今更ながらソチ五輪に関するツイート集。

 まったくもって何を今更、という感じですが、個人的備忘録なので。補足が必要そうなところは後で書き足します。

●2/11

スキー界とスノボ界がしっくりいってないのは、世界的な傾向だったのか。サマランチの負の遺産がいまだに残っている、というべきか。/<ソチ五輪>スノーボードの新種目に不満殺到(THE PAGE) http://sochi.headlines.yahoo.co.jp/sochi/hl?a=2010211-00000002-wordleafs-spo…
posted at 16:38:56

練習で何人もケガを負い、有力選手が危険だからと棄権する。そんなコースで強行しているという時点でこの五輪は成功とは言えない。/金メダリストも欠場 スノーボード・スロープスタイルが怖すぎる (動画) http://huff.to/1fUNk5a @HuffPostJapanさんから
posted at 18:08:57

ソチ五輪の開幕前に上村愛子関係の回顧映像を山ほど見たが、モーグル競技におけるエアの技の発達ぶりに驚く。長野五輪でのコサックとかヘリコプターとかって、今見ると牧歌的だ。その後、回転やひねりが加わって技が高度化した分、選手のリスクも高まっているはず。
posted at 18:16:55

承前)冬季五輪の種目のほとんどに、一歩間違えば命を失うか重篤な後遺症を追いかけないリスクが伴っている。4年ごとに見る種目の変更や追加は、そのリスクを増大させる方向に進んでいるように感じる。
posted at 18:18:35

※<追いかけない>は<負いかねない>の誤り。

RTしたダバディ氏の意見自体は正論。ただ、フランスのテレビ局もたぶんフランスが弱い競技はあまり扱ってないと思う。近代オリンピック自体がフランス人が創設した大会なので、フランス人は「五輪の主流」と「自国民の好み」にあまりギャップを感じないで済むのかもしれない、と想像してみる。
posted at 18:25:18

80年代に大学生だった私は「日本ではこれほどスキーが盛んなのに、どうして競技力の向上につながらないのだろう」と不思議に思っていたのだが、競技力が向上する前に裾野の方が狭まってしまったようだ。レジャーと競技は別物だとしても、競技をスポンサードする産業の衰退という意味では打撃かも。
posted at 19:02:12

●2/12

高梨沙羅は残念だった。たった一度の試合でメダルを逃しただけで、W杯での圧倒的な実績が霞んだように見えてしまうのはオリンピックの嫌なところだ。ただ、女子ジャンプ全体としては、誰が勝った負けた以前に、無事に競技を終え、五輪種目にふさわしい競技であると示せたこと自体が勝利だと思う。
posted at 09:09:00

これを読む限り、IOCも国際スキー連盟もひどい組織だ。今大会でのいろんな出来事が腑に落ちる秀逸な記事。これもオリンピックの現実。/五輪との共存、スノーボーダーが抱えるジレンマ  :日本経済新聞 http://s.nikkei.com/1l8hHH8
posted at 09:18:21

カーリング女子ってトリノ五輪の頃には、いかつい西洋人のおばさんに、ちっちゃな日本女子がけなげに挑んでいたのに、8年経ったら、相手は美少女で、こっちは子持ちのベテランになっている。こっちの事情はいいとして、他国の若年化の理由は気になる。アスリート化が進んでいるとか?
posted at 21:00:15

●2/18

ソチ五輪でノルディック勢の活躍が目立つ。長野五輪の時は地元開催に向けて各競技とも長期間、お金をかけて強化したそうだが、その後は景気も低迷し、実業団チームの廃部が相次いだ。そんな環境下でこれほどの成果を出したのは、長野以上の偉業と言えるかも。
posted at 11:11:44

今朝の「モーニングバード」に出演してジャンプ団体を解説した船木和喜が、終わり際に「長野の後、大会に観客が大勢来てくれたが(強化につながらずに)減ってしまった。それは国や連盟の責任。今度は同じ失敗を繰り返さないでほしい」とさらりと言ったのに驚いた。現場の危機感はすごい。
posted at 11:19:46

●2/21

フィギュア女子フリーは見応えがあった。これほど上位陣が次から次へと“やりきった”感のある演技を見せてくれるとは。次から次へとミスする「負の連鎖反応」は(男子フリーのように)時々あるけれど、この「正の連鎖反応」を生んだのは、真っ先に“やりきった”演技を見せた浅田だったのかも。
posted at 04:17:16

承前)新鋭たちは4分の間にも成長する伸び盛りの勢いを見せ、ベテランたちは集大成を見せようという気持ちがほとばしり、その中でキム・ヨナだけは、綺麗にまとまった演技だったけれど強い気持ちが感じ取れず、それがもしかすると逆転を許した要因のひとつだったのかも。単なる素人の印象ですが。
posted at 04:22:36

承前)出遅れた実力者が先に滑って一気に高得点を挙げたりすると、普通は後から滑る上位陣にプレッシャーを与えるのだろうけれど、かえって皆に勇気を与えてしまうあたりが、浅田真央という人のキャラクターなのかも、と思ったり。
posted at 04:27:42

承前)ともあれ浅田真央のフリーは素晴らしかった。氷の上に立った表情からも強い気持ちがうかがえたし、演技が始まってからはただただ涙をぼろぼろこぼしながら見守るしかなかった(昼間の職場とかでなくてよかったよ)。このフィギュア史に残る映像の実況がポエムでなく鳥海アナで本当によかった。
posted at 04:33:01

で、メダル争いとは無縁だったけど、カナダのオズモンド、フランスのメイテら、それぞれに魅力あるスケートだった。難しい二国間関係の中で出場したグルジアのゲデバニシビリの滑りにも感慨深いものが。フィギュアは勝負を棚上げしてそれぞれの演技を観賞できるのが他の競技にない楽しみ。
posted at 04:52:44

Mao Asadaで検索をかけると、世界中のフィギュアの著名スケーターたちが浅田のSPの失敗を悲しんだり励ましたり、フリーの演技を絶賛したり。ファンだけでなく、スケーターたちの間でも、とても愛されていたことがよくわかる。
posted at 05:17:31

毎日新聞の主催講演でメディアが大勢取材に来てると知っていながら失言の嵐。彼が組織委員長として海外に出た時に何が起こるかと考えるだけで恐ろしい。/荻上チキ・Session-22森喜朗 元総理・東京五輪組織委員会会長の発言 書き起し http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/02/ost-259.html…
posted at 09:40:02

@falsapartenza 「みんながいい演技できますように」という願いの通りになりましたね。誰かが凄い演技をしたオリンピックは何度もありましたが、こんなに大勢が競技人生のハイライトになりそうな演技をしたオリンピックって、ちょっと記憶にありません。いいものを見た一夜でした。
posted at 10:02:00

それにしてもNHKの「全力応援!」ってCMみたいなのに登場していた選手は、浅田といい高梨といいアイスホッケー代表といい、女子はことごとくよい成績にならなかった印象があるのは気のせいか?誰かメダル取った選手も出てたっけか。
posted at 10:18:14

RTしたダバディ氏の意見、感覚的には同意する面もあるのだが、「エレガンス」「オーラ」をどう数値化するのかという難題はフィギュアスケートにとっては永遠の課題。採点方法も、手直ししながら今がある。「今」の情勢を見極めて、高い点を得られる演技を組み立てる戦略も含めての競技ということ。
posted at 10:28:17

森喜朗氏の例の講演の一部。<なぜ日本はこんな時間になるかというと、(中略)(巨額の放映権料を払う海外の)放送局が一番自分の国に、一番いいゴールデンアワーのときに放送を流すということになるんですね。>。他人事みたいに言ってないで、2020年大会ではそんな事態を阻止してもらいたい。
posted at 10:37:02

森喜朗氏の講演について、全文を読めば問題ない、というツイートを散見するが、リード姉弟を日本に帰化させた(もともと米在住だが日本国籍)とか、葛西が負けて当たり前という気持ちでやっているとか、スノボが自由奔放だから各競技団体のやり方が正しいのかどうかとか、細部がアバウトすぎて困る。
posted at 10:44:14

承前)組織委員長として高齢すぎると言われる話の流れで<ロンドンオリンピックの時に、組織をやった人がジョン・コーツと言って、金メダルをとったかつての陸上の選手だったそうなんですが、>とあるが、これはセバスチャン・コーと混同してるんじゃないだろうか。
posted at 10:45:40

承前)<ヨーロッパの人たちは半そでのTシャツですよ。プールで泳いでるくらいですから。あったかい。><ソチは暖かくて綺麗で美しく過ごしやすかった。そういう状況の中で選手たちは思い切ってスポーツやれた> 暖かすぎて困った選手も大勢いたと思うのだが。これは冬季五輪ですぞ?
posted at 10:51:50

承前)<マスコミというのは、そこのところだけ取るんですよ。前後の話は何にも書かないでね。><だけど政治家じゃなきゃいいんだよな。何しゃべっても。政治家だとまあ色々なこと言われるんですが。>あなた、組織委員長ですが。ある意味で政治家よりも公的な立場なんだけど。
posted at 10:53:36

承前)とまあ、揚げ足をとってくれといわんばかりの不適切な発言の連続。これを全部読んだ上で、「全文読めば問題ない」「一部を切り取って批判してる」と判断する理路がよくわからない。身内感覚であけすけに何でも喋ることで支持を得て来た政治家なのだろうけど、今の立場でその手法はまずいですよ。
posted at 10:56:07

@falsapartenza 今回はJSPORTSで全米とか全欧とかカナダとかの選手権でちょっと(女子だけ)予習してからオリンピックを見たので、海外の選手も誰も彼もみな愛おしい気分で見てました。メダルと関係ない位置でも、素敵な演技がたくさん見られるのがフィギュアの魅力ですね。
posted at 11:01:09

@yusuketsuiki まあ、森さんがこういう人だというのはわかりきったことなので、組織委員長に彼が選ばれてしまう背景の方が問題ですし、そこを考えるともっと暗澹たる気分になります。確か、財界人に頼んだけど全部断られたので森さんにお鉢が回って来た、という流れでした。
posted at 11:07:14

@falsapartenza マルケイのようなベテランがキャリアの中でも最高級の演技をする姿は、本当に見ている方も嬉しくなりますね。元帥には次に頑張ってもらうということで。彼女は不満そうな顔も魅惑的です(笑)。
posted at 11:10:24

採点競技を印象評価と一致させるためには、例えば全部の競技が終わった後で審査員が協議して順位を決める、という手もある。芸術分野の賞は大抵この方法。滑走順の早い選手が不利になる傾向などは防げる。でも、全部終わって何時間も経ってから結果発表、というのが五輪で許容されるかどうか。
posted at 11:16:45

承前)1人の演技や滑走、ジャンプが終わるごとに点数を順位を出すのが絶対的な前提なのであれば、やはり最初の選手と最後の選手をまったく同じ基準で採点することは、どれほど近づく努力をしても限界はあると思う。採点を後から修正できない、というのも公平性を担保するための大前提だし。
posted at 11:18:56

●2/22

前に書いた「モーニングバード」での船木選手の発言、念のため録画を見直してみた。正確には以下の通り。「長野オリンピックの後、お客さんが増えて、子供たちもすごい増えたんですよ。でもその後、選手たちは頑張って努力をずっと続けてたんですけども…」
posted at 20:47:00

承前)「やっぱり低迷していくにつれて、その数が少なくなってしまったんです。今回メダルを取ったことによって、またお客さんが来てくれるはずなんですよ。選手は技術を磨くのは当たり前で努力しているんですが、やっぱりそのお客さんを手放してしまったのは…」
posted at 20:48:05

承前)「国だったり連盟だったりの責任だと思うので、二度と同じ失敗を繰り返してもらいたくないんです」。重要な問題提起だったのに司会者もコメンテーター陣も拾わずに、「それにしても葛西さんは素晴らしいですね」的な話題に戻ってしまったのは、なんだかなあという感じ。
posted at 20:51:01

為末さんには、こういう粗雑な仕事をして欲しくないなあ。「少ない」というそもそもの前提を確かめることから始めるのが科学的な姿勢では?/[為末大]ソチ五輪“競技を分析した記事”が少ない理由〜分析とドラマとマスメディア[連載19]為末大学 http://japan-indepth.jp/?p=3412
posted at 21:37:41

承前)新聞にも分析的な記事はなくもないが、元選手による解説コラムなどはネットに出さない社が多いようなので、ネットでだけ新聞記事を見る人には分析が少ないという印象が形成されるかも知れない。為末さんがどうかは知らないが。ま、「情緒的な記事が多い」という見出しなら特に異論はないのだが。
posted at 21:55:11

承前)あと、NYタイムスに優れた分析が多いのは確かだが、世界トップレベルの1紙だけと比べて「日本のメディアは」と語るのは乱暴。米の他紙、欧州の主要紙はどうなのか。実は他も日本と似たり寄ったりで、NYタイムスだけが突出して分析記事が多い、という可能性もある。
posted at 21:59:06

承前)このへんは昔からよくいる「欧米では」論にも似たところがある。「欧米では」論者たちが実際に接してきた「欧米」は社会の上澄みのごく一部だけで、そこと日本全体を比較して「だから日本はダメだ」とか言ってると思われる場合がある。比較するなら対象はきちんと選ぼう、という単純な話。
posted at 22:03:45

●2/23

エキシビジョンの滑りを見ていて、浅田真央は最後まで、おしゃまで可愛くてちょっと儚げな“真央ちゃん”のままだったな、としみじみ思った。どんなに実績を重ねても、観る者に「自分がついていて支えてあげなくては」と思わせるようなところがあって、それも彼女の大きな魅力だったのだろう。
posted at 08:34:49

承前)10代で全国区になった荒川静香や安藤美姫が、その後、年齢とともに成長して雰囲気を変えていったのと比べると、浅田真央の印象は14歳の頃とほとんど変わらない。23歳になった女性に「おしゃま」もないものだが、しかし彼女に限っては、そんな形容が似合ってしまう。
posted at 08:49:52

承前)フィギュアスケートの歴代メダリストを思い浮かべても、他国のトップクラスの選手は大抵、力強く、アグレッシブで、自信に満ちている。羽生もそうだが、儚げでfragileなままトップに立つ選手は、日本以外では珍しい。そのへんが「カワイイ」ものを好む日本人の感性なのかな、と思ったり。
posted at 09:02:08

録画してあったNHK BS-1の「BS世界のドキュメンタリー/ソチオリンピックへの道」を見て驚愕した。我々が涙した競技会場建設等のために家を追い出された人が大勢いる。五輪利権での官僚の腐敗もすごい。3/4の午後6時から再放送、必見です。http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumbe/detail/140127.html…
posted at 09:13:42

●2/24

ソチ五輪の閉会式は、朝になって録画をちらちら見た程度だが、開催国の国家元首がこんなに画面に映り続ける閉会式中継は記憶にない。五輪は国でなく都市が開催するものだったはずだが、ソチ五輪に限っては誘致から本番まで終始プーチンの大会だったようで。
posted at 12:15:36

●2/25

しかし、夏季五輪では、伝統あるレスリングまで外そうかというくらい無理矢理種目を絞っているのに、冬季五輪では、開かれるたびに知らない種目が増えているのが解せない。
posted at 12:02:42

ソチ五輪では久しぶりに雪上の競技で多くのメダルを獲得した。ただ、国内では施設も大会も少ない競技が多いようで、フィギュアのように五輪効果で裾野が広がり競技力向上につながるかというと、どうなのだろう。海外遠征しないと力がつかない、という環境下では、結局は強化費次第ということになる。
posted at 12:09:50

@ushios1 そればっかりじゃ困るけど、そういう発想と動きもなくては困るし、それだけで「メダルや勝利でしか測れない」と決めつけてよいものでしょうか。冬季五輪を見てると、特に野外競技では、結局は海外遠征に選手を何人送り出せるかが、強化において決定的であるように思われます。
posted at 12:21:36

@Mahal ハーフパイプでスキーもやる、というのはまさにそういうケースなのでしょうね。スノーボードはアメリカでプロ競技として盛んなスポーツですから、スノボの種目が増えるのはアメリカのテレビ局の意向、という可能性もあるかと思います。
posted at 12:32:58

朝日新聞の潮記者が、JOCが競技団体に「予算がいくらあればメダルを取れるのか計画を立てて」と求めたことに憤っている。しかし、国からの強化費を競技団体に配分するのもJOCの重要な機能のひとつ。各団体の計画と予算もなしに交付金額を決めたら大問題だ。彼は何を憤っているのだろうか。
posted at 13:06:57

●2/26

こないだ見たドキュメンタリー番組によると、ソチの中心部は亜熱帯気候なのだそうな。山間部にはもともとスキー場があったから、五輪会場全体が、というわけではないにせよ、驚きだ。/ソチが大丈夫なら熱海でも開催できる http://www.nikkansports.com/sochi2014/colun/ogishima/news/f-sochi-tp0-20140225-1262658.html… #ソチ五輪
posted at 00:11:27

@ushios1 一過性で終わってほしくないのは同感です。強化と普及は車の両輪、どちらが欠けてもその競技の(あるいはスポーツ全体の)将来が危うくなるのだと思います。
posted at 22:17:52

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五輪追加競技の3候補に関するツイート集。

 今更ですが、これも記録ということで。

●5月25日
ブラジルでの最後の1競技を決めるIOC理事会が近づいて、どこが残るか的な報道が増えてきたが、率直に言って、レスリングと争うのでは、他の競技は分が悪いと思う。五輪の歴史におけるレスリングの存在感は群を抜いている。理事たちもレスリングを落として「しまった」と思ってるだろうし。

もともと野球は、大抵の都市に競技場がないという大きなハンディキャップを背負っている。五輪のスリム化がテーマの昨今、仮設球場を作ってくれる奇特な都市も少なかろう。今後は、野球が盛んな国で五輪が開催される時に臨時で種目に加われればいい方、という感じじゃなかろうか。

●5月30日

野球・ソフトボールが最終候補に残ったと言われても、嬉しさよりも懸念しか湧いて来ない。ここまでIOCに振り回されたあげくに落とされたら、野球界には何が残るのか。2015年から始めるというIBAFプレミア12を、五輪競技を目指して7回制で試行、みたいなことになるのだろうか。

IBAFにとっての女子野球の位置づけも釈然としない。ワールドカップがあって日本は3連覇しているというのに、五輪競技でソフトボールを野球の女子部門として扱うとなると、仮に採択されても五輪から女子野球は排除される(男子のソフトボールも然り)。それも変な話。

IOCは各競技団体に、五輪の都合に合わせた改革を強要しているが、そもそもIOCにそんな権限があるのか、IOCにこそ改革が必要ではないか、ということはもっと問題視されてよい。そもそもレスリングほどの大きな競技団体から委員が選出されていないこと自体がおかしいだろう。

(以下2件はクリケットに関するaugustpartyさんとのやりとりから)
@augustoparty なるほど。IOC側は関心があるが、競技側にその気がない、ということのようですね。自前でやっていける競技は五輪に頼らなくてもよさそうなものですが、テニスやゴルフの動きを見ていると、やはり何かしらの魅力なりメリットなりがあるのでしょうね。

@augustoparty で、「出ない自由」の話に戻しますが、五輪に深く関わった競技にとっては結局はIOCとのパワーゲーム、というのはご指摘通りだと思います。ただ、彼らが掲げる高邁な理想からして、そんなゲームは見たくない、ということは、観客の立場としては言っておきたい。

3競技が残った要因に関する報道をみていると、いかにIOCの言うことを聞いて組織を変え、競技方式やルールを変えたか、ということばかり。まるでIOCが忠誠心を競わせているかのようで、傍目にあまり気分のよいものではない。しかも、そこまでやらせておいて結局2つは落とすのだから。

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レスリングが五輪中核競技からの除外候補入りした件についてのツイート。

2月13日

●レスリングが五輪競技からの除外候補に。IOCの要職に人を送り込んでいないと、こういう事態が寝耳に水の状態で起こることになる。他のやばかった競技は理事に働きかけて脱落を免れた、とのIOC理事談話がスポーツ紙に紹介されていた。

●といってもFILAの会長はスイス人。どういう人か知らないけど、IOC本部はローザンヌだしIOC委員にもスイス人は大勢いる。FILAはグレコローマンの廃止を阻止したり女子の正式競技化を実現したり、決して政治力のない競技団体ではなさそうなのだが。

●日本の利害を棚上げしていえば、レスリングがないのに柔道やテコンドーをやっている五輪というのは、やはり奇妙だ。投票したIOC理事たちも「レスリングが落ちるはずがない」と思って自分が関与する競技を優先したら、ホントに落ちちゃってびっくり、みたいな心境なのかも。

●JOCとしては、追加候補にレスリングと野球・ソフトボールが入っているのは悩ましいところだろう。空手もある。どれかひとつを推すのは難しいが、それで動きが鈍れば、他の競技にもっていかれかねない。

●それにしても、日本以上にトルコにとっては衝撃だろう。メダルが期待できる数少ない競技がレスリングなのだから。2020年の開催候補地3都市のうち2都市で盛んな競技を、その大会から除外しようなどという決定を平気で下すという点でも、IOCの理事連中は相当おかしい人たちだと思う。

●古代オリンピックの人気競技で近代五輪も第1回のオリジナル種目。競技人口は知らないがほぼ世界中に普及し、着衣以外に道具は要らず、会場は体育館でいいからコストも少ない。福田会長によればロンドン五輪では連日満員の人気があった。それでも外すだけのどんな理由があるのだろう。

●そして、プロではない競技にとって、五輪競技か否かは競技そのものの死活問題となる。IOCの理事たちは「競技側が努力しろ」みたいな態度だけど、自分たちがレスリングという伝統ある競技を滅ぼすスイッチを押したという自覚と覚悟があるのだろうか。

●柳澤健「日本レスリングの物語」(岩波書店)を数日前に読了したばかりなので、心情的にレスリング贔屓になっている。近年のスポーツライティングで有数の名著です。柔道や学校の指導者暴力が問題になっている時期に読んだので、余計に、日本にとってレスリングがどれほど大切かを痛感している。

●@joe10avant 他国の事情は知りませんが、日本のアマチュア競技は、メディアの扱いにおいてもスポンサーの獲得においても公的な援助においても、五輪競技か否かで決定的な差がつきます。それは競技側の責任という以上に、世の中側の関心が五輪次第という面が強いからだと思います。

●@joe10avant ウィキペディアによると女子レスリングの世界選手権金メダリストは20人いるそうですが、五輪メダリスト以外の十数人の名を挙げられる人が日本にどれほどいるでしょう。競技団体がどう位置づけようと、競技外の人たちの興味はオリンピックに集中しているのが実情でしょう。

●次原悦子氏のツイートにあるように、まめにロビイ活動してないと無視されるのがIOC理事会の実情なのだろう。あの程度の少人数で議決するのだから、賄賂や接待が効きそうな世界ではある(実際にやってるのかどうかは知らんけど)。FILAはそのへんで油断があったのでは。

●書いたつもりで忘れていた。レスリングが五輪競技から外されそうな理由として考えられること。種目数が多すぎる。男女の種目数の非対称。競技自体が地味でテレビ受けが悪い。メダルがアジアや欧州の辺境に集中し、西欧が弱い。…前に挙げた「残すべき理由」を凌駕するほどの欠点だろうか。

●<IOCはさらにFILAの意思決定機関に選手代表が入っておらず、女性委員会はなく、理事会に医事専門家もいないなどと指摘した。>そうだとしても、いきなり外すかね。まず勧告するとかはないのかIOCは。/「レスリングは人気度で低評価:イザ!

●こちらのblogが興味深い。サマランチの息子がIOC理事で、近代五種の競技団体副会長。分かりやすすぎる。レスリング関係者はIOC理事どころか委員にも見あたらない。これでは2020年の開催都市もマドリードが有力ということか。

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ロンドン五輪に関する覚え書きツイート集。

7月26日
●スペインはボール保持力では上回り、日本のペナルティエリア前までは攻め込むのだが、綺麗に崩すことにこだわって、結局シュートに行く前に潰されていた。いくら巧くても、あそこまで単調だと怖さは半減する。諸大会のアジア予選で苦戦する時の日本を見ているようだった。

●それにしても権田と徳永ががっちり守って無失点勝利は嬉しい。終盤の逃げ切りで山村投入の時には、「なぜ米本を登録しない!」と叫んでましたがw

●ま、しかし客観的に見れば昨日の試合は「再三突き放すチャンスを作りながら、とどめをさせなかったまずい試合」だな…とスペイン相手に言える幸福。

●普通に見れば強いチームなんでしょうけど、スペイン代表だと思うと、試合開始から5分くらいで「なーんだ、イニエスタもシャビもいない普通のチームじゃん」という気がしたのは確かです。選手たちはどうだったんでしょうね。 @knt_m 2.このスペイン代表にはイニエスタとシャビがいない。


8月9日
●このところ猛烈に忙しくてロンドン五輪はろくに見ていないが、圧倒的に面白かったのが柔道の松本薫。準決勝で、スタスタと歩いてフランス人選手を追い詰めていく様子は、「野生の王国」か何かで獲物を仕留めるネコ科の肉食獣を見るようだった。今の日本からでも、ああいう選手が生まれるんだなあ。

●柔道は惨敗と評価されているようだが、どの国旗の下でも結局中国人が出てくる卓球などを見ていると、発祥国がいつまでも王座を独占しているようでは、その競技が世界に普及したとは言えない気もする(ま、卓球発祥の地は中国ではないけれど)。

●柔道のナショナルチームを見ていて不思議なのは、このところずっと最重量級のスターが監督を務めていること。現在の篠原は確かコーチ経験もないまま、いきなり代表監督になったのでは。歴代の4番打者を監督に据えたがる読売巨人軍に似た伝統の澱の匂いがする。

●水泳あたりでは「メダリストを育てた指導者を重用する」方針が感じられる。「メダリストを指導者として重用する」柔道よりも合理性がある。

●訂正。篠原監督は引退後は母校の天理大で指導者をしていた。代表コーチの経験がないまま代表監督に抜擢されたという点は異例。

●@knt_m アマチュア競技では「どんなスター選手も恩師には頭が上がらない」のが普通な気もしますが、競技団体の中枢には、また別の力学があるのかも知れませんね。

●@toronei 階級の間に序列があるということですか。軽量級と重量級では技術にも違いがありそうですけどね。野球なら四番打者より二番あたりの方が監督向きに見えますが、柔道ではどうなんだろうか。

●@toronei 「柔よく剛を制するのが柔道だ」と体重別に反対していたのにね。だいたい、加納治五郎は160cmなかったと聞きます。三船十蔵十段も。
※「三船十蔵」は、「三船久蔵」の誤り

●しかし、いつからテレビの五輪中継はこんなに応援モード一色になってしまったのだろう。NHKニュースのアナウンサーまで「応援しましょう」と言うのは違和感がある。昔はもう少し冷静だった気がするが。もっとも、もっと昔は「前畑ガンバレ」だったわけだから、気のせいかも知らんけど。

●競技団体の国際感覚の欠如を批判するメディア自身も、国際感覚が欠如した報道をしているということですかね。 RT @KeigoTakeda 柔道などを見てると「日本はなぜ負けたか」という視点が圧倒的に多くて「相手がなぜ勝ったか」という分析が少ないのが気になる。

●まあ、フィギュアスケートのように同じような顔触れで何年も戦い続けている競技ならともかく、番狂わせの多いノックアウト方式の柔道のような競技では、優勝者のバックグラウンドまできちんと把握して報じるのは容易ではないとは思う。とはいえ優勝者に関する報道が、もう少し多くてもよいのでは。

●あと、水泳の鈴木聡美が「神田コーチにメダルをプレゼントできて嬉しい」みたいなことを言うのを聞いて、あの萩原智子を育てた山梨学院大の神田コーチが、とうとう「メダリストを育てた指導者」になったのか、と、ちょっとじーんと来た。地方で独自に頑張ってきた指導者が結果を出す姿はいいものだ。

●それにしても、誰もがブラッターそっちのけでテレビカメラを向いてしまうとは…こんなに軽んじられるFIFA会長ってw

※サッカー女子の表彰式での日本代表選手たちの振る舞いについての感想

●これほど強く、競技人口も多いUSAでさえ、女子サッカーリーグがまた活動停止。女子サッカーの基盤が苦しいのは日本だけでなく、たぶん世界共通の事情。しかし、決勝を見ての通り(2つの準決勝も)、これだけの素晴らしい試合ができるのだから、目の前で見ていたブラッターに、一肌脱いで貰いたい。
 
 
8月12日
●国がものすごく強化に力を入れているというわけではなくとも、これほど多くの競技に(さほど知られていない競技も含めて)世界トップクラスの選手やチームがいるというのは、なんだかんだいっても日本は豊かな国なのだと思う。

●英国のエンタテインメントといえば007とモンティパイソンとクイーンくらいしか知らないが、ロンドン五輪の開会式と閉会式を見る限り、それで十分な気がしてきた。しかし、エリック・アイドルが歌うAlways look on the bright side of lifeを聞けるとは感動。

●「選手のための五輪」を標榜して当選したロンドン五輪だけど、閉会式は「選手のための五輪」じゃなかったなあ。どっちかというと「ボランティアのための慰安パーティー」みたいな印象。豪華すぎるおまけのために非難されたNHKは、ちょっと気の毒な気もする。

●あれが文化行事だということであれば、競技会とは独立した「五輪記念コンサート」としてやればよい。閉会式の場で、選手を立ち見の観客扱いしたまま延々とコンサートをやるというのは、筋論を言えば、なんか違うという気はする。選手もみな喜んでいたのなら、それはそれでいいんだけど。
 
 
8月13日
●サッカー女子日本代表が南アフリカ戦で引き分けを狙ったことが批判されていたことを、うかつにも最近まで気づかなかった。バドミントンの馬鹿げた敗退行為の煽りを食ったというほかはない。佐々木監督の判断はサッカーでは常識だし、中2日で6連戦という日程自体が異常なのだから、自衛策もやむなし。
 

8月14日
●ところで、ロンドン五輪の間、これほど暑くて辛かったのに、この時期にオリンピックをやろうなどと東京都知事はまだ本気で考えているのか? 7・8月の東京は、野外競技の選手たちに提供する競技環境としては最低レベルだ。屋内競技の選手だって、東京に滞在するだけでコンディションを崩しかねない。

●オーバーエイジ、過密日程、少ない登録選手数。五輪はサッカーの大会としてはかなり特殊だ。たぶん他の競技でも、五輪だけの特殊な環境や規定の下で戦わなければならないケースがあるのでは。五輪が最高峰という競技の場合、本来とは違う環境下ですべてが決してしまうのは辛いだろうな。

●承前)例えばマラソンは本来、夏にやるものではないし、女子レスリングでも小原選手は自分本来の階級が削減されたことによって苦しみ抜いたと聞く。五輪は罪作りな大会でもある。

●7月下旬にあったソフトボール世界選手権で女子日本代表が42年ぶりに優勝したことをマスコミが報じない、五輪から外れた競技に冷たいと批判する声がある。ごもっともではあるのだが、そんな時期に世界選手権を開催する競技団体のセンスに、より大きな問題があるんじゃないかとも思う。

●@toronei 冬季競技に顕著ですが、毎シーズン、W杯を転戦して積み上げた結果によって年間チャンピオンが決まるのに、世間では4年に1度の五輪の金メダリストの方が通りがよかったりする。五輪は、競技の外側の世の中一般に対するショーケースという意味合いが強いのでしょう。
 

8月17日
●五輪の競技直後やテレビ出演でのインタビュー等を見ていると、言葉によるメッセージ発信力は、競技別に見ると水泳選手が突出して優れており、柔道選手が突出して劣っているという印象が残る(プロとして訓練と経験を積んでいるサッカー選手は別として)。それぞれの育成過程と関連がありそうに思う。

●「彼女たちは日本のサッカー史上初めて、日本人以外の人たちの心を揺り動かすことに成功した」Numberロンドン五輪臨増p.29の金子達仁。相変わらず適当なことを書いている。99年ワールドユースで本山雅志のドリブルがどれほど地元のナイジェリア人たちを熱狂させたか、忘れてしまったのか。

●もうひとつ。「岩渕真奈は、決勝戦の83分にあった場面を、絶対に忘れないでほしい」。笑顔で一杯の表彰台で、ただひとり不機嫌な表情を崩さなかった岩渕に対して、わざわざこんなことを書く野暮さ加減には恐れ入る。こんなレトリックだけの空疎な文章を、金を払って読まされるのは腹立たしい。

●テレビで見ているだけでも、日本代表のアウェー戦のスタンドで日本を応援している外国人の姿を見かけることは珍しくない。私がワールドカップのテレビ中継で見ただけのルーマニアやナイジェリアに心を動かされたりしていたように、日本の試合に心を動かされた外国人がいても不思議はない。

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小川勝「オリンピックと商業主義」集英社新書

 ワールドカップの開催年には、地味だが興味深いサッカー本がよく刊行される(なぜか白水社からよく出る)。五輪の開催年には、地味だが興味深い五輪本がよく刊行される(北京五輪の年には武田薫の「オリンピック全大会」が出た)。そういう年でなければなかなか出せないような、貴重な資料であることが多い。
 これもたぶん、そんな1冊となる。

 小川勝はスポーツニッポン出身のスポーツライター。プロ野球や五輪競技を中心に書いている。
 私にとっては、「Number」で連載している記録コラムの印象が強い。記録中心の書き手というわけではないけれど、スポーツを数字から語ることに、現在、もっとも長けたひとりだと思う。
 サイバーメトリクスのような複雑な数式を駆使するわけではなく、小川が扱う数字は、主に公開情報や、それらに多少の加工を加えたくらいのデータだが、そこからの分析や考察が優れている。数字の向こうでプレーしたり采配をふるったりしている生身の人間に対する洞察が優れているのだと思う。数字を読む面白さを味わわせてくれるという点では、私にとっては故・宇佐美徹也以来の書き手だ。

 その著者が、「オリンピックと商業主義」を正面から取りあげた。ただし、タイトルから「黒い輪」のような暴露本・IOC糾弾本を予想した人がいたとしたら、それはちょっと違う。
 どう違うのかは、小川自身が序章の中で書いている。

オリンピックに対して、我々には二つの立場が提供されている。
 一つは--こちらが多数派だが--オリンピックを、古代オリンピックから続くアスリートの崇高な祭典ととらえ、舞台裏の事情はさておいて、テレビの前に(あるいは観客席に)座るという立場である。
 もう一つは、舞台裏の事情に目を向け、オリンピックにまつわる利権のシステムを追及し、国際オリンピック委員会(IOC)が掲げている理念との馬鹿馬鹿しいほどの乖離を指摘して、近代オリンピックを批判するという立場である。
  (中略)
 この二つの立場が、議論のテーブルに着くことはほとんどない。前者の数があまりに多いため、後者の声はメディアの片隅に追いやられている。前者は、後者の声を無視するか、あるいは軽い一瞥のあと、部屋に紛れ込んだ虫でも払いのけるように排除してしまう。一方、聞く者が少なければ、後者の声はどうしても過激になる。聞こうとしない者たちに対して冷笑的になっていく。そしてますます、両者の距離は遠のいていくように見える。
 本書は、この両者の間に端をかけようとする、ささやかな試みである。

 <オリンピック>を別の言葉に置き換えたくなるような今日このごろだが、どんな分野においても、こういう書き手は貴重である(こういうスタンスを取ると、なかなか熱烈な支援者やファンはつきにくそうだが)。
 
 本書のスタンスも、記録を扱う手付きと似ている。本書で扱われるのは、不正な金の流れを示す極秘資料、というようなものではない。著者は、各大会の公式報告書などから、それぞれの大会の収支やその内訳を示し、それらがどのような変遷を辿ってきたか、変化の背景に何があったのかを解説していく。つまり、原理的には誰でもアクセスの可能な公開情報から、「オリンピックと商業主義」の流れを追っていく。資料を集めること自体はスポーツジャーナリズムに携わる人ならさほど難しくないはずだが、こういう形でまとまったものは、あまり記憶にない。そして、そんな平凡にも見える作業の中から、意外な事実がいくつも浮かび上がってくる。

 オリンピックの商業主義への転換点といえば、1984年のロサンゼルス五輪、というのが定説だ。
 著者は、<大筋において間違いではないものの、(中略)現実はもっと複雑で、入り組んでいる>として、それ以前の大会から商業化への兆しはあったこと、ロサンゼルス大会では、商業化の事実はあっても明確な弊害は見られないことなどを指摘していく。当時のロサンゼルスをはじめ、開催都市の関わり方も多種多様であることに改めて気づく。IOCや企業以上に、開催都市に大いに問題があったケースも散見される。
  一方、まだオリンピックが厳格なアマチュアリズムに支配されていた1964年の東京五輪で、代々木第一体育館の電光掲示板にHITACHIの文字が入っていた、というエピソードは、まだマーケティングなどというものを誰も意識していなかった牧歌的な時代であることを印象づける(日立は電光掲示板を寄付しただけで、そこに名前を入れる対価を支払ってはいなかったという)。

 そうやって、さまざまな事象を歴史の時間軸の上に置くことで、スポーツメーカーのマーケティング、テレビ放映権料など、オリンピックに大きな影響を及ぼす金の流れが、いつからどのように始まり、どう変化してきたか、それぞれの大会で開催地の自治体や組織委員会が大会を(主に財務面で)どのように運営してきたか、貴族主義的だったIOCがどのようにオリンピックをビッグビジネスに変えてきたか…といった、オリンピックと商業主義を考える上での重要なファクターが、わかりやすく整理されていく。

 坦々と記述されてはいるけれど、著者は単なる客観中立の書き手というわけではない。
 例えば北京五輪で水泳と体操が「午前決勝、午後予選」という競技時間になったことに対して、<こうしたコンディション調整を強いるスケジュールが、選手にとってベストの競技環境であるはずはない><彼らが尊重したのは、米国のテレビ局のCM売り上げの方だった><この意味で北京大会は、かつてないほどひどい形で商業主義に陥った大会だったと言える>と厳しく批判している。
 一方では、テレビ放映の便宜のために行われる競技のルール改正について、<商業主義の弊害として取り上げられる事柄>と指摘しつつも、個々のケースを検討し、すべてが競技の本質を損ねるとは言えない、としている。

 商業主義とは何を指すのか、オリンピックにおいて失われてはならない価値は何なのか。
 小川は、前提となる概念をひとつひとつ確認しながら、論を進めていく。まったく当たり前のことなのだが、この「当たり前」の手続きをきちんと踏まえることのできる書き手は、案外多くはない。

 2012年のロンドン五輪は、「選手のためのオリンピック」を標榜して招致合戦を勝ち抜いた。そんな性格の大会において、商業主義はどんな相貌を見せるのだろうか。
 本書は、そんな観点からロンドン五輪を見るための、絶好の手がかりになるだろう。

 なお、「おわりに」の中では、私が当ブログの中で再三批判してきた、東京都の五輪誘致活動についても言及されている。<「オリンピック開催による恩恵」をPRすることばかりに重点が置かれている>という現状認識は私と同じだが、著者がそこで示した代案には少々意表をつかれた。なるほど本書の締めくくりにふさわしい提案である。

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バンクーバー五輪に関する覚え書き。

 ご無沙汰しました。
 年明けから環境がいろいろ変わって多忙になり、スポーツ見物もblogの更新もままならない状況が続いています(今日のJリーグ開幕戦も味スタ欠席です)。ディック・フランシスや藤田まことの逝去にも、冬季五輪の最中にも、結局更新しそこねたので、そろそろ開店休業を宣言せざるを得ないかなとも思ったのですが、これが3か月ぶりですから、宣言するまでもないですね。

 というわけで今後は従来のような形での更新は難しくなりそうですが、当面は自分のための備忘録としてblogを使うことにしようかと思います。いろいろお約束や宿題を果たせないままで恐縮です。
 「自分のため」とはいえコメント欄は従来通り空けておきますので書き込んでいただいて構わないのですが、レスには少し時間がかかると思いますのでお含み置きください。

 で、今さらながら、バンクーバー五輪を(主に職場でちらちらと)観ながら思ったことをいくつか。

・リュージュの練習中にグルジア人選手が死亡したことが、私にとってはこの五輪での最大の出来事だった。
 原因として、難易度が高くスピードが出るコース設計が指摘されている。一定水準のレベルに達した選手が練習しただけで事故死してしまうようなコースを作ることも、あたかも選手の技術の未熟さに起因した事故であるかのように発表することも、五輪組織委員会の振る舞いとしては信じがたい。ほかにどれほど素晴らしいことが起こったとしても、大会としては失敗と捉えるのが妥当だと思う。

 これが例えば、1シーズンに各地を転戦して何試合も行い、勝った選手が莫大な賞金を手にすることのできるような形式の大会であれば、そこまでは言わない。選手は自分でリスクとリターンを天秤にかけて、出場するか否かを選ぶことができる。
 だが、オリンピック・ゲームズというのは4年に1度の一発勝負。大多数の競技の選手にとっては選択の余地のない、唯一無二の大会なのだ(テニスのような例外もあるが)。
 選手の側に出場を忌避する自由が事実上存在しない以上、主催者は全力を挙げて、可能な限り最良の環境を選手に提供する義務があるし、安全性に最大限配慮するのは大前提ではないか。その覚悟のない人たちに、五輪を開催する資格はないと思う(私が酷暑の下での五輪開催を酷評してきたのも同じ理由だ)。

 しかし、実際には、危険な競技はリュージュだけではない。
 前回のトリノ五輪で、スノーボードクロスという競技を見て複雑な思いを抱いた。
 見世物としてはスリリングで面白い。だが、あれほど転倒やコースアウトが多いようでは、勝敗に運が介在する度合いが大きすぎる。金メダルの値打ちを他の競技と同等に捉えるには少し抵抗を覚える。1シーズンに何度も戦うツアー形式なら、シーズン全体を通せば実力の高い選手が順当に上位になるのだろう。だが、4年に1度の一発勝負には向かない競技なのではないか。
 そう思っていたのだが、今回はスノーボードのみならず、スキーにも同様のクロス競技が生まれている。冬季五輪は見世物性を高める方向のベクトルに支配されているようだ。

 「滑る」「飛ぶ」という動作がほとんどの冬季五輪は、どうしたって事故が起きやすい競技が大半ではある。だが、「それにしても…」と思うような出来事が大会のたびに増えていくようでは将来が心配だ。
 もともと足元が不安定で、土の上では決して実現しないような速い速度で動く競技の中では、フィジカルコンタクトは、致命的な打撃を選手の肉体に与えかねない(だから、最初からフィジカルコンタクトを前提としているアイスホッケーの選手たちは、あらゆるスポーツの中でも最上位に入る重装備で試合に臨む)。
 スキーやスノーボードにフィジカルコンタクトを持ち込むという動きに対しては、いつか悲惨な事故を招くことになると懸念している。それが、限られた選手と限られた観衆の間で行われる競技の中での出来事なら口出しするつもりはないが、オリンピック・ゲームズには相応しくない。


・国母選手の一連の騒動も、そういう枠組みの中で捉えるのが適切なのではないかと思っている。
 国母を擁護する言説をいくつか目にしたが、勝利よりも自己表現を上位に置くスノーボードのカルチャーに言及したものが多かったように感じる。本当にボーダーの文化がそういうものなのであれば、それは五輪という大会とはあまり親和性が高くない。
 そういうスノーボードがなぜ五輪競技なのかといえば、長野大会の際のサマランチの独断によるもので、要するにビジネス上の要請によるものだろう。

 世間では、JOCが国母を出場停止にしようとしたと誤解している人も多いようだが、私が目にした報道の範囲では、事実はむしろ逆だ。国母が属する競技団体である全日本スキー連盟が彼の出場辞退(ま、事実上は連盟による出場停止)を申し出て、JOCを代表する立場にある橋本聖子団長がそれを却下したという経緯だったと記憶している。
 全日本スキー連盟といえば長らく堤義明が君臨していた団体だ。堤は、経営する西武鉄道に組合を作ることを許さなかったと伝えられるような体育会体質の経営者であるからして、スキー連盟にその影響が色濃く残っているであろうことは想像に難くない。そのような競技団体がスノーボードを所管していること自体に無理がある。スキー側もスノボ側も、望まない「結婚」だったのではないだろうか。

 にもかかわらず、メダルが期待できるのはスノボばかり、というところに、スキー連盟上層部の鬱屈が蓄積されていたであろうこともまた、想像に難くない(もちろん、それはスノーボード側の落ち度ではまったくないのだが。メダル有望といえばモーグルもあるが、モーグルという競技は、カルチャーとしてはアルペンやノルディックよりスノーボードに近そうな印象を受ける。違ったらすみません)。
 このように、ビジネス上の都合のために封じ込められていたさまざまな矛盾が、現場でああいう形になって噴出した、という見方もできるだろう。

・国母その人に対する感想を言えば、生真面目そうな人だなあ、ということに尽きる。
 彼がカナダの空港に降り立った時の服装も、合同記者会見で「るせえなあ」「反省してまーす」と口走ったことも、地方都市の駅前でよく見かけるような「反抗的な男子学生」の典型的な振る舞いによく似ている。
 上述したような擁護者たちによれば、スノーボードのカルチャーは「自由」がキーワードのようだが、私が目にした範囲での国母は、最初から最後まで少しも自由に見えなかった。ある既成の行動規範に従い、全力を尽して自分をその型に嵌め込もうと振る舞っている、生真面目な青年に見えた(内田樹がよく書いているような「型通りの逸脱者」そのものだ)。彼が属する世界では、ああいう型通りの振る舞いをすることに正義があるのかな、と感じた。
 だとすれば、ひとたびその行動規範が否定されてしまうと、もはやどう振る舞ってよいのか判らないに違いない。橋本聖子団長と2人で行った記者会見で、隣の橋本団長の顔を伺わなければ何も答えられなかった国母の姿は、そんなふうに見えた。

 五輪という場を離れれば、彼は賞金大会で活躍するプロなのだから、基本的には(反社会的にならない範囲であれば)どのように振る舞おうと彼の自由だ。そこから生じる利益も不利益も、すべて彼自身に跳ね返るのだから、それを引き受ければよいだけのこと。
 いや、五輪においてもその原則に変わりはない。ただし、五輪という大会を見ている人は、規模においても質においても、彼が普段出場している大会とはまったく異なるのだから、異なる反応が出てくるのは必然的な帰結である。
 必ずしも五輪に最上の価値を置かないらしいボーダーが、金にもならず制約ばかりの五輪の場にあえて出て行くという行為の中に、普段とは異なる「見ている人」たちに自身の競技をアピールしたいという目的があるのだとしたら、国母の振る舞いは、その目的にとって合理的とは言えなかった。それだけのことだ。

・今大会は、気温が高い上に雨も降り、野外競技は気象条件の悪さにかなり影響されたようだ。ふだんから風や降雪の影響を受けて運不運に慣れているはずのジャンプの現場からも不満の声が聞こえてくるというのは、よほどのことだったのだろう。モーグルだったかスノボだったか、降雪を見越して用意された立ち見席が雪不足で使えず、前売りチケットを払い戻して大損害が出ている。モーグルで日本選手が奮わなかった理由に「雨のせいで雪が水を含みすぎて、体重の重い選手でないとスピードが出なくなっていた」ことを挙げたスポーツライターもいた。
 これが異常気象だったのか、バンクーバーという開催地においては起こりうる範囲内のことだったのか、開催地を選定したIOCはよく検証して反省すべきだろう。
 次回のソチはロシアの保養地だそうだから、ロシアの都市としては気温はわりと高いらしい。大丈夫なんだろうか。

・フィギュアスケートについては、男女6人全員入賞という結果に感銘している。どちらも3番手の健闘が見事だった。女子については「キムヨナさん、おそれいりました」というしかない。

・最後に、私と同い年のスケルトン越和宏選手、お疲れさまでした。順位は奮わなかったが、2本目以降は滑るたびにタイムを挙げていったところに、彼の真骨頂があった。

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で、東京は五輪招致活動を続けるのだろうか。

 2016年の五輪開催地に東京が選ばれなかったこと自体は、招致活動が始まったころから予想していたので驚きはない。落選を伝えるニュースの中では「北京の翌年では早すぎた」とか「『なぜ東京か』が見えなかった」などと敗因が語られているが、それらは立候補して計画書が発表された時点からわかっていたことだ。

 結局のところ、リオデジャネイロにおける「南米初の五輪」という単純明快なアピールポイントに勝る何かを、東京の招致活動に当たった人々は、提示することができなかった。
 最後は「環境」にポイントを絞ったようだが、すでに94年の冬季五輪で「環境に配慮したオリンピック」を掲げたリレハンメルが選ばれており、夏季大会はシドニーでも北京でも「環境五輪」をアピールしている。もはや環境に配慮するのは当然のことで、スローガンとしてのインパクトはない(だいたい、調査団にお台場の予定地を見せておいて「環境に優しい大会にします」と言っても説得力はなさそうだ。ま、お台場における環境改変はすでに終わっているので、そういう意味ではあの上に何を作っても「自然破壊」ではないだろうけど)。

 石原慎太郎都知事は、都庁サイト「知事の部屋」内の「都民のみなさんへ」というページで、先月初め、次のように語っている。

<誰が何を考えているか、本当にわからない。そういう点でね、まあやっぱり、どういうんでしょうかね、できるだけ冷静に、選手のためを思ってね、競技の進行がスムースに行って、安全に行われて、しかもそのための環境が整備されたりしないかってことは、あちこちのオリンピックを主催してきたIOC(国際オリンピック委員会)の連中ですから、そういう経験踏まえてね、冷静に正確に判断してもらいたい。それならば私は東京は自信を持っていいと思うんだけど、なかなかそうも言い切れない戦いだけに、非常に先が読めなくて、最後の努力をすべくコペンハーゲンに参りますが、これは、まあ、みなさんもひとつ応援に来てくださいと済むところじゃありませんから、日本で祈っててください。>(9/11更新分)

 財政、設備、運営技術、安全性といった面で、東京(あるいは日本の主要都市)に充分な開催能力があることは、おそらくIOC評議員の多くが理解していることだろう。だが、五輪開催地はそれだけで決まるものではない。北京で五輪が開催されたことも、単一競技の大会ではあるがサッカーのワールドカップが南アフリカ共和国で開催されることも、石原都知事が言うような面だけではない別の理由によって決まっているはずだ。
 それを広い意味でいえば「政治」である。長年政治家として生きてきた石原都知事がそれを理解していないというのは解せない。ついでに言うと、「南米で初の五輪を!」という単純で骨太の呼びかけが、どれほど理屈抜きで人の心を動かす力を持っているかについて、政治家より長く文学者として生きてきた石原慎太郎が理解していないらしいことも解せない。文学者というのは人の心を動かす専門家ではないのだろうか。

 と、都知事に対する嫌味はこのくらいにして、少しこの先のことを考えてみたい。

 終わった途端に2020年五輪の招致を話題にする向きもある。引き続き2020年の立候補を目指すかどうか、JOCはまだ態度を明らかにしてはいない。
 今回の尽力を無駄にしないためにも続けて立候補することが大事だ、という考え方はあるだろうし、実際、続けて立つことで開催を勝ち取った例もある。「北京が終わったばかりなのに」という印象も、次回にはいくらか薄れるだろう(それでも、アジアでは1964東京、1988ソウル、2008北京で20-24年周期という過去の実績に比べると、まだ早いのだが)。

 ただし、立候補するのはJOCではない。招致活動の主体はあくまで都市にある。
 だから、まず問題になるのは、東京都が引き続き次回を目指すのか、ということになる。

 都知事にとって、この落選の最大の問題は、150億円と言われる招致費用が無駄に終わった事実だ(150億全部が都の出費かどうかは知らないが)。
 現地での記者会見では、さっそく責任問題や辞意の有無を問う質問もあったと伝えられた。
 辞職については本人が即座に否定したようだが、私も辞職を求めようとは思わない。東京が国内候補地に決定した後に都知事選挙が行われて再選(三選)されたのだから、彼は「都民の信任を得た」と主張することができる。

 しかし、それでもこの落選が大きな失敗であることに変わりはない。7月の都議選で与党が過半数を割ったこともあり、今後の議会運営は非常に厳しいものになるだろう。
 石原は前回の当選時に4選への不出馬を表明しているが、任期は2011年4月まで続く。
 2020年五輪の国内候補地選考が前回の4年後だとすると2010年。来年だ。都はすぐにでも方針を固めなければなるまい。だが、議会はそれをすんなり認めるだろうか(そもそも都は他にも難題をいくつも抱えている。都民にアピールできそうな唯一のテーマが五輪誘致だったのだが、それもこの落選で難題に転じた)。

 この落選を経験した都民が、次の機会にどのような態度を示すかも、まだ予測がつかない。関心の薄かった都民にとって、この落選によって五輪招致が「悲願」に転じるのか(サッカーのワールドカップ出場が93年のいわゆる「ドーハの悲劇」によって国民の悲願に変わったように)。あるいは、そんなものに金をつぎ込むよりも今の生活を何とかしろ、と反発を抱くのか。
 
 そして、東京以外の都市の立候補となると、さらに事態は難しいように思える。
 第二の都市である大阪も財政状況は厳しいし、他の都市となればなおさらだ。オリンピックのような巨大プロジェクトを立ち上げる余力がそもそもない。
 そして、2016年の国内候補地選定において、JOCが福岡に対してどのような態度をとったか、そして破れた福岡の首長が市民にどう遇されたかを、各自治体の長たちは見ていたはずだ。それでも立候補しようという都市が現れるのかどうか。
 ま、現名古屋市長あたりなら、言い出しかねない気もするのだが。
 
 落選決定の翌日の報道を見ると、石原都知事の責任を論じる記事は散見するが、JOCに対する批判はほとんど見当たらない(石原都知事と竹田会長ではニュースバリューというか、ありていに言えばスター性にかなりの差があるという事情もあるのだろう)。
 だが、日本の落選の原因に、報道されているような「顔が見えなかった」「世界的スターの不在」があるのだとしたら、JOCの責任は大きい。プレゼンテーションで登壇した室伏広治や小谷実可子には失礼な言い方になるかも知れないが、あそこに北島康介や浅田真央が立っていたら、そんな問題はなかったはずだ(あるいは、村上春樹が登壇すれば相当なインパクトだったかも知れない。JOCにそんなことが可能かどうかは知らないが)。

 そもそも「去年、北京でやったばかり」の2009年に選考が行われるとわかっていながら国内で立候補を呼びかけたのもJOCだ。JOCがなぜ2016年の五輪招致活動を始めようと思ったのか、私にはいまだに合理的な理由がみつからない。

 私は東京五輪の計画に関して<東京のために五輪を利用しようという意図が目立ち、五輪のために何ができるのかという感覚が希薄>と批判したことがあるが、都市側がスポーツ界の事情や感覚からズレているのは、ある程度は仕方ない(コミュニケーションの達人であるオバマ大統領でさえ、「近所で五輪が開かれれば嬉しい」みたいな演説をしているのだし。もっとも、滞在時間などを見ても、彼にとって今回の招致活動の優先順位はさほど高くなかったようだが)。
 だからこそ、スポーツ界の住人であり、IOCの一員であるJOCが、その不備を補うことが必要だったはずだが、それは充分に果たされなかった。

 東京都知事には議会での質問が待っている(五輪招致に不満だとか、2020年招致に反対だという都民の皆さんは、地元の都議に陳情してネジを巻きましょう)。
 だが、JOCにはそのように、外部の第三者の目で検証される場がないし、そもそも内情もよく見えない。報道機関各位には、都知事に責任を問うのはひとまず都議会に任せて、JOCにこそ、じっくり総括を迫ってもらいたい。

追記)2009.10.4
石原都知事は帰国後の会見で敗因について語り、「政治的なもの」について言及したらしい。

<同知事は「目に見えない歴然とした政治的なものが絶対にある。昔の自民党の総裁選みたいなもの」とし、IOC内の力学で落選したとの認識を示した。>時事通信10月4日15時12分配信

 ここで都知事が言っている「政治」とはおそらくIOCの幹部や評議員の間の力関係ということだろう。「政治」というよりは「政局」に近い。私がエントリ本文中で「政治」と書いた時に想定していた概念はもっと広いものだが、ま、別に一致しなくてもよい。
 それにしても、政治を職業とする人物が、「政治的なもの」における争いに敗れた、と公言して恥じる様子もない、というのは奇妙な光景である。「政治的なものが絶対にある」って、そんなことも知らずに立候補して150億円も使ったのかこの人は。

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NHK知るを楽しむ「人生の歩き方/井村雅代 私はあきらめへん」日本放送出版協会

 おかしな表題になっているのは、これがNHK教育テレビの番組テキストだからだ。

 「知るを楽しむ」は月〜木の22:25から25分間の番組で、曜日ごとにテーマがあり、それぞれ月替わりのシリーズを放映している。本書は毎週水曜日の人物モノ「人生の歩き方」の2月分として放映された番組のテキスト。これから放映する3月の辻村寿三郎と2人分で1冊になっている。
 井村の第1回分の放映を観たら面白かったので、そのまま4回全部見てテキストまで買ってしまった。

 番組は、井村へのインタビュー(聞き手は渡辺あゆみアナウンサー)をベースに、話題に合わせた写真や映像が挿入される。インタビュー番組のテキストって何が書いてあるんだろう、と書店で手に取ったら、放映されたインタビューを文章に起こしたものだった。
 内容はほぼ同一だが細部では微妙な違いがある。同一のマスターテープから、別個に編集したということなのだろう。各回の文末には「(文/松瀬学)」とあって驚いた。アマチュアスポーツ中心に活動し著書が何冊もあるスポーツライターだ。NHK、贅沢に作ってるなあ。
 
 
 井村雅代は、日本のシンクロナイズドスイミングのメダリストたちを育てたコーチで、昨年の北京五輪では中国のコーチに就任、チーム演技で史上初のメダル(銅)に導いた人物。ソフトボールの宇津木妙子元監督と並び、「日本3大怖い女コーチ」*の1人といってよい(Amazonで井村雅代を検索すると、なぜか宇津木の著書も一緒に表示される)。

 井村に関する私の知識はその程度のものだった。シンクロという競技自体にそれほど強い関心がないので、彼女の著書やインタビューを熱心に見たこともない。
 今回の番組に限って見る気になったのは、中国でのコーチ経験について興味があったからだ。
 日本のシンクロを背負ってきた彼女が中国代表のコーチに就任したことは、国内では衝撃をもって迎えられた。かなりの非難も受けたようだ(今もGoogleで「井村雅代」を検索すると、「他のキーワード」として「井村雅代 裏切り」「井村雅代 国賊」「井村雅代 売国奴」といった文字が表示される)。

 本書で、井村は次のように動機を説明する。

<ロシアのコーチやアメリカのコーチだって、いろんな国で教えているじゃないですか。シンクロはロシア流、アメリカ流、日本流とテイストが違うんです。だから、日本のコーチだっていっぱい世界に出ていったほうが、日本流がメジャーになっていくわけです。
 もしもわたしが中国からの要請を断ったならば、どうなるだろうと考えたんです。きっと、ロシアのコーチが中国に行くだろう。そうしたら、またロシア流シンクロが脚光を浴びて、日本流シンクロをアピールする場所がなくなるんです。同調性など、日本流シンクロのよさをアピールするためには、北京五輪は開催国だから絶好の場所だったんです。脚光を浴びるでしょうから。だから、わたしは断ることができなかった。これはいつか日本が世界一になるために大切なことなんだと思ったんです。>

 シンクロは採点競技だ。配点の基準はあるけれども、水泳連盟サイトの解説を見ても、例えばフィギュアスケートのように、どの技に成功すれば何点、などと具体化されているわけではなく、「大変よい」「よい」「充分」「普通」など、審査員の判断で点数は決まっていく。つまり、印象や主観に大きく左右されるということだ。

 以前、元選手でメダリストの小谷実可子がどこかに書いていた文章を読んで驚いたことがある。
 小谷によれば、シンクロの大きな大会では、そもそもやる前から順位は決まっている、という。別に不正があるとかいうことではなく、それまでの実績などから“普通にいけばこの順位”という相場のようなものを審査員も選手もコーチも共有しており、それをいかに覆していくかという勝負なのだ、という。そのためには、たとえば五輪で1回だけ素晴らしい演技をしてもダメで、小さな大会で実績や好印象を積み上げていくことが大事なのだ、と。
 
 だから、日本流のシンクロの勢力圏を拡げるために他国でコーチをする、という井村の意図には納得できる。当時、井村はすでに日本代表コーチから退いて1年以上経っていたから、筋から言えば問題はない。
 ただ、井村の指導を受けてきた日本の選手たちには動揺もあっただろうし、世の中の中国嫌いな人たちを刺激してしまったのは彼女にとっては予想外だったようだ。そして、結果的に北京五輪で中国が日本を上回ってしまったのも計算外だったろう。井村が考えたような効果に結びつくかどうかは、長い時間をかけなければわからないことだ。

 2回目以降は、井村の生い立ち、競技との関わりから時系列に沿って語られる。下手な選手だった現役時代。引退後に中学教師として生活指導に取り組んだ経験。コーチとして再びシンクロ界に戻り、二足のわらじで奮闘したこと。
 初めての五輪参加の後、浜寺水練学校から事実上解雇され、慕って付いてきた選手のためにクラブを立ち上げたものの、大阪ではプールを貸してもらえないという嫌がらせを受けたこともあったという。それでも優れた選手を育てて代表に送り込み、自身も代表スタッフに加わっていく。経歴のすべてから、強烈な意志とエネルギーがほとばしっている。
 
 
 さすが、と思う発言も端々にあった。一例を、第4回「ホンキだから叱る」から。

<あまり叱っている感覚がないんです。ほんとうのことを言っているだけです。><たとえば、「あなたの脚、短いね」「汚い脚」って言うじゃないですか。ほんとうだもの。でも、それで終わったらダメなんです。どうにもならないことなんて世の中にないんです。必ずどうにかなる。それを考えるのが人間、それを教えるのがコーチです。><脚が短いのは構わない。短く見えることがダメなんです。脚が短くても、筋をぎゅーっと伸ばして、人の目をぐーっと上にいくようなオーラを出したら、長く見えるじゃないですか。>
 
 単なる精神論、根性論だけではないことがよくわかる。根性とソリューションが必ずセットになっている。というより、根性でソリューションをひねりだす、ということか(根性だけで、あれほどの成績を続けて収められるはずがないのだから、当たり前ではあるが)。
 
 このように、ビジネス書やビジネス雑誌が特集を組んだり引用しまくりたくなるような名言が随所に出てくるのだが、しかし、この人のやり方は迂闊に真似をすると危険だ。
 ここで語られている指導法は、とことん正面から選手に向き合おうという井村の猛烈な意志、猛烈なエネルギーに裏打ちされることで初めて効果を発揮する方法なのであって、それがないまま口先だけ取り入れようとしても何の意味もないだろう。「生兵法は怪我のもと」という諺がそのまま当てはまりそうに思う。
 井村自身は、その部分についてはそれほど大したことだとは思っていない風情だが、この持続する意志と熱意があってこその成功なのだということを改めて感じる。
 
 番組テキストという形の出版物なので、書店のスポーツコーナーに置かれることもないと思うが、これは一級品のスポーツライティングだ。たぶん3月下旬には店頭から消えてしまうだろうから、興味のある方はお早めに手に取られることをお勧めする(番組は一週間後の早朝に再放送される。第4回は3/4の朝5時5分からなので、まだ見られます)。
  
 

*3人目は特に決めてません。まあ「日本3大○○」の3番目は、たいていそういうものだ。

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禁句。

 どんな立場の人間にも「言ってはいけない一言」というものがある。
 野球日本代表監督にとっては、たとえば次の言葉がそれにあたる。

最初のゲームでバッターにしてもピッチャーにしても、なんかこわごわピッチング、バッティングしていたね。ストライクゾーンがまったくほかの世界でやっているような感じだった。それで戸惑った感じだった

 この大会におけるストライクゾーンが曖昧だったのは確かだ。決勝戦では、1点差の9回裏一死満塁という局面で、四球の判定に不満を示した韓国の捕手が即座に退場になるという異常事態が起こった。苦しんだのは日本だけではない。

 五輪の野球は、<まったくほかの世界でやっているような感じ>ではない。<ほかの世界でやっている>のだ。
 日本には日本の野球があるが、キューバにはキューバが、プエルトリコにはプエルトリコの野球があり、欧州には欧州の野球がある。それぞれが入り混じり、日によって入れ替わりながら現れるのが国際大会というもので、それは今大会に限ったことではないはずだ。

 野球の日本代表が国際大会に初めて参加したのは1972年の世界選手権(現在はワールドカップと名称を変えている大会)で、その時からすでに現場の指導者や選手は同じ問題に直面している。以来、野球日本代表は、その問題に取り組み続け、野球がオリンピック競技となってからは、ずっとメダルという結果を出してきた。
 ひとつ前のエントリに即して言えば、「4年間、キューバを倒すことだけを考え続けてきた」という指導者や選手が、90年代の日本にはいたはずだ。

 その後、大会規定が変更されてプロの参加が認められ、もはやアマチュアだけでは勝てない、と助っ人のようにプロ野球選手を加えた混成チームで臨んだのが2000年のシドニー五輪(正確には前年の予選から)。それでも優勝できないと見るや、次のアテネ五輪からは指導者・選手ともオールプロに切り替えた。

 逆に言えば、野球界は、4年間キューバを倒すことだけを考えていたようなアマチュアの指導者や選手たちから、最大の目標、最高の舞台を取り上げてしまったのだ。
 シドニー五輪でプロの参加が決まった時、私は、これで日本の社会人野球は衰退に向かうだろう、と予測した。
実際、有力な企業野球部の廃部は相次いでいる(正確に言えば、当時すでにバブル崩壊の影響などで縮小傾向があったが、五輪のプロ化はその傾向に拍車をかけたということだろう)。

 くどくどと歴史を繰り返してしまったが、要するに、日本にも<ほかの世界>を研究し、挑み続けてきた歴史がある。
 星野の言葉は、そんな歴史や先人に対する敬意をあまりにも欠いている。

 現場が望んだわけではないにせよ、アテネ以来の五輪日本代表は、「アマチュア野球界から最高の舞台を奪った」という十字架を背負っている。だから、この日本代表は、ファンや国民に対してはともかく、アマチュア野球界に対しては、金メダルを持ち帰るという責務を負っている、ともいえる。
 社会人野球時代に代表経験を持つ宮本慎也はそれをよく知っており、だからこそ彼はあれほどまでに強い責任感をもって五輪に取り組んできたのだろうと思う。たとえば現在日本生命の監督を務めている杉浦正則(同志社大の先輩でもある)のような人々に対して、「金メダルをとらなければ申し訳ない」という気持ちが、彼を動かしてきたはずだ。

 かつてアマチュア時代の五輪で日本代表を率いた人々、日本代表として戦った人々は、星野の言葉をなんと聞いただろうか。
 星野監督は北京五輪の本大会を終えてから、<我々にはもっともっとパワーが必要。パワーで押さえ込むことが備わらなければ国際試合には勝てないんじゃないか>という結論にようやく至ったらしい。今はプロ野球界の一員となっている山中正竹バルセロナ五輪監督は、この言葉をどう聞いただろうか。ソウル五輪の投手コーチとして、もはや技巧派では国際試合に通用しないと考え、野茂英雄や石井丈裕、渡辺智男ら球威と変化球の決め球にすぐれた投手陣を揃えて決勝に進出した経験を持つ山中なら、そんなことは20年も前から判っている、と思ったのではないだろうか。

 いずれにしても、老人たちのご都合主義で始まった、矛盾に満ちた「プロによる五輪代表」という活動は、今回で終わった。MLBが態度を変えない限り、復活は難しいだろう(五輪がUSAで開催される大会で組織委員会がごり押ししてIOCが折れる、というケースはありそうな気もするが)。
 最後には苦いものだけが残ったが、勝利の甘美さがすべてを覆い隠してしまうのとどちらがよかったかといえば、私には判断がつかない。アテネ五輪の後で、今はロサンゼルスにいる黒田が宮本に話したという、「銅で良かったんですよ。あんな準備で金メダルをとってしまったら、みんな『簡単なんや』と思ってしまう」という言葉が思い出される。


追記:
 2008.8.24付朝日新聞に掲載されたロイター発の記事によれば、IOCのジャック・ロゲ委員長は、野球の3位決定戦を視察した際に、<大リーグ選手が参加しない限り、再び五輪で採用されることはないだろうという考えを示した>という。<テニスにはフェデラーやナダルがおり、サッカーではロナウジーニョがいる><大リーグのチームが丸ごと出てほしいと言っているわけではない。ただ、五輪にはトップ選手がいてほしい>というのがロゲの談話。


追記2(2008.8.25)
野球が公開競技として採用され、初めてメダルを争った1984年ロサンゼルス五輪の代表監督として日本を優勝させた松永怜一さんがサンケイスポーツに今大会についての評論を寄せている。
<悔しいし、残念でもあるが、それ以上に憤りもある。ロサンゼルス大会以降、アマチュアが苦労を重ねて積み上げてきた成果が、最後の最後に崩れてしまったからだ。>
<敗因はいくつもあるだろうが、私はオールプロの彼らが、最後まで「箱庭」から抜け出せなかったからだと思っている。>
<異なる野球文化で知らない相手と戦わねばならない。自分の庭でいかに秀逸な技能を誇っても、それを五輪でも発揮できるかとなると、話は別だ。>

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煮え切らないのは現場のせいだけではない。

 準決勝でまたも韓国に敗退。野球の金メダルの夢は潰えた。
 リードしながらも四球や守備のミスが絡んでの失点。出塁はしても走者をホームに迎えることができず投手を援護できない打線。選手選考や監督の采配に不満がないとは言わないが、別の選手起用、別の監督だったら勝てたのかといえば、確信は持てない。
 グループリーグでキューバ、韓国、USAに敗れての4位。それぞれの勝敗は紙一重でどちらに転ぶかわからないものだったが、結果としてこちらに転びはしなかった。

 ただし、日本代表が実力を余すところなく出し尽くしたかといえば、そうは思えない。上述した通り、敗因の多くをミスが占めている。日本野球の美質とはかなり異なる試合運びだった。
 準決勝以後、2日で3試合という厳しい日程の中で、エース上野が1人で3試合を投げ抜き、決勝ですべてを出し尽くして勝利した女子ソフトボールの日本代表とは、かなりの差があったといってよい。

 同じようなもやもやと落差を、サッカーの男女にも感じる。
 女子サッカーは史上最高の4位という好成績を挙げた。準決勝、3位決定戦ともに惜敗したが、特に3位決定戦では、強豪ドイツに対して終始攻め続け、絶望的な2点目を奪われた後もなお、彼女たちは足を止めることなく抵抗を続けた。試合後のテレビ報道では「チャンスは作ったが決定力不足だった」と評する声が多かったが、彼女たちが放ったシュートの多くはゴールの枠内をとらえていた。試合後の選手たちのインタビューでは、もうこれ以上はできないというくらいの試合をやりきった、という充実感が表情に表れていたように感じた。
 男子に関しては、多くを語る言葉を持たない。何もかもが中途半端だったように思う。

 持てる力を出し切った女子は立派だった。出し切れなかった男子はだらしない。
  たぶん、部分的にでも試合を観戦した人の多くが、そう思っているのではないか。
 結果はともかく、この「出し切れなかった感」については、現場、つまり選手と指導者の責任は大きいと思う。
 ただし、すべてが現場の責任に帰するべきだとは思わない。


 私は北京五輪のさほど熱心な視聴者ではなかった。全試合を集中して見たといえるのは柔道の石井慧くらいだ。とはいえ、競技のダイジェストや試合後のインタビューに答える選手たちの映像を見ていると、結果の善し悪しにかかわらず、各々がこの大会に賭けてきたものの重み、気持ちの強さはひしひしと伝わってくる。
 そして、日々その重みを受け止め続けているうちに、一部の競技の選手たちに違和感を覚えるようになってきた。
 それがつまり、男子サッカーと野球だ。

 オリンピックに出場するほとんどの選手たちにとって、この大会は競技生活における最大の節目だ。多くの選手が「この4年間、このために努力してきた」という意味のことを語る。
 ソフトボールの選手のひとりが「この4年間、アメリカのエースをどう攻略するかだけを考えてきた」と語った記事を読んで、大袈裟にいえば慄然とした。だが、たとえば北島康介は「ハンセンより早くゴール板に触るためには」と考えてきたのだろうし、塚田真希は決勝で当たった中国の選手を倒すために握力を鍛えてきた、と中継のアナウンサーは繰り返し語っていた。ソフトボール選手の言葉は、決して特異なものではないのだろう。

 だが、野球日本代表には、「この4年間、キューバのエースを打ち崩すことだけを考えてきた」選手など、1人もいないに違いない。心中期するものがあった選手もいるだろうが、それを具体的な対策として実行してきた選手がいるとは思えない。昨年の予選を勝ち抜いた経験を持つ選手でさえ、今シーズン開幕後にオリンピックについて聞かれれば「それは代表に選ばれ、合宿が始まってから考えます。今はチームが最優先です」と答えるのが常だった。
 ソフトボールの上野は4年間思い続けてきたが、野球選手たちは4週間にも満たない。
 そして、それ自体は彼らの責任ではない。
 彼らには、ペナントレースとオリンピックの軽重に優先順位をつけることは許されていないといってよい。

 しかし、テレビを見る側は、他の競技と同じような、あるいはそれ以上の期待を彼らにかける。
 今日の野球の準決勝を私は職場のテレビで見ていたが、8回裏に失点を重ねるたびに、同僚が選手や代表チームを口汚く罵った。私とて彼らのプレーぶりには深い失望を味わったが、同僚のように居丈高な態度をとる気にはなれなかった。
 たとえば私が西武ライオンズのファンで、日本シリーズ第6戦あたりでG.G.佐藤が試合を決定づける落球する姿を目の当たりにしたら、スタンドから思い切り罵倒するかもしれない。西武ファンの期待を背負い、怒りを受け止めるのは、プロ野球選手としての彼の義務だ。
 だが、日本代表としてプレーすることの責任をどのように彼が、そして他の選手たちが背負うべきなのか、私はには明確な答えが見つからない。
 それはひとえに、日本のプロ野球におけるオリンピックの位置づけの曖昧さ、世界の野球界におけるオリンピックの位置づけの曖昧さによるものであり、選手の自覚不足などという精神論に収斂できるものではない(もちろん、どんな状況のどんなレベルの試合であれ、8回の佐藤の落球は野球選手としての汚点以外の何物でもないけれど)。

 まったくの感情論として言わせてもらえば、水泳や柔道、レスリング、陸上、ソフトボールなど、この大会のために過去4年間のすべてを捧げてきた選手たちが勝ち取ったメダルと、野球日本代表が得たメダル(今大会では得られない可能性も残念ながらかなりあると言わざるを得ないのだが)が同じ重みであるとは、私には思えない。

 女子ソフトボールでは、表彰式の後、トップ3の各国選手たちが一緒になって、ボールで「2016」の文字を作り、五輪競技への復帰を訴えた。五輪がソフトボールという競技における最高峰の舞台である以上、それは当然の欲求だ。
 だが、野球はどうだ。
 このブログでも何度も書いてきたように、ベースボールの宗主国であるMLBは、五輪に選手を派遣するつもりがない。それはたぶん2016年以降においても変わらないだろう。その方針が変わらない限り、USA、ドミニカ、日本、韓国、台湾、あるいはオーストラリアといった国々は最強チームを編成することができない。
 そんな中途半端な形で五輪に復帰することに、どういう意味があるのだろうか。いっそ、野球が盛んな国で開催される時だけ公開競技として実施する、ということでもいいんじゃないかという気がしてくる。真剣勝負として命(とはいわないまでも選手生命を賭けた戦いを見ることは少なくない)のやりとりをする場にはふさわしくない。
 勝って得られるものの重みと、負けることで背負う傷の深さが釣り合っていない。そんな形で選手たちを戦場に送り込むのはもうたくさんだ。
 今大会のトップ4でいえば、キューバ代表は五輪を最大の目標としている。韓国はシーズンを中断し五輪に集中してきた。USAはMLBを除外して割り切ったチームで臨んだ。良くも悪くも、それぞれのスタンスは明確だ。日本だけが中途半端な位置にある(4年前からの進歩は認めるが)。

 野球は今大会を最後に五輪競技から外れる。世界の野球界において、また日本の野球界において五輪をどう位置づければよいのかを、抜本的かつ徹底的に話し合うには、よい機会ともいえる。
 もちろん、誰がどういうテーブルについて話すのか、という前提に最大の問題があるわけだが、今度こそ誰か本気でそれを考えてくれないだろうか。新任のプロ野球コミッショナーには、ぜひそういう意識をもっていただきたいのだが。


関連エントリ:
五輪競技落選による、MLB一極集中体制の完成。
足りなかったもの。
星野仙一が代表監督にふさわしいと考える理由。
で、野球界は北京五輪をどうするのか。
横尾弘一『オリンピック野球日本代表物語』ダイヤモンド社

 改めて並べると、同じようなことばかりずっと書いてますが。

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