「イカロス」と、合わせて見てほしいもうひとつのドキュメンタリー。

 「イカロス」という作品を知ったのは、わりと最近で、文春オンラインに掲載されたドキュメンタリー制作者たちの座談会を読んでのことだった。
 東海テレビやNHKで出色のドキュメンタリーを撮っているディレクターたちが「10年に1度の傑作」と口を揃える。ドーピングには以前から関心がある。配信しているNetflixの会員でもある。俺が見なくて誰が見るのだ。
 ということで通勤電車の中で見始めた。何日かかけて見ているうちに、「イカロス」はアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した。賞に値する作品だと思う。示される事実が圧倒的であり、映像や語り口が面白く、構成が衝撃的である。
 
 ドキュメンタリーには、撮影中に何らかの状況の激変が起こり、当初の意図を大きく外れて流浪することがある。「イカロス」も、そういう激変のあるドキュメンタリーだ。「激変がある」などと書くとネタバレになってしまうのだが、まあNetflixの番組紹介にもネタは書いてあるからいいだろう。
ロシア人科学者が暴露した国家ぐるみのドーピング。プーチンにとって最悪の内部告発者となった男の証言に米国人自転車選手が迫り、アカデミー賞候補となった作品。
 私は読まずに見始めたけれど、この紹介文は作品の印象とはだいぶ異なる。
 
 監督のフォーゲルは30代くらい。アカデミー賞の受賞スピーチでは「今こそ皆さんに真実を語ることの大切さに気付いてもらいたい」と殊勝な話をしていたが、この作品を撮り始めた時の彼は、たぶん、そんなご立派なことは考えていなかったと思う。
 
 フォーゲルが映像作家としてどういう経歴の人物かはよくわからないのだが、自転車競技ではかなり本格的な経歴があるらしい。かつて憧れた絶対王者ランス・アームストロングが、実はドーピングまみれだったことに衝撃を受け、それほど検査がザルであるのなら、自分でドーピングをして大きな大会に出場し、検査をすり抜けてみせようという挑戦を思い立つ。「スーパーサイズ・ミー」あたりを意識したのだろう。
 
 参加したのは「オートルート」というアマチュアの大会。アマといっても、7日かけてフランス・アルプスの山岳地帯を駆け抜けるハードなもの。フォーゲルは前年にも出場してトップ20くらいに入っているようだ。
 ロサンゼルス在住のフォーゲルは、当初、UCLAオリンピック・ラボのドナルド・キャトリンにドーピング指導を依頼するが、キャトリンは計画に参加することに二の足を踏み(当たり前だ)、自分の代わりに「信頼できる友人」を紹介する。この友人がモスクワ・ドーピング研究所のグリゴリー・ロドチェンコフだった。ロシアにおけるドーピング検査の責任者である。
 
 ロドチェンコフの顔を見た瞬間、私は「うわっ」と思った。見覚えがあったからだ。
 一連のロシアの組織的ドーピングを明るみに出したのは、2014年に放送されたドイツのドキュメンタリー番組「Top-Secret : Doping How Russia Makes its Winners」だった。日本でもBS1「BS世界のドキュメンタリー」やJSPORTS「THE REAL」の枠内で放送された。ドーピングをして(させられて)いたロシアの陸上選手ユリア・ステパノワと、アンチドーピング機構に勤務していた夫ビタリーの証言や隠し撮り映像をもとに、ディレクターが取材を重ねたものだ。
 その番組の中で、ロドチェンコフはビタリーから名指しで「彼は選手に禁止薬物を売り、使い方をアドバイスする。自分が面倒を見ている選手が検査を受ける時には、陽性反応が出ないよう手をつくす。もちろん金のためです」と批判されている。
 ロドチェンコフ自身のインタビュー映像も出てくる。彼は、疑惑を全面的に否定して、ステパノワ夫妻を詐欺師呼ばわりする。
 
 「イカロス」に登場するグリゴリーは、ドイツの番組で見た不機嫌な男とは別人のような、陽気なおっさんだった。快活で親切で愛犬家、ロシア訛りの英語で冗談を飛ばし、テレビ電話に映る姿はちょいちょい上半身裸。フォーゲルは、グリゴリーのアドバイスに従って薬を自身に注射したり止めたりしながらトレーニングを続けていく。途中、モスクワを訪ねたりもして、2人は親交を深める。
 
 レースでは自転車の故障もあり、好成績は出せなかった。ドーピング検査がどうなったのか、直接には描写されないのだが、成績が悪くて検査の対象にもならなかったのかもしれない。
 フォーゲルはがっかりしたが、グリゴリーの身の上に起きた衝撃はそれ以上だった。2014年12月に、上述のドイツのテレビ番組が放送されて、彼と彼のラボがドーピングに加担していたことが世界中に知れ渡った。
 プーチン大統領やムトコ・スポーツ大臣(ロシアのサッカー連盟会長でもある。グリゴリーによれば元KGBでもある)は政府の関与を全面的に否定した。ラボが勝手にやったことだと切り捨てにかかったわけだ。
 グリゴリーはラボの所長を辞任させられ、ラボ自体も閉鎖される。身の危険を感じたグリゴリーを、フォーゲルはロサンゼルスに招いて匿う。
 そして、ロシアの反ドーピング機関の長だったニキータ・カマエフが謎の死を遂げたことを知ると、グリゴリーは、自分が手を染めていた組織的なドーピングとその隠蔽工作について語り始める。具体的で生々しい証言は興味深い。
 
 
 ネット上などで「イカロス」の感想を見ると、軽妙な前半から一変したシリアスな後半に衝撃を受けた、という人が多いようだ。
 
 私にはむしろ、前半の方が衝撃的だった。専門家の指導によるドーピングの実行を、遊び半分のような軽いタッチで描くやり方は、グロテスクにさえ感じられた。
 
 目的はどうあれ、フォーゲルはドーピングをして大会に出場した。もし彼が優勝でもして、かつドーピング検査に引っかかったら、大会は大きなダメージを受ける。検査をすり抜けた後にそれが映画として公表されれば(当初、この作品はそういうものになるはずだった)、やはり大会はダメージを受ける。
 彼がやったことは、スポーツの世界では犯罪だ(一般社会ではそうではない。だからフォーゲルは自身の行為をつぶさに撮影して公表することができる)。ルーブル美術館から「モナリザ」を盗もうとして捕まった男が「警備の甘さを教えてやろうと思ったんだ」と言っても、誰も相手にしないだろう。それはただの犯罪者だ。検査されて陽性が出れば、彼はそういう存在になっていたはずだ。
 
 「イカロス」の中でフォーゲルに指導したようなことを、グリゴリーはロシアの多くの選手に対して行っていた(ビタリー・ステパノワによれば、金を貰って)。
 「イカロス」の後半、IOCの関係者とフォーゲルのミーティングの席で、かつてグリゴリーの(表の)仕事を手伝ったことのある女性が怒りを露わにグリゴリーを非難する場面がある。フォーゲルが「彼は命がけで告白したんです」と説得し、一同の関心を今後の対応に向かわせたことで糾弾は収まったが、彼女の怒りは全く正当なものだ。
 「イカロス」の中で、ムトコ大臣はグリゴリーを嘘つき呼ばわりするが、「Top-Secret」ではグリゴリーがステパノワ夫妻を詐欺師と呼ぶ。グリゴリーは、もともとはムトコ側の人間なのだ。
 
 そうと知らずに、あるいは選択肢のない状況でドーピングをさせられた選手たち、ロシア選手の不当な能力の向上によって不利益を被った世界中の選手たち、公正さを偽られた試合を見せられた世界中の観客たちにとって、グリゴリーは加害者以外の何物でもないのだが、「イカロス」の犬好きで陽気なグリゴリー、国を追われて怯えるグリゴリーを見ていると、それを忘れそうになる。
 彼が懸念する通りに命まで狙われているとしたら不当だけれども、グリゴリーが職を追われ、スポーツ界から追放されること自体は、彼がやってきたことに対する正当な処分である。彼らを告発したステパノワ夫妻も、祖国を離れざるを得なかった。
 「イカロス」に、グリゴリーの「罪」を観客が意識させられる場面はほぼない。ソチ五輪の後でロシアがウクライナを侵攻したことについて「プーチンを調子付けてしまったかもしれない」とグリゴリーが後悔を口にする場面はあるが、ドーピングそのものに対する反省の弁はない。
 その意味では、「イカロス」だけを見ても、ドーピングの手口に関する知識が増えるだけで、ドーピング問題について認識が深まることは、あまりないかもしれない。
 
 
 この作品は、2人の男の奇妙な友情物語でもある。ひょんなことで知り合い、共同作業をするにつれて友情が深まり、人生の岐路を共に過ごすことになる。作品の最後、2人が別れる場面には胸を打たれる。
 それにしても、グリゴリーはなぜ「ドーピングと検査逃れを指導してほしい」というフォーゲルの依頼を受けたのだろう。警官に窃盗を指導してくれと頼むような話で、まともな感覚を持った専門家であれば、キャトリンのように断るはずだ。金のため? フォーゲルからグリゴリーに報酬が支払われたのかどうかは描写されていない。
 グリゴリーは、あまりに日常的にこの手の作業をやりすぎて、それが「危ない橋」だという認識さえ失っていたのかもしれない。
 
 窮地に追い込まれていくグリゴリーを、フォーゲルが匿おうと思った心情も興味深い。
 どう考えても、関わったらやばい人である。「ホントは悪い人だったのか、じゃあこれまでだ」と手を引くという選択肢もあっただろう。作中のフォーゲルは飄々として、渦中の人物を抱え込んで一山当てよう、などと考えるタイプにも見えない(結果的にはそうなったわけだが)。友人の窮地を見るに見かねて、という感情が作用したのだろうか。
 後半、フォーゲルが「親しい友達が犯罪者になってしまった」みたいなことを口にする場面がある。実際には彼は「自ら求めて犯罪者と親しくなってしまった」のであり、ドーピングの指導を受けている間にそのことに気づかないのはどうかしているのだが、そんな人だから、こんな傑作をものにすることができたのかもしれない。
 
 
 ここまで「イカロス」の欠落について批判めいたことも書いてきたけれど、とにかく「イカロス」はいろんな意味で見る価値がある。何より、面白い。
 「Top-Secret」の中では悪の組織の一員としての硬直的な面しか見せない人物が、実はこんなに気のいいおっさんだという面が見られるのは貴重だ。そして、「悪の組織」に切り捨てられた時、人はどう振る舞うのか、どう振る舞うべきなのか、という点についても、深い示唆を与えてくれる。
 
 だから、「イカロス」が日本の映画館で上映されることがあれば、その時はぜひ「Top-Secret」と2本立てにしてほしい。あるいはNHKはぜひ、この機会に「BS世界のドキュメンタリー」で「Top-Secret」を再放送してほしい。両方を見ることで、ドーピングというものが理解できるようになるはずだ。「イカロス」だけでは、ややバランスが悪いのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スター・トレック ~受け継がれたものと、受け継がれなかったもの~

 「スター・トレック」は好きだが、トレッキーとかトレッカーとか呼ばれるほど熱心なわけではない。カーク船長や副長兼科学主任ミスター・スポックが活躍するオリジナル・シリーズは大半を見ていると思うが、その後のシリーズ作品は、キャラクターの区別が付く程度というところだ。映画化作品も全部を見たわけではない。

 それでも今度の新作映画には食指が動いた。オリジナルシリーズの登場人物たちの若き日を描く、という触れ込みの予告編は、なるほどそれらしい若者たちが頑張っているように見えた。とりわけスポックは、特殊メイクの力を借りているとはいえ、当時のスポックがそのまま現れたとしか思えないような風貌だ。久しぶりにエンタープライズ号を大画面で見るのもいいかな、と映画館に足を運ぶことにした。

 映画はジェイムズ・T・カークとスポックのそれぞれの生い立ちから始まり、彼らがそれぞれの理由で惑星連邦艦隊に加わり、出会い、USSエンタープライズ号に乗船して、巨大な困難に立ち向かう中で関係を築いていく様子を描いていく。いわば、「スター・トレック」のエピソード0だ。

 これまで何本も作られてきたスタートレック映画がテレビシリーズの設定を忠実に踏襲していたのとは異なり、J.J.エイブラムスが監督を手がけた本作は、このごろよくある「リ・イマジネーション」を称している。シリーズの設定をもとに新たに構想した新しい作品、という奴だ。
 とはいうものの、監督とスタッフ、キャストたちは、押さえるべきところはよく押さえている。プロット上の大きな変更点については、オリジナルシリーズのパラレルワールドという位置づけで矛盾を処理してしまい、その分、細部においては昔からのファンを喜ばせるような目配りを利かせている。

 上述の通り、スポックの姿は本作にも登場するご本尊レナード・ニモイ(老いた…)よりもスポックらしく見えるし、カークは無鉄砲で女好きで喧嘩っ早くて、いかにもカークの若い頃だ。やたらに文句ばかり言って周囲を困らせるドクター・マッコイの初登場シーンも、笑うしかない出来ばえだし、スールー、スコッティ、チェコフ、ウフーラら主要キャストも納得できる。伝説の「コバヤシ丸」テストも印象的に用いられている。
(このへんの固有名詞のわからない方は、適当に読み飛ばしてください)

 一方で、従来のシリーズを覆っていた安っぽさからは、本作は綺麗に脱却している。エンタープライズ号は(フォルムはずんぐりしてはいるが)美しく、宇宙船どうしの戦闘はスピーディーかつ華々しく、物語の展開は早く、生身のアクションも激しい。カークとスポックが勝負を賭けた戦闘のクライマックスには息をのむ迫力があり、従来の「スター・トレック」とは無縁の人にも楽しめる映画になっているのではないかと思う。

 しかし。

 残念なことに、私は本作を手放しで称賛することができない。
 これは違う、と思わずにいられないことがある。

 「スター・トレック」という名前のテレビシリーズは、当初1966年から3年間にわたって放映された。
 オリジナルシリーズが作られた1960年代前半は、世界がUSAとソ連の二極にわかれて対立した冷戦時代であり、USA国内では公民権運動がクライマックスにさしかかり、ベトナム戦争も始まっていた。
 そんな時代に、エンタープライズ号のブリッジでは、女性、黒人、東洋人、ロシア人、そして宇宙人との混血と、ありとあらゆるマイノリティが乗り組み、力を合わせて困難に立ち向かっていた。それだけでも製作者たちの心情が読み取れる(今回、スールーやウフーラを演じた若い俳優たちは、自分が演じる役柄は当時のマイノリティ社会の誇りと憧れであり、それを演じることで両親が喜んだ、というようなコメントを残している。どこで読んだのか忘れたが)。

 プロットにも、地球上のさまざまな対立や差別をモデル化したようなエピソードがしばしば見られた。現実の問題をそのまま描くのが難しい時代に、宇宙という別の時空を借りたということだったのかも知れない(歌舞伎がそうであったように)。
 そして、それらの困難な問題に直面するたびに、カークたちは青臭く理想を語り、ヒューマニズムに基づいた解決策を見いだそうと苦悩した。それは、時には(現実のアメリカ合衆国がそうであるように)独善的で押しつけがましいものになりかねないけれども、よくもわるくも、艦隊と己の理想に殉じるというカークの覚悟は常にブレなかった。

 だから、「スター・トレック」の登場人物たちは、戦いのさなかに、しばしば議論を交わす。それはたとえば、「ネクスト・ジェネレーション」の映画化作品である「ファースト・コンタクト」においても見られる現象だ。華々しい戦闘が、クライマックスにおいて突然ディベートになってしまう場違いさこそ、スター・トレックのスター・トレックたる所以、と言ってもいいくらいだ。
 その後の他のシリーズでも、主要登場人物たちは理想を掲げ、現実とのギャップに悩む。そんな青臭いヒューマニズムこそ、「スター・トレック」の根底に流れるものなのだと私は思っている。

 本作映画においても、敵役であるネロ艦長は、現実世界を反映しているように見える。
 自らの星の破滅に直面したネロは、故郷を見捨てた惑星連邦を恨み、スポックを恨んで、艦隊やスポックの故郷であるバルカン星、そして地球を襲う。それは、たとえばUSAの攻撃によって故郷を破壊されたテロリストたちの心性や振る舞いを連想させる面がある。

 だから、私が知っているカーク船長なら、ネロと対面したら説得を試みずにはいられないはずだ。彼の行為の不毛さを語り、彼の恨みが誤解に基づくことを教え、惑星連邦と彼の故郷の未来にとって最良の道を一緒に探そうと言い出すのではないかと思う。スポックなら、ネロの復讐は復讐の連鎖を生むのだと論理的に説明したかもしれない。
 だが、本作の若きカークはそうはしない。エンタープライズの乗組員に、ネロに理解や同情や共感を寄せる人物はひとりもいない。
 最後の戦闘場面の描き方を見る限り、エイブラムス監督は、ここで私が書いてきたような事柄に気づいていないのではなく、充分にわかった上で敢えてないがしろにしているように見える。
 そういう語り口が、私にはひっかかる。彼のオリジナルなSFアクション映画なら構わないが、これは「スター・トレック」を名乗る映画なのだ。
 <社会への問い掛けを放棄したこの映画が、『スター・トレック』の精神とファンに忠実はなずはない>としたニューズウィーク誌(日本版5/27号)の記事に、私も同意する。

 この映画そのものを否定するわけではない。充分に面白かったし、エンドタイトルで流れたオリジナルシリーズのテーマ曲とナレーションには体が熱くなった。映画館を出る時にはグッズのひとつも買いたい気分だった。
 それでも、評価は留保付きにせざるを得ないし、もしも監督に対して感想を伝える機会があるなら、こう言わずにはいられないと思う。

「面白かったよ。若いキャストたちも頑張ったね。
 でも、ちょっと違うんじゃないかな、あの結末は」


※アップ後に、Newsweekからの引用部分など、細部を手直ししました(2009.6.4 12:00)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

外国映画としての「おくりびと」。

 「おくりびと」を見たのは比較的最近のことで、昨年の暮れに海外に出かける飛行機の中だった。ノドを痛めやすいので機内ではマスクをしているのだが、その状態でぼろぼろと泣いていた。機内スタッフの目にはさぞ異様に映ったことだろうが、あの映画を上映している間は、そういう客も結構多かったかも知れない。

 今これを書くのは後出しじゃんけんのようなものだが、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたと聞いた時は、外国人ウケの良さそうな映画だからな、と納得した。
 死の儀式という普遍性。日本家屋の畳の上で死者に着物を着せるというエキゾチズム。山形の美しい四季。オーソドックスな展開と丁寧な語り口。独特の軽みと優しさ。チェロ奏者という主人公の前歴も、観客を納棺師という道の世界に連れて行く先導役にふさわしい。
 そして、なんといっても本木雅弘と山崎努が演じる納棺の美しさ。その所作はまるで舞踊のようで、ただ座っているだけで美しい本木が、丹念に手順に沿って死者を送り出していく姿は、それ自体がこの世のものとは思えない雰囲気を醸し出している。
 日本から海外に送り出す文化的パッケージとしては理想的といってよい。

 だが、たぶん監督も制作陣も脚本家も、この映画を作る時には「世界市場に出すために」などということは、ほとんど考えていなかったと思う(もし意識していたのなら敬服する)。このジャポネスクなパッケージは、あくまで現代の日本の観客のためのものだったはずだ。

 私は自分の家から葬式を出したことが二度ある(一度は昭和の昔、二度目は21世紀になってからだ)。が、この映画のような形で納棺に立ち会ったことはないし、納棺師という職業も知らなかった。
 少なくとも首都圏ではみな同じだと思う。都会では、多くの場合、人は自宅では死なない。病院から自宅に戻る時には、すでに棺の中にいることもある。滝田洋二郎監督の出身地、富山県高岡市は、どの家のふすまの奥にも、とてつもなく豪華な金箔の仏壇があるような土地柄らしいが、そこで育った監督も納棺師を知らなかったようだ。

 従って、映画は納棺師を知らない観客のために作られている。映画の主要な主題は本木(とその妻)が「納棺師」という職業から受けるカルチャーショックであり、本木や山崎の所作を丹念に追う映像はそれを初めて見る観客のためのものだ。

 だからこそ、観客はみな素直に感心し、感動できる。
 もし、納棺師がもっと身近な存在だったら、逆に我々は(主人公の妻や郷里の旧友のように)この映画を忌避する気持ちから脱しきれなかったのではないだろうか。映画のタイトルが「おくりびと」でなく「葬儀屋」であったら、こんなふうに受け入れられたかどうか。
 死体の臭いや手触りは、映画で描写されてはいるが、どこかコミカルで、画面からそれが漂ってくるようなものではない。それは、人が自宅で死ななくなった世の中の変化とも通底しているように思う。本木が原案となる書籍と出合ったのは15年くらい前らしいが、その時期に同じ映画が作られたとしたら、なまぐさくて見ていられなかったかも知れない(それはあくまで見る側の感覚ということだが)。

 だからといって、この映画が虚構だと言うつもりはない。
 一族が並んだ前でパフォーマンスのように行われることはなくても、我々は納棺が厳かなものであることを知っている。映画のように実行されることは希であっても、潜在的には誰もがあのような気持ちを共有しているから、(そこに多少の美化がおこっていたとしても)本木が執り行う納棺の儀が、象徴的なものとして、すっと心の奥まで届いてくる。

 というわけで、この映画のアカデミー賞受賞を報じるメディアの多くは「日本の心が海外に理解された」という文脈で伝えているが、それはいささかニュアンスが違うように感じる。
 「おくりびと」は、我々日本人の観客にとっても、異国の珍しい習俗を描くようにして作られている。だからこそ、どの国の人々にも届くのではないだろうか。そして、山形の言葉が持つやわらかさ、あたたかさもまた、そこに一役買っている。まさに「外国語映画賞」にふさわしい(山形の人には母語映画だけれども)。


 しかし、滝田監督の年齢が53歳と若いのには驚いた。ずいぶん昔から撮っているのに、とフィルモグラフィーを確かめると、一般映画のデビュー作である「コミック雑誌なんかいらない」(本木の義父である内田裕也が主演している)は1986年の作品、彼が31歳の年にあたる。
 それまでは独立系のプロダクションでピンク映画を撮っていた。残念ながら見たことはない(と思う。ピンク映画は昔何本か見たが、タイトルまで覚えていない)。
 オスカー受賞を祝福する高岡のご両親の姿もずいぶんと報じられていたが、東京に出て行ってエロ映画ばかり撮っていた20代のころには、家族や親族、故郷の目は厳しいものだったのではないだろうか。故郷の友人や妻に忌避されながらも、仕事に打ち込むことで認められていく主人公の姿は、監督自身の半生にも重なるものだったのではないかと想像する。考えすぎかも知れないが。

 海外で評価される日本映画はアート系・単館系と言われるものが多かったが、オスカーを手にしたのが彼のように原作モノや企画モノをきちんと撮ってきた職人的監督だったというのは(ハリウッドビジネスのお祭りなのだから当然といわれればそれまでではあるが)、私のような、よくできた分かりやすい映画を好む凡庸な観客にとっては、どこか嬉しい出来事でもある。


追記:
上の文章をアップした後で滝田監督について検索しているうちに、朝日新聞の富山版で今年元日に掲載されたらしい記事を見つけた。「おくりびと」にも出演している俳優・山田辰夫(高校の同級生だったらしい。「おくりびと」での演技も印象に残る)との対談。たいへん素晴らしいのでぜひご参照を。ああ、日本映画がオスカーを取ったんだな、と実感した。
http://mytown.asahi.com/toyama/newslist.php?d_id=1700031

| | コメント (2) | トラックバック (0)

映画『ザ・ムーン』 デイヴィッド・シントン監督

 アポロ11号が人類最初の月への着陸に成功した1969年7月21日。私は5歳の幼稚園児だったが、まったく記憶がない。すでに拙い日本語を喋っていたはずだし、絵本を読んだりテレビを見たりする能力はあったから、少しくらい覚えていてもよさそうなものなのに。
 それでも、当時の子供の常識として、アポロ宇宙船や月面の様子は知っていたし、月着陸船や司令船の形もよく覚えている(明治製菓のアポロチョコレートの円錐形が、もともとはこの司令船を模したものだったと今の若い人は知っているだろうか)。きっと情報源は少年マガジンのグラビアか何かだったのだろうと思う。

 だから、アポロ計画の名を聞けば、今でもちょっと心弾むような気分になるし、関連図書は何冊か読んでいる。海洋堂が作った「王立科学博物館」の第一期シリーズはほとんど揃えた(確かひとつだけ手に入らないものがあった)。
 そんな44歳が、アポロ計画のドキュメンタリー映画を素通りできるはずもない。週末にできた数時間の余裕に、007は後で見ればいい、と決めて池袋のシネマサンシャインに向かった。
 
 
 アポロ計画では1967年から1972年までの間に15の打ち上げが実施され、1969年から72年までの4年間に6度の月面着陸を成功させた。月に立った宇宙飛行士は計12人を数える。
 この映画は、NASAが保管していた膨大な記録フィルムと、アポロ計画に参加した10人の宇宙飛行士のインタビューによって、月世界飛行の再現を試みている。

 記録映画ではあるが、アポロ計画の歩みを時系列に紹介しているわけではない。
 映画の核となっているのは当然ながら、初めて月面着陸を試み、成功したアポロ11号。その訓練から発射、月への飛行、着陸、月面での体験、そして帰還と丹念に描きつつ、それぞれの局面ごとに、他の号の飛行士たちの証言と映像を交えていく。
 つまり、監督の主眼はアポロ計画の歴史を説明することではない。月に行って帰ってくるというのはどういうことなのか、それぞれの局面で何が起こり、飛行士たちはそれをどう感じていたのか。それらを観客に追体験させることにあり、それはかなり成功している*。

 とりわけ11号が月に着陸する場面は、ちょっとした不具合の発生も重なり、緊迫する。彼らが無事に着陸して星条旗を立てて地球に帰ってくる、という結末を知っていながら、それでも見ているだけで緊張してしまうのが、本物の迫力というものなのだろう。無事に着陸に成功した瞬間は、思わず拍手しそうになった(アメリカの映画館なら、たぶん拍手や歓声がわくのでは)。
 
 
 映画の中でふんだんに用いられている映像の多くは、実はこれが初公開なのだという。
 各回の飛行で大量に撮影したフィルムを、NASAは液体窒素の中で冷却保存していた。まったく人目に触れたことのないものも多かった。長い間、門外不出だったこれらのフィルムをデジタル映像に映す作業が始まったことで、NASAから公開の許可が下りた。その意味では、この作品は、今だからこそ作りえた新しい映画ということになる。
 実際、切り離されるロケットから見たアポロや、月世界を走るローバーなど、目を見張るような映像が次々と登場する。これらはすべて特撮でもCGではなく実写なのだ。ロングショットでの月世界は、空気も生物もなく、岩と砂と漆黒の闇が圧倒的な存在感をもって迫ってくる。
 
 
 そして、宇宙や月の映像と同じくらい魅力的なのが、登場する宇宙飛行士たちだ。1928年から35年生まれ、ほとんどが後期高齢者だが、なにしろ皆、顔がいい。表情もいい。いい仕事をして、いい歳をとった立派な人たちだということを、彼らの顔と語り口が雄弁に物語る。
 元宇宙飛行士だった爺さんたちが活躍するクリント・イーストウッド監督・主演の『スペース・カウボーイ』はとても好きな映画だが、宇宙飛行士を演じたイーストウッドやトミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーといった名優を凌ぐような存在感が、この本物の爺さんたちにはある。
 月飛行時の彼らは30代後半から40代初め。男盛りの時期に訪れた、一世一代の大仕事だった。

 ただし、10人もの飛行士(全員が月に行ったわけではなく、軌道上で待っていた飛行士も含む)を集めたけれども、最も有名な人物は出演していない。最初に月面に降りたったニール・アームストロングだ。
 映画を見ている間は、もう亡くなったんだっけか、と思っていたが、後でプログラムを読むと、彼は隠遁生活を送っており、公的な場に出てくることがないのだという。シントン監督は当然ながら出演を依頼し、メールで連絡を取ることはできたが、結局、出演には至らなかった。
 だが、彼の不在は、必ずしも映画にとって瑕にはなっていない。当時の映像と、同僚の宇宙飛行士たちが畏敬をもって語る証言によって、印象的にアームストロングの人物像を描くことができている(もしかすると本人が出演した場合よりも、くっきりと)。
 
 
 2007年に作られたこの映画、実は英国製だ。プロデューサーも監督も主要スタッフも英国人で、「提供」とクレジットされているロン・ハワード(『アポロ13』の監督でもある)だけがアメリカ人だ。アメリカ合衆国の威信をかけた大事業を他国人が映画化したことで、“愛国フィルター”を免れ、「人類にとっての月面着陸」という観点が浮かび上がってくる。シントン監督はドキュメンタリー畑の人で、これが初の長編映画だそうだが、有名であるだけに難しいと思われる素材を、見事にまとめ上げている。

 アポロ計画は40年も前の事業だが、その後、人類は地球外に降り立ったことがない。
 彼らの経験は、我々の宇宙への意識、地球に対する意識を大きく変え、今も強く影響している。この映画を見ると、改めてそんなことを感じる。月への体験を総括する彼らの言葉は、(中には宗教に傾倒して、ついていけない人もいるけれど、そういう言葉も含めて)ずっしりと重い。
 
 
 
 
*
 ただし、その結果、扱いが難しくなったのがアポロ13号だ。飛行中に機体の故障が発生して月着陸を断念、絶望的な状況から奇跡の生還を果たしたミッションは、このような構成の中では浮いてしまう。監督も扱いに困ったのだろう、番外編のような形で駆け足で済ませている。機長だったジム・ラヴェル本人も出演しているのに、もったいないといえばもったいない話だが、しかし、13号の物語をこってり紹介したら、この映画の構成が崩れてしまうから、これはこれでよいのだろう。物足りない人は映画『アポロ13』を見ればよい。
 そういえば、映画『アポロ13』もよかったが、あれが封切られた前年あたりにテレビ朝日が立花隆をキャスターに作った「危機 クライシス」というシリーズの特番が、大変な傑作だった。NASAの実写映像をふんだんに使い、管制官ジーン・クランツ(映画ではエド・ハリスが演じた)のインタビューを交えて、実に生々しく状況を再現していた。
 打ち上げ当時はエド・ハリスに負けない男前だったクランツは、番組の独自インタビューではずいぶん太ったおっさんになっていたが、冷静に淡々と振り返っていた彼が、最後に「みな、よくやった…」と絶句して目頭を押さえた場面が印象に残る。テレ朝も50周年特番とかいってバラエティを引き伸ばすばかりじゃなく、こういう名作を再放送してくれないかな。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

「KING OF TOKYO O FILME」についての、ないものねだり。

 渋谷シネパレスで『KING OF TOKYO O FILME』という映画を見た。
 KING OF TOKYOことアマラオ、東京ガスからFC東京で約10年間にわたって活躍したブラジル人サッカー選手について、彼と縁のあった人々のインタビューを集めた映画だ。

 実際のところ、作品としてはそれ以上でも、それ以下でもない。FC東京とアマラオを贔屓にしている身としては、詳しい紹介はいささか書きづらい。厳しい言葉ばかり連ねることになるからだ。

 私自身は、この映画をかなり感激しながら見た。
 行きたかったがどうしても都合がつけられなかった彼の引退試合の映像をクライマックスにもってきているので、彼の最後の挨拶や味スタのスタンドを大きな画面で見ているだけで胸に迫るものがある。
 かつて東京で活躍し、今はブラジルに戻っているケリーが登場して、あのつぶらな瞳を輝かせながら懐かしそうにアマラオの思い出を語り、「あなたの隣でプレーしながら多くのことを学びました」と話す姿も嬉しかった。
 私にとっては幸福な2時間弱だったし、アマラオに愛着がある人なら同じように感じるのではないかと思う。


 だが、映画としては、残念ながら不満が多すぎる。
 映画の前半はブラジル取材を敢行して、アマラオの親類縁者を訪ねて話を聞いているのだが、率直にいってあまり面白くない談話が多いし、無駄としか思えないカットも多い。アマラオの弟が喋りながらポーズをつけたりする姿は見ている方が気恥ずかしくなる。アマラオの出身地で、通りすがりらしい若い女性に「KING OF TOKYOを知っていますか」「アマラオを知っていますか」と質問し、「知りません。その人も知らない」と言われる場面が2度繰り返されるが、何のための映像なのか困惑する。

 ブラジル取材の間は、取材者はKING OF TOKYOという言葉にこだわって、キーワードのように取材相手に喋らせている。それならそれを最後まで貫けばよいと思うのだが、日本編に入ると急速にキーワードへの関心が薄れてしまったようだ。

 そもそもKING OF TOKYOという称号は、いつ、誰が、どのようにして、どういう意図をもって言い出したのか、それはチームメイトやクラブ関係者の目にはどのように映っていたのか。来日当時からのチームメイトや植田朝日ら古くからのサポーターにインタビューしているにも関わらず、それらの質問はされることがなく、話題にも上らない。

 私自身はそれらの答えを知らない。私が初めてFC東京の試合を見に行ったのは、彼らがJ1に昇格した2000年だが、その時はすでにアマラオはKING OF TOKYOと呼ばれていたから、JFL時代からの愛称のはずだ。

 首都に生まれた最初のプロサッカークラブとはいえ、まだ2部リーグにとどまり、選手はもとよりクラブ自体の知名度も無に等しいという状況の中で、チームの中心ではあっても世間的には無名のブラジル人選手をKING OF TOKYOと呼ぶことは、誇大広告に近い試みだったのではないかと思う。今は無名だけれどもこれから大きくなっていくんだ、という熱量の高さが生んだネーミングかも知れない。

 そもそも日本のサッカーでKINGと呼ばれた選手を、私は三浦知良とアマラオの他に知らない(私が知らないだけで、各地にKINGがいるのかも知れないけど)。はじめは滑稽にさえ見えたはずの大袈裟な綽名が、いつしか周囲にも認められ、彼にこそふさわしい称号へと育っていく(「KING OF TOKYOの2代目はいないと思うし、あの横断幕は50年経ってもスタジアムに掲げられていると思うし、そうであってほしい」と映画の中で茂庭が話している。私もそう思う)。そんな過程を丹念に追ってみたら面白かっただろうに、と思わずにはいられない。

 あるいは、こんな見方もできる。
 日本には過去20年以上の間に大勢のブラジル人選手がやってきた。活躍した選手もいれば、しなかった選手もいる。タイトルをとった外国人選手も大勢いるが、アマラオほどファンに愛され、ファンを愛した選手はめったにいない。比肩しうるのはラモス瑠偉くらいなものだろう。
 来日当時についてチーム関係者は「2人のブラジル人選手が加入したが、一緒に来た選手は巧く、アマラオは下手だった」と口を揃える。にもかかわらず、もうひとりの選手はチームを去って忘れられ、アマラオはKING OF TOKYOになった。

 大勢のブラジル人選手の中で、なぜ彼だけがKINGになれたのか。KINGになれなかった男たちを追跡し、「日本サッカーにおけるブラジル人選手」という存在を掘り下げてみても面白かったと思う。
 サッカー選手だけでなく、ブラジルからの移民、あるいは海外からの日本への移民自体も、アマラオが来日してからの15年ほどの間にずいぶんと変化している。日本社会が彼らをどう受容しているのか、という背景の中でアマラオの存在感を考えるという試みも、やりかたとしてはあったように思う。


 サッカー選手に関する記録映画としては異常なことだが、この映画にはJリーグの試合映像が一切使われていない。たぶんJリーグ映像に支払う使用料が用意できなかったということなのだろう。
 制約は制約で仕方ない面はある。ただ、関係者の証言は、しばしば個別の試合について言及する。
 原博実は、アマラオがチームを去る年の最後のリーグ戦で、後半から投入したらチームが0-2から大逆転してしまった話をした。今は平塚にいる阿部吉朗は、天皇杯で自分が2点をとりながらPKを外して敗退し、アマラオの最後の試合にしてしまったにも関わらず、自分を気遣ってくれた神戸戦について話した。そのように話題に上っていながら映像が見られないことは、観客としてはフラストレーションが溜まる。

 とりわけ、この作品の最大の山場ともいえる、マリノスへの移籍を決意しながらサポーターの説得で東京に残ったというエピソードの中で、アマラオを引き留めようとサポーターたちが試合前から2時間以上ぶっ通しでアマラオ・コールを続けたという試合については、せめて音声だけでも再現できなかったか。
 試合映像を使うといくらかかるのかは知らないが、観客としては、前半のブラジル取材よりも、試合映像を使ってもらった方がよかった。

 ナレーションを用いないという判断も、あまり成功しているとは思えない。
 例えば、ブラジルで訪ねたアマラオの故郷がどういう土地なのか、映像はあっても、その土地柄が私の中ではまったく像を結ばない。それは日本編でも同様で、深川や小平が東京の中のどういう地域なのか、映画を観ていても全く判らない。
 もちろん、安易に盛り上げを図るナレーションのついた映像作品に辟易することがあるのも確かだが、支援が必要な場合もある。本作はそういうケースだったように思う。


 というわけで、アマラオという魅力ある素材を、この映画はあまりいろんな角度から掘り下げることをせずに、素材のままで観客の前に差し出しているように見える。太田綾花監督はアマラオのこともサッカーのこともほとんど知らないままオファーを受けたらしいが(そういうことを公言されても観客としては嬉しくないのだが)、彼女自身の中でアマラオという存在を掘り下げきれないままで終わってしまったのではないだろうか。
 いろいろやりようはあっただろうに、惜しまれる。サッカー批評の最新号で、ミカミカンタが歯切れの悪い紹介をしていたので、ある程度覚悟はしていたのだが。
 経験の浅いらしい監督には、このblogで紹介した『モハメド・アリ かけがえのない日々』や『ペレを買った男』などを見て貰うとよいのではないかと思う。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

立ちはだかる壁としての緒形拳。

 10代の頃、私は中年男の出てくる小説やドラマや映画や漫画が好きだった。読む小説はハードボイルドや冒険小説が多かったし(ちょうど内藤陳が熱心にその種の小説を紹介しはじめ、北方謙三や志水辰夫が売り出した頃だ。今にして思えば黄金時代だな)、谷口ジローの漫画についてはこのblogでも紹介したことがある。
 そして、映画やテレビドラマで具体的な肉体をもってそういう役を演じていた俳優が緒形拳であり、山崎努だった(なんだ、必殺なんたら人ばかりじゃないか、というご指摘は甘んじて受ける)。

 「必殺仕掛人」「必殺からくり人」などの職業的暗殺者、「復讐するは我に在り」などの犯罪者、あるいは現代劇。今朝、彼の訃報を伝えるワイドショーで「幅広い役柄を演じた」とナレーションがあったが、私はそうは思わない。どんな作品でどんな時代のどんな役柄を演じていても、彼はいつもここぞという場面で、にたり、と嬉しそうに不気味な笑顔を浮かべる不可解な人物だった。あの、謎めいた笑顔に不思議と惹きつけられて、いつもそのまま目が離せなくなった。

 世間で注目を浴びたのが昭和40年の「太閤記」の主役であったことに象徴されるかのように(私はまだ1歳だったのでまったく記憶にないが)、NHKの大河ドラマにもよく出演していた。当たり役の豊臣秀吉は「黄金の日々」でも演じたし(若い頃にかわいがっていた主人公の助左に、死の床の秀吉が「ついほうめいず」と紙に書いて見せる場面が妙に印象に残っている。この時もやはりあの、にたりという笑顔だった)、「風と雲と虹と」では藤原純友。昨年の「風林火山」にも、上杉謙信の謀将として出ていた。彼が敵の陣営でにたりと笑っているだけで、主人公によくないことが起こるに違いない、という不吉な予感に苛まれる。

 民放のテレビドラマにもよく出ていた。私はドラマをあまり見ないのでたくさんの例を挙げることはできないが、たまたま見た中では、木村拓哉の「ギフト」や、長澤まさみの「セーラー服と機関銃」が印象に残っている。どちらも、最後に主人公が対峙する巨大な敵、という役どころで登場し(「セーラー服…」は最終回しか見てないのでよくわからないけど)、それがまたよく似合っていた。父、あるいは祖父の世代や世界を代表する、乗り越えるべき巨大な壁。そんなものを1人で象徴しうる存在感があった。
 彼が出てくるだけで場面が引き締まり、作品のグレードが一段上がる。そんな俳優だった。

 まだまだ現役の俳優だと思っていたので、訃報には本当に驚いた。ご冥福を祈る。

 気がつけば、緒形が「黄金の日々」で秀吉を演じていた頃の年齢を、自分はすでに超えている。自分は「越えるべき壁」として若者たちに立ちはだかるほどの存在感を備えることができているだろうか。はなはだ心許ない。たぶん何年経ってもそんなものにはなれそうにないし、別の芸風を探した方がよいのだろう。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

『ダークナイト』

注意:TBいただいた「ひねくれ者と呼んでくれ」のさわやか革命さんから「ネタバレモード」とのご指摘がありました。具体的なことは伏せたつもりでしたが、象徴的な部分では結論を割ってしまっているかも知れません。これからこの映画を観ようという人はご留意を。ここで読むのをやめる方には、「抜群に面白いです。でも重苦しいです。辛いです」とだけ言っておきます。

*****************************************************************

 クリストファー・ノーラン監督が最初にバットマンを手がけた『バットマン ビギンズ』は気に入った映画だったので、彼が再びクリスチャン・ベールを主演に据えた本作も当然のように映画館に足を運んだ。
 ブルース・ウェイン(ベール)を支えるウェイン家の執事アルフレッドにマイケル・ケイン、ウェインの会社経営を任される技術者フォックスにモーガン・フリーマン、バットマンと暗黙の共闘関係を結んだゴッサムシティの警官ゴードンにゲイリー・オールドマンという盤石の布陣も前作と同じ。ウェインが愛する幼なじみのレイチェルはマギー・ギレンホールに変わっている。

 だが、この映画でもっとも印象的な登場人物は、ヒース・レジャーが演じる悪役ジョーカーだ。多くの観客がそう感じることだろう。

 ジョーカーは「悪」を体現した人物だ。
 彼はどこにでも現れる。銀行でマフィアの預金を奪い、そのマフィアの本部に乗り込んで自分を殺したほど憎んでいるボスたちと取引し、警察に捕らえられても結局は高笑いしながら出て行く。彼は行く先々で人を苛み、欺き、そして殺す。
 彼の行動に動機はない。唇の両端が裂けて吊り上がった顔について、自分がいたぶっている相手に「俺の顔がなぜこうなったか教えてやろう」と少年期や父親とのエピソードを楽しげに語って聞かせるのだが、語るたびに内容が変わる。だから彼の言葉は信用できないし、虐待に遭ったトラウマだとか社会への恨みだとか、そんな言葉で彼の行動を説明することはできない。銀行を襲って金を奪っておきながら、富に執着するそぶりも見せない。
 彼を動かしているのは、純粋な悪の衝動なのだ。人を傷つけ、苦しめて殺す、その快楽に溺れるように、彼は次々と罪を重ねていく。
 現実には、後先考えず犯罪に溺れるような人物は、大抵はどこかで自滅するものだが、不思議なことに、誰も彼を捕らえることはできないし、傷つけることもできない。その万能ぶりは、まさに“ジョーカー”そのものだ。

 そんな人物が唯一こだわりを見せるのが、バットマンという存在だ。
 バットマンは(本人と周辺のごく少数の人々、そして映画の観客を除いた世の中の人々にとっては)正体不明の人物だ。奇怪なコスチュームに身を包み、独特の武器を操り、町のあらゆる場所に現れて、暴力をふるう。
 結果として、悪を懲らしめて警察に引き渡す、という行動をとってはいるが、彼が他者に対して暴力をふるう権利は、しかるべき機関や手続きによってオーソライズされたものではない(他人の紛争に介入するので、正当防衛というわけでもない)。「正義の味方」として振る舞ってはいるけれど、法治国家や民主主義社会において、実は彼の行動は犯罪以外の何物でもない。

 ジョーカーは、そのようなバットマンの本質を見抜いている。にもかかわらずバットマンが民衆の英雄として扱われていることが不快で仕方がない。そこで、ジョーカーはさまざまな方法でバットマンに挑戦する。
 「バットマンが正体を現さなければ1人づつ市民を殺す」と脅し、かつ実行する(ジョーカーは殺人を少しもためらわない人物だ。それは冒頭の銀行強盗シーンで強烈に印象づけられる)。レイチェルと、その現在の恋人である地方検事デント(アーロン・エッカート)を誘拐し、それぞれを別の場所に監禁して時限爆弾を仕掛け、「どちらか片方を救えば他方が死ぬ。決めるのはお前だ」とバットマンに迫る。しまいには、危険の迫る町から脱出を図った船2隻に悪夢のような“囚人のジレンマ”を仕掛ける。

 お気づきの通り、ジョーカーはバットマンに直接的に暴力をふるったり、殺害を企てたりはしない。ただバットマンの内面を執拗に攻撃する。物理的に傷つけられ、殺されるのは、もっぱら彼の周囲の人々であり、あるいはブルース・ウェインとは直接的に関係をもたない市民だ。
 そうすることによって、あるいはそう予告することによって、ジョーカーはバットマンを窮地に陥れる。市民はバットマンを憎み、仮面をはぎとることを望みはじめる。
 どちらを選んでも救いのない難問を、バットマンは次々に突き付けられて苦悩する。
 2時間半を超える長い上映時間は、めまぐるしいサスペンスとアクションで息つく暇なく埋め尽くされるけれども、そこに爽快感はない。バットマン=ウェインは常に不条理な罠を仕掛けられ、悩み続ける。観客にとっても重苦しい時間が続く。

 バットマンがこの苦しみを脱し、ゴッサムシティに平穏を取り戻すための、もっともシンプルで、簡単に実行できる解決方法がひとつある。
 ジョーカーを殺すことだ。
 ジョーカーは組織を持たず、常に自身が行動する(手下を伴うこともあるが、金で雇ったその場限りの関係であることが多いようだ)。一対一の格闘になれば、ジョーカーはそれなりに手強いけれど、おそらくはバットマンの方が強い。ジョーカーの居場所を突き止め直接対峙しさえすれば、ジョーカーを殺すことはバットマンにとってさほど難しくない。
 だが、バットマンは人を殺さない。ジョーカーに対してだけではなく、バットマンとして活動する際、彼は基本的に人を殺さない。あくまで悪行を阻み、相手の自由を奪って警察に処分を委ねるところまでにとどめている。それがバットマンの正義であり、信念なのだろう。現代の正義とは、実に不自由なものなのだ。

 つまり、ジョーカーが挑戦しているのは、バットマンの信念なのだ。バットマンの心を折り、その姿を市民に見せつけることこそ、ジョーカーの望むところなのだろう。あるいは、バットマンの中から邪悪な側面を引き出すのでもよい。
 コインの裏表のように似通ったところもある2人だが、ジョーカーが完全にオールマイティな存在であるのに対し、バットマンは「正義」「不殺生」という信念で己の手を縛っている。ジョーカーに守るべきものは何もない。バットマンはたった1人で(警察と協力してはいるが)市と市民を守るという誇大妄想に近い目標を常に抱いている。
 だから、ジョーカーはいつでもどこからでも攻撃可能で、バットマンは常に後手に回らざるを得ない。個人的な弱点を執拗に攻撃され、受忍の限度を超えたバットマンは、怒りのあまりジョーカーを殺したい衝動に支配されそうにもなる。そうなればなったで、ジョーカーにとってはある種の勝利でもある。

 耐えに耐え続けるバットマンは、まるで神が与えたもうた試練によって信仰を試される宗教者のようだ。これはある意味で、「正義」を教義とする宗教映画のようなものである(だから、厳しい試練に屈してダークサイドに墜ちてしまう登場人物も描かれる)。

 重苦しい緊張感に支配され続けるこの映画は、結末もまた苦いものになる。第3作に含みを残すラストとなったが、それが作られることになったとしても、やはり苦いものにならざるを得ない。町に平和が訪れ、後を託せる人物が現れたら、バットマンを卒業して一市民に戻りたい、というウェインの願いは、当分かなえられそうにない。

 映画の中でわずかに示される希望の光は、思わぬところから差してくる。乗客を満載した2隻の船が、いかにして“囚人のジレンマ”を脱するか。その過程は、この戦いの本質が、実はバットマンとジョーカーという2人の個人の間のものではないのだ、ということを静かに語っている。
 『ダークナイト』の中で描かれる「正義」と「悪」は、すぐれて現代的な「正義」であり、現代的な「悪」だ。21世紀にふさわしい寓話ともいえる傑作となった。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

『ペレを買った男』

 ペレやベッケンバウアーが在籍し、70年代後半のUSAにサッカーブームを巻き起こしたニューヨーク・コスモスの盛衰を描いたドキュメンタリー映画。当時の映像と、選手、経営陣、リーグ首脳陣、記者など大勢の証言を、当時のヒット曲に乗せて構成している。映像や文字の出し方がいかにも70年代っぽいノリ。
 私のコスモスに関する知識は、ここに書いた最初の2行程度が全てだったので、映画の中で初めて見るその全盛期の映像は衝撃的だった。7万人の観衆がジャイアンツ・スタジアムに集まり、コスモスのプレーに熱狂している。USAがサッカー不毛の地だなんて誰が言ったのだろう?

 邦題に謳われている「ペレを買った男」はスティーブ・ロスという人物。ワーナー・コミュニケーションズの会長だ。ワーナー・ブラザース映画をはじめ、音楽のアトランティックやノンサッチ、ゲームのアタリなどを傘下にもつ総合エンタテインメント企業グループのトップに立っていたロスは、発足してまもない北米サッカーリーグ(NASL)に、プロサッカークラブ、ニューヨーク・コスモスを創設して参加する。
 特にサッカー通だったというわけでもないロスがサッカーチームを作ったのは、アトランティックレコードの創設者でトルコ出身のアーメット・アーディガンに請われたためであり、同時に「メジャーなスポーツのオーナーになるのが夢だった」と証言者のひとりは説明している。
 セミプロ選手を集めた新生チームは、しかし何年たっても成績も人気も上がらない。スターが必要だと確信したロスは、75年のシーズン途中で、前年に引退したばかりのブラジルの、いや世界サッカー界のスーパースター、ペレを口説いてチーム入りを実現する(ブラジル政府が難色を示したため、ロスは当時国務長官だったキッシンジャーを動かした。映画には現在のキッシンジャーも証言者のひとりとして登場している)。MLBの最高年俸がベーブ・ルースの通算本塁打記録を更新したばかりのハンク・アーロンの20万ドルという時代に、コスモスはペレに3年間で450万ドルを支払ったと言われた。それまで数千人だった観客動員は一桁跳ね上がり、遠征する先々で一目ペレを見ようという人々がスタジアムに詰めかける。

 翌76年にはイタリアの得点王ジョルジュ・キナーリャ、77年にはドイツの至宝フランツ・ベッケンバウアーと元ブラジル代表主将のカルロス・アウベルトを相次いで獲得。ペレの最後の年となった77年にはチャンピオンシップを制してリーグ王者となる。ペレが去った後もコスモスはニースケンスら欧州の選手を次々と加入させ、78、80、82年と4度の優勝を果たした。
 しかし、リーグにはブームをあてこんだ新規参入チームが急増、プロの水準に満たない選手やチームも増えてリーグ全体のレベルが低下する。コスモスをまねて世界中のスター選手を大金で招く経営は、収入規模に見合うものではなかった。さらに、コスモスの巨額の人件費を支えていたワーナーもアタリ社のゲームの低迷によって収支が悪化。チーム経営から撤退し、コスモスはあっという間に解散に追い込まれていく。そしてリーグ自体も崩壊し、北米サッカーリーグはうたかたの夢と終わった。

 約20年で消滅したという結果だけを見れば、このリーグが失敗であり、幻であったのは確かだ。だが一方では、一期の夢ではあっても、そこで世界を代表するスター選手たちがプレーし、観客を熱狂させていたことも事実。
 映画に登場する現在のベッケンバウアーとカルロス・アウベルト、主将としてワールドカップを制した2人がコスモスを語る表情は実に楽しげだ。「コスモスの話をしていると私は泣いてしまうよ。それほどまでに美しい思い出なんだ」とカルロス・アウベルト。一方の皇帝は「人生で最高の決断だった」と興奮気味に話す。
 実際、ペレの最後の試合で初優勝を決めた時の映像を見ると、ベッケンバウアーの喜びようは相当なものだ。ペレ自身も、数字的には驚くほどの好成績ではなかったけれど、劣悪な環境や未熟なチームメイトにもくさることなく真摯にプレーし、サッカーの伝道師としての役割を見事に果たしていたようだ。
 彼らほどの選手が、これほど入れ込んでプレーしていたのだ、数万人を熱狂させたとしても不思議ではない。
 原題はONCE IN A LIFETIME. まさに、人生に一度だけの栄光が、そこにあった。

 もっとも、ロスのチーム愛にはタニマチ的なところもあったようだ。移動は飛行機、ホテルは5つ星。遠征に選手の家族や友人がついてくる旅費まで出してしまう太っ腹ぶり。大事なプレーオフへ向かう機内で選手がファンの女性を連れ込んで性行為をしていたこともあったという。ニューヨークでの試合後には、スタジオ54という巨大ディスコに繰り出し、お決まりの大テーブルに陣取って大騒ぎをするのが常だった(ロス自身が選手やハリウッドスターを連れて踊り狂っている写真もある)。カルロス・アウベルトのいう「美しい思い出」には、たぶんこういう面も含まれているのだろう。

 映画は当時の映像と数多くの関係者の証言で構成される。すでに故人となったロスと、出演を拒否したペレの2人を除けば、主要な関係者はほとんど網羅されているように見える。
 興味深いのは、ペレ以前から在籍していたセミプロ選手たちだ。週の半分は別の仕事で生計を立てていた、上手くはないがサッカーが好きな選手たちが、ある日突然、ペレと一緒にプレーすることになったのだ。夢の中の出来事としか思えなかったことだろう。
 「彼のプレーに見とれないようにするのが大変だった」「俺がここにいていいのかと思ったよ」と彼らが口々に上気した表情で語る姿は微笑ましい。ジーコが来た時の住友金属の選手たちも、似たような気分だったのかも知れない。

 リーグは消滅したが、ペレとNASLはアメリカにサッカーの種をまき、後世の隆盛の礎となった、と映画は位置づける。現在、USAの少年少女180万人がサッカーをプレーし、アメリカ代表チームは90年以来、ワールドカップに連続出場している。94年に開催したワールドカップの成功を機に新たなサッカーリーグMLSが誕生し、現在も存続している。
 何より説得力があるのは、証言者のひとりとして登場する女子サッカー選手、ミア・ハムだ。彼女は「ボストンの親戚の家に行く時は、コスモスの試合があればいいのにといつも思っていた」と話す。72年生まれの彼女は、コスモスが最後に優勝した82年に10歳。USA史上最高のサッカー選手というべきミアは、まさにコスモス世代のサッカー少女だったわけだ。

 スティーブ・ロスのやり方で感心するのは、ペレとの契約の中に、試合出場だけでなく、引退後も含めた一定期間のキャラクター商品開発や全世界でのプロモーションの権利を含めていたことだ。さすがはエンタテインメント産業界の雄。
 世界で最初にスポーツ選手のマネジメントという商売を編み出したIMGの設立が1960年。初期はゴルフやテニスなど個人競技中心だったから、この頃はまだ団体競技の世界ではマネジメントやキャラクター管理という概念はさほど広まっていなかったはずだ(とはいえIMGのサイトを調べたら、71年にペレと契約している。コスモスとの権利関係はどうなっていたのだろう)。

 USAの人気スポーツである野球界では、この時期、フリーエージェント制度が生まれている(76年)。長期低迷していたニューヨーク・ヤンキースの新オーナーであるジョージ・スタインブレナーが、この制度を利用して有力選手を集め、77,78年のワールドシリーズを連覇して「金で買った最高のチーム」と揶揄された。
 コスモスの全盛期は、このスタインブレナー・ヤンキースの第1次黄金時代とほぼ同時期にあたる。ニューヨークの新興プロスポーツチームのオーナーとして、ロスは間違いなくヤンキースをターゲットとして意識していたはずだ(コスモスの創立記念試合はヤンキー・スタジアムで行われている)。
 2人の派手好きなワンマンオーナーは、きっと互いに対抗心を剥き出しながらスター選手を買いあさっていたのではないだろうか。映画ではまったく言及されないが、そんな想像も膨らむ(共同監督のジョン・ダウアーとポール・クロウダーはどちらも英国人のようだからMLBに目配りが利いていないのか)。

 そして、数年後の1984年には、史上もっとも商業的に成功した五輪と言われたロサンゼルス五輪が開催され、以後、アマチュアを含めたスポーツの世界に急速にビジネス化の波が押し寄せる。
 そんなスポーツビジネス史の中に置いてみれば、ニューヨーク・コスモスの存在には、一瞬の徒花では片づけられない重みが感じられてくる。

 東京・シネセゾン渋谷のレイトショーは本日まで。見逃すかと思ったけど、ぎりぎり駆け込みで間に合った。「サッカーファンでなくても楽しめる」みたいな評が多いのでプレー映像は少ないのかと思っていたがそうでもなく、ペレのゴールシーンがたくさん出てくるのは嬉しい。彼のボディバランスの良さは、今の目からみても見事だ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

丹波哲郎を偲んで『十三人の刺客』を見た。

 10日ほど日本を留守にして、戻ってきたら丹波哲郎が亡くなっていた(この10日間の最大のニュースがそれか、と言われそうだが)。

 すでに80歳を超える高齢で、近年は体調を崩して危険な時期もあったと聞いていたので驚きはしないけれど、残念には違いない。日本的な大物感を漂わせる名優は他に何人もいたが、丹波の持つスケール感は独特のもので他にあまり似た人がいない。『Gメン'75』の黒いソフト帽があれほど似合う日本人は、ほかに想像がつかない。
 そんなことを考えていたら無性に丹波の姿を見たくなって、『忘八武士道』を探して近所のレンタルビデオ屋を何軒か歩いたが見つからなかった。3日の夜にはNHK-BSで追悼番組として映画『三匹の侍』が放映されたが、代官の圧政に堪え兼ねて上訴しようとする農民に同情して荷担する正義感の強い浪人、という役回りは、あまり丹波には似合わない気がする(しかも、農民の身代わりになって百叩きの刑を受けたあげく、代官に騙されて水牢に放り込まれる純情ぶりだ。絶対似合わない(笑))。
 どうも物足りなくなって、以前録画してDVDに焼いておいた『十三人の刺客』を引っ張り出して見始めた。

 昭和38年(1963)東映、工藤栄一監督の手によるこの傑作で、丹波の出番は冒頭の導入部15分あまりに過ぎない。
 明石藩主の松平斉韶は、班の江戸家老が老中・土井大炊頭邸の門前で割腹してまでその隠居を上申するほどの暴君だが、将軍の腹違いの弟であるために誰にも手がつけられない。つけられないどころか、将軍は翌年春に斉韶を老中にすると言い出した。将軍には逆らえないが、斉韶が老中になったらご政道は乱れ国中がとんでもないことになる、と苦渋する老中・土井大炊頭が丹波の役どころで、苦渋の末に、腹心の旗本・島田新左衛門(片岡千恵蔵)を呼びつけて秘密裏に斉韶の暗殺を命じ、新左衛門は参勤交代で国元へ帰る斉韶一行を襲うべく、手勢を集めて策を練り始める。

 丹波は1922年生まれだから、この時46歳くらい。千恵蔵は1903年生まれで65歳。20歳近い年齢差のある日本映画のスーパースターに対峙して、成功しても名誉は望めず、実質的に成否を問わず待つのは死のみという任務を与える大層偉い役回りを、堂々と演じて緩みがない。見事な貫禄である。
 この先に起こることのすべてが土井の一存に始まっているわけで、それに見合う重みが丹波にはある(ちなみに『十三人の刺客』が1990年にフジテレビで単発ドラマ化された時にも、丹波は同じ役を演じている)。

 で、丹波の出番は早々に終わるのだが、時差ボケのせいもあってか一向に眠くならないし、映画は粛々と進んでいく。結局最後まで見てしまった。何度見ても面白い。
 『十三人の刺客』は、日本映画史の上では、時代劇全盛期の最後に咲いた徒花ともいうべき集団時代劇の傑作と位置づけられているらしい。島田新左衛門が集めた十三人の刺客が斉韶一行の五十数名を襲うクライマックス、壮絶な斬り合いを繰り広げる闘いのリアリズムが高く評価されている。

 それはその通りなのだが、久しぶりに見た今回は、丹波を中心に見ていたせいもあってか、クライマックスに至る以前、新左衛門=千恵蔵と斉韶の側近・鬼頭半兵衛(内田良平)がそれぞれに策略を巡らせ水面下での攻防を繰り広げながら抜き差しならない状況に突き進んでいく、静けさの中の凄まじい緊迫感が印象に残った。
 土井邸の門前を正面から映したシンメトリックなファーストシーン(よく見ると門の前で明石藩江戸家老が切腹して果てている)に始まり、日本家屋の内外を低い位置から映し出す構図、光と影を(とりわけ刀の光を)強調したモノクロ特有の映像美。BGMは極力抑制され、効果音もあまり使わない静寂が、緊迫感をいやが上にも高める。ジョン・ケージの「4分33秒」ではないが、「無音」もまた効果音のひとつなのだということを、工藤は把握しているかのようだ。

 そんな静けさの中で口跡の見事な名優たちが言葉を交わす前半は、あたかも舞台劇のようでさえあり、それだけに台詞の一言一言も重厚に響く。いつまでも記憶に残る言葉も少なくない。
 この脚本を書いた池上金男は後に池宮彰一郎というペンネームの小説家となり、忠臣蔵小説の新機軸『四十七人の刺客』という傑作をものにする。『四十七人の刺客』は、タイトル以外にもさまざまな面で『十三人の刺客』を下敷きにしていて、まったく同じ台詞もいくつか用いられている。
 にもかかわらず池上=池宮自身も脚本に加わった映画『四十七人の刺客』はまったく面白くなかったのだから、映画とは難しいものだ。

 映画とともに話が逸れた。丹波哲郎氏の冥福を祈る。彼の大霊界に「冥福」などという概念があるのかどうか私はよく知らないので、失礼があったら許して欲しいが。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

『モハメド・アリ かけがえのない日々』レオン・ギャスト監督<旧作再訪>

 97年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞作品。私が見たのは翌98年の初めだった。モハメド・アリが当時の世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンとザイールの首都キンシャサで戦った1974年の試合、“キンシャサの奇蹟”と呼ばれるそれを記録した作品だというだけの予備知識しかなかった。さほどボクシングに興味のない私がなぜこの映画を見ようと思ったかといえば、単に「WHEN WE WERE KINGS」という原題に参ってしまったからだったと思う。それは、その2か月ほど前にジョホールバルでNHKの山本浩アナウンサーの口から出た「この日本代表は『彼ら』ではありません。私たちそのものです」という言葉に、よく似ていた。

 この映画は当初、音楽映画になるはずだったという。キンシャサでは試合に合わせてジェームズ・ブラウンやB.B.キングらアメリカとアフリカの黒人音楽家を大集結させ、“黒いウッドストック”と呼ばれた3日間のフェスティバルが開かれた。その記録映画になるはずだったが、フォアマンの怪我で試合が6週間延期されたのがきっかけで、監督たちはアリとフォアマンを撮影することができるようになった。そして実に編集に20年の歳月をかけて、ようやく映画が完成したのだという。それだけに、映画はリングの中のことだけでなく、当時のアメリカ黒人の状況や空気を音楽とともに再現している。それがまた、アリという素材にはよく似合う。

 この作品にはナレーションがない。厳密にいうと皆無ではない。作家ノーマン・メイラー、ジョージ・プリンプトン、映画監督スパイク・リーら数人のインタビューが挿入され、その一部が時折ナレーション代わりに用いられる。それがまた味わい深い。
 こういうのを見ていると、アメリカ人というのは、語ることにおいては世界一巧みな人々だと思う。喋ることを特に職業としていない人物でさえ、映像の中で喋る時には実に饒舌だ。

 だが、誰よりも饒舌なのはアリその人だ。
 私はアリの全盛期のボクシングや喋りを直接見たことがなかったので、この映画の中のアリには度肝を抜かれた。
 これまで、さまざまな創作物の中で「自信家」「ほら吹き」「吠える王者」を見てきたが、どれひとつをとっても実在のアリに及ばない。漫画の中のチャンピオンよりも目の前で喚き散らすアリの方が遥かにテンションが高い。これ以上の振る舞いを小説や映画や漫画に描いても、滑稽にしか映らないことだろう(アリの振舞いだって滑稽なのだ。だが、彼の圧倒的な実力と実績が、そう思う気持ちをねじ伏せている)。
 徴兵拒否によってタイトルを剥奪され、3年5か月の間リングから遠ざかっていたアリ。その間にチャンピオンベルトを手にしたフォアマン。32歳の老いたアリが、25歳の若いチャンピオンに挑む。下馬評は圧倒的にフォアマン優位。そんな状況の中でも、アリは圧倒的な自信を誇示し続ける。自分自身を鼓舞するためなのか、それ以上の何かが彼のエネルギーになっているのか。
 フォアマンはボクシングのチャンピオンだが、アリはそれ以上の何者かなのである。そのことを存分に思い知らされる。

 映画の最後で、ジョージ・プリンプトンが、アリがハーバードの卒業式のスピーチの中で、求められて即興で作った「世界一短い詩」を紹介している。

 「Me,We(俺は、俺たちだ)」

この詩が、つまりは「WHEN WE WERE KINGS」というタイトルにつながっているのだろう。映画の中の圧巻は、キンシャサの大観衆が口々に叫ぶ「アリ、ボマイエ(アリ、ぶっ殺せ)」という大合唱。
 あの時、俺達はアリだった。そういうことだ。

 “キンシャサの奇蹟”から32年後、極東の島国に「大言壮語する傲岸なチャンピオン」が生まれた。
 彼はアリのように圧倒的な強さを秘めているのだろうか。アリのように「我々」になることができるのだろうか。「興毅は俺だ」と熱い思いをたぎらせている人々が、この国のどこかにいるのだろうか。
 そうでないのなら、彼の振る舞いは馬鹿馬鹿しいパロディに過ぎない。すべては彼自身の拳によって決まることだ。

| | コメント (10) | トラックバック (0)