真澄と、その指導教官だった平田竹男の対談。平田は日本サッカー協会で2002年から06年までジェネラルセクレタリー(専務理事)を務めた人物でもある。
 桑田が書いた「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」は、大学院でその年度の最優秀論文に選ばれるとともに、日本スポーツ産業学会から濱野賞を贈られたという。この学会は、会長が滝鼻卓雄・読売巨人軍オーナーで、理事長が平田竹男なのだから(で、副会長は奥島孝康元早大総長)、お手盛り感を覚えないわけでもないけれど、それでも、桑田の論文が高い価値を持つことについては疑う余地がない。それは本書を読めばわかる。
 
 桑田は研究のため、プロ野球現役選手に、高校時代の練習に関する意識調査のアンケートを行っており、270人から回答を得ている。質問項目は、練習時間の長さやそれに対する感想、指導者の飲酒・煙草・体罰等の有無、ケガをおしてのプレーの強要、投球数制限の有無、指導者を志望するか否か…など多岐にわたる。
 こんなデリケートな内容のアンケートに270人ものプロ選手が回答し、さらに六大学野球部の選手たちも回答する。この回収率自体が驚異的であり、それはアマチュア(高校野球)とプロの双方で抜群の実績を残し、こと野球に対する真摯な取り組みと高い理論が知れ渡っていて、なおかつスポーツに学問として取り組もうという人物にしかなしえない。そんな人は桑田しかいない。引き合いに出して悪いけれど、小林至では無理だろう(小林氏のスポーツビジネスにおける見識や能力を批判するものではないけれど、現役時代の実績とそれが現役選手たちにもたらす威光に差がありすぎるのだ)。
 
 そして、対談で語られる彼の「野球道」に対する考えも、そのアンケートの貴重さに相応しい。桑田は、現在のアマチュア野球の思想的背景をなしている飛田穂州の野球哲学を現代に即して再構成しようとする。結論はそう非凡なものではないけれど、最高レベルの実践がそれを裏打ちしている、という点で説得力は圧倒的である。
 対談の中で平田は<ぼくは将来的には桑田さんに、プロ野球のコミッショナーになってほしい>と話している。そして、桑田もそれを否定してはいない。

 私も同感だ。だが、コミッショナーそのものになるには、さまざまな面でハードルがあるし、時間もかかる。さしあたり加藤コミッショナーは、桑田を何らかの形で遇するか、あるいは内々でもブレーンとしてアドバイスを求めるか、どうにかして彼の見識を生かしてほしい。桑田自身がコミッショナーになるには、どうしたって20年やそこらはかかる。そんな先までプロ野球が健在である保証はないのだ。今すぐ彼を生かした方がいい。

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高代延博「WBCに愛があった。 」ゴマブックス

 今春の第2回WBCで三塁ベースコーチを務めた高代延博が大会を回顧した本。あとがき等を見ると、スポーツ・ヤアの元編集長、本郷陽一が関わっているようだ。

 第1回大会の後には2冊のドキュメンタリーが刊行されたが、いずれも取材者(石田雄太、石川保昌)の手によるものだったから、インサイダーによるWBC回顧録というのは初めてで、それだけで興味深い。三塁ベースコーチとして、日本代表の攻撃のすべてをグラウンドで体験してきた高代であれば、なおさらだ。

 刊行時の目で記したプロローグ、大会そのものについての考えを述べたエピローグを除くと、本書は著者が原代表監督から三塁コーチへのオファーの電話を受けた日に始まり、帰国便が成田空港に到着する場面で終わる。
 コーチ陣の編成が発表された時、私は、原と高代にどういうつながりがあるのだろうと訝しく思ったものだが、高代自身も同じような戸惑いを持っていたようだ。ジャイアンツとのプレーオフに敗れたその夜に、落合監督自身の口から翌年の構想に入っていないことを告げられ、その2日後、ナゴヤドームで荷物をまとめている最中に、携帯電話に原自身から連絡があった。
 意欲はあるものの、WBCに参加すれば、そのシーズンはもうコーチとしての仕事はない。生活のためには他球団に就職した方がよいのではないか、と迷った高代は、率直に事情を話して返答を保留するが、プレーオフが終わるような時期には、すでにどこの球団も監督・コーチ人事は完了していた。原の誠意、妻の勧めにも推されて、高代はコーチを引き受ける。
 …というような、わりとなまなましい内情が、坦々と記されていく。首脳陣の顔合わせ、選手選考*と、大会に向けた準備が進み、そして合宿へと向かっていく。

 面白いのは首脳陣の人間関係における高代の立場だ。
 もちろん高代のコーチとしての手腕は評価され、仕事の上では尊重されていたのだろうが、高代は人間関係の上ではまるで外様なのだ。この大会限りのプロジェクトチームとして集められたコーチ陣とはいえ、それぞれに既存の関係はある。王顧問、原監督、篠塚・緒方コーチというジャイアンツ人脈が中心にあり、投手コーチの山田、与田は職掌上は専門外。
 そのため、仕事を離れた場面では一人で過ごすことが多かったようで(酒を飲まないコーチが多かったせいもあるらしい。高代自身は飲む人なので)、本書では、合宿や遠征生活の中で一人で夕食に出かける場面がたびたび出てくる。というより、監督主催などの食事会以外では、スタッフと行動をともにする場面がほとんどない(選手とは食事をしないのがポリシーらしい)。食事会で王顧問の隣に座るたびに緊張しているのもおかしい。
 別にそれがトラブルや不和の存在を示唆しているというのではなく、プロジェクトチームの成り立ち方というのはそんなものだろうな、とも思う。いい大人が1か月以上も集団生活を送るのだ。よほど気心の知れた相手でなければ、四六時中一緒にいたのでは疲れてしまうことだろう。何気ない場面だけれども、こういう描写にリアリティを感じる。
 
 宮崎での合宿、そして大会がスタートすると、今度は三塁ベースコーチとしての高代の眼と腕が前面に出てくる。これも本書の肝だ。
 どの試合のどの場面で、どの走者のスタートが遅れたことがどういう結果をもたらしたか。どうすれば自分は失敗を防げたのか。ある局面で本塁突入を指示し、別の局面で止めたのはなぜか。相手外野手の肩をどう評価していたか。テレビで見ているだけではなかなか判らない(いや、球場で見ていても判るとは限らない)、微妙なプレーと判断の機微が、試合の行方を左右していく。まさに「三塁コーチが見た侍JAPAN」(サブタイトルの一部)である。高代が書く三塁コーチ論をぜひ読んでみたい、と思わせる。ま、ご本人はまだまだコーチとして仕事を続ける意欲たっぷりだろうから、本当に肝心なことが書けるのはずっと先になるのかも知れないが。

 高代にはもうひとつ、守備コーチとしての仕事もあった。
 合宿に集まった内野手たちからアドバイスを乞われて、それぞれに対して課題とその解決方法を教える場面は圧巻といってよいが、白眉は何といっても村田への指導だろう。

 WBCを見ていて驚いたことのひとつが村田の守備だった。決して上手ではなく、そもそも本人がまともに意欲を持っていなかったことは確実(昨年末のテレビ番組で、広島の東出から「広島遠征では毎晩焼き肉屋に通っているから、3連戦の3日目あたりには明らかに守備の動きが悪い」と指摘されて、「今は食べたいものを腹いっぱい食べたい」と居直っていた)だった村田が、厳しい打球に飛びついて、しばしば危機を救っていた。本書では、原監督と高代が、村田の意識を変えて練習に取り組んでいく様子も記されている(横浜の指導者はこれまで何を教えてたんだろう、という気もしないでもないが。こういうことをきちんとさせられないのが弱いチームなのだろうな)。
 
 高代のノックの巧さが、USAで行われた第2ラウンド以降、現地のメディアに絶賛されていたという話は、大会当時も話題になっていた。本書でもその件が紹介されている。練習試合を行ったサンフランシスコ・ジャイアンツのベンチコーチが、守備理論を聞くために高代を訪ねてきた場面も興味深い。ベテランのベンチコーチを感服させる高代も見事だし、日本人にわざわざ教えを乞うコーチも立派だ。

 もちろん、ひとり高代だけでなく、原監督をはじめ伊東、山田、篠塚ら、それぞれのコーチに、それぞれのWBC物語があることだろう。彼らのような指導者がチームを支えていたこと、そもそも高代のような指導者がいること自体が、日本野球の強みなのだろうと思う。
 高代は法大ー東芝と進んだ後にドラフト1位で日本ハムに入団、日本ハムで10年、広島で1年の現役生活を過ごして引退。そのまま広島でコーチ生活に入り、90年から昨年まで19年間コーチ業をしてきた。現役時代から守備と走塁に定評のある内野手だったから、もともとそれらの技術については思考と実践を重ねていたのだろうが、人に教えるとなればまた別だ。
 本書は、優れたコーチとなった高代の仕事ぶりをWBCという特殊な大会を通じて描いたものだが、そこに至る過程、彼がいかにして優れたコーチとなったかについても興味が湧いてくる。
  
 
*
亀井義行の選考については、本書によれば高代自身が推挙したという(昨年末にテレビ番組に出演して、亀井の守備を高く評価したこともあった)。このblogで議論になったこともあるので、該当部分を引用しておく。

<問題は、外野の守備がための選手の是非だった。
 外野担当の緒方コーチも、そこは決めかねていたようで「例えば逃げ切りたいときに、どうしますか? 青木、イチローに代打はないですよね。福留に代打はあるかもしれません。その場合、守りはどうしましょうか」と全員に問題提起した。
 私は「亀井義行はどうか」と推薦した。
 色眼鏡で見られる巨人の選手、しかも実績には欠ける。だから、原監督や緒方ら巨人のスタッフにしてみれば、自分のチームの選手を推しにくかったのかもしれない。しかし、私は、敵チームである中日の三塁コーチャーズボックスに立っていて亀井は嫌な外野手の一人だった。肩と、打球を処理してからの動作の速さに関して言えば、全盛期の高橋由伸にもヒケを取らないレベルにあると感じていた。
 最終メンバーまで亀井が入ったことに「巨人だから選ばれた」という批判があったみたいだが、内情は違う。これは亀井の名誉のためにも特記しておきたいと思う。>

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100万ヒット記念・自選エントリ集(スポーツ一般/スポーツライティング篇)

 第3弾は野球とサッカー以外のスポーツを扱ったエントリと、スポーツライティングの書評のようなものです。

<その他のスポーツについて>

美を採点するという困難
野球とサッカーの次に多く取り上げているスポーツは、フィギュアスケートかも知れません。そんなに熱心なファンというわけでもないんですが。

氷上に咲く「時分の花」。
「浅田真央をトリノ五輪に出すべし」という騒ぎを真っ向から否定したので、荒らしさんも来ましたが、貴重なコメントもいくつかいただきました。
コメント欄の最後に書いた「幸福なシナリオ」、今のところは十分に可能性があることを嬉しく思いつつ、実現を祈っています。

ワタシをスキーに連れてってくれないのなら。
ウィンタースポーツが低迷する構造について。アイスホッケーのSEIBU廃部もショッキングな出来事です。これもいろいろ教えてくれる方がいて勉強になりました。

普通の人の、普通の人による、普通の人のための競技。
カーリング礼賛。後で出た小野寺さんの本を読むと、競技の背景に関する推測はだいたい当たっていたようです。チーム青森は世代交代に成功しているようで幸甚。

クール・ビューティーの威厳。
荒川静香の金メダルの滑りについて。その後、リンクで見たことはありませんが、時折テレビで見る彼女のスケートは、やはり味わい深くなったように感じます。

国立競技場をとりまくイヤな空気について。
サッカー専用に改修しようという動きも出てきましたが、2016年五輪が実現するか否かにもかなり影響されそうな雲行き。

歌っていた女王。
安藤美姫の世界選手権制覇に寄せて。浅田、荒川、安藤とエントリを立ててきましたが、いちばん好きなスケーターは武田奈也だったりします。

柔道の国際的地位は嘉納治五郎の政治力によって築かれたのではなかったか。
その後、嘉納家が全柔連と講道館のトップを退くことが決まったようです。嘉納家を悪役にするつもりはありませんが、全柔連や講道館が普通の組織になって国際戦略を練っていく上では、たぶんよいことではないかと思います。

伴走者が脱落する時。
競泳のレーザーレーサー問題について。日本のメーカーが悪いとか水連が悪いとか選手がかわいそうとかいう皮相的な論調には違和感がありました。日本メーカーも新作を投入して巻き返しを図っているようです。


<スポーツライティングについて>

井戸を掘った男たち<旧刊再訪>
blog開設初期には、古い本を2冊セットで語る、という趣向の<旧刊再訪>シリーズというのを時々やってました。これはJリーグ草創期を書いた本2冊。
手間がかかるのでシリーズは消滅しましたが(笑)、2冊組にするかどうかは別として、古い本を掘り起こして紹介する作業はしていきたいと思っています。

あるアメリカ人の詭弁術−−三木谷浩史社長に捧ぐ。
マーティー・キーナートの楽天GM就任を機に、彼が昔ネットに書いたコラムを批判した文章。元のサイトがなくなってしまったので微妙ですが。

『星屑たち』と、もうひとりの「アトランタ組」。
10年後くらいにさらに続編を読んでみたい本です。金子氏は今も落とし前をつけてはいません。

木村元彦『オシムの言葉』(集英社インターナショナル)
不朽の名著。加筆した文庫版も出ました。

名もない野球人へのまなざし<旧刊再訪>
これはもう、ぜひ原著を読んでいただきたい。木庭さんは野球殿堂入りすべき人物だと思います。

田口壮『何苦楚日記』主婦と生活社<旧刊再訪>
ワールドチャンピオン記念、という感じです。最近の田口サイトを見ると、寛くんはもう幼稚園児。他人の子供は早く育つものです(笑)。

真冬にビキニはたいへん結構だったのだが。
SPORTS Yeah!の休刊について。その後、老舗雑誌がばんばん潰れており、もはやスポーツ雑誌だから云々という次元ではなくなってきました。Yeah!は買い手を見つけたらしく、同じ編集長や執筆陣によるムックが出ています。WBC前に出たものは読みごたえがありました。

ベッテ/シマンク『ドーピングの社会学』不昧堂出版
ドーピングに関しては何度か書いてますが、いちばん読んで欲しいのはこのエントリ。というか、原著を読んでもらいたいわけですが。

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NHK知るを楽しむ「人生の歩き方/井村雅代 私はあきらめへん」日本放送出版協会

 おかしな表題になっているのは、これがNHK教育テレビの番組テキストだからだ。

 「知るを楽しむ」は月〜木の22:25から25分間の番組で、曜日ごとにテーマがあり、それぞれ月替わりのシリーズを放映している。本書は毎週水曜日の人物モノ「人生の歩き方」の2月分として放映された番組のテキスト。これから放映する3月の辻村寿三郎と2人分で1冊になっている。
 井村の第1回分の放映を観たら面白かったので、そのまま4回全部見てテキストまで買ってしまった。

 番組は、井村へのインタビュー(聞き手は渡辺あゆみアナウンサー)をベースに、話題に合わせた写真や映像が挿入される。インタビュー番組のテキストって何が書いてあるんだろう、と書店で手に取ったら、放映されたインタビューを文章に起こしたものだった。
 内容はほぼ同一だが細部では微妙な違いがある。同一のマスターテープから、別個に編集したということなのだろう。各回の文末には「(文/松瀬学)」とあって驚いた。アマチュアスポーツ中心に活動し著書が何冊もあるスポーツライターだ。NHK、贅沢に作ってるなあ。
 
 
 井村雅代は、日本のシンクロナイズドスイミングのメダリストたちを育てたコーチで、昨年の北京五輪では中国のコーチに就任、チーム演技で史上初のメダル(銅)に導いた人物。ソフトボールの宇津木妙子元監督と並び、「日本3大怖い女コーチ」*の1人といってよい(Amazonで井村雅代を検索すると、なぜか宇津木の著書も一緒に表示される)。

 井村に関する私の知識はその程度のものだった。シンクロという競技自体にそれほど強い関心がないので、彼女の著書やインタビューを熱心に見たこともない。
 今回の番組に限って見る気になったのは、中国でのコーチ経験について興味があったからだ。
 日本のシンクロを背負ってきた彼女が中国代表のコーチに就任したことは、国内では衝撃をもって迎えられた。かなりの非難も受けたようだ(今もGoogleで「井村雅代」を検索すると、「他のキーワード」として「井村雅代 裏切り」「井村雅代 国賊」「井村雅代 売国奴」といった文字が表示される)。

 本書で、井村は次のように動機を説明する。

<ロシアのコーチやアメリカのコーチだって、いろんな国で教えているじゃないですか。シンクロはロシア流、アメリカ流、日本流とテイストが違うんです。だから、日本のコーチだっていっぱい世界に出ていったほうが、日本流がメジャーになっていくわけです。
 もしもわたしが中国からの要請を断ったならば、どうなるだろうと考えたんです。きっと、ロシアのコーチが中国に行くだろう。そうしたら、またロシア流シンクロが脚光を浴びて、日本流シンクロをアピールする場所がなくなるんです。同調性など、日本流シンクロのよさをアピールするためには、北京五輪は開催国だから絶好の場所だったんです。脚光を浴びるでしょうから。だから、わたしは断ることができなかった。これはいつか日本が世界一になるために大切なことなんだと思ったんです。>

 シンクロは採点競技だ。配点の基準はあるけれども、水泳連盟サイトの解説を見ても、例えばフィギュアスケートのように、どの技に成功すれば何点、などと具体化されているわけではなく、「大変よい」「よい」「充分」「普通」など、審査員の判断で点数は決まっていく。つまり、印象や主観に大きく左右されるということだ。

 以前、元選手でメダリストの小谷実可子がどこかに書いていた文章を読んで驚いたことがある。
 小谷によれば、シンクロの大きな大会では、そもそもやる前から順位は決まっている、という。別に不正があるとかいうことではなく、それまでの実績などから“普通にいけばこの順位”という相場のようなものを審査員も選手もコーチも共有しており、それをいかに覆していくかという勝負なのだ、という。そのためには、たとえば五輪で1回だけ素晴らしい演技をしてもダメで、小さな大会で実績や好印象を積み上げていくことが大事なのだ、と。
 
 だから、日本流のシンクロの勢力圏を拡げるために他国でコーチをする、という井村の意図には納得できる。当時、井村はすでに日本代表コーチから退いて1年以上経っていたから、筋から言えば問題はない。
 ただ、井村の指導を受けてきた日本の選手たちには動揺もあっただろうし、世の中の中国嫌いな人たちを刺激してしまったのは彼女にとっては予想外だったようだ。そして、結果的に北京五輪で中国が日本を上回ってしまったのも計算外だったろう。井村が考えたような効果に結びつくかどうかは、長い時間をかけなければわからないことだ。

 2回目以降は、井村の生い立ち、競技との関わりから時系列に沿って語られる。下手な選手だった現役時代。引退後に中学教師として生活指導に取り組んだ経験。コーチとして再びシンクロ界に戻り、二足のわらじで奮闘したこと。
 初めての五輪参加の後、浜寺水練学校から事実上解雇され、慕って付いてきた選手のためにクラブを立ち上げたものの、大阪ではプールを貸してもらえないという嫌がらせを受けたこともあったという。それでも優れた選手を育てて代表に送り込み、自身も代表スタッフに加わっていく。経歴のすべてから、強烈な意志とエネルギーがほとばしっている。
 
 
 さすが、と思う発言も端々にあった。一例を、第4回「ホンキだから叱る」から。

<あまり叱っている感覚がないんです。ほんとうのことを言っているだけです。><たとえば、「あなたの脚、短いね」「汚い脚」って言うじゃないですか。ほんとうだもの。でも、それで終わったらダメなんです。どうにもならないことなんて世の中にないんです。必ずどうにかなる。それを考えるのが人間、それを教えるのがコーチです。><脚が短いのは構わない。短く見えることがダメなんです。脚が短くても、筋をぎゅーっと伸ばして、人の目をぐーっと上にいくようなオーラを出したら、長く見えるじゃないですか。>
 
 単なる精神論、根性論だけではないことがよくわかる。根性とソリューションが必ずセットになっている。というより、根性でソリューションをひねりだす、ということか(根性だけで、あれほどの成績を続けて収められるはずがないのだから、当たり前ではあるが)。
 
 このように、ビジネス書やビジネス雑誌が特集を組んだり引用しまくりたくなるような名言が随所に出てくるのだが、しかし、この人のやり方は迂闊に真似をすると危険だ。
 ここで語られている指導法は、とことん正面から選手に向き合おうという井村の猛烈な意志、猛烈なエネルギーに裏打ちされることで初めて効果を発揮する方法なのであって、それがないまま口先だけ取り入れようとしても何の意味もないだろう。「生兵法は怪我のもと」という諺がそのまま当てはまりそうに思う。
 井村自身は、その部分についてはそれほど大したことだとは思っていない風情だが、この持続する意志と熱意があってこその成功なのだということを改めて感じる。
 
 番組テキストという形の出版物なので、書店のスポーツコーナーに置かれることもないと思うが、これは一級品のスポーツライティングだ。たぶん3月下旬には店頭から消えてしまうだろうから、興味のある方はお早めに手に取られることをお勧めする(番組は一週間後の早朝に再放送される。第4回は3/4の朝5時5分からなので、まだ見られます)。
  
 

*3人目は特に決めてません。まあ「日本3大○○」の3番目は、たいていそういうものだ。

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『昭和の魔術師』 ベースボール・マガジン社 ~田村大五さんの逝去を悼む~

 今朝の新聞の片隅に、田村大五さんの訃報を見つけた時には、本当に驚いた。
 つい最近刊行された著書『昭和の魔術師』を読んだばかりだったからだ。訃報によると亡くなられたのは13日で、ちょうど私がその本を読み終えた日だった。週刊ベースボール今週号の編集後記では、編集長を含む3人の部員が全員田村さんを追悼する文章を書いているが、本当に突然のことで、つい数日前まで普通に編集部に出入りしていたようだ。
 
 田村さん、と知り合いのように書いているが面識はない。私は一読者に過ぎない。
 たぶん週刊ベースボールを読まない人には、田村さんの名はまったく馴染みがないだろうと思うが、ここ30年くらい、ほぼ毎週読み続けている者にとっては、田村さんは週刊ベースボールの魂と言っても過言ではない人物だった。
 
 同社サイトの年表には書かれていないが、戦後まもなく月刊誌として始まったベースボール・マガジンは、一度なくなった後(週刊ベースボールとは別。週刊誌は昭和33年に刊行されてずっと続いている)、昭和53年ごろに復刊された(4,5年続いた後で季刊誌になり現在に至る、と記憶している。違ったらすみません)。
 その復刊当時に「プロ野球・謎とロマン」と題して、昭和初期の名選手たちの評伝が連載されていた。宮武三郎、景浦将といった歴史上の人物たちを生き生きと描いて、毎号楽しみに読んでいた。
 
 筆者は大道文という名だったが、後に週刊ベースボール誌上で「白球の視点」というコラムの連載が始まった時、あ、あれはこの人が書いていたのだな、と気がついた。文体がそっくりだったからだ。それが田村さんだった。
 
 「白球の視点」がいつからいつまで続いていたのか、はっきりと覚えてはいないのだが、今も続く豊田泰光さんの「オレが許さん!」と並ぶ名物連載だった。豊田さんが同世代の指導者や後輩たちをズバズバと斬っていくのと比べると、田村さんの文章はいつも暖かく、選手への思いやりに満ちていた。
(雑誌掲載が終了した後、「白球の視点」はネット上に場を移して継続され、昨年春まで続いていた。バックナンバーを今も読むことができるので、彼の文章に触れていただきたい)
 
 
 今年1月に刊行されたばかりの『昭和の勝負師』は、三原脩と水原茂、高松から始まり、東京六大学を経て、プロ野球界でも所属を変えながら続いた2人の勝負師のライバル物語を描いたものだ。2人の野球人生は巨人軍での同僚として微妙に交錯した後、九州に下った(と敢えて書く。当時はそういう感覚だったらしい)三原が西鉄ライオンズを最強チームに育て上げ、水原率いる巨人を3年続けて日本シリーズで倒した昭和30年代初頭がクライマックスだ。
 
 若き日に西鉄ライオンズの担当記者として過ごした田村さんにとっては、このチームこそが野球記者生活の原点だったのだろう。3度の対決が終わった6年後に生まれた私でさえ細部にわたってエピソードを知っているほど語り尽くされ、書き尽くされたテーマであるにも関わらず、のめり込むようにして一気に読めたのは、田村さん自身が見聞きし、あるいは当事者から聞いたエピソードの活きの良さと、書き手の気迫によるものだと思う。
 
 
 本筋のほかに印象に残るのは、「この話題についても書きたいのだが編集部から与えられた紙幅では書き尽くせないので先を急ぐ」という類の記述が繰り返し出てくることだ。
 
 一般論としては、私は書き手がこういうことを書くのは、好きではない。限られた紙幅の中に収めるのも芸のうちであり、言い訳じみたことにその貴重な数行を費やすのは潔くないと感じる。
 
 だが、本書に限って言えば、そういうネガティブな印象をまったく受けなかった。それをどうしても書いておきたい、ここで書けないのが残念だ、別の機会にぜひ書きたいんだ、という田村さんのあふれんばかりの熱意が伝わってくるからだ。三原水原の時代の熱気を今に伝えるのが執筆の動機、というようなことが前書きに書かれていたが(手元に本がないので後で確認しますが)、同時に、もしかするとそれ以上に、田村さん自身の熱さがよく伝わってくる。
 
 「あの頃はよかった」「俺たちの時代はなあ…」と語る年配者は世の中にいくらでもいる。そして残念なことに、ほとんどの場合、彼らの言葉は、現代を生きる者にとって価値を持たない。語る側の人々が、今の時代への理解と若者たちへの愛情のいずれか、もしくは双方を欠いているからだ。
 
 田村さんがそういう人たちと異なることは、例えば「新・白球の視点」を読めばすぐに判る。
 現役の野球選手たちに深い愛情を注ぎ敬意を払うことと、若き日に自分が仰ぎ見ていた偉大な人々の物語を語ることの双方が、彼の中では高いレベルで両立していた。だから、昔話を書いていても、どこかで必ず今とつながっている。
 そんな人はめったにいない。日本の野球界は、希有な語り部を失った。
 
 彼にとって特別に大切だったであろう三原・水原を主人公に据えた著書を、最後に残してくれたことは嬉しい。
 だが、その本の中で、あれも書きたい、これも書きたいと意欲を語っていた物事が、ついに語られなかったことが残念でならない。もっといろんなことを教えていただきたかった。
 一読者として、田村さんのご冥福をお祈りします。

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『寛容力』/渡辺久信にみる野球指導者の育ち方。

 ジャイアンツが日本シリーズに敗れた瞬間から、野球について見たり聞いたり考えたりするのはしばらくごめんだ、という気分に支配されていたので、書店の店頭で、優勝監督が爽やかに(異論があるかも知れないが)微笑む表紙の本を見た時も、当然ながら反射的に目をそらして立ち去ろうとした。
 だが棚から3歩くらい離れたところで、渡辺の台湾時代のことが書いてあるなら読んでみたい、と思い直して手に取り、台湾時代と二軍監督時代のことが相応の割合を占めていると知って、1200円(税別)を支払って購入した。

 で、さっそく渡辺久信著『寛容力 〜怒らないから選手は伸びる〜』(講談社)を読了。面白い。拾い物といったら失礼だが、ライオンズのシーズン優勝決定後に実務がスタートしたのだとしたら、そんな短期間にここまで充実した内容に仕上げたのは見事だ。
 
 
 渡辺の経歴を簡単におさらいすると、群馬県の前橋工業高校を卒業後、ドラフト1位で1984年に西武ライオンズに入団。1年目から一軍で登板し、工藤、郭泰源らとともに西武黄金時代の主力投手として活躍する。98年にヤクルトに移籍し、その年限りで引退。
 翌99年からは台湾プロ野球「台湾大連盟」の「年代勇士LUKA」というチームの投手コーチとなる。コーチ兼業で投手としても初年度は18勝で最多勝。3年の台湾生活の後、帰国して解説者になる。2004年に西武ライオンズの二軍投手コーチに就任。翌年は二軍監督兼投手コーチ、3年目は二軍監督に専念し、復帰4年目の今年、一軍の監督に就任した。

 というわけで渡辺は、台湾プロ野球を経験した、日本プロ野球ではおそらく初めての監督である。若いころから球威で押しまくり、歳を取ってからは技巧派に転身できずに引退した投手だったから、現役時代の印象ではあまり指導者に向いているとは思えなかったが、台湾を経験したこと、二軍監督からの昇格であったことの2点は面白いと感じていた。

 渡辺が台湾に渡ったのは、台湾大連盟の最高顧問になっていた元同僚の郭泰源の誘いによるもので、直接的には東尾修の勧めがあったという。台湾大連盟は1989年に発足した中華職業棒球大連盟に続いて97年に生まれた後発リーグ(2003年には中華連盟と合併して1リーグになった)で、それだけに選手のレベルは低かったようだ。
 渡辺は、投手の育成から試合での起用、交代の指示まで、およそ投手に関するすべてを監督から一任されるが、選手たちは、技術レベルも低い上にプロとしての意識やモチベーションも低い。不慣れな生活で言葉も通じないという悪条件の中で、渡辺は苦労しながら選手たちとの対話を試みる。

<「何でわからないんだ」ではなく「どこがわからないのか」を考える。そうやって目線を落として、丁寧に教えることを学べたのが、台湾での大きな収穫です。
 自分の物差しで測った指導法はよくない。とにかくその相手のレベルまで、まず自分が降りてみることが大事だと気づいたわけです。>

 能力抜群だが練習にも出てこない傲慢な新人を叱り飛ばしたり、サイドスロー投手に内外角の揺さぶりの手本を示すために自身がサイドスローから試合で投げたり(それで完封したという)しながら、渡辺は選手たちの信頼を獲得していく。片言の中国語を操りながら、休日には台湾各地を旅行し、旅先で知りあった人たちと朝まで飲み明かすこともあったという。天性の資質もあったのだろうが、異国の人々の中へ自ら飛び込んでいくことで養ったコミュニケーション能力は、帰国後の指導に大いに役立ったことだろう。

 そんな経験を経て、さらに二軍のコーチ・監督を3年間務めた渡辺が、今シーズン、若い選手を育てて力を発揮させたのは偶然ではない。彼なりの方法論をもって臨んだシーズンだったことがよくわかる。
 と同時に、思い切った判断を下し、方針を決めた後は迷わないという腹の括り方は、現役時代に修羅場をくぐり抜けてきた経験の裏付けを思わせる。

 今シーズンは、渡辺の指導者としてのよい面がすべて出た。松坂、カブレラ、和田という、長年チームを支えてきた大物選手が相次いで抜け、若手を育てながら勝たなければならないというチームの状況が、渡辺久信という指導者の適性と合致していたのだろう。
 このまま順調にチームが伸びていき、今は一心に成長と勝利を目指している選手たちが、実績を積み、年俸も上がってベクトルにズレが生じ始めた時に、いかにチームをまとめるかというのは、渡辺監督にとっての新しい課題になるはずだ。

 本書には台湾時代のことだけでなく、二軍監督として学んだ現代の若者の扱い方なども詳しく書かれていて、若者を育てる立場の人には参考になりそうだ。デーブ大久保のコーチぶりについての記述も興味深い。
 
 
 日本のプロ野球界には、指導者を育成する方法論が存在しない、ということは、このblogでも何度か指摘してきた。今でもそういうものはない。
 だが、この渡辺久信の経歴は、ひとつのモデルケースを球界に提供している。ルーキーリーグから始めて、実績とともに上のレベルのリーグに引き上げられていく(と言われる)MLB指導者たちのキャリアデザインと、結果的によく似ている。
<「ナベがいずれ日本で指導者をやるというのなら、一度台湾で勉強してきたほうが、絶対にためになるぞ」>と強引に台湾行きを勧めたという東尾の炯眼も、評価されていい。

 今年のNPB12球団の監督13人のうち、二軍監督を経験したのは阪神・岡田彰布、ヤクルト・高田繁、日本ハム・梨田昌孝、オリックス・大石大二郎と、渡辺を含めて5人もいる(高田は日本ハム監督を退任後、ジャイアンツで。梨田は近鉄監督になる前)。そして、岡田、梨田、渡辺の3人が同一チームの二軍監督から昇格後に優勝を果たしている。大石も低迷していたチームをプレーオフ進出に引き上げている。
 これらの実績を見ると、二軍監督の経験は、一軍の監督を務める上で一定の効用が期待できそうだ。

 現在の二軍監督の顔触れを見ても、ジャイアンツ・吉村禎章、中日・辻発彦、阪神・平田勝男、日本ハム・水上善雄あたりは、将来の監督昇格も視野に入れての起用ではないかと思わせる。かつては一軍監督になる可能性などなさそうなベテラン指導者が務めることが多かったが(今でもそういうケースはあるし、それはそれで意味なしとはしないが)、現在の二軍監督は若手指導者も多い。ソフトバンクの秋山幸二新監督も二軍監督経験者だ。

 一方、指導者・渡辺を育てたもうひとつの土壌である台湾プロ野球となると、そう誰もが行けるわけでもないし、なかなか見習うのは難しいように思える。
 だが、技術レベルやプロとしての意識、練習や試合の会場、収入など、さまざまな面で厳しい環境は日本にも存在する。独立リーグだ。四国・九州アイランドリーグ、ベースボール・チャレンジ・リーグと、現在活動している2つのプロの独立リーグでは、指導者のほとんどがNPBの選手出身であり、NPBのコーチ経験者も多い(監督経験者=藤田平・福井ミラクルエレファンツ監督もいる)。

 今のところ、独立リーグでの指導経験を評価されてNPBのコーチや監督になったケースは少ないが(富山からソフトバンクのコーチ補佐になった宮地克彦くらいか)、選手ばかりでなく、指導者も独立リーグから育っていくケースが増えると面白い。
 というよりも、NPBが指導者研修のために、若いコーチを独立リーグに派遣するくらいのことがあってもよいのではないかと思う。渡辺久信の台湾での経験は、選手やリーグのレベルが低いからこそ意義があることを物語っている。
 
 
 
 ここまでの話題とはがらりと変わるが、冒頭に少し触れた、本書の作られ方について一言。

 冒頭でも書いた通り、短期間でこれだけ充実した内容の本をまとめた出版社側の仕事ぶりは見事だと思う。クライマックスシリーズや日本シリーズを準備する間に渡辺監督が自分で文章を書いたとも思えないから、聞き書きで作られた本だろう。実際にまとめたのは、おそらく、目次の後に「企画・構成」とクレジットされている関谷智紀という人物だと思われる。

 こういう本を作るには、漫然とインタビューをしてもダメで、聞き手の側が骨格となる構成を準備し、それに沿って質問していく必要がある。極端に言えば、インタビューしなくてもだいたい同じような本が書けるくらいに、渡辺監督のキャリアと、今季の西武の歩みを把握していなければ、ここまで緊密な内容に仕上げることは難しい。
 それほどよい仕事をしたにも関わらず、構成者の氏名は表に出ていない。私が構成者の存在を意識して探したからクレジットを見つけられたのであって、見過ごしてしまう読者の方が多いだろうし、見たとしても「企画・構成」が何を意味しているかもわからないだろう。

 アメリカでは、野球選手や監督が出した本は、しばしばライターとの共著という形をとる。コンテンツを提供した人物と、それを文章にまとめた人物、どちらが欠けてもその本は完成しないのだから、それが公正な扱いというものだ。
 だが、日本ではそういうケースは稀で、大抵は選手・監督の著書として扱われる。聞き手はゴーストライターと言われる通り、表面には出てこない。
 最近は目立たない形であってもクレジットされるようになったが、以前はそれすらなかった(1999年に講談社現代新書から刊行された川口和久『投球論』はいくつかの点で目を拓かれるユニークな名著で、ほぼ間違いなく聞き書きだと思われるが、構成者の名はどこにも記されていない)。新潮社が刊行している長谷川滋利の著書は生島淳が構成し、後書きも書いているが、著書が何冊もある生島でさえ、表紙には名前が記されていない。
 知名度のある選手や監督の名を著者として前面に出すのはよいとしても、ライターの名をなぜ隠すのか。今や養老孟司のような書き手でさえ聞き書きの本を出して、それがベストセラーになる時代なのだ。分業を憚る必要など何もない。

 講談社や新潮社は出版界をリードする大手企業だ。ライターは出版界を構成する重要かつ不可欠な要素なのだから、よい仕事をするライターを、もう少し尊重した方がよいのではないだろうか。「知名度がないから」と版元は言うかも知れないが、たとえば本書にとっては、知名度は渡辺久信のそれで十分だ。その脇に構成者の名があれば、本書によって彼の知名度が上がる。そうすれば、今度は彼の知名度を生かして次の仕事ができるかも知れない。
 そのようにして出版社がライターを育てなかったら、いったい誰が育ててくれるというのだろう。

 もしかすると本書における関谷氏の役割は私が推測したようなものではなく、氏名を表に出さないだけの合理的な理由があるのかも知れないが、この種の書籍一般について言えることなので、この機会に記しておく。もし本書に関して誤解があった場合には、関係者にはお許しいただきたい。

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